2008/12/06

超・私的今年の重大ニュース

 今年もあと残すところ一ヶ月足らずとなり一年を振り返ってみて今年はどんな年だったろうと思い返してみました。

・北京オリンピック:今年一番のスポーツイベントは何と言っても北京オリンピックでしょう。今回は中国・北京での開催ということで環境や食の問題が懸念されましたが無事、開催され様々なドラマが繰り広げられました。

 実力をいかんなく発揮し活躍した人、残念ながら期待された成績を残せなかった人、様々な人間模様が繰り広げられましたが私はオリンピックは世界で唯一つの人類の平和の祭典だと思っています。

 そういう意味で中国で開催されたオリンピックは意義のある大会だったと思います。今後、大会を終えた中国の動向に注目していきたいですね。

・経済恐慌:アメリカのサブプライムローンの破綻が引き金となった世界同時経済恐慌は今年始まったというより今年、表面化したと言った方がよいのかも知れません。誰が悪いというのではなく経済発展こそが人類の平和に繋がると信じてきた時代が終わり、これからは人にとって真の幸せとは何かということを一度立ち止まって考え直す時が来たということです。

 かけがえのない地球環境に配慮し安全な食物をお腹一杯食べられるということがどれ程幸せかということを皆で考えなければなりません。不要な道路や公共事業に無駄な税金を使うことを止め福祉環境を向上させ食料自給率を上げ未来の子供達が安心して暮らせるようにせねばなりません。

・今年の映画:今年は余り映画を沢山みる事が出来ませんでした。その中では邦画の「おくりびと」が特に印象に残る映画でした。モックンが持ち込んだ企画を映画化したものですが知り合いのプロデユ―サーが手掛けたと言うこともあるかも知れませんが私にとっては今年一番の映画でした。

 それと今年、TVを入れ替えて音響システムを良くしたのでDVDで私の一番好きな映画「サウンドオブミュージック」を観たのですがこれが又イイッ!何回みても泣けて泣けて・・・やはり名作は素晴らしい!

・プロスポーツ:プロ野球では我が巨人軍がリーグ優勝を果たしましたが後一歩というところで日本シリーズを落とし、来年以降に課題を残す結果となりました。しかし、若手の台頭もあって課題の克服は充分可能なので原監督、来年も頼みまっせ(どこの人?)

 ゴルフでは彗星のように現れた石川遼選手が活躍し話題の多い年になりました。サッカーでは地元バンフォーレ甲府が頑張りましたがイマイチ結果を残せませんでした。来年以降の奮起が必要です。

 それと来年は初めてプロ野球の世界に女性選手が加入する事になり一代センセーションを巻き起こしそうです。彼女がアンダースローから投げるナックルボールが巻き起こすドラマが楽しみです。

・緒形拳逝く:名優、緒形拳が今年逝ってしまいました。現在、放送中の「風のガーデン」での彼の役と心情を思うと最後の気力をふりしぼり自分の命をかけて本当に最後まで役者魂を貫いた名優だったのだなと改めて感動させられます。合掌。

・自分:今年、生まれて初めて骨折というものを体験した。指の先っちょで大した事、無かったんだけどこのまま一生、骨折というものを経験しないでいくのかな?と、ちょっと思っていたのであっさり先生に「折れてますね」と言われたのがショックでした。以上、今年の超・私的重大ニュースでした。

2008/12/02

宇宙の真理

 先日、新月の木の集まりがあって東京に行って来ました。年に一度の研究発表会で特別講演として「高エネルギー加速器研究機構」教授の山本 明先生の「素粒子物理学」の話を聞きました。

 話の内容は難しすぎて私のようなアナログ人間の頭ではとても理解出来るものではありませんが、どうもそれなりにこの頭で理解するところによると宇宙の起源となるビッグバンから収束となるブラックホールに到るまでの事を解明するには人間のまだ知らないミクロの世界の素粒子を研究していかねばならないらしい。

 人間の存在や地球の成り立ちとは全てその素粒子のなせる過程にしか過ぎない。つまり我々が見ている世界というのはほんの宇宙の本当にミクロな世界でしかないと言うことである。マア、そりゃそうだろうなというのは何となくこの頭でも分かる。つまり我々が認知できる可視光線の波長でしか我々は感じる事が出来ないわけですからね。

 しかし、ここで私が思ったのはその難しい理論の内容ではなく今年、ノーベル賞を受賞された小林先生、益川先生始め、こういう常人にはとうてい思いも付かないような事に疑問を持ち辛抱強く研究を重ねていく人達がいるからこそ人間の知識は深まってきたのだなという事なのです。

