2010/12/25

さらば2010年

 今年も残すところ僅かになりました。皆さん、今年はどんな年だったでしょうか?今年はバンクーバーオリンピック開催やサッカーワールドカップでの日本代表の活躍等、スポーツ界でも沢山の思い出の残る年になりました。

 我が読売巨人軍は残念ながらリーグ優勝を逃し残念なシーズンではありましたが勝負の世界に勝ち負けはつきもの又、来年、頑張って欲しいと思います。一方、地元サッカーJ2のヴァンフォーレ甲府は見事J1復活を果たし来シーズンは頂上ステージでの厳しい戦いが待っています。来年は一度はホームスタジアムの小瀬スポーツ公園に応援に行こうと思います。

 それにしてもスポーツ観戦は昔から大好きなので何を見ても楽しいのですが肝心の自分の体の方が運動不足で・・・いい加減何とかしなくてはならないと思いつつ中々時間を作る事が出来ずにダラダラと今まで過ごしてきましたが本格的にこれではイカンと感じておりまして来年はスポーツ観戦はさておき自分の体を本格的に苛めなくてはこのお腹が・・・イカン!ですので来年はとにかく自分の体を鍛え直そうと思っております。

 しかし、年齢を重ねると段々一年が短くなるといいますが本当に一年が短く感じるようになってしまい、あっという間に2010年も過ぎ去ろうとしています。

 何だか段々「残された時間はどのくらい?」何て考えが頭の中をかすめる様になり人生の先輩からは「その年で何言ってる!まだまだ若い!」なんていつもお叱りを受けていますが、それでも確実に体力は落ちていく訳で・・・何とかここで歯止めをかけなくてはやばい事になりそうです。

 そこで私は2011年はマイボデイ・リフォーム年にしようと思っております。過ぎ去った過去は忘れ(笑)明るい未来を目指してもう一度、自分を鍛え直す所存であります。

 しかし今年の政局は混迷の年でしたね。元々、長年の長期政権が崩れて改革の政局になったので混迷するのは仕方ないとは思いますが、それにしても政治家の皆さんはもう一度初心に戻って誰の為に働いているのかよ~く考え直して欲しいですね。

 権力争いを余り続けていると本当に民衆からそっぽを向かれる事になりますよ。メデイアも批判ばかりして荒探しをしないでもっと大局的な見方で報道をして欲しいと思います。

 私は○○党でも××党でも△△党でもどこでも日本を良くしてくれるなら良いのではないかと思います。○○党だから××党のやる事は全て反対!何て可笑しいですよね。本当に国民の為になると思われる政策なら党を超えて審議すべきだし民主主義の本来の趣旨はそういう事だと思います。

 党に所属するから何でも党の言う事に従わなくてならないなんて変ですよね。そもそも議会制民主主義の悪しき面が出ているように思います。是非、お金の掛からない庶民の価値観に沿った政治をして欲しいものです。

 これからは間違いなく福祉充実国家を見ざしていかなくてはならない時期にきているのですから是非、来年はそういう目で政治を動かして欲しいものです。

 2011年、アシストは設立10周年を迎えます。よくまあこの10年頑張ってきたものだと思いますが近頃、特に思うんです。早稲田の斎藤投手ではありませんがアシストが持っているのは何だと問われるとそれは「仲間」ではなくて「お客様」です。

 本当に拙い会社を設立当初からオダテテ、誉めて下さったお客様に乗せられてようやく10年間、何とかヨタヨタとやってきたなと本当に思い知らされます。

 あの苦しかった時に、「あんた達なら旨くいくよ。大丈夫!」と言って下さったお客様。きっとあの時はなんかの確信がある訳ではなく、「何とかこいつらを元気づけてやろう」と思って仰って下さったのだと思いますが根が単純はもので「そうか、俺達、何とかなるかも・・・」と勘違いしてここまでやって来てしまいました。

 10年一区切りと言います。いつまでも、お客様に甘えてばかりいる訳にはいきません。来年は自分達で何とかしなくてはなりません。何をどうするか?それが分かれば苦労しないのですが(笑)その何かを探してきっと来年も、もがいて行く事と思います。

 この拙いブログを見て下さっている皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。2011年が皆さんにとって素晴らしい一年になる事を八ヶ岳の麓から祈っております。

2010/12/19

森の中の我が家

 年末が近づいたので恒例の屋根に一年間積もり積もった枯葉の掃除をすることにしました。2階のドアから1階の屋根に出てそこから雨樋のついた屋根に乗り移り箒で屋根に積もった唐松の葉を落としその後で雨樋に詰まった枯葉とカチカチに固まって凍りついた唐松の実を雨樋に手を突っ込んではぎ取ります。

 しかし、これが中々取れないんだな~。何せ一年間積もり積もってガッチリ固まってるし、そのうえにこのところの気温の低下ですっかり凍ってしまってまるで樋の形をしたアイスキャンデーの様に全体がつながっていてこれを端から順番にはぎ取っていかなくてはならず、しかも屋根の上から樋の端っこに手を突っ込む格好になるので落ちないようにしっかり身体も支えていなければならずこっちも気を使ってモウ大変です。

 作業がすっかり終わる頃にはすっかり体中、汗びっしょりという有様です。しかし、森の中に建っているいる家だからこれは仕方のないことで一年に1回だからまあ我慢してやるしかないのです。

 森の中の道の行き止まりに我が家を建ててから丁度20年になります。その間、この家で3人の子供達と猫3匹犬1匹が暮らしを共にし、人間の子供達はそれぞれこの家から旅たって行き3匹の猫と1匹の犬はその生涯を終えて今はこの家の敷地で眠っています。

