雑記帳 Feed

2007/05/05

GWに出会った人と動物

今年のGWも、もう直ぐ(後、一日)終わり。19年前にサラリーマンを辞めてからGWというものと全く関係無くなってしまったので、もうGWが待ち遠しいとか楽しみとかいう感情は全く無くなってしまいました。むしろ近くのコンビニ行っても駐車場に入れないほどの混雑でちょっと食傷気味です。そんな今年のGWに出会った人達と動物達を紹介します。

1、隣の別荘の住人Tさんご夫妻とその友人  

隣のTさん夫妻とは我が家を建ててからの長いお付き合いで、もともと手造りの小屋で静かな別荘生活を楽しんでおられた処へ子供3人連れた夫婦が変な丸太小屋を建てて転がり込んできたもので憐れ、Tさん夫妻の静かな別荘暮らしは終わり、それ以来、我が家の子供達のオジチャン、オバチャンという親戚関係になってしまい、別荘に来られる度に食事&飲み会に呼んで貰いいつも楽しくお付き合いさせて頂いている。子供達が成人して東京に出てからも親戚のオバチャン、オジチャンとして子供達の面倒を見て頂いている。だから、我が家の子供達はTさんご夫婦には頭が上がらない。一番下の子供の小学校の運動会なんか、どんな都合があっても必ず駆けつけてくれて、ひどい時は東京から日帰りで小淵沢からタクシー乗って駆けつけて終わり次第、東京にとんぼ返りなんて事もあったりした。本当にもう我が家には欠かせないオジチャンとオバチャンなのである。そしてその友人達とも飲み会、食事会を通して紹介されて楽しくお付き合いさせて頂いた。いつも気持ちの良い人達ばかりが集まってくるから不思議である。

2、猫の夜会

このGW、多くの猫の夜会に出くわした。もともと自宅のそばの道路の側溝には必ず4,5匹の兄弟と思われる子猫が夜な夜な潜んでいて道路に出てはじゃれ回って遊んでいる。しかし、この前は道路の真ん中で行為に及んでいる不届きなカップルがいてこれには参った。邪魔しちゃかわいそうかなとも思ったけど中々終わりそうもないし其処どいて貰わないと家に帰れないし、仕方なく中断して貰ってやっと家に帰りつきました。人里離れた森の中にも何故か猫達が集まってなにやら会合を開いていて通り掛ると慌てて解散していきました。一体何を話しあっていたんだろ?

3、狐の散歩

夜、会社を終えていつもの道を帰っていると久しぶりにいつものカーブでいつもの狐に出会った。しかし今回、彼は私の方に尻尾を向けてなにやら向こうを一生懸命見詰めている。だから私が車で近づいている事にちっとも気付かない。ヘッドライトが自分を照らして影が出来ている事に漸く気付いた時にはもう数メートルまで近づいていました。ビックリした様子で直ぐに道の横の藪の中に飛び込んで行きましたが彼が見詰めていた闇の方はじっと目を凝らしても私には何も見えませんでした。

4、竹炭焼人の嘆き

前回、失敗した竹炭焼、こんどこそとリベンジに燃えた炭焼き先生から一枚のFAXが送られて来た。もうそろそろ良いだろうと思って窯を開けたらまだ熱くてとても窯の中に入れない。だからまだ出来ないから窯出しの日程を延期する。という内容であった。電話を入れて「ダメですか?」「ウン、まだダメだね。出来たら連絡するからそれまで待っててくれないか」というやり取りの後、先生に会いに行った。ひとしきり世間話をした帰り道、そっと窯を覗きに行った。窯の蓋はすっかり開けられて中には土を掛けられた灰が・・・先生、あんまり責任感じないで下さいね。無理しないで下さい。分っていますから・・・

5、山桜の頑張り

我が事務所の前に近くの森の中で伐採されて切り倒される運命だった山桜の木が先日、引っ越してきた。この時期に移植して大丈夫かな?と皆で心配していたら数日前から花が咲き出した。今年は多分、満開は無理だろうけどどうやら命を繋いだらしい。今は、アチコチの枝からロープが張られ我が事務所横の小屋にそのロープで繋がって支えられている。がんばれよ・・

