2006/05/01

2006ログハウススクール

Sukuru_1 今年もログハウススクールが始まりました。私とログハウスとの関わりも20年程前に当時のログハウススクールを受講したのがきっかけでした。その頃はまだチェーンソーを使ったスクールではなく丸ノコとノミを使ったスクールで、使用する木も太鼓挽きした小口径の唐松でした。その後、丸太も大きくなりチェーンソーを使用するスクールが始まり再び2度目のスクールを受けに行きました。それから早くも20年の時間が過ぎてしまいました。20年の歳月の間に同じようにスクールを受講した生徒は老若男女100数十名になると思います。多分・・・数えて無いのでよく分りませんが1週間コースが年2回のペースで実施してきたので多分少なくても100人は越えていると思います。

 卒業生の中には今でも年賀状や暑中見舞いを下さる方や八ヶ岳を訪れる事があると寄って下さる方、中にはスクールを卒業してそのまま居ついてしまった方等色々な方がいます。昨年、受講された卒業生の中には実際に自分の山の木を伐りだしてログハウスを造っている方もいます。何も受講生は全員男と言う訳でもなく女性の参加者も居られましたね。たくましかったです。私は今でもこのスクールの校長先生という事になっていますが実際の実技はスタッフに任せて全体の構成と夜の講義が私の分担する仕事になっています。何せもうチェーンソーは触らせて貰えませんから・・・自分の家の薪割り位にしか使ってないですからすっかり錆付いていますので・・

 最近はもう余り多くの参加者が集まることは少なくなりましたが昔は一度に10人近い受講生が集まりスタッフも3人専従で付けないとこなせない程、盛況だった事もありました。様々な年齢や職業、目的の人達が集まるので毎回、色んなカラーが受講生の間に芽生えます。生徒さんの中に率先的に引っ張る人がいるとどうしてもその人が中心的な存在になりますし、仲間達数人で参加する方がいるとその方達はまとまって行動するようになります。ある程度年齢がいかれた人生の先輩達が多く集まるとこれが又、大変・・作業中に注意しても何せ人生の先輩ですので注意を聞いてくれる事も無く「我が道を行く」という感じであきらめざる得ないという事もママありますね。

 しかし、とにかく皆さん貴重な自分の時間と費用を費やして参加して来ているので自分もそうだったのですが楽しくせめてスクールに参加している間だけは自分がログビルダーになったつもりで普段の自分の置かれている生活環境を忘れて作業に没頭して欲しいと願っています。だから、皆さんスクールの最終日は八ヶ岳の里山の作業小屋から再び都会の厳しい環境に戻られるのに何となく寂しさを感じられる方が多いようです。今年のスクール生は4名です。内、1名の方は去年につづき2年連続の参加です。1週間、体調に気を付けて精一杯ログビルダーの気分を味わっていって下さい。Sukuru2

2006/04/24

森つくりの達人講座

Moritukuri 地元で一緒に活動している「NPO法人八ヶ岳南麓景観を考える会」のイベントとして私が担当している「森つくりの達人講座」が開かれました。この講座は2年間を通して森つくりに関わって頂いて、森つくりとはどういうことなのかを身をもって体験して貰おうというカリキュラムになっています。もともとの言いだしっぺなのでかれこれ4年程関わっているのですが色んな方が参加してくれて多くのものを得ています。

私自身は偉そうな事言ってますが木の事は何にも知らないのに耳で聞きかじった耳知識で知ったかぶりしているだけなのですがそこはそれ、私は何も出来なくても毎回、その道の達人の方に講師として参加して頂いて私はそのコーデネイト(こう言うと何だか格好いいけど要はお手伝い・・・)をさせて頂いてます。

