2010/01/24

「八ヶ岳エコソムリエ講座」に参加してきました

 八ヶ岳の知り合いが企画した「八ヶ岳エコソムリエ講座」の第一回入門講座を受講してきました。

 エコソムリエというのはこの企画に合わせて考えられた造語で今日、この講座を受講して自分なりに理解したところによると、その地域の文化や自然、歴史等に精通しその地域を訪れた人々にその知識を体験に基づき正しく、楽しく伝える事が出来るガイドということだそうです。

 今日がその第一回講座で4つの座学が開催されました。最初が「八ヶ岳を知る」というタイトルで元高校の地学の教師をされていた亀村平男氏が講師をされました。今日の講座の中でも楽しみにしていた講座の一つでしたので大変、楽しく話を聞かせて頂きました。

 亀村氏は八ヶ岳歩こう会のメンバーでもあり長年教師をされていただけに大変、聞く者を惹きつける話術で本来なら10時間はかかる内容の講義を僅か1時間にまとめて分かり易く説明してくれました。

 亀村氏の話によると八ヶ岳周辺は約50万年前に伊豆半島が日本列島に衝突して以来、北側に押され続けているそうな・・又、八ヶ岳周辺には古い(あくまで地質学上の古いですが)山はなく権現岳で約15万年前、編笠山で約3万年前に現在の形になったそうです。

 南八ヶ岳で最大の火山活動は今から約25~30万年前の古阿弥陀岳火山の活動でこの時に発生した岩屑流が現在の富士見町から韮崎にかけての釜無川沿いに七里岩とよぶ崖を築いたとのことです。

 又、この火山活動による大崩落の前の八ヶ岳の標高は推定約3400m程あったそうです。よく民話で語り伝えられる八ヶ岳に嫉妬した富士山が八ヶ岳を蹴飛ばして山が崩れて富士山より高かった山頂が崩れて富士山の方が高くなったという話は、地質学的にはこの八ヶ岳の火山活動の最盛期が約25~30万年前であったのに対し富士山は約10万年前に活動を開始し当時の標高は1000m程だったそうです。つまり民話のとおり八ヶ岳の方が圧倒的に高く古い先輩の山だったという事ですね。富士山が現在のような形になったのは僅か1000年前のことだそうです。いやはや地球の歴史というのは奥が深いですね。

   八ヶ岳は日本のへそと呼ばれるように地質学的にも主要なプレートが集まっている地域で元は海底深く沈んでいた地層が隆起してできた新しい地域だそうです。

 続いて2時間目はご存知我らが「八ヶ岳歩こう会事務局長」多賀さんの講義でタイトルは「八ヶ岳の歩き方~棒道編~」で多賀さんによるウオーキングの楽しみ方の講義を受けました。

 楽しみ方の秘訣は唯黙って歩くのではなく一緒に歩く人達と「楽しみ」「しゃべり」「笑い」「食べ」「癒し」「出会い」「感動」する事が大切であるとの話を聞き長年、ウオーキングで多くの方を日々案内されてきた人らしいウンチクのある楽しい内容の講義でした。

 昼食をはさみ午後の講義はやはりいつも一緒に活動している八ヶ岳の自転車野郎「なかアウトドアーズ」の中川さんの「八ヶ岳の遊び方」から始まりました。

 中川さんは当社のお客様でもあるのですが6年前に静岡から八ヶ岳に移り住んで来た方で2年前から独立して「なかアウトドアーズ」を設立し自転車やスノーシュー、カヤック等のアウトドアの遊びをとおして八ヶ岳の魅力を案内しています。

 そして最後の講義は八ヶ岳自然ガイド協会代表の斉藤一紀氏による「八ヶ岳の自然~野鳥編・初級~」の講義でした。

 斉藤氏は野鳥観察に造詣の深い方で八ヶ岳周辺に住む鳥達の事を詳しく説明してくれました。講義にあたり最初に渡された資料の1ページ目が野鳥認知度・簡易テストとかかれたテスト形式になっており自分が八ヶ岳で見た鳥の名前を10種類書き、さらにその中でよく知っている鳥の絵を描きその鳥の生態を文章で説明せよとの設問でした。

 いや~これがなかなか難しくて知っているようで全く知らないという事に改めて気付かされました。八ヶ岳周辺には約170種類の鳥が観察されておりこれは日本でも有数の地域であり中でも北杜市の鳥として指定されているフクロウについては日本一と言えるほどの個体が生息しているそうです。

 しかし一方で昔、八ヶ岳の山頂付近で観測されたライチョウについては現在は全く見つけられないとの事で確実にその生態は変化しているようです。近年はバードウオッチングが流行し野鳥への関心も高まっているが例えば巣箱を作る活動そのものは評価するがかけっぱなしではダメで必ず年に1回は外して中の巣材を取り出し掛け直してやる等のフォローが必要との話に思わず納得してしまいました。

