2011/05/30

台風と空の旅

 いつもの数カ月に一度の故郷、高知への里帰りに行って来ました。今回は季節外れの台風がオマケに着いてきそうでちょっと心配な出発になりました。

 羽田への連絡バスの乗り場まで自分の車を走らせ駐車場に車を置いてからバスに乗り込み後は睡眠不足を解消、というのがいつものパターンなのですが今回は甲府で乗り込んできたお客さんの声に眠りを妨げられました。

 最初はお年寄りが運転手さんとなにやら喋っているのかと思いきや、どうも外人の方の様でどうも言葉が通じない。運転手さんが「何処まで行くの?」と聞いているのだが「???」どうも韓国か台湾の方の様でさっぱり言葉が通じない。運転手さんはとうとう諦めて「3000円ね・・」と諦めて国際線までの料金を受け取り件の女性はバスの中へ・・・私の斜め前の席に座り早速、靴を脱いで裸足になってバスのシートにチョコンとお座りになりました。

 騒ぎが収まったのでもう一度眠りに戻り一路、羽田空港へ・・・今回は台風が来ている事もあるのか道路も空いていていつもより随分早く空港に着いてゆっくりできました。

 出発ロビー近くのコーヒーショップで時間調整・・昔、空港で働いていた頃の馴染みの名前のコーヒーショップでしたがあの頃はちょっと高級店の雰囲気で売り出していたのですが何となくファーストフード店の様な雰囲気になっていてちょっとガッカリでした。

 飛行機の出発時間が来て出発ロビーに移動、手荷物検査場でパソコンと携帯電話等の金属製品を皿に乗せて検査場を通過して出発ロビーへ・・・このところ何故か高知行きはバスでの搭乗が多くてこの日も雨が降っているにも関わらず残念ながらバスでの搭乗になりました。

 出発時間がきて機内に乗り込み機上の人に・・・最近は機内サービスも省エネモードなので機内での飲み物ははフリードリンクのお茶かジュースに決めている。それ以外はすべて有料ですからね。高知行きの飛行機はそれでも満席で「へ~昨年は大河ドラマの影響で高知人気が続いたけど今でも満席なんだ」と変なところに感心していざ高知へ・・・台風の影響で多少、飛行機は揺れたけど無事、高知に着陸。

 空港でいつものレンタカーを借りて市内へ・・・早速バアチャンの様子を見に行き今回の目的のひとつでもあるバアチャンのテレビを地デジに買い替えに電気屋さんに行った。

 実は前回、勿体ないのでチューナーを買って取り付けたのだがバアチャンは必ず電源コンセントもアンテナ線も抜いてしまうのでその度に設定をし直さなくてはならない事に気が付いてチューナーは断念。

 今回は出来るだけ同じ形で出来るだけ操作が単純なテレビを買って、しかもバアチャンはコントローラー何て使えないのでテレビ本体にマジックでスイッチの位置に赤印を付けて更に付箋を貼って「バアチャン、ここを押すだけでテレビつくからね」と何回も教えたけれど果たしてどうなることやら・・・やれやれ。

 取り替えたテレビはレンタカーに付いているナビで近くの宅配業者を捜して集配所にテレビを持ち込み何とか梱包を手伝って貰って山梨の自宅に送り返す段取りを済ませ、一件落着。

 折角、高知に帰ったので親戚廻りも何とか済まそうと思ったけど生憎のの台風の大雨でゆっくりする暇も無く駆け足で親戚廻りとお墓参りをすませて翌日再び羽田へ逆戻り。

 羽田で山梨への連絡バスまで時間があるので早めの昼食を済ませお茶を飲んでいると何やら隣の飲食店のレジで中年男女4,5人の団体が店の人と揉めている。どうやら会計の事らしい。

 仲間の一人のオジサンがカンカンに店の人に怒っていて店の人も大声で「すみませんでした!」と謝っていて、くだんのオジサンは仲間のオバサンさん達に「そんなに怒るもんじゃないよ」と諭されているが「悪いのはあっちだ!」怒り収まる様子がない。

 結局オジサンは仲間達に引っ張られて別の席に連れていかれそれでも怒り収まらず、結局、店の別の女性が再度、その席までとりなしに来てオバサマ達が間に入って一件落着となりました。

 何が原因か知らないけど最近怒っている人が多くてちょっと気が滅入りますね。今回も些細な旅のハプニングはあったけど無事帰って来ました。あっ!飛行機の席に読みかけの小説置いてきちゃった!

