2009/04/26

森の木々達は今・・

 2日程、静岡の清水と天竜の山の中に入って来ました。今回は仕事の関係で必要な木を見にいったのですが、今、木材業界も深刻な不況の影響を受け関係者は対応に苦慮しているのがあちこちで聞こえてきて皆、悲鳴を上げています。

 昔からの老舗の製材屋さんが店を閉じざるえなかったり在庫の処分の為に展示場を閉鎖、縮小したりして何とかやりくりするのに必死です。清水の山の中はすっかり様相が一変しており山の中には巨大なモニュメントのような第2東名高速道路の橋脚が立ち並びループ橋となるエリアには処狭しとその巨大な柱が林立して上空を通る高速道路とその下になるお茶畑や森や山間の村との景観のギャップに異様な雰囲気が漂っていました。

 これも現実なのですが何となく、こんな事して本当に良いのかな?何時かとんでもないしっぺ返しを受けるんじゃないかと恐ろしくなってしまいました。ほんの10年程前に夜間、この地域を通りぬけた時には真っ暗な山間にまだ造りかけの橋脚が数箇所そびえたっているだけで、それだけでも異様な景色でしたがそれがここ数年で凄い事になっていました。

 そんな中、天竜の山はひっそりとまだその姿を留めており、さすがに歴史ある銘木の山はまだまだすたれないという威厳を感じました。

 うろ覚えですが木の研究の中に年輪考古学?という名前だったと思いますが、そういうジャンルの研究をされている研究者がいます。世界中の森の木はその年輪にその時代の経済状況や気候変動を刻んでいます。それは広いエリアを統計的に分析すると皆同じような傾向を示すそうです。

 昔は私等も木の年輪を見ると東西南北が分ると教えられ年輪が広いほうが成長が早いから南側だと覚えましたが実はそんな事はなく、いわゆる昔の常識のウソというやつで実際は周辺の木々の密集状態や風の方向等の様々な条件によって年輪は変わるようです。

 ついでにもう一ついうとよく年輪を数えるとその木の樹齢が分るといいますがこれも必ずも絶対ということではなく例えば木の年輪といっても根元と枝先では年輪の数が違います。だからどこの位置の年輪を数えるかでその数は変わってきます。これも知っているようで意外と知らないですよね。

 さて、話はそれましたがその年輪考古学、広域の樹木の年輪傾向を統計的に調べてみると例えば世界経済の変動にその年輪の変動を重なるとピッタリ重なるから不思議です。当然、大規模な気候変動にも左右されて例えば大きな火山活動が起こったりすると太陽光を充分に浴びられなくて光合成が進まず年輪が詰まってきます。これが大規模で同じ傾向を示すという訳です。

 気候変動で年輪が左右されるのは分りますが経済状況によっても変動し木々がその体内にその記憶を記録しているというのは凄い事ですね。私が想像するのに、きっと今の日本でも戦後の住宅難から材料となる木の大規模伐採が行われ日本中の山の木が切られ経済が活性化した時には大規模伐採により樹間が充分開くので成長が促進され年輪の間隔が開き、その後、大量の杉や桧を植えたものの新建材にその座を奪われて流通の道を絶たれた為に今度は日本中の山の木が切られずに間伐も進まず、その為に充分な太陽光が森の中に射さないので年輪は育たず間隔が狭くなっているのではないかと思っています。

 これは全く勝手な解釈なので合っているかはどうかはわかりませんけどね。でもそれはともかく、木々は人間の経済状況まで見届けて体内にその記録を留めているというのは凄い事です。

 それも1000年以上もの記憶が留められている訳ですから最近のデータベースのように数年でテープからカセット、CDMD、メモリーステックのように短いスパンで駄目になったりするのとは全くその寿命が違います。

 木は本当に偉大なのですね。さて、昨今の人間達の大騒ぎする様子を森の木々達はどう見つめて未来にどう記憶して伝えていくのでしょうか?余り恥ずかしい事は出来ないですよ。1000年先まで報告されてしまいますからね。21世紀初頭の人類は・・・なんて事にならぬようにしないとね。

2009/04/19

家の中を蠢く奴ら

 今年も暖かくなってきてそろそろ奴らが蠢き始めました。今朝も女房がキッチンで「臭い!何か居る、この匂いは絶対カメだ!」とノタマウ。「俺、花粉症で鼻詰まってるから分んない」「父さんじゃダメだね。絶対いる。この辺にいる・・・」探すこと30秒。「居た!」ダイニングのテーブルの下で腹を出して引っくり返っているカメムシが・・・幸い、踏んでは居なかったので最悪の状況は避けられそ~と広告の紙で掬って外に退場願った。どうも今年も多そうです。

 

