2006/07/23

新しいログハウスの誕生

M067 ここ一週間ほど自宅を留守にしてあちこち渡り歩いておりました。その為に森の囁きも遅くなってしまいました。全国を荒らしまわっている異常な梅雨の気象の中、何の因果か日本で一番高い気温を記録した静岡県と高知県に丁度滞在しておりました。写真は浜松市に移築したログハウスです。これも何の因果か異常気象による天竜川の氾濫と諏訪湖の水位上昇による水害の最中に何とか無事、移築を終える事が出来ました。

 しかし、この異常気象、よく考えてみれば地球温暖化による海水温度の上昇という一連の状況を考えれば当然といえば当然の気象変化といえるのではないでしょうか。海水温度の上昇は水蒸気の発生を増加させそれが雲となって上昇し陸地に移動して雨を降らし又海に戻ってくるというサイクルに変動が生じ初めていると言えるのでしょうね。

 しかし問題はこの異常気象をもたらしたのは人類が引き起こした人工的な気象変化であるという事です。産業革命以来の経済発展は地球にとって急激な自然変化をもたらすという皮肉な結果となってしまいその延長線上に発生したのが地球温暖化という現象ではないでしょうか。元々、地球は長いサイクルで温暖化と寒冷化を繰り返してきましたが人間という動物がそのサイクルに変化を与えてしまうほどの大きな自然変化をもたらしてしまっているのです。

 我々はこれ以上の急激な温暖化を防ぐ為に何が出来るのでしょうか?別に難しい話ではありません。身近で出来る「勿体無い」を実践すれば良いのです。不必要な電気を切る事もそうですし食糧もそうです。出来るだけ必要なものだけにして不要なゴミを出さない事です。以前にも話をしましたが昭和40年代の暮らしに戻る事ができたら現在の日本の消費エネルギーは半減出来ます。特別に難しい事では無いように思います。

 写真のログハウスは日本が戦前に行っていた新月伐採法によって伐採された天竜杉を使って建てられたログハウスです。樹齢70年以上の木を利用しています。そしてこの天竜杉で70年以上もつ家を作る事ができたら森はよみがえります。そしてその事は温室効果ガスである二酸化炭素を長くログハウスの部材としてその体内に留めておくことが出来るという事を意味します。ログハウスは決して特殊な建物ではありません。開拓民が生きる術として生み出した家なのです。人間が暮らすために生み出したシェルターであると言えるかも知れません。決して今、流行の規格型、工場生産型の住宅を批判するものではありません。ただ、我々の家の原点に近い何かを感じる事が出来るものなのです。

 だから私はログハウスが好きです。勿論、日本古来の民家も大好きです。自然により近いものに気持ち良さを感じるのです。それは感性というものだと思います。文明の発達は人から感性を奪い去る結果になってはいないでしょうか?勿論、情報も大事ですデータも大事です。でも私は最後は人の感性を信じたいのです。データをどのように生かすかは最後は人の感性ではないでしょうか?異常気象がもたらす変化を感性を持って人間は感じるべきではないでしょうか。今、立ち止まって元に戻る勇気も必要なのではないでしょうか?

 何て事を大汗かいて、土砂降りの雨に打たれておかしくなってなってしまった頭でふと思ったこの頃でした。

 あ~やっと1週間ぶりに自宅でゆっくり眠る事ができました。我が森はまだ大丈夫でした。ヤレヤレ・・・

2006/07/09

活字中毒の悩み

 私は活字中毒です。フッと時間が空いた時とか手元に本があれば何とか生き残れるのですが旅先等で不意にスケジュールが狂って時間が空いてしまって手元に何もないとどうしようとオロオロしてしまいます。その為にいつも古本屋さんにいって予備の本をいつも手元に置いておくようにしています。そうすると心に余裕が出来て精神的にも落ち着くのです。

 シカ~シッ!最近は何となく忙しくて本を読む時間が中々取れない。サラリーマン時代は通勤の行き帰りで文庫本1冊くらいは軽く読めたのですが八ヶ岳に来てからはもっぱら仕事の移動の時間か夜、寝る前しか読む時間がないのです。しかも、最近は健康的な生活をしている所為か布団にはいると「サアッ今日は読むぞっ!と思って読み始めて30分位するともう頭の中に活字が入って来ない状態となりそのうちにモウロウとしてきたらもうダメあえなく撃沈という状態が続いています。

