2008/11/09

煩い奴ら

 ここ数日、煩い奴らが姿を現してもうウンザリしている。人がフロに入ったりトイレに入ったり寝ていると奴らが我が物顔にやってくる。ジッと部屋の隅に目を凝らすと小さな黒い塊がうずくまっている。そう、奴らが「カマドーマ」である。追い払おうとするとピョンピョン跳び撥ねて逃げ回り中々捕まらない。

 別に噛み付いたり刺したりとか毒を持っているわけでもなく悪い事をする訳ではないけれど兎に角、集団で生まれてあちこち飛び回り煩いったらありゃしない。下手に踏みつけたり潰したりするとペチャっとつぶれて床や壁を汚すのでうっかり潰す訳にもいかない。

 しかし、放っておくとやたら数が増えて大変な事になる。別荘なんかだとバルサンかなんか焚けば一網打尽に出来るが住んでいるとそうもいかない。仕方なく一匹一匹、退治していくしかないのだが兎に角、数が多いのでいい加減ウンザリしてくる。

 この時期の奴らはまだ生まれたばかりで小さくすばしっこい。だから、よほど敏捷に狙わないと中々捕まらない。女房なんかは「エイッ!アレッ!どこ行った?」何て騒ぐだけで音の割りに全然成果が上がらない。兎に角煩い奴等なのである。

 煩いといえば今年はヤスデの発生年だそうである。「発生年」とはどういう事かといういとヤスデという奴は8年周期で地上に出て来る習性がある。地中で生を受けてから7年間は土の中の石の裏側なんかに張り付いて生活しており8年目によっこらしょと地上に出て来る。

 これが又、カマドーマと一緒で別に毒を撒き散らすとか噛み付くとか言うことは全然ないんだけど兎に角、大量に発生し一斉に地上に這い出してくるからたまらない。

 前回の発生は今から8年前の2000年でこの時は大したこと無かったけど以前はここ甲斐大泉駅前の道路は奴等に完全に埋め尽くされて道路が見えなかった程だったらしい。

 しかも連中、踏み潰されたりするとヌルヌルの油分が出て気持ち悪いこと甚だしい。かつては小海線の線路がこのヤスデに埋め尽くされてしまい車輪が踏み潰したヤスデの死骸でレールがすべりとうとう車両が動かなくなった事も有ったらしい。

 しかし、今年は何だか、かなり標高の高い所にしか発生していなくて新聞によるとこれも地球温暖化の影響だそうで元来、寒冷地にしか住めないヤスデ達がどんどん標高の高い所へ生息域を変えているらしい。どうもやつらも地球温暖化の被害を受けているようである。

 それからもひとつ煩い奴等がいる。これは動物ではない、落ち葉である。こんな山の中に住んでいると「今年の紅葉は綺麗ですね~」何て言ってジット縁側からお茶をすすりながら眺めているなんて悠長なことばかり言っていられない。

 自宅の屋根や車の上に大量の落ち葉が落ちてくる。しかも広葉樹の落ち葉ならまだいい、問題は唐松の落ち葉である、とにかく物凄い大量の落ち葉がドサッと落ちてくる。

 放っておくと屋根に上に積りそこがいいアンバイに熱を持って腐葉土化し気が付くと屋根の上から何やら怪しい見慣れない木が生えてきているなんて事もある。実際に我が家の屋根にはいつも何かしら若木が生えている。そうなると我が女房どのから「又、屋根から木が生えてるけどいつ取ってくれるのかな?」と厳しい視線が飛んで来る事になる。「別に俺が悪い訳じゃないんだけどな」とブツブツ言いながら屋根に梯子をかける事になるわけです。

 いやいや冬を迎える前にこの煩い奴らを始末しなくちゃならないかと思うと溜め息が出るけどこれも森の生活の日常なんですね~。ヤレヤレ

2008/11/02

八ヶ岳な人々

 八ヶ岳に住んで20年になります。良くも悪くも(悪い人は居なかったけど)多くの人と接してきました。7年前に独立して会社を興してから更に様々な人と接する機会が多くなり大きなネットワークで結ばれているかのように色んな場所で知り合いに会う機会が増えてきました。