 今回の講座は限定20名の予定で参加者を募ったのですが会員を含めて31名の方が参加してくれて盛況のうちに無事修了しました。1日目は「里山の自然と農業」について講師の方に講演して頂いた後、近くの森に入って自然の様子を観察して貰ったり、築130年の地元の古民家で古民家の歴史を聞きながら食事をして貰いました。2日目は実際に森つくりを今後進めていく森に入って作業用の小道を作って貰いました。予定では2時間程かかる作業だったのですが30人もいると作業も早く終わってしまい余った時間で自己紹介をして頂きました。

 自己紹介では何故この講座に参加したのかその動機や八ヶ岳への思いのたけを話して頂いて、それぞれの方の森への思い入れが伝わってきて本当にこの講座をやって良かったと感じました。4年間やってきて様々な意見も出ましたが私はまず兎に角1人でも多くの方が森に実際に入って貰って何らかの作業に参加する事に意義があると思っています。そこから第一歩が始まると思っているのです。色んな方が参加されるのでそれぞれの思いは皆さん様々ですが一緒に森の中で汗を流してみて感じる事が必ずあると信じています。

 毎回、終わるとぐったりでもう辞めようと思うのですが時間がたつと又、やりたくなるのが不思議なんですねエこれが・・・そうはいっても2年間やると宣言したのでとりあえず2年間は休まずスタッフとして役割を果たして行く予定ですので、皆さんこれからも宜しくお願いします。

2006/04/17

日本国憲法

日本国憲法なんていうと、何を言い出すんだろうと思われるかも知れませんが、知り合いが憲法9条を守ろうという運動をしていてちょっとお手伝いをしているもので、お手伝いする以上、もう一度日本国憲法を全文、読み返してみようと思い、先日本屋に行って解説書を購入して出張で移動中のバスの中で読んでみた。

バスの中で読めるくらいだから、全文読んでも大した事はない。確かに古い文体なのでちょっと読み辛いが読めない事はない。意味を理解するかどうかは別ですが・・・日本国憲法は今年で60年を迎える事になりますが一文として変更なく現在まで成立している憲法としては世界でも珍しい憲法らしい。確かに、通常の法令とかではその実情の変化に合わせて年中変更がされているので世界的には珍しいのかもしれない。もっとも、大事な基本的人権を決めた憲法なので余りしょっちゅう変えるものでもないのかも知れませんね。

で、その中の憲法9条には戦争放棄とかについて書かれている訳ですがここでその内容の解釈について述べようという訳ではないし、ボンクラ頭ではとても理解出来ないのでそれは置いておいて何故、憲法が必要なのかという事である。世界中の国でこの憲法に類似したものが同じように制定されているがイギリスのようにそもそも憲法そのものが無い国だってある。無い代わりにそれに代わる判例とか条文が整備されているらしい。つまり憲法が必ず必要なわけではないがそれに代わる取り決めが必要だという事なんでしょうね。その国で暮らす人達がどのような権利や義務の元に暮らしているかという基本的な取り決めをしておかないと問題が起きた時に解決が難しくなると言う事ですね。何を基本に正しいとか正しくないとか判断するのに必要という事でしょうかね?

日本にはもともと「大日本帝国憲法」というものが有った訳ですが第二次世界大戦で敗戦国となった日本を民主化するために新たな憲法を必要としたというのが歴史上のいきさつなのですが、当然、時代によっても変わりゆくものだし逆に変わってはいけない部分も当然あって良いと思います。

日本では最近、悲惨な事件事故が多くて何となく日本国民としてまた、地球に共に住んでいる人としてもう一度、自然を守るとは、平和を願うとはどういう事なのかを考え直す拠り所として憲法を見直す事は良い事ではないかと思います。ただし、その見直しが改悪にならにようにくれぐれも広く世界的にも恥じる事の無いような憲法をつくりたいものですね。

2006/04/08

本の話

 突然ですが私は本を読むのが大好きです。子供の頃はガキ大将だったので本とは無縁の生活を送っており、もっぱら外でイタズラ三昧に忙しい子供でした。ですから何時頃から本を読み始めたかというと社会人になってからなんです。きっかけは東京でサラリーマンをしている時に郊外の安アパートから丸の内のオフィス(何と丸の内に通勤していたのですねえ~自分でも信じられないけど・・)まで2時間程かかり電車の中で時間を持て余してしょうがないので本を読むようになったのがきっかけです。