 先日、ある雑誌社からこの家を取材させて欲しいとの申し出があり、今までこういう類の申し出は受けない事にしていたのですが20年になるこの家の区切りとして受ける事にしました。

 過去に一度だけ町役場の紹介だという事である人気バンドの全国ツアーのチケットの背景に使いたいからと申し出があり、どうしようかと思いましたが「どうして他にもっと立派で写真映えがするログハウスがあるのにうちなんですか?」と聞いたら「怒らないですか?」と言われ「はい?」と言うと「実は古い荒れ果てたアメリカ西部のログハウスのイメージなんです」「そのイメージにうちのログハウスがピッタリだと・・・・」「はい・・・」これには絶句しましたが余りに正直言われてしまったので引き受けるしか有りませんでした。

 このときは子供達は人気バンドのアーチストに会えたのでとても喜んでいましたが何となくイマイチ私は複雑な心境でした(笑)

 私がこの森の中に土地を求めた時は、廻りはうす暗い森が続いていて夜になると真っ暗だったのですが、そのうちに家の近くの森の中に大きな別荘地が開発され今では数十軒の家が建ち、永住者も何軒がいるようになりました。これも時代の流れなんだと思っています。

 それでも家の東側はいまだに未開発の森が広がっており毎朝、窓から見える森は四季の変化を美しく見せてくれて特に年末のこの時期は日々、夜明けの太陽が森の中から登ってくるのですが、朝食を食べながらその登ってくる太陽を眺めていると毎日、少しづつ南側にずれて行きます。

 そして、間もなくその南側にずれていく太陽もその位置が動かなくなり今度は徐々に北側に戻って行きます。考えてみれば当たり前の事ですが実際に毎日その変化を見ていると何だか何事にも代え難いような感動に接しているような気がします。

 我が家の洗面所の窓から見える景色には人工物は一切有りません。見渡す限りの森が広がっています。その森は一年の四季の変化に伴って色を変え、形を変えていきます。それは毎日見ている景色でも決して飽きる事がありません。

 これだけは本当に、この森に住んで良かったと思っています。都会では決して見る事が出来ない景色です。

 森の中に住んでいると枯葉掃除だとか薪の準備とか色々と不便な事もあります。新聞が家まで配達されないとかインターネット配線がちっとも近代化しないだとかTVが映らないだとかそりゃ色々と不便です。

 しかし、それらを差し引いたとしてもやはり私は森の中の生活に満足しています。これから先、何年ここに住んでいられるか分かりませんが許される限りいつまでもここに住んでいたいと思っています。八ヶ岳南麓の森の中が私にとっての生活の舞台なのですから。

2010/12/13

知る権利、知らない権利

 最近はインターネットが発達して豊富な情報が色々な所から入るようになり便利になりました。しかし、どうもひねくれ者の私は逆にその便利さに危いものを感じるようになってしまいました。

 というのは、その情報の発信者が個人的な価値観や偏った価値観で発信した場合に受け取る側に誤った知識を与えてしまいかねないという事です。

 昔は情報の発信源となると新聞や雑誌、テレビ、ラジオといった公共色の強いメデイアに限られていたので、そこにはある程度、情報の信憑性や複数の情報源からの確認作業等の経過をへて検閲作業が行われていたように思いますが、最近はどうもHPやブログ、ツイッター等の情報媒体を個人が自由に使えるようになったので色々な情報を個人が不特定多数の人に発信する事が可能になった反面、誤った情報が広く流される危険性も増したような気がします。

 先日の尖閣列島の映像にしてもそうですが統制を失った情報が垂れ流されるのは混乱をまねきますよね。他方、それではどっかが一元的に情報を検閲して統制された情報しか流されないようになると、今度は情報操作が行われ特定の価値観にそった情報のみが流される事になり、それも問題ですよね。

 「じゃあ、どうすればいいんだよ!」と言われると、「はて?どうすれが良いのでしょうね?」となるのですが、極論をいうと自分の感性に従って普段からアンテナを張って自分なりの情報を集めて自分の物差しをしっかり持って判断するしかなくなるのでしょうね。

 物事には必ず表の面と裏の側面があるのだから、そこを自分なりの価値観で捉えてしっかり判断するしかないのではないかと思います。そういう意味では必ずしも「知る権利」だけではなく「知らない権利」というものもあっても良いのではないかと思います。

 勿論、頭脳明晰で沢山の情報処理能力を持った方は出来るだけ多くの情報を集めて分析すればよいのだと思いますが、私みたいに情報の蓄積能力が極端に限られていて時に余った情報が片っぱしからこぼれ落ちていく(笑)なんて場合は本当に必要な情報だけ頂いて、とりあえず生きていく上で問題なさそうな情報に関しては申し訳ないが「スマン、スマン」と言いながらパスさせて貰うのもアリなのかなという気がします。

 それ程、今の世の中には私にとって情報が溢れすぎていて困ってしまうのです。つまり知っている事が幸せなのか知らない方が幸せなのか一概に言えなくなってきているように思います。

 「独裁政治は無知が生む」と言われます。私も全くそうだと思います。独裁者にとって都合のよい情報しか国民に流さず恐怖を植えつけ統治しやすくするのは独裁政治の常套手段ですが、この場合は間違いなく正しい情報を国民は知らなくてはならず、又、知る権利があります。