 しかし、今更ながら八ヶ岳には面白い方達が集まっています。というか何故か私の周りには面白い魅力的な方が一杯います。

 数え上げればキリがないのですがどんな方達がいるかというと・・いつもそこらじゅうを歩いていて兎に角、面白い事を至福の喜びとしているペンション経営者。怪しいパワーを体中に秘めて不思議なオーラをそこら中に振りまいているマリオネット使い。インターネットを自由に操り八ヶ岳の情報を世界に発信しているネットワーク構築者。雑草だらけの畑に入り無農薬の米や野菜を作り続けいつも自分用の飲料水をぺットボトルに入れて持ち歩き廃油で走る軽自動車でそこらじゅう走り回る徹底的なエコロジカル農場の経営者。八ヶ岳に住みIT会社の代表をしているはずが何故か最近、映画プロデユ―サーになってしまった人。何故か睡眠時間が3時間あれば生きていられるフリージャーナリスト。無公害の鶏卵造りを実践しているアメリカ帰りのやたら文章を書くのが上手い平飼い鶏舎の経営者。寝る暇も無く一日中パンを作り続けていてもパンを造っていることがひたすら楽しいパン屋の主人。折角、硬い会社に就職出来たのに転職してエコツアーのガイドを始めた自転車乗り。見た目、メッチャ関西弁バリバリのおっかない(ゴメンナサイ)おじさんなのに素晴らしく優しい妖精のような作品を造る人形作家。ひたすら山の木の研究を欠かさずアポイント無しで日本中の木を使う人達を訪ねて廻る林業素材屋さん。日本中を旅して廻っている民話の語り部さん。

 等々きりがないのでもう辞めますが最近よく出会う方達だけでもこんなに多彩な魅力的な方がおられます。きっと東京でサラリーマンを続けていたら出会うことが無かった人達だと思いますがこんな人達との交流が私の大事な財産になっています。八ヶ岳の美しい自然も大好きですがこんな面白い(失礼)人達もここに暮らす私にとっては無くてはならない大好きな存在なのです。

2008/10/25

秋に森の中でフト考えた

 最近、世界的な金融不安が起こり様々な情報が世界中を駆け巡り頭の良いアナリストの方々が様々な解析と今後の予想を立てています。私のところにも昨年末あたりからこの状況を予想する情報が入り始めいよいよ始まったかという感じでした。私の浅はかな頭では難しい事はとても分かりませんが人類がこれまで築いてきた経済社会の仕組みに歪みが生じそろそろ考え直さなくてはならない時期に来ているのは何となく分かります。

 人類の幸せが経済発展にあると信じていた人は多いと思います。私も若い時にはそう信じていました。大学生の時に早く卒業して社会に出て早くお金を一杯稼いでお金持ちになりたいと思っていました。しかし、東京でのサラリーマン生活に矛盾を感じ、都会を飛び出して八ヶ岳の麓に住み自分の人生をエイヤッと変えてしまった時から「何か違うぞ?」と感じ続けていました。

 何が違うかというと都会での生活が自分の望んでいた幸せとは何か違うと感じ始めていたんだと思います。ず~と「何でかな?」と疑問に思っていたのですがある日その手の文献を読んでいたときにある記述が目にとまりました。「人類が森から出て現在のような社会生活を過した時間は人類の歴史の中ではほんの一瞬にしか過ぎない人類はその大半を森の中で過し自然と共に過してきた。だから今でも人は森の中にはいると安らぎを感じる」というような意味の事が書かれていました。なるほどそうだったのかとやっと自分でも納得したのです。

 人類は不便な森での生活を改善するために進化し2足歩行を初めそして2本の手を利用する事に目覚め、その2本の手で道具を造り火を得てそして飛躍的に進化しました。そしてやがてその進化が産業革命をもたらして現在のような社会を築くに至りました。

 では、今何が問題になっているのでしょうか?人類が森を出て産業革命を起こした事がいけなかったのでしょうか?私はそうは思いませんがその過程で考えなくてはならない大切な事を忘れてしまったんだと思います。

 それは例えばイヌイットの人達が大切にしてきた「自然との共生」という大事な事を忘れてしまったんだと思います。永遠に産業の進化が進む。そしてそれが人類の幸せに繋がると信じていたのではないでしょうか。実はそうではなかったのです。大切なのは人類は地球上に暮らす生命共同体の一部にしか過ぎないという大前提を忘れないことなのです。

 人類が今のような石化エネルギーに依存しオイルマネーが巨大な利権を生む社会構造はどう見ても人類の未来に幸福をもたらすとは思えません。それは持続可能な社会ではないからです。長い年月を経て蓄積された石化エネルギーを大量に消費する事により人類は一時の栄華に酔いしれているにしか過ぎないのです。再生不能な石化エネルギーの大量消費は地球温暖化をもたらし人類の繁栄が地球の未来に影を落とし始めました。

 私たちは今こそ未来の子供たちに負の遺産を残さない為に消費型社会構造を改め持続可能な循環型社会に切り替えていかなくてはなりません。膨張し続けた経済社会が破綻し世界中の人々がその矛盾に気付き始めた今こそチャンスだと思います。

 経済発展のスピードを落とし、痛みは伴うと思いますが未来の子供たちの為にもう一度失った自然を取り戻しその再生に人類の未来を賭けるラストチャンスではないでしょうか?現在の最先端科学技術を経済発展の為ではなく地球再生の為に智恵を絞り皆が考えていけば良いのではないかと思います。

 日本も現在の海外に依存した食糧供給体制を早く改め食料自給率を上げて荒廃した田畑を再生し自給率100%を目指すべきです。いくら経済大国になっても食料が逼迫すれば国民の幸せはありません。

