時事問題 Feed

2020/11/21

withコロナの生活

 今年2020年は新型コロナの蔓延に振り回された年でしたね。今年もあと1か月となりましたが未だにその蔓延の収束は見受けられません。ウイルスは人間の移動がその蔓延を引き起こす原因の一つのなるので厄介な病気です。

 新型コロナウイルスの蔓延で八ヶ岳周辺にもちょっとした変化がありました。大都市、東京から近いという事もありリモートで此方で滞在しながら仕事をする方や、都会での混雑した生活の中で新型コロナの感染を心配した方が八ヶ岳の別荘にこられて長期滞在をするといった生活を選択される方が増えました。

 その為に当社もリフォームの問い合わせや依頼が例年よりかなり増えて対応に四苦八苦しました。

 小さな小さなウイルスがこれだけ世界中の人間に影響を及ぼすというのは本当に脅威ですね。先日、アマゾンの先住民の間でも新型コロナウイルスが広がっており、このケースでは感染防止の手立てがないという記事を目にしましたが正にその通りですね。

 人間の社会活動がこれだけ活発に拡大し経済活動も多岐にわたり地球上の人の移動も早く遠くまで移動出来るようになり、その中でその活動や移動をあざ笑うかのようなウイルスの出現に人々は戸惑ってしまいます。

 今までも天然痘や麻疹といったウイルスを原因とする伝染病を人類は何度か経験してそれを克服してきましたがウイルスは動物から動物へと伝染したり動物から人、更に人から人へと伝染する性質なだけに人間が集まって暮らすようになればなるほど拡散のリスクは避けられないようです。

 しかしながら色々と情報をみてみるとウイルスは何も悪いものばかりではなく人類の進化にとっては無くてはならない有益なものの様で、むしろ有益なウイルスの方がはるかに多いようなのです。知らなかったですよね。

 それにしても今回の新型コロナウイルスの蔓延は現代の社会生活の仕組みがいかに複雑で脆いものなのか知らされました。人の行き来に制限が掛けられることでこれ程、経済が打撃を受けて人々の暮らしに多大な変化をもたらしてしまうという事に今更のように気づかされてしまいました。

 そしてその中での一人一人の人間の行動がどれだけ他の人の健康に影響を与えてしまうのかという事を考えさせられました。

 政治の世界でも各国の首脳の新型コロナ感染拡大に対する政策の違いが共感を生んだり逆に反感をかったりしていかにその国の政府がこの危機にたしてどう対応するかで人々の暮らしが左右されるかという事にも気づかされました。

 今回の新型コロナウイルスは研究者の努力によってワクチンの開発が進んでいて、そろそろ有益なワクチンが開発されそうなニュースが流れて来ていますが早く安全なウイルスが開発されて全ての人に接種が進む事を願いたいですね。それまでは我慢の生活が続きそうです。

2020/10/28

暮らし方の変化

 今年もはや2か月を残すところになりましたが、どうも今年は新型コロナ感染拡大の関係で色々な事が変わってきて変化の多い年の終わりに近づいている様に思います。

 最近では「鬼滅の刃」の爆発的なヒットで連日、映画館が満席とかで、FMからも毎日この映画の主題歌が流れてきて、孫達からも「じいじい。きめつのやいばってしってる?」とショートメールが送られてきて、そのアニメのグッズをせがまれております。

 映画の大好きな私ですが映画館がこれほどの上映スケジュールで公開されるのは見たことがありません。なんだか、何が起こるか分からない時代です。

 私も、未だに外食は気が引けて、あまり行けませんが、たまに女房と近くのショッピングモールのフードコートとかにいくとガラガラで「どうしちゃったんだろ?」といった感じです。

 仕事上でも出来るだけメールで済ませられる仕事はメールで済ますようにして会議も「リモート」だし、イベントも「リモート」での開催となり何だか不思議な感じがします。

 設計の仕事も相手方とは出来るだけメールでのやり取りが増えて来て段々、人との対面での打ち合わせが少なくなってきて、それも何だか物足りない気がします。

 この先、いつもまでもこの状況が続く訳でもないのですが、人って一度、暮らし方が変わると又、元に戻るまで少し時間や気持ちの切り替えに手間取るのは普通ですよね。これも慣れなのでしょうが、少し元に戻るまでは時間がかかりそうです。

 それでも日常の時間はいつもと変わらず刻まれていくので、その中で何とか、今自分で出来る事を一日、精いっぱいやっていくしかないのだと自分に言い聞かせております(笑)

