2010/11/01

1400年の時を刻んで・・

元興寺屋根裏探検 019 元興寺屋根裏探検 044


 先日、奈良へ行って来ました。奈良は今年、平城遷都1300年祭が行われており多くの人で賑わっています。しかし、我々は別にその遷都祭を見に行ったわけではなく、知り合いの林業家や大工さんたちと一緒に国宝の元興寺(ガンゴウジ)を見にいったのです。

 普段は国宝として非公開となっている元興寺禅室の屋根裏を30分間だけ見せてくれるというので林業家の知り合いに予約して貰って一緒に見学させて貰いました。

 この元興寺は平城京遷都に際して建てられたものではないかと言われ諸説があったようですが今回、この元興寺に使用されている部材を測定したところ更にその創建(西暦718年頃)から遡り西暦590年頃の飛鳥時代に伐採された檜が使われている事が分かりました。つまりこの木は1400年余りの歴史を刻んで今でも現役として建物を支えている事になります。

 勿論、全ての木がその時代のものではなく幾度となく修復を加えられて現代に受け継がれてきたのですが、それでもその姿は昔の面影を現代に伝えています。

 今回、平城遷都1300年祭に際して国宝「元興寺」屋根裏探検と称してこのイベントが行われたのですが、我々がこれを見て、では具体的に何か分かる事とか役にたつとかとういうものでは無いのですが、何か感じるものがあるのではないかと思って屋根裏に乗り込んだのです。

 最初に受付で受付を済ませヘルメットと何故か懐中電灯を受け取り一通り注意事項を聴き終わったら仮設階段を登っていよいよ屋根裏部屋に侵入です。

 ボランテアの若い女の子が先頭に立って色々と説明してくれ、もう一人屋根裏には中年のボランテアの方が待機していて色々と説明してくれるのですがそこはそれ、何せ大工と工務店と設計事務所の集まりですので説明なんか聞きゃしない。「何だこの継手は、こりゃ後からくっつけただな・・バカいえお前にこの継ぎ手の意味がわかるかよ・・・」云々・・・しまいには説明してくれていたガイドの方が「あの~建築関係の方ですか?」と若干迷惑そうな声・・・「スミマセン、つい夢中になてしまって・・・」「ヤッター、国宝に触ったぞ俺」「止めなさいよ本当に・・・」等々、あちこちデジカメで撮りまくり慌ただしく30分間が過ぎて行きました。

 丁度、台風が通過したばかりで天候が悪く生憎の雨空でしたが貴重なものを見た想いがします。その後、近くの会場でこの元興寺の昭和大修理の模様を専門家が解説してくれるというので慌てて会場に駆けつけて眠い目をこすりながらその模様をしっかり聞いて来ました。

 えっ?屋根裏を見た感想はどうだった?ですか・・・そうでうね正直言って非常に庶民的な改装のような印象を受けました。正直、国宝でもあるし、もしかしたら「世界最古の木造建築物と言えるのかも知れない」なんて意気込みがあって緊張して望んだですが元興寺そのものの歴史が繁栄を極めた飛鳥時代から徐々に衰退をし僧坊として用いられ質素で庶民的な建物として正に庶民が支えていった建物として存続したようです。

 ごく私的な見方ですが屋根裏もそうした背景からか見えない部分は物置として使われていたり、あちこちから集めてきた部材を繋ぎ合わせて使っていたり意外と見えないところは工夫して繋いでいました。まさにお坊さんが托鉢を糧として暮らしていたようなそのままの雰囲気が漂っていました。

 そしてこの寺がそうした歴史を背景としてユネスコの世界文化遺産のひとつとして登録されているという事実をもっと誠実に受けとめなくてはならないと感じましたね。1400年前のキコリが1本の檜を切り出し、そしてろくに道具を持たない職人達が建築用材として加工し飛鳥寺の部材として建てたものが大切に移築されて修復を繰り返しながら1400年の風雪に耐えてきたという事実、これは日本人として世界に誇れる事だと思います。

 文明が発達し便利さも極限にまできたような気もする現代社会ですがたまには1400年前の木の囁きに耳をすませてみるのも癒されますよ。

2010/10/23

クマと人間の会話

人間:駄目じゃないか、最近やたら人の住む所に出てきて迷惑かけておまけに人を襲うなんてとんでもない奴だ。

クマ:何言ってんだよ、俺たちだって好きで人間の住むところへ出ていく訳じゃないんだよ。それに俺たちにとって人を狙って「襲う」という感覚はないよ。人でも他の動物でも一緒。

人間:それが物騒だって言うんだよ。マッタク・・・それになんで今年はやたらと出てくるんだよ。やっぱり、あれか?山に餌がないのかよ?

クマ:それだけが原因じゃないよ。全く、人間っていうのは山の事、何も知らないくせにやたらと俺たちの事、理屈をつけては知ったかぶりしたがるよな。

人間:それもこれもお前達が山から出てくるからいけないんだよ。

クマ:あのね、こういっちゃ何だけど山に家建てて移り住んできたのはあんた達だろ。元々は俺たちの行動範囲だった所に人間が入り込んできたんだよ。全く、お前達の方こそ出て行ってくれよ。

人間:クマのくせに偉そうな口きくんじゃないよ!人間の方が偉いんだからお前達の方が遠慮して山の奥の方にひっこんで静かに暮らしてりゃいいんだよ。

クマ:誰がクマより人間の方が偉いなんて決めたんだよ。お前達こそ同じ種族同士でこっからここまでは俺たちの海でお前達は入ってくるななんで決めて揉めてるじゃないか。俺たちとどこが違うんだよ。