こうして今年のGWも終わって行きます。

2007/04/30

週末DIY大工のつぶやき

昨晩、自宅に帰ったら家の中がすっかり模様替えされていた。実は昨年の今頃から家の中というかデッキを含めて増改築しているのを以前、お話したけれどやっと外から見た大体の感じは終了した。というか中はまだまだなんだけど何となく外観は出来たという事なんだけど・・・で、女房が待ちきれずに家の中の模様替えに踏み切ったと言う訳。

今まで外のデッキだった所に屋根を掛けて床を貼って増築し、玄関も外に出して床を造って「風除室」風に変えました。本当はもっと早くしたかったんだけど色々事情があって中々進まずに(何せ週に一日ずつしか進まないんだからしょうが無いんだけどね・・)ここまで掛かってしまったのです。しかも未だ室内は断熱材がむき出しでまだまだこれから室内の壁板を貼ったり、収納を造ったりとやらなくちゃならない事は山積で、しかも大体の形が出来てくると女房のリクエストが段々具体的になってきて収納棚の位置だとかコンセントの位置だとか次から次と要望が増えて来て困っている。マア、最初の家作りは全く私の好きで造ったログハウスなので今回は少し要望を聞いとかないと熟年離婚なんて言葉も浮かんできそうなので立場が弱いのです。

しかし、天窓をつけたサンルームは中々好評で一番、喜んでいるのは我が家のバカ猫のようです。一時は癲癇の発作で生死のハザマをさまよったのですが今も薬は欠かせないものの日がな一日天窓から差し込んでくる光を求めてサンルームのソファーの上でほぼ一日寝転がっている。今までリビングだったところには誰も寄り付かずひたすら新しく出来たサンルームの中にいるのだから住環境というのは面白ですね。ちょっと雰囲気を変えてやるとこんなにも住んでいる人の動きも変わってしまうのですね。

玄関も今までは開けるとコンニチハ状態で家の中まで丸見えだったのが風除室になったお陰で室内がすっかり落ち着いて来ました。自分が最初にプランを描いた時は出来るだけシンプルなプランで作りたかったので何にも考えずに「コレデヨインダ」とエイヤッと造ってしまったのですが20年近く住んでると段々、生活環境も変わってきてやっぱりもう少し住み易くしたいな・・・なんて思い始めたのがきっかけではじめた週末大工だったんですがほぼ一年が経過した今、ちょっと落ち着いてきて「フムフム良くなったじゃないか」と自己満足に浸る余裕が出来てきました。

これからまだ新たにベランダをつくったり2階の布団干しスペースを作ったりとまだまだ改装は終わりそうもないし何だか一生、終わらないんじゃないかという気もしてきてマア、それはそれでも良いか何て思うこの頃です。何だか「北の国から」のゴローさんの気持ちがわかるような気がしてきました。

自分の家を自分でいじるという幸せにどっぷりと浸かってしまいエンドレスな週末大工職人の溜息はまだまだ続きそうです。ああ、早くゆっくりとデッキでビールを飲みながら星でも眺めたいんだけどな・・・でも終わっちゃうと寂しいかな。

2007/04/23

竹炭つくり、失敗!

Sumi1 Sumi2

先週、釜に入れた竹がそろそろ炭になっている頃なので昨日、皆で楽しみに取りに行きました。現地で集合して講師をして頂いた先生に改めて挨拶して貰ったところなにやらちょっと心配気味な話が飛び出しました。釜に火を入れて順調に煙が出始めてから空気の取り入れ口を最低限に閉めて煙の様子を2昼夜観察しながら釜の火の調節をするのですが火をいれた当日の夜中、先生が見に行ったところ順調に煙が出ていたので安心して次の日の早朝に見に行ったところ、いつもなら煙が出ているはずがすっかり消えていたという話・・・ウンッ?火が消えていた→竹がすっかり灰になってしまった、もしくは途中で火が消えて生の竹になってしまった。のどちらか??

