2011/02/20

facebook始めました

「エジプト人もすなるfacebookを我もしてみむとてするなり。」

 仕事の関係でfacebookをしなくてはならなくなって始める事にしました。今までミクシイはしていたのでそれ程違和感はありませんでしたが、昨今、世界中で話題になっている通信手段だけあって瞬く間に関係が広がっていくのが分かります。

 正に、「友達の友達は友達だ」状態ですね。一国の政権が崩壊してしまうような力を持っているだけあって一種恐ろしい様な気も正直しますがそれにしてもこれを考えた人間は凄いですね。

 私はどちらかと言うと、こういうのが苦手なので出来れば避けて通りたかったのですが時代の流れといいますか、食わず嫌いはいけないと言うか(笑)人に背中を押して貰いヨタヨタと仕方なく始めた訳ですが登録して直ぐに高校の同級生やら仕事の関係者とかでドンドン繋がっていってもう10数年も音信不通だった友人から連絡が来たり、本当にfacebookやるな~といった感じです。

 発端は先日、東京で実施したイベント企画に参加したのが始まりなのですが、それは今年が国連が定めた国際森林年にあたり「我々、木に関わる仕事をしている人間達も、もっと一般の若い人達に自分の国の森に興味を持って貰わねばならぬじゃないか」とよせばよいのにエラそうな事を口走ってしまったもんだから「それじゃ、お前も手伝え」と言うことになってしまった訳です。

 そのイベントの中で中心になって活動して頂いている方がやはりこういう世の中のヒット作品を企画していく人だった為に「山の人達も申し訳ないがもう少しパソコンに慣れて欲しい。facebookはやって貰わないと困る」とハッキリ言われてしまい、「そりゃそうだいくら森林破壊がどうの新月伐採がどうの葉枯らしがどうのと理屈を言ったって次の世代を担う若い人達に興味を持って貰わないとどうしようもないよな」と納得してしまったと言う訳です。

 このfacebookが他のネットワークと違うのは実名で登録と言う事ですね。他のネットワークの場合だとハンドルネームだったりして自分の素顔を隠して会話する事ができるのですがfacebookは実名なので堂々と自分のプロフィールを出してしまうというところが凄いですね。

 勿論、公表する範囲は自分で選択できるのでそういう意味では他のネットワークと同じですが実名だというところが一番の違いですね。

 それから登録している情報からネットワークが無限大に広がっていくようになっていて「友人かも?」なんてメッセージが入るとつい調べてみようかなと思ってしまうのでそこが又、ネットワークを広げる仕組みになっているのでしょうね。

 正に「ネズミ講」の様な仕組みですね(今時、言わないか・・・)私の基本的な考え方は「人はいつも誰かに支えられて生きている」と思っているので出来れば直接会って話をして目を見ながら対話をしたいと思っているのですがどうしても時間的、距離的な制約があって直接会える人数は限られてしまいます。

 それに比べてfacebookはより多くの人達と短時間に距離感を超越して繋がっていく事が出来るのでそれは凄い効果があると思います。

 しかし、気を付けなくてはならないのは、やはり文字を媒介としているので間違った情報が伝わると瞬く間に多くの人に間違った情報が伝わってしまうということだと思います。

 今まではテレビやラジオといったある程度、情報源の正確さを確認してから報道するというマスメデイアのセキュリテイ機能が働いていたのが今は例えばこのfacebookを利用して誰でも自分の持っている情報を世界中に発信出来て仕舞うという危うさを秘めているということだと思います。

 何でもそうですが要は使う人のモラルの問題だと言う事ですね。

 facebook便利な意思伝達機能を持った素晴らしい仕組みだと思います。

2011/02/12

大雪の朝の小さな小さな旅

 昨日から今朝にかけて今シーズン初めての本格的な積雪となり森の中は30CM程の積雪になりました。ちょうど3連休と重なり出鼻をくじかれた方も大勢いらっしゃったのではないかと思います。

 今シーズンは雪が少なくこのまま春を迎えるのかなと思っていましたがやはりそうもいかなかったようです。例年、この時期は季節が変わる時に湿った雪が大量に降る傾向が多くなっていますが今年もどうやらそういった雰囲気になりそうです。

 私はちょうど今、事情があって自分の車がなくて代車に乗っており、又その車が4駆ではないので早々に車での通勤を諦めて久しぶりの小海線通勤にしました。

 甲斐小泉の駅からJR小海線に乗り隣の甲斐大泉駅まで乗車時間は僅か6分程度ですが雪の森の中を走る高原列車の車窓からみる雪の森の景色はそれはそれは美しくて、いつも車で走っている時に見かける景色とは全く違って見えて本当に不思議なものです。

 JR小海線の甲斐小泉駅は無人駅なので改札はありません。駅の待合を兼ねる小屋に入って下りホームにいくには一旦、ホームから下の線路に降りて反対側のホームに渡らなくてはなりません。

