2011/04/30

人生山あり谷あり

 人生は山あり谷あり何て言いますが本当に色々あります。今回の東北大震災なんて被災された方も勿論ですが誰も予想しない事だったと思います。「想定外」という言葉が良く報道で出てきますが思いもしない事が起こるのが人生なのかも知れません。

 先日、ユーミンのコンサートが甲府で開催されましたが彼女がステージで述べたMCがとても印象的でした。曰く「今回の全国ツアーのコンセプトはシネマ、映画のシーンはNGを編集して造り直す事が出来ます。人生シネマの主人公は自分自身、NGの編集は出来ません。でも私はそんな人生が大好きです」彼女のファーストアルバム「飛行機雲」のツアーを見てから30数年の年月が過ぎて私としては2回目のユーミンのコンサートですが彼女も歳月を積み重ね荒井ユミから着実に成長して一流のアーチストとしての道を進んでいるように感じました。

 人は誰しも他人に言えない心に秘めた事や辛かった事を乗り越え、楽しかった事を記憶に残して人生を刻んでいくのだと思います。それは決して綺麗事ではない生身の人の記録を刻んで積み重ねていく正に自分を主人公とした人生のシネマを撮り続けているのかも知れません。

 私も未だに子供の頃に深く心に刻んで片時も心から離れない葛藤があります。他人にとってみればどうって事ない事かも知れませんが自分にとっては50数年経っても忘れられない自分だけの価値観に基づいた苦しみでもあります。

 それは自分の人生シネマでも忘れてはならない自分への戒めであり多分、死ぬまで背負っていく自分なりの価値観なのかも知れません。

 私なんか失敗だらけの人生なので人に自慢するもの何て何もないのですが、最近、少なくても人生シネマの折り返し点は過ぎたと思う歳になって「これは自分だけの人生で他の人の人生と比較するものじゃないんだ」と思うようになり(気付くのが、遅い!笑)残された時間を精一杯生きるしかないんだと思う様になりました。

 人生の中では幾つもの岐路があります。それを選ぶのは自分自身、それは決して他人が決めたものじゃない。だとしたら覚悟をもって最後までその道を信じて全うしなくてはならないのです。

 私も小学校中学・高校と高知で暮らし大学を東京で過ごしサラリーマン生活を同じく東京で過ごし、そして覚悟をもって仕事を変え、八ヶ岳に来て今に到っています。その都度、自分なりに大なり小なり岐路の決断を迫られ自分なりに右か左を選んで来たつもりです。

 最近、見たTVドラマ「仁」に良く出てくるセリフ「神様は乗り越えられない試練は与えない」それが本当かどうか私には分かりません。神がいるのかどうかも分かりません。でも今回の様な大震災に直面すると何かに祈りたくなります。「どうか全ての人がこの試練を乗り越えられますように・・・」

 人生、山あり谷あり。良い事ばかりじゃないし悪いことばかりでもない。きっといつかは乗り越えられる。そして又、困難があっても覚悟を持って向き合えば又、きっと乗り越えられる。

 NGがあっても消し去る事は出来ないけどやり直す事は出来る。だからそれを信じて頑張るしかない。他人を信じ、自分を信じ、他人に騙されても他人を騙してはいけない。人を非難するのではなく、人を信じて共に生きる。

 これって言うのは簡単だけどそう旨くいかないから難しいのですよね。だから人生って面白い!

2011/04/25

花粉症

 この時期はいつもひどい花粉症に悩まされます。八ヶ岳に移住してくるまでは全く花粉症には縁がなかったのに、こっちへ引っ越してきてから発症してしまいました。今では一年中、薬漬けの日々です。体に良くないと思いつつどうにもならなくて服用しています。

 今年は又、結構きました(笑)花粉症がひどくなると頭は割れそうに痛いし、鼻水はダラダラだし、クシャミは百連発だし、眼ヤニは出るしで、もう人間やめたくなります。

 真面目に女房に夜「悪いけど頭取り換えたいから取ってくれる?(笑)」と毎日言っています。朝は特にひどくて寝床から起き上がるというより体を引き剥がすといった方が近いような努力が必要な程です。

 お陰で一日中マスクを欠かせない日々なのですがさすがに人と話をするのにマスクを付けたままという訳にもいかないし、困ったものです。

 どうしてこんな花粉症なんて病気があるのか私には分かりませんが取り敢えず一年中、薬を飲み続けるのは副作用もあるだろうし出来ればやめたいのですが、やめれないのが実情です。

 毎日「もうダメ、今日はもうダメだ~」と思いながら頑張っていると、ある時ふっと症状が軽くなったり、逆に我慢していると本当に立ち上がれなくなる位ひどくなったりするし、この病気は本当に困ったものです。

 知りあいから乳成分とかコーヒーとかの刺激物は出来るだけ避けた方が良いとアドバイスを受けたので実行しているのですが、と言うよりこれが良いよという話がある度に色々と試してはみるのですが「これが利く!」と言う特効薬がまだ見つからず、今度はちゃんと病院に行って何に反応しているのか調べて貰おうかと思っています。というか「早く調べろよ」という話なのですが中々近くの病院でどこに相談すれば良いのか分からず、根っからの優柔不断な性格が災いして今迄ずるずると過ごしてきたのがイケナイのですが・・・

 私は大体、春先の杉・桧の花粉飛翔時と秋の稲刈り時のブタクサが飛ぶ時が一番ひどいのですが、本人がそう思っているだけで実は全く違うものに反応しているのかも知れません。

 しかし、こんなに自然一杯の美しい環境の中で暮らしているのに何でこんな花粉症なんて病気に罹ってしまうんでしょうかね?