 心配顔の先生と一緒に釜に行き土を被せてしっかり閉鎖しておいた釜のフタを開けるべく土を除き、蓋を開け思わず全員が煤に煙る釜の中を覗き込む!結果!アリマシタ!灰が・・・・そう見事に灰になってました。出来上がっていた竹炭はごくわずか・・大半は竹灰になってました。ガッカリする先生は釜の中にはいって灰を含んで全ての竹炭を出して「悪かったね・・」イエイエ先生!めげるもんですか!もう一度やりましょう!てなワケで全員、再度竹林に戻り、前回伐った時に余って残っていた竹を割って再度、釜に入れてリベンジする事になりました。

今から考えれば、前回、釜に火を入れた日は春の嵐のような異常な雨上がりの後で突風が巻いて釜の中に空気が逆流し我々もすっかり煙に燻されてしまったのですが、確かにあの時煙突から空気が釜の中に逆流しかなりの勢いで煙が噴出してたな~きっとあの勢いで竹に火が入ってしまったのだろうな・・・

NPO「八ヶ岳南麓景観を考える会」で私が担当する「森つくりの達人」講座、今年最初の竹炭つくりはこうして逆境にもまれながら不屈の精神で二度目の(懲りずに?)チャレンジをしたのでありました。フ~ ツ・カ・レ・タ

果たしてリベンジななるのでしょうか・・・

2007/04/08

本当の「新月の木」とは?

20070408_160941875 私が所属しているNPO「新月の木国際協会」から電話があり「突然だけど今日、打ち合わせに箱根に来れる?」との事、幸いなんとかやりくりすれば行けない事もなかったので一昨日、アタフタと箱根に駆けつけました。もともとは昨日が講演会だったのでそのつもりでスケジュールを組んでいたんだけど突然の召集で駆けつけたワケです。

 今回の講演会は日本における森林学の大御所「本多静六」氏についての話をその親戚でもある遠山 益氏や孫にあたる本多健一氏に語って頂くのが基調講演になっていたのです。遠山先生の話はシロウトの私達にも分りやすくユーモア溢れる素晴らしい内容でした。

 しかし、私が呼ばれたのはそういう話ではなく現在、私達が進めている新月伐採法の普及活動に支障が出始めたのです。日本の山を活性化し国産材の普及と安全で良質な木材を提供する為に日本で古来より行われていた新月伐採法を現代に併せて復活させようという運動が広がりをみせたのは非常に嬉しい事なのですが、最近これを真似た活動が並行して広がりをみせ紛らわしくなってきたのです。

 具体的には「新月の木」という言葉が一人歩きを始めて本来、樹木が持つ自然のポテンシャルを引き出そうというのが目的なのに単にエコロジカルな営業戦略のキーワードとして使われ始め実態が全然伴わないという事なのです。

 「新月の木」は単に「新月の日」に伐れば良いという単純なものでは有りません。自然のポテンシャルを考慮しどのタイミングが一番、伐採に適しているのかを研究し、それが何故良いのかをテストピースを取って研究機関と協働研究を行い繰り返し検証を進めていく必要があります。又、「新月の木」は名前の響きが良いのでとかく「伐り旬」ばかりが取りざたされますが実はもっと大事なのは山で葉を付けたまま一定期間、天然乾燥(「葉枯らし」もしくは「熟成」と呼んでいます)し、更に最も大事なのはその過程が確実に行われたかを第三者(「現認者」と呼びます)が立会いその記録をつける事なのです。

 つまり食品と同じようにその木の履歴保証を確実に行うことによりその木に「品格」を与えようとするものなのです。いくら立派な事を口で言ってもそれを証明する記録がなければ意味がないのです。これは最近の企業活動では重要な要素となり履歴保証=トレーサビリテイーと呼んでいます。これが無い、もしくは捏造されたが為に近年、企業の不詳事が絶えないのです。履歴保証は良い事ばかりではありません企業が隠したい悪い事も含まれます。当然、木についても同じ事が言えます。正直にこの不詳事、もしくは意に反する事実を公表するのはとても辛いことです。だけど、現代の情報社会ではこれをしていかないと企業としては成り立たないのです。林業の世界ではこの点がかなり遅れていたと言えると思います。しかし、漸くこの業界でもこのトレーサビリテイーの重要性が認識されてきました。今までははっきり言ってこの木が一体どこで採れた木かも分らない、もしくは分らなくしていたのです。

