2010/07/25

夏の高原生活事情

 世の中猛暑続きで大変な事になっていますが有り難い事に世間が猛暑でうだる中、森の中の我が家は日中でも木陰で涼しく快適に暮らしています。

 本当に猛暑の中で暮らさなくてはならない人には申し訳ないけどエアコンもいらないし夜は窓を開けて寝てると風邪をひきそうになってしまいます。

 勿論、いくら高原の夏が涼しいといっても日中、森の外にでれば当然、30度を超す日差しが照りつけてしかも1000mを超える高度なのでそれなりにお日様に近く油断すると日焼けで痛い思いをする事があります。それでもちょっと木陰に避難すれば湿度が低いので涼しく、夕方も3時を過ぎればそろそろ涼しくなって熱帯夜になるなんてことはまず無いですからね。

 それに我が家はログハウスなので日中の日差しに強い時に外から帰ってきて家の中にはいるとヒンヤリなんです。これは本当に有り難いですね。元々、そんなにエアコンが好きな訳ではないので夏の日差しと暑さを遮ってくれるログハウスには本当に感謝しています。

 もともと都会に暮らしていた時にちょっと体調を崩して今でいうパニック症候群なんて病気に掛かってしまい、満員電車に乗ると過呼吸を起こしたり平衡感覚をなくしてひっくり返ったりという症状が出るようになってそれが都会を出るひとつのきっかけにもなったんですがここ八ヶ岳南麓に暮らすようになってほとんどその症状は出ないのですがそれでも時々、疲れが溜まったりすると一年の内の何度かひっくり返ってしまいます。

 もう、この病気との付き合いも長いのでこの症状が出そうになると諦めてとにかく家で大人しくしていれば直るので全てを捨ててそうする事にしています。数日前にやはりその症状が出てしまい、スタッフに断ってしばらく家でじっと大人しくしていました。

 その時も世間では猛暑だとニュースでは騒いで居ましたが我が家では幸い、窓を開けて高原の涼しい風を入れておけば快適に暮らせるので本当に助かりました。

 唯一困るのは我が家の猫達が私が寝ているとこれ幸いとお腹の上に乗ってきて座布団代わりに私を使うのでちっともゆっくり出来ない事なのですがそれ以外は本当に快適です。

 あっもう一つ困るのは明け方の4時頃、森の中がようやくうっすらと明るくなって来た頃にまず鳥達が騒ぎ出し次にセミ達が騒ぎ出す事ですね。鳥達の中でも最近、猛禽類のタカだと思うのですが森の近くに巣を造っているのでこいつが「ヒ~ヨヒ~ヨ」と煩いったらありゃしないのです。

 それからセミに関しては何故かこの辺りでは初夏にヒグラシが鳴くのです「カナカナカナ~」とこれも相当煩いのです。私なんか高知育ちなので高知ではヒグラシが鳴けばもう夏も終わりでいつも「あ~ヒグラシが鳴き始めた。もう今年の夏も終わりか」なんて毎年言っていたのでこちらに来たばかりの頃は調子が狂っちゃいました。

 それから近年、多くなったのは雷雨ですね。この辺りは高原なので昼間の温められた空気と上空の冷たい空気がもろにぶつかるので夕方、強烈な雷雨になるケースが増えてきました。しかも標高が高いので結構、近くに雷が落ちて停電なんて事も増えてきました。近頃は家電なんかもICを使っているものが多いのでそれがやられてしまうケースが多いので雷ガード機能の付いたコンセントは必需品になっています。

 それからもうひとつ困るのは夜、窓を開けていると網戸に巨大な蛾を始めとするありとあらゆる虫達が寄ってくるのです。虫達にしてみれば真っ暗な森の中に明かりが見えればそりゃ寄ってくるのは当たり前なのですが、網戸にくっついた虫達を見ると我が家の猫達が興奮して網戸にへばりつくので「その虫は網戸の裏にいるから捕まえられないよ」と何度教えても猫達に理解出来る訳もなく連中にしてみれば「なんでこいつら捕まえられないの?」と思っているらしく何時までも網戸にへばりついているという網戸猫状態が続くのです。