 以前、この病気の事を調べた時に「花粉だけでは発症せずに窒素酸化物と反応してなる」何て話を確かどこかで読んだ気がして、だから花粉症は都会の方が多いと思っていたのですが、少なくても私が住む八ヶ岳南麓には車なんて少ないし多いのは花粉だけなんだけどな?と不思議に思っています。

 それとも実は花粉とは全く関係なかったりして何て事もちょっと思っているのですが・・何れにしても根本的な解決策が見つからないので毎年、この時期はじっとグジョグジョになりながら耐えるしかない日々を過ごしております。

 早く、マスクを付けずに屋外で活動出来る様になりたい!余り、マスクをしていると知りあいから「やっぱりあれですか?放射能が心配で?」何て言われかねないし、それに息苦しいしメガネかけれないし・・・

 最近のマスクはメガネかけても曇らないように出来てます。なんて書いてあるけど色々なメーカーのもの試したけどあれ、絶対曇らないなんて事はないですね。私なんか鼻息荒いし(笑)すぐに曇ってしまいます。だから目が外部に出ているので余計、影響を受けるのです。

 でもまさかこれに防塵メガネなんて掛けて外、歩いていたらまさに「防護服ですか?」って言われそうですよね。いやはや、早くこの時期が過ぎてくれる事を願っています。

2011/04/16

不思議な言葉「ホ・オポノポノ」

 「ホ・オポノポノ」このなんとも言えない優しい言葉の響きを知ってますか?「ホ・オポノポノ」とはハワイ語で「祈り、議論、告白、後悔、互いの補償と許し」を表す言葉で、古代からハワイで伝えられるもので元は「大家族が壊れた家族関係を正しいものにするために集まること」だそうです(Wikipedia引用)

 これだけでは中々難しくて理解しにくいのですが近年この言葉のもつ意味をわかり易く実践する方法として自らに向けて「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返す事が「ホ・オポノポノ」になると言われています。

 この言葉の持つ本当の意味は多分、余りに奥が深くて私にはまだ良く分かっていないのですが現時点で私が理解している範囲では世の中に起こる全ての現実世界の問題は全て自分自身の中に存在し、それらについて全て自分自身が全責任を負わなくてはならないと言う事らしいです。

 それを理解した上で自分自身の記憶に対して「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返すのです。何だか???でしょ。

 私にもまだ良く分かってないのです。しかし、どうにもこの不思議な言葉の響きが気になって仕方ないのです。常夏のハワイ、自然溢れる美しい南国の夢の島、ハワイに伝わる言い伝えだからこそ何か奥深い言葉の響きを感じるのです。

 自然を愛し、自然と共に生きてきたであろう島の人々の暮らしを支える言葉であったろうと想像しています。複雑で利害関係が幾重にも絡みあった現代ですが本来は人と人が、「自然に祈りを捧げ、互いに問題点を議論し、過ちを告白し、それらを後悔し、お互いに補償し許し合う」その姿こそがハワイの島で暮らす人々の基本的な生活の基盤だったのでしょうか?そしてそれはすべて他人の問題ではなく自分自身の問題として捉えられたのだと思います。

 だから、自分自身に向かって「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と唱えたのではないでしょうか?

 私なんか毎日、どうやって楽に暮らそうか、どうやってサボってやろうか何て事ばかり考えているし(笑)元々がのんびり屋なので一つの事をボ~と考えている事が多いし、決断が遅いし、優柔不断だし、それでいて一応、経営者なので毎日の仕事は否応なしにのしかかって来るしで矛盾だらけの日々をダラダラ過ごしているので、この「ホ・オポノポノ」の教えとは程遠い暮らしなのです。

 でもだからこそこの言葉に魅かれるのです。他人を批判する事は簡単だけど批判する事で現実は変わらない。現実を変えるには先ず自分自身を変えなくてはならない。「ホ・オポノポノ」はそう教えています。

 自分自身に「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と騙されたと思って言ってみて下さい。何となく心が軽くなりませんか?ならない?そのへんは個人の感性の問題なので何とも言えないけど私は何となく気持ちが軽くなるのですよね~。