 現在の日本の一次産業は林業にしても漁業にしても農業にしても経済事情最優先で疲弊しきっており先のない閉塞の中にあります。しかし、本来の人類の幸せは一次産業の中にこそあるはずだったのです。

 その為には豊かな自然環境が欠かせません。日本は早くそれに気付き本来、緑に囲まれ豊かだったはずの島国としての日本の姿を取り戻すべきです。そんな事をこの頃ずっと考えています。

2008/10/20

現代、予約事情

 先日、母の様子を見に故郷高知に12日で帰ってきました。今回は初めてパックツアーという形で飛行機を利用しての帰省になりました。

 以前、知り合いの方がやはり高知に帰る用事があってかなり前にパックのツアーという形式でインターネットで予約したらもの凄く安く行けたよという話を聞いていたのでそれじゃやってみようと思い、自宅のパソコンを開き、高知向けのパック旅行で検索をかけてみたら結構、安い料金で行けることが分かり早速予約をする事にして案内にそって予約手続きを進めていくと飛行機の座席指定も出来てこりゃ便利だと思って予約に必要なデータを打ち込み、これで終わったと一息ついてデータを送信してからフト思いついたのが「アレッ?ところでチケットはどうなるんだっけ」ということ。

 以前、同じようにインターネットで予約したときは事前の予約番号があってそれを空港の航空券の発券機に打ち込んで発券したのだけど今回はチケットレスで搭乗口までいける方法を選択したのでハテッ?チケットレスは良いけど具体的にどうすれば良いのか分からなくてもう一回パソコンを開いて確認したら送信したデータに対し返信するからその返信メールに書かれている「ナントカコード」を印刷して必ず旅行中に携帯しろとおっしゃる。

 ワケが分からぬまま言われた「ナントカコード」をプリントアウトして空港に持って行く事に・・・出発当日、無事羽田空港に着き手荷物検査室に行った。「アレッ?どこにそんな機械あるんだよ?」事前に送られてきたメールには例の「ナントカコード」を検査室にあるリーダーにかざせば自動的に通れるとの事だったがそんな機械無いじゃないかと思い、検査室の中を覗きこむとアリマシタ!X線検査の機械の横にそれと思しき機械が・・早速、自宅のプリンターでプリントアウトしてきた「ナントカコード」を読み取り口にかざすと何と!何も起こらず「はいどうぞ」とあっさり中に通された。

 ドキドキしながらここまで後生大事に抱えて来た私としては少々物足りなかったがせめて「よこここまで出来ましたね」と言って欲しかった(言うワケないか)。そんなこんなで無事、手荷物検査を通り抜け搭乗口へ、さあここからは次の難関、搭乗口でもこの「ナントカコード」をチャックインの際にゲートに翳す事になっている。

 搭乗口にある説明書を読んでみると何だ今は搭乗者全員がこのゲートに同様のものを翳して搭乗券に代えるらしい。何だ俺だけじゃなくて皆、何らかの形でこのゲートで搭乗券を受け取るんだと分かりガッカリ(内心、俺って進んでるかも・・・と思ってたのに)世の中って知らない間にこんなに進んでたのネと納得し機内の人となったのでありました。

 機内に入ったら今度は搭乗機の後ろ半分は高校の修学旅行の連中が占めていて名誉の為に高校名は言わないけどこれがまさしく幼稚園の遠足状態、飛行機が動き出せばキャーキャー、離陸すれば又キャーキャー、機体が揺れればキャーキャー、一体日本の高校生はいつから幼稚園生化してしまったんでしょうかね。引率の先生方も何も注意しないし、そういえば待合ロビーでもキャ-キャーワーワーその煩い事、煩い事。お前らもいっぺん幼稚園に戻って大勢の人がいる所ではどうしたらいいか先生に教えてもらって来い!と思いましたね。昨今、話題になっている選挙権の低年齢化には絶対反対!と改めて心に誓いました。

 マアマア余りくどくど気持ちよく無い事を考えているとろくな事ないと思い機内備え付けのヘッドホーンを耳につけて雑音をシャットアウトしていざ高知へ・・・約1時間半位のフライトで無事、高知竜馬空港へ着陸。

 母の居る病院にいって3時間程話をして当日予約したホテルへ行ってチェックインしました。受付カウンターでチェックイン、これもどうかなと思ったけど何のトラブルも無く私の名前もきっちり予約されていたようですんなりOK、最後に受付のお姉さまが「チェックアウトの際は自動チェックアウト機にカードキーを差し入れて下さい」ヤレヤレ、ホテルよお前もか・・・・