人間:お前らクマには分からない複雑な社会制度っちゅうもんがあるんだよ人間にはな。

クマ:クマにだって厳格な生きるための掟があるぜ。それを破っちゃ生きていけねんだよ。

人間:お前、どの地方のクマだよ。なまってるじゃないか。あれか、やっぱりクマにも下町育ちなんてあるのかよ。

クマ:当たり前よ。クマにだって生息する山域によって言葉も違うし暮らしぶりだって違うし、人間と何も変わりゃしねえよ。

人間:全く、口の悪いクマだ。兎に角だ、ここに出てこられりゃ困るの。早く、山に帰れよ。

クマ:山にいて良いことがありゃこんなとこには出てこないよ。大体、人間が採りもしない柿の木やクリの木を一杯植えといて「どうぞお食べ下さい」って言ってるようなもんじゃないか。山の奥まで住んで残飯を家の外に置いときゃそりゃ俺たちだって御馳走を皿に盛って置いてあるようなもんだからつい、釣られて出てくるわさ。

人間:仕方ないだろ。昔の人達は食べるものがなかったから実のなる木を沢山植えたんだけど植えた人ももう居なくなって食べるものにも困らなくなってから誰も実を採らなくなったんだよ。何もお前達にやる為に置いてある訳じゃないよ。

クマ:そんな人間の訳のわからない理由なんて俺たちクマには関係な~いね。俺たちは餌があれば食う。邪魔する奴は追い払う。それだけ。

人間:何て馬鹿なクマなんだろな。だから撃たれちゃうんだよ。出てこなきゃ撃たれる事もないのに。人間に迷惑をかけるような事するから撃たれるんだよ。

クマ:人間は飛び道具を使い、俺たちゃ爪が武器と昔から決まってる。だけどな、昔は人間も俺たちクマも食うか食われるかの真剣勝負をしたもんだぜ。それこそ命をかけた勝負だったぜ。どっちが勝っても恨みっこなしだ。お互いにそれだけ腹を据えて戦ったもんだ。

人間:お~やだやだ。なんて野蛮な・・・もうそんな時代じゃないんだよ。第一、もうそんな昔のマタギみたいな生活を送っている人なんていないよ。文明は進歩するんだよ。もうそんな野蛮な真剣勝負なんて時代遅れなの。

クマ:人間ってのは勝手な生き物だよな。昔は俺たちの仲間を殺して「熊の胆」なんて言ってえらい高い値で俺たちの内臓を喜んで食ってた癖に、今はもう用が無いってか・・ヘン!そのうち罰があたるぜ!

人間:罰があたるのはそっちだ。人間様に危害なんて加えるから罰が当たって撃たれたりするんだよ。撃たれたくなけりゃ早く山の奥に帰った帰った。

クマ:全く、帰れ帰れと煩いやっちゃ。そんなに俺たちが邪魔なら自分たちが都会に帰ったらどうだよ。山奥まで進出せずに大人しく都会に纏まってマンションとかいう建物で人間達でまとまって住んでりゃいいじゃん。そうすりゃ俺たちと出会う事もないだろさ。

人間:何で俺たちがお前達に気使って遠慮しなくちゃならないんだよ。お前らこそ山の天辺で固まって大人しくしてろ。

クマ:残念でした。俺たちには人間みたいなややこしい決まりごとはないの。自分たちが住みたいところで住むし、食べたいものを食べるし、行きたいところへ行くの。

人間:あ~もう、メンドクサイ奴。早く帰れったら帰れ。

クマ:お前らこそ帰れ。

2010/10/18

時計

 先日、遅い夏休みをとって久しぶりに女房と二人で海の傍で海風に吹かれてきました。女房と特に用事がなくて旅行するのは新婚旅行以来で本当にウン十年ぶりの旅行になりました。

 夏休みが何時取れるか分からなかったのでギリギリの日程になった為に朝早い飛行機の便しか取れずに夜明け前に羽田に向かうバスに乗らなくてはならず慌てて出発したのですが運悪く私の腕時計が狂ってしまいました。

 私の腕時計は電波式ソーラー時計になっていて普段、長い時間使わないと、時間表示が消えてしまいます。オマケにタイミングが悪いと標準時間の設定が狂ってしまい、そうすると1月1日の0時になってしまいます。その時も丁度、そういう事になってしまい、そうなると嵌めていても意味がないので「マア、いいか。久しぶりの夏休みだから時間は忘れてしまおう」と思い腕時計を外してしまいました。

 それでも飛行機や乗り継ぎの時間があるので最低限は時間を知る必要があるのですが、それは携帯電話の時間表示をみれば事が足りるので、何とかなるだろうと思って出発しました。

 さて、身近に時計というものが無くなって時間を忘れる事に決めると人間、どうなるでしょう?試してみました。先ず、どっかに時計がないかと探し始めました。バスの中にいるときは運転席の上に時計が表示されるので問題ありませんでした。というか、やっぱり時計を気にしていました。

 空港に着くとこんどは出発ロビーのどこかに時計がないかやっぱり目で追っています。これが以外と無いものですね。それでも飛行機に間に合わないといけないので携帯電話の時間表示を見たりしてやはり時間表示は必要でした。

 飛行機に乗って現地につくと今度はレンタカーとかの約束があってやはり時間が気になります。その後、現地に着いてしまえば今度はその日のスケジュールが気になって行きたいところの見学時間が気になったり、やっぱり時間表示が必要でした。

 その後、その日の宿に着いてからは特に必要はなかったのですが食事に行くのにそこの営業時間が気になったりして結局、その日一日、腕時計を外してみたものの結局時間表示から逃れる事は出来ませんでした。