 「新月の木」はこれらの履歴保証をはっきりさせてこの木が一体どこにどのような状態で立っておりどのような姿をしており何時、誰が伐採しどこに運ばれて誰が製材して出荷したかまで記録をつけてその情報を公開しようとするものです。これは山側に大変な負担を強いる事になるのですが今、これをやらないと日本の林業は良くならないという使命に燃えた山側の人達が集まって喧々諤々議論を交わしています。(だからいつも深夜まで議論が絶えないのが悩みですが・・・)

 小さな活動が徐々に広がりをみせるにつれこれらの上辺だけを真似する人達が出てくるのは世の常ですが何とかその活動の妨げだけにはならないで欲しいと願います。

2007/04/01

電脳生活者の暮らし

 ここ2カ月位、自分の会社のHPをリニューアルしようと思い、息子に「お前、出来るか?」と聞いたら「多分、出来るよ」というので依頼する事にした。これまでのHPは知人のプロのデザイナーに頼んで創って貰ったものでデザイン的にとても綺麗で気に入っていたのですがもう一年になる事もあり作り直す事にしたのです。「どの位時間かかる?」と聞くと「う~ん、2カ月位・・・」という返事、私にはその辺の事情が全く分らないので「ふ~ん、そんなに掛かるのか」と曖昧な返事をしておいた。そういえば前回のHPも友達価格でやって頂いて「暇な時にお願い・・・」と頼んでおいたので一年近く掛かった。何故、そんなに掛かるのかな~?と思いつつ作業に突入。

 その日からHPに載せる原稿作成やら写真の選定、新たな写真撮影などの雑多な作業が始まった。HPそのもののプログラム作成は息子の仕事だがそこに載せる原稿や写真の選定、全体の構成は私の仕事である。

 考えてみたら息子との協働の仕事をするのは今回が初めてである。最初は何だか気恥ずかしいような感じでスタートしたのだがHPを造る作業そのものについては全く息子に頼るしかない。小さい時からゲームに始まりコンピューター関連の作業は大好きだった息子なので社会人になった今は一人前にPCを操っているようである。

 普段から徹夜の作業が多い息子なのだがこの仕事に入ってから更に不規則な生活が続いた。HPに関して全く知識のない私に色々とその仕組みを教えてくれるのだが殆ど理解できないまま「ウンウン」と分ったふりをしていた。

 しかし、それでも何となく分ったのは電脳生活者の仕事というのも意外と地味な細かな作業の積み重ねなのだなという事である。

 私の仕事は家を造ることである。それこそプラン作成から始まって家が完成するまで地道な作業の積み重ねである。モノづくりというのはそういうモノだと思って来た。その反面、こういうコンピューターを使ったグラフィック的な仕事は我々とは全く違う一種、モノ造りとは対極的な職種なのだなという理解しかなかった。しかし、今はどうやら電脳生活者の仕事も意外と職人的な一面も持っているのだなと思い始めた。

 出来上がったHPの出来栄えはこれから様々な意見が出て来るのだと思うが息子が言うには「これは世界認定を取った正式なHPだからね、価値があるんだぞ。だからこの認定マーク貼っとく?」と聞かれ、良くその意味が分らない私は「取りあえず今はいいや」と答えておいた。きっと電脳生活者にとってはHP作成の世界ルールを守った作品という意義を訴えたいのだろうなと思った。

 う~ん、電脳生活者の暮らしもなかなか厳しいのね。

2007/03/25

旅立ちの春

 八ヶ岳は今日、本格的な雨が降っています。朝、女房と「そろそろタイヤ履き代えようかね」と話をしました。例年なら春のこの時期に「里雪」と呼ばれる重い湿った雪が降る事があるのでいつも3月末まではスタットレスタイヤを履き代えないのですが異常な暖冬だった今年の冬、さすがにもう雪は降らないかも知れませんね。来週あたりタイヤ交換をしようかと思っています。

 昨日の地元の新聞に教職員の人事異動が発表になっていました。私の子供達は今年は関係無いのですが昔はお世話になった先生達が異動になったりして注意深く記事を読んでいました。私の卒業した高知の学校は中・高校一貫の私立中・高校だったので当時、教えて頂いた先生達がまだ現役で教鞭を振るっておられます。だからどうも不思議な感覚なのですが同級生で高知で暮らしている連中の子供たちが又、同じ先生に教わったり、同級生が同じ高校の先生になって同級生だった仲間の子供たちを教えているという不思議な学校なのです。