 昔、アダムとイブは食べてはいけないと言われたリンゴを食べた事で違った価値観を持ってしまいました、本当は神様に言われたとおりリンゴの味を知らない方が幸せだったのかも知れません。そうなったら今の人類はもしかしたら違う生き物になっていたかも知れません。(う~ん、奥の深い話だ・・・笑)

 近いところでは歌舞伎俳優さんを巻き込んだ傷害事件が起こり、双方が相反するコメントを発表しその報道を聞いている人達は一体、どっちの言う事が本当なんだ?と首を傾げる事になりますよね。

 事実は当事者のみ知る事で、どちらかが意図的に事実と違う事を述べているという事になるのか、或いはどちらも正しい事を言っていて唯、その事実の捉え方が違うのかも知れません。

 子供の喧嘩の場合はどちらも悪いという事になるのが一般的ですが・・・ああ、本当に最近は色々、分からない事が多すぎて自分でちゃんと判断していかないと、いよいよ分からなくなってしまいます。

 政治の世界も何だか混沌としてきて一体どれが正しいんだという思いが段々強くなってきます。民主党も自民党もどっちもどっちかな~折角の改革のチャンスなんだし、国民が折角、改革を望んだんだからしっかりして欲しいですよね。

 一番、残念なのがあの国会でのヤジ合戦。政治家の先生達は小学校で「発言する時はちゃんと手を挙げて発言しましょう」「人の話はちゃんと聞きましょう」と先生から教わらなかったのでしょうかね。国会中継はヤジを聞いているだけでもう嫌になってしまいます。国民の血税はヤジを飛ばして欲しくて納めている訳じゃないんだからしっかり議論をして欲しいですね。

 今年もあと僅かです。幸せな年末・年始を迎える為に情報を良く吟味して、くれぐれも振り込み詐欺等の誤った情報を信じないように注意しましょうね。

2010/12/04

庄内映画村へ行ってきました

 山形県に「庄内映画村㈱」という会社があります。たまたまそこの社長さんが八ヶ岳に在住で親交があり、一度八ヶ岳の仲間で庄内に行って見てこようという事になり、今回思い切って仲間10人で庄内映画村に行ってきました。

 もともと映画は大好きなので一度、この映画村代表のUさんに頼まれて「蝉しぐれ」の子役さん達の清里合宿のお手伝いをした事がありました。その頃からUさんはこういう仕事をされているんだと認識はしていたのですが昨年、その庄内映画村で撮影された「おくりびと」が日本初の米国アカデミー外国語映画賞を受賞し一躍、庄内映画村は有名になりました。

 それ以来、一度この庄内映画村を見てみたいという思いが募っていたのですが中々チャンスがなくて行けなかったのですが今回、思い切ってやっと行く事が出来たという訳です。

 私が何故、この庄内映画村を見たかったかというとUさんから漏れ聞くその映画村の誕生過程や地元との関わり方、映画のオープンセットを単なるオープンセットとして終わらせずに地元活性化につなげたその理念等にとても興味があったからなのです。

 私の中で映画というものは多くのスタッフと俳優さん監督さんとの人間的な繋がりで創り出す一種の芸術作品だという思いがあります。今回の庄内映画村はその人の繋がりが映画関係者にとどまらず地元の人達も巻き込んだ地域の事業として成し遂げられたのではないかという勝手な想像を働かせていたのです。

 今回、実際に自分の目で見て、いかに庄内映画村が地元で迎えられ溶け込んでいるかを実感した思いがあります。Uさんはもし「おくりびと」の成功がなかったら今の映画村はなかったと仰っていましたが確かにそういう一面もあったかも知れませんが逆にいうと庄内映画村の環境がこの「おくりびと」を成功させたといえるかも知れないなと私は感じました。

 私は映画というものは夢を売っていると思っています。夢には関わった多くの人達の思いが込められています。その思いが強ければ強い程、夢は膨らまなくてはなりません。私は「おくりびと」を甲府の映画館で観終わった時「この映画は必ず成功する」と確信しました。

 それほど映画の切り口が新鮮で今までの映画にはない面白さがあったのです。ストーリーそのものはそれほどシリアスな内容ではなく、涙あり笑いありの内容なのですがそれがとても映画の内容と出演者の個性に違和感なく浸透していました。

 私は映画の世界には全く素人なので作り手の苦労は想像するしかないのですが、今回、オープンセットや実際に「おくりびと」で使用された現存する建物を見てその大変さのほんの一部を垣間見たような気がします。

 私はこの庄内映画村のケースが地域活性化のヒントを与えているような気がしてなりません。別にこの映画村を八ヶ岳でやろうという単純な事ではなく人と人が手を繋ぎ何か面白い事、夢のある事、楽しい事、地域性をアピール出来る様な事が無いのかな?と思うのです。

 活性化はビジネスとしても勿論、成立しなくてはなりません。しかし反面、利益のみを追求しても面白いものは出来ないと思っています。何か人が楽しい事、夢の持てる事を地域で一緒にスクラムを組み手を取り合って立ちあげて、その結果、地元に経済効果をもたらすのが一番望ましい地域活性化ではないかと思うのです。

 そういう意味でこの庄内映画村は成功した一例ではないかと思います。さて、この八ヶ岳南麓になにがあるでしょう?何をすれば面白いでしょう?