 最近、小野寺S一貴さんの「妻に龍が付きまして・・・」という本を読みました。自分の奥さんに龍が取りついて、その龍の教えに戸惑いながら暮らしていく旦那と奥さんの話なんですが、これが面白くて一気に読んでしまいました。

 何だか、今の世の中に暮らしていく上で大切な事を教えられたような気がします。色々と変化の激しい昨今ですが変わらないものはあるんだと信じて暮らしていくのも楽しいかも知れません。

2017/01/21

大きな変革の予感

 新しい年が始まり今年は年初から世界的な変革の予感がしますね。新しいアメリカ大統領が誕生しイギリスがEUから離脱し、お隣韓国では大統領が弾劾されました。

 日本でも新しい東京都知事が誕生し新たな価値観で都政を変革しようとしています。更に、長い間引き継がれてきた天皇制に新たな変化が生まれるかも知れません。そうすると私は昭和、平成、そして次の年号の3代にわたる天皇制に生きた事になるかも知れません。

 今年はそんな新たな世界の動きの始まりとなる象徴的な年になるかも知れませんね。新たな変化が生まれる時、そこには大きなエネルギーが生まれます。又、その変化が自分にとって喜ばしい時もあるし、そうでない時もあります。

 私は生まれつきの「のんびり屋」なので日常に大きな変化が生まれるのは余り得意ではありません。そうは言っても仕事でも家庭でも健康でも必ず変化は起こります。だからこそ、その変化に対応すべく努力が必要になります。変化を恐れてばかりいる事も出来ないのです。

 新たな年の始まりに当たって世界的な変化が出来れば大きな希望に満ちた変革になる事を祈りたいと思います。今年も「森の囁き」は変わる事無く八ヶ岳の森の中で私が思った事、感じた事を発信していきたいと思います。

2013/08/31

農業の未来

 私は本当は八ヶ岳に来て農業をするのが夢でした。残念ながらその夢は様々な理由で未だに実現していませんがいつかは農業に携わりたいと思っています。

 最近は八ヶ岳南麓で就農する若い就農者が増えてきています。私が知るそういう人達は皆、意欲的で新しい自分なりの農業のあり方を目指しているように思えます。多くの方達は農業とは関係ない仕事をしていた人達でそれぞれの事情でその仕事を辞めて農業を志した若者達です。

 彼等は今迄の農業のシステムに新しい風を吹き込もうとしています。自分達で販売先を開拓し農業の技術を学び新たな品種の改良や地元で無くなってしまった昔の作物を復活させたりと意欲的な取り組みを行っています。私は素晴らしい事だと思います。

 ITに象徴される華やかな最先端技術の発展が支えて来た印象の強い経済発展の陰で、ともすると忘れ去られがちな1次産業ですが私は全ての経済活動の基本は農業をはじめとする1次産業が支えていると思っています。1次産業がしっかりしているから安心して経済発展に取り組めるのが正しい経済活動のあり方だと思います。

 これからTPP交渉が本格的に始まり日本の農作物は広い国土を持つ大国の大規模農業で生産された安価な作物の攻撃を受ける事になります。狭い面積で島国である日本はそうなると大変な打撃を受ける可能性があります。

 しかし、良く考えてみるとTPP交渉がなくても今迄だって日本は自国で生産する農作物で充分長い年月暮らして来た筈です。外国の安い作物が入ってきたり食生活の変化で輸入作物に頼る生活に変化してきましたがここで又、元の様に安心で安全な自国の作物を活かした食生活に戻せば何も輸入食材に頼らなくても充分、国内の農業を支援出来る事ができるのでは無いでしょうか。

 林業の世界でも今、日本は木材の自給率を50%まで上げる目標を掲げ国策として推進しています。是非、農業も自給率を上げて既に始まっているといわれる食糧戦争に巻き込まれることなく自立する農業になって欲しいと思います。

 大学の進学率でも農業系の学科を目指す若者、とくに女性の進出が著しいという話を聞きました。確かに八ヶ岳南麓で就農している若者の中には国立大学の大学院出身者の方もいます。そういう人達の話を聞くと多分、今迄の地元の農家の方達が目を丸くして驚いてしまう様な発想の農業を実践をしてる人達もいます。でも私はだからこそ農業の未来が拓けて行くような気がします。