 反対側のホームにある小屋で時間を調整していると始発駅である小淵沢駅を出たワンマンカーのヘッドライトの明かりと踏切の音が徐々に近づいて来ます。小海線は単線なのですが小泉駅では行き違いが出来る様にポイントが切り替わって複線になるようになっています。

 デーゼル車が止まるとじっと待っていてもドアは開きません(笑)扉の横にある開閉ボタンを押さないとドアは開かないようになっているからです。しかし、今朝はボタンを押してもドアが何故か開きません。「こりゃ凍っているな」と思いドアを手で思いっきり引っ張ると「バリッ」とドアの凍りついたパッキンが剥がれる音がして漸くドアが開きました。

 中に入ると整理券を受け取り、漸く車内の人となる事が出来ます。いつもは小泉駅から乗り込むのは大体、私一人ですがこの日は近くの貸別荘からの送迎マイクロバスが駅に入って来てひと組の親子連れが一緒でした。

 若い母親と娘・息子と思われる3人の仲良し家族といった雰囲気の親子連れでしたが小海線に乗るのは初めてらしく子供達が「お母さんこの駅、改札ないよ切符どこで買うの?」と聞いていました。「え~本当だ、改札ないね~小諸方面はどっちだろうね?」と困った様子だったので「小諸はこっちの方ですよ。線路渡って来て下さい」と声を掛けると「え~線路渡るんだ!すご~い!」と子供達は大喜びの様子でした。

 今日は3連休の中日ということで車内には観光に来たと思われる人達が数人乗っていて何やら中で移動しながらやたら写真を撮りまくっている様子だったのですが良く見ると隣に座っている彼女を撮っているらしく彼女と車窓の雪景色をバックにしたアングルを探しているようでした。

 そうこうしている間に甲斐大泉の駅に到着すると、ワンマンカーなのでの降り口は一番前しか無く、私は小銭が丁度無かったので運転席の横の両替機で両替をしてその横の料金箱に整理券と一緒に料金を入れます。

 田舎の高知の路面電車でもこの形式なのですが違うのは料金箱の上にスライドする蓋が付いていて運転手が料金箱に投入する乗客の金額を確認出来る様に車両が止まるまでその蓋が開かなくて料金が投入出来ないようになっているのです。これは前は確か無かったと思うので色々と工夫するもんだなと変なところで感心してしまいました。

 さて、料金を料金箱に入れても自分で今度は降りるドアのボタンを押さないとドアが開きません。ボタンを押して車外に降りると今度は駅の出口は反対側のホームなのでチンチンとなっている駅の信号音を聞きながら自分の乗って来た列車に轢かれない様に(笑)注意しながら線路を渡って駅の出口に向かいます。

 甲斐大泉駅には駅舎の管理をしている方がいらっしゃるのですが改札をする事はないのでやはりそのまま駅の外に出る事になります。そして自分の会社まで雪に埋もれた道を5,6分歩くのですが有難い事に昨晩のうちにその歩道の除雪をしてくれた方がいるらしく誰だか知らない人がこういう所で助けてくれているんだと見ず知らずの人がスコップで除雪をしている姿を想像して感謝しながら歩いて行きます。

 途中、やはり全く除雪されていない所もあってそういう所は膝まで雪に埋もれながら歩いて行く事になります。

 雪の朝、何て事ない通勤風景の中でも小さな幸せを味わう事が出来る小さな小さな旅でした。

2011/02/06

藤沢周平作品に「葉枯らし・冬季伐採」が描かれていました

 田舎の母親の様子を見に今年に入ってからは初めて高知に帰ってきました。昨年の大河ドラマ「竜馬伝」が終了して高知の町中は少し静かになっていました。

 昨年、帰郷した時には竜馬記念館のそばを通りかかったらもの凄い人と車でとても近づける状態ではなかったのですが今回は見事に静かで(笑)いつもの落ち着いた風情に戻っていました。

 全国的に冬の寒さが緩み高知も暖かかったのですがそれでも夜は結構冷え込みコートが離せない状況でした。

 最近はいつも帰郷の際は飛行機を利用しているのですが空港までの行き帰りは高速バスを利用し高知県内はレンタカーを利用して移動しています。

 レンタカーを運転している時はダメですが僕は基本的に移動しているときは本をよむ機会が多く、いつも何冊か本を持ち込んで移動しています。

 今回は藤沢周平の「闇の穴」という新潮文庫を持ち込んで読んでいました。藤沢作品は「蝉時雨」を始め男女の心の機微を描いた作品が好きで良く読んでいます。

 今回は昨年末に丁度、秋田県の庄内地方を訪問した事もあって手に取ったのですが文庫本の「闇の穴」は短編の作品をまとめたもので丁度、高知から羽田への帰りの機内で最後の短編「夜が軋む」を読んでいる時でした。