 「鳥は見ようとしないと見えない」という言葉と「鳥の未来は人間の未来を象徴している」という話が印象的でした。

 「エコソムリエ」は今後も講義を続け単位数を重ねる事によって多くの「八ヶ岳エコソムリエ」を育てる活動を続けるそうです。私も微力ながら応援していきたいと思っています。

2010/01/16

冬の里山の一日

 今年も厳冬シーズンまっさかりとなりました。高知育ちの私としてはこの寒さがひたすら我慢となるのですが(それじゃこんな寒いところに来るなよ・・と言われればそのとおりなんですが(笑))今年は気温の割りに体感温度が寒くて何だかやたら寒い気がします。

 そんな寒い平凡な私の日々の暮らしは先ず、朝大体645分頃起きて窓のカーテンを開けます。そうするとこの時期はまだ朝日が上がってきてなくて東の空が明るくなってきたといった感じです。もちろん太陽は東の森の中から上がってくるので森の外よりは少し遅くなります。

 それからボイラーのスイッチを入れてお湯で顔を洗います。この時期はボイラーのコントローラーのスイッチを切っても元電源が入っている限り我が家のボイラーは凍結防止の為に自動的に時々スイッチが入って水温が下がらないように働いています。

 それから灯油のファンヒーターのスイッチをいれて部屋を温めます。基本的に我が家の暖房はウッドストーブなのですが昼間は出掛ける事が多いので消してしまいます。そして夕方帰ってくると先に女房がウッドストーブの火を起こして待っているか私が起こすかどちらかで暖をとっています。我が家はログハウスなので基本的に一度暖まると冷めにくいのでその点ではとても助かっています。

 会社への通勤はこの時期はスタットレスタイヤに履き替えた4輪駆動車で往復する事になるのですがいつもとルートを変えています。いつも通る森の中の道は陽が当たるカーブと日陰のカーブでは全く様子が変わり、かなり慣れたものでも結構、危険なので通らないようにしています。陽が当たる側は結構、融けていて、こりゃ大丈夫と思ってスピードを上げると直ぐに逆カーブではアイスバーンになっていて路面はツルツルで慌ててブレーキを踏んだらスーと滑って側溝へ・・・なんて車をしょっちゅう見かけます。だからこの時期は森の中の道は出来るだけ避けて通るようにしています。その為にちょっと遠回りになりますが一旦、標高の低い道まで下がって幹線の道を上がるようにしています。

 それから車に関しては色々工夫があって駐車する時は出来るだけ南向きに駐車します。これは吹雪いた時に出来るだけフロントガラスに雪が積もるのを避ける為です。この辺りは八ヶ岳おろしという冷たい北西の風が吹き降ろしますから。勿論、雪が降りそうな時はワイパーは上げておかなくてはなりませんけどね。それとサイドブレーキは引きません。凍結して解除出来なくなる可能性がありますからね。

 仕事場の室温は大体10度位、寒いので室内でもジャンパーを着て(笑)ウオームビズしています。冬の夜、雪が降ると次の日の朝は自宅でも会社でも雪掻きが朝一番の仕事です。余りに積雪が多いと雪掻きだけで一日分の体力のかなりを使ってしまい、もうヘロヘロ何て事もあります。

 それと困るのは室温が低いので事務仕事をしようと思っても手が震えて少しストーブで手を温めないと字が書けない時もあります。

 こんな事を書くと冬の季節は辛いことばかりのように思われるかも知れませんが楽しい事もあるんです。例えば晴れ上がって放射冷却が厳しい朝、冬山となる廻りの2000m級の山々は本当にこれぞ自然がくれた壮大なプレゼントの様に美しい姿を見せてくれるし、寒い冬の夜、ウッドストーブの前で薪がはぜる音を聞きながらウッドストーブの扉のガラス窓から見える炎を見ているのはお金に代えられない満ち足りた時間を与えてくれます。

 それに、この寒い冬があるから豊かな自然が育まれ新しい生命が生まれる春の季節の有難さが実感として感じる事が出来ると思うとこの寒さも我慢出来ない程、寒いとは思いません。そりゃ、人間なので寒いことは寒いのですがその後に楽しみがあるので我慢なのです。その点が都会に住んで居た時よりも季節を肌で感じるという実感が大きく違うところだと思います。

 唯一、私が苦手なのが足元が滑ると言う事。どうも南国育ちなのでウインタースポーツが苦手で今まで散々スキーやスケートにチャレンジしてきたのですがどうもこの足元が危ない、滑るというのが慣れなくてダメなんですよ。今年も現場でスッテンコロリンとして「痛くないです・・・」と見栄をはりながら痛さを我慢していました(笑)