 それから例のピョンピョン飛び回るチッチャイ奴等、「カマドーマ」もう本当に煩いったらありません。ピョンピョン家の中を飛び回り、いつか全滅させてやるぞと心に誓っているのですが忙しさにかまけてまだ全滅作戦を実行するには至っていません。これが例によって風呂の中やトイレの中を自由に飛びまわって本当に煩いのです。

 

 最近、大量虐殺の方法を一つ発見しました。お風呂場の蓋を開けていると奴らは勝手に飛び込んで哀れ水死してしまう事が分りました。ちょっと気味悪いのですが風呂掃除の時に一気に掃除出来るので結構、効果的です。

 

 我が家で活躍していたカマドーマハンターの猫3匹が相次いで亡くなってしまったので奴らはこれ幸いと勢力を増しており、いい気になっているようです。そのうちにギャフンといわせてやろうと密かに闘志を燃やしております。

 

 先日、夕食を終えてリビングでくつろいでいたらリビングの真ん中を悠然とデッカイ毛虫が歩いていて「ワッ!こいつどっから出てきたんだ!」と驚きました。こんなデカイ奴が歩いていたら何もリビングの真ん中に出て来るまで気付かない何てありえないと思うのですが忽然と姿を現し驚いたの何の・・これも新聞広告で掬ってすぐさま退場願いました。

 

 大体、我が家は森の中の行き止まりに建っているので奴らに来るなという方が無理というものですがそれにしても今年は蠢くのが早いような気がします。これも温暖化の影響かも知れません。

 

 そういえばお客様からも相変わらず「蟻が家の中に入って来て困るんですけどどうにかなりませんか?」という問い合わせが毎年多くなって来ています。蟻の生態も明らかに変わってきていますね。

 

 昔は外の土の中に巣を作っていましたが最近はどうやってか家の中に入り込み家の中で巣をつくり越冬する奴らが増えてきました。新聞に学者の方が家の中のアリに余り神経質にならないでと記事を書かれていましたが私もそう思います。

 

 害があるものは別ですがそうでない場合はどっかから浸入ルートがありますからそれを絶って家の中にアリの好みそうなものを出来るだけ露出して置かないようにすればいずれ居なくなります。元々、彼等の方が先にすんでいた先住民(蟻?)ですので嫌わずに速やかに出て行って貰いましょう。

 

 私が一番嫌いなのは家に住んでいるらしい蛇です。私はまだ見たことがないのですが昔、一度でっかい抜け殻を見つけ、その後、女房が家の周りの木の下で休んでいるのを見たそうです。女房はそいつに勝手に名前を付けて家の守り神と決めてしまっているので余計に腹が立つのです。

 

 どうもクネクネと動き回る奴に本能的に嫌悪感を持っていて、もしかして前世はカエルだったかも知れないと内心思っています。

 

 相変わらず夜、事務所からの森の中の帰り道では色んな奴が道の端から飛び出して来ますがその話はまた別の機会に・・・

2009/04/12

ペット雑感

 我が家で一緒に暮らしていた犬1匹と猫3匹が相次いで居なくなってもう数年経ちます。女房は「そろそろ猫飼おうかな」なんて時々呟くようになってきました。

 仕事の関係であちこちのお宅にお邪魔すると結構、犬が家の中にいる事があります。何故か、そんなお宅の犬達は私を歓迎してくれます。何故だか分からないけど飼い主のお客様より犬の方が大歓迎してくれる(笑)どうも人間様より犬の方に好かれているようでそれも困ったもんだけどこればかりは感性の問題だからしょうがない。

 先日、知り合いの家の前でそこの主人と立ち話をしていたら近くに住む共通の友人が飼っている大型犬を散歩させながら通りかかった。まだ若い犬で落ち着きがなくおどおどしていたが立ち話をしていたその家の主人が「お~来たか」と喜んで手を出したら犬が驚いて噛み付きそうになった。その家の主人は犬を飼ったことが無く、知り合いの犬に咬みつかれそうになってビックリしたようだった。

 大型犬といえども若い犬はまだ落ち着きが無く、人に慣れていないケースが多い。一度、匂いを覚えて慣れてくれば大丈夫だけどそうでない場合はうかつに手を出すと危ない。特に上から頭をなでようとするのはご法度だ。少しでも犬の事を知っている人なら気を付けるがそうでない場合は要注意ですね。犬の方がいきなり上から手を出されると驚いて咬もうとしてしまうんですね。

 私は初めての犬に出会った時は先ずしゃがんで目線を出来るだけ低くしてわざと目を合わさず知らん顔して向こうから寄ってきて私の匂いを嗅いで興味を示すまでじっと動かない事にしています。そのうち興味をしめした犬は甘えてくるしそうでない犬は離れていってしまいます。その知り合いに噛み付きそうになった犬にも初めて会ったのでしゃがんで知らん顔をしていると私の体の匂いを散々嗅いだ挙句、体を摺り寄せてきて背中をくっつけて私の横にお座りをして気が付いたら何も言っていないのにお手をして「触って」と言ってきました。そうなったらしめたものです。第一段階のお近付きは成功という訳です。