 今、東京では新しい本の世界を紹介する大きなイベントが開かれているそうですね。先日ニュースで見ていたら将来の本の世界を予感させるような新しい形態の本が紹介されていました。又、今朝は小松左京さんが共著で「日本沈没(第二部)」を発表されたというニュースを見てこれは買わなくては!と思いましたね~。日本沈没は読み始めてから没頭して一気に読み通したような覚えがあるのですが文章の最後に「第一部完」と書いてあったとは全然気が付きませんでした。つまりあれは最初から続編が予定されていたという事ですね。気が付かなかった~。やってくれるじゃないか!小松さんという感じですね。

 本の世界の素晴らしさは読んだ人それぞれの感性で物語のイメージが読者それぞれの頭の中で自由に出来上がっていくという事じゃないでしょうかね。つまり同じ本を読んでも読んだ人によって解釈が違ったりその物語の映像がそれぞれの個人の頭の中でその人だけの映像が出来上がるということではないでしょうか。その事が個人の感性を育てる事に繋がっていくように思います。

 最近の子供達は本離れが進んでいるという話を聞きます。今、はやりのゲーム機は個人のイメージを作り出すのではなく直接、映像としてそのイメージを伝えてしまいます。つまりゲーム機で遊ぶ子供達が全て同じ映像を見ていると言う事です。ゲームがダメだとは言いませんが大人達がもっと自分の子供達に小さい時から絵本を読んで聞かせてあげれば子供達は自分で読む本のイメージを自由に自分の頭の中で作るという楽しさを知ることが出来るんじゃないでしょうかね。その事がもっと感性を作り上げる事に繋がるような気がします。もっともっと本を読んで自分の感性を磨いて欲しいですね。

 私は何とか短い時間で本を読む手段として速読に挑戦した事がありますが未だに身に付ける事ができません。最近、これはやはり頭が悪いという事かな?とあきらめつつ開き直ってモウロウとする頭の中で同じ箇所を何度も読んでしまう怠惰な読者に落ちぶれております。

2006/07/01

自然のポテンシャル

P1010123 1週、森の囁きをお休みさせて頂いて北海道を仲間達と研修を兼ねて廻ってきました。目的は北海道における新月の木の活動状況を見るのと活動の普及を兼ねたものでした。訪ねたのは帯広から北海道に入って、新得、富良野、釧路と廻って帰ってきました。この旅では訪ねた所で様々な人に会って自然のもつ力(ポテンシャル)の偉大さを改めて認識させられる旅となりました。

富良野では東京大学演習林に入り80年前に開拓民達が直面したであろう時代そのままの原生林の姿を目の当たりにして倒木の上でしか更新できない幼木のけなげな姿に感動しこれが自然界の掟である事を知らされました。

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その後、新得の新得協働学舎にお邪魔して昨年、今年と2年続けて日本人として初めて世界一になった「さくら」というチーズの製造過程を見せて貰いました。代表の宮嶋氏は大変、自然のポテンシャルを科学的に解明される方でそのチーズ造りには自然のポテンシャルを随所に生かした製造工程を施しています。先ず、驚いたのが牛舎が全く臭くない事、虫も全然飛んでいなくてなにより牛を繋いでいないのです。牛達は厩舎に勝手に寄り添って過ごしておりその顔はどの牛も驚くほど穏やかで私がいつも見ている厩舎で繋がれて餌を食べている悲しげな牛の表情とは全く違うものでした。この厩舎の下には大量の炭がひかれており特殊な土壌処理がされている為に匂いも虫も寄ってこないのです。その方法は極めて自然の力を利用したものです。この牛から取れる牛乳がこの世界一となったチーズの秘密に繋がっているのです。

