2011/03/20

自然は無限の優しさと無限の狂気を併せ持っている

 昔、一人で山によく登りにい行った。何故、一人で行きたいのか自分でも良く分からなかった。単に人と群れることが苦手だったのかも知れないが、ある日、同じ様に山に一人で登っているときにフト思った。今はこの山の自然の中に頼れるのは自分一人だけ、この文明の恩恵に溢れる現代社会の中で唯一、その文明の利便さと縁を切り自分が自然の中の生物の一つだと実感出来るのが唯一、単独登山だと。

 大して高い山に登った訳では無いのだけどそれでも一瞬、確かに一人きりで自然の中に居る事が実感出来た。そんな想いを心の中にしまいながら、いつしか家族を連れて八ヶ岳の山の中に丸太小屋を建てて住み始める事になった。

 山道の行き止まりに建つ我が家は当初、街灯も勿論無く、都会の安全な暮らしに慣れた自分には自然との共生に憧れていながら夜、漆黒の闇に沈む我が家への道を歩く時の恐怖、家族も冬の寒さや学校までの延々続く遠い道のりに幾度か挫けそうになったと後で知らされた。

 しかし、そんな環境に住んでいるからこそ自然は本当に美しい姿も見せてくれた。漆黒の闇に音も無く飛ぶふくろうの美しさ、冬の満月の夜、美しく夜空に輝く雪の八ヶ岳、夜空に流れる美しい天の川、それは住んでいる者にしか見せてくれない自然からのご褒美だった。

 山に住み始めて数年経った冬のある日、八ヶ岳南麓に観測史上初の大雪が降った積雪は約1m、丁度出張で留守をしていた私は家に帰れなくなり出張先の駅の近くの知り合いの家に一晩泊めてもらい翌日、家に帰った。

 いや、帰ろうとしたら道が途中で無くなっていた。除雪車が森の入口まで除雪してくれていたのだがそこには1m以上の除雪された雪の壁が出来ていてその向こうには道と言うものが無くなっていた。

 家までまだ300m程ある。仕方なく家に電話して家から子供達と女房にラッセルして貰い、自分もこちら側からラッセルして途中で会おうという作戦にした。子供達はソリを引っ張って一生懸命ラッセルして来てくれた。森の中で出会えて家族は本当に嬉しそうだった。

 そんな自然の中で暮らしているとフト思うことがある。それは自分も自然の中の一部にしか過ぎないんだと・・・当たり前の事だけど本当は意外と実感するのが難しい。

 特に都会の便利な文明の中に生きているとそれは殆ど不可能に近い。例えば、朝、我が家には新聞が届かない。新聞屋さんが森の中まで来てくれないので森の外まで取りに行かなくてはならない。

 そんな時、最近ふと思った。クマに襲われないだろうかと・・・朝早くは誰もいない。森の中も静かだ。今まではせいぜい鹿の群が森の中からジットこっちを見ているとかキツネが横切るとか少なくても自分に危害を与える動物に出会う可能性は全く自分の頭の中に無かった。

 しかし、最近、頻繁に熊が出るようになりそれは気付きたくなかった事だけど気付いてしまった。そうなった時、自分はその自然の相手と一人で向い合わなくてはならない。本当の自然に近ければ近いほどその自然は美しくそして残酷である。

 1週間前、未曾有の巨大地震とそれに伴う津波が日本を襲った。その光景をカメラが捉え我々は安全な所にいるにも関わらずまるでその場に居るかのように繰り返し報道番組を通して見る事になった。

 想像を絶する津波の巨大な自然エネルギーの前で我々の文明はいかに無力であるか思い知らされた。経済の繁栄を支えてきた原子力エネルギー、それは人間の味方だと誰しも信じていた。

 いや、一部の人達はその危険性をいつも不安に思いながらもその恩恵を受けざる得ない現実を過ごして来たと言った方が良いかも知れない。しかし、やはりそれは決して自然エネルギーでは有り得なかった。

 一度、暴走し始めた文明の象徴は人間の想いとは別に荒れ狂い、まるでそれは自然が時折見せる狂気のような凶暴性の象徴のように人間に挑んでいる。

 今となっては何とか凶暴性を納め元のように静寂を取り戻して欲しいと願うばかりである。

 多くの被災者が苦しんでいる中、私も日常の仕事をこなしながら何とか自分で出来る支援をしようと思う。

 建築界も多大の被害を受けた、それは建物の被害は言うに及ばず建築資材を生産していた東北地方の拠点を失い多くの建築資材が手に入らなくなっている。復興にはまだ時間がかかるものと思われる。

 しかし、本当の復興はまだまだこれからである。時間と共に記憶が薄れていくのではなく我々は冷静にこの甚大な自然災害のもたらした警鐘を謙虚に受け止め次の世代に受け継ぎ、必ず日本の復興を信じ力を合わせて立ち向かわなくてはなりません。

 決して多額の義援金や救援物資で無くても良いのです。自分が出来るほんの少しの助け合いの気持ちが日本の復興に繋がると信じています。皆で力を合わせて復興に向けて手を繋ぎましょう。

