2009/01/18

冬の生活

20090118_100116000  20年前に八ヶ岳に暮らそうと土地を探して家族と週末毎にあちこちとウロウロしていました。そんな冬の或る日、白州、武川方面を探して廻った後、何でだか忘れたけど小淵沢の駅前に来ました。

 その日は確か少し曇っていて冷たい北風が駅前を吹き荒れていました。その時、八ヶ岳には住みたいけど果たしてこの冬の寒さに耐えられるだろうかと内心ちらっと不安が心の隅を横切ったのを覚えています。家族に「八ヶ岳に移住する!」と宣言して土地探しを始めた手前、とても「寒いから止めようかな?」何て言えるわけもなく、初志貫徹で移住してしまいました。

 元々南国高知で暮らしていたので寒さには弱かったのです。しかし、人間というものは慣れるものですね。今ではどちらかというと夏の暑さに弱くなってしまい、とても夏の高知で暮らしていく自信がありません。一度、母の看病で高知に夏、帰った事があるのですが母がクーラーが嫌いなものでマンションの母の部屋にはクーラーが付いてなくて一晩中、汗ダラダラで眠れない夜を過した覚えがあります。

 一番下の息子も小さい頃、夏休みに高知に一人で遊びに行ったのですが帰ってきたら全身、あせもだらけで「もう夏休みには帰らない」と言っていました。人間って環境に慣れるものですね。

 さて、そんな八ヶ岳の冬の暮らしですが寒さは昨今の地球温暖化の影響か、さほど昔程、冷え込む日は少なくなりました。それでも当然、氷点下ですが・・・そんな我が家の冬の一日、まず暖房ですがこれはウッドストーブが欠かせません。とにかくウッドストーブが一番の重要アイテムですね。これが無いと死んでしまいます。だから一冬分の薪が充分、備えてあると心も豊かになります。

 それからスタットレスタイヤ、当然車は4輪駆動車しか買いません。その車にスタットレスタイヤを雪が降る前に装着してしまいます。前は自分で取り替えていたのですが一度、冬の雪が降った時に慌てて装着したら暫らくして走行中にタイヤが外れてしまい、それから怖くなってそれからはガソリンスタンドに持っていって代えています。その時についでにオイル交換もしてしまいます。冬にタイヤ交換する場合はタイヤのナット等に氷が付着して締め付けが甘くなることが有りますのでご注意下さい。

 それから、冬の運転ですがこれはとにかくスピードを出さない事につきます。先日、女房が後ろから車に煽られて横に寄せて追い越させたらその車がその直ぐ先でスピンしながら滑っていったそうです。兎に角、凍結した道路でブレーキを踏んだらもうアウトです。その時はとにかく慌てずに一度アクセルを踏んで姿勢を戻してからゆっくり制動をかけるしか手がありません。ご注意、ご注意・・・。

 私が気を付けているのは雪が降り始めたら出来るだけ車で出掛けない事です。当たり前の事だけど特に雪の降り始めや冬の初めは地元の人でもタイヤの準備が出来ていなかったり都会から遊びに来た人やトラックの人達も冬対策が出来ていない事が多くてスリップ事故に巻き添えになる可能性があります。

 一度、事務所の前で大型バスがはるか坂の上からスリップして制御不能のまま横向けになって100m近く滑り落ちてくるのをなすすべも無く横で見ていた事がありました。

 雪が降った時は、雪が降った当日よりも翌日の朝が一番危険です。降った雪が一度溶けてそれが夜の間に凍結してしまうのです。そうなるといくらスタットッレスタイヤを履いていても止まりません。

 車といえばその他にも冬は駐車した時にサイドブレーキを引かない方が良いです。凍結して解除出来なくなる事があります。それからもう余りないとは思いますがデ―ゼル車は必ず冬用の軽油を入れておかないと凍結して動けなくなりますので気をつけて下さい。以前は結構、このトラブルがありました。

 冬の楽しみは何と言ってもこの辺りには2000m級の山が多数あるのでその冬景色はもう何物にも代えられない美しさを見せてくれます。

 冬の高気圧に覆われた晴天の日には朝から夕方まで太陽の位置が動くのに合わせてその美しさが変化し特に朝夕の赤く染まった八ヶ岳や南アルプスの荘厳な姿は涙が出そうになるくらいです。冬の一日、ウッドストーブの前でゆっくりお茶をしながらこの景色を眺める時は至福の時です。だから、やめられないのですね・・・

2009/01/11

恐怖の煙突掃除

 先日、寒波に襲われた夜、仕事を終えて家に帰ろうと自宅に電話したら女房が「ストーブの煙が逆流して家の中が真っ白なんだけど・・・」と不機嫌そうな声。その瞬間、嫌な予感が体中を駆け巡り「分かったよ帰ったら調べてみるから」と不吉な予感を押し殺して帰宅。