 次の日からは特に決められた日程はないので自分たちのペースで自由に動けばよいのですが、それでも朝食の時間に遅れないように行かなくてはならず結局、部屋の時計を気にして宿の食堂に食べに行き。それからその日の予定の場所に移動する事になりました。

 それからは余り、時計を見る必要は無かったのですがその日、行った先で開催される様々なイベントの時間を気にして会場の時計を探してみたりとやはり時間から開放される事はありませんでした。

 こうしてみると仕事から解放されて折角、時間を忘れるチャンスなのに結局、時間の束縛から離れる事は出来ないものですね。というか、その気になれば離れる事は可能だと思いますがその為には一切のスケジュールというものから開放されないとダメですね。

 「今日中にあれをしなくちゃならない」とか「これに乗らないといけない」なんて事を考えているとダメですね。先日のチリの炭鉱事故で地下に閉じ込められた人達はどんな思いで時間が経過するのを待った事でしょう。時間というのは気にすれば気にするほど経過が遅く感じたり、余り時間を気にしないで過ごしていると一日が短かったりしますよね。

 私なんかとにかくボ~としているのが一番幸せなので(今はやむ終えずボ~としてられませんが(笑))時計がなくても本当は全然大丈夫と思っていたのですが日常、色々なものと関わって過ごしていると意外と時間の制約を受けてしまうから時計は必需品になってしまいますね。

 そういえば私の車にも時計が付いていますが何故かいつも少しずつ遅れていきます。なのでいつも大体、5,6分遅れています。でも遅れているのを知っているので別に困りません。

 日本人は几帳面な性格なので列車の運行とかも1分も狂わないで運行するのが当たり前ですが例えば5分おきに列車がくるなら別に遅れても問題無い様にも思います。

 そう言えばここ八ケ岳の南麓に引っ越してきて仕事を始めてみると地元の業者さん達が打ち合わせの時間とかに平気で遅れてきたり、約束の日を忘れたりする事が多く、初めはイライラしましたが段々、慣れてくると「そのうち来るだろ・・・」何て思えるようになってきてこれってよい事でしょうか?悪い事でしょうか?

2010/10/09

ありがとう

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知り合いが小さな写真集を作ってくれました。タイトルは「ありがとう」。内容は仕事の関係で最近、完成して引渡しが終わったばかりの住宅のオーナーさんと家の内・外部や周辺の様子を撮影した34ページ程の小さな写真集。その写真が掲載されたページの片隅に一言だけ「ありがとう」と小さく書かれている。他に、写真の説明も何もない只、「ありがとう」という言葉だけが刻まれています。それがとても良くてすごく気に入っています。

 知らない人が見たら何で「ありがとう」なの?と思ってしまうほど小さな「ありがとう」その意味は??それはその写真集を見た人がそれぞれ感じて貰えればよいと思う。

 その家の建築にあたってはお施主さんと親しく色々、話をさせて貰ってとても楽しい仕事をさせて頂いた。そういう意味でも「ありがとう」。とても自然を大切に考えてくれて敷地に立っていた木を出来るだけ使わせて貰った。そういう意味でも「ありがとう」。施主の方に色々な夢を語って頂いて色んな事に挑戦させて頂いた。そういう意味でも「ありがとう」。自分たちが知らない事を沢山、教えて頂いた。そういう意味でも「ありがとう」。

 この写真集を作ってくれた知り合いはこの家の台所の流しを造ってくれた会社の社長さん。わざわざ大阪から東京に仕事で来た帰りに寄ってくれて写真集の素材となる写真を一杯撮っていってくれて素晴らしい写真集を造ってくれた。だから「ありがとう」。

 誰しも生きていれば楽しいことも辛い事もあるけど一人じゃないって思えることはとても幸せなこと。僕はそういう意味ではとても多くの人に支えて貰っている。というか一人では何も出来ない。だけど廻りで支えてくれる人達がいるから何とかやっていけている。だから支えてくれる皆に「ありがとう」。

 以前、仕事が上手くいかなくて自宅でふてくされていると女房から「何があっても、(ありがとう)って言ってると上手くいくんだよ」と言われ「バカ、言ってんじゃないよ。何でも(ありがとう)って言っていれば上手くいくんなら幾らでも言ってやるよ」なんて夫婦喧嘩していたのですが、まあそりゃそうですよね。喧嘩している相手に「喧嘩してくれてありがとう」何て言えば余計怒りますよね(笑)まあ、別に喧嘩している相手に「ありがとう」なんて言う必要はないのですが、確かに「ありがとう」という言葉の響きは人を幸せにする優しい響きを持っています。

 色んな事に「ありがとう」と思える穏やかな心の状態を保てることはストレスの多い現代では大変難しい事かも知れませんね。どうしても相手を負かしてやろうとか怒ってやろうとか思っていると「ありがとう」という言葉は素直に出てきません。心から「ありがとう」と言える事はとても穏やかな心理状態を保っていないと言えるもんじゃありません。

 だけど例え少し不満を持ちながらでも「ありがとう」と言っていると何だか本当に「ありがとう」になってくるような気がするのでしょうね。言葉が先に出て心が後から付いてくるといったところでしょうか?私にはその辺りの微妙な心理分析については良く分かりません。だから夫婦喧嘩になるのですが(笑)・・・・

 しかし言葉の力というものは凄いものです。最近はどうも携帯の普及に伴って言葉での意思疎通というものが足りなくなっている様な気がします。だけど文字にして伝えるというのは時として表現がきつくなる事があります。文字として残ってしまうというのも必ずしも良いことばかりでは無いような気がします。

 お互いの顔を見て話して、話した後は聞いた人の記憶の中でだけで存在する事の方が幸せって事もありますよね。その言葉を忘れないように心の中で噛み締めるっていう技術も大切な様な気がします。

 ストレートに文字を投げつけるのではなく同じ事を伝えるにも笑いながら伝えるか、怒りながら伝えるか、無表情で伝えるか、関西弁でつたえるか、標準語で伝えるか・・・それで受け止める側の受け止め方が変わるから不思議です。

 「ありがとう」を真っ直ぐ相手を見て伝えるか、うつむきながらボソッと伝えるか、抱きついて伝えるか、それによって「ありがとう」の伝わり方も変わる。

 この写真集の「ありがとう」はどちらかというと聞こえるか聞こえないか位のか細い声でそっと呟いている。この森の囁きを読んでくれてる貴方にも小さな声で「あ・り・が・と・う」

2010/10/05

森の中で眠れる?