2011/05/22

東京へ・・

 今週はなぜだか2回も東京で会議がありそれぞれいつものように高速バスで出掛けて行きました。丁度、中央高速道路が集中工事を今週やっており東京近くでは渋滞が続いて、いつもより30分以上時間が掛かりました。

 このところずっと八ヶ岳で過ごしていたので仕事で東京に行くのは久しぶりでしたが、そんな事情でどうも最初は馴染めなくて(笑)我ながらどっぷり山の中の生活に浸ってしまっており本当に都会がダメになってしまっていました。

 自分でも情けない位、都会が嫌になってしまっていてこりゃ本当に2度と都会には住めないな~と思い知らされました。どこがダメなのかと聞かれると困るのですがこれは私自身が気持ちいいか悪いかという感覚なので仕方がないのです。

 何せ私が今住んでいる森の中の我が家では昨日も朝、玄関の扉を開けた途端にガサガサと大型の動物が逃げていく気配がすると思ったら直ぐ目の前に鹿の群が10頭程立ち止まってこっちをジット見ているなんて所に住んでいるので、そりゃそんな人間がその日のうちに下北沢駅前で会議なんて言われても朝、目の前にいたのが10頭の鹿だったのが都会では何百人という知らない人ではそりゃ余りに環境が違いすぎますよね(笑)しかし、何十年も都会で住んでいたのに本当に苦手になってしまったものです。

 八ヶ岳に住んでいると大抵、目線はいつも真っ直ぐに前を見ているか空を見上げているかですが都会では何故か俯き加減になってしまいます。これは昔、都会に住んでいた時からの癖ですがどうも電車に乗っても街を歩いていてもまっすぐ前を見ていると知らない人と目線が合ってしまうのでついつい俯き加減になってしまうのです。

 それからついつい色んな人の様子を電車の中からやバスの中から観察するようになってしまいます。これも昔からの癖ですが都会には本当に多くの人が歩いているので中には変わった人もいて観察していると飽きませんね。

 新宿に着いて渋滞で遅くなってしまったので遅い昼食をとろうと新宿駅西口のビルの地下にあるレストランに行って昼食をとりました。そして、そこから又、地上に出て駅に向かおうとしていると目の前で60歳位のおばさんが自転車で走っていて歩道の縁石に前輪を乗り上げて派手に転倒してしまいました。

 結構ひどく転倒した為に眼鏡が吹っ飛んで暫く立てない様子でした。「きっと誰も助けないだろうな・・・」と思っていたら案の定、誰も近づきもしないので倒れた自転車を起こしてあげて近くの安全な場所に移動してスタンドを立てて自転車を置きそのおばさんに「大丈夫ですか?痛くないですか?」と聞きましたが倒れた時に顔面を打って痛くない訳がないのに「大丈夫です」と壊れた眼鏡を一生懸命治そうとしていました。

 「縁石に引っ掛かってしまいましたね」と言うと「そうなんです。ハンドル取られてしまって・・・」と笑顔を見せたので「本当に大丈夫ですか?」と聞いたら「本当に大丈夫です」と言われたのでそこでお別れしました。

 そしてフト前を見たら交番があって中にお巡りさんがチャンと居ました。「何だよ、見てたら助けてくれれば良いのにと思いましたが、きっとこんな些細な事で交番から出てくる事はないんだろうな・・・」とふと心の中に寂しさが湧き起こりましたがこれも都会なら日常茶飯事な事だと納得しました。

 昔、品川駅のプラットホームで体調を崩してベンチから立ち上がれなくなってその時「誰か助けて・・」と思いましたが当然、ベンチでうずくまっている私に気づく人はいなくて、仕方なく力を振り絞って這う様にしてタクシー乗り場に行ってそのまま近くに知り合いの病人に駆け込んでそのまま入院した事が有りました。

 その時、都会にはどんなに多くの人がいても自分は一人なんだと思い知らされました。そんな想いが都会での暮らしに嫌気をもたらしたのかも知れません。

 山の中で今度具合が悪くなったらきっと廻りに多くの鹿やキツネや猪やクマや猿がやって来て「こいつ食べれる?」って思うだろうな~それはそれで自然な事で仕方ないけどそれもちょっと辛いな(笑)

2011/05/15

歳はとっても・・・

 いつも思うのですが自分は歳はとっても「年寄り」にはなりたくないと思っています。何を言ってるんだろ?と思われるかも知れませんが、わかり易く言うといつもいくつになっても何事にも興味を持っていたいと思っています。

 いつも新しい事に夢を持ち続けたいということです。人間、歳を重ねるに連れて色々な経験を積み、それなりに知識を持ち自分が経験しないことでも想像がついたりすることが可能になったりします。それはそれで素晴らしい事だと思いますが残念ながらそれは想像でしか有りません。決して自分で経験して得たものでは有りません。

 仕事柄、私は建築現場に行く事が多いのですが、スタッフがいるので現場の事は任せればよいのかとは思いますがそれでも私は自分の信念として現場は生き物、何が起こるか分からない。だから現場に行って現場の臭いや色や雰囲気を自分で確かめたいのです。

 長い事やっているのである程度、今、現場がどうなっているか事務所にいても想像は出来ます。しかし、それは想像でしか有りません。実際に何が起こっているかは現場でしか分からないのです。