2010/01/10

今年はどんな生き物達に出会うでしょう

 今年は年明け早々からダッシュのように仕事が始まり、すっかり年末年始のお正月気分も抜けてしまい、いきなり全開モードでいつもの慌しい日常がスタートしました。

 今年はどんな年になるのでしょうね。今日、自宅で昼ごはんを食べながら何気なく外を見ていたら目の前の森の中にバンビちゃんを連れた親子連れの鹿の群れが走ってきました。雌鹿が3頭の小鹿をつれて群れから少し離れてしまったようで森の中で佇んでいました。

 ちょうど我が家の100m程下に鹿が通る獣道がありいつも連中はそこを往復していますが途中、車が通る舗装された道路を横断する為にそこを通る時は連中も慎重なのですが、たまに車が通り掛ったりすると群れが分断されてパニックになるのです。

 慣れた人ならじっと連中の通り過ぎるのを待つか様子をみながらゆっくり通り過ぎてくれるのですが慣れない人が通り掛ると慌ててブレーキを踏んだりもう来ないと思って走り出すと目の前に鹿が飛び出してきたりと鹿の群れにとっては危険な状態になります。

 特にこの時期は猟期なので週末の休みの日は近くから発砲音がしょっちゅう聞こえてきます。都会の方には信じられない事でしょうが私の住む森の周辺は発砲注意地区といって猟が許されている地域なのです。だからこの猟期には始終近くでパンッパンッという猟銃の発砲音がします。

 地元の猟友会の人達が害獣駆除として入っていたりレジャーハンターが入っていたりします。長年、発砲音を聞いているとその人が上手いか下手かも分ってしまいます。パンパンとやたら射ちまくる猟師達は当たらないからやたら撃つ訳で、猟になれた方なら大抵、発砲音は1発か2発で終わりです。その後は静かなものです。だから仕留めたなと分ります。

 鹿達もよくしたもので猟師達が入っているときはどこかに逃げるようで時々里に逃げ込んできたり山奥深く隠れるようですね。しかし、ここ数日は里山にも雪が降ったのできっと山の上の方では餌が取れなくて下に下りてきたのだろうと思いますね。

 それにしても増えすぎて害獣に指定されて今年もかなりの数の駆除が認められているようですが何となく忍びないですね。せめて奪った命への弔いは忘れないようにしたいですね。

 山梨県でも近年はジビエ料理として鹿肉料理のレシピを考案して観光にも役立てようとしている様です。しかし、我が家の家の前を通り掛る小鹿達の可愛いお尻の白い模様をみていると「早く逃げな」と思わず心の中で思ってしまいます。

 そういえば雪が降った朝やシンシンと雪が降っている夜、森の中を通りかかると動物の足跡がそこら中についている事があって思わず笑ってしまう事があります。夜中に結構大量の雪が降った朝、家の前に出てみると明らかに猫の足跡があったりして、この寒い雪がふる夜中にこいつ何の為に遊びにきたんだろ?とか、思いがけず小さな足跡が一直線に付いていて誰だこいつは?とか結構、想像力を掻き立てられます。

 そういえば先日、我が家に遊びに来たテン君はその後、干し柿のひもを引っ張ったまま裏の古くなった木端の山の中に入って行ったらしく紐だけが外に出ていました。どうやらその中に彼(彼女?)の秘密の隠れ家があるようです。しかし、確かその中には家に住み着いていたヤマカガシ君が先にいた筈なんですが・・・食べちゃったかな?それならそれで蛇嫌いの私にとっては好都合なんですけどね。

 今日は車を運転して信号で止まると何やら白い小鳥がツガイで大騒ぎしながら道路脇に下りてきて車に轢かれそうになりながら、それでも飛び立たなくて、何だか求愛行動かな?と思ってみているとどうやら嘴に加えたものを奪い合っているみたいでいつまでもくっついて大騒ぎしていました。

 今年もきっと色々な人間以外の生き物達と出会う事があるます。彼らがどんなユーモラスが行動を見せてくれるのか楽しみです。

2010/01/05

2010年、今年もよろしくお願い致します。

 新年あけましておめでとうございます。2010年、切りのいい新しい年が始まりました。

 今年の年末年始はどこにも行かず子供達が森の中に戻って来たのでごくごく当たり前の穏やかな家族水入らずの時間を過ごしました。久しぶりに家族全員が揃ったので一緒にゲームをしたりカラオケを楽しんだりと平凡ながら充実した年末年始でした。皆さんはどんなお正月を迎えられたでしょうか?