 来年は知人から婚活イベントを手伝って欲しいとリクエストされています。「ログハウスと婚活」果たしてこのミスマッチは受け入れられのだろうかと思い一時期は「ウンウン、面白いね」と言いながら具体的な行動に移る事はなかったのですが先日、とうとう捕まってしまい、やる事になってしまいました。

 婚活と映画村は全く違うものですが、どちらも人が大きな役割を果たすと言う事では似ているような気もします。「この人なんとなく好きかな?」「この映画、何だか面白そう・・見る?」は似ている。果たしてどうなるか・・・

 経済的疲弊が続く世の中、工夫次第でお金では得られない夢が持てるかも知れませんね。

2010/11/27

旅の情景

 先日、所要で田舎の高知に、帰ってきました。両親の世話もあるのでいつも夫婦で帰るのですが、今年はご存じのようにNHKの大河ドラマ「竜馬伝」のお陰で高知行きの飛行機はいつもほぼ満席です。

 おまけに時期的に農家さんの農閑期に当たるのかそれと思しき方が結構いらっしゃいました。空港行きのバスのなかでも地元の農家の方と思しき8人くらいの方が一緒に乗り込まれ「いや~楽しみにしていたらアッと言う間に来ちゃったな~」ととても嬉しそうに話しておられました。

 羽田空港も国内線ターミナルの増改築工事が終わって少し広がっていつもと雰囲気が変わっていました。自分がこの仕事をする前に、この空港の仕事に関わっていたので何だか感慨深いものがありました。

 もともとホテルだとか空港ターミナルだとか色々な人がこれから旅立ったり、逆に帰ってきたり、それを見送る人、迎えに来た人、そういう人間の感情が行きかう場所の雰囲気がとても好きなので空港で自分の乗る便の時間になるまでそういう空間で繰り広げられる人間模様を見ていると時間が経つのも忘れてしまいそうです。

 勿論、自分もその中の情景のひとつになっている訳なので他の人が見れば私もそういう空間を行き過ぎるひとつの光景になっているのでしょうね。しかし、あれですね。ターミナルビルというのは本当に様々な事情で旅に出る人達が集まっている場所なのでその光景は本当に千差万別ですね。

 ビジネスで出張する人達はあまり表情に浮かれている雰囲気はなく(当たり前か・・・)単なる移動手段として来られているので比較的荷物も少なくスーツ等の仕事着の人が多いですね。子供連れの方達は実家に帰られるのか、あるいは家族旅行なのかやはり顔にどこか嬉しそうな雰囲気が漂っています。

 私達夫婦みたいに用事があってどこかへ行かなくてはナラナイといった雰囲気の人は「ま~じゃ~そろそろ時間だから行きますか?」みたいな感じが漂ってきます(どんな感じだよ!)若いカップルの方達はどこかに旅行にいくのでしょうか、明らかに「私達幸せ・・・」みたいなオーラをそこらじゅうに振りまいていますね。

 しかし、これがたまに「バカップル」みたいなのに遭遇してしまうと出来るだけそいつらとは離れて関わらないようにしようと思ってしまいます。今回も時間待ちでお茶をしている時に斜め前の若いカップルのうち女の子の方がやたら「ギャハハハハッ」と笑いながら辺りかまわず手を叩いて煩いのなんの・・・我慢して無視していましたが段々腹が立ってきて思わずテーブルの下で拳を握りしめ(笑)女房に向かって「帰るぞ!」と言って席を立とうとすると女房殿が「何怒っているの?まだ飲んでるんだけど・・・」とあっけにとられていました。

 私には耐えられない光景なのですが一般の人には全く問題無いようで、きっと私だけが異様に反応してしまうのでしょうね。それにしても最近こういうバカが多くて困ってしまいますね。自分の事しか考えないのか?時と場所をわきまえるという事を知らないのか、ただのバカなのか、はたまたこういう風に考える私がイケナイのか(笑)とにかく色んな人がごっちゃに集まるのがターミナルですね。

 そういえば飛行機の機内の雰囲気は最近微妙に変わってきた様な気がします。大抵、機内の前方にはエグゼクテイブな方達が「私ら高いお金払ってるからね・・・」という雰囲気で座っておられて我々庶民はそのエグゼクテブな方達の間を通りすぎて狭い通路の奥に向かう訳になるのですが最近は機内の飲み物も大半は有料になっているので「何か飲まれますか?」と聞かれると「イヤ、いいです」と断るのですが「冷たいお茶は無料ですけど・・」なんて優しく言われると「あっ!それ頂きます(笑)」何て事になります。

 機内持ち込み手荷物の基準も厳格になって大きな荷物は持ち込めなくなったし金属や電子機器やペットボトルの水何かもすべてチェックされるようになりました。

 だから私はポケットの中の携帯電話や財布も含めて全部トレイに出して別にして手荷物検査場を通るようにしています。それから搭乗口でのチケットレス化が全面化されていますが最近は携帯電話で搭乗手続きする方が増えてきましたね。

 何だか一昔前からみると全く違った光景になってしまいました。旅の情景も年月の変化で変わってきてしまいました。

2010/11/20

Noと言うからには・・・

 最近、TVのニュースを見ているとやたら政治家や企業・行政・教育関連の不祥事が報道される事が多いですよね。でもそういうのを見ていて思うのは人を批判するのは簡単だけど大事なのはその先じゃないかなといつも思う。

 私は自分が大した人間じゃないので社内でもいつもスタッフには「そんなに立派な人間なんていやしない。皆なそんなに変わらない」が口癖になっています。

 鳴り物入りで誕生した民主党政権も野党として与党を批判する立場から与党として現実を見なくてはいけない立場になると途端に勢いが無くなって来ましたよね。米軍基地問題だって反対と言っているうちは良いけど、じゃ具体的に「どうするの?」となると途端に話がおかしくなってきた。