2011/04/11

我が家の癒し猫

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 我が家に2匹の猫が来てからちょうど1年経ちました。昨年、里親制度を利用して我が家にやってきたオス猫のバロンとお姉さん猫のジル、1年たってすっかり大きくなり我が家を走り回っています。

 我が家に来たばかりの頃は全く性格の違う2匹の猫が果たして旨くやっていけるか心配したこともあったけど今では毎日喧嘩しながらも仲良くなって2匹で毎日暮らしています。

 我が家に来た頃はまだ掌に乗りそうな位可憐だったオスのバロン体は今では3倍ほどにデカクなり、当初の可憐さはとっくにどっかにいってしまいました。(笑)マア、去勢してオカマ猫ちゃんになってしまったので太るのは仕方ないのですが近頃は飼い主に体型が似てきたと言われ若干複雑な思いもありますが・・・メスのジルの方は来た当初は決して心を許す事のない臆病で神経質な猫で台所の後ろに隠れて数週間は姿を現さなくてどうなるかと気を揉んだ事もありました。

 1年経って漸く最近は朝食の時に必ず私の膝に乗って甘えてきます。それでも1年経ってやっと触れる様になったのです。ジルにとっては大変な進歩です。しかし、何故か甘えてくるのはこの朝食の時だけでその他の時間帯には決して寄ってきません。本当に不思議な猫です。ある意味、野生に近い感覚を持った猫です。

 その点、バロンは人間を恐れるという感覚は全く無く誰がきても平気でとてもフレンドリーです。ただ問題はもの凄い甘えん坊になってしまったので欲求不満がたまると時と場所を選ばずに手当たり次第、私か女房の体に登ってきます。

 猫の感覚がどうなっているのか良く分らないのですが一日のライフサイクルが決まっていて毎日キッチリそのサイクルを刻まないと気が済まないようです。

 例えば夜、寝る時は寝室のドアを締めて猫には退室願うのですが朝、目覚ましの音がなると寝室のドアをガリガリと引っ掻き「早く起きろ」と騒ぎ出して扉を開けた瞬間に寝室に飛び込んできて私のお腹に乗ってきます。

 よしよしとお腹を撫でてやると納得して一緒に1階に降りて来ます。カーテンを開けてやると窓の外にぶら下げた鳥の餌台に寄ってくるシジュウカラを部屋内から見張らなくてはなりません(笑)鳥の方も、襲われる事はないと分かっているようですがそれでも猫の姿が見えると飛んでいってしまいます。

 暫くこの餌台の鳥の見張りが続くと漸く朝食の支度が出来て我々がテーブルにつくと今度はジルが待っていて朝食が始まると必ず私の膝に乗ってきます。

 昼間は、2匹で大人しく留守番しているのですが女房が帰ってくるとおやつの時間になっているのでもう大騒ぎです。そして私が仕事から帰って来て夕食が済むまでは2匹で大人しく遊んでいるのですが女房が2階で洗濯物を干し始めると一目散に飛んでいって抱きつきます。お陰で女房は片手で猫を抱いて片手で洗濯物を干さなくてはならない毎日です。一時期、女房は真剣に猫を背中に背負える袋を欲しがっていました。

 バロンの方は本当に人懐っこくてそれが裏目に出て自分の思い通りにならないとつい爪が出てしまい一時期は女房も私も体に引掻き傷だらけになった事もありました。

 ある日、私はもろに顔の正面を引っ掛かれて鼻の頭に見事な傷が出来て表を歩くのに恥ずかしかった事もありました。女房と二人で「これはイカン、何とか躾をチャンとしなくては」と言うことになり、爪を出して引掻くと大げさに「イタイッ!」と叫んで目を睨みつける様にしました。

 当初はそれで返って興奮して余計引っ掻かれる何て事もありましたが徐々に「どうもこれは爪を出すとマズイようだ」と気が付いたようで今では本当にタマに爪を出しますがほとんどは爪を引っ込めてじゃれる様になりました。その為に私の体によじ登ろうとするときでも爪を出さないので滑って登れないなんて時もあります。

 森の中で暮らす様になって5匹の猫と出会い一緒に暮らしましたが5匹とも個性が違っていて猫は本当に興味深い生き物です。

 

2011/04/04

本当の豊かさを求めて

 先日、20年来のお客様が亡くなくなりました。私と1歳違いのまだ早い最期でした。ほんの数週間前に会って話しをしたばかりでスタッフから「〇〇さんが亡くなりました」というメールを携帯電話に受け取った時にその文面の意味が一瞬、分かりませんでした。

 数年前に息子さんを亡くした時にも葬儀に出席させて頂きその直ぐ後に偶然、病院で奥様にお会いしたときには既に奥様が病を患っておられて息子さんの後を追う様に亡くなり、そして今回はそのご主人が亡くなってしまいました。

 又、東日本大震災では現時点で1万人を越える方の死亡が確認され、更に1万人以上の行方不明者が未だ見つかっていません。辛い事ですがこれは現実の事であり受け入れなければならない事実です。