 文庫本なら1日で読んでしまうようになり、これではとても安サラリーでは本を買ってる余裕がないと思い、次に図書館に通うようになりました。そこで5冊ほどの本を借りて読むようにしてその習慣が今でも続いています。自分のパソコンに読書記録をつけるようになってからでも多分500冊程の記録になっているように思います。

 近年は本離れが進んでいるそうでなかなか本が売れないようですが、私は図書館や古本屋さんも好きですが、やはり新刊本のあの独特の紙の匂いをかぐとどうしてもワクワクしてしまいます。だから、本屋さんの入り口に横積みに置いてある新刊本なんかみるとたまらなくなります。もっとも売る方もそれが狙いなんでしょうが・・時間とお金さえ有り余る程あるなら片っ端から新刊本を買ってしまうのだろうな。

 今はなかなか読書の時間が取れなくなってしまったけど毎日寝る前と仕事の移動中に本が読める環境なら本は私にとって手放せないアイテムです。というか、身近に本が置いてないと何か落ち着かないのです。だから、うっかり読む本を切らしてしまうと不安で不安ですぐに本屋にいって2,3冊取り合えず仕入れて身近にストックとして置いておくようにしています。だから時々何冊かの本を併読するので何だかストーリーと登場人物がごっちゃになって訳分らなくなる時もあります。最近、読んだ本では古い本だけど吉村昭の灼熱隋道が一番面白かったですね。私はジャンルに関係なくなんでも読むので図書館にいくと色んなコーナーを一通り見なくてはならないので時間がかかってしまうのと、この本を読むと決める決め手がなかなか思いつかなくてタイトルに左右されたり字の大きさや表紙のデザインだったり最初の書き出しの文章だったり段組の形式だったり全く決まったものがないので困ってしまうのです。勿論、好きな作家のコーナーを重点的にはみるのですが・・

 映画とちがって本は頭の中で自分なりに映像をつくるという作業が煩わしいけど楽しいのでしょうね。想像力もつきますしね。自分の子供にも本だけは小さい時から近くに置いて本が読める環境をつくってきました。時代が変わってもこういう文化は大事にして欲しいし自分が好きな趣味のひとつなのでいつまでも楽しんでいきたいです。

2006/04/01

携帯電話の罪?

最近、子供達をみていると不思議な光景に頭が???となる事が多い。それは友人同士隣り合って座っても互いに携帯をカチャカチャ・・車で迎えにいって後ろに3人くらい乗っけていてもお互いに携帯でカチャカチャ・・・これは一体何なんだろう?と考えた。

最初は「これも時代の流れなんだろうな~」と理解した。そしてこれが新しいコミュニケーションの方法なんだろうなと理解もした。私自身は携帯電話でさえも持ち歩きに抵抗を感じる人間である。何故嫌かというと自分が置かれている状況に関係なく呼び出されるからである。だから、良く電源を切ってしまう。そうすると会社のスタッフや家族から携帯電話をもっている意味がない!と叱られる。そりゃそうだ。だから打ち合わせをしている時や建物の中や施設に入っているときにはマナーモードという事にしている。

今朝、テレビを見ていたら電車の中で時間が出来たときにとる行動は?との問いに一番多かったのが携帯でメールをする。というものだった。ふ~んやはりそうなんだと納得してしまった。

つまり、現代人の人とのコミュニケーション方法は携帯電話が出来たお陰で場所という距離感を飛び越えてしまったと言う事なんでしょうね。だから傍にいる人間との会話にこだわらずに違う場所にいる人とコミュニケーションをとるという事に違和感を持たなくなったと言う事でしょう。だから、隣に座っているのに会話が成立しない。話術というものが必要なくなってしまったんでしょうね。メールで会話するには話術は必要なく顔文字とか感嘆詞とかそういうものの盛り込み方によってそれに代わる方法を見出している。という事かな?