 当然、中・高一貫だったので中学の卒業という意識は無く高校の卒業式が唯一、卒業式といえば卒業式なのですが受験校だったので私も大学の受験で卒業式に出る事が出来ずに結局、私の記憶に高校の卒業式という思い出は有りません。

 しかし、無事、受験が終わりやっと我が世の春を迎えて高知に帰り仲間達と遊んだ記憶だけは今でもはっきり覚えています。田舎の事ですので高知の繁華街にはアーケードがありそこをブラブラ往復していると必ず仲間達とすれ違い「どっか行こうぜ」と言う事になり、その辺の店にたむろする事が日常でした。当時なんとなく淡い想いを寄せていた女の子達とも2人では恥ずかしいので大勢で集まって山や海に行って遊んでいました。当時、本当は歳が足りないのですが初めてタバコの味を覚え男共は皆、タバコを吸っていたような記憶があります。私も全ての大学入試が終わった後、受験の為に泊まっていた新宿の町を歩きながら格好つけて咥えタバコをふかして「これが青春だ!」何て自分では最高の気分を味わっていました。確か最初に吸ったタバコは「チェリー」だったな・・・

 大酒のみの故郷、高知の事ですから受験から帰った連中が担任の先生の家に集まり「大飲み会」を催す事になりました。今でも良く覚えていますが直径が60cmは有ろうかと思える大盃にビールやらウイスキーやら日本酒やら片っ端からぶち込んで大騒ぎで回し飲みして(今、こんな事すると大変な事になるのでしょうけどけどね・・)すっかり酔っ払って悪酔いして先生の家の洗面所を汚してしまったバツの悪い思いが30年以上経った今でも蘇ります。「先生、ご迷惑をお掛けしました」きっとあの後、先生の奥様は大変な思いをして片付けられた事だと思います。

 その後、楽しかった春休みも終えていよいよ、東京の大学に行く事になり最初の1年間は教育課程で千葉で過ごしたのですが学校の寮に高知から一緒に行った仲間と入り、同室で楽しくやっていたのですが困ったのは高知弁・・何せ二人ともベタベタの高知弁が日本標準語だと信じていたので何故、日本語?が通じないのか不思議でしょうがない。そのうちに生活に支障が生じ始めしばらく外出が嫌になったような覚えがあります。何せ高知の人間にとって標準語はいわゆる女言葉で決して土佐の男には許されない言葉だったのです(少なくとも私はそう思っていました)だから、夏休みに高知に帰郷してすっかり標準語で喋っている奴を許せない(笑)なんて本気で思っていました。

 まあ、しかし春はいろんな旅立ちの季節でありますね。すっかり情報が行き届いて昔のような地方色は余り出ないのかも知れませんが今年も東京で高知弁が少し聞ける季節かも知れません。

2007/03/11

人の気持ち

 今日は八ヶ岳に早春の里山、独特の重い雪が降っています。結局、今年の冬は異常気象の暖冬のまま春になってしまいそうです。全く異常な冬・・というか冬らしくない冬でした。

 さて、話は全然違いますが最近、私は人の気持ちとは複雑神秘で摩訶不思議な世界だなと感じることがあります。よく、日本人は心の中が読みづらい人種だと言われます。分りやすく言うと「思ってる事」と「言ってる事」が違うという事ですね。何故?違うか・・・そこには大人の付き合いだとか、立場上の問題だとか、世間体だとか色々な事情があるんだと思います。じゃ、それは間違った事を言ってるのかというとそうでも無い・・だから人の気持ちは複雑神秘・・・私はそういう事を考えるのが好きなので思うのですが、きっとどっちが正解という事は無いんだと思います。大抵の人は・・ですが。

 他にも例えばAという人がいるとします。Aは私にとってはとても良くしてくれる心優しい人だと感じています。しかしBさんに言わすとAさんはトンでもない人で付き合ってはいけないと私に忠告してくれます。結構、こういうシチュエーションって世の中ではありませんか?困りますよね、私にとってはAさんもBさんも大切な友人なんて事・・・つまりAさんとBさんでは価値観の違いとか出会いが悪かったとか誤解があったとか兎に角、感情面での違和感が出来てしまったという事ですね。私はこういう場合は自分を信じて自分の気持ちに素直になろうと思っています。つまり私にとってはAさんもBさんも気持ちの良い人だという事ですね。