 でも国民は今の政権を選択したのだから何故、彼等は与党になったのかをしっかり考えて欲しいと思います。「あのときは批判すれば良かったから言ったけど、現実は簡単では無かったです」では何の為に選挙をして国民の選択を仰いだのか分かりませんよね。

 野党も人の揚げ足ばかり取らないで政治論争をして欲しいですよね。人の揚げ足を取り上げて批判するのも良いけど国民はそんなに馬鹿じゃないですよ。

 私はいつも不思議に思うんだけど予算審議になると何でスキャンダル探しが始まるのでしょうね?予算の執行を審議する場なのに全く関係ない事で揉めて審議拒否・・・そりゃないよ。

 政治家は自分の所属する政党の為に働いているのか国民の為に働いているのかと聴きたくなりますよね。小さな政府、お金が掛からない政治を目指すと言うから今の与党を支持した人もいると思うのによく聞いてみると「沢山給料頂いている様に見えるけど実際は事務経費を差し引くと殆ど残らないですよ」なんて開き直っている人もいるし、私なんか「うん?だからお金の掛からない政治活動を目指すんじゃないの?」と良く分からなくなってしまいます。

 「失言」ていう言葉もよく聞くけど私は「失言」という言葉の意味が良く分らないのです。その場では言ってはいけない内容の発言をうっかり言ってしまった現象を「失言」というのかと思いきや最近は、自分の思っていない事を間違えて伝えた事を「失言」と言うらしい。

 だから政治家の方は「自分の意思が誤って伝わり多くの方に多大な迷惑をおかけした事をお詫びします」ていつも言うけど、でもどう考えても自分が本当は思っている事を隠して普段はさしさわりのない事を偽って言っていたのについ本音を言ってしまったんだろなと思えるんだけどな。

 大人なんだから思っててもここでいっちゃマズイでしょ・・・と言うことじゃないのかな?私なんかしょっちゅうあるけどな。だから私なんか「出来るだけ余計な事は言わないでおこう」なんて固く決意する事が多いのですけどね。

 そう、皆んな大した事無いんですよ。人は誰しも間違う事だってあるんです。でも問題はその先だと思うんです。間違った人を片っ端から批判して辞任させて頭をすげ替えてそれで良くなるのかな?そりゃ勿論、程度問題だけど私は批判からは何も生まれないと思います。大事なのは批判するならその代案を示すべきだと思います。

 NoというからにはNoと言う責任が必ずあると思うのです。事業仕分けだって圧倒的に仕分け人の方が優位な立場で議論するわけだからNoと批判するのは簡単です。でも、結局Noと言った言がNoにならないで続くのなら何の為のNoだか分かりませんよね。

 昨年の事業仕分けである人が「何故一番でなければならないんですか?2番ではダメなんですか?」と言っていたけど私は分野によっては1番と2番では全く違うのではないかと思います。スポーツの世界でも世界一と世界第二位では全く違います。科学の分野なんかでも全く違うのでは無いかと思います。問題はそうではなくて今はお金が無いのだから2番でも我慢するか、お金を掛けないで一番になる方法を考えるかではないのでしょうかね?

 事業仕分け自体は国民に普段見えない事を可視化するという大事な改革だと思いますが批判で終わらすのではなく法的な根拠をもたすなり再審議も認める道を残すのも必要なんでは無いかと思います。あっ!気がつけば又、自分もNoと言ってるか・・・大したこと無いくせにね・・・

2010/11/13

ねこの気持ち

 最近、めっきり寒くなって俺たち猫にとっちゃ厳しい季節が来たもんだ。俺たちが(おっと俺と姉さん猫の2匹だけどさ)この山奥のログハウスの家に連れてこられたのが2月だからもうすぐ9カ月か・・・早いもんだぜ。

 すっかり、この家の飼い猫になっちまって何不自由ない生活おくってるけど、この寒さだけは勘弁してほしいもんだぜ。何せ飼い主のやつらが出掛けると寒くてたまんねえ。せっかくウッドストーブがついてて暖かくてウトウトしてたのに何も消す事ないじゃねえか。寒いったらありゃしない。あ~早く帰ってこないかな~せめて炬燵だけでも付けといてくれりゃ暖かいのにケチだから全部切っていきやがる。

 以前、マッサージチェアの上で遊んでたらうっかりスイッチを足で踏んで動かしてしまったらそれ以来、飼い主のやつ全部の電源、切っていくようになっちまって全くケチくさいったらありゃしない。おかげで日中は天窓から入ってくるお日様の明かりを追っかけて移動しながら寝るしかなくなっちまった。

 でもこのお日様、うっかり長く昼寝してると気が付いたらすっかりあっちのほうへ移動しちまって寝場所は陰になってて寒くて気がつくなんて事がしょっちゅうで不便でたまんねえ。

 それに最近は俺らの周りでやたらとピョンピョンと飛び回るちっちゃなバッタみたいなやつがウロウロしていてこの前、片っぱしから捕まえて食っちまったら何だかお腹痛くなっちまって困ったっけ。そういえばこの前、飼い主のメスの方が俺たちが食い残したバッタの足が部屋中に散乱しているのを見てきゃ~きゃ~騒いでいたっけ。あれ、結局飼い主のオスの方が始末してたっけ。こちとら感謝されても怒られる筋合いはないもんな。食ってやったんだから・・・