私は誰か知り合いが隣にいたら「何か話題を探して話をしなくちゃ!」という脅迫観念に近い感情をいつも持ってしまいます。それが正常かどうかは分りませんが少なくてもそういう感情はいつも持っています。でも現代は必ずしも傍にだれも居なくても誰かと繋がっているという事なんですね。だから時間と場所に関係なく誰かと繋がっているために「命に次に大事なものは?」と聞かれると「携帯電話」となってしまうのだろうな・・・

一度、携帯を捨てたらどうなるんだろう?もともと無かったんだから別に死にはしないし・・困ることは困るだろうけど・・それもどうしてもという事ではないような気もするけど・・携帯電話は便利だけど一度電磁場とかが乱れるときっとパニックになってしまうのだろうな。

文明って何だろう・・生活が便利になればナルホド昔に返りたがる感情が芽生えるのは何故なんでしょう・・薪割りもそうだし、森の中で火をおこしてコーヒーなんか飲んだら最高に幸せなんだけどな・・・不思議ですね。

2006/03/29

日本で最初に咲く桜

 先日、故郷の高知に用事があって帰ってきました。ちょうど桜の季節で市内のいたる所で桜が咲いており山梨の標高1000m付近に住んでいる身にはオオッ!春だ!と改めて驚きました。

 高知の桜で有名なのは高知城、三の丸に咲いている気象庁が定めた標準木、正式には「植物季節観測用標本木」となっているソメイヨシノです。今年も気象庁発表の公式記録として日本で一番最初に開花宣言が出された桜です。そしてちょうど私が帰郷した前日に同じく日本で最初に満開宣言が出されました。あくまで気象庁が定めた標本木としてですので実際にはもっと早く咲いている桜もあるのでしょうが公式にはこの高知城の桜が日本で一番最初に咲く桜となっています。

 ところで子供の頃にはガキ大将だった私はいつも高知城は遊びのフィールドで登ってはいけない石垣を登ったり鬼ごっこをしたりして走り廻っていました。その頃にもきっと標本木はあったのだと思いますが現在のこのソメイヨシノがそうだったのかは全く記憶がありません。もっとも桜を楽しんでいるような子ではありませんでしたから気が付かなかっただけだとは思いますが・・・現在の標本木となっている桜は高さ3m程の木でよくみると高知気象台の標本木であるというプレートが掛かっておりフト根元をみるとかわいい子供の枝が残っていてそこに一輪の桜が一生懸命咲いていました。

 高知を離れ訪れる事の少なくなった高知城ですが今年はNHKの大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊が放送されているのでそれにあやかってお城は改修工事が進んでいました。来月4月からオープンだそうです。ところで日本で天守閣から追手門まで現存している城は3箇所しかないそうです。知らなかったけど地元にいると以外と知らないものですね。

 私にとってはお城はいつもそこにある高知のシンボルであり辛い時、楽しい時、悲しい時にいつもお城にいたような気がします。本当にいつもその節目に何故かお城に足がむくのです。年月が過ぎて城下の風景は一変してしまいましたがお城はいつもその周囲に住む人間のシンボルであり心のより所だったんだなと思います。子供の頃いつも覗いていた追手門の近くの露天の縁台将棋は今でも市民の憩いの場所として賑やかに行われており何だか昔にタイムスリップしたようでした。

 日本で最初に咲く桜・・・来年も鮮やかな姿を見せてくれることを願います。

2006/03/21

やさしさ回帰

最近、色々な環境保護や公害問題とかシックハウス症候群の話を聞く機会が多くて色々な人の話が耳に入ってくる。先日も面白い方の話を聞いた。その方はメデイア関係の方だったんだけど「世の中どんなに技術が進歩しても人間様が生まれるには10月10日かかるんですよ。それが自然の摂理なんです。これは誰も変えられないんですよ。」と言われたのを聞いてナルホド、そりゃそうだなと思いました。