 自分で設計した家が実際に様々な職人さん達の手で形になっていく、それを実際に現場で体感していく。それは自分で設計した人間にしか分らない喜びでもあります。だから、私は現場に行かない設計者の気持ちが分かりません。自分が手がけた家が形になっていくのを見たくない設計者はいないと思うからです。

 同じ様に仕事で無くても色んな事に興味を持つという事を幾つになっても忘れないでいたいと思います。

 それからもう一つ歳を重ねて思う様になったのは自分が常に正しいと思わない事です。(遅い!笑)自分が信念を持つと言う事と自分が正しいという事とは全然違うということです。

 自分で信念をもつというのは自分の価値観に基づいて自分が判断することなのでそれは歳を重ねて経験したことに基づいて自分が決めれば良いことです。

 それに対して自分が正しいかどうかは自分が決める事ではなく周りが決める事なのです。だから、迷った時には色々な人に相談して色なん意見を聞いて最終的に自分で決めれば良いことでそのためには色んな事に興味を持ってアンテナを張っていないといけません。

 特に企業のトップの人や総理大臣、大統領なんて方はどうしても最終的に自分自身で判断するしかない事が多いので苦しむ事も多いのです。

 それは、自分で判断した事が本当に正しかったのかどうかは後から結果が出るからです。そのトップの人の背負っている影響力が大きければ大きいほど悩み苦しむはずです。

 最近で言えば東北大震災における菅総理の発言、未曾有の大災害に直面した時の一国の指導者として総理は「これが自分の天命だと思う」と発言されていました。こんな時に限って色んな人が批判を浴びせます。しかし、私は思います。批判は簡単です。「それよりあなたが今、もし総理の立場にいたならどうしますか?それでも自信を持って今の批判を繰り返す事ができますか?」

 静岡の浜岡原発の停止要請も色んな立場の人が賛否両論を行っています。しかし一国の総理として菅総理が現時点の日本の置かれている大災害の現状を考えて決断した事に私はエールを送りたいと思います。

 アメリカ大統領がニューヨークの大規模テロの首謀者と思しき人間の殺害を含めた作戦にGOを掛けるかどうかを迫られたとき大統領は「明朝まで時間が欲しい」と発言したそうです。それだけ世界をリードする大国の大統領が判断に苦しんだと言うことです。その判断が正しかったかどうかは今後明らかになっていくと思います。

 それでも人が大切な判断をせまられる時、人はそれまでの自分の経験と知識を総動員して今、自分で考えうる最も自分が正しいと思う判断をするしかないのです。それが正しかったかどうかはその場合、問題では有りません。問題は最善をつくしたかどうかなのです。

 全然話は変わりますが今日、県内に出来た新しい映画館に初めて行って来ました。新しいチケット購入システムが導入されていてドキドキしながら見てきました。映画は漫画が原作の「岳」、北アルプスが舞台の映画ですが自分が普段見ている山が背景だけにとても感動しました。出演者の中に昔、「蝉しぐれ」の撮影で清里合宿のお手伝いをさせて貰った石田君が出ていてエンドロールの主演の次に名前が流れてそれが嬉しかったり・・・俺ってホントに単純ですね。

2011/05/07

音楽は人を救えるか

 わが社の事務所にはいつもBGMが流れています。大抵はFM放送ですが、休み時間を除いていつも何かしらのBGMが流れています。工場なんかでも流れているところが多いですよね。

 何故、音楽を流すのでしょう?効率が上がるから?落ち着くから?間が持てるから?色々な理由があると思います。

 東京でサラリーマンをしてる頃はBGMはありませんでした。だからかどうか分かりませんがいつも気詰まりでした。だから、よく考えが纏らずに煮詰まった時は事務所を出て廊下で気を紛らしたりトイレに行ったりしていました。

 私が生涯一番だと思っている映画は「サウンドオブミュージック」美しいアルプスを背景に母親の居ない家族を一人の家政婦が音楽で繋ぎとめやがて家政婦は母親となり本当の家族になりクライマックスは音楽が戦争の被害者となりそうな家族の国外逃亡を助ける・・・そんな中年以降の方のほとんどの方は観た事があるストーリーの映画です。何回見ても飽きない美しい映画です。

 先日の東北大震災の折にも多くのミュージシャンが東北を励ます活動を行っています。正直、自分もしばらくは精神的に音楽を楽しむというような状態ではありませんでした。しかしそんな状態の時に優しいメロデイーを奏でる曲を車の中で聞いた時、ふと救われたような気がしました。

 別に応援ソングでなくても良いのです。ジャンルもクラシックでもジャズでもポップスでも何でもよいのです。そばに音楽が流れているだけで気持ちが落ち着きます。苦しい時、悲しい時、楽しい時、それぞれのシーンで音楽が気持ちをフォローしてくれると嬉しいですね。