そして、最後にこの文章の最初に掲示した写真は釧路の斎藤牧場という牛が拓いた牧場で有名な所です。牧場主の斎藤さんは寒冷地の厳しい荒野での牧場経営に行き詰まりある日牧場に立っている1本の木に登りどうすれば良いのかボンヤリ牛を眺めながら考えていました。牧草を食んでいる牛を見ているうちにフト気が付きました。そうだ、牛にまかそう!自然のままに放り出してみよう!こうして石だらけ、木だらけの牧場の構想が固まりあとは牛頼み・・・その結果どうなったか?牛達は自分達の意思にそって朝、勝手に起きだして山の麓から徐々に牧草を食べながら頂上を目指します。そして夕方誰に追われるでもなく自分達で群れをなして勝手に厩舎に戻ってきます。群れの中には雄牛がいるので周辺の牧場が軒並みクマに襲われる中、斎藤牧場では1頭も襲われる事は有りませんでした。見事に雄牛が群れを統率しているのです。こうして山肌をそのまま生かした牧草地は牛達が勝手に食べて勝手に排泄した糞で見事に自然のサイクルが出来上がり美しい牧草地になって行きました。実際に会った斎藤さんは本当に時代の重みを顔ににじませたいい顔をしたオジイサン(失礼!)でした。「オリャ何もしてない、牛達が勝手にこの牧場を作ってくれたんだ」と言われ今でも4輪駆動の車を運転して我々を牧場の中まで案内してくれました。牧場の中にまともな道なんてありません。まさに山の中を勝手に上がっていくといった感じでした。それがまた気持ちよく、途中の川で冷やしたビールとジュースを振舞って頂き牧草地をボヤ~と見ていたらこの写真の牛達が牧草を食べながら上がって来てすっかり囲まれてしまったと言う訳です。牛達は我々を気にするでもなく「邪魔な奴だな~」ってな顔をして通り過ぎて行きました。ただ、雄牛だけは気を付けるように注意されました。群れの雌牛を守るためにいつもぴったり寄り添っており下手に前に立つと角で突き上げられるからです。ここでも自然の力に逆らうことなく逞しく素直に生きている牛と人間が暮らしていました。

今度の旅で思い知らされて事は、自然の力を正しく理解してその力に逆らう事無く暮らすことこそ人間らしい生き方であるのだな~という事です。これが一番単純で簡単そうでこれが現代では一番難しい事かも知れませんね。

2006/06/19

侵入者

 森の中に住んでいると人間以外に色んな生き物が我が家を訪れる。夜勤明けで1人で家で寝ていた我が家の長男は玄関に誰かが居る気配を感じて思わず玄関を開けようと近づいた瞬間、ワッ!玄関の前に立っていたのは立派な角を生やした牡鹿だったそうな・・・

 ハテ又、この時期困るのが夜ワンサカと集まる蛾の大群、夜、うっかり玄関の照明でも点けていようものならやっと家にたどりついてもうっかり玄関を開ける訳にはいきません。なんせドアをあけた瞬間、家の中に我が身とともに10匹くらいの蛾様がいっしょにご入場となる事間違い無し!

 小さなウゴメクものの代表はアリさん。この時期必ずどこかのお宅から「大変です!アリの大群が家の中に発生しています。早く見に来て下さい。」というSOSが入る。森の中に住んでいるとこれは避けられない侵入者ですね。しかしアリさんも余り多くの侵入者となるとこれは放っては置けなくなるので要注意、噛まれたり家の中に巣を作られてすっかり乗っ取られかねませんからね。

 そしてもうひとつの小さなやっかいもの「カマドーマ」・・よく別荘を建てられたばかりの方なんかは「家の中に可愛いコオロギが出るんですよ」何て嬉しそうな話をしている方がおられるが多分それはこの辺りでは間違いなくコオロギではなくカマドーマ、別名「一間跳び」文字通り一間くらいピョーンと飛ぶので一間跳び・・これを1匹みかけると間違いなく床下にあと100匹くらいは居ると思われよ・・まあ別に悪い事をするわけではないけれど何せ連中は数で勝負に出てくる。夜、ゆっくりログの風呂にはいってよい気分になってさあそろそろ体でも洗うかなんてタオルを持つとその裏側にこいつがへばりついているウアッツ!と叫ぶとピョーンと飛んで壁に張り付きあとは風呂の壁や天井を自由自在に飛び回る。捕まえるのを諦めて改めて湯船に浸かっているとこいつが頭の上に飛び降りてくる。まったく手に負えないやつである。

 こいつは侵入者ではないが最近の我が家のトピックは2階の天窓の外に生えてきた木である、そう、まさに天窓から木が生えてきたのである。最初に女房からどうも家の屋根から木が生えていると聞いた時にはそんなバカな・・・と思って見たら本当に天窓付近から確かに木が生えている。どうやら天窓の上に降り積もった唐松の枯葉の上に多分、何かの種が落ちて発芽したものが大きくなったらしい。家主としては誠に恥ずかしい事でありますがちっともシラナンダ。今度の休みの日にさっそく屋根の上に登ってその木を引き抜く予定である。可愛そうなんてはちっとも思わないのである。とんでもない奴である。