2008/10/13

第2回八ヶ岳音楽祭

 ひょんな事からプロとアマチュアのオーケストラ&合唱祭「八ヶ岳音楽祭」の会場受付のお手伝いをする事になってしまった。

 この音楽祭は12年前に「北甲斐音楽祭」として八ヶ岳山麓在住の有志が中心となって始まったクラシック音楽祭らしい。「らしい」というのも変ですが私が聞き始めたのは昨年からで丁度、名称を「八ヶ岳音楽祭」と改めて今年で2回目なので私としては2回目の音楽祭なのです。今年は著名な指揮者、飯守泰次郎氏を迎えコーラスを加えてモーツアルトの「レクイエム」がメインの演目でした。

 で、なんで私が会場のお手伝いかというとある日の夕方このコーラスの練習ピアノを担当する知り合いのOさんから携帯に電話が入ったのが始まりなのです。Oさん曰く「確か以前、お手伝い出来ることがあったら言ってくださいって言いましたよね」「エッ?エ~マア~」「でね、もう私、決めちゃいましたから」「ハッ?」「会場の受付責任者。お願いしますね」「受付責任者・・・私がですか?」「詳しい事は後日説明しますから。お願いしますね」「ハ~、でっ私は何をすれば良いのでしょう?」「難しい事は何もないですから、詳しい事は後日」「ハ~」

 またもや今年誓ったもう色々な事に絶対首を突っ込まないという誓いをこの優柔不断な性格が邪魔をし嫌な予感が頭をよぎる。心の中で警戒信号が発令されている。「どうすんだよ、又、いい加減なこと言うからこういう事にナンダロ、全くだからお前はダメなんだよ」と心が叫ぶ・・・しかし、こうなったからには後には引けないのだ。そうなのだ。

 で、後日、詳しい話を聞きにOさんの家に行きどんな事をすればよいのか伺うと、どうやら会場を担当するボランテアスタッフ14名程の責任者となってまとめてくれれば良い。しかも段取り等についてはすべて出来ており要は何かトラブルがあったらとにかく頭を下げてその場を収めてくれれば良いからという話で、まあ、それなら大したこと無さそうなので良かった良かったと納得し引き受けた次第なのです。

 しかし、まあ、こういう話は大した事ないとはいいながらも大した事がある訳で、大した事が無いようにするのがどうやら私の仕事であるようで・・とにかく様子が分らないので当日の進行表及び分担表を運営スタッフの方にお聞きしながら作って頭の中を整理し当日に備える事にしました。これさえ作っておけば後は何とか廻りの人が助けてくれるだろうとタカを括りエイヤッとこの進行表及び分担表を作成してスタッフに配り後は皆で何とかしましょうという事にしました。

 しかし、400人規模の会場とはいえほぼ満員と思われる入場者を捌き演奏者もコーラスを含め100人位だろうか?これだけの演奏者が演奏するとなるとそれなりにスタッフとの連携が必要となり公演全体を取り仕切る芸術監督、及び実際の舞台上の運営を進行するステージマネージャー、コーラス指導をするトレーナー、コーラス練習を担当するOさんのような練習ピアノ担当者、オーケストラを指導するコンサートマスターそして当然指揮者、及びコーラスとオーケストラの各パート責任者、公演の記録を担当するカメラマンそれに加えて我々のような会場を担当するスタッフも当日のチケット販売から預かりチケットの引き渡し、VIPの誘導、車イスの方の誘導、お花の預かり、報道関係者への対応ハアハア・・・これだけ書くのでも息が切れそう・・・

 これ以外にも色々ある訳で、これらがいかに細かく打ち合わせされているかでその日の公演がスムーズに進行されるかどうかが決まるといっても良いという事になるワケなのです。マア、今回はこれらの事の大半を既に運営スタッフの皆さんが段取りしていて下さったお陰で俄かヨタヨタ受付チーフの私でもなんとか務まったワケです。

 本日、この公演が無事終わり打ち上げ会場を後にして先ほど帰ってきました。終わった終わった。何事もなくて良かった、良かった。来年は絶対、一般客として会場の中で聞くと決めたのでありました。

2008/10/05

恐るべし陸自

 といっても別に戦闘とかの事を言っているわけではありません。先日、女房が陸上自衛隊東部方面音楽隊のコンサートに行こうじゃないかと切符を取ってきた。世の奥様方が好んで取ってくる以上は当然、無料である。但し、人気のコンサートで中々切符が手に入らずコンサートに先立って整理券を取ってくるのですがこれにも整理券を配り始めるかなり前に行って並ばないと取れないらしい。

 マア、しかし無料のコンサートでもあるし陸上自衛隊の音楽隊だしマア、女房に付き合うのもたまには良いかと余り期待もせずに付いていった。女房曰く、「全国大会の時にはアメリカの部隊も参加してすごい良かったらしいよ」との事であったがマア「ふ~んそうなんだ」程度の話に聞いていた。

 当日、演奏会場の役場横にあるコミュニテイーホールに行くと交通整理の係りが立っていて結構駐車場も混んでいた。ようやく車を止めて会場に向かうと楽器を積んできたと思われるトラックが止まっていて横で制服を着た隊員がタバコを吸っていた。「ふ~ん何だかアットホームな雰囲気だな。まあこんなもんなんだろな」と一人納得して会場内へ。会場時間前だったけど既に受付が始まっていてこれも田舎ならではの事で「よしよし」と中に入り席に座った。