 逆に全く音楽の無い世界は何かとげとげしく殺伐としていて何か集中して物事に打ち込むには良いのかも知れませんが私は苦手です。

 自分で何か楽器が演奏できれば良いのですが子供の頃にピアノを少し弾いたり、学生の頃にお決まりのギターを弾いて格好つけた位で今は全く駄目です。

 自然の中に出ても様々な音楽が鳴っています。森の中を歩いていると木々が風に揺らぐ音、小鳥が鳴く声、キツネが夜鳴く声、どれも自然が奏でる音楽です。子供の頃、育った高知では海辺に繰り返し寄せてくる波の音に不思議と飽きもせず耳を傾けていました。

 宗教上の理由で楽器の使用が許されない教会の中で聞いたコーラス隊の歌声は何とも言えない圧倒的な美しさで心を揺さぶられました。

 私は血液型がB型で典型的な感性だけで生きている人間なので理論は苦手なのですが何が人にとって気持ち良いかをいつも考えています。人にとって気持ち良い大きさ、色、形、臭い、音楽、話題、世の中そんな綺麗事じゃすまない事が一杯あるけれどそれでもやはり気持ち良い方がいいに決まっている。

 天災は忘れた頃にやってくる。辛い事が沢山あるけれど音楽はいつもそばでそんな辛い思いを癒してくれる。

 若い頃は恋愛に音楽はつきもの、音楽を聴くとその頃の思い出が蘇ってきます。私にとっては「木綿のハンカチーフ」がその頃の思い出ソングでした。女房とは今でいう遠距離恋愛で年に何回かしか会えなかったのでこの曲はそんな思いをそのまま表していました。今では・・・言うのやめとこう(笑)

 近年観た映画で音楽的に印象が深かったのは「戦場のピアニスト」正に戦争中のピアニストの物語ですが物語のなかで流れる主人公が奏でるピアノは美しくて悲しくて、心を打たれました。同じく、「海の上のピアニスト」もとても心に残る作品でした。船の中で生まれ船の中で育ち、そして船と運命を共にしたピアニストの物語は忘れられません。

 人が絶望の淵にある時、もしかしたら音楽がその人を救う事が出来るかもしれません。私はそう信じたいと思います。

 今日は夫婦でお客様と一緒にオカリナのファミリーコンサートに行ってきます。知り合いのペンションで開かれる50人程しか入らない小さなホールでのコンサートですが、だからこそ大きなホールで開かれるコンサートより身近で演奏家の息遣いまで聞こえそうな臨場感あふれるコンサートになると期待しています。

 音楽は人を救えるか?答えはYESです。

2011/04/30

人生山あり谷あり

 人生は山あり谷あり何て言いますが本当に色々あります。今回の東北大震災なんて被災された方も勿論ですが誰も予想しない事だったと思います。「想定外」という言葉が良く報道で出てきますが思いもしない事が起こるのが人生なのかも知れません。

 先日、ユーミンのコンサートが甲府で開催されましたが彼女がステージで述べたMCがとても印象的でした。曰く「今回の全国ツアーのコンセプトはシネマ、映画のシーンはNGを編集して造り直す事が出来ます。人生シネマの主人公は自分自身、NGの編集は出来ません。でも私はそんな人生が大好きです」彼女のファーストアルバム「飛行機雲」のツアーを見てから30数年の年月が過ぎて私としては2回目のユーミンのコンサートですが彼女も歳月を積み重ね荒井ユミから着実に成長して一流のアーチストとしての道を進んでいるように感じました。

 人は誰しも他人に言えない心に秘めた事や辛かった事を乗り越え、楽しかった事を記憶に残して人生を刻んでいくのだと思います。それは決して綺麗事ではない生身の人の記録を刻んで積み重ねていく正に自分を主人公とした人生のシネマを撮り続けているのかも知れません。

 私も未だに子供の頃に深く心に刻んで片時も心から離れない葛藤があります。他人にとってみればどうって事ない事かも知れませんが自分にとっては50数年経っても忘れられない自分だけの価値観に基づいた苦しみでもあります。

 それは自分の人生シネマでも忘れてはならない自分への戒めであり多分、死ぬまで背負っていく自分なりの価値観なのかも知れません。

 私なんか失敗だらけの人生なので人に自慢するもの何て何もないのですが、最近、少なくても人生シネマの折り返し点は過ぎたと思う歳になって「これは自分だけの人生で他の人の人生と比較するものじゃないんだ」と思うようになり(気付くのが、遅い!笑)残された時間を精一杯生きるしかないんだと思う様になりました。

 人生の中では幾つもの岐路があります。それを選ぶのは自分自身、それは決して他人が決めたものじゃない。だとしたら覚悟をもって最後までその道を信じて全うしなくてはならないのです。

 私も小学校中学・高校と高知で暮らし大学を東京で過ごしサラリーマン生活を同じく東京で過ごし、そして覚悟をもって仕事を変え、八ヶ岳に来て今に到っています。その都度、自分なりに大なり小なり岐路の決断を迫られ自分なりに右か左を選んで来たつもりです。