 30歳代までは自分の死という事に想いを寄せる事はありませんでしたが次第に歳を重ね50歳を過ぎたあたりからどうしても身近な死というものを覚悟しなければならくなって来ました。

 それは自分の親だったり友人だったりお客様だったりしたのですが何れ自身の事についても考えておかねばならないと思うようになりました。しかし、それは人も生き物である以上、仕方ない事で誰しもいずれは訪れるものです。

 そして自分なりに得た結論は「考えても仕方ない」でした。今回の東日本大震災の様に思いもしない大災害に突然襲われて無念にも最期を迎えなければならない事もあるし、病を患って医者から余命を宣告されて最期の命の時間を自身が知ることもあります。それは、誰にも知るよしのない事だと思います。

 だから身近な死について思い悩むよりは今、現在、命を与えられている者は精一杯生きていくしか仕方無いのだと思うし、そうするのが生き残った者の勤めだと思います。

 昨日、婚活イベントを行いました。こんな時期に婚活イベントを開催してよいものかとも思いましたが、もしかしたらこのイベントで人生の伴侶を得る事が出来るかも知れない若者がいて、そしてそういうチャンスのある人が折角、参加したいと言ってくれているのにそのチャンスを奪ってはいけないと思いました。

 新しい家族が生まれるかも知れない出会いのチャンスを自粛という名のもとに奪ってもよいものか?無念にも震災で命を亡くされた方々もそれは望む事ではないと思うし残された遺族の方達もきっと許してくれると自分に言い聞かせました。

 日本は今、とてつもなく大きな苦難に曝されています。しかし、起こってしまった歴史は変える事が出来ません。起きてしまった事を批判するのは簡単ですが大事なのは批判ではなく事実を事実として受け止めてその教えから何を学び将来二度とこのような悲惨な歴史を繰り返さないようにする事ではないでしょうか?

 例えば、この国に本当に原子力発電所が今後も必要なのでしょうか?もし、必要無いとするのなら現在の不足する電力供給を残された我々はどの様に受け止めてどのように対処していけば良いのでしょうか?課題は正に山積です。

 世界の経済先進国として発展してきた日本にこの様な自然災害が起こるとは誰しも思っていなかった・・というより起こる可能性を知りながらもきっと文明の発達がそれを防ぐ事が出来る。だからきっと大丈夫と思おうとしていたと思います。

 しかし、起こってしまいました。私は起こるなら東海沖地震、もしくは東南海地震が起こるだろうと思っていました。いや、この先これらの地震が起こる可能性も否定は出来ないだろうと思います。

 日本は周りを海に囲まれた美しい国です。それだけに近海で大地震がおきれば津波は避けられません。地震という自然災害は人間にはどうしようもない事です。しかし、地震や津波を防ぐ事は出来なくてもその後の人災を防ぐ事は可能です。

 地震に襲われても壊れない家を造る事。災害に強い都市計画を造る事。災害に強いライフラインを造っておくこと。非常時の水や食料品の確保、食料品の国内備蓄や自給率のアップ等、この災害を教訓に経済一辺倒だった我々の豊かさの基準を改め、今こそ本当の人間の豊かさとは何かを考える時にきていると私は思います。

 日本は自然豊かな美しい国であり万一の自然災害時にも防災先進国としてその手本となり経済成長と自然との調和を保つ国としてこの災害をくぐりぬけていかねばなりません。

 我々一人ひとりがその覚悟を持ってこれから先、この国をどう変えていくべきなのか考えねばなりません。

2011/03/26

頑張れ日本!

 このところの大震災の報道や近くに避難して来た人々を見るにつけどうも涙腺が緩くなって困っています。もともと子供の頃から泣いたり笑ったりと、どちらかというと感情が顔に出るタイプなのでどうもこういうのに弱い。しかも、最近、加齢によるせいもあるのかも知れないけど余計、涙もろくなってしまい、どうも熱血ジャイアンツファンの徳光さん状態が続いています。

 ジャイアンツと言えば今回、プロ野球のセ・リーグは本当に情けない醜態を晒す事になって生れついてのジャイアンツファンとしては本当に悔しい思いをしてきました。こういう未曽有の災害にあった時はどうしても混乱は避けられないとは思いますが肝心の現場で実際にプレーをしなければならない選手にとって心の思いを押し殺して仕事をしなければならないというのは本当に辛いことだと思うし、結果的にそういう選手が嫌がる事を押しつけたフロント、球団幹部の責任は大きいと思います。

 新聞報道で見たコメントにも気になる事がありました。それは「選手が最後まで試合数をこなしてくれると言ったから・・云々」のコメントがセ・リーグの各球団の開幕延期を決めた理由のコメントに共通していました。

 敢えて言わして貰うとそれは違うと思います。選手達は震災の被害の事を思えばとてもいまはプレー出来ないしするべきではないと思い、それを球団側に進言しその代償として過密なスケジュールは敢えて受け入れると言っているのであって、こういう時に何故それでは試合数を減らして実施しようという案が球団側から出てこないのか残念でした。