 侵入者として一番警戒しているのがヘビである。別に毒ヘビだからという訳ではない、単にヘビが大嫌いなだけである。一度、基礎の点検口付近で脱皮したヘビのナガ~イ皮を発見してしまったものだからどうも具合が悪い、床下にこいつの本体が居るかと思うと鳥肌がたってしまう。コトワザではヘビは幸運の使者なんていうけどダメなのである。

 未だに姿を見せないあやしい奴は床下で何やら我が家の土台を齧っている奴である。多分、野ねずみの類では無いかと思うのだが夜になるとカリカリカリと床下を齧っていやがる。時々猫がその音に反応して警戒して飛び掛る姿勢を示すのだが相手は音はすれども姿は見せずなのでどうしようもない。仕方ないのでドンドンと床を蹴っ飛ばして「ヤメロッ!」と言っていると最近はしなくなった。嫌気がさしてどこかへ引っ越したのかも知れない。

 一番臭い侵入者はカメムシである。連中はどこか木の中の小さな穴倉に卵を産み付けて一気に這い出してくる。そしてブ~ンと部屋の中の照明目掛けて飛んでくるのである。これを捕まえようとしてうっかり掴んだりしたらサア大変!いやはや臭いのナンノ・・とにかく嫌な匂いを発生させてこれがいくら石鹸で洗ってもも取れないから困る。コツはとにかくウチワかなんかをつかってその上に乗り移るように静かに仕掛けて旨く乗り移ったらすばやく窓を開けて刺激しないようにゆっくり移動してその窓から放り出す!これが一番である。

2006/06/11

山間の村・川

Kawa 仕事で静岡県の天竜杉を使っているので市町村合併で浜松市になった天竜地域に行く事が多い、山梨から天竜地域に行くのは近そうで遠い。直線距離では大した事無いのだが何せ間に南アルプスという高い山脈がそびえている為にこの南アルプスを如何にかわして行くかがポイントになる。大きく分けて東ルートの中央高速・甲府南ICで降りて精進湖を抜けて富士宮に入り東名高速・富士ICにいたるルート、中ルートの韮崎から国道52号線に入り富士川沿いに清水に出て東名高速・清水ICにいたるルート、そして西ルートの中央高速・飯田ICに出て天竜川沿いに南に下るルートの3本である。

 色々試してみたが今は飯田ICから天竜川沿いに行かずに国道153号線を通って鳳来寺の横を通る国道257号線を抜けていくルートを教えて貰いこの道がお気に入りの道になっている。この道は昔の三州街道~伊那街道と呼ばれるルートで山間にひっそりと昔の面影を残す小さな町並みや美しい川が流れている。

 写真は三州街道を抜けた国道10号線沿いに流れている桧原川という美しい川である。余りに美しいのでつい車を止めて川沿いの木々越しに写真を撮った時のものです。

 この街道沿いには寒原峠、治部坂峠、平谷村、赤坂峠、根羽村、折元峠、設楽町、鳳来寺山と昔と変わらぬ峠道が続き、古い街道沿いの村々にはひっそりと年月を刻んだと思われる旧家がたたずんでいる。車を運転しながらこれらの道沿いの家並みを見ていると何だか時間を遡っているような錯覚に陥る。日本人が忘れてしまった昔の自然と一体に暮らしていた時代の風景がそこにはある。

 今ではこのひっそりと暮らす村の上空に第二東名高速道路の橋脚が巨大なオブジェを思わせる異様さで聳え立ちそのアンバランスな姿をさらけ出しています。自然と共に暮らす風景は誰にも美しいと思わせる威厳さが備わり、そこに割って入る巨大な人工物には不遜な圧迫感を覚える。

 ここ八ヶ岳にも美しい街道がある。ようやく重い腰を上げた政府も景観法を成立させて日本風景街道(シーニックバイウエイ)として美しい日本の街道風景を守っていこうという姿勢を示し始めた。経済効果も確かに大事かも知れないが人々の生活や健康に直接関係してくる自然を損なっては元も子もないのでは・・・などと思ってしまう美しい街道に出会う事が出来ました。