 小説の主人公である木地師の女房が亭主の仙十郎の仕事の段取りを説明するくだりが描かれている文章に目が釘付けになりました。引用すると「大体新しい葉が出始める4月の末から5月にかけて山入りをし、柾見をしておいて、秋に伐るというのが、木地師の仕事の運びだったんですよ。伐り倒した樹は、枝をはらわないで、そのまま山に寝かせておいて、一冬越させる。そして次の年の春になってから、6尺から8尺ぐらいの玉伐りにして山をおろすと、かるく皮を剥いで、さかさに立てておく。これが木干しの方法で・・・・」という一文。

 えっ!これって我々がやっている「葉枯らし」と同じじゃないかと驚きました。元々は戦前、当たり前のように山で行われていた伐採方法ですが口伝が廃れて今では殆ど行われる事はなかったのですが新月伐採と併せてこれは絶対に良い木になるはずと思って捜してやっと行き着いた方法なので藤沢周平がどうしてこのくだりを描いたのかは分かりませんが彼は山形県で1927年に生まれているのでこの「葉枯らし、冬季伐採」についての知識があったとしてもおかしくは有りません。

 何だか自分が大好きな作家が自分の仕事に関係した事を描いていたなんて本当に嬉しくて、何度も同じところを読み直してしまいました。

 例え小さな旅であろうと旅の中では色々な人との出会いや心の触れ合いやたまにはハプニングや事件も起こります。それが旅の良さでもあります。今回の帰郷ではこの藤沢周平作品の「夜が軋む」の一文に出会えた事が大きな収穫になりました。

2011/01/29

夜の森に蠢く奴ら

 昨晩、いつものように会社からの帰り道、森の中を車で走っていると右側の森の中から大きな肉の塊らしきものが車の前に飛び出して来ました。「危ない!」慌てて、急ブレーキをかけたら目の前を大きな猪が横切って行って左側の谷に消えて行きました。

 「危ないな~しかし、えらくでかい奴だったな~」と独り言を言いながら車を発進させたら再び同じ右側の森の中から肉塊が飛び出してきて「何だ!何だ!」と慌てて再度急ブレーキをかけるとほぼ同じ大きさのデカイ猪が再び左側の谷の中に消えて行きました。

 「おい、おい、兄弟か?それとも夫婦?」と思いましたが一瞬の事なので確かめる術もなく、そんな事考えていると再び何かが飛び出してきそうで今度はゆっくりと車を発進してその場を去りました。

 後で考えてみたらあの場所は沢沿いの獣道がずっと下の方まで続いているところで、そういえば良くその沢の下の方で大きな猪に数出くわしていました。「はは~ん、あいつか。それにしても相変わらずデカイナ・・・」と変に感心することしかりでした。数年前にこの沢の下の方でちょうど建設中の現場があり、地鎮祭の為にテントをリース屋さんから借りて建てていたら丁度、目の前をこいつが悠々と歩いていて甲府からきたテントのリース屋さんは「えっ!あれが猪ですか。ここは猪なんか普通に歩いてるんですか?へ~凄い所ですね~」何て変に感心していたのを思い出しました。

 その後も彼(彼女?)達はハンターに撃たれる事もなくこの沢を行き来しているんだな~と私も改めて感心させられました。猪はこの辺りでは畑を荒らすギャングとして最も嫌われていて連中が現れると畑の作物は根こそぎ駄目になってしまうそうです。

 全てを連中が鼻で掘り起こしてしまうか、掘り起こさないまでも通り過ぎただけで連中の強力な臭いが作物に付いてしまい売り物にはならなくそうです。その位、地元では嫌われ者です。

 私もさすがに鹿なら車から出てあわよくば手で撫でてやろうかなんて気になりますが野生の猪には間違っても手を触れようと言う気にはなりません。間違いなく猪突猛進でこっちに突っ込んでくるのは目に見えているし、あの強力な臭いを嗅ごうという気もありません(笑)ので・・・

 そういえば同じ場所で最近、タヌキを良く見かけます。最初はアライグマかと思いましたがあの短足のズングリムックリした体型はタヌキだと思います。

 昨晩、仲間内の会合で俺も○○を見た、そういえば最近○○を見ないな~何て話をしましたがあんまり○○を見たなんて言ってると大抵「凄い所に棲んでいるんですね」何て感心されてしまうので余り言わない方が良いぞ何て話になりました。

 昨日、自宅に居る時に女房が猟銃の発砲音を聞いたといっていましたが最近は狩猟をする人達もめっきり少なくなり住んでいる人間としては安心しているのですが新聞では猟友会の平均年齢が年々高くなり猟をする人達が減って来たので害獣が増えて困るという風な記事が出ていました。

 確かに一昔前までは猟期も終わりに近づいたこの時期は週末ともなると都会から猟銃を持って多くの猟師が森の中に入り結構、頻繁に発砲音がしていましたが最近は確かに減ってきました。時代が変わったという事かも知れませんね。だからあの巨大な猪も猟師に撃たれる事もなく成長を続けていけるのかも知れませんね。

 昨日の会合でも会場となったペンションの敷地境に植わっていた木が昨年、軒並み鹿に食べられてしまいすっかり丸裸になってしまって今シーズンは鹿達が味をしめて再び訪れているようですがすっかり木を枯らしてしまったのであきらめて引き返したと思われる足跡だけが新雪の中に残されていたそうです。