2011/03/12

地震発生その後

昨日の地震発生時、丁度事務所で仕事中に揺れが襲いました。

 最初はちょっと揺れた程度で「ウン?何か揺れてる?」といった感じでした。その後、大きく横揺れが来てその後、かなり長い間、大きな横揺れが続きました。スタッフは慌てて外に飛び出し、私は少し様子をみて揺れが弱まるのを待って外に出ました。

 大きな揺れの直後、「バンッ」という音と共に停電しその後、全く情報が入らなくなりました。事務所の外に出てからも揺れが続き、これは大変な地震被害がでると直感しました。

 スタッフと連絡をとろうとしてメールをしましたが全く繋がらず、何とか情報を得ようと気が付いたのが携帯電話の機能として付いていたワンセグテレビでした。

 試してみると何とか写りました。その画像を見て愕然としました。まるで映画を見ているような大惨事の画像が映し出されとても現実の日本で起こっていることとは信じられない光景でした。

 その後、となりの事務所の社長さんが発電機を出してきて「これでTVを見よう」と言ってくれたので何とか発電機を回してTVを付けると先ほど携帯電話のワンセグTVで見た小さな画像が大きく画面に映し出されていました。

 事務所の暖房はすべて電源が切れて使えないのでその事務所の発電機で暖房を付けて貰い隣の事務所でじっと情報を得ながら何とかスタッフと連絡をとり直ぐに帰って来るように連絡しました。

 しかし、携帯は相変わらず繋がりにくくスタッフが自分の子供が学校から緊急集団下校してくるのを迎えに行って事務所に集合したのはそれから2時間後位経っていました。

 市内が全域停電しているので暗くならないうちに家に帰るようにして帰宅しました。自宅に帰って来てからも暗くならないうちにウッドストーブの薪を家の中に出来るだけ運び込み、使える懐中電灯をかき集めローソクも直ぐに使えるように机の上に並べて5時頃から、まだお腹が減っていませんでしたが暗くならないうちに兎に角、何かお腹に入れようと言うことになり電気が使えないのでガス台で肉と野菜を炒めて冷たくなった炊飯器に残っていたご飯をお茶碗に入れて急いで夕食を済ませました。

 それからウッドストーブに火をれて暖房を確保してローソクに火を灯しました。その後、ふと気が付いて昔、友人から貰って使うチャンスもなくインテリアになっていたホヤ付きのランタンが有ったのを思い出し、早速灯油を入れてこれも火をともしました。

 それから忘れていけないのはラジオ、これは以前からいざと言う時の為に手巻きのラジオとライトが一緒になった優れものを用意してあったのでそれからは、ず~とラジオを女房と2人で聞いていました。

 しかし、そのうちに、もうすることもないので「これはもう寝るしか無いね」と言うことになり風呂にも入れないので寝る事にしました。

 しかし、そこでフト気が付きました。「待てよ、このまま停電が続くと今晩の外気温は氷点下6度は間違いないところ・・外の配管に巻いてある凍結防止帯のヒーターは切れてるからボイラーか配管がこのままではパンクする可能性があるな」と・・・仕方ないので一度脱いだ防寒着を再び着込んで懐中電灯を持って外にでて配管の水抜きをしました。

 やれやれこれで一安心と思い、寒さに震えながら布団に包まって寝ようとしたら今度は携帯から緊急地震情報がけたたましく鳴り響き、結局この携帯電話の緊急地震情報がその後も何回も続き、結局朝まで一睡も出来ず仕舞いでした。

 次の朝、夜明け近くに試しに枕元のデスクスタンドのスイッチに触れるとパッと電気がつくじゃないですか!こんなに電気が有り難いと思ったのは久しぶりでした。

 その後、事務所に出社すると電話は通じず、パソコンはネット接続が繋がらず何やらテンヤワンヤしているうちにあっちこっちから「ボイラーがパンクしたので何とかして欲しい」との連絡がたてつづきに入り、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと一日ウロウロと走り回って一日が過ぎてしまいました。

 その間、横目で見ていたTVからは信じられない光景が次から次へと放送されとても現実とは思えませんでした。

 災害に遭われた多くの皆さん、心よりお見舞申し上げます。何とか力を合わせて頑張りましょう!

2011/03/05

そっとしといてくんない?

 ここ数日、地元で中部横断道の建設アンケート調査が始まり我々、地元に住んでいる人達の間で騒動が起こっている。

 そりゃそうだ、私には何でこんな美しい自然があふれる場所に無粋な高速道路を今、造らなくてはならないのか理解出来ない。誤解しないで欲しいので私は何でも反対というのでは無いのです。自分達もこの美しい自然に魅せられて移り住むに当たっては少なからず自然に影響を与えているのだから自分達だけが住んでて後は兎に角、何もしてはダメと言っている訳ではありません。

 今、日本が抱えている経済の停滞や少子高齢化に伴う福祉対策の財源確保が懸念されている状況で、それでもこの中部横断道の建設が優先されるべき事案なのかなという事です。

 アンケート調査は産業活性化や緊急車両の搬送時間短縮等、いかにもといった建設ありきと思われる質問設定になっていましたが、そんな事は言われなくても分かるのですよ。それでも今、地元が抱えている過疎化や高齢化に対する解決策にこの中部横断道が寄与する事があるのだろうかと疑問に思ってしまいます。高速道路が出来る事によるメリットや経済効果等をチラつかせて建設推進を計ろうという古いやり方はもう止めませんか?