 普通の人ならなにも疑問に思わないような事に疑問をもち、そこから人間の進歩は始まるのですね。「目に見えないものがもしかしたら世の中にはあるのじゃないか?そうでなくては理屈が合わないではないか」何て事をず~と考え、自分の疑問に答えを出す為に研究を重ね続ける研究者がいるから新たな発見が生まれるのですね。

 その昔、プレートテクトニクスなる理論が叫ばれた時に時代は天動説一色で統一され地動説は異端とされた訳ですが今では皆、当たり前の事として理解しています。誰かがその当たり前とされている事に疑問を感じ、自分のその疑問を解き明かす為に真実を探し求めたのですね。

 現代はあまりにも情報が氾濫しすぎてどれが真実だか分かり難くなっています。だからこそ情報を整理しその裏に隠された真理を追い求める必要があるのですね。日本の教育は折角ゆとり教育を目指していたのに学力が低下したからといって又、詰め込み教育に戻りそうですが本当はテストによって学力を決めるのではなく子供達が自ら疑問に思ったり感じたりした事を伸ばしてやる事が大事なのかもしれませんね。

 数学も答えが正しいかではなくどうしてそういう答えになるのかという過程を説明してやるほうが授業としては楽しいかも知れません。私も昔から歴史の授業が苦手でどうしても年代の記憶が出来なかったのですが今頃になってその時代の人間模様なんかの背景を書物で知るようになってから興味が湧いてきました。

 「1たす1は何故2になるのか?」なんて説明しろと言われたらほとんどの人は説明出来ないんじゃないかな?疑問に思わないものね。でもそこに疑問を持つ人がいるから科学は面白くなるのでしょうね。

 山本先生の講義を聞いた後、新宿から高速バスにのって山梨に帰ってくる途中に車中で読んだ本の中で円周率は3.1より大きい事を証明しろという問題をどうやって解くかを解説してありました。それを読んでいて世の中にはつくづく頭のよい人がいるんだな~と感心してしまいました。

 そういえば私は子供の頃、中学受験をしたのですが小学6年生の時は自分は天才だと思っていました。受験に必要な問題は特に苦労も無く解けていたし、それなりに自分でも勉強し努力もしていました。そして某進学校に入学した途端、世の中には自分の知らないとてつもなく頭のよい人が沢山いるんだと口をポッカリ開けて思い知らされる事になり、奈落の底に突き落とされた気分でした。

 しかし、その時、自分は大したこと無いんだと思いしらされた事が後の人生に大きな影響を与える事になりました。今ではすっかり開き直って生きてます(笑)

2008/11/23

待ち続けるオババ

 僕の住む八ヶ岳南麓の里山の片隅で毎日、道路脇の石垣に腰を下ろして日がな一日中、誰かをまっているオババがいる。人の噂によるとオババは離れて住んでいる息子が帰って来るのをジッと待っているという話だが実際のところは知らない。

 毎日、私が事務所に向かう道の道端で通る車をジッと見ている。以前はもっと別の畑脇の石垣にもたれてやはり一日中誰かを待っていた。仕事柄、車で走り回る事が多いのでその道は一日の間に何回か通りがかる。その度にそのオババは同じ場所に佇んでいた。ある日、女房にその話をしたら「あ~あのお婆さんは息子さんが迎えにくるのをいつも楽しみに待ってるんだって。たまに息子さんが帰ってき又、戻って行っちゃったらその翌日から直ぐに待っているらしいよ」と教えて貰った。オババの頭の中でその事をどこまで理解しているか私には分からないけど田舎に一人暮らしの母一人を置いてきている身としてはとても人事とは思えない。

 以前、といってもかなり前だけど近くの一人暮らしのオバアチャンの家で異変があり朝、通りかかったらそのオバアチャンの家の前の道路に家財道具が散乱しており何があったのだろうと思ってたら、どうやらそのオバアチャンはちょっと頭が錯乱する時があって以前から時々こういう事があったらしい。そんな事があってから暫らくしてその家の前を通りかかったら多くの車が止まっておりどうしたんだろうと思っていたらそのオバアチャンが亡くなったらしいと聞き驚いた記憶がある。

 私の母も認知症の症状が現れてから一人暮らしが困難になり現在は施設に入っていますが別に体が不自由な訳ではないので元気に集団生活をしています。時々、高知に帰って訪ねていくと毎日、「ありゃよく来たね」と迎えてくれます。毎日訪ねても「ありゃ、よく来たね」になるのが玉にキズですがそれが症状なので仕方ありません。