 家について着替えてから2階に上がってストーブの煙突が屋根を貫通する部分を手で叩いてみたら「ガラガラガラ・・」と嫌な音が・・・あ~あ、やっぱり詰まってる。実はサンルームの増築が忙しくてここ2年程、煙突掃除をサボってました。もうそろそろヤバイかな~と実は思っていたのですが屋根に上るのがいやでサボっていたのです。

 あ~あ、自業自得とはこの事、まさかこの寒空にウッドストーブ無しで我慢出来る訳なく、その晩は何とか騙しながらストーブを焚いて翌日、夜が明けてから屋根を見上げると予想どおり屋根には夜露がびっしり凍りついていてとても上れない。しかも我が家の屋根の勾配は45度、幸い玄関を増築して屋根を緩勾配で継ぎ足したのでその上には何とかサンルームの屋根伝いに上れる。

 「こりゃ、昼過ぎて太陽が西に傾かなきゃ無理だわ」と一人納得して昼まで待って作業開始。毎度の事ながら45度勾配の屋根に突き出た煙突にたどり着くには反対側の天窓からロープを投げて片方の端を家の中の柱に括りつけ煙突側の屋根に投げたロープの端を体に結びつけて安全確保をしなくてはとても作業なんか出来ないのです。

 重い足取りを引きずりながら地下室に置いてある煙突掃除用のブラシとロープを取り出し、こびり付いたタールを取り除くための道具を腰袋に詰めて2階へ、ロープの端を近くの柱に括りつけ天窓を開けてそこから一旦、身を乗り出して反対側の屋根にロープを投げ、更にサンルームの屋根に出てから反対側の煙突のある屋根に乗り移りロープの端を捕まえて自分の体に括りつけ、「さあやるかっ!」と自分に気合を入れ、袋に入れた掃除用ブラシを取り出そうとしたら、何と手が滑ってブラシが屋根を転がって下の駐車場に転落。

 「ウッソ~・・・」しばらく呆然と下に落ちたブラシを眺めていても誰もそれを取ってくれる訳もなく、体に括りつけたロープをほどいて腰袋を外してついでに一旦いれた気合もとりあえず保留して、とぼとぼとさっき屋根に出た扉から中に入り1階に下りて玄関から駐車場に出てブラシを拾って再び煙突を見上げて溜め息一つ・・・

 「ふ~」再び、同じ手順を繰り返し、今度はブラシを落とさないように体に括りつけたロープの途中に括りつけてイザ再出陣!ロープを引っ張って煙突の上にたどり着き、作業が出来るように煙突に足場を確保してから煙突のトップを外し中を見たらイヤ~付いてる付いてる。どうしても煙突のトップは煙の温度が下がるのでタールが付きやすいのですがベッタリこびり付いてました。

 持ってきたドライバーでそのタールをこそぎ落とし、次に煙突の中にブラシを突っ込んで上から何度も上下させて煙突内のタールを下に落とします。その後で家の中に戻りウッドストーブの扉を開けて中にたまったカスを取り除きやっと掃除完了!

 これで今晩から安心してストーブが使えます。そしてその晩、買い物で遅くなった女房に代わり私が火を付ける事になり意気揚々と点火!・・した途端に家の中に煙が噴出した!ウソッ?何で?慌てふためいても後の祭り一旦付いた火を消すのは今度は大変。

 全ての空気取り入れ口を塞いで燻るストーブをなだめすかして鎮火するのをひたすら待ってから中の火種を取り出してやっと煙は落ち着き、訳が分からず呆然とストーブを眺めていたがフト思いたってストーブから出ている煙突の一番下を叩いてみたらギッシリと燃えカスが詰まっているではアリマセンか!

 確かにストーブの中に手を突っ込んで煙突の中まで掃除して手が届く範囲の燃えカスを摂ったつもりがその煙突の上で既に燃えカスが詰まって溜まっていたのですね。最初に煙突のテッペンからブラシを突っ込んで下に着いた感触を確認したのですがそれはこの詰まった燃えカスのテッペンだったのですね・・・しかしまあ、よくぞここまで詰まったもんだ。

 そういえばここ最近、ストーブの火のつきがメチャクチャ悪かったもんな。この所為だったのね。スマンスマンとストーブに謝りながら再着火。今度はスムーズに点火。そりゃ~もう快調に燃え上がり、「そうだよな、これが普通だよな」と改めてウッドストーブの素晴らしさを思い出して暫らくストーブの火に見入り、女房と二人で「やっぱりストーブの火っていいよね~」と満足したのでありました。しかし、ウッドストーブの掃除、皆さん抜かりはないですか?ってこんな真冬に煙突掃除するのは俺だけか・・・

2009/01/05

今年もどうぞ宜しくお願いします。

 年末に子供達のうちの男連中2人が帰って来ましたが娘は仕事で残念ながら戻って来られなかったので都合4人で田舎の高知に帰ってお正月を迎えました。幸い天気も良くて高速道路の運転も長男と二人で交代しながらだったので比較的楽に小淵沢ICから高知の南国IC迄の約720Km10時間程で何とかクリアして無事到着。