 勿論地元の長年、農業に携わって来た方達の経験を学ぶ事は大変な知識を習得する事になります。しかし、時代は変わり食品の流通経路にも変化が始まっています。市場に出荷するだけではなく契約農家として直接エンドユーザーの要望にそった作物を育てるのも新しい農業の試みだと思います。

 気候も大きく変わってきました。年々変化する異常気象に対応するには多品種の作物を育てていく必要があるかも知れません。又、温暖化による平均気温の上昇や爆弾低気圧に代表される局地的な豪雨にも耐えられる品種の開発も必要かも知れません。

 そして何より大切なのは日本が持つ独自の作物の種を守る事です。外国から入ってくる強い品種の作物に負けない島国である日本が守って来た作物の種を皆で守る事です。その為には皆で旬な地元の作物を先ず食べる事からはじめなくてはなりません。頑張れ!日本の農業。

2007/02/18

コミュニケーション

 私は子供の頃、友達とうまく遊ぶのが苦手でした。幼稚園の頃からどうしようもないガキ大将だったのですが実は内心では人と会話したり、自分の意見を伝えるのがとても苦手でした。大人になって処世術を何となく学び旨く立ち回る術も少しは覚えて次第に他人からはそう見られなくなって来ましたがそれでもやはり苦手意識は今もあります。

 一時期、凄く他人との会話に悩み、本屋に行ってその手の会話術法みたいなものも少し読んだりしました。その時に学んだのは「人と話そうとするのではなく人の話を聞く」という事でした。話すには苦手でも聞くのは誰でも出来る。その時に少しだけコツが有って、出来るだけその人が話しやすいように話題を展開していくという事です。昔、コント55号の欽ちゃんの本にも人との話方の作法みたいな事が書いてあってとても参考になった覚えがあります。それは、その時の状況、相手が年上か?年下か?立場は?というような事を考えて喋りなさいといった事だったと記憶しています。

 最近、色んな所で人の話しているのを聞いていると特に他人との会話がとても拙くなっているように感じます。主語、述語を省略したり自分が理解しているから相手も理解していると錯覚した喋り方をする機会が多いように思います。

 話は変わりますが私は「北の国から」の倉本さんの作品が好きなのですが何故好きかというと彼の作品のセリフには例えば「僕には分らなかった訳で・・・」のようにそのセリフを聞いた人が色んな感性でそのセリフで最後まで言わなかった残りを想像するという余地を残して広がりを持たせているからです。曖昧かもしれませんが私の感性には凄く合っています。

 近頃、私は相手の顔をジッと見て話すように心がけています。別に睨みつけているわけじゃないですよ。何故かというと私は人の顔を覚えるのが凄く下手な人なんです。どうしても旨く会話出来ないという事が相手の顔を見ていないという事にこの歳になって遅ればせながら気付き(遅すぎっ!)それからは出来るだけ相手の顔を覚えるように話しながら相手の顔の変化や特徴を何となく覚えるように心がける事にしました。

 私もけっして他人と話すのが得意ではないので分るのですが下手な人は会話に参加しようとしない、自分の興味のあることしか参加しない、話しかけても返事しない、そうすると次第に相手も話し辛くなって段々、話しかけなくなるようになります。話の第一歩は挨拶です。オハヨウとかバイバイとか些細な事なんです。明るく大きな声で挨拶するところから会話は始まると思います。

 それと大事なのは自分に殻を作らないという事でしょうか、「ここから先には絶対踏み込ませないぞ」みたいなものを感じる人や「お前みたいな奴と話す必要なんかないんだ」みたいな態度を感じる人もいます。そうすればこっちだって話す気にはならないですよね。友達との会話が楽しいのは同じ価値観でものが言えるからですよね。

 それからもうひとつ相手を敬うという事でしょうか。最近は「タメ口」と言って相手と友達のように話す事が話し方のコツのように思っている風潮がありますがそれは相手に対してさっき言った「お前に気を使う必要なんかないんだ」と言ってるようなものです。相手が年上だったり自分にないものを持っていると思えれば自然と敬語が出て来るはずなんですが最近はそうでもないようです。

 最近、人の会話を聞いててず~とそんな事を感じていました。私自身が会話べたなので凄く言葉のコミュニケーションというものが大事かという事を思い知らされます。しかし私は幾つになっても話すのは苦手です。