 母の部屋は4階にありそこの個室に訪ねていくのですが色んな話をして(話題は常に繰り返しになるのですがね・・・)帰るときになるといつも1階まで一緒に降りてきて玄関前でバイバイをします。以前は余り気にしなかったのですが最近は振り返るといつまでも玄関の中でこちらを見て手を振っている姿があり何となくそれが気になり時々振り返って姿が見えなくなるのを確認するようになりました。

 そして、何となく振り返る事がためらわれるようになり・・・仕方が無いことですが「いつまでも元気でいてね」と思うことしか出来ないのですね。

2008/11/17

薪割の極意

「薪割りの極意」何て事を偉そうに書くと「どんな極意?」と期待されてこの先を読まれる人の為に言っておきますが全くそんな極意はこの先読んでも出てきませんのでそういう期待をされている方には先に言っておきますね。

 先日、子供たちが久しぶりに揃って帰ってきたので女房が薪割りを命じ、女房と長男、次男の3人が揃って薪割りを体験しました。女房にはいつも「何で子供たちに薪割りをさせないの?」と言われていたのですが何となく「これは俺の仕事だ」という思いがあって今まで子どもたちには教えてきませんでした。で、今回初めて女房と子供達の薪割りを身近に見たのですが子供達といったってもう一人前の大人ですし体だって自分よりはるかにデカイし力なんてキット俺より上だと思うのですが薪割りに関してはホントに下手でありました。

 今回、初めて経験するので仕方ないけどこれなら俺一人で割った方が倍は早いなと思えるほどでした。見ていると危ないったらありゃしない。ハラハラしながら見ていました。女房の言うとおりもっと早くから教えておけば良かったかな?と反省すること大でした。

 薪割りなんて自分にとっては小さい頃からやらされたりしたので特に教わるなんて事なかったけど今の子供達はまず経験すること無いですものね。こっちも段々、体力が落ちてきて薪割りもいつまで出来るか女房殿はとても心配していますが自分としてはまだもう少し出来るかなと思っています。

 しかし、先日(寒くなってから割ったって遅いのですが例年のことです)もういい加減に割っておかないと今年の冬の薪が無くなるので、もう限界(しつこい様ですが遅いっ!)と思い、晴れの一日を利用して朝から晩まで薪割りをしました。

 その日は朝から快晴で気持ちよく空は青く澄み渡り森の中は空の青と紅葉の素晴らしいコントラストに包まれていました。その中で薪割りをしていると本当に気持ちがよいのです。どんなに文明が発達し科学が進歩していてもこの一瞬の気持ち良さは時代を越えて変わらないと心から思いましたね~(これって俺だけですかね?)薪割りの極意は何も考えずに目の前にある丸太を見つめて力一杯狙いを定めてその一点を斧で打ちぬくのみです。難しい事なんてひとつもありません。

 余計なこと考えないから返って頭がすっきりするのでしょうかね。とにかく余りに天気が良かったので至福の時を過せているなととても満足した一日でした。しかし、午前中はそれでも調子よく進んでいたのですが午後に入ると1本割っては休憩して空を見上げて「キレイダナ~」何て一人呟いてみて、次の木を用意してなんての繰り返しのタイミングが段々長くなっていき終いにはハ~なんて溜め息をつくようになり「幾ら至福の時だってシンドイのはシンドイ」と思うようになり最後は息もタエダエの状態でした。

 言うまでも無く次の日は腰と腕の筋肉痛に襲われて最悪の一日を過す事になりました。本気で「やっぱりそろそろ薪割り機を買おうかな」何て事を考えてしまい、その度に「イカンイカン!堕落するだけだ」と気を引き締めなおしていました。しかし、其の内にきっと何時か「堕落してもイイカナ」と考えてしまう時がくるかも知れません。その時までは堕落しそうな自分にムチ打って薪割りを続けていこうと思っています。

2008/11/09

煩い奴ら

 ここ数日、煩い奴らが姿を現してもうウンザリしている。人がフロに入ったりトイレに入ったり寝ていると奴らが我が物顔にやってくる。ジッと部屋の隅に目を凝らすと小さな黒い塊がうずくまっている。そう、奴らが「カマドーマ」である。追い払おうとするとピョンピョン跳び撥ねて逃げ回り中々捕まらない。