 しかし、どうも私は初めての人との出会いは苦手なのに犬なら大丈夫というのもなんだか困ったもんです。前回も犬の事を書きましたが飼っている犬をみると何だか飼い主のことも少し分かるような気がして最近は人間ウオッチングよりも飼い犬ウオッチングをしていた方が面白くなってきました。神経質に犬を叱っている人をみると犬も結構、神経質になってしまうようで落ち着きがなくなっています。人間を叱るのと同じように犬に話しかけてあれは駄目だこれは駄目だときつく叱っているのを見かけると「あいつきっと何でこんなに怒られているか分ってないだろな」と犬に同情してしまいます。

 ペット化してしまい犬と人間が親しくなるのはとても結構なことだけど犬はやはり犬で人間ではないのでもっと犬の気持ちになってやらないと迷惑だろうなと思うことが多々あります。犬に長々と説教しても絶対やつら分ってないですから(笑)しつける場合は手短に分りやすい方法でしてやらないと混乱するだけですね。

 それと色々な服を着せて着飾っている犬もよく見かけるけど特に長毛種の犬なんかだと、その服着せられている犬の目を見てると「暑くてたまんねんよ(笑)脱がしてくれ~」て訴えてくるようで本当に笑ってしまいます。そういう犬のお腹撫でてやるとホカホカしています。

 猫も何故か家や事務所に遊びにくる飼い猫がいます。一年中うちに遊びにくる子はどこの猫だか知らないけど一度、うちでお泊りしていった事もありますが雪がシンシンと降っている冬でも朝、気が付くとその子が遊びに来た足跡がくっきり庭についていたりします。何でこんな雪が降る夜に遊びにくるのかと思うけどキットその子の日課になっているんでしょうね。だから、うちには今のところペットはいないんですけど近所の犬や猫が沢山いるのでそれなりに面白いですよ。

2009/04/05

3本足の障害犬

 その犬は私の廻りに2匹いる。1匹は近くのガソリンスタンドに住んでいる。今から6,7年程前、誤って配達中のガスボンベがその犬の前足の上に落ち大怪我を負ってしまい直ぐに動物病院に連れて行って手術をしたのですがその後、経過が思わしくなく結局片方の前足を切断する事になった。

 

 名前を「シンノスケ」という。シンノスケはその後も毎日、ガソリンスタンドに出て暫くは近所の人が毎朝、散歩に連れて行っていた。シンノスケは片方の前足がないのでピョンピョン撥ねながら散歩する。だから少し歩いては休憩し又、暫く頑張っては休憩しながらそれでも結構長い距離を頑張って散歩していた。

 

 見ていてもピョンピョン撥ねながら歩くので大変そうで本人?も嫌なのではないかと思って見ていたけどそれでも近所の人が毎朝、迎えにいくと嬉しそうに散歩に行っていた。

 

 いつしかその近所の人も見かけなくなり最近は店の店員さんが散歩に連れて行っている。いつも店にガソリンを入れにいくと事務所前に特にリードで繋がれるでもなくベターと横たわって大人しく店番をしている。

 

 最近、シンノスケに新しい若い仲間が出来て2匹で店番をするようになり心なしかシンノスケは元気がないように見える。若い仲間はまだ子供の犬で元気一杯なので事務所の中に閉じ込められている。そんな元気な犬と比較してしまうからかもしれないが何と無く元気がなさそうに見えてしまうのです。シンノスケいつまでも元気で頑張れよ。

 

 もう1匹は自宅の近所でいつも飼主のご夫婦と一緒に散歩している犬で毎朝会う。もう5年程になると思う。この犬は名前も知らないが初めて会った時はすでに前足が片方なくてビッコをひいていた。

 

 シンノスケと同じように頑張って毎朝散歩していたがやはり体力的に辛いのだろうと思うが時々うずくまって動かなくなる。そんな時、飼主のご夫婦は決して立たせようとはしない。じっと本人が納得して立ち上がるのを待っている。

 

 そんなある日、いつものようにその犬にばったり道で会ったら前足に手作りの台車が添えられていた。きっと飼主のご夫婦がその犬の為に造ってあげたんだと思う。嬉しそうにその台車に前足をのせて器用に歩いていた。それでも長くは無理のようで休み休みなのだがしっかり自分の力で歩いていた。

 

 暫くはそんな日々が続いたが気が付くと暫く見なくなってしまった。もしかして、やはりダメだったのかな~と時々思い出しながら車でいつもの道を通勤していたらある日、突然見慣れたご夫婦が現れた。しかも手作りの木製の乳母車を押している。まるでテレビの子連れ狼に出て来るような手作り乳母車である。しかも、良く見ると乳母車には歩けなくなった例の犬が乗っているではないですか!いやはや、もうまるでその光景には執念のようなものさえ感じました。

 