 ある日なんか余りに猫が煩いので部屋の明かりを消して網戸に着いた虫達を追い払おうと思ったら何と網戸にホタルがくっついていて明かりを消すとそいつが綺麗に光り出して結局、その明かりにみとれてしばらくうっとりと過ごしてしまいました。

 今年の夏もこれからが本番ですが高原の夏は今年も快適で本当に猛暑の皆様、酷暑お見舞い申し上げます。高原に遊びに来てくださいね。楽になりますよ・・・

2010/07/17

腕時計の変遷

 皆さんは自分がいつから腕時計を着けたか覚えていますか?私は多分、中学受験の時に必要だからと買って貰ったような覚えが有りますがはっきりとは覚えていません。

 しかし、その頃はまだ手巻きのゼンマイでよく腕から外して手でつまみをエッチラオッチラ廻していました。このつまみが結構、腕に食い込んで痛かった。その内に自動巻きなんてものが出来て手を振っていると自動的にゼンマイが巻かれてもう手でつまみを廻す必要がなくなりました。その時はやたら必要でもないのに腕を振って歩いたり時計が止まりそうになるとやたら腕を振り回していました。

 何だか今、思うとこの自動巻きの時代が結構長かったような気がしますがその内にソーラー時計なるものが出てきてお日様に時計を当ててると自動的に内臓されたバッテリ-が充電されて何もしなくても何時までも時計が廻っているというものが出て来ました。

 私もこれは便利だと思いつい買ってしまいました。もっとも私は別にこのバッテリーが自動的に充電されるのが欲しかったのではなく電波時計の機能が付いてて時間が自動的に補正されて常に1秒も狂うことなく時間が見られるという事にすごい魅力を感じて買ったのでした。

 しかし!そこに落とし穴がありました。先ず最初の思い違い・・・それはお日様に時計を当ててれば永遠に時計が動き続けると思っていた事。ちょっと考えれば分かりそうなものですがそんな訳はないのでバッテリーが消耗して充電機能が落ちてくれば当然、いくらお日様に当てても充電なんかしない訳で結局、バッテリーを交換しないと駄目な訳です。

 問題は昔みたいに手巻きのゼンマイ時計ならばその場で巻けば直ぐに復活するのですがソーラーバッテリーの場合はバッテリーが切れれば当然、何も表示されない訳で、時間も何も表示されていない真っ白な丸いガラスを腕に巻いているだけで何の特にもならないという事にその時、初めて気が付いて・・・こりゃダメだと思いました。

 次に気が付いたのは或る日、フト時計に目をやると11日午前0時の表示になっておりウン?なんだこりゃと思ったのですが、どうもバッテリーが上手く充電出来ないと定期的に行っている電波時計の標準時の調整が上手くいかなくなり表示画面が11日午前0時に自動的になってしまう様なんです。

 やれやれ又か・・・と溜め息をつきながら運転中に出来るだけ腕時計が日に当たるようにハンドルの上で腕の位置を調整し涙ぐましい努力をする羽目になります。

 しかし、ふと考えてみたら車の中だってちゃんと時計表示はあるし、携帯電話だって時計表示はあるし、昔みたいに何処にも時計がなくて時間が分からないなんて事は現代ではないわけでじゃ、腕時計なんて必要ないのかな?何て思っていたらやはりTVの番組で最近腕時計をしない人が増えているなんて事を聞き、それじゃ時計が売れない訳だと納得しました。

 なにやら最近は高級な腕時計が売れていてどうも実用的なのは余り流行りじゃないみたいですね。最近ではサッカーWカップで活躍した本田選手が何故か両手に腕時計をしているのが話題になり彼はバランス感覚を大事にしたいので両手にしていると言っていましたね。

 まあ、色々ありますが私は兎に角1秒も狂わないという機能を持った時計はそれなりにすごく気分が良くやはり大事にしていこうと思っていますが、玉に傷はこの時々、表示が消えてしまうという欠点なんですよね。

 こういっちゃ何だけどエネルギーは手巻きで時間合わせは自動的に行われるなんてマニュアル機能とハイテク機能を併せ持ったような時計はないですかね?