 選手達がノルマをこなしてくれると言っているからまあここは譲ってやるかではなくプロ野球の社会的使命を本当に考えるのなら選手達の思いを先取りして最初から12球団で話し合って震災復興に向けた本当のプロ野球興業の姿勢として今年の開幕は遅らせてナイターは中止し年間試合数を減らし、選手達の負担も減らしそして震災で被害に合った人達に向けて何が出来るかをもっと真剣に考えて欲しかった。

 プロ野球の1ファンとして今回のセ・リーグ球団側の姿勢とファン、選手達の考えとの間に大きな隔たりがあるのを感じてしまい、とても残念でした。これを良い機会として本当のプロ野球興業とは何かをもっと選手・球団が一丸となって考えて欲しいと思います。セ・パ両リーグ、選手会がもっと一体化してくれないとファンは離れていってしまいますよ。

 先日、地元の若い人達が新しいネットワークを作るのでオブザーバーとして話を聞いてくれと言われ行って来ました。とにかく「若い人達のネットワークなので余計な事は言うな聞くだけにしてくれ(笑)」という事で黙って話を聞いていましたが、やはり今回の震災に関しての討議が続き、その中の一人が「現地に行って支援したいのに中々行く事が出来ない。何も出来ない自分に葛藤して悩んでばかりいる」と話していました。

 こういうネットワークに興味を持って集まってくる若者達ばかりなので当然、皆熱心で本当に熱い議論だったと歓心しました。これから色々な事にぶつかるだろうと思いますが彼らの様な熱心な若者がいれば地元は大丈夫という気がしてきました。勿論、我々中年組も負けていられませんが(笑)。

 もうすぐ4月がくるというのに昨晩から又、雪が降り中々春めいた季節が来てくれません。今年は故郷高知城の桜も日本一早く咲く桜として有名だったのですがどこかに負けてしまった様です。それでも春は来ると信じて毎日を元気に過ごして行かねばなりません。被災された方に頑張ってとはとても言えません。頑張らなくても良いから「私達にも何か出来る事があったら言って」と言いたいです。

 私は、自分では本当に些細な支援しか出来ませんが少しでもお役に立てる事をしていこうと思っています。頑張れ日本!!

2011/03/20

自然は無限の優しさと無限の狂気を併せ持っている

 昔、一人で山によく登りにい行った。何故、一人で行きたいのか自分でも良く分からなかった。単に人と群れることが苦手だったのかも知れないが、ある日、同じ様に山に一人で登っているときにフト思った。今はこの山の自然の中に頼れるのは自分一人だけ、この文明の恩恵に溢れる現代社会の中で唯一、その文明の利便さと縁を切り自分が自然の中の生物の一つだと実感出来るのが唯一、単独登山だと。

 大して高い山に登った訳では無いのだけどそれでも一瞬、確かに一人きりで自然の中に居る事が実感出来た。そんな想いを心の中にしまいながら、いつしか家族を連れて八ヶ岳の山の中に丸太小屋を建てて住み始める事になった。

 山道の行き止まりに建つ我が家は当初、街灯も勿論無く、都会の安全な暮らしに慣れた自分には自然との共生に憧れていながら夜、漆黒の闇に沈む我が家への道を歩く時の恐怖、家族も冬の寒さや学校までの延々続く遠い道のりに幾度か挫けそうになったと後で知らされた。

 しかし、そんな環境に住んでいるからこそ自然は本当に美しい姿も見せてくれた。漆黒の闇に音も無く飛ぶふくろうの美しさ、冬の満月の夜、美しく夜空に輝く雪の八ヶ岳、夜空に流れる美しい天の川、それは住んでいる者にしか見せてくれない自然からのご褒美だった。

 山に住み始めて数年経った冬のある日、八ヶ岳南麓に観測史上初の大雪が降った積雪は約1m、丁度出張で留守をしていた私は家に帰れなくなり出張先の駅の近くの知り合いの家に一晩泊めてもらい翌日、家に帰った。

 いや、帰ろうとしたら道が途中で無くなっていた。除雪車が森の入口まで除雪してくれていたのだがそこには1m以上の除雪された雪の壁が出来ていてその向こうには道と言うものが無くなっていた。

 家までまだ300m程ある。仕方なく家に電話して家から子供達と女房にラッセルして貰い、自分もこちら側からラッセルして途中で会おうという作戦にした。子供達はソリを引っ張って一生懸命ラッセルして来てくれた。森の中で出会えて家族は本当に嬉しそうだった。

 そんな自然の中で暮らしているとフト思うことがある。それは自分も自然の中の一部にしか過ぎないんだと・・・当たり前の事だけど本当は意外と実感するのが難しい。

 特に都会の便利な文明の中に生きているとそれは殆ど不可能に近い。例えば、朝、我が家には新聞が届かない。新聞屋さんが森の中まで来てくれないので森の外まで取りに行かなくてはならない。