 それから最近、夜になるとやたら床下でガリガリ音がするんだけどありゃ、ネズミだな。一度、出てきたところを押さえつけて首根っこ噛みついて殺してから朝、飼い主に見えるようにほっぽり出しておいたら「ヒエ~~」何て騒いでたな。でもあの時はオイラ頭撫でられて「エライエライ、良く捕まえたね」って誉められたもんな。どうやらネズミを捕まえると喜ばれるみたいだな。

 しかし、この前あんまり寒いから風呂の蓋の上で横になってたら隙間から下に落っこちちゃって驚いたのなんの、あの風呂の中っちゅうのはとんでもないとこだね。何だか生ぬるい水が溜まってて幸いそんなに深くなかったから死なずに済んだけどもう少しで溺れるとこだったぜ。

 といっても自力で逃げる事が出来ずにオイラがあんまり騒ぐんでメスの飼い主が気がついて溺れそうになってるオイラを風呂の中から救い出してくれてビショビショになった俺を優しく拭いてくれたから助かった様なもんだけどね。

 この前もあんまり寒いからオスの飼い主の腹の上でまったりと丸まっていたらいきなりオイラを下ろそうとするもんだから思いっきり手を引っ掻いてやったら怒られた怒られた・・・こっぴどく怒られたな~。

 だって眠い時に動かされるとつい引っ掻いちゃうんだよね何せ俺たち猫だからね。でも飼い主のやつらは何だか「躾だから、怒らなくてはだめ」なんて分かった様な事言っちゃってさ。俺たちの頭の大きさ考えりゃ分かるだろうに、そんな難しい事言ったって理解出来る訳ないでしょ。

 それより俺たちの気持ちを理解して欲しいんだよな~眠い時には動かさない。引っ掻かれたくなかったらね。

 俺たち遊びの天才だからどんなとこでも登っていっちゃうけど何だか俺たちの飼い主は外で遊べるようにでっかいネットを張った物干し場を作ってくれたのは良かったんだけど、ところがどっこい俺たちを甘く見てまさかこんな上にはいけないだろうってんで天井の一部をネット張らなかったんだけどちゃっかり姉さん猫はそのネットに張り付いて上まで登ってしっかり脱走しちゃったんだよね。

 すぐ捕まっちゃたけどさ・・・「どっから出たんだろ?」何て不思議がってわざともう一回姉さん猫をネットの中に放して陰から脱走ルートを確認してから結局、そのルートも塞がれちゃったけどさ、その時はオスの飼い主は盛んに感心してたよな。「よくこんな所から脱走できたな~信じられない」何ていってたけど俺たち猫を舐めちゃいけないってんだよ。

 エッ?俺?俺はホラッちょっと体型に問題があってそこまで行けねえんだよ。しょうがないだろ美味しいもの食ってゴロゴロしてりゃ人間だってそうなるでしょ。猫だって同じなの。アッ!メスの飼い主が帰って来た。わ~いオヤツが食べれるぞ~。ごろにゃ~ん。

2010/11/06

八百万の神様

 日本には沢山の神様が居ます。生まれたときは御宮詣りし結婚式は教会で・・葬式になると仏様にお願い、なんて本当に多くの神様に頼る事になります。しかし、考えてみるとこんなに信仰に関しておおらかな国はないかも知れませんし、それはとても幸せな国だと思います。

 昔に遡れば廃仏毀釈だのキリシタン排斥等の歴史もありましたが今ではそんな事は微塵も感じられないどころかTVを見ていると「へ~こんな宗教が最近あるんだ」とか結構、危ないものもあったし実際に大変な事件を起こした事もありましたね。しかし、大半の宗教は真面目に色々と信じる神を信仰しているのだと思います。

 ここ八ヶ岳の周辺にも色々と神様が宿っているようで時々、私の知り合いでそれが見えたりする(笑)人がいるもので「ほら、又、あそこで何か言っているよ」なんて平気で人に話かけたりするものですから「あのね、私に話すのは良いけど知らない人にそんな事言わない方が良いよ。変な人だと思われるからね」何て話をする事があります。

 しかし、仕事柄、山の奥深くに入る事があるものですから、そんな時に「何か居る」なんて思う事はしょっちゅうあります。私は霊能力者でもなんでもない俗悪(笑)な人間ですので実際に見えたりする訳ではないのですが何となく見えそうな木がするのです。

 実際に樹齢も200年生、300年生以上の木になると威厳が全然違ってきて、なんだか神様のような姿に見えてくるから不思議です。

 世の中に神様がいるかどうか?それはその人の心が神様を必要としているかどうかでは無いでしょうか。「俺は神様なんか信じない金だけが全てだ(笑)」なんて昔の映画の悪役のような人には決して神様はついてこないでしょうし、様々な苦悩を背負い込んで何かにすがらないと生きていく希望が持てないなんて人には神様は最後の砦でしょうし、宗教色の強いお国柄のところでは生まれた時から信仰心を植えつけられて必然的に唯一神を信仰するようになるでしょうし、その事情は様々だと思います。

 しかし、色々な事情はあるでしょうが自分が信じるものを自由に信仰できるという事は本当に幸せな事だと思います。近年のようにある程度、物質的な発展を遂げた現代ではこれから精神的な安定が求められる時代になっているように思います。あまりに急激な経済の発展により失ってしまった心の安定を取り戻すべく又、八百万の神にお出まし(笑)願わなくてはなりません。