 田舎のバアチャンの見舞を済まして紅白歌合戦をのんびり女房の実家で見てから子供達も連れて近くの神社に初詣に出かけました。小さな神社ですが女房の実家の氏神様なのでいつもお世話になっている神社でここ数年、いつも紅白歌合戦後の初詣に出かけているのです。

 長い階段を登りきった所でまだ年が明けていなかったので10数人の人たちが待っていました。手を洗って清めてから待つ事数分、やっと年が明けた所で知り合いの神官さんがおもむろに太鼓を叩き始めやっと2009年の年明けを迎えました。賽銭箱にお賽銭を入れて鐘を鳴らして今年一年の願い事をお願いして田舎の正しいお正月を無事迎える事が出来ました。

 翌朝はゆっくり朝寝坊をして毎年、年明けの一番の楽しみである箱根駅伝をテレビで見ながら朝食を摂りその後、市内の初売りの店に行って買い物をした後、親戚の家に泊まりに行きました。毎年、女房の妹の一家と正月を過ごすのが日課になっており義理の妹の子供達4人とうちの子供達3人、合わせて7人で一緒にガヤガヤと賑やかに毎年過ごしていたのです。

 子供達が段々、大人になり今回もうちの娘が勤務で帰れなかったので一人欠けてしまいましたがこんな時にしか中々会えないいとこ同士なので都合がつく限りこの時間を大切にしたいと思っています。

 その後、今度は女房の方のジイチャンをお見舞いに行ってから再び高知市内の実家に戻り最後の夜をゆっくり家族水いらずで過ごし翌朝には高知を後にして又、八ヶ岳に戻って来ました。

 毎年繰り返してきた何の変哲もない我が家のお正月風景ですがこの「何の変哲もないお正月」が私にとって何よりも幸せな時間なのです。出来るならこの先も、この毎年変わりのない平和なお正月が無事迎えられる事を心より願っています。

 さて、新しい年の始まりにあたり今年はどんな暮らしをしようかと考えました。新しい年といっても時間が特に新しくなる訳ではなく単にいつもと同じ明日を迎えるだけの事なのですが一年という時間の区切りを心の中でつけるというのはメリハリがついて私は嫌いではありません。むしろ大事にしたいと思っています。

 そうした時に私はいつも自分の心に問いかけます。今、何を感じているか?これから何をしなくちゃならないと思うか?それは昨年、一年かけて何となく心の中に積もってきた自分の感情の積み重ねの中から自分でも気が付かない心の整理をつける意味で大切にしている決め事なのです。

 今年、私は自分の感性をもっと大切にしようと思います。年を重ね、自分でも知らずと習慣になっている暮らしのリズムを唯繰り返すのではなくもっと自分の感性のまま暮してみようと思います。

 眠いと思った時に寝て、仕事したいと思った時に仕事して、時間だからといって食事をするのではなくお腹がすいたらご飯を食べ、楽しい時には思いっきり楽しみ、悲しい時には泣き、美しいものを見た時に美しいと感動し素晴らしい音楽を聴いた時にはジャンルに縛られずに楽しむ。

 そんな人間としての感性を習慣に縛られずに素直に楽しみたいと思います。そして今年一年、健康で元気に目一杯仕事を楽しみたいと思います。経済は世界的な不況でお先真っ暗な状態ですがそういう時だからこそ自分の感性を信じ今、出来る事を精一杯努力するしかないのではないかと思います。

 こういう時だからこそ経済発展に依存するのではなく節制に努め自然との共生を見直して感性豊かに暮らせる暮らしを実現させてみたいと思います。今年一年、どうぞ宜しくお願い致します。

2008/12/28

今年一年、有り難うございました。

Yatu 今年も一年、森の囁きを読んで頂き有り難うございました。世界的な経済恐慌や大地震の発生等2008年は辛い出来事が印象深かった年でしたが来年はどんな出来事が待っているのでしょうか。出来れば明るい出来事の多い年にしたいものです。

 皆さんは今年どんな年でしたか?私は来年、八ヶ岳に来てから20年目を迎えます。東京でのサラリーマン生活に終止符を打ち一大決心(実はそれ程でもなかったのですが)して八ヶ岳に移住して来てあっという間の20年間でした。今思い返してみても人生で一番の変動があった期間かも知れません。

 この20年間で子供たち3人もそれぞれ成長し私の造ったログハウスから巣立って行き自分たちの人生を歩み始めています。私たち夫婦は又、子供達から手が離れ二人で新たな暮らしを始めています。

 来年は八ヶ岳移住20周年という節目の年になります。だからといって特別な計画があるわけでも何でもないのですが私は常に人は何でも良いから目標や夢がないとつまらないと思っています。だから、私もこれから年末・年始の休み中に来年の目標を決めようと思っています。