 時間の経過としては只々、時が進み新しい年を迎えたに過ぎないのですが私は気持の切り替えとしてお正月というのは大切な一年の行事の一つだと思います。勿論、お正月は仕事で忙しい方もいらっしゃる訳でそれはそれで又、どこかで気持の切り替えが必要になると思いますが私は無事にお正月を迎えられる幸せを本当に嬉しく思っています。

 お正月の我が家の楽しみの一つはTVで箱根駅伝を見る事です。例年は高知からの帰省中、車の中で見る事が多いのですが今年はどこにも行かなかったのので家でじっくり楽しむ事が出来ました。

 私も高校生の頃、陸上部に在籍していたので走る楽しみや苦しみは少し知っています。陸上競技は本来は個人競技と思われていますがリレーや駅伝だけは団体競技ですね。個人の力量の積み重ねが団体競技となるのですが、そこに襷を繋ぐという要素が混じってくると単に個人のラップ記録の積み重ね以外の要素が出てくるので競技としての面白さはグッと増してきます。

 私も学生時代4×100Mリレーにも出ていたのでその楽しさや苦しみは実感として分かっているつもりです。必死で練習を積み重ねて出場した四国大会で私と次のランナーとの間でバトンが渡らず帰ってきてから「何の為に行ったんだ!」と周りから叱られたり、第2走者として走って県記録を破れずに同タイムに終わった時、中継をしていたラジオの解説者から「第2走者がもう少し早ければ記録を破れた」と言われ、凄く落ち込んだ事もありました。

 ましてやTV中継され全国のファンが見つめる中での箱根駅伝ならそのプレッシャーたるや想像を超えるものがあると思います。「襷が繋がらなかったら・・・」と思うとその選手の気持は痛い程感じます。今回も最終10区で繰り上げスタートとなり1チームの襷が途絶えてしまいました。

 それまで1区から9区まで繋いでいきたタイムの結果なので決して9区の選手の責任ではないのですがやはりそこは人間、走っている選手は何とか襷を繋ごうという思いで走っているので繋がらなかった時は「申し訳ない」という気持になてしまいます。

 まして自分が走っている最中に故障して襷が途絶えた時は尚更、自分を責める事になるのです。今年も選手の一人が昨年、自分が故障して襷が途絶えた区間を再度走り見事に襷を繋ぎ1年間苦しんできた心の葛藤から解放されました。

 又、箱根の山登りでは昨年に続き今年も区間新を更新して見事トップに躍り出た選手がいました。平坦なところではそれほど大きな差は出なくても山登りとなると話は変わります。箱根駅伝のコースを考えた人はそこまで考えてコースを決めたのでしょうかね?

 選手の中には山登りが得意な人、下りが得意な人、それぞれ個性があります。だからそこには個人記録の足し算にはならない要素が加わりそれが箱根駅伝の魅力になっているのだと思います。

 私も又、新しい年の始まりに当たり人の心の複雑さや神秘に改めて接する事が出来ました。今年も多くの人と接する事になると思います。どんな出会いやドラマが待ち受けているのか楽しみですが、私と色々なかたちで繋がる事になる皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

2009/12/26

今年一年、有り難うございました。

 今年も一年「森の囁き」を読んで頂き有り難うございました。本当に拙い文章を読んで頂いて感謝しております。本当は誰も読んでないんじゃない?という不安(笑)と戦いながら気が付いてみたら今年も最後の「森の囁き」になりました。

 今年一年を振り返ると人間界は変化の大きい年でした。経済の悪化に伴い失業や経営破綻が相次ぎ永遠に続くと錯覚していた経済成長神話はもろくも崩れ去りました。

 そんな訳ないと皆、心の片隅では思いながら信じていた経済成長もやはりそんな訳なかった訳で・・・その原因はアメリカの長期プライムローンだとかあれやこれやと経済アナリスト達がノタマイ結局、庶民には何の事やら分からないけど兎に角、会社が大変らしいとひたすら我慢を強いられる毎日です。

 これはやはり政治が悪いんだと長期安定政権に見切りをつけて庶民は変革に舵を切りました。これは大変な勇気がいることだと思います。今まで批判していれば良かった野党がこんどは立場が逆転して批判される側に廻るのですから。

 当然、立場が変われば意見も変わる訳で・・・これからが正念場ですね。余り早くに結果を求めるのは酷というものでしょう。折角、変革を求めて決断したのですからもう少し長い目でみて少なくてもその変革の路線だけは変えないようにして欲しいものです。

 それにしても我々庶民の暮らしはどうなっていくのでしょう。私はこれからは心の健康が最も大事になっていくと思います。日本は一定の経済成長を遂げ世界の先進国の仲間入りをしました。これからは国民の心の安定を図るべきだと思います。

 気が付けば「路上生活者が増え」「自殺者が増加し」「新生児の出生率が落ち」では未来はありません。日本国憲法は基本的人権について「すべての国民は、個人として尊重され生命、自由及び幸福追求に対する権利を有する・・・」と規定されています。大金持ちになれなくても良い(なれないか・・・)からせめて心の安定が得られ、贅沢に暮らさなくても良いから3食を家族と一緒に食べられる幸せ・・これこそが心の安定に繋がると思っています。

 身体の健康も勿論、大事だけど身体の健康は心の健康から生まれるのでは?と最近特に考えさせられます。皆、病気すると医者に行くけど心の病は誰にも相談出来ず一人で思い悩むなんて事はありませんか?私にも心の病に掛かりそうになった事があります(誰だ!嘘だろなんていう奴は・・・)そんな時に助けられたのは身近な家族や友達でした。