 個体数が増えてこの時期、彼らも食糧を探すのに苦労しているという事でしょうか。それにしても森の中に住む人達も増え、その為に森も開発されて私の家がある森の出口では電線の支障になるからと伐採された木が無秩序に切り倒されたままで放置され、その先の森は不動産屋さんが売りに出すために生えていた木を全部伐採して容赦なくどこからか土を持ってきて沢を埋め立てています。

 う~ん、悪い事が起きなければよいのですが厭な予感がしてしまいます。

2011/01/22

元巨人軍の18番を背負った男

 先日、本屋で元ジャイアンツのエースナンバー18番を背負った男、桑田真澄投手の自叙伝を見つけてつい買ってしまいました。

 普段は余りこういう有名人のエッセー本は好きじゃなくて読まないのですが何となく彼については甲子園に出場している頃から興味があってつい立ち読みしてしまい購入してしまいました。

 特にメジャーリーグを最後に野球界を引退して近年は野球解説をしている姿をTVで見かけますが彼の解説は他の解説者と一味違うものを感じていて特に注意して彼のコメントを聞いていましたが他の解説者にありがちな選手を批判したり先輩面をする所が無く、いつも的確な解説をされていて、とても好印象を持っていました。

 彼は甲子園でも活躍しあの巨人軍入団をめぐるドラフト会議での清原選手との対比でマスコミに格好の餌食にされメジャーリーグでも悲運が重なり色々と騒がれましたが私はそういう彼の言動や行為を一人のスポーツファンとして見てきたので凄く彼自身がどういう風に感じどういう風に生きてきたのか興味があったのでつい本を読む気になってしまいました。

 詳しい内容は本に書いてあるのでそれを読んで頂きたいと思うのですが、私は何故、彼に興味があったかというとプロ野球選手として決して恵まれた体格とは思えない彼が何故、あれ程活躍する事が出来たのか、高校野球の時もそうですが連投連投が続く厳しいスケジュールの中で彼がどういう風にコンデションを整えどういう風に精神的に戦ってきたのか、又、あの日本中が注目したドラフト会議の最中に当事者である彼は何を考え、何が真実だったのそれが知りたかったのです。

 本を読み進むにつれてそれらが一つ一つ明らかになっていくのですがその全てに彼らしいストイックなまでの頑なポリシーを感じました。ある意味、現在のイチロー選手と重なるものがあるかも知れません。

 彼が何を思って肘の怪我からリスクを冒して手術という選択を下してその術後、苦しいリハビリを経てマウンドに戻って来た時にピッチャーズマウンドのプレートにその肘を付けて何を祈ったのか?それはきっと彼にしか分からない苦労があったのだと思います。あの瞬間をテレビの中継で見ていましたが正直、私にはその行為の意味が分かりませんでした。勿論、復帰のマウンドでのパフォーマンスとして理解していたのですが彼がどういう積りでそういう行為に及んだのかは分からなかったのです。

 又、清原選手との関係についても素直にその心の中を語ってくれています。二人にしか分からない心の葛藤があったんだと思いますが飾ることなくその心境を語ってくれていて、何だか関係ない私までホッとする内容でした。それは2人を見てきた1人のプロ野球ファンとして嬉しかったのです。

 PL学園というスポーツ名門高校を出た二人がプロの大人の世界に飛び込んでいかに人間として苦しみ成長し、そして違う道をどのように歩んで来たかその道のりの一端を垣間見たような気がします。

 私は個人的に彼こそ次の読売巨人軍を背負っていく人間だと思っています。もうこれは勝手な1ファンとしての戯言ではありますが生まれてからずっと巨人ファンとして過ごして来た自分としては是非、彼に将来、立派な監督になって欲しいと思っています(何いってんだろネ、笑)。

 エッ?何をそんなに熱くなってるのかって?いや、別にそんなつもりじゃないのですがどうも彼の価値観と相通じるものを感じるのですよ。勿論、歳だって彼の方がずっと下だし、会った事ないし、当然話したことも無いけれど何となく感じるものがあるのですよ。それは彼の言動や行動のちょっとしたところに感じるものがあるのですよ。

 ダカラなんだって?いえ、ただそれだけなんですけどね(汗)・・・・ママ、森の中で野球ファンがオフシーズンに一世を風靡した一流選手の本を読んで思うところを勝手に書き綴ったとして許してやって下さい。

 でもね私は断言しますよ。彼は近い将来、きっと素晴らしい指導者として野球界に復帰します。その舞台は少年野球かもしれないし大学野球かもしれないし実業団かもしれないし分かりませんがきっと彼はそういう宿命を背負っていると思います。なんちゃって・・・

2011/01/15

沈黙は善か?悪か?