 以前、東京でサラリーマンをしていた頃は非常に寝つきが悪い方でした。うっかりすると明け方まで寝付かれずにウトウトしてた、何てことがしょっちゅうありました。

 当時の私の上司はひどい睡眠障害を持っていて、いつも会社でうたた寝をしており、病気の事を知らなかったので「この人はどうしていつも会社で寝てるのだろう」と思っていました。

 或る日、その上司と海外出張に行くことになりその時に病気の事を知らされほぼ毎日、明け方まで眠れず本を読んでいると言っておられました。

 東京でのサラリーマン生活に区切りをつけて森の生活に移ってからは滅多に眠れないなんて事は無くなりましたが、一番嬉しかったのはこちらの仕事が当初、もろに肉体労働だったので兎に角、一日の仕事が終わるとヘトヘトに疲れていて毎晩、飯食ってビール飲んで風呂入って、疲れて寝る、というこの当たり前の日常が嬉しくて朝まで泥の様に眠っていました。

 その時に人間にとって幸せって何だろう?何て事を考えましたね。都会で働いていた頃は昼の仕事が終わっても接待とかで深夜まで飲み歩き、次の日になってからタクシーで帰宅なんて生活をしていたので「さあ、仕事終わり。急いで寝ましょう」何て言われても(誰も言わないけど)そう簡単に眠れませんでした。所謂、頭が冴えて眠れないという状態でしたね。

 それがこちらに来てからはマア、眠れる、眠れる(笑)風呂入ったあたりから頭が朦朧とし始めてうっかりすると浴槽のなかで寝てしまい。湯船に頭を突っ込んでビックリして起きるなんて事もしょっちゅうあります。この浴槽の中で寝てしまうという癖は本当に良くなくて、目覚めた時は最悪です。気持ちが悪いの何のって思わず吐いてしまいそうになります。そんな時はやっとの思いで浴槽を這い出て寝室に直行です。

 私は床の上に直にマットレスを引いてその上に敷き布団をしいて掛け布団は羽毛布団を一年中掛けています。冬はその上に毛布を一枚かければ大丈夫です。その代わり夏も掛け布団を掛けとかないと風邪ひきますけどね。

 以前は枕が大嫌いで何処に行っても枕を蹴落として寝ていましたがここ数年は低反発枕というやつにぞっこんでして、これが来てからは必ず枕をして寝ています。ところが何故か朝起きるとひっくり返ってうつ伏せになっていますが・・・・

 以前、書いたように寝る前には必ず本を読む習慣があるのですが意識が朦朧とした状態ではせいぜい文庫本の数行しか読めない夜なんかもしょっちゅうです。そんな時は布団にねっころがった途端に「あっこりゃだめだ寝てしまう」と瞬間的に感じてしまい、そういう時はマットレスに体が沈んで行く感覚に襲われてしまい「ああ・・シアワセ(笑)」てな感じで朝までバタンキューです。昔の睡眠障害は何処行ったという感じです。

 以前は仕事で出張行ってもよく言う枕が変わると眠れない状態でしたが最近は歳をとったせいかどのビジネスホテルに泊まっても平気で眠れる様になりました。しかし、考えてみるとこの疲れて眠れるという環境は本当に人間にとって幸せな事かもしれません。

 特に、昼間、肉体労働で汗だくになって疲れて寝てしまうというのは一番幸せな事ではないでしょうか?サラリーマン時代なんかは特に激務でストレスが溜まるような仕事をしていた訳ではないのに、自分では気がつかない心のストレスが掛かっていたようで変に寝付かれない事が多かったですもんね。

 当時暮らしていたアパートも国道246号線にほぼ面していたようなもので一晩中、車の往来の音や救急車の行きかう音、暴走族のバイクがけたたましい騒音を撒き散らせながら走り回ったり、夫婦喧嘩の音が聞こえてきたり、こうやって書き出しているだけで嫌になってきます。

 そんな、些細な事がストレスになっていたのかも知れません。森の中の我が家で今、一番夜中に煩いのはキツネの鳴き声です。このキツネの鳴き声という奴は「ギャーギャー」とけたたましく煩いのですが何故か暴走族の撒き散らす騒音とは全く違う煩さなのです。生き物が理由があって出している声なのでそう感じるのかもしれません。あとは鹿の鳴き声、これは「キーン、キーン」という警戒音です。これはキツネの鳴き声よりはよっぽど上品で全然、大丈夫です。

 その他には我が家には人工的な音というものが全く入ってきません。ある意味、都会での生活に慣れた人にはとても怖くて(笑)暮らせない環境かもしれませんが、これが慣れてしまうと天国なんですね~。あなたは森の中でぐっすり眠れそうですか?