 最近、見たTVドラマ「仁」に良く出てくるセリフ「神様は乗り越えられない試練は与えない」それが本当かどうか私には分かりません。神がいるのかどうかも分かりません。でも今回の様な大震災に直面すると何かに祈りたくなります。「どうか全ての人がこの試練を乗り越えられますように・・・」

 人生、山あり谷あり。良い事ばかりじゃないし悪いことばかりでもない。きっといつかは乗り越えられる。そして又、困難があっても覚悟を持って向き合えば又、きっと乗り越えられる。

 NGがあっても消し去る事は出来ないけどやり直す事は出来る。だからそれを信じて頑張るしかない。他人を信じ、自分を信じ、他人に騙されても他人を騙してはいけない。人を非難するのではなく、人を信じて共に生きる。

 これって言うのは簡単だけどそう旨くいかないから難しいのですよね。だから人生って面白い!

2011/04/25

花粉症

 この時期はいつもひどい花粉症に悩まされます。八ヶ岳に移住してくるまでは全く花粉症には縁がなかったのに、こっちへ引っ越してきてから発症してしまいました。今では一年中、薬漬けの日々です。体に良くないと思いつつどうにもならなくて服用しています。

 今年は又、結構きました(笑)花粉症がひどくなると頭は割れそうに痛いし、鼻水はダラダラだし、クシャミは百連発だし、眼ヤニは出るしで、もう人間やめたくなります。

 真面目に女房に夜「悪いけど頭取り換えたいから取ってくれる?(笑)」と毎日言っています。朝は特にひどくて寝床から起き上がるというより体を引き剥がすといった方が近いような努力が必要な程です。

 お陰で一日中マスクを欠かせない日々なのですがさすがに人と話をするのにマスクを付けたままという訳にもいかないし、困ったものです。

 どうしてこんな花粉症なんて病気があるのか私には分かりませんが取り敢えず一年中、薬を飲み続けるのは副作用もあるだろうし出来ればやめたいのですが、やめれないのが実情です。

 毎日「もうダメ、今日はもうダメだ~」と思いながら頑張っていると、ある時ふっと症状が軽くなったり、逆に我慢していると本当に立ち上がれなくなる位ひどくなったりするし、この病気は本当に困ったものです。

 知りあいから乳成分とかコーヒーとかの刺激物は出来るだけ避けた方が良いとアドバイスを受けたので実行しているのですが、と言うよりこれが良いよという話がある度に色々と試してはみるのですが「これが利く!」と言う特効薬がまだ見つからず、今度はちゃんと病院に行って何に反応しているのか調べて貰おうかと思っています。というか「早く調べろよ」という話なのですが中々近くの病院でどこに相談すれば良いのか分からず、根っからの優柔不断な性格が災いして今迄ずるずると過ごしてきたのがイケナイのですが・・・

 私は大体、春先の杉・桧の花粉飛翔時と秋の稲刈り時のブタクサが飛ぶ時が一番ひどいのですが、本人がそう思っているだけで実は全く違うものに反応しているのかも知れません。

 しかし、こんなに自然一杯の美しい環境の中で暮らしているのに何でこんな花粉症なんて病気に罹ってしまうんでしょうかね?

 以前、この病気の事を調べた時に「花粉だけでは発症せずに窒素酸化物と反応してなる」何て話を確かどこかで読んだ気がして、だから花粉症は都会の方が多いと思っていたのですが、少なくても私が住む八ヶ岳南麓には車なんて少ないし多いのは花粉だけなんだけどな?と不思議に思っています。

 それとも実は花粉とは全く関係なかったりして何て事もちょっと思っているのですが・・何れにしても根本的な解決策が見つからないので毎年、この時期はじっとグジョグジョになりながら耐えるしかない日々を過ごしております。

 早く、マスクを付けずに屋外で活動出来る様になりたい!余り、マスクをしていると知りあいから「やっぱりあれですか?放射能が心配で?」何て言われかねないし、それに息苦しいしメガネかけれないし・・・

 最近のマスクはメガネかけても曇らないように出来てます。なんて書いてあるけど色々なメーカーのもの試したけどあれ、絶対曇らないなんて事はないですね。私なんか鼻息荒いし(笑)すぐに曇ってしまいます。だから目が外部に出ているので余計、影響を受けるのです。

 でもまさかこれに防塵メガネなんて掛けて外、歩いていたらまさに「防護服ですか?」って言われそうですよね。いやはや、早くこの時期が過ぎてくれる事を願っています。

2011/04/16

不思議な言葉「ホ・オポノポノ」

 「ホ・オポノポノ」このなんとも言えない優しい言葉の響きを知ってますか?「ホ・オポノポノ」とはハワイ語で「祈り、議論、告白、後悔、互いの補償と許し」を表す言葉で、古代からハワイで伝えられるもので元は「大家族が壊れた家族関係を正しいものにするために集まること」だそうです(Wikipedia引用)