 何も普段、11秒を争って生活している訳でもなく、むしろノンビリと一日を無駄に過ごしている事が多いので別に1秒と狂わない時計が必要な訳ではないのだけれど例えばFMから流れてくる時報の瞬間とかTVの時報の瞬間とかに自分の時計がピッタリとあってるという快感がたまらないというだけなんですけどね。

 「普段は誰も見てくれなくても、見掛けはのんびりしている様だけど私だってやるときゃやりますよ」というこのソーラーバッテリーの電波時計の正しい姿勢が好きなのですよ。

2010/07/10

突然のFAX

 先日、朝の5時に突然。電話が鳴りFAXが送られて来た。実は私は寝てて全く気付かず後で女房から知らされてたのですが朝、女房が眠そうに「朝早く、突然FAXが入って大変だったんだよ」と言い、事情を知ったと言う訳です。

 FAXの内容は「選挙に行きましょう」というタイトルながら内容は特定の候補者を中傷するビラでした。その時は「タチの悪い悪戯だな~だから、選挙は嫌いなんだ」と思ったけど次の日の地元新聞の記事を見たら県内のかなりの範囲に無作為に送られてきたそうで発信元も他県からだったりしたそうで家に送られてきたのは発信元が分からないようになっていました。

 実はその事件が起こる数日前の夜、電話が鳴りこちらも発信元を明らかにしない電話で音声ガイダンスで選挙のアンケートだという話だった。これも女房が取ったので私は「発信元を明かさないなんて変だから切っちゃいな」と女房に言ったのですが「そんな事ないんじゃない?」と音声ガイダンスに従って女房殿はアンケートに答えていました。

 後から考えたらあのアンケート調査も怪しいもんだと思ったけどこれも後から地元新聞にアンケート結果が出ていたのでこれはこれで本当だったのかな?と思います。

 しかし、選挙が近づくと大なり小なりこういう事がしょうっちゅう起こるので私は選挙が好きになれないのです。勿論、国民の義務であり大切な権利ですので必ず投票には行きます。問題はその選挙の在り方なのです。

 曰く、後援会の名簿にサインしてくれだの、こういう無礼なFAXを送りつけてきたり以前も特定の候補者の愛人宅の地図だという記事が送られて来た事がありました。

 誰がこんな馬鹿な事を思いつくのか知りませんが少なくても送ってきた人は何らかの効果があると思って送って来ている訳でその事が余りにもくだらなくて嫌になってきます。

 選挙が近づくと候補者の名前を連呼する宣伝カーが町中を走り周り森の中の狭い道にも時々入り込んできます。TVではやたら政党のCMが賑やかになりこの人達は選挙の前だけこういう聞き心地のよい言葉を連呼し選挙が終わればどこ吹く風で「そういう意味ではなかった」何て(笑)必ず言うのだから困ったものです。

 本来、政治は国民の代理として住民サービスを行うものだと思っていたけど最近は日本も大国になってしまったからか政治も複雑になってしまってどうも必ずしも国民が望む方向ではない政治が行われるようになってとても国民の代理とは思えなくなってきました。

 しかし、2人の人間がいれば必ず2つの意見が有る訳で1億人の投票者がいれば当然、1億人の考えが有る訳でその意見が必ずしも一致する訳ではないのでそこが政治に携わる人達の難しいところなんだろうなと思います。

 こんなに複雑な世の中になる前はきっと「豊かな自然を大切にし、自然と共存し、人々が飢える事無く健康に暮らせる事」これが人々が暮らす上で一番大切な全ての決まり事「掟」でこれに基づいて全ての事が決まっていたのではないでしょうか?