2007/02/11

アマチュア規定にもの申す

 私はスポーツ大好き人間である。自分でやるのも好きだけど見るのも大好きである。高校野球も好きだし、春高バレーも、箱根駅伝なんかも大好きである。しか~し!最近気に入らない!何がって、以前も言った事があるけど日本のアマチュア規定はオカシイ!高校総体のバスケット選手で身長2m超えの黒人選手が出て来る。当然、日本人の高校生が手におえるワケがない。まるでプロとアマチュアの試合である。その他のスポーツでも外人選手がよく登録されて出て来る。何故か?勝ちたいからである。でも、アマチュアスポーツの目的とはなんだろう?勝負の厳しさか?それもあるとは思うが私は負けたことから学ぶ事も多いと思う。プロではないのだから・・・

 誤解のないように言っとくが私は外人選手が悪いと言っているのではない。本来の高校生のアマチュア精神からすれば日本に勉学の為に留学してきて、ある一定の期間が過ぎれば日本の高校生として公式戦に参加できるというのなら全く私は賛成である。しかし、今の留学生制度ははっきり言って日本で活躍して企業なりプロのスカウトの目に止まり将来はスポーツを通した人生設計を目指して留学して来ているとしか思えないし、留学生をスカウトしてくる方も試合に勝って学校の知名度を上げようとしているとしか思えない。

 一方、一年生から公式戦に一度も出場出来ずに去っていく選手も沢山いる。彼等も同じ選手として公式戦に参加している仲間を支えてきている。そこへ、海外から体力的にあきらかに差のある選手をスカウトしてきていきなり公式戦に出して勝ったとしても出場機会を奪われた彼等は納得出来るのだろうか?それこそアマチュア精神に反するのではないだろうか。

 今の教育界の問題はメデアが色々取り上げているが私は勉強やイジメだけではなくこういう課外活動としてのスポーツのあり方も歪んでいると思う。大人達が作り上げた歪んだ構造が見えて面白くない!勝てばいいはプロの世界、アマチュアは勝つにはどうすれば良いかを通して人間形成をしていくのが目的ではないでしょうか?高校生のプロ化には反対です。もっと大事なものを是非見直して欲しい。その為にはアマチュア規定の見直しを是非、お願いしたい。

 アマチュアスポーツ大好きな私は、アマチュアスポーツの持つ純粋さが大好きなんです。勝って笑い、負けて泣く、そこには純粋に一生懸命、練習し、耐えて努力して来た仲間にしか共有出来ない感情があるからで、だからこそスポーツは筋書きのないドラマなんだと思うわけです。

2007/01/19

「老い」との付き合い方

「老い」と言っても私の事ではない。まだまだ若いつもりだが昨今、ちょっと物忘れがひどくなってきてちょっと心配している。親しい人の名前がつっかえて出てこない・・・困ったもんだ。実は田舎で1人暮らしをしている母が体調を崩して入院してしまった。それはそれで覚悟はしていたので驚きはしなかったが、いざ事態に直面して母が老いていくのを見るのは少々辛い。これは幾つになっても変わらないものなのかも知れない。

 子供の頃は母が老いていくなんて考えもしなかった。何時までも元気な母のままでいるものだと思い込んでいたし普通、考えないよね・・その点、父親という存在はどんななんだろう?子供達はどう思っているんだろう?実は私自身は父親の存在が消えた時、父には申し訳ないが余り感傷的にはならなかった。これは男同士だからであろうか?母に対する感情とは明らかに違う気がする。やはり人間も動物だから生んでくれた母性に対する感情の方が強いのだろうか?それとも単に父母の子供に対する接し方の違いから生まれる感情の違いだろうか?ちょっと同じ父親として寂しい気もする。果たして自分の子供達は自分をどう見ているのだろうか?もうほとんど成人しているので今更どうのこうのと言っても遅いし、はっきりいって子供達にとって、とても立派な父親だったとは言えないと自分自身思っている。

 自分も含めて人は必ず「老い」ていく。それは避けられない事だし、出来れば「老い」を楽しみたいとさえ思っている。老いて行く事は決して不幸な事ではないと思う。母も老いていくに従って段々子供に戻っていくように感じている。「老いては子に従え」とは良くいったもので現段階では母はまだ従いきれずに若かった自分の姿に固執しているように思える。キット自分もそうなるであろうと思う。そう簡単に子に従えるか!と誰しも思うんだろうな・・自分もきっとそうだろうな。でも娘に優しくされると従っちゃおうかな・・なんて思う時も来るかも知れない。