 これだけでは中々難しくて理解しにくいのですが近年この言葉のもつ意味をわかり易く実践する方法として自らに向けて「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返す事が「ホ・オポノポノ」になると言われています。

 この言葉の持つ本当の意味は多分、余りに奥が深くて私にはまだ良く分かっていないのですが現時点で私が理解している範囲では世の中に起こる全ての現実世界の問題は全て自分自身の中に存在し、それらについて全て自分自身が全責任を負わなくてはならないと言う事らしいです。

 それを理解した上で自分自身の記憶に対して「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返すのです。何だか???でしょ。

 私にもまだ良く分かってないのです。しかし、どうにもこの不思議な言葉の響きが気になって仕方ないのです。常夏のハワイ、自然溢れる美しい南国の夢の島、ハワイに伝わる言い伝えだからこそ何か奥深い言葉の響きを感じるのです。

 自然を愛し、自然と共に生きてきたであろう島の人々の暮らしを支える言葉であったろうと想像しています。複雑で利害関係が幾重にも絡みあった現代ですが本来は人と人が、「自然に祈りを捧げ、互いに問題点を議論し、過ちを告白し、それらを後悔し、お互いに補償し許し合う」その姿こそがハワイの島で暮らす人々の基本的な生活の基盤だったのでしょうか?そしてそれはすべて他人の問題ではなく自分自身の問題として捉えられたのだと思います。

 だから、自分自身に向かって「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と唱えたのではないでしょうか?

 私なんか毎日、どうやって楽に暮らそうか、どうやってサボってやろうか何て事ばかり考えているし(笑)元々がのんびり屋なので一つの事をボ~と考えている事が多いし、決断が遅いし、優柔不断だし、それでいて一応、経営者なので毎日の仕事は否応なしにのしかかって来るしで矛盾だらけの日々をダラダラ過ごしているので、この「ホ・オポノポノ」の教えとは程遠い暮らしなのです。

 でもだからこそこの言葉に魅かれるのです。他人を批判する事は簡単だけど批判する事で現実は変わらない。現実を変えるには先ず自分自身を変えなくてはならない。「ホ・オポノポノ」はそう教えています。

 自分自身に「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と騙されたと思って言ってみて下さい。何となく心が軽くなりませんか?ならない?そのへんは個人の感性の問題なので何とも言えないけど私は何となく気持ちが軽くなるのですよね~。

2011/04/11

我が家の癒し猫

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 我が家に2匹の猫が来てからちょうど1年経ちました。昨年、里親制度を利用して我が家にやってきたオス猫のバロンとお姉さん猫のジル、1年たってすっかり大きくなり我が家を走り回っています。

 我が家に来たばかりの頃は全く性格の違う2匹の猫が果たして旨くやっていけるか心配したこともあったけど今では毎日喧嘩しながらも仲良くなって2匹で毎日暮らしています。

 我が家に来た頃はまだ掌に乗りそうな位可憐だったオスのバロン体は今では3倍ほどにデカクなり、当初の可憐さはとっくにどっかにいってしまいました。(笑)マア、去勢してオカマ猫ちゃんになってしまったので太るのは仕方ないのですが近頃は飼い主に体型が似てきたと言われ若干複雑な思いもありますが・・・メスのジルの方は来た当初は決して心を許す事のない臆病で神経質な猫で台所の後ろに隠れて数週間は姿を現さなくてどうなるかと気を揉んだ事もありました。

 1年経って漸く最近は朝食の時に必ず私の膝に乗って甘えてきます。それでも1年経ってやっと触れる様になったのです。ジルにとっては大変な進歩です。しかし、何故か甘えてくるのはこの朝食の時だけでその他の時間帯には決して寄ってきません。本当に不思議な猫です。ある意味、野生に近い感覚を持った猫です。

 その点、バロンは人間を恐れるという感覚は全く無く誰がきても平気でとてもフレンドリーです。ただ問題はもの凄い甘えん坊になってしまったので欲求不満がたまると時と場所を選ばずに手当たり次第、私か女房の体に登ってきます。

 猫の感覚がどうなっているのか良く分らないのですが一日のライフサイクルが決まっていて毎日キッチリそのサイクルを刻まないと気が済まないようです。

 例えば夜、寝る時は寝室のドアを締めて猫には退室願うのですが朝、目覚ましの音がなると寝室のドアをガリガリと引っ掻き「早く起きろ」と騒ぎ出して扉を開けた瞬間に寝室に飛び込んできて私のお腹に乗ってきます。

 よしよしとお腹を撫でてやると納得して一緒に1階に降りて来ます。カーテンを開けてやると窓の外にぶら下げた鳥の餌台に寄ってくるシジュウカラを部屋内から見張らなくてはなりません(笑)鳥の方も、襲われる事はないと分かっているようですがそれでも猫の姿が見えると飛んでいってしまいます。