 私にとって最大の幸せは何でも話せる家族や友人やスタッフがいるということです。その為には自分を隠す事無くさらけ出す事が必要です。どうぞ皆、一人で悩まないで廻りの人に相談して下さい。あなたは一人ではありません。

 さて、今年も残すところあとわずか・・来年はどんな出会いが待っているのでしょう?今からワクワクしています。お金は無くても(シツコイ・・)夢があれば、希望があれば、人は生きていけます。

 お金が無ければアイデアを出しましょう!工夫しましょう!そうだ来年はこれをキャッチフレーズに行こう!(ひたすら単純人間)何て事を森の中で考えているうちに年末を迎えました、今年も一年このブログを読んで頂いた皆さん、本当に有り難うございました。来年が皆さんにとって素晴らしい年になりますようお祈りしております。希望と夢を持って来年も頑張りましょう!

2009/12/20

今年最後の訪問者

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真夜中、気持ちよく布団の中で寝ていると外でガタンという大きな音がした。「何だ、何だ」とすっかり目が覚めてしまったけど真っ暗闇の外にでて確かめるには寒すぎて体が動かない。

 マア、外は氷点下6度の寒さ、泥棒も命がけでこんな山奥にくる奴もいないだろうと自分で納得してもう一度布団を被った。翌朝、家の周りを調べてみても特に異常はない。デッキに立て掛けておいた板が倒れていたので「風で倒れたのか?そんなに吹いてなかったけどな?」と思いつつ、余り気にもしなかった。

 それから数日たった今日、夜、食事を終えて女房と家でTVを見たいたら又「ゴトン」という音がデッキからした「何?あの音?」「見てみろよ、みりゃ分かるよ」と何気なく女房に答えたら、すぐにデッキの窓のカーテンを引いて外の照明をつけた女房から悲鳴が上がった「父さん!早く来て!私の柿が!」

 慌てて女房の横に駆け付けて外を見た景色が冒頭の写真。そいつはカメラを向けても特に驚くでも無く逃げるでもなく悠然とデッキに干していた干し柿を引っ張っている。

 「あれ、イタチよね」「イタチじゃないだろ、テンじゃないの?」「えっ!野生のテン!」「そりゃそこに居るんだから野生でしょ」「え~それにしてはずいぶん太ってない?どこかのペットのフェレットじゃないの?」「フェレットってそんなにでかくないだろ」「そう?」という会話の最中にも彼(彼女?)は全然、こちらを気にすることも無く女房が楽しみにしていた干し柿を引っ張っている。

 「もう、それはあげるから、全部はダメ!後は返して」と女房殿がノタマイ彼(彼女)は「チェッ、ケチッ」と言ったかどうか知らないが悠然とデッキから姿を消した。

 後で調べてみたがやはりテンのようですね。やれやれ、以前、寝室の天井の中でガリガリ天井板を齧っていたのはお前じゃないよね・・・

2009/12/12

2009年、今年の超私的重大ニュース

 2009年も残すところ後、3週間足らずとなりました。今年、自分なりに思う重大ニュースを思い出すままに振り返ってみました。

 ①WBC世界一達成、言わずもがなですが今年のWBCはハラハラしましたね~イチローの調子が中々上がらず苦戦しましたが最後の最後にいいところで打ってくれてこれぞ筋書きのないドラマの真骨頂でした。

 ②民主党、衆議院選挙圧勝。長年続いた自民党政権がとうとう倒れ国民は変化を求めました。ようやく新しい政治の時代が始まりました。

 ③映画「おくりびと」がオスカー受賞。映画のプロデユ―サーの一人が知り合いという贔屓目を差し引いてもこの映画がまだオスカーを取るとは分からない段階で初めてこの作品を見た時、これは間違いなく今年一番の素晴らしい作品になると思っていました。日本からこの様な素晴らしい作品が生まれた事を誇りに思いましたね~

 ④映画「いのちの作法」自主上映のお手伝い。知り合いのペンションのオーナーがこの映画を都内で観て是非、この映画を北杜市で上映したいという思いが多くの人の輪を広げ長坂コミュニテイーホール始まって以来の昼夜2回公演を満席にするという快挙となりました。私はほんの一部分をお手伝いしただけですが、この映画の自主上映に関われた事で又、人の輪が広がりこの映画が伝える「いのちの尊さ」を共有する人の輪に触れて幸せでした。岩手県沢内村で行われてきたいのちの格差のない行政「生命行政」が日本中に広がる事を祈ります。

 ⑤元外務大臣、柿澤弘治先生を偲ぶ。八ケ岳をこよなく愛し我々とも本当にフランクに接してくれた柿澤先生が亡くなられました。一緒に自転車で遊び、露天風呂に入りその度にその人柄に惹かれた素敵な方でした。ご冥福をお祈り致します。