 舞台には楽団の席がセッテングされており舞台後ろにちょうどその全国大会の時に撮影したと思われるDVDが流されていて、いかにも自衛隊の音楽隊らしく行進しながらの演奏風景が流されていた。そしていよいよ演奏が始まった。

 簡単な硬い挨拶から始まるのだろうなと思いきや以外にも美人の女性隊員が手馴れた様子でMCパフォーマンスを始め「おやっ意外と硬くないんだ・・」と思っていると演奏が始まる。

 「まっ・・始まりとしてはこんなもんか」と聞いてるうちに何だか今度は男性隊員達が歌うという。しかもこの中の一人の男性隊員が作詞作曲したオリジナル曲だと紹介されると「へ~え最近の自衛隊の音楽隊は歌まで歌うんだ」と段々、感心しはじめた。

 更に驚いたのはこの男性隊員がこの曲が出来た経緯を紹介するには先の新潟県中越地震の復興に際し地元の方を励ますために演奏活動をした時に逆に復興に前向きに励む市民達の姿に感動して出来た曲だという。「何だか目頭が熱くなってくる話だな」と思い聞いているとこれが中々良い曲でした。4人の男性隊員が各パートに分かれてコーラスをして、中々聞かせる曲なんです。「フムフム中々自衛隊もやるもんだ」と思っているうちに一部が終わり休憩を挟み第2部が始まる。

 くだんの美人隊員がMCで説明するには今度は途中でサプライズがあるという。何だろと思ううちに演奏が始まり曲が半ばに差し掛かった時に客席前方の扉が突然開いて男性隊員と思しき男二人がシャツにサスペンダーといういでたちで舞台に登場しタップダンスを踊る「いやいやこれは・・・」感心するうちに確かにプロとまではいかないが一生懸命タップを踏む姿にはとても自衛隊隊員とは思えないエンターテナーの雰囲気が溢れている。

 驚かされる事ばかりと思っていたら今度はテネシーワルツを演奏するというしかも部隊の歌姫が歌うという。どんな歌姫だろうと思っていたら背の高い女性隊員が舞台袖から現れ綾戸智恵ばりの声量で高々と歌い上げる。こりゃ参りました。とても自衛隊音楽隊とは思えないパフォーマンスではありませんか。

 最後にくだんの男性隊員が植木等や寅さんの曲まで披露するにいたるやもうこれは自衛隊とは思えない素晴らしさですっかり感動しました。

 私自身は自衛隊の海外派遣については賛成する気にはなれないし憲法9条は素晴らしい法律だと思っていますが、こういう自国の警備に当たる自衛隊という存在、中でも平和的に災害時にこういう陸上自衛隊音楽隊のように被災地の住民に希望と勇気を与える活動は素晴らしいと思います。

 最後にこういうパフォーマンスを繰り広げながらも自分の席に戻り楽器を持った途端に背筋がピシッとのびて従来の演奏に戻る自衛隊の姿はとても気持ちの良いものでした。陸上自衛隊東部方面音楽隊の皆さん又、是非、山梨に来て素晴らしい演奏を聞かせて下さい。

2008/09/28

ログハウスの塗装

 一昨年、自分の家のログハウスの塗装をしようと思って塗料を買っておいた。買ってはあったんだけど種々事情(主に怠け心だけど・・・)があり結局、地下室で2年間眠っていた。

 我が家のログハウスの壁は塗装の効果が薄れあちこちを虫に食われ女房からも「あっちこっちに穴があいて木屑が落ちてるんだけど大丈夫なの?」といつも怒られていた。その度に「分かってるよ。そのうちやるから、うるさいな~」といい続けてはや2年程、買い置きしておいた塗料もこれ以上置いておくと固まってしまいそうになってるしログの壁はあちこち穴だらけでそこから木屑がおちて惨憺たる状況に・・・ここまでいくとさすがに「う~ん、こりゃいかん、いい加減やらないと、とんでもない事になりそうだ」と自分に言い聞かせ(もう遅いってか)とうとう重い腰をよいしょと上げて先週の休みと今週の休みを返上して2日間に渡って塗装をする事にした。

 塗装自体は別に嫌いと言う訳ではないんだけど問題はいかに予算を掛けずにやるかということで、当然、足場なんてものは無いから梯子を掛けたり脚立を立てたりして塗る訳ですがこれが兎に角大変なんですよ。マア、兎に角決心したからにはやらざる得ない訳で、先ずは身だしなみから。

