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2010/11/06

八百万の神様

 日本には沢山の神様が居ます。生まれたときは御宮詣りし結婚式は教会で・・葬式になると仏様にお願い、なんて本当に多くの神様に頼る事になります。しかし、考えてみるとこんなに信仰に関しておおらかな国はないかも知れませんし、それはとても幸せな国だと思います。

 昔に遡れば廃仏毀釈だのキリシタン排斥等の歴史もありましたが今ではそんな事は微塵も感じられないどころかTVを見ていると「へ~こんな宗教が最近あるんだ」とか結構、危ないものもあったし実際に大変な事件を起こした事もありましたね。しかし、大半の宗教は真面目に色々と信じる神を信仰しているのだと思います。

 ここ八ヶ岳の周辺にも色々と神様が宿っているようで時々、私の知り合いでそれが見えたりする(笑)人がいるもので「ほら、又、あそこで何か言っているよ」なんて平気で人に話かけたりするものですから「あのね、私に話すのは良いけど知らない人にそんな事言わない方が良いよ。変な人だと思われるからね」何て話をする事があります。

 しかし、仕事柄、山の奥深くに入る事があるものですから、そんな時に「何か居る」なんて思う事はしょっちゅうあります。私は霊能力者でもなんでもない俗悪(笑)な人間ですので実際に見えたりする訳ではないのですが何となく見えそうな木がするのです。

 実際に樹齢も200年生、300年生以上の木になると威厳が全然違ってきて、なんだか神様のような姿に見えてくるから不思議です。

 世の中に神様がいるかどうか?それはその人の心が神様を必要としているかどうかでは無いでしょうか。「俺は神様なんか信じない金だけが全てだ(笑)」なんて昔の映画の悪役のような人には決して神様はついてこないでしょうし、様々な苦悩を背負い込んで何かにすがらないと生きていく希望が持てないなんて人には神様は最後の砦でしょうし、宗教色の強いお国柄のところでは生まれた時から信仰心を植えつけられて必然的に唯一神を信仰するようになるでしょうし、その事情は様々だと思います。

 しかし、色々な事情はあるでしょうが自分が信じるものを自由に信仰できるという事は本当に幸せな事だと思います。近年のようにある程度、物質的な発展を遂げた現代ではこれから精神的な安定が求められる時代になっているように思います。あまりに急激な経済の発展により失ってしまった心の安定を取り戻すべく又、八百万の神にお出まし(笑)願わなくてはなりません。

 私は森の中に住んでいて八ヶ岳の美しい自然を毎日見る事でとても助かっています。晩秋を迎え森の中には一年で最も美しい衣をまとった神様が姿を見せます。私には何にも言ってはくれませんが黙って何物にも代えがたい美しい姿を誰にでも見せてくれます。それを森の神様と見るのか、ただの観光客が喜ぶ紅葉シーズンの姿とみるのかは個人の自由ですが少なくても私には森の神様が一年でこのシーズンだけ見せてくれる美しい姿です。

 そういう意味ではここには八百万の神が住んでいるのかも知れません。私には残念ながら姿が見えないので何とも確信は持てませんが見える様な気はします。「何だよそれ」と笑わないで下さい。見えそうな気がするだけなんですから・・・いつもの事ですが夜の森の中の1本道を車で帰っていると闇の中からキツネやタヌキやアライグマが飛び出してきてはヘッドライトの中から闇の中に消えて行きます。ある意味、彼らも森の神様かもしれません。

 でも彼らが居る限り八百万の神は森を見捨てないで住み続けてくれるのかも知れません。無秩序な伐採や乱開発を繰り返せばいくら寛大な八百万の神様でもあっというまに姿を消すことになるかも知れません。

 数年前に樹齢何歳だか忘れましたが数百年の杉を伐る事になり、さすがにこの伐採に携わる人達は恐れを抱き、知りあいの神主さんに伐採にあたり森の神様に許しを請い私もその伐採の様子を後で写真で知らされました。さすがにこのクラスの木になるとどんな人でも伐るのは怖くなります。何かに許しを請い、その上でなければ伐れません。逆に言うとそれだけ恐れを知っているという事だと思います。だから八百万の神様の出番になるのです。

 日本に生まれて本当に良かったと思います。今年ももうすぐ終わります。そうすると、最近はなんだかハローウインだのクリスマスだのお正月だの初詣でだのイベントが沢山あり八百万の神様は大忙しになります。そのうち神様も掛け持ちなんてのも出てくるかも知れませんね。

コメント

いつも楽しみに拝読させていただいてます。神様の話の後に恐縮ですが、ご質問。ホームセンターで小屋の柱にするための角材を購入しました。末口と元口ってどうやって見分けるのですか?元口が地面側に来るように施工するのが望ましいように感じますが、気持ちの問題ですか?それほど気にしなくていいの?柱として小屋の一部になるのに、末口と元口を考えず柱を据え付けてしまうと、柱になった木が頭にずっと血が上った状態になってしまうのでは?と考えてしまうのですが・・。

たけさん、こんにちは。
そうですね。気になってしまうと気持ち悪いですよね。本来は勿論木が立っていた状態で使うのが当たり前です。一般的な見分け方は角柱の木口を見て年輪が詰っているほうが末口で広い方が元口です。又は、心材部が赤くなっているので赤い面積が広い方が元口、狭い方が末口になります。神様を逆立ちさせない様に頑張って探して下さい。

お忙しいところ回答いただきありがとうございました。よーく見てみます。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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