2006/06/04

森の現状

 「新月の木」の会合で明治大学名誉教授で工学博士の藤井石根先生の講演を聴く機会に恵まれた。先生は熱応力、太陽熱の動力化等の研究をされており「日本太陽熱エネルギー学会」の元会長をされている。今回の講演のテーマは「緑の悪化とバイオマスエネルギー」という事でしたが我々シロウトにも分り易い説明で非常に感銘深い講演でした。

 先生がこの講演の中でもっとも憂いておられたのは加速度的に進む地球温暖化に対する懸念です。私が以前から不思議に思っていた八ヶ岳における気候変動のひとつが温暖化による冬季の降雪量の多さです。何故そうなるのか何回聞いても良く分らなかったのですが先生の話を聞いてなるほどなと思いました、つまり大気中のCO2の増加によりメタンガスが地球を覆いその結果温室化した海水温度が上昇し大量の水蒸気が発生する。その水蒸気が大雨や雪をもたらす結果になっているという訳です。

 聞いてみると「ナルホドナ」と頭の中で理解は出来るのですがこの話はスケールが違うのです。現在、地球上では巨大な規模でエネルギー問題と食糧問題が発生しています。何の事かと言いますとエネルギー問題は言わずと知れた石油備蓄問題です。世界がこのままのスピードで経済成長を進めるといずれ石化エネルギーは底をつきしかも長年蓄積されていたCO2が大気中に放出される事により地球温暖化が加速され結果、大気中の酸素濃度が低下しその事が食糧不足による飢餓を発生し生態系の崩壊を迎える結果になりかねない状況です。現在、アマゾン・東南アジアの熱帯雨林のうち東南アジアの70%に日本の業者が伐採に関わっています。

 世界のCO2発生国のトップは中国です、その次がアメリカ、この経済大国の2カ国が地球温暖化防止活動を定めた京都議定書から外れています。この2カ国の積極的な参加なくしては温暖化の抑制はありえないのです。

 この様な状況における森林に期待される効果は言わずとしれた木の光合成によるCO2の固定です。木は大気中のCO2を取り入れて酸素を放出しています。長くこの固定化されたCO2を留める事、つまり木を有効に長く使う事が今後重要な課題になってくるのです。森林にはこの他に・土壌の保水性(緑のダム)・蒸散作用の促進・河川や大陸棚の養分の供給・大気汚染の防止と浄化作用・土壌飛散の防止と防風効果・防塵と消音効果、そして癒し効果と数え切れない程、地球を維持していく上で貴重な役割を果たしています。

 長々と先生の講義内容を右から左へと書き連ねてきましたが最後に先生の講義で一番印象に残った言葉は「現在の地球温暖化を抑制するのに我々が身近に出来る事は省エネルギー、1970年代つまり昭和45年頃の日本のエネルギー消費量は現在の50%です。あの頃の生活を維持できれば温暖化は抑制できるのです。あの時代、我々は不幸だったでしょうか?」路面電車が走り回っていたあの時代に戻る事は出来ないんでしょうか?

2006/05/29

山登り

久しぶりに山登りに行ってきました。山登りといっても私が関わっているNPOのイベントの一環として八ヶ岳の原生林をみにいくツアーに参加したのですが、天女山の登山入り口から入って前三つ頭の下、標高2000mまで行って引返してきました。

今年はまるで梅雨の様な天気が続いており当日も朝から生憎の小雨が降ったり止んだりの天気で予定ではもう少し上まで行く予定だったのですが30人近くの参加者が一度に山に入っているので安全を配慮して2000mの標識のところで引き返しました。

登山道の入り口は標高1300mくらい、登り始めてすぐ白樺の林が右手に広がります。最近、間伐作業が入り、唐松を切り倒してありました。残念ながらどこの間伐も山の中に切り捨てられており運び出されたり利用されたりする事はありません。足元にはミヤコザサが生い茂り次第に高度が上がってきます。

暫くいくと見晴らし台のように広がった場所に出ます。晴れていれば南アルプスや富士山が一望できる場所なのですが当日は生憎の霧で全く視界はありませんでした。気温は多分7度くらいでしょう。このあたりから登山道左側に石積みが見受けられてきます。これは高山植物を保護する為に登山道としてこの石より先に行かないように配慮されたものです。敢えて名前は言いませんが可愛い高原植物が可憐な花を咲かせていました。この後もう少し上がっていった所では心無い人達がこの貴重な高山植物を根こそぎ盗掘した跡があり、なんだかやるせない気持ちになってしまいました。