 せっかく日本が長期に渡る単独与党政権が崩壊して変わろうとしている時、いや、国民が変革を選択したというのに、この国は又、元のような利権にまみれた道路行政に戻ってしまうのでしょうか?私自身は今の地元道路の現状にこれ以上の便利さは必要ないのではないかと思っています。

 そりゃ、砂利道でデコボコだらけの道もあるし不便なところは確かにあります。私が住んでいる森の中も引っ越してきた当初は砂利道でした。

 それが森の奥に別荘地が開発され開発に伴う条件として道路整備が義務付けられ舗装道路になり随分便利になりました。でも、そんなある日、森に土砂降りの雨が降った後、道路は川のようになってしまいました。今までは砂利道で降った雨が自然に浸透していたものが舗装されておまけに別荘地に多くに家が建ったために雨水が浸透出来ずに一気に道路を川に変えて落ちてきたのです。便利さの影には必ず失うものがあるのです。

 私も家を建てるのに木を伐りました。だから偉そうな事は言えませんが大規模な開発は急激な自然の変化を及ぼし、それを元に戻すには又、長い年月がかかります。場合によっては2度と元には戻らない事だってあります。

 私が引っ越してきた当初、私の家の奥には大規模リゾート開発の予定があってホテルだとかゴルフ場や牧場までが備わったそれこそ一大リゾート計画でした。

 開発には隣地住民の同意書が必要ということらしく地元の知りあいの方がその施工会社に勤めておられてある日、同意書に判をついて欲しいと来られました。

 知りあいという事もあり私も言いにくかったのですが「この同意書に私が印鑑を付かなければこの計画は出来なくなるのですか?」と聞いたら「いえ、そういう事はありません」と言われたので「それじゃ、申し訳ないけど私はこの同意書にハンコは付けないです」とお断りしました。

 だって、印鑑を押そうが押さなかろうが計画が実施されて単に、開発業者の開発推進に協力する為に名前が使われるのは納得出来なかったからです。幸い、その計画はバブルがはじけて中止になりました。

 今回の中部横断道も国の国家プロジェクトとしてどうしても早期に建設実施が必要でその為に協力しろと言うのならまだ分かります。でも、とてもそうとは思えないのです。既に計画がスタートしていて今更やめれないから兎に角、進めるしかないんだという今迄の日本の古い体質がまだ抜けてないんだとしか私には思えません。

 私は以前、勤めていた会社の仕事で成田空港の開港を控えて空港に勤める予定のその会社の社員寮を成田に建てるべく建設現場で働いていました。

 でも、その時思ったのです。「どうしてこんな所に国際空港を造らなくてはならないのだろう?世界で最も不便な国際空港と言われ、地元の方がこれほど厭がっているのに何故、国は多大な費用を掛けてこんな不便な所に空港を造らねばならないのか?何故、羽田じゃだめなんだろ?」その時の詳しい国の事情は私なんかには分かりません。

 今、羽田空港の国際化が進み徐々に成田から羽田に国際線が移りつつあります。国は自分達が間違っても決して間違えましたとは言わないところです。

 いつまでこんな事が続くんだろうと今回の中部横断道についても思いました。一旦、造ってしまうと成田空港も今更、羽田が国際化されたら困るという事に絶対なります。伊丹空港の時もそうでした。あれ程騒音被害に苦しんでいたのに沖合に関西空港移転案が出ると途端に移転反対と言いだす人も出ました。そりゃ当然だし、そういう意味では沖縄も同じような問題を抱えていると思います。それ程、地元の人の心には大きな影響を与えてしまうのです。

 せっかく穏やかに静かに暮らしているんです、そっとしといてくれませんかね。これ以上、不要な道路を造るのはやめようじゃありませんか。今、道路よりも大事なものがありませんか?

2011/02/26

全国一斉月齢伐採第2回サンプリング調査

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 今日は昨年10月末より実施している全国一斉月齢伐採の第2回目のサンプリング調査を行ないました。

 昨年10月末より下弦、新月、上弦、満月の4回に渡り全国11箇所でそれぞれ3本ずつ木を伐採して山で葉をつけたまま葉枯らし乾燥をさせてその成分の変化を調査しようという実験が行なわれています。

 今回は伐採3ヶ月後の様子を伐採した木からサンプルを伐り出して冷凍パックして研究機関に送って調査をお願いしようという訳です。

 山梨では当社が担当しているのですがちょうど先週降った雪が森の中にまだ残っており「こりゃ無理かな・・」と思っていたら、このところの気温上昇で雪がすっかり融けてくれて何とか今日、サンプリングを実施する事が出来ました。