 普段、中々長い休みが取れず家族と一緒に1週間近く一緒に過す機会がないのでそれはそれで楽しみですが私自身もゆっくり過しながらぼんやりと来年の事を考えようと思います。

 いつも年末になると思い出すのですが今年も色々な人との出会いや別れがありました。

 いつも顔をあわせると笑顔で元気をくれる人、何だか悩みを抱えて辛そうに話を聞かせてくれた人、年齢的には私よりずっと先輩なのに元気一杯で人生を楽しんでおられる人、怒り一杯で周りの人に当り散らしていた人、いつもホンワリした雰囲気を漂わせて周りに暖かい雰囲気を与えてくれる人、残念ながら自分の人生を全うして旅立って行った人、様々な人達との触れ合いが今年も沢山ありました。

 そういう意味で今年も私にとってはとても有意義で楽しい一年でした。人と人が触れ合う事はとてもエキサイテイングな事です。私はいつも初めての人とお会いするときにドキドキします。この人はどんな人なんだろうとドキドキしながら接しています。心の中にどんな物語を持っている人なんだろうと想像しながらその人のちょっとした話し方や身振りから想像するのです。

 とても第一印象で分かるものではありませんが何度かお会いしているうちに何となくその人のイメージが出来上がっていきます。それが本当のその人の姿かどうかは分かりませんが私にとってのイメージが出来上がっていきます。私にとって色んな人とのそうした触れ合いが最大の財産です。

 私の子供の頃は本当に人と接するのが苦手な子供でした。それは今でも心の奥底では変わらないのですがそれが大人になるにしたがって逆に「この人はどんな人なんだろう」と自分なりに想像して自分なりのイメージを造っていく心の動きに変化していったのではないかと思います。

 来年は又、どんな人との出会いが待っているのでしょう。その人は今どこで何をしているのでしょう?人は自分の未来が見えないから楽しみですね。過去は変えられないけど未来は変える事が出来る。私はいつもそう思っています。

 人は過ちを犯すこともあります。それが自分で意図した事でなくても結果的に起こしてしまう事もあります。でもその失敗は未来で取り返す事が出来るかも知れない。私なんか過ちばっかりです。でもいつも周りの人に助けて貰っています。自分一人では何も出来ないけど周りに自分を分かってくれる人がいると私は生きていける。だから人との触れ合いは私にとって何より大事な財産です。

 このブログを見てくださる方にもとても感謝しています。書き始めた時はこんな下手な文章を読んでる人が本当にいるのかなと疑心暗鬼で書いていましたがある日、このブログのファンですと仰る方からコメントを頂き本当に驚きました。私の拙い文章を読んでくれている人がいる!それが勇気を与えてくれました。

 私は来年も新たな人との触れ合いを楽しみにしながら自分で何が出来るかを模索していきます。今年一年、本当に有り難うございました。良かったら来年又、遊びに来てください。お待ちしています

2008/12/24

今年最後の新月伐採

20081224_102357187  大阪の知り合いの会社が今年最後の新月伐採をやるので現認(第3者として伐採に立ち会って伐採木の履歴を記録する行為)を依頼され行って来ました。

 山梨から特急と新幹線を乗り継いで新大阪駅まで行きそこから地下鉄で待ち合わせ場所の事務所に着いたのは夕方の5時を廻ったあたりでした。

 新幹線はよく利用するので別に問題無いのですが地下鉄となると東京と大阪では色々と細かな操作が違っていて画面に表示される操作を良く見ないと間違えそうでした。

 そこの会社は無公害キッチンを造っている会社で新月の木に興味を持って頂いて数年前から熱心に活動されています。今回、初めて私は河内長野の山に入りその会社で利用する樹齢120年生の杉、桧の新月伐採に立ち会う事になっているのです。

 到着した晩は色々と新月伐採の事や仕事の事等についてそこの社長さんと話し合い翌朝、朝7時に集合して山に行くことに・・・翌朝、約束の時間に待ち合わせ場所に行くと一緒に行く関係者の方は来られているのに社長さんはまだ来られていなくて連絡を取って自宅まで迎えにいくと朝4時まで仕事をして皆のお弁当も作っていたとの事、そうです。くだんの社長さんは女性なのです。しかし、熱心な社長さんで頭の下がる思いです。

 ようやく全員揃って目的の山に向かって出発し車で約1時間、河内長野の山が見えて来ました。山のふもとの森林組合の製材所でお手伝いをしてくれる伐採関係者とボランテアの青年二人も合流しいよいよ山の中へ・・・どこでも見慣れた山の風景ですが山仕事用の林道は決して快適なものではなく乗用車が1台漸く通れるくらいの巾しかどこもありません。