2010/09/27

本との付き合い方

 私は毎晩、寝床で本を読むことにしています。子供の頃はガキ大将で外で悪さばかりしていたので本とは全く付き合いがなく、それが今でも悔やまれるのですが今更、悔やんでも遅いので、せめて今からでもと毎日、寝床で本を読むことにしています。お陰ですっかり視力が落ちてしまい、余り良くないのかも知れませんがそれしか時間が取れないので夫婦で寝床で本を読む習慣が付いてしまいました。

 その為に寝床にはこれから読む本と既に読み終わった本がうず高く積み上げられていて、もし地震がきたらきっとこの本の下敷きになって息を引き取るかも(笑)と真剣に思っておりいつかその前に片付けなくてはと思っています。

 東京でサラリーマンをしている頃は通勤時間に2時間ほどかかったので、あまりにその時間を持て余してしまい。最初は新聞やらを広げて見ていたのですが荷物になるし混雑すると見にくいしと言う事で何となく本を読むようになったのが現在の活字中毒の始まりなんですが、いつしか読書記録を付けようと思って付け始めたのは良かったのですが或る日、パソコンが壊れてすっかりデータをなくしてしまい、それから再度つけ始めた記録が現在約500冊程度です。

 東京にいる頃は近くに図書館があったので良く子どもたちの本と一緒に借りに行きましたが現在の山の中の生活では図書館に行く機会も段々減ってきて、時たま本屋に行って当分の本を買い漁ってきたり古本屋に行って掘り出し物を探したり、最近は話題の本をネットで購入したりというのが購入のパターンですね。

 たまに出張や旅行に行く移動時間は絶好の読書タイムで他人からは「良く酔わないね」と言われますが面白い本を読んでいる時は全然、気にならないですね。ただ、困るのがクライマックスシーンや泣かせる内容に引き込まれてしまうと涙が止まらなくなってしまってバスや電車で隣に知らない人が座っていたりするとメガネが曇った振りをしてそれとなく瞼をぬぐったり目が疲れた振りして目頭を押さえたりしてしてごまかさなくてはならなくて(笑)本当に困ってしまいます。

 そりゃ、隣に座ったイカツイオジサンが突然、肩を震わせて泣いてたりしたらどう見ても可笑しいですもんね。こっちもそりゃ気にします。

 特にこの季節は長編モノを読みたくなる傾向があり読書好きにとってみてはタマラナイ季節ですね。それから、最近は本屋に行くと「店員オススメ」とか「本屋大賞」とか「このミステリーが面白い」だとか活字中毒者にとってはタマラナイ誘い文句が店内に充満しておりもう、「全部くれっ!」と思わず叫びたくなる状況です。事実、中をペラペラと読むとあれもこれも面白そうで迷う迷う(笑)。

 最近はそんな本屋事情も変わってきて世界的な電子書籍ブームで紙の本が減ってくるのではないかと思われます。事実、なかなか本屋さんの経営も苦しいんだそうです。私にとっては少し寂しい感じがしますがこれも世の中の流れなんでしょうかね。

 そりゃ枕元にうず高く積まれた本の下敷きになって死ぬより電子書籍の端末一つで身軽にアチコチ持って行けたら便利で、そうなれば旅行かばんに何冊も本を詰め込んで移動する必要もなくなり、それはそれで便利かもしれません。

 でも何だかそれだと本の装丁や挿絵や持った感触やカバーの質感が味わえなくて少し寂しいですよね。でも字を読むという作業そのものは余り変わらないのだからそれはそれでも良いのかも知れません。それでも今まで読んだ本でやはりこれは最高だったという本はやはり持った感触や装丁の雰囲気を覚えていて私みたいに感覚だけを頼りに生きている人間には大切な感覚で有る事は間違いなく難しい選択ですね。

 家で読むときは原本で、移動するときは電子書籍で、なんて住み分けられたら便利でしょうね。

 これからも活字という媒体は人間のコミュニケーションのツールとしては大事な手段で有る事は間違いないと思いますが、その手法は段々、変わっていくのでしょうね。

 文壇の書評や様々な大賞でも最近は若い作家の方が活躍されていて、それはとても未来にとって明るい材料で素晴らしい才能が育っているなと感じます。そして、その本を原作とした映画の世界も広がってきてそれはそれで又、面白い現象だと歓迎しています。

 自分が原作を読んだ時に抱いたイメージと映画になった時に見た感覚が果たして一致するのかそれとも全く違ってしまうのか?それは原作を先に読むか後で読むかによっても大きく違ってきます。そんな捉え方で本との付き合い方を考えるのも面白いかもしれません。私は断然、原作を先に読みたい方ですけどね・・・

 さて、先日、飛行機の中で涙が止まらなくなって困った文庫本の最終章、今晩はじっくりと寝床で読もうっと。

2010/09/20

B級グルメな秋

 暑かった今年の夏も漸く観念して八ケ岳高原の空気もすっかり入れ替わり涼しい秋風が吹くようになって来ました。

 この季節になるとここでも色んなイベントが開催されるようになります。昨日はなにやらB級グルメのグランプリで地元甲府の「甲府鳥モツ煮」が見事グランプリを取りました。

 この「鳥モツ煮」なぜか地元では蕎麦屋のメニューで必ず出ます。近くに大衆蕎麦屋がありそこでは「蕎麦のお代わり自由」というメニューがあり、食べた蕎麦の枚数で番付が付けられて店の壁に貼り出されていました。この「蕎麦のお代わり自由」というメニューに何故か鳥モツ煮が付いてました。

 兎に角、肉体労働で腹が減る職業ですので同じ料金で腹一杯食べられるこのメニューが我々の間では人気で昔は良く食べに行きました。この蕎麦を沢山食べるには一つコツがあり、先にこの鳥モツ煮を食べない事だったのです。先にこの鳥モツ煮を食べてしまうと、お腹が張って後の蕎麦が食べられなくなるからというのが勝手に決めた私のコツだったのですが昨日のこのB級グランプリ優勝のニュースを見ていて懐かしく思い出してしまいました。