 しかし、スタッフに手伝って貰って森の中に入り、昨年末に伐採して倒されている12本の木を探し出して木口に記録されている全国共通の番号を確認してその木口から新たな切片を伐り出して、そうすると元の木の木口には記録されていた番号が切り出されて消えてしまうので又、新たに番号を書き直して、そうしながら写真撮影も行なってと・・・やっと12本の木からサンプルをそれぞれ2つ計24個の切片を伐り出したかと思えば、今度はそれを車まで運んでから加工場に持ち込まなくてはなりません。

 その後、指定された大きさに切片をカットしてサンプルを冷凍する為に野菜パックに詰め込んで自宅に持ち帰り、取り急ぎ冷凍庫に24個の木片を放り込むまでが本日のノルマでしたがそれでも何やかやで半日も掛かってしまい、ヤレヤレでした。

 しかし、この実験はまだまだ続き、今度は伐採6ヶ月後のサンプリングをしなければなりません。本当に木に関る実験というか調査には長い時間がかかります。

 それでも先日、実験の取り纏めをして頂いている森林組合の方にお会いして少し話を聞きましたがどうやらバラツキはあるものの全国的に月齢による変化は確かにありそうだとの情報を得て、まだまだ最終的には研究をお願いしている京都大学の正式な調査結果報告が出ないとなんとも言えませんが何だかドキドキです。

 こういう実験は例えどのような結果が出てもなんだかロマンが有って楽しくないですかね。「木は月を見て踊っている」なんて言葉もあって最初は僕らも好んでこのセリフを使っていました。

 しかし、日本は南北に長い国ですので木にも当然、地域差があって中々、一概には月齢による変化は言えないだろと言う事で、それじゃ全国で一斉に伐採してみようじゃないか、それなら文句無いだろ・・・なんて別に文句をいう人が居た訳ではありませんがとかくこういう話は「胡散臭い」と思われる人も確かに居られるわけで、それじゃ兎に角、全国で協力してくれるところにお願いしてやってみようじゃないかとなった訳であります。

 「ところで山梨はどうするんだ?」と言われ「それじゃ私がとりあえずやります」となった訳ですが、さてさて、結果がどうなるか?今から本当に楽しみですね。

 えっ?何?結果が出たら教えろ?そりゃ勿論、どんな結果が出ても報告致しますです。ハイ。


 
 

2011/02/20

facebook始めました

「エジプト人もすなるfacebookを我もしてみむとてするなり。」

 仕事の関係でfacebookをしなくてはならなくなって始める事にしました。今までミクシイはしていたのでそれ程違和感はありませんでしたが、昨今、世界中で話題になっている通信手段だけあって瞬く間に関係が広がっていくのが分かります。

 正に、「友達の友達は友達だ」状態ですね。一国の政権が崩壊してしまうような力を持っているだけあって一種恐ろしい様な気も正直しますがそれにしてもこれを考えた人間は凄いですね。

 私はどちらかと言うと、こういうのが苦手なので出来れば避けて通りたかったのですが時代の流れといいますか、食わず嫌いはいけないと言うか(笑)人に背中を押して貰いヨタヨタと仕方なく始めた訳ですが登録して直ぐに高校の同級生やら仕事の関係者とかでドンドン繋がっていってもう10数年も音信不通だった友人から連絡が来たり、本当にfacebookやるな~といった感じです。

 発端は先日、東京で実施したイベント企画に参加したのが始まりなのですが、それは今年が国連が定めた国際森林年にあたり「我々、木に関わる仕事をしている人間達も、もっと一般の若い人達に自分の国の森に興味を持って貰わねばならぬじゃないか」とよせばよいのにエラそうな事を口走ってしまったもんだから「それじゃ、お前も手伝え」と言うことになってしまった訳です。

 そのイベントの中で中心になって活動して頂いている方がやはりこういう世の中のヒット作品を企画していく人だった為に「山の人達も申し訳ないがもう少しパソコンに慣れて欲しい。facebookはやって貰わないと困る」とハッキリ言われてしまい、「そりゃそうだいくら森林破壊がどうの新月伐採がどうの葉枯らしがどうのと理屈を言ったって次の世代を担う若い人達に興味を持って貰わないとどうしようもないよな」と納得してしまったと言う訳です。

 このfacebookが他のネットワークと違うのは実名で登録と言う事ですね。他のネットワークの場合だとハンドルネームだったりして自分の素顔を隠して会話する事ができるのですがfacebookは実名なので堂々と自分のプロフィールを出してしまうというところが凄いですね。

 勿論、公表する範囲は自分で選択できるのでそういう意味では他のネットワークと同じですが実名だというところが一番の違いですね。

 それから登録している情報からネットワークが無限大に広がっていくようになっていて「友人かも?」なんてメッセージが入るとつい調べてみようかなと思ってしまうのでそこが又、ネットワークを広げる仕組みになっているのでしょうね。

 正に「ネズミ講」の様な仕組みですね(今時、言わないか・・・)私の基本的な考え方は「人はいつも誰かに支えられて生きている」と思っているので出来れば直接会って話をして目を見ながら対話をしたいと思っているのですがどうしても時間的、距離的な制約があって直接会える人数は限られてしまいます。