 逆に私も普通の人なので時々は他人に悪感情をもたらしている事も有ると思います。キコリはとんでも無い奴だ・・なんてね。そんな時どうするか・・特にどうもしないと思います。私は私以上でもなく以下でもないので自分のありのままを評価して貰うしかないのです。見たとおりのどこにでも居るごく当たり前の人間ですので・・別に開き直るとかいうのではなく反省すべきは反省し、誤解があれば誤解はとき、しかしそれ以上はどうしようもないと言う事ですね。

 私は自分の価値を人の評価によって決めるのは不幸な事だと思います。自分を信じ最善を尽くしていれば何も迷う事はないと思います。人の評価は自分の価値とは別物だと思っています。批判を受ければ直すべき所を直し、賞賛を受ければ素直に有り難く思えば良いのだと思います。

 しかし、私はそれ以上に大事なのは人が言葉で喋らない気持ちの裏を理解する事だと思います。言葉というのは難しくて表現の仕方ひとつで自分の思いが違う意味に相手に伝わったり、優しく伝わったりします。又、その時の表情だとか身振り手振りだとかでも他人は色んな感情で同じ言葉を違った意味で理解するものです。だから、他人によってその人の評価が変わってしまうのでしょうね。

 最近は、何となく人の気持ちを理解するのに「善」か「悪」かどちらしか無いような気風が増えているように思います。特に思うのはマスメデアは事実を事実として淡々と伝えるべきだと思うのですがどうも視聴率を意識するのか脚色したような表現が使われて聞く方はどうしても一方的に理解してしまうので危険だなと思います。

 人間はその人にしか分らない複雑な感情を抱いて生きている動物だと思います。時に怒り、時に笑い、時に泣く、だから人間って面白いと思うのです。都会に住んでいると中々、こんな想いになる事は無かったのですが森に住んでいると時々、こんな事を思ってボヤ~とするのは私だけか・・・

2007/03/01

電脳生活の功罪

 昨今では家にパソコン2、3台なんてのは当たり前になってきているのでしょうか。確かに今やパソコン無しでは仕事にならない。ましてや扱えないとなると仕事にならないですよね。先日はそういうネットワークで知り合った仲間達のオフ会があったのですがネット上では知っているつもりだったのが実は初めてお会いしたなんて方も居て驚きでした。

 確かにパソコンは便利だけどその分、自分の脳細胞が働かなくなっているような気がしてしょうがない。まず漢字!これが全く思い出さなくなった。たまに手書きで手紙を書こうなんて思って便箋に向かおうものなら直ぐに筆が止まってしまう。漢字が出てこない。仕方なくパソコンの電源をいれてカタカナ入力して漢字に変換・・・何てやってたら何のために手書きしてるんだか意味がないような気がしてくるから不思議ですね。昔、子供の頃「漢字は何遍でも書いて手で覚えるもんだ」なんて先生に言われたけど本当だったんですね。手が書かなくなると忘れるんですね。

 私なんかパソコンの仕組み自体全く分ってない。だから普通に動いてくれてれば問題ないのですがトラブった時は全く手が出ない。詳しいスタッフを呼んで兎に角、元に戻して貰い「はい、これでいいですからね」となるまで待つしかない。いやはやである。だから余り好きになれないのですね。

 しかし好むと好まざるとに関わらず兎に角、電脳生活に突入してしまっているので何とか付いて行くしかないのである。最近の悩みはメール・・・これが又不思議・・・どうして何だか、やたら訳の分らないメールが届いたり、送ったつもりで相手に着いてなかったり摩訶不思議な世界である。

 ある日詳しい友人に聞いてみた、「この怪しいメールは誰が出してるの?」「あのね、それを出してるのは人間じゃないの、ロボットが自動的に送ってるから怒ってもしょうがないよ。何せ相手は機械だからね」ナルホドそれじゃ怒ってもしょうがないね。そこでNTTさんに来て貰って「何とかして」と頼んだらなにやら操作してくれて迷惑メールはかなり来なくなった。NTTさんに「全部、来ないように出来ないの?」と聞くと「そういうシステムを作っても更にそれを突破するシステムを作られてイタチゴッコなんですよ」との返事。ナルホド、敵もなかなかやるもんだ。