 話は変わるが今の日本の老人福祉のあり方は最低だと思う。はっきり言って福祉切捨てとしか思えない。貯蓄がないとうっかり年を取る事もままならない。金持ちの老人なら良いがそうでない大多数の老人、まさにこれから高齢化社会を迎えようとしているそんな老人から更に医療費を巻き上げて、うっかり入院しようものならさっさと出て行きなさいと言わんばかりのお粗末な制度しかない。更に悪化しそうな情勢である。戦後の荒廃した日本を繁栄に導き働きずめに働いた人達に対して余りにも無情な国である。我々だってうっかり老いる事も出来ない。税金を上げるなら是非、福祉に役立てて欲しい。一部の裕福な人達だけが報われたり、どこぞの国会議員さんみたいに訳のわからない事務経費に数千万も使える人の為に税金が使われると思うとやるせないですよね。

 是非、豊かな「老い」を過ごし人生の終わりを満足して迎えることが出来るようになって欲しいと年頭にあたり思った訳です。

2006/12/29

さらば2006年

 2006年もあと2日余りで終わろうとしています。今更ながら今年を振り返ると今年も色んな事がありました。今年をあらわす漢字は「命」だそうですが私にとっても今年は「命」に関わる出来事が多くあり、改めて「命」について考えさせられた年でもありました。

 今年、年初に愛犬の「キキ」をガンで亡くしました。それ以来、めっきり朝の散歩の回数が減り続け今ではほとんど行かなくなってしまいました。そしてその後、病気療養中だった義母が亡くなりました。病状が回復に向かっているとの話を聞いて喜んでいた最中の訃報で夜中の高速道路を徹夜で移動して葬儀に駆けつけました。そしてその後、同居中の3匹の猫が相次いで倒れ一時は危篤状態でしたが何とか今は持ち直しています。

 そして世の中ではイジメに端を発した自殺が多発し命について考えさせられる年でありました。「命」 重い課題を背負った言葉です。

 来年はどんな年になるのでしょう。願わくば万民に勇気を与えられるような年になって欲しいものです。しかしそれを与えるのも人間、奪うのも人間ですよね。いかなる時も希望をもって前向きに生きたいと思います。もとより余り難しい事は得意ではないので「なんちゃって~」と笑って過ごしていければ私にとっては良い年になるものと思っています。

 今年も最後になりました。皆さん、今年も最後まで「森の囁き」を読んで頂いて有り難うございました。来年が皆さんにとって良い年になりますようお祈り致します。どうぞ良い年をお迎え下さい。

2006/12/10

大人と子供

 フト、思った・・大人と子供の違いとはなんぞや?何故そんな事を考えたかというと昨日、清里で駐日ノルウエー王国大使のグルットレ氏を招いたノルウエーのイベントに参加してきた。いや、実はそれは口実でそのイベントの最後に予定されているオカリナ奏者の大沢聡さんのオカリナが聞きたくて行ったのですよ本当は・・・ところが受付で「場所はどこですか?」と聞いたら「入られますか?」と聞かれうっかり「ハイッ」と明るく返事したものだからそのコンサートの前に実施されているこのノルウエー大使を招いての「持続可能な都市つくり」だったかな?兎に角そういうパネラーを囲んでの討論会の中に入れられてしまったと言う訳です。

 もうその会も質問を終えて終わるところだったのですがパネラーとして出席していた柿沢元外務大臣が「今日、大使がお1人で何とJR中央線の電車でここ清里に来られた言う事が何よりの持続可能な都市つくりを実践されているという事ではないでしょうか」と発言されてのにひどく感銘を受けてしまったのですね。

 つまりノルウエーという国は景観や環境というものにすごく配慮されている国で環境破壊に繋がる行為は犯罪者として取り締まられるという事が国民の心の中に染み込んでいるという事なんでしょうね。わが国のお偉方のようにタウンミーテングと称し、やらせ質問を用意し更に静岡駅からわずか歩いて8分の会場まで東京からハイヤーで行く事になんの罪悪感も感じないという心と比較するとこれが大人と子供の違いなんだなと思ってしまったのですよ。

 つまりバレなきゃ何をしても良い。バレりゃしょうがないから謝る。これは子供ですね。つまり自分の判断が無い。自分の価値観が無い。大使が話していたのは「グローバルな価値観、誰かに言われたからではなく地球に住む者として当然持続していかなければならない事を先ず、自分から実践し行動する。」これは大人の価値観ですね。いや~聞いてて恥ずかしかった。当たり前の事だけど日本のお役人とこの王国大使との価値観の違い・・・どうしてこんなに違ってしまったのだろう?やっぱり鎖国がいけなかったのかな・・環境に対する価値観の違いは雲泥の差のような気がする。