 それに比べてfacebookはより多くの人達と短時間に距離感を超越して繋がっていく事が出来るのでそれは凄い効果があると思います。

 しかし、気を付けなくてはならないのは、やはり文字を媒介としているので間違った情報が伝わると瞬く間に多くの人に間違った情報が伝わってしまうということだと思います。

 今まではテレビやラジオといったある程度、情報源の正確さを確認してから報道するというマスメデイアのセキュリテイ機能が働いていたのが今は例えばこのfacebookを利用して誰でも自分の持っている情報を世界中に発信出来て仕舞うという危うさを秘めているということだと思います。

 何でもそうですが要は使う人のモラルの問題だと言う事ですね。

 facebook便利な意思伝達機能を持った素晴らしい仕組みだと思います。

2011/02/12

大雪の朝の小さな小さな旅

 昨日から今朝にかけて今シーズン初めての本格的な積雪となり森の中は30CM程の積雪になりました。ちょうど3連休と重なり出鼻をくじかれた方も大勢いらっしゃったのではないかと思います。

 今シーズンは雪が少なくこのまま春を迎えるのかなと思っていましたがやはりそうもいかなかったようです。例年、この時期は季節が変わる時に湿った雪が大量に降る傾向が多くなっていますが今年もどうやらそういった雰囲気になりそうです。

 私はちょうど今、事情があって自分の車がなくて代車に乗っており、又その車が4駆ではないので早々に車での通勤を諦めて久しぶりの小海線通勤にしました。

 甲斐小泉の駅からJR小海線に乗り隣の甲斐大泉駅まで乗車時間は僅か6分程度ですが雪の森の中を走る高原列車の車窓からみる雪の森の景色はそれはそれは美しくて、いつも車で走っている時に見かける景色とは全く違って見えて本当に不思議なものです。

 JR小海線の甲斐小泉駅は無人駅なので改札はありません。駅の待合を兼ねる小屋に入って下りホームにいくには一旦、ホームから下の線路に降りて反対側のホームに渡らなくてはなりません。

 反対側のホームにある小屋で時間を調整していると始発駅である小淵沢駅を出たワンマンカーのヘッドライトの明かりと踏切の音が徐々に近づいて来ます。小海線は単線なのですが小泉駅では行き違いが出来る様にポイントが切り替わって複線になるようになっています。

 デーゼル車が止まるとじっと待っていてもドアは開きません(笑)扉の横にある開閉ボタンを押さないとドアは開かないようになっているからです。しかし、今朝はボタンを押してもドアが何故か開きません。「こりゃ凍っているな」と思いドアを手で思いっきり引っ張ると「バリッ」とドアの凍りついたパッキンが剥がれる音がして漸くドアが開きました。

 中に入ると整理券を受け取り、漸く車内の人となる事が出来ます。いつもは小泉駅から乗り込むのは大体、私一人ですがこの日は近くの貸別荘からの送迎マイクロバスが駅に入って来てひと組の親子連れが一緒でした。

 若い母親と娘・息子と思われる3人の仲良し家族といった雰囲気の親子連れでしたが小海線に乗るのは初めてらしく子供達が「お母さんこの駅、改札ないよ切符どこで買うの?」と聞いていました。「え~本当だ、改札ないね~小諸方面はどっちだろうね?」と困った様子だったので「小諸はこっちの方ですよ。線路渡って来て下さい」と声を掛けると「え~線路渡るんだ!すご~い!」と子供達は大喜びの様子でした。

 今日は3連休の中日ということで車内には観光に来たと思われる人達が数人乗っていて何やら中で移動しながらやたら写真を撮りまくっている様子だったのですが良く見ると隣に座っている彼女を撮っているらしく彼女と車窓の雪景色をバックにしたアングルを探しているようでした。

 そうこうしている間に甲斐大泉の駅に到着すると、ワンマンカーなのでの降り口は一番前しか無く、私は小銭が丁度無かったので運転席の横の両替機で両替をしてその横の料金箱に整理券と一緒に料金を入れます。

 田舎の高知の路面電車でもこの形式なのですが違うのは料金箱の上にスライドする蓋が付いていて運転手が料金箱に投入する乗客の金額を確認出来る様に車両が止まるまでその蓋が開かなくて料金が投入出来ないようになっているのです。これは前は確か無かったと思うので色々と工夫するもんだなと変なところで感心してしまいました。

 さて、料金を料金箱に入れても自分で今度は降りるドアのボタンを押さないとドアが開きません。ボタンを押して車外に降りると今度は駅の出口は反対側のホームなのでチンチンとなっている駅の信号音を聞きながら自分の乗って来た列車に轢かれない様に(笑)注意しながら線路を渡って駅の出口に向かいます。

 甲斐大泉駅には駅舎の管理をしている方がいらっしゃるのですが改札をする事はないのでやはりそのまま駅の外に出る事になります。そして自分の会社まで雪に埋もれた道を5,6分歩くのですが有難い事に昨晩のうちにその歩道の除雪をしてくれた方がいるらしく誰だか知らない人がこういう所で助けてくれているんだと見ず知らずの人がスコップで除雪をしている姿を想像して感謝しながら歩いて行きます。