 しかし最近フト思う時がある。これって仮想世界だよね。世界中のシステムが正常に機能しているから出来てる事でそれが壊れたらどうなってしまうんだろ?昔、電話が開発された時に人々はどうして自分の声が伝わるのか不思議で相手に呪われるなんて事を思った人も居たそうだけど、その気持ち分るような気がするな。人の原点は日々、生きていく為に食糧を調達して健康に暮らすことですよね。それが何だかとても単純で自然な事だと思うけど実はそれが一番難しくなってるのかも知れませんね。

 あっそう言えばこの「森の囁き」もどうして皆さんが見れるのか不思議なんですが、そのお陰でこうやっていつもクダラナイ私の「囁き」を見てくださる人が居るわけですからホント電脳生活って便利ですよね。

2007/02/25

田舎暮らしの必須アイテム~車~

 森の中で暮らしていると良く聞かれるのが「買い物はどうしてるんですか?」「車がないと大変でしょう?」「年取って車運転できなくなったらどうするの?」と車にまつわる事が多い。確かに現代の森の生活では車がないと大変かも知れない。私の憧れの暮らし、森を出たところに地下鉄の駅があって隣が六本木という構想は暫く無理のようなので・・そこで車は森の暮らしの必須アイテムとなる訳です。

 こちらで暮らし始める人によく「車は何を買ったら良いでしょうね?」と聞かれるのですが私はいつも「田舎のベンツ「軽トラ」しかも四駆!」と答える事にしている。本物のベンツは全く必要ないし邪魔なだけですからね。役立たないし・・その点「軽トラ」は便利ですよ~何でも載るし、どんな道でも入っていけるし雪道にはダントツで強いし、汚くしても洗う必要ないし、まさに「田舎のベンツ」だと思っています。地元の農家の方は必ず一台は持ってますね。持ってないと仕事になりませんしね。たまに、共同清掃作業なんかの日があるのですがそんな時は見事ですよ。道の脇にド~と軽トラが何十台と並び、何だか軽トラの見本市みたいになります。その光景をみているといつも「自分の軽トラがどれか分るのかな?」と思ってしまうのです。なんせ皆、鍵もかけないし勝手に乗っていけるし見た目は皆同じだしね・・

 以前、軽トラが欲しくて知り合いの農家のオジサンに「どっか余ってる軽トラないかね?」と聞いたら「そんなら、うちの持ってけ」と言われ「えっホント!」とすっかり舞い上がってオジサンの庭先に置いてある軽トラを一緒に見に行った。確かにまだまだ使えそうな軽トラである。「ホントにいらないの?」「あ~もう使ってねえからな、持ってきな」と軽くおっしゃる。「へ~まだまだ使えそうなのに・・・」とぐる~と見回してフト気付いた・・車検が切れてる。しかもかなり前・・「これ、車検ないよね?」「ほんなもんいるかい!畑走ってるだけだもの誰も気になんかしゃ~せんよ」「・・・・・」う~ん、欲しかったけど丁重にお断りさせて頂いた。

 又、工事現場で知り合った現場近くの御婆ちゃん、どうやら評判の元気な御婆ちゃんらしい。こちらに別荘をお持ちで時々遊びに来ているそうな・・その御婆ちゃん、どうも東京では大変なお金持ちらしい。ある日、たまたま一緒に昼ごはんを近くのレストランでご一緒した。「あんた、私の車いらんかね」「えっ!」「もう飽きたからアンタにあげる」「えっ!車って御婆ちゃんの乗ってるベンツ?」「ウン、あのベンツさ~あたしが小さいからあたしの体に会わせてアクセルとかブレーキとか特注でいじっているけど、良かったらアンタにあげるわ」「・・・・」これも丁重にお断りした。何せ維持していくだけでも大変そ~だったので。

 そんな訳で今、私の愛車は軽トラでもなくベンツでもなく普通のホンダのCR-Vという四輪駆動の乗用車です。森で生活するには充分な機能を持っています。八ヶ岳に来てからの車遍歴はデリカ、ランクル、パジェロ、オデッセイ、エスクード、CR-Vと気が付けば色々乗って来たけどどれも大体どこでも何にでも使えるといった車が多かったように思う。生活が森の中だったり街に出掛けたりと色々と環境の変化が大きいのでどうしても選ぶとそういうのに対応した機能をもつ車になってしまう。