 日本人はとかく恥ずかしがり屋で控えめが美徳とされる風習がありますよね。自分も子供の頃からあまり人と話すのが得意な方ではなく、どちらかと言うと黙って居る事の方が多かった様な気がします。

 しかし、大人になり社会人となり、いつしか会社を経営するようになり多くの人と接する機会が増えるにつけ最近は黙っているのは悪かな?という風に変わってきました。

 それでも、人前でしゃべるのは凄くエネルギーを使う方で苦手なのは変わりないのですが勇気をもって兎に角、何か喋らなくてはと思う様にしています。

 それで集まった人達の間に話題が広がりお互いに会話が広がる様になれば今度は聞き役に廻る様にしています。というか、しつこい様ですが聞いている方がはるかに自分には楽しいからですが・・・

 最近、木に関する会合に出席する機会が多くて多くの方にお会いしますが、ひとつ気が付いた事があります。それは、その人達が本当に積極的に発言されるのです。勿論、会合の雰囲気や種類によってそれは変わってきますが大概、活発な意見が交換されます。

 何故でしょう?それは一つは、集まった方達が本当に日常的に思っている事があってそれは不満だったり、希望だったりするのですが何れにしても自主的にそういう会合に出席して意見を言いたい人達が集まっているからなのだろうなと思いました。

 それから、その会合を仕切るMC的な方の働きが凄く大きいんだなと感じます。やはり、そういう会合の司会に慣れていてうまく出席者の意見を聞き出す役目の方がリードしてやれば意見も活発にでるし発展的な会合になりますね。

 往々にしてうまくいかない会合や司会する人間のリードが旨くいかないと「何かご意見はありませんか?」的な発言を繰り返しても誰も手を上げないという事になります。そうなると集団心理が働くのか何となく手を上げるのが憚られて会場がシ~ンなんて静まり返ってしまい「それではご意見もないようなので今日はこれまでに・・・」なんて事で終わってしまいます。

 それから、男女の比率も大きく影響しますね。兎角、女性が多い会合だと意見が積極的にでますよね。最近の女性は皆、積極的なのでよく喋るし(笑)しっかり自分の意見を述べる人が多くなってきたような気がします。男性頑張れ(笑)と言いたくなります。

 私も含めてですが兎に角、思った事を何でも良いから話す事、これが大事ですよね。私が最も苦手な人は意見を言わず、表情がなく何を考えているのか上辺では分からない人、こういう人は心で何を考えているのか分かりにくいので苦手なのです。

 何せ、自分が子供の頃から顔に表情が出やすいタイプで笑ったり、泣いたり、怒ったりという性質なので今でもドラマや映画をみては泣いたり笑ったりでとても他人には見せられない(笑)程です。

 しかも、反応が鈍いのですぐにはリアクションが返せずに途方に暮れてしまい、それが表情に出て、子供の頃からそういう時に写真を撮られると後で自分で見てガッカリします。「この写真、何だか表情がなくて厭だな」と思う事がおおいのです。そういう時は大抵、リアクションがとれなくて困っている時なのです。

 厭な事を言われるとすぐ表情が引きつってしまうし、ある意味正直なんだと思うのですが(自分で言うな!)日本男子よ、大いに発言しようじゃありませんか!

2011/01/09

鞄に関する考察

 今年も年賀状に昔、私の仲人をしていただいたご夫婦からの便りが入っていました。もう30年以上のお付き合いですが今では年に1回、年賀状での近況報告だけになってしまいました。

 昔、学生時代にこの仲人さんが店長をされている鞄屋さんで毎春、アルバイトをしており女房ともそこで知り合ったのが縁で結婚したのでこの店長さんご夫婦に仲人をして頂いたと言う訳です。

 先日、高知に帰った時にその店の前を通りかかったら既に店は別の店に変わっており何があったのかと思っていたら今年の年賀状で仲人さんたちも定年退職して年金生活を始めたとの知らせが入っていました。もう30年以上の年月が経っているのだから当たり前と言えば当たり前だけど寂しさも又ひとしおでした。

 最近、テレビでもランドセルのコマーシャルが増えていますが当時、鞄屋さんの売上は春先のランドセルと学生鞄が一年の半分以上の売上を占めており、どの店もアルバイトを動員して売上を上げるのに必死でした。

 我々も各高校の入学式の式場に出店を出して鞄を売りまくっていました。当然、他のライバル店も同様に出店しているのでいかに他店に負けないように売上を伸ばすかがアルバイトに課せられた至上命令でした。

 バイトとはいえその店の一年の売上の大半を担って同じアルバイト達を率いて責任者として行く訳ですからそれなりに緊張して売りまくっていました。何せ入学式が終わって新入生達が父兄達と出てくる数十分が勝負なのです。

 その為に式典出口のどの位置に店を出すかが先ず最初の勝負です。そしていかに出てくる父兄や新入生達にアピールするかが次の勝負です。時間との戦いなのでお釣りのやりとは大変です。

 レジなんか打っている暇はありませんから売上は大きなダンボールに札束を放り込んで、お釣りもある程度想定しておいてそれを次々と渡していきます。不思議なもので一旦お客様が集まると我も我もと次々とお客様が集まってくるのでこれも群衆心理みたいなものでしょうね。もう金額は忘れてしまいましたが数十分でかなりの金額を売り上げていたと思います。