 もともと、甲府の蕎麦屋さんが昔、捨てていたモツの切れ端が勿体ないので何とか利用出来ないかと考えてつくったのがこのメニューだそうで、それで蕎麦屋さんのメニューになったと言う訳です。しかし、これが一番美味しいB級グルメに選ばれるのですから分からないものです。

 この辺りは山岳地帯なので料理の素材としてはそんなに有名なものや飛びぬけて美味しい料理というものが無く「ホウトウ」がかろうじて知られている程度です。特に私なんか海の近くで育ったのでいつも新鮮な海の幸が手に入り当たり前のように美味しい刺身や魚料理を食べていました。だからここ八ケ岳高原に来て一番ガッカリしたのは美味しい刺身が食べられないという事でした。スーパーで刺身を買ったらまだ凍結していてシャリシャリと口の中で音がして泣きたくなりました。

 地元の高級料理で「煮貝」というのがあり贈答品として数万円するものもありますが元々は海で採れた貝を山梨まで腐らせずに運ぶ工夫として考案された料理のようです。

 この辺りは山に囲まれているので時々「ジビエ料理」として猟師さんが取った獲物を食べるのに呼んで頂ける事があります。イノシシ鍋なんていうのもその一つですね。イノシシの肉は臭くて新鮮でないと中々食べられないのですが、一度、イノシシの焼肉パーテイーに呼んで貰った事があり、食べ終えた後、自分では気が付かなかったのですが暫らく体中に獣の匂いが染み付いて抜けなくなり困りました。

 地元ではジビエ料理として鹿肉も食べますが元々は馬を良く食べたようで地元の知人から「今日バカ肉料理やる?」と言われ「何それ?」と聞くと「馬肉と鹿肉を一緒に食べるから馬鹿肉」と言って笑われました。

 それから忘れていけないのは「ヘボ料理」「ヘボ」と言っても別に失敗した料理の事ではなく地元の人は「地蜂(ジバチ)」の事を「ヘボ」と言います。このジバチをとってその幼虫を食べるのです。

 どうやって捕まえるかというとジバチが居そうな所の木の枝に鶏肉でも何でも餌をぶら下げます。それを取りに来たジバチを捕まえてその足に飛ぶのに支障が無いように糸とか綿とかの目印を括りつけて離すのです。そうして飛び立ったジバチを何人かの男たちで見逃さないように一斉に追いかけるのです。

 皆、いい歳した大人が空を見上げて「あっちだ!こっちだ!」といいながら追いかけるので知らない人にとっては何事かと思えます。そしてこのジバチが巣に戻ったところを確認して後で巣を掘り出して幼虫を取り出すのです。大抵、近くの地面の中に巣を造る事が多いので皆で地面を掘り返して巣を取り出します。

 そしてこの幼虫を軽く焙ってそのまま食べたり、ご飯の上に掛けて食べたそうです。当時としては貴重な蛋白源であり子供達のおやつとしても又、大人の娯楽でもあったようですが、今では高級食材として知られるようになりました。しかし、このクネクネ動き回る幼虫を見ると最初は中々口には入れられないし、私は今でも遠慮したい食材です。

 そういえば最初にこの町に来て駅前のラーメン屋でビールを頼んだときの付きだし料理はイナゴの甘露煮でした。何とか口に入れたけどあの長い足が歯に挟まって困ったな~(笑)

2010/09/13

暑いのが好き?冷たいのが好き?

 別に食べ物の話じゃありません。今年の夏は本当に暑かったですよね。昨日も仕事で甲府の近くで打ち合わせしてたんですけど昨日の甲府は日本で2番目に暑かったらしくて、とても9月とは思えませんでした。確か37度以上あったと思います。体温より高いし全くどうかしてますよね。

 昔、学生の頃、友人で北海道の網走に住んでる奴がいて一度、私の故郷の高知に遊びに来ないかと誘って年末に一緒に下宿していた東京から高知に帰った事があります。

 12月なのでいくら高知と言っても私には寒かったのですが彼が言うには網走の夏くらい暑いと言う事でした。

 私はもともと高知の出身なので寒さは苦手で、前述の友人のところへ今度は私が冬に遊びに行く事になり函館から入り、すぐさま風邪をひいてしまい、札幌に着いたあたりで余りの寒さに耐えられず友人に電話して「風邪ひいたから俺、高知に帰るわ」と告げて飛行機に飛び乗り速攻で温かい高知に逃げこみました。

 そんな私が標高1000mの八ヶ岳の麓に住むようになるんですから分からないもんですよね。

 昔、ここ八ヶ岳に住もうと決心して土地探ししている時に長野県側の冬の富士見高原辺りを探していて、小雪がチラチラ降って来てこりゃ寒くてタマランと思い八ヶ岳方面に逃げてきましたが用事があって小淵沢駅に車を止めて構内に入ろうとした時、木枯らしが吹いて来て(これが冬の八ヶ岳降ろしという季節風でした)物凄く寒く感じて実は本当はこんなに寒い所に住めるのかなとちょっと不安になったのを覚えています。

 あれから20年の歳月が過ぎて今から考えればあの頃は確かに今に比べても寒かったような気がします。今は温暖化の影響で冬も昔程寒く無くなりました。

 子供達も冬は学校が始まる前に畑に水をまいて造ったスケートリンクでスケートを楽しんでいましたが今ではスケートリンクなんて氷が張らないですもんね。

 私の体もすっかり高原の生活になれてしまい。今ではこの夏の暑さと冬の寒さを比較してどっちかを我慢しなくてはならないと言われれば迷わず「冬の寒さを我慢します」と答えますね。それぐらい今の夏の暑さは我慢出来ません。