 昔、大雪が降った次の日に街に出かける用事があって車の屋根に大量の雪を乗っけたまま街の駐車場に止めたら廻りの人達がどうも私の車を指差して笑っている。何故かな?と思ったら、雪が降ったのは山の上だけで下の街には全く降らずに駐車場に止まっている車は皆、綺麗なまま・・どうりで私の車だけが目立つ訳です。

 いずれ念願の畑が持てたら軽トラを買おうと思っています。

2007/02/04

動物の一生

Sika 暗くて、小さいので分り難いかも知れませんが写真の中央に鹿が写っています。仕事場近くの森の中で偶然出会い10分近くお互いに見詰めあっていました。相手は当然警戒して、こちらは動くと驚かして逃げてしまうので動けなくて・・・実はこの写真の左側の森からもう一頭、小鹿が出て来ています。どうやら親子らしい・・2頭で餌を探しながら右側の森の中に消えていきました。八ヶ岳はまだ狩猟期間中で今年は又、1ヶ月延長されたので3月中旬までが狩猟期間になる。不思議な事に彼等は狩猟期間が過ぎると森から出てくる。彼等なりに危険を察知しているような気がするのは私だけかも知れないけど・・

 話はがらっと変わって昨日、うちの猫が死んだ。3匹いた同居猫の親猫で今年になって2匹目の死である。14歳の生涯であった。昨年はラブラドールの愛犬を亡くし今年の1月に娘猫が死に、それから数えると3匹目の死である。それぞれが寿命を迎える歳ではあったのでそれなりに覚悟はしていたが、いざ現実になってみると笑われるかもしれないけど結構辛い・・・今まで家の中で3匹が当然のようにウロウロしてて、時々ぶつかって蹴っ飛ばされたりしていたのがフト、気が付くと1匹しか居なくなってしまい、そいつも癲癇の病と闘っているような状態なのでいつ寿命になるか分らない。昨日、死んだ親猫は生きている時からいつも気位の高い猫で何故か女房にしか抱かれなかった。私には決して抱かれようとしなかった。機嫌の良い時だけ近寄ってくるような猫らしい猫でした。一昨日の晩から呼吸が浅くなり昨日あたりが山だろうなと思っていたら、私が会社にいる間に眠るように逝ったそうな・・・

 14,5年も一緒に暮らすと何となく「ペット」という言葉に抵抗を感じる様になる。だからいつも同居猫と呼んでいた。小さな小さな命だけど目の前でその命が消えていくのを見ていなくてならない辛さは人間も猫も同じだなと思う。あの親猫を長坂町のプールの入り口で拾ってきて「飼いたい」といった当時、小学生の長男はもう社会人で、大学生の長女も小学生、高校生の一番下の子はまだ保育園にも行ってなかった。いわば一緒に育ったようなものである。

 命あるものはいつかはその命が尽きるのは避けられない現実ではあるがその場面に直面するのには凄く精神的な負担がつきまとう。それが人間であり犬であり、猫であっても・・最近、その両方共に直面する機会が多く、その度に命ってなんだろうと何時も考えさせられる。

 野生の動物達は自分の死を間近に感じると群れから離れてひっそりと自分の生涯を閉じるという話を聞いたがある。犬も猫も野生の場合はそうだという話も聞いた。確かに家で飼っている猫も具合が悪くなるとどこかに隠れて家の中に確かに居るはずなのに姿が見えなくなる時がある。そんな時、家中を探しまわると、とんでもない隅っこに隠れていたりする。今では動物病院があるのでそんな時は手厚い看病を受けて、死んだ親猫も2、3年程前から乳がんを患い両方の乳房を切除して死ぬ直前まで投薬を続けていた。本当は亡くなった日も病院にいく予定だったけど女房と話し合い、これ以上辛い思いをさせるのは止めようと言う事になり静かに最後を迎えたと言うわけです。

 又、ひとつ身近な命が消えてしまいました。辛いけど乗り越えなくてはならないワケで・・しょうがないね。合掌

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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