気を取り直して尚も高度を上げていくと周囲の景色は次第に亜高山帯(標高1500~2500m)になってきていつの間にやら白樺が少なくなってダケカンバに変わって来ていました。樹齢100年はあるだろうと思われるダケカンバの木はその樹肌がピンク色に輝いており美しくその威厳に満ちた姿を見せていました。又、シラビソの樹も段々2000mが近くなるとオオシラビソに変化して行きます。標高2000mのちょっと下あたりに天然唐松の巨木がありこれも周囲を圧倒する姿です。途中で皆でコメツガの葉やシラビソの葉、トウヒの葉の見分け方等を学びながら登って行くと標高2000mの標識に行き着きました。

私は登山はいつも少人数か単独行で登るのでこんなに多くの人達と登るのは初めてでしたがこれはこれで別の楽しみがあるものです。何より私は余り周りの植物とか気にしないでひたすら登る方ですのでこんなに樹によって違いがあるなんて全く知りませんでした。なにより久しぶりの登山で足は大丈夫かなと内心ひやひやしていたのです。何せ里山に暮らすようになって移動手段はほとんど車で移動するので全く歩かなくなっていたのです。何とか無事に降りてきたときにはちょっとホットしました。

久しぶりの山登りは楽しい時間を与えてくれました。今は中々時間が取れないけど又、時間を見つけて山登りに行こうと思います。

2006/05/20

記念日

先日、結婚記念日を迎えた。女房にその前日「明日は何の日だか分ってる」と言われて実はすっかり忙しさに忘れていたのですが「分ってるよ」と慌てて答えておいた。女房とは人生のパートナーとしてもう人生の半分以上を一緒に過ごしている。知り合ったのが10代の頃だからそれを加えるともう3分の2近い時を共に過ごしている。まあ、しょっちゅうケンカばかりしているもののナンダカンダといいながらとにかく長い時間を過ごしている。いつの間にか家族も増えて子供3人、猫3匹、と共に暮している。猫の方は連れ合いは居なくて母親と子供2匹の家族である。

近年は熟年離婚なんてものが流行っていて自分もうかうかはしていられない。家で一番いらないものにならないようにしないと危ないかも知れない。もうそろそろ子供達が自分の家庭を持ちかねない歳になってきたのでその内に我が家族も核分裂を起こして分かれていくのだろうと思っている。そしたら尚更、女房と2人残されてしまうのかなと思っている。

自分達の親がそろそろパートナーを失っていく年齢になってきて実際に現実のものとなっている。こうやって家族というものは変化していくものなんですね。最近は婚姻にこだわらないパートナーシップがごく普通になってきて実際にそういう方達が増えてきている。それも新しい家族の形かも知れませんね。しかし、婚姻関係があろうがなかろうがやはり共に人生を送ってくれるパートナーを求めている事には変わりありませんよね。

人生の半分以上を共に過ごした記念日は女房がロールケーキを買ってきて子供達と夕ご飯のあと美味しいコーヒーを煎れてデザートにして食べました。本当に些細な楽しみでしたが私はそれなりに満足しています。昨年は丁度区切りの記念日だったので珍しく女房と二人で近くのレストランでデナーを食べに行きました。いつまで続くか分らない些細な我が家の記念日の一つですがちゃんと覚えておかなきゃね。

2006/05/14

映画の話

 私は昔から映画が大好きです。小さい頃はよく1人で「ガメラ対ギャオス」なんていうのを見に行って心ときめかしていました。そしたら先日、TVを見ていたらガメラの新作映画が出来ると言うのを聞いて驚かされました。あれから40年近い月日が経っているのにまだガメラが生きている!(いや、生きてるわけじゃないですけど・・・)なんかタイムスリップしてあの頃に戻ったような錯覚に捉われます。これがまさに映画の魅力かも知れません。

先日、知り合いから1枚のDVDを頂きました。昨年、公開された藤沢周平原作の「蝉しぐれ」のDVDです。「おおっ!出たんだ」と喜んで頂いてきたのですが勿論、本編は映画館で見たのですが映画館で上映されないメーキングのおまけDVDが付いているのですが、その中で子役達の特集をしているバージョンがあり、その中に自分が写っているのです。前にも少し話をしましたが蝉しぐれの主役の男性3人の子供時代を演じた子役さん達の合宿を清里で行い、そのお手伝いを少ししたのです。清里の渓流で魚釣りをしたりログビルダー体験で皮むきをして貰ったり、蕎麦打ち体験をしたりと映画のクランクインに先立つ子役達3人のチームワーク造りの一環だったんですけど、当社のアシストトラウトクラブのメンバーにも手伝ってもらって魚釣りをしたシーンや打ち上げのBBQを清里の山小屋で楽しんだシーンが収録されていました。