 ここまでしてこの犬の為に散歩を続けているかと思うとこのご夫婦のこの障害犬にたいする愛情は尋常なものではないと思い知らされました。しかもその障害犬は全く歩けないのではなく時々、立ち止まってはその乳母車から下りてピョコピョコ歩き、又疲れたらその乳母車に載せられていつもの散歩コースを進んでいるのである。

 

 いやはや、振り返ると自分がもしこういう風になったら自分の家族はここまでやってくれるだろうか?なんだかこの犬が本当に羨ましくなってしまった(笑)体に障害があってもその分、懸命にそのハンデを支えてくれる家族や友人がいてくれるという事はこんなに素晴らしい事なんですね。

2009/03/29

昔馴染みの散髪屋

 もう20年も通っている散髪屋さんがあります。山梨に移住して来た時に病院と共に困ったのが何処の散髪屋が良いかと言う事でした。私の頭は子供の時からのクセッ毛であっちこっち飛び跳ねて始末に困る頭でした。それでいつも馴染みの散髪屋さんに行っていたのですが山梨では全く知らないので評判を聞いてあちこち行ったのですが中々自分に合うところが有りませんでした。

 

 仕方なくその頃は子供も小さかったので暫くは子供の頭を切るのと一緒に女房に切って貰っていました。そんなある日、女房が会社で「隣駅の駅前にあるTさんが良いらしいよ」と聞き込んで来て早速行ってみました。

 

 初めて行って店のドアを開けると店の親父さんと思しき人と若い店員さんらしい人がこっちを見て驚いた表情で固まっていました。後で分った事ですがこの店は完全予約制で飛び込みでは出来ないやり方をしていました。それでも女房の会社から聞いてきた事等を離すと気持ちよく「いいですよ、じゃあ少し待ってて下さい」と気軽に受け入れてくれました。

 

 待合のソファーに座ってその店の仕事ぶりを見ていると、どうやらその店は両親と息子の3人で切り盛りしている散髪屋さんだと言う事が分ってきました。元気のよい肝っ玉母さんと寡黙な職人肌の親父さん、そして若い人担当の息子さん。そんな3人の連携が取れていてすごくチームプレーが素晴らしい家族経営の店でした。

 

 親父さんは昔からの馴染み客を相手に特にべらべら喋るでもなく物静かに仕事をこなし、そんな親父さんを肝っ玉母さんが口八丁手八丁でフォローして息子さんはそんな両親に反発しながらも新しいカットやパーマ、毛染め等の技術を身に付けて高校生や若い地元の青年達に慕われているといった感じでした。

 

 私はその店がすっかり気に入ってしまい、それから月に1回程のペースで通うようになりました。女房に言わすと「あのさ~その頭のどこを切る訳?(笑)」といつも文句を言われるのですが、確かに本当は丸刈りにしたいのですが一応、会社を経営しているのと黙っていると人相が悪い(笑)ので大事なお客様が来なくなってしまうといけないので我慢して、それでもいつも短く切って貰っています。

 

 私の担当はどうやら息子さんに決まったようでカットは息子さんがするのですが3人でお客さんをクルクルと交代しながら担当するので忙しいと顔を剃るのは親父さんだったりお母さんだったりしました。寡黙な親父さんはあんまり話しかけてもいけないので私も黙っていましたが腕はピカイチでした。お母さんは元気一杯でいつもニコニコ色んな近所の噂話を面白可笑しく話して聞かせてくれました。

 

 そんな家族経営の散髪屋さんにある日とんでもない事が起こりました。交通事故に巻き込まれて親父さんとお母さんが大怪我をしたのです。一命は取り留めたのですがその事故が元で結局、親父さんはその後間もなく亡くなり。お母さんも不自由な体になってしまいお店に出られなくなりました。

 

 息子さんは落胆し、どうやってこの店を切り盛りしていこうかと思い詰め、一時期元気を無くしていましたが、何とかその状態を乗り越えて今でも元気で1人で店を立派に切り盛りしています。お母さんは杖をついて店のタオルを畳んだりするまで回復し時々店のソファーに座っています。

 

 息子さんは地元の消防団の役員も兼ねていて時々火事で出動がかかると散髪の途中でも出動して行きます。一度「そんな時、お客さん怒らないの?」て聞いたら「この辺じゃそれが当たり前だからお客さんも理解してくれます」と言ってました。そんな大変な役員も漸く今年で任期を終えます。

 

 店には今でも散髪台の椅子が3つ並んでいます。でも、そんな3台の椅子で使われているのは一番、入り口に近い1台だけです。それでも私は時々、開いている残りの2台の椅子を見ると親父さんに顔を剃って貰った感触を思い出したりします。

 