 途中、やはり全く除雪されていない所もあってそういう所は膝まで雪に埋もれながら歩いて行く事になります。

 雪の朝、何て事ない通勤風景の中でも小さな幸せを味わう事が出来る小さな小さな旅でした。

2011/02/06

藤沢周平作品に「葉枯らし・冬季伐採」が描かれていました

 田舎の母親の様子を見に今年に入ってからは初めて高知に帰ってきました。昨年の大河ドラマ「竜馬伝」が終了して高知の町中は少し静かになっていました。

 昨年、帰郷した時には竜馬記念館のそばを通りかかったらもの凄い人と車でとても近づける状態ではなかったのですが今回は見事に静かで(笑)いつもの落ち着いた風情に戻っていました。

 全国的に冬の寒さが緩み高知も暖かかったのですがそれでも夜は結構冷え込みコートが離せない状況でした。

 最近はいつも帰郷の際は飛行機を利用しているのですが空港までの行き帰りは高速バスを利用し高知県内はレンタカーを利用して移動しています。

 レンタカーを運転している時はダメですが僕は基本的に移動しているときは本をよむ機会が多く、いつも何冊か本を持ち込んで移動しています。

 今回は藤沢周平の「闇の穴」という新潮文庫を持ち込んで読んでいました。藤沢作品は「蝉時雨」を始め男女の心の機微を描いた作品が好きで良く読んでいます。

 今回は昨年末に丁度、秋田県の庄内地方を訪問した事もあって手に取ったのですが文庫本の「闇の穴」は短編の作品をまとめたもので丁度、高知から羽田への帰りの機内で最後の短編「夜が軋む」を読んでいる時でした。

 小説の主人公である木地師の女房が亭主の仙十郎の仕事の段取りを説明するくだりが描かれている文章に目が釘付けになりました。引用すると「大体新しい葉が出始める4月の末から5月にかけて山入りをし、柾見をしておいて、秋に伐るというのが、木地師の仕事の運びだったんですよ。伐り倒した樹は、枝をはらわないで、そのまま山に寝かせておいて、一冬越させる。そして次の年の春になってから、6尺から8尺ぐらいの玉伐りにして山をおろすと、かるく皮を剥いで、さかさに立てておく。これが木干しの方法で・・・・」という一文。

 えっ!これって我々がやっている「葉枯らし」と同じじゃないかと驚きました。元々は戦前、当たり前のように山で行われていた伐採方法ですが口伝が廃れて今では殆ど行われる事はなかったのですが新月伐採と併せてこれは絶対に良い木になるはずと思って捜してやっと行き着いた方法なので藤沢周平がどうしてこのくだりを描いたのかは分かりませんが彼は山形県で1927年に生まれているのでこの「葉枯らし、冬季伐採」についての知識があったとしてもおかしくは有りません。

 何だか自分が大好きな作家が自分の仕事に関係した事を描いていたなんて本当に嬉しくて、何度も同じところを読み直してしまいました。

 例え小さな旅であろうと旅の中では色々な人との出会いや心の触れ合いやたまにはハプニングや事件も起こります。それが旅の良さでもあります。今回の帰郷ではこの藤沢周平作品の「夜が軋む」の一文に出会えた事が大きな収穫になりました。

2011/01/29

夜の森に蠢く奴ら

 昨晩、いつものように会社からの帰り道、森の中を車で走っていると右側の森の中から大きな肉の塊らしきものが車の前に飛び出して来ました。「危ない!」慌てて、急ブレーキをかけたら目の前を大きな猪が横切って行って左側の谷に消えて行きました。

 「危ないな~しかし、えらくでかい奴だったな~」と独り言を言いながら車を発進させたら再び同じ右側の森の中から肉塊が飛び出してきて「何だ!何だ!」と慌てて再度急ブレーキをかけるとほぼ同じ大きさのデカイ猪が再び左側の谷の中に消えて行きました。

 「おい、おい、兄弟か?それとも夫婦?」と思いましたが一瞬の事なので確かめる術もなく、そんな事考えていると再び何かが飛び出してきそうで今度はゆっくりと車を発進してその場を去りました。

 後で考えてみたらあの場所は沢沿いの獣道がずっと下の方まで続いているところで、そういえば良くその沢の下の方で大きな猪に数出くわしていました。「はは~ん、あいつか。それにしても相変わらずデカイナ・・・」と変に感心することしかりでした。数年前にこの沢の下の方でちょうど建設中の現場があり、地鎮祭の為にテントをリース屋さんから借りて建てていたら丁度、目の前をこいつが悠々と歩いていて甲府からきたテントのリース屋さんは「えっ!あれが猪ですか。ここは猪なんか普通に歩いてるんですか?へ~凄い所ですね~」何て変に感心していたのを思い出しました。