 別に噛み付いたり刺したりとか毒を持っているわけでもなく悪い事をする訳ではないけれど兎に角、集団で生まれてあちこち飛び回り煩いったらありゃしない。下手に踏みつけたり潰したりするとペチャっとつぶれて床や壁を汚すのでうっかり潰す訳にもいかない。

 しかし、放っておくとやたら数が増えて大変な事になる。別荘なんかだとバルサンかなんか焚けば一網打尽に出来るが住んでいるとそうもいかない。仕方なく一匹一匹、退治していくしかないのだが兎に角、数が多いのでいい加減ウンザリしてくる。

 この時期の奴らはまだ生まれたばかりで小さくすばしっこい。だから、よほど敏捷に狙わないと中々捕まらない。女房なんかは「エイッ!アレッ!どこ行った?」何て騒ぐだけで音の割りに全然成果が上がらない。兎に角煩い奴等なのである。

 煩いといえば今年はヤスデの発生年だそうである。「発生年」とはどういう事かといういとヤスデという奴は8年周期で地上に出て来る習性がある。地中で生を受けてから7年間は土の中の石の裏側なんかに張り付いて生活しており8年目によっこらしょと地上に出て来る。

 これが又、カマドーマと一緒で別に毒を撒き散らすとか噛み付くとか言うことは全然ないんだけど兎に角、大量に発生し一斉に地上に這い出してくるからたまらない。

 前回の発生は今から8年前の2000年でこの時は大したこと無かったけど以前はここ甲斐大泉駅前の道路は奴等に完全に埋め尽くされて道路が見えなかった程だったらしい。

 しかも連中、踏み潰されたりするとヌルヌルの油分が出て気持ち悪いこと甚だしい。かつては小海線の線路がこのヤスデに埋め尽くされてしまい車輪が踏み潰したヤスデの死骸でレールがすべりとうとう車両が動かなくなった事も有ったらしい。

 しかし、今年は何だか、かなり標高の高い所にしか発生していなくて新聞によるとこれも地球温暖化の影響だそうで元来、寒冷地にしか住めないヤスデ達がどんどん標高の高い所へ生息域を変えているらしい。どうもやつらも地球温暖化の被害を受けているようである。

 それからもひとつ煩い奴等がいる。これは動物ではない、落ち葉である。こんな山の中に住んでいると「今年の紅葉は綺麗ですね~」何て言ってジット縁側からお茶をすすりながら眺めているなんて悠長なことばかり言っていられない。

 自宅の屋根や車の上に大量の落ち葉が落ちてくる。しかも広葉樹の落ち葉ならまだいい、問題は唐松の落ち葉である、とにかく物凄い大量の落ち葉がドサッと落ちてくる。

 放っておくと屋根に上に積りそこがいいアンバイに熱を持って腐葉土化し気が付くと屋根の上から何やら怪しい見慣れない木が生えてきているなんて事もある。実際に我が家の屋根にはいつも何かしら若木が生えている。そうなると我が女房どのから「又、屋根から木が生えてるけどいつ取ってくれるのかな?」と厳しい視線が飛んで来る事になる。「別に俺が悪い訳じゃないんだけどな」とブツブツ言いながら屋根に梯子をかける事になるわけです。

 いやいや冬を迎える前にこの煩い奴らを始末しなくちゃならないかと思うと溜め息が出るけどこれも森の生活の日常なんですね~。ヤレヤレ

2008/11/02

八ヶ岳な人々

 八ヶ岳に住んで20年になります。良くも悪くも(悪い人は居なかったけど)多くの人と接してきました。7年前に独立して会社を興してから更に様々な人と接する機会が多くなり大きなネットワークで結ばれているかのように色んな場所で知り合いに会う機会が増えてきました。