 足場が無いから、かなり無理な体勢で塗ることになるわけです。つまり真上を向いて塗らなくてはならないなんて状況も出るわけでこの場合、どうなるかというと・・そうです。賢い方ならすぐ分かるのですが下手が塗ると刷毛から散った塗料が自分の顔に落ちてくる訳ですね。無公害の塗料ですが目に入ったり皮膚につくとチト痛い。それだけならまだいいけど頭に付くとなかなか取れないし服も当然、洗濯しても落ちなくなる訳で、兎に角、完全保護体制を引かなくてはならないのです。

 先ず頭はボロボロのタオルをしっかり巻きつけて服装は一番ボロクテ薄汚れた服を着て、とりあえずこれで自分の格好は準備完了。塗料缶をよく振って中身をよくかき混ぜてから持ち運び出来るように小さな塗料缶に移し代えます。

 おっとこれで簡単に塗り始めるのは素人さんというものです。先ずはログの表面をよく掃除して溜まりに溜まった埃を落とさなくてはなりません。だから先ずは刷毛ではなく箒とボロ布をもってハシゴに登り埃落としです。これが又大変、何セ何年もほっといたので山ほど埃が溜まっている。だからどうするか?ある程度落としたら諦める(これは絶対にマネしてはイケマセン)

 埃落としが完了したらいよいよ塗装の始まりです。片手で塗料缶を持って梯子を上りバランスを取りながら一気に塗ります。ログハウスの塗料はペンキではなく浸透性の塗料を使うので余り神経質に考える事はありません。とにかくタップリ塗りこんでやります。むしろ問題なのは梯子から落ちないようにバランスを取る事です。何せ片手に塗料缶、片手に刷毛、足元は梯子の上という状況なので兎に角落ちないようにするのが一番大事です。

 おまけにこういう時に限って邪魔者が寄って来るんですね~。何者かというとこれがスズメバチなんですね。以前、このブログで書きましたが連中は未だに巣を壊された事を根に持っていて新たな巣の構築を目指して我が家を狙っているのです。これが兎に角邪魔なのです。

 人がやっと梯子のテッペンに着いてこれから塗ろうという時に限って「ブ~ン」という威嚇音をさせながら飛んできます。こっちは梯子のテッペンで両手が塞がった状態なので兎に角、大人しくジッとしているしかなくて例え足元に止まってもひたすら「私なにもしてません。あなたの巣を壊したのは私じゃアリマセン」と呟きながら連中が飛び去るのを待つしかありません。オマケに連中は疑り深くて定期的に廻ってくるので性質が悪いのです。ひたすら「私じゃありません・・・」と唱え続けなくてはなりません。

 兎に角こんな思いをしながら無事、2日間の塗装ですっかり我が家のログウオールは綺麗になりついでに窓も拭いたので見違えるように綺麗になりました。やれやれこれで後、2,3年は大丈夫かな。しかし、いい加減、歳も取って体力も落ちてきたので次やるときはせめて足場だけは足場屋さんに掛けて貰おうかな。

2008/09/21

読書雑考

 私は子供の頃はガキ大将で全く読書というものをしませんでした。本を読むといえば漫画くらいだったですね。当時は発売されたばかりの週刊サンデーとマガジンだけは欠かさず読んでいましたが読書と呼べるようなものではなかったですね。

 それよりも野山と川を走り回るのが忙しかったし読書とは程遠い生活を送っていました。本格的に読書をするようになったのはサラリーマンになって長い通勤電車の中での時間を持て余して読み始めたくらいだから読書の歴史はすごく遅い。当時は椎名誠さんが「岳物語」「さらば吉祥寺のオババ」を発表したり野田知祐さんが「日本の川を旅する カヌー単独行」を出したりCWニコルさんが「勇魚」を発表したりと私にとってはすごく興味深い本が出版されていました。

 これらの本は、その後の私の人生に大きな影響を与える事になります。野田さんは当時、千葉に住んで居られて何とかお会いしたくてバイクで当時住んでいた湖を訪ねましたが既に売れっ子作家になられて東京に住まいを移されていました。近くのラーメン屋で野田さんの事を尋ねると「あ~あの人はいい人だよ」と言ってたのを覚えています。

 椎名さんにはその後、椎名さんが映画を撮るようになって全国を講演して廻っているときに丁度、山梨に来たので講演を聞きに行きました。その後、山梨で椎名さん達と一緒に活動していた写真家の佐藤秀明さんとひょんな事から知り合い、一緒に酒を飲み交わす幸運に恵まれその後、佐藤さんにはお宅にお邪魔して佐藤さん特製のウドンを食べさせて貰ったりしました。世界を駆け巡る写真家の佐藤さんの話は酒を飲みながら伺うと兎に角面白くて最高の時間を過ごさせて貰いました。

 CWニコルさんには私が加盟している「NPO新月の木国際協会」の活動の一環で当時の天竜市で講演をしてもらいその時に食事を共にさせて頂きました。つまり読書の繋がりで作家さんに出会う事が出来たということです。