 ⑥北杜市を舞台にした長編小説「約束の地」発刊。北杜市白州町在住の作家、樋口明雄氏が書いた「約束の地」が光文社から好評のうちに発売されました。この本は今年読んだ本の中でもトップの面白さでした。別に自分が住んでいる北杜市(作品中は八ケ岳市)が舞台だからというだけではなく久しぶりに最初から最後まで読む人を惹きこむ長編冒険小説に出会いました。本人にも直接お会いして色々な話を聞かせて貰いました。これからの彼の作品が楽しみです。

 ⑦背中の皮下腫瘍摘出。長いこと後生大事に背中に背負ってきたデキモノを取ってしまいました。悪いものじゃないからと放っておいたのですが思い切って取ってしまってすっきりしました。でも、先生からはまだ経過観察するので病院に出頭するように命じられています。やれやれ・・・

 ⑧別荘管理会社倒産。我が家の共同井戸を管理していた管理会社が倒産しました。この管理会社は隣接する広大な別荘地の管理も行っていたので一時は騒ぎになりましたが先日、ようやく裁判所から手紙が届き破産手続きが開始されたようです。管理費を払ったばかりだったのですがあれはどこへ行ってしまうんでしょうね・・・とりあえず水を汲み上げるポンプを止められたら困るな~川に水汲みにいかなくちゃ(それどころじゃないって!)

 ⑨新型インフルエンザ世界的流行。我が家の息子も学生寮で新型インフルエンザ患者第一号になりました。部屋に隔離され2晩ほど死んでいたようですが今は無事、復活し元気一杯です。息子よその抗体を父さんに分けておくれ。

 ⑩我が家を襲った今年の天敵達。今年は天井の中に色々な天敵が入り込み壮絶な戦いの日々が続きました。一番はスズメバチの連中、今年は2回も穴を開けられ天井に中に巣をつくられて命懸け(オーバーか・・・)の戦いを繰り広げました。その次は野ネズミ、何故か明け方になると私の寝ているベッドの真上をかじりやがってその煩い事煩い事・・カリカリカリカリと畜生!大事な家を齧りやがって(笑)

 その他、今年、私の前を横切った山の生き物たちのご紹介。鹿20頭ほど、ウサギ3羽(うち1羽は100m程車と並走)、アライグマ3頭程、巨大イノシシ1頭、キツネ10頭ほど、池から出てきた蛙数百匹、タヌキ2頭、テン1頭、ノリスの様な鳥(姿ハッキリせず)2羽、カラス20羽程度、我が家の床下にすむ蛇2匹(多分)、同じく我が家の床下に住むカマドーマ数千匹、時々訪ねてくる猫2匹、リス10匹程、やれやれこんな事書くとこの人どんなとこに住んでるだろうと思いますよね。一応、人も住んでいますので誤解のなきよう(笑)

2009/12/05

中年中女喜びのコンサート

 先日、とある近くのコンサートホールになにやら中年中女が集まり楽しそうに何かが始まるのを待っていました。かくいう私もその中の一人なのです。待っているのは集まった中年中女が過した青春時代を共に駆け抜けたミュージシャン達のコンサートの開始ベルです。

 一見すると「今日は演歌か何かですか?」て言われそうな集団なんですけど演歌ではないんですね。「なごみ~ず」というユニット名になっているんですが。メンバーは「木綿のハンカチーフ」の太田裕美、「22才の別れ」の伊勢正三、「学生街の喫茶店」のガロの大野真澄の3人のユニットなのです。マア、そうは言っても今の若者には「誰、それ?」という人の方が多いと思うのですが間違いなく現在5060代の方達には自分たちの青春時代のバックには必ず流れていた彼等の曲を一度は聴いている筈です。

 私も10代の青春時代を彼らと共に過しました。アルバイト先のカバン屋さんの昼休み、近くの喫茶店に昼食の定食を食べに行き、そこに置いてある公衆電話から店に流れている有線放送の放送局に彼等の曲をリクエストし昼食中に誰のリクエストが掛かるか何て競争を毎日の様にしていました。

 丁度、「木綿のハンカチーフ」が大ヒット中で当時、自分が東京の大学受験に合格し正に曲の中の詩と同じように親元や高校時代を共に過した友人達と離れ不安と期待に心を揺らしながら新しい生活をスタートさせようとしていた時代と重なり今でも彼等の曲を聴くと鼻の中がキュンとしてきてしまいます。

 まさか当時、夢中になって聞いていた彼等の曲を八ケ岳のコンサートホールで生で聞くようになるとは思ってもいませんでした。年齢的には彼等とはほぼ同世代なので当時、10代~20代で若くて颯爽として間違いなく一世を風靡した彼等もそれなりの経験と年齢を刻み円熟味を増してはいましたがそれでもいざ、コンサートが始まるとすぐに当時のままの演奏がよみがえり自然と心の中がタイムスリップしてしまいます。