 そんな時、最近ふと思った。クマに襲われないだろうかと・・・朝早くは誰もいない。森の中も静かだ。今まではせいぜい鹿の群が森の中からジットこっちを見ているとかキツネが横切るとか少なくても自分に危害を与える動物に出会う可能性は全く自分の頭の中に無かった。

 しかし、最近、頻繁に熊が出るようになりそれは気付きたくなかった事だけど気付いてしまった。そうなった時、自分はその自然の相手と一人で向い合わなくてはならない。本当の自然に近ければ近いほどその自然は美しくそして残酷である。

 1週間前、未曾有の巨大地震とそれに伴う津波が日本を襲った。その光景をカメラが捉え我々は安全な所にいるにも関わらずまるでその場に居るかのように繰り返し報道番組を通して見る事になった。

 想像を絶する津波の巨大な自然エネルギーの前で我々の文明はいかに無力であるか思い知らされた。経済の繁栄を支えてきた原子力エネルギー、それは人間の味方だと誰しも信じていた。

 いや、一部の人達はその危険性をいつも不安に思いながらもその恩恵を受けざる得ない現実を過ごして来たと言った方が良いかも知れない。しかし、やはりそれは決して自然エネルギーでは有り得なかった。

 一度、暴走し始めた文明の象徴は人間の想いとは別に荒れ狂い、まるでそれは自然が時折見せる狂気のような凶暴性の象徴のように人間に挑んでいる。

 今となっては何とか凶暴性を納め元のように静寂を取り戻して欲しいと願うばかりである。

 多くの被災者が苦しんでいる中、私も日常の仕事をこなしながら何とか自分で出来る支援をしようと思う。

 建築界も多大の被害を受けた、それは建物の被害は言うに及ばず建築資材を生産していた東北地方の拠点を失い多くの建築資材が手に入らなくなっている。復興にはまだ時間がかかるものと思われる。

 しかし、本当の復興はまだまだこれからである。時間と共に記憶が薄れていくのではなく我々は冷静にこの甚大な自然災害のもたらした警鐘を謙虚に受け止め次の世代に受け継ぎ、必ず日本の復興を信じ力を合わせて立ち向かわなくてはなりません。

 決して多額の義援金や救援物資で無くても良いのです。自分が出来るほんの少しの助け合いの気持ちが日本の復興に繋がると信じています。皆で力を合わせて復興に向けて手を繋ぎましょう。

2011/03/12

地震発生その後

昨日の地震発生時、丁度事務所で仕事中に揺れが襲いました。

 最初はちょっと揺れた程度で「ウン?何か揺れてる?」といった感じでした。その後、大きく横揺れが来てその後、かなり長い間、大きな横揺れが続きました。スタッフは慌てて外に飛び出し、私は少し様子をみて揺れが弱まるのを待って外に出ました。

 大きな揺れの直後、「バンッ」という音と共に停電しその後、全く情報が入らなくなりました。事務所の外に出てからも揺れが続き、これは大変な地震被害がでると直感しました。

 スタッフと連絡をとろうとしてメールをしましたが全く繋がらず、何とか情報を得ようと気が付いたのが携帯電話の機能として付いていたワンセグテレビでした。

 試してみると何とか写りました。その画像を見て愕然としました。まるで映画を見ているような大惨事の画像が映し出されとても現実の日本で起こっていることとは信じられない光景でした。

 その後、となりの事務所の社長さんが発電機を出してきて「これでTVを見よう」と言ってくれたので何とか発電機を回してTVを付けると先ほど携帯電話のワンセグTVで見た小さな画像が大きく画面に映し出されていました。

 事務所の暖房はすべて電源が切れて使えないのでその事務所の発電機で暖房を付けて貰い隣の事務所でじっと情報を得ながら何とかスタッフと連絡をとり直ぐに帰って来るように連絡しました。

 しかし、携帯は相変わらず繋がりにくくスタッフが自分の子供が学校から緊急集団下校してくるのを迎えに行って事務所に集合したのはそれから2時間後位経っていました。

 市内が全域停電しているので暗くならないうちに家に帰るようにして帰宅しました。自宅に帰って来てからも暗くならないうちにウッドストーブの薪を家の中に出来るだけ運び込み、使える懐中電灯をかき集めローソクも直ぐに使えるように机の上に並べて5時頃から、まだお腹が減っていませんでしたが暗くならないうちに兎に角、何かお腹に入れようと言うことになり電気が使えないのでガス台で肉と野菜を炒めて冷たくなった炊飯器に残っていたご飯をお茶碗に入れて急いで夕食を済ませました。

 それからウッドストーブに火をれて暖房を確保してローソクに火を灯しました。その後、ふと気が付いて昔、友人から貰って使うチャンスもなくインテリアになっていたホヤ付きのランタンが有ったのを思い出し、早速灯油を入れてこれも火をともしました。