 暫くこの餌台の鳥の見張りが続くと漸く朝食の支度が出来て我々がテーブルにつくと今度はジルが待っていて朝食が始まると必ず私の膝に乗ってきます。

 昼間は、2匹で大人しく留守番しているのですが女房が帰ってくるとおやつの時間になっているのでもう大騒ぎです。そして私が仕事から帰って来て夕食が済むまでは2匹で大人しく遊んでいるのですが女房が2階で洗濯物を干し始めると一目散に飛んでいって抱きつきます。お陰で女房は片手で猫を抱いて片手で洗濯物を干さなくてはならない毎日です。一時期、女房は真剣に猫を背中に背負える袋を欲しがっていました。

 バロンの方は本当に人懐っこくてそれが裏目に出て自分の思い通りにならないとつい爪が出てしまい一時期は女房も私も体に引掻き傷だらけになった事もありました。

 ある日、私はもろに顔の正面を引っ掛かれて鼻の頭に見事な傷が出来て表を歩くのに恥ずかしかった事もありました。女房と二人で「これはイカン、何とか躾をチャンとしなくては」と言うことになり、爪を出して引掻くと大げさに「イタイッ!」と叫んで目を睨みつける様にしました。

 当初はそれで返って興奮して余計引っ掻かれる何て事もありましたが徐々に「どうもこれは爪を出すとマズイようだ」と気が付いたようで今では本当にタマに爪を出しますがほとんどは爪を引っ込めてじゃれる様になりました。その為に私の体によじ登ろうとするときでも爪を出さないので滑って登れないなんて時もあります。

 森の中で暮らす様になって5匹の猫と出会い一緒に暮らしましたが5匹とも個性が違っていて猫は本当に興味深い生き物です。

 

2011/04/04

本当の豊かさを求めて

 先日、20年来のお客様が亡くなくなりました。私と1歳違いのまだ早い最期でした。ほんの数週間前に会って話しをしたばかりでスタッフから「〇〇さんが亡くなりました」というメールを携帯電話に受け取った時にその文面の意味が一瞬、分かりませんでした。

 数年前に息子さんを亡くした時にも葬儀に出席させて頂きその直ぐ後に偶然、病院で奥様にお会いしたときには既に奥様が病を患っておられて息子さんの後を追う様に亡くなり、そして今回はそのご主人が亡くなってしまいました。

 又、東日本大震災では現時点で1万人を越える方の死亡が確認され、更に1万人以上の行方不明者が未だ見つかっていません。辛い事ですがこれは現実の事であり受け入れなければならない事実です。

 30歳代までは自分の死という事に想いを寄せる事はありませんでしたが次第に歳を重ね50歳を過ぎたあたりからどうしても身近な死というものを覚悟しなければならくなって来ました。

 それは自分の親だったり友人だったりお客様だったりしたのですが何れ自身の事についても考えておかねばならないと思うようになりました。しかし、それは人も生き物である以上、仕方ない事で誰しもいずれは訪れるものです。

 そして自分なりに得た結論は「考えても仕方ない」でした。今回の東日本大震災の様に思いもしない大災害に突然襲われて無念にも最期を迎えなければならない事もあるし、病を患って医者から余命を宣告されて最期の命の時間を自身が知ることもあります。それは、誰にも知るよしのない事だと思います。

 だから身近な死について思い悩むよりは今、現在、命を与えられている者は精一杯生きていくしか仕方無いのだと思うし、そうするのが生き残った者の勤めだと思います。

 昨日、婚活イベントを行いました。こんな時期に婚活イベントを開催してよいものかとも思いましたが、もしかしたらこのイベントで人生の伴侶を得る事が出来るかも知れない若者がいて、そしてそういうチャンスのある人が折角、参加したいと言ってくれているのにそのチャンスを奪ってはいけないと思いました。

 新しい家族が生まれるかも知れない出会いのチャンスを自粛という名のもとに奪ってもよいものか?無念にも震災で命を亡くされた方々もそれは望む事ではないと思うし残された遺族の方達もきっと許してくれると自分に言い聞かせました。

 日本は今、とてつもなく大きな苦難に曝されています。しかし、起こってしまった歴史は変える事が出来ません。起きてしまった事を批判するのは簡単ですが大事なのは批判ではなく事実を事実として受け止めてその教えから何を学び将来二度とこのような悲惨な歴史を繰り返さないようにする事ではないでしょうか?