 いつもそういう山道を通っていて「ここで落ちたらお陀仏だよな・・・」と毎回心の中で呟いています。しかし、車はそんな谷下に落ちることもなく無事、伐採現場に到着。今回、伐採に協力して頂いた山主さんや林業をされているその息子さん、そして実際に伐採をして頂く職人の方達5,6人が山で待っていてくれて挨拶もそこそこに今日の段取りを打ち合わせして早速、伐採が始まりました。

 山の斜面は30度~40度ある北斜面、上り下りだけでも結構大変、しかも今回、伐採する杉・桧の林は樹齢120年生の木ばかり。私も初めて見ましたが管理された植林ですが間伐が遅れていて木の直径はさほど大きくないのですが樹高が高い!何と40m近い大木もあり平均でも30メートル後半の高さがあります。

 これほどの樹高がそろった山は初めて見ました。これだけ樹高が高いと伐採するのも結構、神経を使います。しかも間伐がそれほど進んでいないので樹間が余り開いていおらず掛かり木になる可能性が高くキコリさんの腕前が要求される森です。今回は一日で20本程、伐採する予定でしたが樹高が高く結構な数量の木が取れそうなので本数を減らして17本切る事になりました。

 1本伐られる度にボランテアで来てくれた青年二人が倒れた木の長さや直径、樹齢、倒れた方向、角度等を手際よく測定し、それを私がIDカードと呼ばれる記録用紙に記入していきます。それは山の中では結構、骨の折れる仕事なのですが参加者全員今回の新月伐採の意味をよく理解して頂いているようで非常に協力的で気持ち良く測定する事が出来ました。色んな所で伐採に立ち会っていると中には「何でこんな面倒くさい事しなきゃならないんだ・・・」と言わんばかりの人もいるのですがここ河内の方達はすごく気持ちよく伐採して頂きました。きっと良い木が取れる事と思います。

 今年の新月伐採の現認はこれで終わりです。又、来年、新たな出会いがあるかも知れません。今回の河内長野での伐採に立ち会って改めて多くの人達が日本の山を何とか良くしなくては思っておられてこういう人達がいる限り私はこの活動を地道に続けていかなくてはならないと強く思いました。

 今年も世界を震撼させる経済恐慌の予兆が見られ人々を不安に陥れていますが山の木々達はそれを見て何を感じているのでしょう。未来の子供たちにこの日本の山の自然を受け継ぐのは我々、現代に生きる者の使命だと私は思います。来年も微力ながらそんな活動が出来ればと願いながら八ヶ岳に帰って来ました。

2008/12/16

貧乏万歳!

 世の中、世界的な経済不況で米国自動車産業の3大企業が破綻の危機に陥ったり日本でも派遣社員の大量解雇や賃金カット等、不況の嵐が吹き抜けています。

 ニュースで株式市場のボードを見つめる人々の姿がよく取り上げられますが、私のような元々何も持たない(笑)人間にとっては別に資産が減るわけでもなく、というか元々資産と呼べるものが無いので、これは幸せな事か不幸な事か自分でも良く分からないのですが自分の今までの人生を振り返ってみると、幼少?の頃の実家はそれでも比較的裕福で商店街の一角を貸家として持っておりそれなりに不自由なく暮らしていたように記憶しています。

 子供の頃なので余り良く覚えていませんが当時、祖母からは父は「あまり商才がないから事業に手を出してはいけない」と言われていたのを記憶しており確かに時を経るにつれ段々、実家はお金に困る様になり、それにつれて引越しを繰り返すようになりました。

 父はガソリンスタンドを経営しており、子供の頃から毎朝、店を開けるのが私の仕事でした。中学生の頃、父に「明日、税務署が来るから大事なものは隠しておけ」と言われ訳が分からないまま自分なりに大事なものを隠したのですが翌朝、税務署の人と思しき数人の人が店に訪れ何やらドヤドヤと事務所の電話やら机やらに札を貼り始めました。

 今、考えればいわゆる差し押さえというやつだったのでしょうね。当時、母は「恥ずかしい、恥ずかしい」と言ってましたが私は訳が分からず何やらワクワクしながら見ていたような気がします。父は「貼るなら見えない所へ貼れ!」って怒鳴っていました。元々、父は根っからのイゴッソウ(高知弁で頑固者のことです)なので父の名誉の為に言うならお金がなくて差し押さえられたのではなく払いたくない税金だったのだと思います。その後も裁判までして抵抗していましたので・・・そういう人でした。

 しかし、それはそれとして確実にその後も段々、経済的に苦しくなっていき、その中でも母が苦労して兄と私の二人を大学まで行かしてくれました。私は同じ高知出身で同じ大学に行った友人と二人で同じ部屋の学生寮に入りましたがあの頃が今までの人生で一番貧乏でした。

 そんな事情だったので母に余り無理も言えず兎に角、始終お腹をすかしていました。特に月末は二人とも金がなくて同じ寮の友人に田舎から食料が送られてくると皆で部屋に押しかけて食べさせて貰っていました。1週間くらい米とソーセージ1本もしくは米とマヨネーズなんて食事を続けていた事もありました。