 映画作品を1本作り上げるという作業は一種独特の雰囲気があり、一度その魅力に取りつかれれると止められないという話を昔聞いた事がありましたがメーキングのDVDをみていると何だかその意味が少し分った様な気がします。清里に来た子役の3人はまだあどけない子供達でこの子達が本当にあの名作の映画化の主役を演じられるんだろうかと他人事ながら心配になった事を思い出しました。しかし、スクリーンの中の彼等は彼等なりにその大役を必死に演じていました。主役の子はやはり彼等の中でも目の輝きが違っていたのを清里でも感じていましたが、これからどんな俳優さんになっていくのかが楽しみです。

 私の中での映画作品で忘れられない名作となると色々あるのですが今まで見た中で心に深く刻まれているのは「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイドストーリー」ですかね。ちょうど多感な時期に見たこともあるでしょうが今見ても感動はあの時とちっとも変わりません。最近の映画では「船上のピアニスト」かな。最近は知人達に聞いても中々映画館に足を運ぶ人は少なくなってしまいましたが私は幾つになっても映画館には足を運びたいと思っています。

2006/05/07

祭りの後の・・・

GWも今日が最終日、賑やかだった森の中も都会から訪れていた人達の車がすっかりなくなり徐々に静けさが戻ってきています。今年のGWは序盤は余り人が来なくてそれ程でも無かったのですが3日以降の後半は凄い人出でした。近くのコンビニに買い物に行くと駐車場は満杯で入るに入れないし、やっと入れたと思ったら今度は出るのに一苦労、我先にと車の頭を突っ込んでくるのでもう皆、目が吊り上っている・・・あな、オソロシヤ・・久しく都会の喧騒から離れているので車の角先争いも忘れていてタイミングが分らない。何せ普段は車なんてそんなに走ってないんだから・・コンビニのレジのオネエサンの目も吊り上って兎に角一秒でも早くレジを打たなければお客さんからどんなクレームを付けられるか分らない状態、オソロシヤ、オソロシヤ

我が事務所近くの森の中を走っている道路沿いもなにやら凄い人混み・・「この人混みと車の列は何?」と車で走りながら眺めていると、ここはこのGWに開館したギャラリー「彩」どうやら館長さんで歌手の「藤あやこ」さんがお出ましになっているらしい、しかも今日は友人の「坂本冬美」さんも来ているそうな・・・な~るほどね。どうりで中年オジサン達が群がっている訳だ、しかも近くのホテルから送迎のバスまで止まっている。こりゃ混むわけだ。

友人のペンションにもお邪魔したらとても話出来るような状態ではない。満室のお客様のデイナーの準備で厨房とダイニングをひっきりなしに往復して食事を運んでいる、その合間にもお客さんから「ビール下さい!」「ワイン下さい!」「水下さい!」と声が掛かっているのでそちらの対応でもテンヤワンヤ。何せ普段、お客さんなんか1人も居ない時にしか行かないので「こりゃアカン、話どころではナイワ」状態、しかし考えてみたら一年中、閑古鳥が鳴いていたらペンションなんかやって行けないんだから当たり前といえば当たり前か・・

私といえばGWはログスクールの生徒さん達がやってくるのでもうかれこれ20年近くGWに休んだ事は無いんだけどそれ以外は久しぶりにやって来たお客様と話をしたり飛込みで家の相談に来られるお客さまの対応くらいで普段と余り変わる事はない、それでもやはり多くの方が訪れて来られるので何となく慌しいのが例年のGWの過ごし方になっています。

そしてGWが過ぎて静けさが訪れる森の中では唐松等の新芽が芽を吹き新緑の季節が訪れます。何となく、この頃、鹿や狐やテン等の野生動物も姿を見せ始め森の動物達の活動も活発になって来た様な気がします。これから、段々太陽の光がまぶしくなってきて木々の影が濃くなってきます。新しい生命が生まれてくるようでみずみずしい気持ちになってきます。さあ、これから段々、暖かくなってくるぞ。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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