 面白いものでその学校の特色があって進学校に売りに行くときは底の幅(マチ)が広いものじゃなくては売れないし、そうでない学校ならマチの狭い鞄でなくては売れないので準備段階で品揃いの作戦も大変重要になります。

 ランドセルは大抵店先での販売が殆どでしたが不思議と新入学の子供達や親御さん達は余り来店せずにお孫さん達にプレゼントするお婆ちゃん達が多く店を訪れます。

 当時はまだ余り色も多くなく合皮のクラリーノが出始めたばかりの頃でした。でも大抵、ランドセルは比較的高級品が売れていたのでこれも親心なのでしょうね。

 話は変わりますがカバン店の春先の品揃えをみるとその年の景気動向が分かります。華やかな色、例えば黄色やピンクなんていうハンドバックが並んでいるときは比較的景気がよい証拠です。それに対して黒やグレーなんて比較的暗い色調のものが並んでいるときは余り景気はよくないと見た方がよいのです。そういう目で店先の品揃いを見ていると又、違った楽しみが出来て楽しいですよ。

 そういえば春先は財布を新しくすると良いと言われて暫く正月に必ず新しい財布を買っていました。ここ数年はさすがにそういう事も無くなってしまいましたが昔は風水で「今年はこの色が縁起が良いからこの色にしよう」とか、かなり凝って選んでいましたが、余り関係無かった(笑)ので今は古くなったら変えるようにしています。

 最近はブランド品ばかりが注目されていますが昔はそんなにブランド志向が強くなかったので造りが良い物とか色使いがよいものとか比較的、職人気質な品揃いに気を使っていたように思います。

 鞄の底の縫い方だとか型押しのデザインとかそういう物が売れていたように思います。

 冒頭に書いた学生鞄もその学校の校章をサービスで入れていたのが受けて結構買って頂いたのですがこの校章を鞄に入れるのが一つ一つ手作業で鋼製の金型を万力で鞄の指定の場所にいれていくのですが、これが結構手間でちょっとでも力を入れすぎると皮を切ってしまうし、弱いと型が薄くて失敗してしまうので結構気を使います。今はあまりこんな校章入りの学生鞄なんて皆んな持たないのかな?これも時代の流れなんでしょうね。

 それにしても学生時代の思い出が詰まった老舗の鞄屋さんが消えていくのは寂しいものですね。頑張れ!老舗!

2011/01/03

新年おめでとうございます

 又、新しい年が始まりました。今年は皆さんにとってどんな年になるのでしょうか?八ヶ岳の年明けは穏やかな少し粉雪の舞う寒い年明けになりました。我が家は3人の子供達がそれぞれ里帰りしてきて賑やかな年末を迎えました。子供達は新年を八ヶ岳で迎えて又、それぞれの暮らす町に帰って行きます。

 私は八ヶ岳の森の中でのんびりと大好きな映画や箱根駅伝を家で見ながらお正月を過ごしています。今年はどんな人達と出会い、どんなドラマが待ち受けていることやら・・・出来れば充実した楽しい時が過ごせればと祈らずにはいられません。

 いつも思うのですが一年って長いようで短くて考えてみれば一年っていう時があるわけではなく所詮一日一日の積み重ねですよね。だから、一日、一日を大切に積み重ねていくしかできない訳でその結果が一年という区切りになるだけなんですよね。只、長い時間の積み重ねでは節目がないと中々精神的に区切りがつかず気持ちの切替が出来ないから、この一年という区切りはそういう意味では気持ちの切替にはうってつけのチャンスですね。

 私は今年の予定として決まっているのは国連が決めた国際森林年となる今年の活動として月齢伐採をはじめとする様々な国内の森を活かそうとする取り組みを支援しようとする団体の立ち上げに携わる事になっています。本当に微力ですが少しでもお役に立てればと思っています。

 そしてもうひとつは、婚活イベント(笑)の企画です。地元活性化のイベントとして「ログハウスDE婚活」という企画を予定しており、その企画を練らなくてはなりません。今年はこの婚活に限らず又、何らかの形で地元活性化のお手伝いが出来ればと思っています。

 しかし、いつもスタッフからは余り色んな事に首を突っ込まないように叱られて(笑)いて結局、自分で自分の首を締めてしまうので要注意なのです。確かに私は余り器用な人間では無く一度に一つの事しか出来ない質なのですが、それでもやる以上は中途半端な事はしたくないのでスタッフのいう通りなのです。

 それから、今年は健康の為に体力回復に努めようと思っています。八ヶ岳に来てから20年ですがこのところめっきり体力が落ちてきて精神的にもよくないので今年はちょっと体力をつけようかと思っています。勿論、メタボ対策も兼ねていますが(笑)。