 その後も彼(彼女?)達はハンターに撃たれる事もなくこの沢を行き来しているんだな~と私も改めて感心させられました。猪はこの辺りでは畑を荒らすギャングとして最も嫌われていて連中が現れると畑の作物は根こそぎ駄目になってしまうそうです。

 全てを連中が鼻で掘り起こしてしまうか、掘り起こさないまでも通り過ぎただけで連中の強力な臭いが作物に付いてしまい売り物にはならなくそうです。その位、地元では嫌われ者です。

 私もさすがに鹿なら車から出てあわよくば手で撫でてやろうかなんて気になりますが野生の猪には間違っても手を触れようと言う気にはなりません。間違いなく猪突猛進でこっちに突っ込んでくるのは目に見えているし、あの強力な臭いを嗅ごうという気もありません(笑)ので・・・

 そういえば同じ場所で最近、タヌキを良く見かけます。最初はアライグマかと思いましたがあの短足のズングリムックリした体型はタヌキだと思います。

 昨晩、仲間内の会合で俺も○○を見た、そういえば最近○○を見ないな~何て話をしましたがあんまり○○を見たなんて言ってると大抵「凄い所に棲んでいるんですね」何て感心されてしまうので余り言わない方が良いぞ何て話になりました。

 昨日、自宅に居る時に女房が猟銃の発砲音を聞いたといっていましたが最近は狩猟をする人達もめっきり少なくなり住んでいる人間としては安心しているのですが新聞では猟友会の平均年齢が年々高くなり猟をする人達が減って来たので害獣が増えて困るという風な記事が出ていました。

 確かに一昔前までは猟期も終わりに近づいたこの時期は週末ともなると都会から猟銃を持って多くの猟師が森の中に入り結構、頻繁に発砲音がしていましたが最近は確かに減ってきました。時代が変わったという事かも知れませんね。だからあの巨大な猪も猟師に撃たれる事もなく成長を続けていけるのかも知れませんね。

 昨日の会合でも会場となったペンションの敷地境に植わっていた木が昨年、軒並み鹿に食べられてしまいすっかり丸裸になってしまって今シーズンは鹿達が味をしめて再び訪れているようですがすっかり木を枯らしてしまったのであきらめて引き返したと思われる足跡だけが新雪の中に残されていたそうです。

 個体数が増えてこの時期、彼らも食糧を探すのに苦労しているという事でしょうか。それにしても森の中に住む人達も増え、その為に森も開発されて私の家がある森の出口では電線の支障になるからと伐採された木が無秩序に切り倒されたままで放置され、その先の森は不動産屋さんが売りに出すために生えていた木を全部伐採して容赦なくどこからか土を持ってきて沢を埋め立てています。

 う~ん、悪い事が起きなければよいのですが厭な予感がしてしまいます。

2011/01/22

元巨人軍の18番を背負った男

 先日、本屋で元ジャイアンツのエースナンバー18番を背負った男、桑田真澄投手の自叙伝を見つけてつい買ってしまいました。

 普段は余りこういう有名人のエッセー本は好きじゃなくて読まないのですが何となく彼については甲子園に出場している頃から興味があってつい立ち読みしてしまい購入してしまいました。

 特にメジャーリーグを最後に野球界を引退して近年は野球解説をしている姿をTVで見かけますが彼の解説は他の解説者と一味違うものを感じていて特に注意して彼のコメントを聞いていましたが他の解説者にありがちな選手を批判したり先輩面をする所が無く、いつも的確な解説をされていて、とても好印象を持っていました。

 彼は甲子園でも活躍しあの巨人軍入団をめぐるドラフト会議での清原選手との対比でマスコミに格好の餌食にされメジャーリーグでも悲運が重なり色々と騒がれましたが私はそういう彼の言動や行為を一人のスポーツファンとして見てきたので凄く彼自身がどういう風に感じどういう風に生きてきたのか興味があったのでつい本を読む気になってしまいました。

 詳しい内容は本に書いてあるのでそれを読んで頂きたいと思うのですが、私は何故、彼に興味があったかというとプロ野球選手として決して恵まれた体格とは思えない彼が何故、あれ程活躍する事が出来たのか、高校野球の時もそうですが連投連投が続く厳しいスケジュールの中で彼がどういう風にコンデションを整えどういう風に精神的に戦ってきたのか、又、あの日本中が注目したドラフト会議の最中に当事者である彼は何を考え、何が真実だったのそれが知りたかったのです。

 本を読み進むにつれてそれらが一つ一つ明らかになっていくのですがその全てに彼らしいストイックなまでの頑なポリシーを感じました。ある意味、現在のイチロー選手と重なるものがあるかも知れません。

 彼が何を思って肘の怪我からリスクを冒して手術という選択を下してその術後、苦しいリハビリを経てマウンドに戻って来た時にピッチャーズマウンドのプレートにその肘を付けて何を祈ったのか?それはきっと彼にしか分からない苦労があったのだと思います。あの瞬間をテレビの中継で見ていましたが正直、私にはその行為の意味が分かりませんでした。勿論、復帰のマウンドでのパフォーマンスとして理解していたのですが彼がどういう積りでそういう行為に及んだのかは分からなかったのです。