 今でもあの頃は本当にお腹が空いていたのを覚えています。ある日、友人から電話がかかり「駅前のカップラーメンの自動販売機を蹴っ飛ばしたら中からカップラーメンが出てきて止まらなくなったから皆来い」なんて言われて皆で取りに行ったりしました。もう時効だと思いますがレッキとした犯罪ですよね。ゴメンナサイ・・・

 そんな学生時代を送っていたので私は学生という立場が嫌で嫌でたまりませんでした。元々、子供の頃から店を開けてお客様の車にガソリンを入れたりパンク修理をして小遣いを貰っていたので早く大人になってお金を稼ぎたいと願い、学生を早く終わらせて社会人になって自分で稼いで暮らしたかったのです。だから中途半端な学生時代が一番貧乏でした。

 それでも色んなアルバイトをしたので、それはそれで楽しかったですけどね。あれからウン十年、あれほど憧れていた東京の一流企業でのサラリーマン生活を自分で放り出して八ヶ岳での暮らしを始めてしまい、あのまま我慢してサラリーマンを続けていたらそれなりにある程度の暮らしは維持出来たと思いますが、どうしても我慢出来ずに飛び出してしまい、やっぱり自分の人生はお金持ちには縁のないものになりました。

 来年も経済不況はきっと続くでしょう。私の乏しい知識ではとてもそれに打ち勝つ戦略など思いつく訳もなく今までと同じように地道にやっていくしか無いので後は優秀なスタッフに智恵を出して貰い自分は中央高速道路のサービスエリアで年末宝くじを買って「当たりますように」と願いを込めるのでありました。

2008/12/06

超・私的今年の重大ニュース

 今年もあと残すところ一ヶ月足らずとなり一年を振り返ってみて今年はどんな年だったろうと思い返してみました。

・北京オリンピック:今年一番のスポーツイベントは何と言っても北京オリンピックでしょう。今回は中国・北京での開催ということで環境や食の問題が懸念されましたが無事、開催され様々なドラマが繰り広げられました。

 実力をいかんなく発揮し活躍した人、残念ながら期待された成績を残せなかった人、様々な人間模様が繰り広げられましたが私はオリンピックは世界で唯一つの人類の平和の祭典だと思っています。

 そういう意味で中国で開催されたオリンピックは意義のある大会だったと思います。今後、大会を終えた中国の動向に注目していきたいですね。

・経済恐慌:アメリカのサブプライムローンの破綻が引き金となった世界同時経済恐慌は今年始まったというより今年、表面化したと言った方がよいのかも知れません。誰が悪いというのではなく経済発展こそが人類の平和に繋がると信じてきた時代が終わり、これからは人にとって真の幸せとは何かということを一度立ち止まって考え直す時が来たということです。

 かけがえのない地球環境に配慮し安全な食物をお腹一杯食べられるということがどれ程幸せかということを皆で考えなければなりません。不要な道路や公共事業に無駄な税金を使うことを止め福祉環境を向上させ食料自給率を上げ未来の子供達が安心して暮らせるようにせねばなりません。

・今年の映画:今年は余り映画を沢山みる事が出来ませんでした。その中では邦画の「おくりびと」が特に印象に残る映画でした。モックンが持ち込んだ企画を映画化したものですが知り合いのプロデユ―サーが手掛けたと言うこともあるかも知れませんが私にとっては今年一番の映画でした。

 それと今年、TVを入れ替えて音響システムを良くしたのでDVDで私の一番好きな映画「サウンドオブミュージック」を観たのですがこれが又イイッ!何回みても泣けて泣けて・・・やはり名作は素晴らしい!

・プロスポーツ:プロ野球では我が巨人軍がリーグ優勝を果たしましたが後一歩というところで日本シリーズを落とし、来年以降に課題を残す結果となりました。しかし、若手の台頭もあって課題の克服は充分可能なので原監督、来年も頼みまっせ(どこの人?)

 ゴルフでは彗星のように現れた石川遼選手が活躍し話題の多い年になりました。サッカーでは地元バンフォーレ甲府が頑張りましたがイマイチ結果を残せませんでした。来年以降の奮起が必要です。

 それと来年は初めてプロ野球の世界に女性選手が加入する事になり一代センセーションを巻き起こしそうです。彼女がアンダースローから投げるナックルボールが巻き起こすドラマが楽しみです。

・緒形拳逝く:名優、緒形拳が今年逝ってしまいました。現在、放送中の「風のガーデン」での彼の役と心情を思うと最後の気力をふりしぼり自分の命をかけて本当に最後まで役者魂を貫いた名優だったのだなと改めて感動させられます。合掌。

・自分:今年、生まれて初めて骨折というものを体験した。指の先っちょで大した事、無かったんだけどこのまま一生、骨折というものを経験しないでいくのかな?と、ちょっと思っていたのであっさり先生に「折れてますね」と言われたのがショックでした。以上、今年の超・私的重大ニュースでした。