自然の摂理・・・人として生きていく上で最低限必要な「思いやり」や「やさしさ」といった当たり前の事が今、当たり前じゃなくなったからおかしくなった?そんな気がする。食事を食べる時に「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」こんな当たり前の会話・・皆さんしています?食べ終わった食器片付けますか?最近、「木」にまつわる会合が多くて色んなところで人生の先輩といった方達と同室でよくごろ寝の宿泊をする機会があるのですがこのオジサン達、必ず自分の布団は自分で畳む・・・オジサンである。食事の時は「いただきます」と「ごちそうさん」そして食べ終わったらいそいそとオジサン同士、食器の片付けを始め、中には当然のように食器洗いまでしてしまう。皆さん会合が終わって帰れば立派な会社の社長さん達ばかりである。でも会合ではオジサン同士なのである。時には議論白熱して緊迫した場面になる時もあるがそれはそれで布団は自分で畳む・・・

私の好きな倉本氏の富良野塾での生活を書いた本を読んでいると倉本氏が塾生に求めるのは演劇やシナリオライターとしてのテクニックではなくその前に人としてどう生きるかというテーマである。そしてそれをどう人前で表現できるかという事である。塾生は自分の食べ物は自分で調達するのが原則なので近くの農家に出稼ぎに行く。必然的に演劇を学ぶのは夜間になる。倉本氏の講義は無料。但し、昼間の疲れで居眠りなんかしたら一括されて追い出される。いつも真剣勝負である。人が人として生きていく上で何に感謝して何に感動させられるのか・・それをいつも塾生に問いかけているのです。だからいつも倉本作品には感動が溢れている。その本の中のエピソードを一つ・・ある日塾生の入塾パーテイーで盛り上がり塾生が即興劇をお客様の前で披露し始めた・・・とたんに倉本氏の表情が一変しお客様に向かって「今日は有難うございました。申し訳ありませんが今日はこれでお帰り下さい」と言い。客が帰った後、塾生は呼び集められて「君達はプロを目指した入塾した以上、恥ずかしい劇を見せてはいけない!」と一括したという話がある。言われてみれば当たり前の事ではあるがこんな事、いつも心に本当に思っていないと出てこない言葉である。何に感謝し何に価値を見出して暮らしているかが問われるエピソードである。

もう一度自分に振り返って自分はやさしさを持って暮らしているだろうかと思ってしまう。やさしさとは何でしょうね・・・凡人にはなかなか分りません。

2006/03/12

新月の木を考える

060311 2日間に渡り東京で新月の木に関わる会合が開かれて北は北海道から南は九州福岡まで全国からこの活動に何らかの形で参加されている方達が集まり熱い思いを話合いました。この写真は1日目を終え2日目の午前中の会議の模様です。前日、時が過ぎるのも忘れて結局、酒を飲みながら日付が変わるまで話をしましたがそれでも話は尽きず、この写真のように改めて別の会議室で話題を変えて議論をしてきました。

毎度毎度の事ですが木及び山に関わる人たちの思いはいつも熱く真剣で私は聞いていていつも関心してしまいます。それだけ日本の山の現状は厳しい状況があり今、何とかしなくてはという思いが皆さんの心にあるように思います。同じように設計事務所や工務店側の人たちもどうやったら本当に良い家が「造れる」のか、どちらかというと我々の会に参加されている人達はどうやったら「売れるか」ではなくどうやったら健康で長持ちする家が「造れる」のかにこだわっている人達が多くて「そこまでやってんだ!」って思わされる話が多くていつも勉強になります。

勿論、建築とは全く関わりのないメンバーも多くてそういう方達の話にもいろんなヒントが隠されていて凄く為になります。私にとって多くの方達との交わりが何ものにも代えがたい財産になっています。今回、私は司会という立場で参加させて頂きましたがまた、新しい多くの出会いがありました。今後、この出会いがどういう風に自分に変化をもたらしていくのかが楽しみです。