 又、清原選手との関係についても素直にその心の中を語ってくれています。二人にしか分からない心の葛藤があったんだと思いますが飾ることなくその心境を語ってくれていて、何だか関係ない私までホッとする内容でした。それは2人を見てきた1人のプロ野球ファンとして嬉しかったのです。

 PL学園というスポーツ名門高校を出た二人がプロの大人の世界に飛び込んでいかに人間として苦しみ成長し、そして違う道をどのように歩んで来たかその道のりの一端を垣間見たような気がします。

 私は個人的に彼こそ次の読売巨人軍を背負っていく人間だと思っています。もうこれは勝手な1ファンとしての戯言ではありますが生まれてからずっと巨人ファンとして過ごして来た自分としては是非、彼に将来、立派な監督になって欲しいと思っています(何いってんだろネ、笑)。

 エッ?何をそんなに熱くなってるのかって?いや、別にそんなつもりじゃないのですがどうも彼の価値観と相通じるものを感じるのですよ。勿論、歳だって彼の方がずっと下だし、会った事ないし、当然話したことも無いけれど何となく感じるものがあるのですよ。それは彼の言動や行動のちょっとしたところに感じるものがあるのですよ。

 ダカラなんだって?いえ、ただそれだけなんですけどね(汗)・・・・ママ、森の中で野球ファンがオフシーズンに一世を風靡した一流選手の本を読んで思うところを勝手に書き綴ったとして許してやって下さい。

 でもね私は断言しますよ。彼は近い将来、きっと素晴らしい指導者として野球界に復帰します。その舞台は少年野球かもしれないし大学野球かもしれないし実業団かもしれないし分かりませんがきっと彼はそういう宿命を背負っていると思います。なんちゃって・・・

2011/01/15

沈黙は善か?悪か?

 日本人はとかく恥ずかしがり屋で控えめが美徳とされる風習がありますよね。自分も子供の頃からあまり人と話すのが得意な方ではなく、どちらかと言うと黙って居る事の方が多かった様な気がします。

 しかし、大人になり社会人となり、いつしか会社を経営するようになり多くの人と接する機会が増えるにつけ最近は黙っているのは悪かな?という風に変わってきました。

 それでも、人前でしゃべるのは凄くエネルギーを使う方で苦手なのは変わりないのですが勇気をもって兎に角、何か喋らなくてはと思う様にしています。

 それで集まった人達の間に話題が広がりお互いに会話が広がる様になれば今度は聞き役に廻る様にしています。というか、しつこい様ですが聞いている方がはるかに自分には楽しいからですが・・・

 最近、木に関する会合に出席する機会が多くて多くの方にお会いしますが、ひとつ気が付いた事があります。それは、その人達が本当に積極的に発言されるのです。勿論、会合の雰囲気や種類によってそれは変わってきますが大概、活発な意見が交換されます。

 何故でしょう?それは一つは、集まった方達が本当に日常的に思っている事があってそれは不満だったり、希望だったりするのですが何れにしても自主的にそういう会合に出席して意見を言いたい人達が集まっているからなのだろうなと思いました。

 それから、その会合を仕切るMC的な方の働きが凄く大きいんだなと感じます。やはり、そういう会合の司会に慣れていてうまく出席者の意見を聞き出す役目の方がリードしてやれば意見も活発にでるし発展的な会合になりますね。

 往々にしてうまくいかない会合や司会する人間のリードが旨くいかないと「何かご意見はありませんか?」的な発言を繰り返しても誰も手を上げないという事になります。そうなると集団心理が働くのか何となく手を上げるのが憚られて会場がシ~ンなんて静まり返ってしまい「それではご意見もないようなので今日はこれまでに・・・」なんて事で終わってしまいます。

 それから、男女の比率も大きく影響しますね。兎角、女性が多い会合だと意見が積極的にでますよね。最近の女性は皆、積極的なのでよく喋るし(笑)しっかり自分の意見を述べる人が多くなってきたような気がします。男性頑張れ(笑)と言いたくなります。

 私も含めてですが兎に角、思った事を何でも良いから話す事、これが大事ですよね。私が最も苦手な人は意見を言わず、表情がなく何を考えているのか上辺では分からない人、こういう人は心で何を考えているのか分かりにくいので苦手なのです。

 何せ、自分が子供の頃から顔に表情が出やすいタイプで笑ったり、泣いたり、怒ったりという性質なので今でもドラマや映画をみては泣いたり笑ったりでとても他人には見せられない(笑)程です。

 しかも、反応が鈍いのですぐにはリアクションが返せずに途方に暮れてしまい、それが表情に出て、子供の頃からそういう時に写真を撮られると後で自分で見てガッカリします。「この写真、何だか表情がなくて厭だな」と思う事がおおいのです。そういう時は大抵、リアクションがとれなくて困っている時なのです。

 厭な事を言われるとすぐ表情が引きつってしまうし、ある意味正直なんだと思うのですが(自分で言うな!)日本男子よ、大いに発言しようじゃありませんか!

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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