2008/12/02

宇宙の真理

 先日、新月の木の集まりがあって東京に行って来ました。年に一度の研究発表会で特別講演として「高エネルギー加速器研究機構」教授の山本 明先生の「素粒子物理学」の話を聞きました。

 話の内容は難しすぎて私のようなアナログ人間の頭ではとても理解出来るものではありませんが、どうもそれなりにこの頭で理解するところによると宇宙の起源となるビッグバンから収束となるブラックホールに到るまでの事を解明するには人間のまだ知らないミクロの世界の素粒子を研究していかねばならないらしい。

 人間の存在や地球の成り立ちとは全てその素粒子のなせる過程にしか過ぎない。つまり我々が見ている世界というのはほんの宇宙の本当にミクロな世界でしかないと言うことである。マア、そりゃそうだろうなというのは何となくこの頭でも分かる。つまり我々が認知できる可視光線の波長でしか我々は感じる事が出来ないわけですからね。

 しかし、ここで私が思ったのはその難しい理論の内容ではなく今年、ノーベル賞を受賞された小林先生、益川先生始め、こういう常人にはとうてい思いも付かないような事に疑問を持ち辛抱強く研究を重ねていく人達がいるからこそ人間の知識は深まってきたのだなという事なのです。

 普通の人ならなにも疑問に思わないような事に疑問をもち、そこから人間の進歩は始まるのですね。「目に見えないものがもしかしたら世の中にはあるのじゃないか?そうでなくては理屈が合わないではないか」何て事をず~と考え、自分の疑問に答えを出す為に研究を重ね続ける研究者がいるから新たな発見が生まれるのですね。

 その昔、プレートテクトニクスなる理論が叫ばれた時に時代は天動説一色で統一され地動説は異端とされた訳ですが今では皆、当たり前の事として理解しています。誰かがその当たり前とされている事に疑問を感じ、自分のその疑問を解き明かす為に真実を探し求めたのですね。

 現代はあまりにも情報が氾濫しすぎてどれが真実だか分かり難くなっています。だからこそ情報を整理しその裏に隠された真理を追い求める必要があるのですね。日本の教育は折角ゆとり教育を目指していたのに学力が低下したからといって又、詰め込み教育に戻りそうですが本当はテストによって学力を決めるのではなく子供達が自ら疑問に思ったり感じたりした事を伸ばしてやる事が大事なのかもしれませんね。

 数学も答えが正しいかではなくどうしてそういう答えになるのかという過程を説明してやるほうが授業としては楽しいかも知れません。私も昔から歴史の授業が苦手でどうしても年代の記憶が出来なかったのですが今頃になってその時代の人間模様なんかの背景を書物で知るようになってから興味が湧いてきました。

 「1たす1は何故2になるのか?」なんて説明しろと言われたらほとんどの人は説明出来ないんじゃないかな?疑問に思わないものね。でもそこに疑問を持つ人がいるから科学は面白くなるのでしょうね。

 山本先生の講義を聞いた後、新宿から高速バスにのって山梨に帰ってくる途中に車中で読んだ本の中で円周率は3.1より大きい事を証明しろという問題をどうやって解くかを解説してありました。それを読んでいて世の中にはつくづく頭のよい人がいるんだな~と感心してしまいました。

 そういえば私は子供の頃、中学受験をしたのですが小学6年生の時は自分は天才だと思っていました。受験に必要な問題は特に苦労も無く解けていたし、それなりに自分でも勉強し努力もしていました。そして某進学校に入学した途端、世の中には自分の知らないとてつもなく頭のよい人が沢山いるんだと口をポッカリ開けて思い知らされる事になり、奈落の底に突き落とされた気分でした。

 しかし、その時、自分は大したこと無いんだと思いしらされた事が後の人生に大きな影響を与える事になりました。今ではすっかり開き直って生きてます(笑)

2008/11/23

待ち続けるオババ

 僕の住む八ヶ岳南麓の里山の片隅で毎日、道路脇の石垣に腰を下ろして日がな一日中、誰かをまっているオババがいる。人の噂によるとオババは離れて住んでいる息子が帰って来るのをジッと待っているという話だが実際のところは知らない。

 毎日、私が事務所に向かう道の道端で通る車をジッと見ている。以前はもっと別の畑脇の石垣にもたれてやはり一日中誰かを待っていた。仕事柄、車で走り回る事が多いのでその道は一日の間に何回か通りがかる。その度にそのオババは同じ場所に佇んでいた。ある日、女房にその話をしたら「あ~あのお婆さんは息子さんが迎えにくるのをいつも楽しみに待ってるんだって。たまに息子さんが帰ってき又、戻って行っちゃったらその翌日から直ぐに待っているらしいよ」と教えて貰った。オババの頭の中でその事をどこまで理解しているか私には分からないけど田舎に一人暮らしの母一人を置いてきている身としてはとても人事とは思えない。