2006/03/04

与作ツアー0602

0602 今年2度目の与作ツアーが天竜で開催されて私もお客様と一緒に参加してきました。というか私は新月伐採の現認も兼ねて履歴を取ってきました。現認というのは伐採された木の立っていた森の状況や木自体の生育状況(樹齢、樹高、葉のつき方、曲がり、傷等)を1本1本記録してその木が最終的に利用されるまでその情報を開示するものです。最近、食品には当たり前になった産地表示をもう少し詳しくしたようなものですね。

今回の参加者は15名程でしたがみなさん熱心に伐採体験したり倒される木の迫力を噛締めておられました。樹齢80年を超える杉が主体でしたがその巨体が倒れる瞬間に上げる悲鳴のような音に皆さん驚かれていましたね。私達よりはるかに先輩の生物の命を頂いて家の部材に変えようとするのですからその命の重さを実感して大切にその命を受け継いでいかなければならないと知らされる瞬間です。当社のお客様もわざわざ会社の仕事を終えてから真夜中に現地に移動されて参加されましたが、それだけ関心を持って参加されるという事は山で仕事をしている人間にとってはとても有り難い事ですしもっと早くこういう努力をしてこなければならなかったと思います。

今後もこういうイベントがある限りバックアップしていきたいと思います。皆さんもよかったら是非参加してみて下さい。

2006/02/23

ゲーテ曰く

国土緑化推進機構が主催するグリーンボランテイア研修という通信講座を受講してみた。テキストが送られてきてそれに関するレポートを提出する仕組みになっているのだが、その教材の中に「森への憧憬」という本がありその中に興味深い文章を見つけた。

ドイツの著名な思想家ゲーテは林業家との交流が深く、その事がドイツの古典林業家に多くの影響を与えたそうである。そしてゲーテの残した言葉に「自然は常に正しく、過失や誤りをやるのは人間である」(関 泰祐訳編「人生についてーゲーテの言葉ー」より)というのが載っていた。いかにも!と思いましたね。そもそもこのグリーンボランテイア研修の目的の一つは二酸化炭素削減を目指したものなんですがズバリ、ゲーテの残した言葉どおりかも知れませんね。

見られた方も多いと思いますが、先日NHKで「地球未来環境」の特集番組を放映していましたが日本の研究者がコンピューターを駆使して100年後の地球をシュミレートした映像を紹介していました。数値ははっきりとは覚えていませんが、このままの経済成長を人間が続けると100年後の地球の平均気温は4度程度上昇することになるそうです。それも今後、CO2の削減が順調に進んだと仮定しての話だそうです。そうなると日本の四季は現在とは全く変わってしまい米の産地は西日本から東日本に移ってしまい北海道が主な産地になるそうです。海水面の上昇も大きく海抜の低い地域の水没は免れないようです。

これだけのデータが公表されておりしかもこの予想を裏付けるように世界では大きな災害が起こっています。しかし、尚世界はその経済成長を止めようとはしていません。世界地球温暖化防止会議でもアメリカは早々に京都議定書からの離脱を宣言し、これから経済成長を迎えようとしている中国を始めとした国々は大国のエゴだといってCO2削減には消極的な姿勢をとっています。結局、会議では結論が出ずに会議そのものを継続する事を確認するだけに留まりました。

このまま人類が何もせずに経済成長を続けるならば間違いなく地球は人類を排除する方向に動いて行くようになると思います。人間さえいなければCO2は削減出来るのですから・・・そう考えると恐ろしいですね~決して他人事ではありません。現実には既にその兆候が現れ始めているのですから。では、我々は何をすべきでしょうか?負の遺産を未来の子供達に残さない為に我々に出来る事があるはずです。身近な事から始めましょうそして環境に興味を持って行動する事を始めましょう。

何だか今回はすごくまじめな事を言ってしまったような気がするけど振り返ってみてじゃあ自分は何が出来るのか考えなくちゃね。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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