 しかし、今更ながら八ヶ岳には面白い方達が集まっています。というか何故か私の周りには面白い魅力的な方が一杯います。

 数え上げればキリがないのですがどんな方達がいるかというと・・いつもそこらじゅうを歩いていて兎に角、面白い事を至福の喜びとしているペンション経営者。怪しいパワーを体中に秘めて不思議なオーラをそこら中に振りまいているマリオネット使い。インターネットを自由に操り八ヶ岳の情報を世界に発信しているネットワーク構築者。雑草だらけの畑に入り無農薬の米や野菜を作り続けいつも自分用の飲料水をぺットボトルに入れて持ち歩き廃油で走る軽自動車でそこらじゅう走り回る徹底的なエコロジカル農場の経営者。八ヶ岳に住みIT会社の代表をしているはずが何故か最近、映画プロデユ―サーになってしまった人。何故か睡眠時間が3時間あれば生きていられるフリージャーナリスト。無公害の鶏卵造りを実践しているアメリカ帰りのやたら文章を書くのが上手い平飼い鶏舎の経営者。寝る暇も無く一日中パンを作り続けていてもパンを造っていることがひたすら楽しいパン屋の主人。折角、硬い会社に就職出来たのに転職してエコツアーのガイドを始めた自転車乗り。見た目、メッチャ関西弁バリバリのおっかない(ゴメンナサイ)おじさんなのに素晴らしく優しい妖精のような作品を造る人形作家。ひたすら山の木の研究を欠かさずアポイント無しで日本中の木を使う人達を訪ねて廻る林業素材屋さん。日本中を旅して廻っている民話の語り部さん。

 等々きりがないのでもう辞めますが最近よく出会う方達だけでもこんなに多彩な魅力的な方がおられます。きっと東京でサラリーマンを続けていたら出会うことが無かった人達だと思いますがこんな人達との交流が私の大事な財産になっています。八ヶ岳の美しい自然も大好きですがこんな面白い(失礼)人達もここに暮らす私にとっては無くてはならない大好きな存在なのです。

2008/10/25

秋に森の中でフト考えた

 最近、世界的な金融不安が起こり様々な情報が世界中を駆け巡り頭の良いアナリストの方々が様々な解析と今後の予想を立てています。私のところにも昨年末あたりからこの状況を予想する情報が入り始めいよいよ始まったかという感じでした。私の浅はかな頭では難しい事はとても分かりませんが人類がこれまで築いてきた経済社会の仕組みに歪みが生じそろそろ考え直さなくてはならない時期に来ているのは何となく分かります。

 人類の幸せが経済発展にあると信じていた人は多いと思います。私も若い時にはそう信じていました。大学生の時に早く卒業して社会に出て早くお金を一杯稼いでお金持ちになりたいと思っていました。しかし、東京でのサラリーマン生活に矛盾を感じ、都会を飛び出して八ヶ岳の麓に住み自分の人生をエイヤッと変えてしまった時から「何か違うぞ?」と感じ続けていました。

 何が違うかというと都会での生活が自分の望んでいた幸せとは何か違うと感じ始めていたんだと思います。ず~と「何でかな?」と疑問に思っていたのですがある日その手の文献を読んでいたときにある記述が目にとまりました。「人類が森から出て現在のような社会生活を過した時間は人類の歴史の中ではほんの一瞬にしか過ぎない人類はその大半を森の中で過し自然と共に過してきた。だから今でも人は森の中にはいると安らぎを感じる」というような意味の事が書かれていました。なるほどそうだったのかとやっと自分でも納得したのです。

 人類は不便な森での生活を改善するために進化し2足歩行を初めそして2本の手を利用する事に目覚め、その2本の手で道具を造り火を得てそして飛躍的に進化しました。そしてやがてその進化が産業革命をもたらして現在のような社会を築くに至りました。

 では、今何が問題になっているのでしょうか?人類が森を出て産業革命を起こした事がいけなかったのでしょうか?私はそうは思いませんがその過程で考えなくてはならない大切な事を忘れてしまったんだと思います。

 それは例えばイヌイットの人達が大切にしてきた「自然との共生」という大事な事を忘れてしまったんだと思います。永遠に産業の進化が進む。そしてそれが人類の幸せに繋がると信じていたのではないでしょうか。実はそうではなかったのです。大切なのは人類は地球上に暮らす生命共同体の一部にしか過ぎないという大前提を忘れないことなのです。

 人類が今のような石化エネルギーに依存しオイルマネーが巨大な利権を生む社会構造はどう見ても人類の未来に幸福をもたらすとは思えません。それは持続可能な社会ではないからです。長い年月を経て蓄積された石化エネルギーを大量に消費する事により人類は一時の栄華に酔いしれているにしか過ぎないのです。再生不能な石化エネルギーの大量消費は地球温暖化をもたらし人類の繁栄が地球の未来に影を落とし始めました。

 私たちは今こそ未来の子供たちに負の遺産を残さない為に消費型社会構造を改め持続可能な循環型社会に切り替えていかなくてはなりません。膨張し続けた経済社会が破綻し世界中の人々がその矛盾に気付き始めた今こそチャンスだと思います。

 経済発展のスピードを落とし、痛みは伴うと思いますが未来の子供たちの為にもう一度失った自然を取り戻しその再生に人類の未来を賭けるラストチャンスではないでしょうか?現在の最先端科学技術を経済発展の為ではなく地球再生の為に智恵を絞り皆が考えていけば良いのではないかと思います。