 その頃から暇にまかせて読書記録を付けるようになり途中、一回パソコンのデータが壊れてデータを失ってしまいましたがその後も記録を取り続けてその記録が約600冊になります。もう少し子供の頃から読書に目覚めていたらと後悔していますがもう今となっては仕方ありません。一時期、椎名さんに触発されて速読術を習得しようとしましたが途中で挫折して諦めました。

 東京でのサラリーマン生活を終えて山梨に来てからは逆に読書の時間が取れなくなり今は夜、寝る前に短時間だけ読むか、仕事で出張する際に移動時間に読むくらいしか出来なくなりました。

 ところで本を選ぶ際に皆さんはどうしていますか?私も色々と試してみました。作家名で攻めるか、ジャンルで攻めるか、装丁で攻めるか、はてまたタイトルで攻めるか、色々やってみましたがどれもコレダという決め手にはなりませんでした。今でもその時の雰囲気で作家名でいったりタイトルでいったりと様々な方法で選んでいます。当然、当たり外れもある訳ですが当たった時は嬉しいですね。もう、夢中で読んでしまいます。

 最近は余り本の売れ行きが良くないようで本屋さんも大変な様ですが子供の頃に本を読まなかった私からすると子供達には絶対、本を読む機会を与えるべきですね。ゲームも良いけど本も読め!ですね。そうしないと想像力が育たないような気がするのです。

 私の子供達には親らしい事は何もしてやれなかったけど夜、寝る前のえほんを読むのだけは続けました。それが子供達にどんな影響を与えたかは今でも分かりませんがうちの子供達は大人になってもゲームはするけど本も読みます。

 世の親の皆さん是非、子供達のそばに本を置いてやって下さい。そして出来れば読んで聞かせてやって下さい。そうすれば私みたいに大人になってから後悔するような事は避けられますから・・

2008/09/13

森の落し物

 カーン!毎年この時期になると我が家の屋根にこんな大きな音をさせながら森の落し物が落ちてきます。落とし主は家のすぐ脇に生えているコナラの木です。そう、落ちてくるのはドングリです。これが昼と言わず夜といわず一日中落ちてくるからたまらない。

 風情があるなんて思っていたらとんでもない。屋根に付いている天窓に当たったりしたらそれこそすごい音がする。昨日なんか天窓の下にたまたま立っていたら真上に落ちてきて思わず首をすくめました。これが外だったら間違いなく脳天に直撃だな~と思わず胸を撫で下ろしました。

 ホント外を歩いていると、まるで爆撃機の爆弾投下のように道にカーン!と落ちてくるからうっかり外も歩けない。よく上を見上げてドングリの木のそばを避けて通らないとちょっと痛い目に会うかも知れません。そういえば最近よく道の上をカラスが歩いていると思ったら連中、これを狙ってるんだな。

 空から落ちてくるのは何もドングリだけではありません。我が家の駐車場の上には隣地に立っている唐松の枝が長~く伸びている。ちょうどその下に車を止めていると朝、とんでもない事になっている。フロントガラスに松脂がべっとり付いてこれが中々取れない、車の中から洗剤を噴霧してワイパーを廻した位じゃ全然、取れない。外に出て水をかけてウエスかなんかでゴシゴシ取らないと全然落ちないからやっかいだ。

 これから秋になって紅葉のシーズンになると唐松の落ち葉が落ち始めるそしたら今度はこの落ち葉がびっしりと自宅の屋根と車に落ちてきて一面、落ち葉の絨毯のようになる。それはそれで見ている分にはすごく綺麗だけど掃除する当事者になると綺麗なんて言っていられない気分になる。ある程度降ってからまとめて掃除することにしている。そうしないときりがないですからね。

 後はこの時期、台風や季節風の影響で風が強く吹いてくると空から折れた枝がそれこそあちこちに落ちてくる。先日夜、車で帰ってきたらちょうど家の前の砂利道の真ん中になにやらぶら下がっている。うん?なんだこりゃ?と思ったら折れたでっかい枝が上から落ちてきて、ちょうど道の真ん中に張り出した枝に引っかかって空中にぶら下がってブラブラしていました。気が付かなければぶつかっているところでした。しょうがないので車からおりてその枝を引っ張って引きずり落として森の中に持っていって処分しました。

 この時期、森の中を歩く際は森の落し物に注意しましょう。運がよいと頭にコブが出来るかも知れませんよ。

2008/09/07

蜂退治の話

 今年も色々と蜂には苦労させられた。仕事でも蜂駆除の依頼が多く、そういう場合は知り合いの蜂取り名人にいつもお願いしている。先週は自宅のスズメ蜂の退治に一日掛かってしまいました。

 夏の初めにちょうど造っていたデッキの上の天井に電気屋さんが空けた直径3cm程の電気ケーブルを通す穴が開いておりそこに興味を示したスズメ蜂が2,3匹出入りして女房殿から「早く退治してね」と言われたんだけどその時はまだ興味を示している程度なのでほっといた。それがイケナカッタ!