 それから忘れていけないのはラジオ、これは以前からいざと言う時の為に手巻きのラジオとライトが一緒になった優れものを用意してあったのでそれからは、ず~とラジオを女房と2人で聞いていました。

 しかし、そのうちに、もうすることもないので「これはもう寝るしか無いね」と言うことになり風呂にも入れないので寝る事にしました。

 しかし、そこでフト気が付きました。「待てよ、このまま停電が続くと今晩の外気温は氷点下6度は間違いないところ・・外の配管に巻いてある凍結防止帯のヒーターは切れてるからボイラーか配管がこのままではパンクする可能性があるな」と・・・仕方ないので一度脱いだ防寒着を再び着込んで懐中電灯を持って外にでて配管の水抜きをしました。

 やれやれこれで一安心と思い、寒さに震えながら布団に包まって寝ようとしたら今度は携帯から緊急地震情報がけたたましく鳴り響き、結局この携帯電話の緊急地震情報がその後も何回も続き、結局朝まで一睡も出来ず仕舞いでした。

 次の朝、夜明け近くに試しに枕元のデスクスタンドのスイッチに触れるとパッと電気がつくじゃないですか!こんなに電気が有り難いと思ったのは久しぶりでした。

 その後、事務所に出社すると電話は通じず、パソコンはネット接続が繋がらず何やらテンヤワンヤしているうちにあっちこっちから「ボイラーがパンクしたので何とかして欲しい」との連絡がたてつづきに入り、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと一日ウロウロと走り回って一日が過ぎてしまいました。

 その間、横目で見ていたTVからは信じられない光景が次から次へと放送されとても現実とは思えませんでした。

 災害に遭われた多くの皆さん、心よりお見舞申し上げます。何とか力を合わせて頑張りましょう!

2011/03/05

そっとしといてくんない?

 ここ数日、地元で中部横断道の建設アンケート調査が始まり我々、地元に住んでいる人達の間で騒動が起こっている。

 そりゃそうだ、私には何でこんな美しい自然があふれる場所に無粋な高速道路を今、造らなくてはならないのか理解出来ない。誤解しないで欲しいので私は何でも反対というのでは無いのです。自分達もこの美しい自然に魅せられて移り住むに当たっては少なからず自然に影響を与えているのだから自分達だけが住んでて後は兎に角、何もしてはダメと言っている訳ではありません。

 今、日本が抱えている経済の停滞や少子高齢化に伴う福祉対策の財源確保が懸念されている状況で、それでもこの中部横断道の建設が優先されるべき事案なのかなという事です。

 アンケート調査は産業活性化や緊急車両の搬送時間短縮等、いかにもといった建設ありきと思われる質問設定になっていましたが、そんな事は言われなくても分かるのですよ。それでも今、地元が抱えている過疎化や高齢化に対する解決策にこの中部横断道が寄与する事があるのだろうかと疑問に思ってしまいます。高速道路が出来る事によるメリットや経済効果等をチラつかせて建設推進を計ろうという古いやり方はもう止めませんか?

 せっかく日本が長期に渡る単独与党政権が崩壊して変わろうとしている時、いや、国民が変革を選択したというのに、この国は又、元のような利権にまみれた道路行政に戻ってしまうのでしょうか?私自身は今の地元道路の現状にこれ以上の便利さは必要ないのではないかと思っています。

 そりゃ、砂利道でデコボコだらけの道もあるし不便なところは確かにあります。私が住んでいる森の中も引っ越してきた当初は砂利道でした。

 それが森の奥に別荘地が開発され開発に伴う条件として道路整備が義務付けられ舗装道路になり随分便利になりました。でも、そんなある日、森に土砂降りの雨が降った後、道路は川のようになってしまいました。今までは砂利道で降った雨が自然に浸透していたものが舗装されておまけに別荘地に多くに家が建ったために雨水が浸透出来ずに一気に道路を川に変えて落ちてきたのです。便利さの影には必ず失うものがあるのです。

 私も家を建てるのに木を伐りました。だから偉そうな事は言えませんが大規模な開発は急激な自然の変化を及ぼし、それを元に戻すには又、長い年月がかかります。場合によっては2度と元には戻らない事だってあります。

 私が引っ越してきた当初、私の家の奥には大規模リゾート開発の予定があってホテルだとかゴルフ場や牧場までが備わったそれこそ一大リゾート計画でした。

 開発には隣地住民の同意書が必要ということらしく地元の知りあいの方がその施工会社に勤めておられてある日、同意書に判をついて欲しいと来られました。

 知りあいという事もあり私も言いにくかったのですが「この同意書に私が印鑑を付かなければこの計画は出来なくなるのですか?」と聞いたら「いえ、そういう事はありません」と言われたので「それじゃ、申し訳ないけど私はこの同意書にハンコは付けないです」とお断りしました。

 だって、印鑑を押そうが押さなかろうが計画が実施されて単に、開発業者の開発推進に協力する為に名前が使われるのは納得出来なかったからです。幸い、その計画はバブルがはじけて中止になりました。