 日本も現在の海外に依存した食糧供給体制を早く改め食料自給率を上げて荒廃した田畑を再生し自給率100%を目指すべきです。いくら経済大国になっても食料が逼迫すれば国民の幸せはありません。

 現在の日本の一次産業は林業にしても漁業にしても農業にしても経済事情最優先で疲弊しきっており先のない閉塞の中にあります。しかし、本来の人類の幸せは一次産業の中にこそあるはずだったのです。

 その為には豊かな自然環境が欠かせません。日本は早くそれに気付き本来、緑に囲まれ豊かだったはずの島国としての日本の姿を取り戻すべきです。そんな事をこの頃ずっと考えています。

2008/10/20

現代、予約事情

 先日、母の様子を見に故郷高知に12日で帰ってきました。今回は初めてパックツアーという形で飛行機を利用しての帰省になりました。

 以前、知り合いの方がやはり高知に帰る用事があってかなり前にパックのツアーという形式でインターネットで予約したらもの凄く安く行けたよという話を聞いていたのでそれじゃやってみようと思い、自宅のパソコンを開き、高知向けのパック旅行で検索をかけてみたら結構、安い料金で行けることが分かり早速予約をする事にして案内にそって予約手続きを進めていくと飛行機の座席指定も出来てこりゃ便利だと思って予約に必要なデータを打ち込み、これで終わったと一息ついてデータを送信してからフト思いついたのが「アレッ?ところでチケットはどうなるんだっけ」ということ。

 以前、同じようにインターネットで予約したときは事前の予約番号があってそれを空港の航空券の発券機に打ち込んで発券したのだけど今回はチケットレスで搭乗口までいける方法を選択したのでハテッ?チケットレスは良いけど具体的にどうすれば良いのか分からなくてもう一回パソコンを開いて確認したら送信したデータに対し返信するからその返信メールに書かれている「ナントカコード」を印刷して必ず旅行中に携帯しろとおっしゃる。

 ワケが分からぬまま言われた「ナントカコード」をプリントアウトして空港に持って行く事に・・・出発当日、無事羽田空港に着き手荷物検査室に行った。「アレッ?どこにそんな機械あるんだよ?」事前に送られてきたメールには例の「ナントカコード」を検査室にあるリーダーにかざせば自動的に通れるとの事だったがそんな機械無いじゃないかと思い、検査室の中を覗きこむとアリマシタ!X線検査の機械の横にそれと思しき機械が・・早速、自宅のプリンターでプリントアウトしてきた「ナントカコード」を読み取り口にかざすと何と!何も起こらず「はいどうぞ」とあっさり中に通された。

 ドキドキしながらここまで後生大事に抱えて来た私としては少々物足りなかったがせめて「よこここまで出来ましたね」と言って欲しかった(言うワケないか)。そんなこんなで無事、手荷物検査を通り抜け搭乗口へ、さあここからは次の難関、搭乗口でもこの「ナントカコード」をチャックインの際にゲートに翳す事になっている。

 搭乗口にある説明書を読んでみると何だ今は搭乗者全員がこのゲートに同様のものを翳して搭乗券に代えるらしい。何だ俺だけじゃなくて皆、何らかの形でこのゲートで搭乗券を受け取るんだと分かりガッカリ(内心、俺って進んでるかも・・・と思ってたのに)世の中って知らない間にこんなに進んでたのネと納得し機内の人となったのでありました。

 機内に入ったら今度は搭乗機の後ろ半分は高校の修学旅行の連中が占めていて名誉の為に高校名は言わないけどこれがまさしく幼稚園の遠足状態、飛行機が動き出せばキャーキャー、離陸すれば又キャーキャー、機体が揺れればキャーキャー、一体日本の高校生はいつから幼稚園生化してしまったんでしょうかね。引率の先生方も何も注意しないし、そういえば待合ロビーでもキャ-キャーワーワーその煩い事、煩い事。お前らもいっぺん幼稚園に戻って大勢の人がいる所ではどうしたらいいか先生に教えてもらって来い!と思いましたね。昨今、話題になっている選挙権の低年齢化には絶対反対!と改めて心に誓いました。

 マアマア余りくどくど気持ちよく無い事を考えているとろくな事ないと思い機内備え付けのヘッドホーンを耳につけて雑音をシャットアウトしていざ高知へ・・・約1時間半位のフライトで無事、高知竜馬空港へ着陸。