 隣駅前の小さな散髪屋さん、今では無理せず1人で出来るだけのお客様をこなしている小さな店ですが私にとっては大事な馴染みの店です。

2009/03/22

便利さと不便さと金持ちと貧乏

 仕事で使っているノートパソコンの調子が悪いので息子が帰ってきたついでに調べて貰った。スタッフからは「社長、このパソコンはインターネット接続しないで下さいね」と言われており「何で?」と聞くと「ウイルスソフト入れるとこいつ動かなくなりますから」と言われた。どうやらメモリーが不足しており動作が不安定になるみたい。

 

 まあ、普段インターネットに繋ぐ事も余りないので特に不便なく使っていた。だけど最近、このパソコンに変な表示が出るようになったり時々全く映らなくなったりするように・・・パソコン曰く「モ~、いい加減にソフトの更新しないと私知りませんからね。壊れますよ。いいんですね」と言う様な事を訴えている。でも、スタッフからは「繋ぐな」と言われているしな~と思い、今回、息子が帰ってくるのに合わせて診て貰ったという訳です。

 

 息子曰く「父さん、こんなパソコン使ってるの?」「なんで、イケナイ?」「あのね~このパソコン何年使ってるの?」「う~ん、6年くらいかな?」「これ、よく動いてるよね」「エッ今まで特に問題なかったよ」「あのね~説明しても分からないだろうけど、このパソコンのメモリーはねここにあるタダで貰ってきたパソコンより低いの」「?」「だからね、タダのパソコンより仕様が劣っているわけよ。動いているのが不思議なくらいなのよ」「ふ~ん、だから調子悪いのか?」「そういう訳じゃないけど無理があるって事」「そこをナントカして」「モ~」てな話し合いが行われとにかくメモリーを増やさないとどうにもならないとの事でそれだけ買って貰う事にした。

 

 ところが「父さんこのパソコンのメモリーの値段ってさ、この100倍位容量のある最新型より高いって知ってる?」「知らない・・・何で?」「何でって・・・そうなの!」いやはや最近はどうも価値観が狂っていて訳が分かりません。最近はやりのミニ・モバイルのノートパソコンは一時期の携帯電話並みに100円とかで売ってる。当然、裏があって通信契約とのセットが条件だったりして全く携帯と同じ構図だ。良く考えてみたら本体だけ買った方が特だったりするのだがこれが複雑で良くわからんのですね。

 

 とにかく世の中はより便利に暮らそうと思うとお金が掛かるようになっていると言うことですね。つまりお金持ちはより便利な暮らしが出来るし貧乏人は不便さを我慢しなくてはならないという事か・・・それなら多少、不便でも我慢しようと思うのは貧乏人ということかな?

 

 私のこのパソコンだって一昔前なら大変な高機能だったはずで、それが技術の進歩でより便利で機能性が高いものが出来たせいでボロクソ言われるワケでいわば文明の犠牲者ですね。確かに不便さと貧乏はつきものかも知れませんが佐賀のガバイバアチャンのようにその中で逞しく生き抜いていく事が実は地球に優しかったり本当は人間らしかったりすることってあるんじゃないでしょうかね。

 

 私なんか実にいい加減な人間なので「便利だよ~」なんて言われるとすぐにそっちに傾いてしまうけどちょっと立ち止まって「もうすこし勿体無いから使おうかな」とか「不便だけど別に我慢出来ない程じゃないか・・」とか考えてみるのも今、必要かも知れません。

 

 又、逆にさっきの100円ミニ・ノートパソコンではないけど安さだけに目がいってしまうと事の本質が見えなくなることもあります。建築だってそうですけど安さだけを判断基準にしてしまうと結局、長い目でみると安くてすぐ駄目になったり体に悪かったりして結局、何の為に節約したのか分からなくなります。

 

 海外からの輸入食品何かも安いからだけで導入していると結局、健康被害を起こしたりして何のことはない少し高くても国内の造った人の顔が見える食品が結局一番、安全だったりする。「便利さと不便さと金持ちと貧乏」よ~く考えてみないとどれが一番幸せか分かりませんね。

2009/03/14

お葬式

 ここの所、何故かやたら葬式づいている。冬、寒い所に住んでいるので結構、地元ではこの時期になると葬式が多くなる。しかし、今回はそれとは関係なくスタッフの親御さんが亡くなられたり八ケ岳でお世話になった元外務大臣の柿沢弘治さん、そして自分の親戚と何だか気分としては毎週、葬式に参加している感じである。余りに葬式ばかり出てるので喪服をクリーニングするチャンスが無く先日、思い切って今だ!と隙を狙ってクリーニングに出した程だ。その時はどうぞクリーニング中に葬式が出ませんようにと思わず願ってしまいました。

 

 そんな時フト、自分にとって初めて葬式というものを意識したのは何時だったかな?と思い返してみると自分の父方の祖父の時でした。まだ小学生の頃だったと思うけど初めて自分の周りで普通に接していた人間が死んだ。そして初めて死体というものを見た。爺ちゃんの棺桶を覗き込んだ時の衝撃は今でも覚えている。その時初めて人の死というものを意識した。