 音楽の力というものは本当に凄いな~と改めて思いました。クラシックにしてもポピュラーにしてもジャズにしてもどうして音楽というものは人の心を揺り動かすのでしょうね。懐かしい曲を聴いているだけなのに何故か当時の自分の姿が蘇ってきて又、どうしてそれで涙が出てくるのか自分でも良く分からないのですがそれだけ当時、多感な時代を過ごしていたと言う事でしょうかね。

 3人のユニットも当時では絶対、考えられないような組み合わせで、年齢を重ね、ある程度の落ち着きを持ってきたからこそ出来たユニットだろうと勝手に想像しています。何せ当時の若者にとってはどの曲も青春のバイブルの様な曲で、その曲の中で歌われている詩の内容がその時代の若者の生活を正に代弁している様なもので楽曲を演奏していた彼等も神様のような(ちょっと大げさか・・・)存在でしたからね。

 3人共、それぞれ年齢を重ね演奏の途中のMCでも子育ての話や物忘れの話など、それぞれが過してきた時間の経過を隠す必要なく舞台上で披露する事が出来る歳になっていましたが、彼等の演奏はそれでも衰える事無く中年中女の心の中に感動を与えてくれました。

 思わず、彼等の100回公演記念アルバムを演奏終了後にゲットしてしまいました。山梨での公演で通算141回目だと言っていましたがそれはそれで凄い事ですよね。そうでなくては山の中で生活する人間には中々直接、生演奏を聴く事なんて出来ないですからね。

 久しぶりに自分の青春の1ページを切り取って懐かしく眺める事が出来た時間でした。人は誰でも自分の大切にしている心の音楽をどこかにしまっているものなのでしょうか?時々、それらを引き出して眺めてみるのも良いものですね。

2009/11/28

昼食・給食・お弁当の思い出

 考えてみるとこのところ子供達がすっかり成長し親元を離れてから我が家ではお弁当制度を廃止してしまったのでもっぱら毎日の昼食はコンビニ弁当で済ませています。水は我が家の井戸水が美味しいので毎日ペットボトルをリサイクルして洗浄し、その中に井戸水を入れて持ってきています。

 私の記憶の中にある給食並びにお弁当の思い出は幼稚園の頃からだろうか?ガキ大将で暴れていた頃の幼稚園の給食は良く思い出さないのですが同じく劣等性だった小学校の時の給食で強烈に覚えているのが私の中であの悪名高い脱脂粉乳でした。

 兎に角、私には耐えられない味で泣きながら飲んだ記憶があります。特に、飲めないものだから後回しにしていると表面に幕が出来てしまいそれが又、気持ち悪くて絶えられない味でした。それが今でも尾を引いてすっかり牛乳嫌いとなってしまいました。

 但し運動会の時は脱脂粉乳ではなく瓶に入った牛乳が配られたのでそれは何とか飲むことが出来ました。

 中学時代はアルマイトのデカ弁を母が作ってくれてギュウギュウに詰めたご飯が冷めていても美味しく質より量がモノを言う時代でした。そういえばいつもご飯の上にフリカケが掛かっていてそれが弁当箱の蓋に付いてしまい困りました。それでも部活の帰りにはお腹が空いて近くの店でオデンやら何やらを腹に詰め込んで帰っていました。

 大学時代にはもっぱら学食でしたね~やたら量だけはあってしかも学生食堂なので値段が安く貧乏学生には本当に助かりました。自分の大学の食堂では飽き足らずもっとメニューが豊富で女学生が多かった隣のT大の学食へも通い少しドキドキしながら食べていました。

 そういえばあの頃は夕食も学食で食べたりご飯だけ自炊しおかずは下宿先の近くにある商店街に行って一番安いコロッケとかを買ってきて食っていましたね。コロッケ類は値段の割りに種類も色々あって腹も張るので週に2,3回は買っていました。

 就職が決まりオフィス勤務になってからはもっぱら近くの食堂で食べるか会社が用意した社員食堂で食べるかになりました。その頃は新丸ビルにオフィスがあったので昼食時になるとOLやサラリーマンで近くの店は戦争状態となり昼休みの時間をいかに有効に使うかが勝負の分かれ道みたいになってましたね。

 建築現場に出向で行っていた時代は専ら現場で取る仕出し弁当が命をつなぐ源でした。何せ当時、回りには何も建っていない現場でしたので食べにいくのも大変だったので夜食も全て食堂に出前を頼んでいました。

 現場での仕事は兎に角、汗をかいて重労働なので晩飯だけが楽しみのような生活でした。新人は現場の所長や主任達先輩の注文を聞いて出前を頼むのが仕事でしたので時間がくると忘れずに注文しないとエラク怒られる事になります。あの時代の夜食はカツライスがやたら人気だったような気がします。