 幸い、ここ八ヶ岳高原はお陰さまでそれでも涼しく夏でもエアコンは不要だし、夜も布団掛けないと風邪ひくし、全く有り難い事です。 

 もう夏の高知には住めないかも知れませんね。しかしこのまま温暖化が進むとこの辺りはどうなってしまうのでしょうか?今年はなんだか山の中の木も枯れ出した木が多く、気のせいか木も弱ってきたような気がします。きっと充分な水分がとれないのでしょうね。

 ここ高原の八ヶ岳では感じた事はありませんが高知では暑い真夏の時期、一番耐えられない時間帯があります。それは朝凪と夕凪の時間帯、高知は山と海に囲まれた土地なので朝凪と夕凪という風がピタリと止まる時間帯があります。この時間帯が本当に暑い!海に近いので暑くても風が吹けば比較的我慢できるのですが風がとまるこの時間帯は本当にジリジリとお日様が照りつけて我慢出来ない程暑くなります。高原ではそんな時間帯は感じた事がありません。やはり地形によっても随分違うものですね。

 これから高原は美しい季節を迎えます。高原は綺麗な衣を着て一年で一番美しい姿を見せてくれます。

 それが過ぎると厳しい冬がやってくるのですが今年は薪の備蓄が余り出来てなくてちょっと心配です。

 夏の暑いのは裸になっても暑いので困りますが冬の寒いのは厚着をしてウッドストーブに火が入れば温かいので我慢できるのです。やはり、私は寒い方を我慢する事にします。

2010/09/04

お墓騒動記

 先日、思い立って田舎のお墓を改葬する事にしました。我が家のお墓は高知の小高い山の中腹にあります。子供の頃、良く母に連れられてお墓参りに行った記憶があって、その時に覚えていた道と今の道は全く違って見えます。

 近くに大型ショッピングセンターが出来て新しい大きな幹線道路が通ってしまって廻りの環境は全く変わってしまったのも大きな原因の一つだけど、小さい頃は確か結構な距離を母に手を引かれて歩いていって近くの小川か何かで水を汲んでお墓に持って行ったような記憶があるのですが子供の頃の記憶なのではっきりしません。

 その後、父も亡くなり自分も故郷を出てここ八ケ岳で暮らすようになって段々、お墓とは疎遠になってしまいました。最近、高知に帰った時は時間があれば思い出したようにお墓の様子を見にいっていたのですが、今年の春、訪れた時に結構な雑草にお墓全体が覆われていてこれは駄目だなと思いました。

 それまでも、いつかこのお墓の事も何とかしなくてはならないだろうなと思って心の片隅に片付けなくてはならない仕事の一つとして刻んでいたのですが、この際思いきって処分してしまおうと思いました。

 しかし、処分と言ったって具体的にどうすれば良いか分からないので取り敢えず、この前高知に帰った時にお墓の石(全部で5つ立っていました)を全部デジカメで撮影し石に刻まれているご先祖様や祖父・祖母の記録を全て写し取ってきました。まず、ここからがスタートでした。

 もともと父の遺骨は別の納骨堂に納めていましたので、先ずそこに相談してお墓の処分についての手続きを聞きました。それからその納骨堂の近くにある石屋さんを紹介して貰い既存のお墓の処分方法や費用について見積って貰いました。

 その石屋さんはとても親切で必要な申請について色々と教えて貰い手続きの方法も具体的に教えて貰いました。簡単に改葬といってもまずお墓のある市町村にそのお墓を改葬する旨、通知して改葬許可を貰わなくてはなりません。

 その為には自分がそのお墓に埋葬されている故人とどういう関係になるかを明らかにしなくてはなりません。仕方なく自分の本籍地がある○○市に戸籍謄本の申請をして戸籍謄本を取り寄せました。それから父の本籍地である○○市に父の戸籍謄本を申請しました。そうする事でお墓に埋葬されている私の祖父と私の関係が証明されるので一つのハードルがクリアされます。

 それから高知市のホームページにアクセスして改葬許可申請に必要な書類をダウンロードします。それに必要な前述の戸籍謄本や私の免許証の写し等の必要書類を添付して高知市役所に改葬許可申請をします。

 申請してから2,3日して高知市役所から改葬許可申請について確認の電話が入り、内容を電話で聞き取り調査してそれで一応、申請は受理されて間もなく改葬許可書が送られてきました。

 これで法的な手続きは整ったので、次は実際の改葬に向けての手配をしなくてはなりません。改葬を受け入れてくれる納骨堂の宮司さんと連絡をとり日程の調整をして実際にお墓を掘ってくれる石屋さんとも連絡を取り合いとにかく高知に滞在できる23日の間に全てを終わらす必要があるので時間との戦いでした。

 とにかく何とかそれらの日程を調整し八ケ岳を朝の5時半に出発、羽田空港に行って昼過ぎに高知に着く便に乗り込み、高知につくと直ぐにレンタカーを借りてお墓に直行、この真夏の猛暑の時期に何でこんな事しなくちゃならないんだろうと自己嫌悪に陥りながら何とかお墓に到着、お墓では既に石屋さんが宮司さんと一緒に改葬の御祓いの準備をしてくれていました。

 直ぐに御祓いを始めて無事、終了。翌日の朝から5つのお墓の掘り起こし作業が始まります。翌日、高知での雑用をすませながらお墓を掘ってくれている石屋さんと作業状況を連絡取り合い、午前中で掘り終わるだろうと言う事で午後2時から納骨堂にお骨を持っていくのでそこで待ち合わせする事に・・・途中、何とか用件を早く済ませお墓に直行し作業の終了を確認してその足で納骨堂に直行。