 

 あれから一体いくつの死体を見てきたのだろう?自分が青春時代を送っていた時期は全く人の死というものを意識した事は無かった。そんなものは自分と関係ないと思っていた。しかし、段々年月を経て数年前に健康診断で始めて要精密検査を言い渡され「もしかしたら癌の恐れもありますよ」と脅かされ(結局、検査の結果無罪とはなったのですが)自分の死というものを意識させられ、冗談じゃない今度は自分の番かよと初めて覚悟を決めた時もありました。

 

 先日、アカデミー賞で外国映画賞のオスカーを獲得した「おくりびと」も公開されてすぐ見ました。ちょうど知り合いのプロデユ―サーが手掛けた映画だったこともあり女房と二人で見て、これはきっとヒットするなと直感しましたがまさかオスカーまで取るとは思いませんでした。それだけ外国の人達には「死」というものに対する日本人独特の美的感覚が新鮮に思えたのだろうなと感じました。

 

 話がそれましたがそれ程、死というものに対する捉え方は民族で違っているという事だと思います。外国では河原で普通に荼毘にふされたり鳥葬といって高い山の上に葬られて鳥の血肉になる事を求められたりと様々な形式があると聞いています。そんな中で日本はまるで生きていた時の様に着飾りお化粧を施し身を清めて葬られます。

 

 映画の中では「納棺師」と呼ばれる特殊技能を持った人がその儀式を執り行いますが一般的な場合ではほとんどの人が残念ながら病院で亡くなるのでその場合はその患者さんを担当した看護士さんが身を清めて下さるのが一般的なようです。勿論、家族の方達がおられたらお手伝いをするのですが身内を亡くしたばかりの遺族にとっては感情的に辛いものがあり看護士さんが主体的にして下さるケースが一般的だと思います。

 

 私も自分の父を亡くした時に父が最後を迎えた場所を母と二人で掃除に行き、片付けたのですがまだ、父の温もりが残っているようでここで父がその生涯を終えたと思うととても辛かったのを覚えています。こんな平和な時代でさえこんなに辛いのだから戦時中なぞはどんな思いだったのでしょうね。

 

 先日、TVで東京大空襲の時に埋葬する場所がなくて仕方なく集団埋葬された当時の場所を尋ねてい歩いているカメラマンを取材した番組を見ましたがきっと死体を捜す遺族の悲しさは大変なものだったと思います。

 

 自分の死後の世界はどうなるのか分かりませんが一度覗いてみたいなとは思いますがそうすると一度死んで戻ってこなくてはならないので、それはもし手違いで戻って来れなかったら困るのでちょっとそれは困るな~と思って諦めています。一発勝負しかないかと・・・皆同じか。

 

 自分の葬式を前もって執り行う「生前葬」というやり方もアリだけどそれはやはりリアリテイーが無いものな~。こいつ悲しそうな顔してるけど実際の時はこね~じゃないんか?何て思ってみたり反対に平気そうな顔してるけど本当になると実は一番悲しんでくれたりして・・・何て想像するのも楽しいかも知れないけどそれはきっと良くない事なんだろうな。

 

 マア、「佐賀のがばいばあちゃん」じゃないけど人生、生きてるだけで丸儲けと思って頑張るか!

2009/03/08

音楽と共に

 当社の事務所にはいつもBGMが流れています。普段はFM放送が流れていますが最近、省エネで昼休みとか電源を切ってしまうので事務所内が無音になり何となく落ち着かなく成る事に気が付きました。

 

 自分と音楽との歩みを思い返してみると子供の頃は以前、お話したとおりガキ大将だったので外で悪さばかりしていたのですが親が何とかしようと思ったのでしょうね。或る日ピアノの家庭教師を連れてきました。その頃も別に音楽が嫌いな訳ではありませんでした。いや、むしろ好きだったかも知れません。

 

 しかし、どうも昔の(今は知らないのですが)ピアノ練習曲というと赤バイエル、黄バイエル、ソナタ?だったっけな?を練習させられ、それなりに弾けるようになりました。しかし、子供心にその練習曲が悲しい音色に聞こえてすっかり嫌いになってしまい、段々何とか逃げようと考え、家庭教師がくる時間に合わせて押入れに隠れてしまい絶対外に出ないようにして、とうとう親はそれで家庭教師の先生に悪いと思ったのか諦めてしまいました。今考えればあのまま続けていればピアノが弾けて少しは自分の趣味も広がったかな?と悔やんでいます。

 

 その後はビートルズが来日して一気にグループサウンズ(古い・・)の時代が訪れ音楽を巡る環境もすっかり変わってしまいました。自分も次第にオールナイトニッポンを始めとするラジオの深夜番組に嵌ってみたり初めて自分でレコードを買ったのもその頃でした。タイトルは忘れたけど確かフォークソングだったような気がします。丁度、その頃兄貴がギターを買って弾いていたのでレコードを渡して弾いてくれと頼んだのを覚えてます。