 その後、脱サラして八ケ岳に来てからは子供達の弁当と一緒に女房が毎日、お弁当を作ってくれてそれを食べる生活が20数年続きました。考えてみれば女房は八ケ岳に来る前から造っていたわけでそうすると30年近く弁当を造り続けてきた事になりガバイバアチャンではないけどそれはそれで大変な事だと思い、女房には本当に感謝しています。

 私の知り合いでご主人が自分のと奥さんのお弁当を両方造っている方がいますが、その話を聞いたときには本当に尊敬してしまいました。自分でも料理しないわけではないけど自分と女房の分、両方を毎朝つくる自信はとてもありませんからね。

 最近のコンビニ弁当は本当に色んな種類があり研究されています。忙しい時はついついコンビニでサンドイッチとコーヒーを買って車を運転しながら胃の中に流し込むなんて事もしょっちゅうですが本当は良くないですよね。分かっていても時間が惜しくてついついやってしまいます。

 今まで一番美味しかった弁当って何だろ?やっぱり子供達がまだ小さくて近くの公園に家族で出掛けて芝生の上にシートを広げて食べたオニギリの味が一番幸せだったような気がします。

2009/11/22

森の住まいの休日

 このところ忙しくて3週間振りに休みがとれた朝、貴重な晴れの一日なので溜まりに溜まった家の用事を片付ける事にした。まずは遅めの朝食を取ってから作業着に着替えて頭にタオルを巻いていざ我が家の屋根に出陣!

 実は我が家の屋根は森の中に建っているのと雪が溜まり難い様に勾配のきつい切り妻屋根になっている。その時は問題無かったのだが色々あちこち増改築を重ねるにつれどうしてもその部分は緩い勾配の屋根にする必要がありやむ追えず雨樋と雪止めを付ける事にした。

 その時に覚悟はしていたものの家の周りは深い唐松や赤松の混合林、当然のように毎年この時期になると大量の枯葉が雨あられと我が家の屋根に降り積もり、その結果、雨樋は詰まり屋根の上には大量の枯葉が積り、時にはその大量の枯葉に落ちた木々の種が発芽して屋根の上から木が生える有様となる。

 それで仕方な落ち葉がすっかり落ちるのを待って一年に一度の屋根の大掃除が必要となる訳です。そんな訳で完全武装して一旦外に出て竹箒と靴を持って2階の窓から屋根に出ていざ大掃除を開始。

 屋根の上を足を滑らさないように移動し雪止めにしっかり足を置いて落ちないように気を付けながら屋根の上の方から順番に大量の落ち葉を下に落としていく。

 その時、何故だか最近、特に煩くわめくカラスが寄って来た。このカラス、我が家の近くの木の上に巣を作り住み着いているのだが何故か人が外に出て何かしていると寄ってきて煩く喚くのである。

 今日も人が体を張って屋根から落ちないように必死で作業しているのに近くの木から人を見下ろして「アホ~アホ~」と煩い。そのうち何を思ったか隣の家の屋根に下りてきてこちらを見て喚き始めた。

 何を始めるのかと思ったら何と隣の屋根の上に積った我が家と同じ大量の枯葉を嘴でつついて私と全く同じ事を始めたではないですか!カラスが人の真似をするというのは聞いた事があったけど本当なんですね。どうやら私が屋根の上に積もった枯葉から何か美味しそうなモノを探している様に見えたのでしょうね。

 驚くやら真似されて可笑しいやら屋根の上で大笑い!そういえば昨日も近くの道を車でを走っていると目の前にカラスが下りてきて「危ないな~」と思ったら胡桃の実を道路から拾って飛び立っていった。

 前にも書いたけど連中は近くの胡桃の木から実を取ってきては自分で割れないので車の通行が多い道路の脇に止まって車が通りかかるの待って上空から胡桃の実を落として車のタイヤに轢かせて割ろうとするのです。

 どうしてそんな事を覚えてのか知らないけど、この近くの森には沢山、胡桃の木があるのでこの時期にはその実が大量に連中の手に入るのだけどさすがにカラスの嘴では硬いその実を割る事が出来ない様で、連中の誰かが人間が道具を使ってその実を割っているのを見ていて覚えたのでしょうね。かしこい連中です。

 とにかく、そんなカラスに真似されながらも必死で屋根から落ちないように枯葉を落とし雨樋に詰まった唐松の枯葉を手でこそぎ取り泥だらけになりながら1時間程で作業を終え、やっと下に降りてきてから今度は駐車場に置いたままになっている薪木の山から一本ずつ引き出しては「ヨキ」で割っていきます。

 我が家の薪小屋にはまだ半分ほどしか薪が積まれておらず今年は完全に薪不足、年末にむけて早く割って少しでも乾かさないとお正月が迎えられそうもありません。

 やっとゆっくり休めると思ったけど里山の休日とは家の用事をする日であり地元の兼業農家の方たちも日曜日には畑に出て忙しそうです。こうして里山の冬仕度が進んでいくのです。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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