 今回の中部横断道も国の国家プロジェクトとしてどうしても早期に建設実施が必要でその為に協力しろと言うのならまだ分かります。でも、とてもそうとは思えないのです。既に計画がスタートしていて今更やめれないから兎に角、進めるしかないんだという今迄の日本の古い体質がまだ抜けてないんだとしか私には思えません。

 私は以前、勤めていた会社の仕事で成田空港の開港を控えて空港に勤める予定のその会社の社員寮を成田に建てるべく建設現場で働いていました。

 でも、その時思ったのです。「どうしてこんな所に国際空港を造らなくてはならないのだろう?世界で最も不便な国際空港と言われ、地元の方がこれほど厭がっているのに何故、国は多大な費用を掛けてこんな不便な所に空港を造らねばならないのか?何故、羽田じゃだめなんだろ?」その時の詳しい国の事情は私なんかには分かりません。

 今、羽田空港の国際化が進み徐々に成田から羽田に国際線が移りつつあります。国は自分達が間違っても決して間違えましたとは言わないところです。

 いつまでこんな事が続くんだろうと今回の中部横断道についても思いました。一旦、造ってしまうと成田空港も今更、羽田が国際化されたら困るという事に絶対なります。伊丹空港の時もそうでした。あれ程騒音被害に苦しんでいたのに沖合に関西空港移転案が出ると途端に移転反対と言いだす人も出ました。そりゃ当然だし、そういう意味では沖縄も同じような問題を抱えていると思います。それ程、地元の人の心には大きな影響を与えてしまうのです。

 せっかく穏やかに静かに暮らしているんです、そっとしといてくれませんかね。これ以上、不要な道路を造るのはやめようじゃありませんか。今、道路よりも大事なものがありませんか?

2011/02/26

全国一斉月齢伐採第2回サンプリング調査

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 今日は昨年10月末より実施している全国一斉月齢伐採の第2回目のサンプリング調査を行ないました。

 昨年10月末より下弦、新月、上弦、満月の4回に渡り全国11箇所でそれぞれ3本ずつ木を伐採して山で葉をつけたまま葉枯らし乾燥をさせてその成分の変化を調査しようという実験が行なわれています。

 今回は伐採3ヶ月後の様子を伐採した木からサンプルを伐り出して冷凍パックして研究機関に送って調査をお願いしようという訳です。

 山梨では当社が担当しているのですがちょうど先週降った雪が森の中にまだ残っており「こりゃ無理かな・・」と思っていたら、このところの気温上昇で雪がすっかり融けてくれて何とか今日、サンプリングを実施する事が出来ました。

 しかし、スタッフに手伝って貰って森の中に入り、昨年末に伐採して倒されている12本の木を探し出して木口に記録されている全国共通の番号を確認してその木口から新たな切片を伐り出して、そうすると元の木の木口には記録されていた番号が切り出されて消えてしまうので又、新たに番号を書き直して、そうしながら写真撮影も行なってと・・・やっと12本の木からサンプルをそれぞれ2つ計24個の切片を伐り出したかと思えば、今度はそれを車まで運んでから加工場に持ち込まなくてはなりません。

 その後、指定された大きさに切片をカットしてサンプルを冷凍する為に野菜パックに詰め込んで自宅に持ち帰り、取り急ぎ冷凍庫に24個の木片を放り込むまでが本日のノルマでしたがそれでも何やかやで半日も掛かってしまい、ヤレヤレでした。

 しかし、この実験はまだまだ続き、今度は伐採6ヶ月後のサンプリングをしなければなりません。本当に木に関る実験というか調査には長い時間がかかります。

 それでも先日、実験の取り纏めをして頂いている森林組合の方にお会いして少し話を聞きましたがどうやらバラツキはあるものの全国的に月齢による変化は確かにありそうだとの情報を得て、まだまだ最終的には研究をお願いしている京都大学の正式な調査結果報告が出ないとなんとも言えませんが何だかドキドキです。

 こういう実験は例えどのような結果が出てもなんだかロマンが有って楽しくないですかね。「木は月を見て踊っている」なんて言葉もあって最初は僕らも好んでこのセリフを使っていました。

 しかし、日本は南北に長い国ですので木にも当然、地域差があって中々、一概には月齢による変化は言えないだろと言う事で、それじゃ全国で一斉に伐採してみようじゃないか、それなら文句無いだろ・・・なんて別に文句をいう人が居た訳ではありませんがとかくこういう話は「胡散臭い」と思われる人も確かに居られるわけで、それじゃ兎に角、全国で協力してくれるところにお願いしてやってみようじゃないかとなった訳であります。

 「ところで山梨はどうするんだ?」と言われ「それじゃ私がとりあえずやります」となった訳ですが、さてさて、結果がどうなるか?今から本当に楽しみですね。

 えっ?何?結果が出たら教えろ?そりゃ勿論、どんな結果が出ても報告致しますです。ハイ。


 
 

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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