 私は森の中に住んでいて八ヶ岳の美しい自然を毎日見る事でとても助かっています。晩秋を迎え森の中には一年で最も美しい衣をまとった神様が姿を見せます。私には何にも言ってはくれませんが黙って何物にも代えがたい美しい姿を誰にでも見せてくれます。それを森の神様と見るのか、ただの観光客が喜ぶ紅葉シーズンの姿とみるのかは個人の自由ですが少なくても私には森の神様が一年でこのシーズンだけ見せてくれる美しい姿です。

 そういう意味ではここには八百万の神が住んでいるのかも知れません。私には残念ながら姿が見えないので何とも確信は持てませんが見える様な気はします。「何だよそれ」と笑わないで下さい。見えそうな気がするだけなんですから・・・いつもの事ですが夜の森の中の1本道を車で帰っていると闇の中からキツネやタヌキやアライグマが飛び出してきてはヘッドライトの中から闇の中に消えて行きます。ある意味、彼らも森の神様かもしれません。

 でも彼らが居る限り八百万の神は森を見捨てないで住み続けてくれるのかも知れません。無秩序な伐採や乱開発を繰り返せばいくら寛大な八百万の神様でもあっというまに姿を消すことになるかも知れません。

 数年前に樹齢何歳だか忘れましたが数百年の杉を伐る事になり、さすがにこの伐採に携わる人達は恐れを抱き、知りあいの神主さんに伐採にあたり森の神様に許しを請い私もその伐採の様子を後で写真で知らされました。さすがにこのクラスの木になるとどんな人でも伐るのは怖くなります。何かに許しを請い、その上でなければ伐れません。逆に言うとそれだけ恐れを知っているという事だと思います。だから八百万の神様の出番になるのです。

 日本に生まれて本当に良かったと思います。今年ももうすぐ終わります。そうすると、最近はなんだかハローウインだのクリスマスだのお正月だの初詣でだのイベントが沢山あり八百万の神様は大忙しになります。そのうち神様も掛け持ちなんてのも出てくるかも知れませんね。

2010/11/01

1400年の時を刻んで・・

元興寺屋根裏探検 019 元興寺屋根裏探検 044


 先日、奈良へ行って来ました。奈良は今年、平城遷都1300年祭が行われており多くの人で賑わっています。しかし、我々は別にその遷都祭を見に行ったわけではなく、知り合いの林業家や大工さんたちと一緒に国宝の元興寺(ガンゴウジ)を見にいったのです。

 普段は国宝として非公開となっている元興寺禅室の屋根裏を30分間だけ見せてくれるというので林業家の知り合いに予約して貰って一緒に見学させて貰いました。

 この元興寺は平城京遷都に際して建てられたものではないかと言われ諸説があったようですが今回、この元興寺に使用されている部材を測定したところ更にその創建(西暦718年頃)から遡り西暦590年頃の飛鳥時代に伐採された檜が使われている事が分かりました。つまりこの木は1400年余りの歴史を刻んで今でも現役として建物を支えている事になります。

 勿論、全ての木がその時代のものではなく幾度となく修復を加えられて現代に受け継がれてきたのですが、それでもその姿は昔の面影を現代に伝えています。

 今回、平城遷都1300年祭に際して国宝「元興寺」屋根裏探検と称してこのイベントが行われたのですが、我々がこれを見て、では具体的に何か分かる事とか役にたつとかとういうものでは無いのですが、何か感じるものがあるのではないかと思って屋根裏に乗り込んだのです。

 最初に受付で受付を済ませヘルメットと何故か懐中電灯を受け取り一通り注意事項を聴き終わったら仮設階段を登っていよいよ屋根裏部屋に侵入です。

 ボランテアの若い女の子が先頭に立って色々と説明してくれ、もう一人屋根裏には中年のボランテアの方が待機していて色々と説明してくれるのですがそこはそれ、何せ大工と工務店と設計事務所の集まりですので説明なんか聞きゃしない。「何だこの継手は、こりゃ後からくっつけただな・・バカいえお前にこの継ぎ手の意味がわかるかよ・・・」云々・・・しまいには説明してくれていたガイドの方が「あの~建築関係の方ですか?」と若干迷惑そうな声・・・「スミマセン、つい夢中になてしまって・・・」「ヤッター、国宝に触ったぞ俺」「止めなさいよ本当に・・・」等々、あちこちデジカメで撮りまくり慌ただしく30分間が過ぎて行きました。

 丁度、台風が通過したばかりで天候が悪く生憎の雨空でしたが貴重なものを見た想いがします。その後、近くの会場でこの元興寺の昭和大修理の模様を専門家が解説してくれるというので慌てて会場に駆けつけて眠い目をこすりながらその模様をしっかり聞いて来ました。

 えっ?屋根裏を見た感想はどうだった?ですか・・・そうでうね正直言って非常に庶民的な改装のような印象を受けました。正直、国宝でもあるし、もしかしたら「世界最古の木造建築物と言えるのかも知れない」なんて意気込みがあって緊張して望んだですが元興寺そのものの歴史が繁栄を極めた飛鳥時代から徐々に衰退をし僧坊として用いられ質素で庶民的な建物として正に庶民が支えていった建物として存続したようです。

 ごく私的な見方ですが屋根裏もそうした背景からか見えない部分は物置として使われていたり、あちこちから集めてきた部材を繋ぎ合わせて使っていたり意外と見えないところは工夫して繋いでいました。まさにお坊さんが托鉢を糧として暮らしていたようなそのままの雰囲気が漂っていました。