 以前、といってもかなり前だけど近くの一人暮らしのオバアチャンの家で異変があり朝、通りかかったらそのオバアチャンの家の前の道路に家財道具が散乱しており何があったのだろうと思ってたら、どうやらそのオバアチャンはちょっと頭が錯乱する時があって以前から時々こういう事があったらしい。そんな事があってから暫らくしてその家の前を通りかかったら多くの車が止まっておりどうしたんだろうと思っていたらそのオバアチャンが亡くなったらしいと聞き驚いた記憶がある。

 私の母も認知症の症状が現れてから一人暮らしが困難になり現在は施設に入っていますが別に体が不自由な訳ではないので元気に集団生活をしています。時々、高知に帰って訪ねていくと毎日、「ありゃよく来たね」と迎えてくれます。毎日訪ねても「ありゃ、よく来たね」になるのが玉にキズですがそれが症状なので仕方ありません。

 母の部屋は4階にありそこの個室に訪ねていくのですが色んな話をして(話題は常に繰り返しになるのですがね・・・)帰るときになるといつも1階まで一緒に降りてきて玄関前でバイバイをします。以前は余り気にしなかったのですが最近は振り返るといつまでも玄関の中でこちらを見て手を振っている姿があり何となくそれが気になり時々振り返って姿が見えなくなるのを確認するようになりました。

 そして、何となく振り返る事がためらわれるようになり・・・仕方が無いことですが「いつまでも元気でいてね」と思うことしか出来ないのですね。

2008/11/17

薪割の極意

「薪割りの極意」何て事を偉そうに書くと「どんな極意?」と期待されてこの先を読まれる人の為に言っておきますが全くそんな極意はこの先読んでも出てきませんのでそういう期待をされている方には先に言っておきますね。

 先日、子供たちが久しぶりに揃って帰ってきたので女房が薪割りを命じ、女房と長男、次男の3人が揃って薪割りを体験しました。女房にはいつも「何で子供たちに薪割りをさせないの?」と言われていたのですが何となく「これは俺の仕事だ」という思いがあって今まで子どもたちには教えてきませんでした。で、今回初めて女房と子供達の薪割りを身近に見たのですが子供達といったってもう一人前の大人ですし体だって自分よりはるかにデカイし力なんてキット俺より上だと思うのですが薪割りに関してはホントに下手でありました。

 今回、初めて経験するので仕方ないけどこれなら俺一人で割った方が倍は早いなと思えるほどでした。見ていると危ないったらありゃしない。ハラハラしながら見ていました。女房の言うとおりもっと早くから教えておけば良かったかな?と反省すること大でした。

 薪割りなんて自分にとっては小さい頃からやらされたりしたので特に教わるなんて事なかったけど今の子供達はまず経験すること無いですものね。こっちも段々、体力が落ちてきて薪割りもいつまで出来るか女房殿はとても心配していますが自分としてはまだもう少し出来るかなと思っています。

 しかし、先日(寒くなってから割ったって遅いのですが例年のことです)もういい加減に割っておかないと今年の冬の薪が無くなるので、もう限界(しつこい様ですが遅いっ!)と思い、晴れの一日を利用して朝から晩まで薪割りをしました。

 その日は朝から快晴で気持ちよく空は青く澄み渡り森の中は空の青と紅葉の素晴らしいコントラストに包まれていました。その中で薪割りをしていると本当に気持ちがよいのです。どんなに文明が発達し科学が進歩していてもこの一瞬の気持ち良さは時代を越えて変わらないと心から思いましたね~(これって俺だけですかね?)薪割りの極意は何も考えずに目の前にある丸太を見つめて力一杯狙いを定めてその一点を斧で打ちぬくのみです。難しい事なんてひとつもありません。

 余計なこと考えないから返って頭がすっきりするのでしょうかね。とにかく余りに天気が良かったので至福の時を過せているなととても満足した一日でした。しかし、午前中はそれでも調子よく進んでいたのですが午後に入ると1本割っては休憩して空を見上げて「キレイダナ~」何て一人呟いてみて、次の木を用意してなんての繰り返しのタイミングが段々長くなっていき終いにはハ~なんて溜め息をつくようになり「幾ら至福の時だってシンドイのはシンドイ」と思うようになり最後は息もタエダエの状態でした。

 言うまでも無く次の日は腰と腕の筋肉痛に襲われて最悪の一日を過す事になりました。本気で「やっぱりそろそろ薪割り機を買おうかな」何て事を考えてしまい、その度に「イカンイカン!堕落するだけだ」と気を引き締めなおしていました。しかし、其の内にきっと何時か「堕落してもイイカナ」と考えてしまう時がくるかも知れません。その時までは堕落しそうな自分にムチ打って薪割りを続けていこうと思っています。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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