 私的なイベントとしてはもう一つ大事なイベントが予定されているのですがそれは又、その時が来たらお話しようと思います。

 私は最近、段々と年を重ね、色々と廻りの環境も変化してきて思うことが有ります。それは出来るだけシンプルに生きたいということです。

 私も豊富な(笑)物欲があり何も仙人の様な暮らしをしたいというわけではありませんが、余りにも便利になりすぎた暮らしに辟易としている部分も確かにあります。だから、自分でこれは便利だなと感じる事が出来るものは取り入れても余り必要に感じないものは別にいいかなと思っています。

 でも、現代の様な変化の早い時代に生きている以上、余り偏見を持たずに新しいものを自分なりに確認して取り入れるものは取り入れて、そうでないものは無視する事も必要だと感じています。

 もうひとつ近年、特に感じているのは精神的な健康体です。病は気からと言いますが本当に最近はそうだなと思います。私の周囲にも精神的にダメージを受けている人が増えているように思います。

 現代はそれだけ生きていくのが厳しい時代なのかも知れません。一見、普通に見える人でも心の中に人に言えない苦悩を抱え一人で苦しんでいる人が増えてきている様に思います。心に苦悩を抱えていると体調も崩しがちになります。

 人は人と繋がっていないと暮らしていけない。年を重ねるに連れて段々、その想いは強くなります。その繋がりとは学生時代は友人だったり、恋愛をしている人は恋人だったり、夫婦なら夫であり妻なのかも知れません。

 だから今年も私は出来るだけ多くの私の廻りにいる人と繋がって人を信じ、自分に正直に暮らしていきたいと思っています。

 そういう意味ではここ八ヶ岳南麓の自然は私にとって自分らしく生きていけるフィールドなんだなと最近、特に感じます。どうぞ今年も宜しくお願い致します。

2010/12/25

さらば2010年

 今年も残すところ僅かになりました。皆さん、今年はどんな年だったでしょうか?今年はバンクーバーオリンピック開催やサッカーワールドカップでの日本代表の活躍等、スポーツ界でも沢山の思い出の残る年になりました。

 我が読売巨人軍は残念ながらリーグ優勝を逃し残念なシーズンではありましたが勝負の世界に勝ち負けはつきもの又、来年、頑張って欲しいと思います。一方、地元サッカーJ2のヴァンフォーレ甲府は見事J1復活を果たし来シーズンは頂上ステージでの厳しい戦いが待っています。来年は一度はホームスタジアムの小瀬スポーツ公園に応援に行こうと思います。

 それにしてもスポーツ観戦は昔から大好きなので何を見ても楽しいのですが肝心の自分の体の方が運動不足で・・・いい加減何とかしなくてはならないと思いつつ中々時間を作る事が出来ずにダラダラと今まで過ごしてきましたが本格的にこれではイカンと感じておりまして来年はスポーツ観戦はさておき自分の体を本格的に苛めなくてはこのお腹が・・・イカン!ですので来年はとにかく自分の体を鍛え直そうと思っております。

 しかし、年齢を重ねると段々一年が短くなるといいますが本当に一年が短く感じるようになってしまい、あっという間に2010年も過ぎ去ろうとしています。

 何だか段々「残された時間はどのくらい?」何て考えが頭の中をかすめる様になり人生の先輩からは「その年で何言ってる!まだまだ若い!」なんていつもお叱りを受けていますが、それでも確実に体力は落ちていく訳で・・・何とかここで歯止めをかけなくてはやばい事になりそうです。

 そこで私は2011年はマイボデイ・リフォーム年にしようと思っております。過ぎ去った過去は忘れ(笑)明るい未来を目指してもう一度、自分を鍛え直す所存であります。

 しかし今年の政局は混迷の年でしたね。元々、長年の長期政権が崩れて改革の政局になったので混迷するのは仕方ないとは思いますが、それにしても政治家の皆さんはもう一度初心に戻って誰の為に働いているのかよ~く考え直して欲しいですね。

 権力争いを余り続けていると本当に民衆からそっぽを向かれる事になりますよ。メデイアも批判ばかりして荒探しをしないでもっと大局的な見方で報道をして欲しいと思います。

 私は○○党でも××党でも△△党でもどこでも日本を良くしてくれるなら良いのではないかと思います。○○党だから××党のやる事は全て反対!何て可笑しいですよね。本当に国民の為になると思われる政策なら党を超えて審議すべきだし民主主義の本来の趣旨はそういう事だと思います。

 党に所属するから何でも党の言う事に従わなくてならないなんて変ですよね。そもそも議会制民主主義の悪しき面が出ているように思います。是非、お金の掛からない庶民の価値観に沿った政治をして欲しいものです。

 これからは間違いなく福祉充実国家を見ざしていかなくてはならない時期にきているのですから是非、来年はそういう目で政治を動かして欲しいものです。

 2011年、アシストは設立10周年を迎えます。よくまあこの10年頑張ってきたものだと思いますが近頃、特に思うんです。早稲田の斎藤投手ではありませんがアシストが持っているのは何だと問われるとそれは「仲間」ではなくて「お客様」です。