 その後、仕事が忙しくてなかなかデッキが完成せずにいい加減に屋根をかけなくてはマズイ状況に追い込まれスズメ蜂が出入りしている穴をそのままにしてその直ぐ下にデッキ用の天井を貼ってしまったのです。

 それから1ヶ月、先日何気なくデッキに出てみると何やらブーンという重低音が聞こえるではありませんかそれも天井の中から・・・嫌な予感。この音は聞き覚えのあるスズメ蜂の羽音ではないか?と思い、上を見上げると無数のスズメ蜂が嬉しそうに天井の穴から出入りしている。シマッタ!今まで出入りしているのは目にしていたけど見ないフリして蜂退治を避けていたのが裏目に・・・経験からしてこの羽音はかなりの大きな巣を天井内に造られたと思って間違いない。こりゃいよいよ対決の日が来たということか(その前に退治しろってか)で、先週の休みの日、スズメ蜂退治用の殺虫剤を2本用意しいよいよ決戦を挑む事になった。

 何せデッキ上には別の天井を貼ってしまったので蜂が出入りしている穴には脚立を立てて覗き込むようにしないと近づけない。これはこちらにとってはかなり不利な状況だ。蜂取りの秘訣は兎に角、身の安全を確保するところから始まる。私がいつも取る作戦はヒットアンドウエイ作戦。出来るだけ素早く攻撃し相手が反撃に出る前に家の中に逃げるという作戦だ。しかしこの作戦、かなりの敏捷性を要求される。スズメ蜂の反撃はものすごく早い、敵に見つかるとあっという間に飛んでくる。そのスピードは目にも留まらぬくらい速い。だから、素早く攻撃し素早く逃げるそのタイミングが難しい。

 スプレー缶を手にし、そっと巣に近づく、こいつはスグレモノで9mは飛んで蜂の巣に的確に命中してくれる。但し値段も高い・・・とりあえず挨拶代わりに一発お見舞いして様子を見ることにした。素早くスプレーし直ぐに部屋の中に逃げて窓から様子を伺う。ウアッ!!出て来る!出て来る!天井の穴から何十匹というパニックになったスズメ蜂が転がり落ちてくる。予想どおりかなりの規模の巣だ。最初の攻撃から5分程待ち第1弾のパニックが収まったところで素早く第2弾攻撃を開始、一回目と同じく素早く攻撃し素早く退散、どんどん出て来る。一体、何匹いるんだろう?すごい数だ。とにかく粘り強く波状攻撃を繰り返すしかない。

 直ぐに1本目の殺虫剤が空になる。しかし、何回繰り返しても敵は小さな入り口から転げ落ちてくるだけで本体に壊滅的なダメージを与えるには至っていない。このままでは殺虫剤が直ぐになくなってしまう。至急、次の対応策を考えねばならない。そこで考えた次の作戦はリスクを承知で直接穴の中にスプレーを吹き込むという作戦、当然、巣から転げ落ちてくるスズメ蜂と事情を知らずにその時、たまたま出掛けていて戻ってくる蜂と目の前で出会う確率も高い。

 連中はパニックになって当然、怒り狂っており間違いなくこちらに襲い掛かってくる、その攻撃をかわして素早く穴の中に直接噴霧し本体の巣を破壊しその後、素早くその穴を塞いでしまおうという作戦だ。無謀かもしれないが効果もテキメンだ、やるっきゃない!万一に備えて手袋をはめスプレー缶を持ち巣に近づいてタイミングを図る。

 今だ!素早く脚立に乗り身を投げ出して穴の近くに手を伸ばし天井の中にスプレー缶の中身をぶちまける。飛び出して来たスズメ蜂が手に当たる。構わず噴霧を続ける。外から蜂が戻ってくる。よし!撤退。直ぐに家の中に避難。窓を閉めて見ていると巣本体に攻撃された蜂達が我先にと天井の穴から転げ落ちてくる天井の中でも凄まじい羽音が響き渡っている。きっと天井内は凄い事になってると思う。

 暫らく様子を見ていると少しづつ転げ落ちてくる蜂の数が減ってきた。よし、弱った今のうちに休まず最終攻撃だ。何度か波状攻撃を続けた後、いよいよ最後の仕上げ。ボロ切れを丸めて手に持ち天井の穴に近づきすぐさま蓋をする。と思ったが旨く入らない、と思った瞬間中から蜂が飛び出してきて手にぶつかった。ヤバイ!と思ったが幸い先ほどの攻撃で弱っており刺されずに済んだ。

 体制を立て直して思い切って指先を穴の中に突っ込んでボロ切れを穴の中に押し込んだ。そして少し離れたところから殺虫剤を噴霧してボロ切れにタップリ薬を吸わせてこれで作戦完了だ。翌朝天井を見上げてみるとすっかり静かになっていた。やれやれこれで安心だ。

 それから一週間程した夜7時頃、女房から携帯に電話が入る。「台所と洗面所に蜂が20匹くらい入って騒いでるんだけど」・・・・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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