 母の居る病院にいって3時間程話をして当日予約したホテルへ行ってチェックインしました。受付カウンターでチェックイン、これもどうかなと思ったけど何のトラブルも無く私の名前もきっちり予約されていたようですんなりOK、最後に受付のお姉さまが「チェックアウトの際は自動チェックアウト機にカードキーを差し入れて下さい」ヤレヤレ、ホテルよお前もか・・・・

2008/10/13

第2回八ヶ岳音楽祭

 ひょんな事からプロとアマチュアのオーケストラ&合唱祭「八ヶ岳音楽祭」の会場受付のお手伝いをする事になってしまった。

 この音楽祭は12年前に「北甲斐音楽祭」として八ヶ岳山麓在住の有志が中心となって始まったクラシック音楽祭らしい。「らしい」というのも変ですが私が聞き始めたのは昨年からで丁度、名称を「八ヶ岳音楽祭」と改めて今年で2回目なので私としては2回目の音楽祭なのです。今年は著名な指揮者、飯守泰次郎氏を迎えコーラスを加えてモーツアルトの「レクイエム」がメインの演目でした。

 で、なんで私が会場のお手伝いかというとある日の夕方このコーラスの練習ピアノを担当する知り合いのOさんから携帯に電話が入ったのが始まりなのです。Oさん曰く「確か以前、お手伝い出来ることがあったら言ってくださいって言いましたよね」「エッ?エ~マア~」「でね、もう私、決めちゃいましたから」「ハッ?」「会場の受付責任者。お願いしますね」「受付責任者・・・私がですか?」「詳しい事は後日説明しますから。お願いしますね」「ハ~、でっ私は何をすれば良いのでしょう?」「難しい事は何もないですから、詳しい事は後日」「ハ~」

 またもや今年誓ったもう色々な事に絶対首を突っ込まないという誓いをこの優柔不断な性格が邪魔をし嫌な予感が頭をよぎる。心の中で警戒信号が発令されている。「どうすんだよ、又、いい加減なこと言うからこういう事にナンダロ、全くだからお前はダメなんだよ」と心が叫ぶ・・・しかし、こうなったからには後には引けないのだ。そうなのだ。

 で、後日、詳しい話を聞きにOさんの家に行きどんな事をすればよいのか伺うと、どうやら会場を担当するボランテアスタッフ14名程の責任者となってまとめてくれれば良い。しかも段取り等についてはすべて出来ており要は何かトラブルがあったらとにかく頭を下げてその場を収めてくれれば良いからという話で、まあ、それなら大したこと無さそうなので良かった良かったと納得し引き受けた次第なのです。

 しかし、まあ、こういう話は大した事ないとはいいながらも大した事がある訳で、大した事が無いようにするのがどうやら私の仕事であるようで・・とにかく様子が分らないので当日の進行表及び分担表を運営スタッフの方にお聞きしながら作って頭の中を整理し当日に備える事にしました。これさえ作っておけば後は何とか廻りの人が助けてくれるだろうとタカを括りエイヤッとこの進行表及び分担表を作成してスタッフに配り後は皆で何とかしましょうという事にしました。

 しかし、400人規模の会場とはいえほぼ満員と思われる入場者を捌き演奏者もコーラスを含め100人位だろうか?これだけの演奏者が演奏するとなるとそれなりにスタッフとの連携が必要となり公演全体を取り仕切る芸術監督、及び実際の舞台上の運営を進行するステージマネージャー、コーラス指導をするトレーナー、コーラス練習を担当するOさんのような練習ピアノ担当者、オーケストラを指導するコンサートマスターそして当然指揮者、及びコーラスとオーケストラの各パート責任者、公演の記録を担当するカメラマンそれに加えて我々のような会場を担当するスタッフも当日のチケット販売から預かりチケットの引き渡し、VIPの誘導、車イスの方の誘導、お花の預かり、報道関係者への対応ハアハア・・・これだけ書くのでも息が切れそう・・・

 これ以外にも色々ある訳で、これらがいかに細かく打ち合わせされているかでその日の公演がスムーズに進行されるかどうかが決まるといっても良いという事になるワケなのです。マア、今回はこれらの事の大半を既に運営スタッフの皆さんが段取りしていて下さったお陰で俄かヨタヨタ受付チーフの私でもなんとか務まったワケです。

 本日、この公演が無事終わり打ち上げ会場を後にして先ほど帰ってきました。終わった終わった。何事もなくて良かった、良かった。来年は絶対、一般客として会場の中で聞くと決めたのでありました。