 そしてこの寺がそうした歴史を背景としてユネスコの世界文化遺産のひとつとして登録されているという事実をもっと誠実に受けとめなくてはならないと感じましたね。1400年前のキコリが1本の檜を切り出し、そしてろくに道具を持たない職人達が建築用材として加工し飛鳥寺の部材として建てたものが大切に移築されて修復を繰り返しながら1400年の風雪に耐えてきたという事実、これは日本人として世界に誇れる事だと思います。

 文明が発達し便利さも極限にまできたような気もする現代社会ですがたまには1400年前の木の囁きに耳をすませてみるのも癒されますよ。

2010/10/23

クマと人間の会話

人間:駄目じゃないか、最近やたら人の住む所に出てきて迷惑かけておまけに人を襲うなんてとんでもない奴だ。

クマ:何言ってんだよ、俺たちだって好きで人間の住むところへ出ていく訳じゃないんだよ。それに俺たちにとって人を狙って「襲う」という感覚はないよ。人でも他の動物でも一緒。

人間:それが物騒だって言うんだよ。マッタク・・・それになんで今年はやたらと出てくるんだよ。やっぱり、あれか?山に餌がないのかよ?

クマ:それだけが原因じゃないよ。全く、人間っていうのは山の事、何も知らないくせにやたらと俺たちの事、理屈をつけては知ったかぶりしたがるよな。

人間:それもこれもお前達が山から出てくるからいけないんだよ。

クマ:あのね、こういっちゃ何だけど山に家建てて移り住んできたのはあんた達だろ。元々は俺たちの行動範囲だった所に人間が入り込んできたんだよ。全く、お前達の方こそ出て行ってくれよ。

人間:クマのくせに偉そうな口きくんじゃないよ!人間の方が偉いんだからお前達の方が遠慮して山の奥の方にひっこんで静かに暮らしてりゃいいんだよ。

クマ:誰がクマより人間の方が偉いなんて決めたんだよ。お前達こそ同じ種族同士でこっからここまでは俺たちの海でお前達は入ってくるななんで決めて揉めてるじゃないか。俺たちとどこが違うんだよ。

人間:お前らクマには分からない複雑な社会制度っちゅうもんがあるんだよ人間にはな。

クマ:クマにだって厳格な生きるための掟があるぜ。それを破っちゃ生きていけねんだよ。

人間:お前、どの地方のクマだよ。なまってるじゃないか。あれか、やっぱりクマにも下町育ちなんてあるのかよ。

クマ:当たり前よ。クマにだって生息する山域によって言葉も違うし暮らしぶりだって違うし、人間と何も変わりゃしねえよ。

人間:全く、口の悪いクマだ。兎に角だ、ここに出てこられりゃ困るの。早く、山に帰れよ。

クマ:山にいて良いことがありゃこんなとこには出てこないよ。大体、人間が採りもしない柿の木やクリの木を一杯植えといて「どうぞお食べ下さい」って言ってるようなもんじゃないか。山の奥まで住んで残飯を家の外に置いときゃそりゃ俺たちだって御馳走を皿に盛って置いてあるようなもんだからつい、釣られて出てくるわさ。

人間:仕方ないだろ。昔の人達は食べるものがなかったから実のなる木を沢山植えたんだけど植えた人ももう居なくなって食べるものにも困らなくなってから誰も実を採らなくなったんだよ。何もお前達にやる為に置いてある訳じゃないよ。

クマ:そんな人間の訳のわからない理由なんて俺たちクマには関係な~いね。俺たちは餌があれば食う。邪魔する奴は追い払う。それだけ。

人間:何て馬鹿なクマなんだろな。だから撃たれちゃうんだよ。出てこなきゃ撃たれる事もないのに。人間に迷惑をかけるような事するから撃たれるんだよ。

クマ:人間は飛び道具を使い、俺たちゃ爪が武器と昔から決まってる。だけどな、昔は人間も俺たちクマも食うか食われるかの真剣勝負をしたもんだぜ。それこそ命をかけた勝負だったぜ。どっちが勝っても恨みっこなしだ。お互いにそれだけ腹を据えて戦ったもんだ。

人間:お~やだやだ。なんて野蛮な・・・もうそんな時代じゃないんだよ。第一、もうそんな昔のマタギみたいな生活を送っている人なんていないよ。文明は進歩するんだよ。もうそんな野蛮な真剣勝負なんて時代遅れなの。

クマ:人間ってのは勝手な生き物だよな。昔は俺たちの仲間を殺して「熊の胆」なんて言ってえらい高い値で俺たちの内臓を喜んで食ってた癖に、今はもう用が無いってか・・ヘン!そのうち罰があたるぜ!

人間:罰があたるのはそっちだ。人間様に危害なんて加えるから罰が当たって撃たれたりするんだよ。撃たれたくなけりゃ早く山の奥に帰った帰った。

クマ:全く、帰れ帰れと煩いやっちゃ。そんなに俺たちが邪魔なら自分たちが都会に帰ったらどうだよ。山奥まで進出せずに大人しく都会に纏まってマンションとかいう建物で人間達でまとまって住んでりゃいいじゃん。そうすりゃ俺たちと出会う事もないだろさ。

人間:何で俺たちがお前達に気使って遠慮しなくちゃならないんだよ。お前らこそ山の天辺で固まって大人しくしてろ。

クマ:残念でした。俺たちには人間みたいなややこしい決まりごとはないの。自分たちが住みたいところで住むし、食べたいものを食べるし、行きたいところへ行くの。

人間:あ~もう、メンドクサイ奴。早く帰れったら帰れ。

クマ:お前らこそ帰れ。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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