 偉そうな事は言えないけど自分で出来る事はやっているつもりだけど更に今日からもっと考えなくちゃと思い知らされました。

 その後のコンサートは甚目さんのMCとグリーグの演奏、更に甚目さんが「最初で最後だと思う」といわれた奥様とのピアノ連弾、お嬢さんの素晴らしいバイオリン、そしてお目当てのオカリナ奏者大沢聡さんとピアノの堀内なつみさんのコラボレーションがいつものようにアットホームな雰囲気の中でもキラッと光る才能溢れる演奏を楽しんでとても得をした時間でした。こういうイベントは今後もずっと続けていって欲しいと思いましたね。自分では椅子運びくらいしか手伝わなかったけど・・・今度はもっとお手伝いしますね。

2006/11/19

教育について思う事

 最近、何かと教育に関わる報道が取りざたされていますが何だか難しい世の中になったものです。私は小学校時代はいわゆるガキ大将でしたのでよくイタズラして叱られました。学校に行っているというよりも学校の廊下に行っていると言った方が正しい位、毎日廊下に立たされていました。何せ、宿題はしたことないし、学校には何も持っていかないし当然、毎日忘れ物だらけ、徒党を組んでイタズラのし放題でしたので当然、毎日立たされる訳ですね。怒られて当たり前でしたが何故か先生はいつもそんな私でも怒りながらも庇ってくれました。私も悪い事をしてるのは百も承知でイタズラして先生に怒られるのが楽しくてイタズラしているところがありました。

 でも今は先生は生徒に余り怒れないような環境になっているみたいですね。私の頃は当然悪い事をすればぶっ飛ばされるし、竹刀で叩かれたり、出席簿の角で頭叩かれるとイタカッタ!でも親も当然、我が子が悪いのが分っているので「先生、もっと叱ってやって下さい」というような雰囲気がありましたよね。子供も当然、悪い事をすれば罰を受けるという事が分っていましたので私も毎日、立たされたり正座させられても「しょうがないわな・・」と納得していました。

 現代は先生が子供に手を上げようものなら〇〇委員会とやらに親が通報し暴力教師として目を付けられるみたいですね。私らの時は大抵、体育の先生が鬼教師でどんな悪ガキでも体育の先生にだけは頭があがらないモンでしたけどね。世の中変わったんですね。私も悪ガキでしたが体育だけは得意で小学校も結構なマンモス校で全校生で1000人くらいは居ましたね。毎年1回、全校の縄跳び大会があって引っかかった人は順番に座っていって最後に誰が残るかという大会でした。いつも私は最後まで残りとうとう時間切れで何人かが一等賞なんて事もありました。

 ある日、その小学校が放火で全焼してしまった事がありました。学校が無くなってしまって私はもう行かなくて済むのかなと思い嬉しいような遊べなくなって悲しいような複雑な気持ちになりました。そこで何故か私が思いついたのはお金を稼いで学校を建て直す足しにして貰おうと思ったのです。普段からガキ大将で色んな悪い事してましたのでさっそく仲間を召集し「オイッ皆で釘拾って来い!」と号令をかけて自分も広場を這い回って古釘を拾って廻りました。それを普段から懇意にしていたボロ集めのオヤジのところに持っていくと買って貰えるのです。普段はそれをオコヅカイにして買い食いをしていたのです。皆で集めた古釘は当時で1000円位になったと思いますがそれを封筒に入れていつも、イタズラをしては連れて行かれる職員室の入り口に夕方そっと置いて走って逃げて来ました。

 良く考えれば別に逃げてくる事はないのですが何せホラ、普段怒られてばかりなので職員室に近づく事さえ憚られるのですよ。習慣って恐ろしいですね。ところが何故か次の日、早速職員室に呼び出されて「この封筒を置いたのはお前だろう!」と先生に言われ「何で分ったんだろう?」と内心思いながらもそこはほれ悪ガキですから「コリャ又、怒られる」と思い「はいっ、ゴメンナサイ・・・」と謝ったら先生、何故か何も言わない・・・殴られると思いうつむいてそっと先生の顔を見たら先生が泣いていた。「先生・・・」と言ったら、先生は何も言わずに頭を撫でてくれました。もう40年以上前の事ですが今でもハッキリその先生の涙が一杯溜まった目を忘れる事はありません。

 それから私はもうイタズラは止める事にしました。教育ってナンでしょうね・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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