 例えば、この国に本当に原子力発電所が今後も必要なのでしょうか?もし、必要無いとするのなら現在の不足する電力供給を残された我々はどの様に受け止めてどのように対処していけば良いのでしょうか?課題は正に山積です。

 世界の経済先進国として発展してきた日本にこの様な自然災害が起こるとは誰しも思っていなかった・・というより起こる可能性を知りながらもきっと文明の発達がそれを防ぐ事が出来る。だからきっと大丈夫と思おうとしていたと思います。

 しかし、起こってしまいました。私は起こるなら東海沖地震、もしくは東南海地震が起こるだろうと思っていました。いや、この先これらの地震が起こる可能性も否定は出来ないだろうと思います。

 日本は周りを海に囲まれた美しい国です。それだけに近海で大地震がおきれば津波は避けられません。地震という自然災害は人間にはどうしようもない事です。しかし、地震や津波を防ぐ事は出来なくてもその後の人災を防ぐ事は可能です。

 地震に襲われても壊れない家を造る事。災害に強い都市計画を造る事。災害に強いライフラインを造っておくこと。非常時の水や食料品の確保、食料品の国内備蓄や自給率のアップ等、この災害を教訓に経済一辺倒だった我々の豊かさの基準を改め、今こそ本当の人間の豊かさとは何かを考える時にきていると私は思います。

 日本は自然豊かな美しい国であり万一の自然災害時にも防災先進国としてその手本となり経済成長と自然との調和を保つ国としてこの災害をくぐりぬけていかねばなりません。

 我々一人ひとりがその覚悟を持ってこれから先、この国をどう変えていくべきなのか考えねばなりません。

2011/03/26

頑張れ日本!

 このところの大震災の報道や近くに避難して来た人々を見るにつけどうも涙腺が緩くなって困っています。もともと子供の頃から泣いたり笑ったりと、どちらかというと感情が顔に出るタイプなのでどうもこういうのに弱い。しかも、最近、加齢によるせいもあるのかも知れないけど余計、涙もろくなってしまい、どうも熱血ジャイアンツファンの徳光さん状態が続いています。

 ジャイアンツと言えば今回、プロ野球のセ・リーグは本当に情けない醜態を晒す事になって生れついてのジャイアンツファンとしては本当に悔しい思いをしてきました。こういう未曽有の災害にあった時はどうしても混乱は避けられないとは思いますが肝心の現場で実際にプレーをしなければならない選手にとって心の思いを押し殺して仕事をしなければならないというのは本当に辛いことだと思うし、結果的にそういう選手が嫌がる事を押しつけたフロント、球団幹部の責任は大きいと思います。

 新聞報道で見たコメントにも気になる事がありました。それは「選手が最後まで試合数をこなしてくれると言ったから・・云々」のコメントがセ・リーグの各球団の開幕延期を決めた理由のコメントに共通していました。

 敢えて言わして貰うとそれは違うと思います。選手達は震災の被害の事を思えばとてもいまはプレー出来ないしするべきではないと思い、それを球団側に進言しその代償として過密なスケジュールは敢えて受け入れると言っているのであって、こういう時に何故それでは試合数を減らして実施しようという案が球団側から出てこないのか残念でした。

 選手達がノルマをこなしてくれると言っているからまあここは譲ってやるかではなくプロ野球の社会的使命を本当に考えるのなら選手達の思いを先取りして最初から12球団で話し合って震災復興に向けた本当のプロ野球興業の姿勢として今年の開幕は遅らせてナイターは中止し年間試合数を減らし、選手達の負担も減らしそして震災で被害に合った人達に向けて何が出来るかをもっと真剣に考えて欲しかった。

 プロ野球の1ファンとして今回のセ・リーグ球団側の姿勢とファン、選手達の考えとの間に大きな隔たりがあるのを感じてしまい、とても残念でした。これを良い機会として本当のプロ野球興業とは何かをもっと選手・球団が一丸となって考えて欲しいと思います。セ・パ両リーグ、選手会がもっと一体化してくれないとファンは離れていってしまいますよ。

 先日、地元の若い人達が新しいネットワークを作るのでオブザーバーとして話を聞いてくれと言われ行って来ました。とにかく「若い人達のネットワークなので余計な事は言うな聞くだけにしてくれ(笑)」という事で黙って話を聞いていましたが、やはり今回の震災に関しての討議が続き、その中の一人が「現地に行って支援したいのに中々行く事が出来ない。何も出来ない自分に葛藤して悩んでばかりいる」と話していました。

 こういうネットワークに興味を持って集まってくる若者達ばかりなので当然、皆熱心で本当に熱い議論だったと歓心しました。これから色々な事にぶつかるだろうと思いますが彼らの様な熱心な若者がいれば地元は大丈夫という気がしてきました。勿論、我々中年組も負けていられませんが(笑)。

 もうすぐ4月がくるというのに昨晩から又、雪が降り中々春めいた季節が来てくれません。今年は故郷高知城の桜も日本一早く咲く桜として有名だったのですがどこかに負けてしまった様です。それでも春は来ると信じて毎日を元気に過ごして行かねばなりません。被災された方に頑張ってとはとても言えません。頑張らなくても良いから「私達にも何か出来る事があったら言って」と言いたいです。

 私は、自分では本当に些細な支援しか出来ませんが少しでもお役に立てる事をしていこうと思っています。頑張れ日本!!

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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