 

 そういえばラジオの深夜番組で地元放送局が放送する時間帯があってその時に同級生の女の子が同じクラスの男の子に告白する手紙が読まれ丁度、自分もその放送を聞いていて驚いたな~結局、その二人は卒業後に結婚して夫婦になったんですけどね。

 

 その時代は日本のフォークソングの幕開けで日本中でコンサートが開かれていました。私も地元で開催された吉田拓郎のコンサートや中野サンプラザでのユーミンのファーストコンサート何かを聞きに行きました。

 

 学生時代、春休みはいつも田舎のカバン屋でバイトをしていたのですがその時代は有線放送がブームで、昼休みにはいつも近くの喫茶店で昼飯を食べながら電話でリクエストをしてバイト仲間で誰のリクエストが一番先に掛かるかなんて事を競っていました。

 

 それからは日本の音楽界は飛躍的にジャンルが増えてポップスやR&B、ハードロック、テクノ等々何やらやたらジャンルの名前が増えて一体この音楽はどれに属すのか?訳がわからなくなってきました。

 

 最近は八ケ岳に引っ越してきてからあまりジャンルに囚われることなく音楽を楽しむようになりました。その最たるものは薪能かも知れません。毎年近くの神社で開催される薪能に通うようになり最初はすごく抵抗感があったのですが今では年一回の日本人の音楽のルーツに触れるような思いで聴いています。

 

 一番最近はYOKOという女性ジャズボーカリストのコンサートに女房と二人で行って来ました。普段、あまりジャズに接する機会は無いのですが大学生の頃は格好付けて「オスカーピーターソンがいいね~」なんて言って御茶ノ水にあるビルの地下のジャズ喫茶に入り浸り分かったような振りをしていました。そういえばその頃、大学の同級生が良くその喫茶店に入り浸って何故か英語の辞書を食ってたな~何であいつはいつも辞書を食ってたんだろ?何せ変な時代でした。

 

 それとたまたまご縁があって小野リサさんのコンサートに良く行くようになりました。彼女の優しいボサノバの歌声は本当に癒されます。以前、余りの心地よさにコンサート中にウトウトした事がありました。

 

 こうしてみると自分の歩んで来た時とともに常に音楽があった事に改めて気付かされます。近年はいつでもどこでも音楽が楽しめるようになり本当に良い時代になりました。必死でカセットやオープンリールに録音していた時代が嘘のようですね。

2009/03/02

村長ありき

 先日、知人に薦められて「村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯-」という本を読みました。岩手県沢内村という雪深い財政難に苦しむ寒村でありながら戦後初の乳幼児・高齢者の医療費の無料化、そして乳幼児の死亡率0を達成した深沢村長の生涯を描いたノンフィクションです。

 ちょうど高知に帰る飛行機の中で読んでいたので、その内容の素晴らしさに涙が止まらず、隣の席の人に気付かれないようにするのに苦労しました。最近は本当に涙もろくてどうしようもありません。これはやはり以前受けた目の手術の所為かな?と・・エッ関係ない?齢の所為?マアそれはどうでも良いのですが、兎に角素晴らしい内容の本でした。

 実はこの原作をモデルにした「いのちの作法」という記録映画が作られていて全国で自主上映会が開催されています。知人がここ北杜市でも是非開催したい、多くの人に観て貰いたい、しかも無料ではなく、あくまで有料で観て貰いたいと言う事で名乗りを上げ、私も大した事は出来ないのですがお手伝いする事にしました。

 開催は75日ですのでまだ時間があるので先に原作本を読むことにした訳です。この「村長ありき」の原作本に描かれている時代背景には戦後の混乱する地方行政の中にあって本当の政治とは医療とはどうあるべきかと言う事が描かれています。端的にいうと政治の根幹とは住民の生命行政つまり住民の命を守るのが最大・唯一の理念でなければならないと言う事です。

 戦後の混乱する地方行政の中で岩手県の寒村では当たり前のように乳幼児が死亡し老人が充分な治療を受けられず亡くなっていく現実に直面し、何とかしなくてはならないと誰しも思いながらではどうすれば良いかという事になると明確な解決策は誰も答えられない・・・何だかこれは戦後の混乱期の話ではなくて現代でも全く同様な事が起こっているような気がしません?