2008/10/05

恐るべし陸自

 といっても別に戦闘とかの事を言っているわけではありません。先日、女房が陸上自衛隊東部方面音楽隊のコンサートに行こうじゃないかと切符を取ってきた。世の奥様方が好んで取ってくる以上は当然、無料である。但し、人気のコンサートで中々切符が手に入らずコンサートに先立って整理券を取ってくるのですがこれにも整理券を配り始めるかなり前に行って並ばないと取れないらしい。

 マア、しかし無料のコンサートでもあるし陸上自衛隊の音楽隊だしマア、女房に付き合うのもたまには良いかと余り期待もせずに付いていった。女房曰く、「全国大会の時にはアメリカの部隊も参加してすごい良かったらしいよ」との事であったがマア「ふ~んそうなんだ」程度の話に聞いていた。

 当日、演奏会場の役場横にあるコミュニテイーホールに行くと交通整理の係りが立っていて結構駐車場も混んでいた。ようやく車を止めて会場に向かうと楽器を積んできたと思われるトラックが止まっていて横で制服を着た隊員がタバコを吸っていた。「ふ~ん何だかアットホームな雰囲気だな。まあこんなもんなんだろな」と一人納得して会場内へ。会場時間前だったけど既に受付が始まっていてこれも田舎ならではの事で「よしよし」と中に入り席に座った。

 舞台には楽団の席がセッテングされており舞台後ろにちょうどその全国大会の時に撮影したと思われるDVDが流されていて、いかにも自衛隊の音楽隊らしく行進しながらの演奏風景が流されていた。そしていよいよ演奏が始まった。

 簡単な硬い挨拶から始まるのだろうなと思いきや以外にも美人の女性隊員が手馴れた様子でMCパフォーマンスを始め「おやっ意外と硬くないんだ・・」と思っていると演奏が始まる。

 「まっ・・始まりとしてはこんなもんか」と聞いてるうちに何だか今度は男性隊員達が歌うという。しかもこの中の一人の男性隊員が作詞作曲したオリジナル曲だと紹介されると「へ~え最近の自衛隊の音楽隊は歌まで歌うんだ」と段々、感心しはじめた。

 更に驚いたのはこの男性隊員がこの曲が出来た経緯を紹介するには先の新潟県中越地震の復興に際し地元の方を励ますために演奏活動をした時に逆に復興に前向きに励む市民達の姿に感動して出来た曲だという。「何だか目頭が熱くなってくる話だな」と思い聞いているとこれが中々良い曲でした。4人の男性隊員が各パートに分かれてコーラスをして、中々聞かせる曲なんです。「フムフム中々自衛隊もやるもんだ」と思っているうちに一部が終わり休憩を挟み第2部が始まる。

 くだんの美人隊員がMCで説明するには今度は途中でサプライズがあるという。何だろと思ううちに演奏が始まり曲が半ばに差し掛かった時に客席前方の扉が突然開いて男性隊員と思しき男二人がシャツにサスペンダーといういでたちで舞台に登場しタップダンスを踊る「いやいやこれは・・・」感心するうちに確かにプロとまではいかないが一生懸命タップを踏む姿にはとても自衛隊隊員とは思えないエンターテナーの雰囲気が溢れている。

 驚かされる事ばかりと思っていたら今度はテネシーワルツを演奏するというしかも部隊の歌姫が歌うという。どんな歌姫だろうと思っていたら背の高い女性隊員が舞台袖から現れ綾戸智恵ばりの声量で高々と歌い上げる。こりゃ参りました。とても自衛隊音楽隊とは思えないパフォーマンスではありませんか。

 最後にくだんの男性隊員が植木等や寅さんの曲まで披露するにいたるやもうこれは自衛隊とは思えない素晴らしさですっかり感動しました。

 私自身は自衛隊の海外派遣については賛成する気にはなれないし憲法9条は素晴らしい法律だと思っていますが、こういう自国の警備に当たる自衛隊という存在、中でも平和的に災害時にこういう陸上自衛隊音楽隊のように被災地の住民に希望と勇気を与える活動は素晴らしいと思います。

 最後にこういうパフォーマンスを繰り広げながらも自分の席に戻り楽器を持った途端に背筋がピシッとのびて従来の演奏に戻る自衛隊の姿はとても気持ちの良いものでした。陸上自衛隊東部方面音楽隊の皆さん又、是非、山梨に来て素晴らしい演奏を聞かせて下さい。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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