 本当に拙い会社を設立当初からオダテテ、誉めて下さったお客様に乗せられてようやく10年間、何とかヨタヨタとやってきたなと本当に思い知らされます。

 あの苦しかった時に、「あんた達なら旨くいくよ。大丈夫!」と言って下さったお客様。きっとあの時はなんかの確信がある訳ではなく、「何とかこいつらを元気づけてやろう」と思って仰って下さったのだと思いますが根が単純はもので「そうか、俺達、何とかなるかも・・・」と勘違いしてここまでやって来てしまいました。

 10年一区切りと言います。いつまでも、お客様に甘えてばかりいる訳にはいきません。来年は自分達で何とかしなくてはなりません。何をどうするか?それが分かれば苦労しないのですが(笑)その何かを探してきっと来年も、もがいて行く事と思います。

 この拙いブログを見て下さっている皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。2011年が皆さんにとって素晴らしい一年になる事を八ヶ岳の麓から祈っております。

2010/12/19

森の中の我が家

 年末が近づいたので恒例の屋根に一年間積もり積もった枯葉の掃除をすることにしました。2階のドアから1階の屋根に出てそこから雨樋のついた屋根に乗り移り箒で屋根に積もった唐松の葉を落としその後で雨樋に詰まった枯葉とカチカチに固まって凍りついた唐松の実を雨樋に手を突っ込んではぎ取ります。

 しかし、これが中々取れないんだな~。何せ一年間積もり積もってガッチリ固まってるし、そのうえにこのところの気温の低下ですっかり凍ってしまってまるで樋の形をしたアイスキャンデーの様に全体がつながっていてこれを端から順番にはぎ取っていかなくてはならず、しかも屋根の上から樋の端っこに手を突っ込む格好になるので落ちないようにしっかり身体も支えていなければならずこっちも気を使ってモウ大変です。

 作業がすっかり終わる頃にはすっかり体中、汗びっしょりという有様です。しかし、森の中に建っているいる家だからこれは仕方のないことで一年に1回だからまあ我慢してやるしかないのです。

 森の中の道の行き止まりに我が家を建ててから丁度20年になります。その間、この家で3人の子供達と猫3匹犬1匹が暮らしを共にし、人間の子供達はそれぞれこの家から旅たって行き3匹の猫と1匹の犬はその生涯を終えて今はこの家の敷地で眠っています。

 先日、ある雑誌社からこの家を取材させて欲しいとの申し出があり、今までこういう類の申し出は受けない事にしていたのですが20年になるこの家の区切りとして受ける事にしました。

 過去に一度だけ町役場の紹介だという事である人気バンドの全国ツアーのチケットの背景に使いたいからと申し出があり、どうしようかと思いましたが「どうして他にもっと立派で写真映えがするログハウスがあるのにうちなんですか?」と聞いたら「怒らないですか?」と言われ「はい?」と言うと「実は古い荒れ果てたアメリカ西部のログハウスのイメージなんです」「そのイメージにうちのログハウスがピッタリだと・・・・」「はい・・・」これには絶句しましたが余りに正直言われてしまったので引き受けるしか有りませんでした。

 このときは子供達は人気バンドのアーチストに会えたのでとても喜んでいましたが何となくイマイチ私は複雑な心境でした(笑)

 私がこの森の中に土地を求めた時は、廻りはうす暗い森が続いていて夜になると真っ暗だったのですが、そのうちに家の近くの森の中に大きな別荘地が開発され今では数十軒の家が建ち、永住者も何軒がいるようになりました。これも時代の流れなんだと思っています。

 それでも家の東側はいまだに未開発の森が広がっており毎朝、窓から見える森は四季の変化を美しく見せてくれて特に年末のこの時期は日々、夜明けの太陽が森の中から登ってくるのですが、朝食を食べながらその登ってくる太陽を眺めていると毎日、少しづつ南側にずれて行きます。

 そして、間もなくその南側にずれていく太陽もその位置が動かなくなり今度は徐々に北側に戻って行きます。考えてみれば当たり前の事ですが実際に毎日その変化を見ていると何だか何事にも代え難いような感動に接しているような気がします。

 我が家の洗面所の窓から見える景色には人工物は一切有りません。見渡す限りの森が広がっています。その森は一年の四季の変化に伴って色を変え、形を変えていきます。それは毎日見ている景色でも決して飽きる事がありません。

 これだけは本当に、この森に住んで良かったと思っています。都会では決して見る事が出来ない景色です。

 森の中に住んでいると枯葉掃除だとか薪の準備とか色々と不便な事もあります。新聞が家まで配達されないとかインターネット配線がちっとも近代化しないだとかTVが映らないだとかそりゃ色々と不便です。

 しかし、それらを差し引いたとしてもやはり私は森の中の生活に満足しています。これから先、何年ここに住んでいられるか分かりませんが許される限りいつまでもここに住んでいたいと思っています。八ヶ岳南麓の森の中が私にとっての生活の舞台なのですから。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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