 確かに当時と比べ飛躍的に医療技術が進歩し潤沢とは言えないまでも日本は飛躍的な経済発展をとげて地方行政にもそれなりの予算が付くようになったハズです。ハズなんですが・・ここ数年の年金保険の不祥事や産婦人科の減少による充分な出産対応が出来ない病院の現状をみると何だかこの沢内村がたどってきた道のりは現代にも繋がっているような気がします。

 まるでマネーゲームの様な年金の「運用」という名の投資はまさに我々の命をマネーゲームに委ねているようなものです。本来減るわけが無い我々の納めてきた年金は昨年一年間だけで何兆円も減少しています。もちろん経済が順調だった頃は飛躍的に増加した年もあります。しかし、投資という行為は正にこの生命行政に関しては私はあってはならない事だと思います。それは投資しているのはお金ではなく我々の命だからです。

 ここ北杜市でも病院の統廃合問題が起きているように聞いています。しかしそれは地方行政において最優先課題であるべきだと私は思います。「住民の生命を守る」これこそが政治の最重要で唯一の課題であるとこの本は教えています。

 政治の世界では我々では分からない難しい問題もあるだろうとは思います。しかし、経済が破綻し地方行政の予算が削られ住民が苦しむ事があるなら何の為の政治かと思います。様々な軋轢を取り払い無駄を省き真に必要な生命に関わる問題に絞って国は政治を行うべきではないでしょうか?

 沢内村の深沢村長は自分の行った生命行政に関して「本来は国が行うべき行政であるが国がやらないのなら自分達がやるしかない」と様々な圧力に合いながら自分の信じる行政方針を貫きました。深沢村長は残念ながら道半ばにして病に倒れこの世を去りましたが村長の政治方針に共感する村民達がその遺志を引き継ぐ事になりました。

 出来れば日本中の人達がこの生命行政に同調し本当の政治とはどうあるべきかを考えるきっかけになれば素晴らしい未来が開けるように思います。

2009/02/23

車って・・・

 東京に住んでいるときは車なんて必要ないと思っていました。実際、都会では電車網が発達しているし当時、下手すると住んでいるアパート代よりも駐車場代の方が高かった。一度、駐車場を探した時は近くに無くて電車に乗って隣駅まで行かないと無いと言われ車に乗るのに電車に乗って車を取りにいくのも馬鹿らしいな~と思って止めにしました。

 田舎の実家がガソリンスタンドを経営していた事もあって車は小学校の時から乗っていた(勿論、スタンドの中でですよ)お客様が「洗車しといて」何て言って置いておくので私が移動して洗っていました。だから運転暦はやたら長い。しかし、自分の車を持ったのはサラリーマン時代、上司がもう車に乗らないから安く譲ってやるといわれた「ファミリア」が最初の車でした。

 当時、長男が生まれてさすがに「あれば便利かな?」と思い始めていた頃だったので喜んで話に飛びついた。今でも初めてその上司の住むデイズニーランド付近のマンションの駐車場に車を取りにいき首都高速をビクビクしながら運転して帰ってきたのを覚えています。その車は結局、海の近くに長く使わずに置いていたのでエンジン付近が錆びていてすぐに駄目になってしまって乗れなくなってしまいましたがそれから今まで多くの車に乗ってきました。

 先日、思い出しながら遍歴を数えてみると、アコード、ストリート、デリカ、ランクル、パジェロ、オデッセイ、オデッセイⅡ、エスクード、CR-Vと乗り継いで来た。それぞれその時の生活環境にすごく直結していて思い出深い車達です。

 子供達を一杯のせてキャンプ場に入り浸っていた時のアコード、ストリート、お金がなくて車を売って生活費に換えてとにかく動けばよいからと言って買ったボロボロのランクル、今考えればよくあれで高知まで帰ったものです。

 私にとって車は自分の生活と共に時を過してきた身近な自分を支えてくれる仲間だったのかも知れません。私は車に高級感とかブランドとかを求める気持ちは全くありません。今の山の暮らしの中で必要な機能を持っていてくれれば充分だと思っています。あのまま都会に住んでいたら多分、車は持たなかっただろうと思います。渋滞の中で運転するのには辟易していましたので・・

 さて、現在は車社会にとって大きな変革が起こっています。世界的な経済危機の中、大排気量で圧倒的なパワーを売り物にしてきたアメ車が経営の危機に直面し消費者も車に対する考え方が変わってきています。それでも高級SUV車が好調な売れ行きを示しているという日本の現状には私は正直いって良く理解出来ませんが・・

 CO2削減が世界的に求められエコロジーな暮らしを人々が志向するようになって車も変わっていかなくてはならないのではと私は思います。車は良くも悪くも便利な乗り物です。特に山の中に暮す我々にとっては生活に密着したツールと言えます。里山のベンツは軽トラ!これに勝る車は無いと思っているのですが2台持つわけにもいかず今の生活環境を考えると今乗っている車がベストだと思っています。

 つまり、早い話が小さいときから車が好きなのですね。その時、その時に色んな考えで選び一緒に行動してきた車なのでそれぞれに思い入れが強いのです。この先、車社会がどう変化していくのかどう変わらなければならないのか実はワクワクしながら見ています。自分も含めマイカー族にとって車は便利な道具ではありますが今後、車の未来がどうあるべきかその変遷をしっかりと見据えていかなくてはならないかなと思います。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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