 もうお昼を食べている暇なんかないのでレンタカーを運転しながら途中のコンビニで買ったオニギリを運転しながら食べて何とか約束の時間に納骨堂に到着。すぐに納骨堂の中に入って掘り出した骨壷を納骨し納骨式を宮司さんにして頂いてやっと一連の手続きが終了となりました。

 全部が終わったあと納骨堂の社務所で宮司さんと世間話をして今後の事をお願いしてやっとその日は終了、やれやれ・・・次の日の朝早く又、レンタカーを運転して高知空港に行き、レンタカーを返して羽田空港行きの飛行機に飛び乗って帰って来ました。

 全く、なんでこんな猛暑の真っ只中にお墓の改葬なんかする気になったんだか、兎に角思いついたが吉日、そんな事でもしなかったらお墓の改葬なんてダラダラ延ばすだけですもんね。しんどかったけどこれで肩の荷が下りた気がする。

 ご先祖様、これで許してね。

2010/08/29

ある日の猫の会話

猫1:あのさ、うちの飼い主、今日随分帰り遅いと思わない?もうとっくにおやつの時間過ぎてるのに帰ってこないじゃん。

猫2:あんた、気付いてなかったの?今朝、バタバタと私達のトイレを2つ作って、飲み水用の洗面器もデッカイの2つ用意して出掛けていったでしょ。あれはどっかへお泊りで出掛けて行って、私達には留守番してろっていう事よ。

猫1:じゃ、僕、捨てられたんじゃないよね?

猫2:何言ってんの、捨てる猫の為にご飯用意したりしないでしょ。

猫1:でも、うちの飼い主って間が抜けてるよね。浴室の蛇口から水がチョロチョロ出っぱなしなのに気がつかないで行っちゃったのかな?

猫2:あんた本当に馬鹿ね、あれは私達の為に新鮮な水が飲めるようにわざわざ出しっぱなしにしてくれたんだと思うわよ。

猫1:エッ!そうなの?知らなかった~。でもさ、一体いつ帰ってくるんだろうね?僕達、飢え死にしないかな?大丈夫だよね?

猫2:何時帰って来るかなんて私にも分からないけどこのご飯の量だと23日以上にはならないんじゃないの。そんなに私達を放って置くわけにはいかないでしょ。

猫1:君っていつも冷静だね。良くそんな事分かるよね。

猫2:普通、このくらいは分かるでしょ。あんたが鈍いだけじゃないの?

猫1:ふ~ん、それって普通なのかな?まあ、いいや帰ってくるのが分かればそれでいいや。

猫2:それはそれとして、あんたね、いくらご飯が沢山置いてあるからってそんなに食べると食べ過ぎじゃないの?普通、猫って犬と違っていくらご飯が目の前に置いてあっても必要以上に食べたりしないのが猫ってもんよ。それなのにアンタ、吐くまで食べてどうすんのよ。きっと飼い主達帰ってきたら怒ると思うよ。私、知らないからね。

猫1:だってさ、いつものオヤツ貰えないし、お腹すくし、ご飯は一杯あるし食べたくなるのが猫(人)情ってもんじゃない。それに、僕が吐いたか。君が吐いたかなんて分かりっこないから、もしかしたら君が怒られるかもよ。

猫2:大丈夫、私、今までそんな粗相した事ないし、普段の素行見てたって、どうみてもあんたの仕業って絶対、分かるわよ。私には確信があるもの。

猫1:そんな事、確信すんなよ。僕だって吐きたくて吐いた訳じゃないし、仕方ないなじゃん。気持悪くなっちゃったんだから・・・

猫2:そんな事言って、1回なら分かるわよ、1回なら・・・何で2度も3度も、吐くまで食べる訳!信じらんない。

猫1:分かったよ。そんなに言わなくてもいいじゃん。飼い主が帰ってきたら僕が吐きましたって言うから。それでいいんでしょ。言えば・・・

猫2:吐いた後もそうだけどさ、このトイレ、きたなくしてちゃんとウンコ埋めてないのもアンタだからね。私は絶対、自分のトイレの後は綺麗に穴掘って埋めてるから・・アンタはいつも綺麗にしないから嫌いなのよ。これも、飼い主が帰ってくるまでにちゃんと綺麗にしといてね。それにさ~なんで2つもトイレ用意していってくれたのにこっちばっかりですんのよ。私がこっちにするからアンタはあっちですればいいじゃん。なんで2匹で同じトイレでしなきゃならないのよ。あんたは男なんだからあっちですればいいのにさ。

猫1:だってこっちのトイレの砂の方が新しいし、いい匂いするしさ、気持いいじゃん。君こそあっちの古い方のトイレですればいいじゃん。僕がこっちでするからさ。

猫2:あのさ~普通、女の方が綺麗なトイレ使うんじゃないの。男がここは遠慮すべきでしょ。

猫1:そんなの関係ないよ。誰だって綺麗な方が好きなんだからさ。

猫2:アンタ、最低。だから、飼い主もアンタに呆れるのよ。知らないよ私。きっと怒られるよアンタ。

猫1:そんな事言わないで二人で掃除しようよ。僕もきちんと埋めるから君も手伝ってよ。

猫2:だから、私は自分の分はちゃんと片付けてるって言ってるでしょ。あんたが片付けなさいよ。アンタが・・・

猫1:分かったよ・・そんなに怒んなよ。やりゃいいんでしょ。やれば・・・

猫2:アッ!車の音がする。帰って来た!

猫1:ほんとだ!わ~い。やっと帰って来た。オヤツだオヤツだ!

猫2:だから、アンタは先に掃除しろ!掃除!

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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