 イヌイットの人達やマタギの人達の掟もこれが基本になっていたように思います。私は今の政治家という人達の発言のなかにそれが中々感じられないのです。人々が嫌がる事を何故押し付けなければならないのでしょう。

 何故、こんな早朝の人が気持ちよく寝静まって居る時に気持ち悪いFAX何か送ってこなくてはならないのでしょう。戦争もしないと言っているのに戦闘機が大空を我が物顔に飛び回りここ八ケ岳や南アルプスの麓にもしょっちゅう超低空飛行で明らかに軍用機と思われる飛行機が飛んできます。何の目的でそんな事するのか知りませんが決してその光景は気持ち良いものではありません。それを気持ち良いとか安心だなんて思う人がいるのでしょうか?それでも必要な事なんでしょうか?

 経済復興を声高に皆さん選挙が近づくと政治家の人は言うけど本当に経済復興が人々の幸せを約束してくれるのでしょうか?私は永遠に経済成長が続くなんてあり得ないと思っています。その弊害が必ずあるのではないかと思ってしまうのです。

 ああ、早く選挙終わらないかな・・

2010/07/05

森の電波障害事情

 毎年の事ですが森の木々達が勢力を増してくるこの時期、我が家のTVは写らなくなる。「そんな馬鹿な」といつも笑われるけど本当なのだから仕方ない。

 しかし、仕方ないでは済まなくなりそうな事に最近気が付いてしまった。今は、デジタル放送が写らなくなってもアナログ波はなんとか拾えるので画面の綺麗さを諦めれば何とか見える。

 しかし!来年からデジタル化が始まってアナログ波が止まれば我が家はどうなるの?とフト思った。「マア、それなら我が家の道の前に隣町のケーブルテレビの配線が来てるからそれから引けばいいか、高くなるけで見えないよりいいや」とタカを括ってケーブルTVに連絡してみた。

 そしたら「そのケーブルTVの配線はあくまで隣町用に配線されたものでお宅には引けません」との冷たい回答を頂き???の連続。そんな馬鹿なと思ったけど何を言ってもどうやら決まりがあってダメの一点張り。ムムム、それじゃどうすれば・・・

 自慢じゃないがTV大好きで育ってきたので今更TVを諦めろと言われてもな~。昔、街頭テレビで力道山を観たのが運のつきだったのですね(古!)。あれからウン十年。今更、諦めろと言われてもハイ、分かりました諦めますとはならないものな。

 しかし、最近衛星放送なんかもあるので仕方なく他の番組が写らないときは衛星放送なんかの番組を見てるのですが、これが結構面白い番組やっていてバラエテイーばかりでクダラナイ番組が多くて辟易してると新鮮な感じがします。

 世の中、確かデジタル化が進めば情報化が進み双方向時代が来るなんて聞いたけど我が家なんか写らなくなっちゃうんだけど、そういう場合はどうすればよいのでしょうね。

 きっと他にも打つ手があるのだろうけど面倒くさいので写らないなら写らないで結構だ!エエ、エエ結構ですよ。写る番組だけ見るし映画なんか録画しちゃってそればかり見るからいいですよ!と言いたくなってしまう。

 しかし、以前、全国でデジタル化して電波障害で写らなくなる世帯は離島や山奥の世帯の一部で全体の数パーセントなんて統計をみてたので「そうか、うちはその数パーセントに入ってるのか・・・」なんて変なところで感心してしまいましたが・・しかし、家だって秋になって葉が落ちてくれれば写るようになるのだからいわゆる難視聴地域とも完全には言えないのだろうなと少し「他とは違うんだぞ」何て思ってみたりもするのですけどね。

 しかし、世の中、時が経てば便利になるとばかり思ってたけど意外と不便になることも結構あるのですね。というか、少しは不便でも私は良いとも思っています。

 余りに便利さを求めるばかりに少し世の中に歪が出てるように思うし、本来、便利さを求めてこんな自然一杯の八ケ岳南麓に来たわけじゃないので「TVなんか見ずに星空見ろよ!」って言われたら「はは~仰るとおりです」とも思うのです。

 確かに星空だって大好きだし・・でもジャイアンツ戦の中継やWカップの中継も見たいのだから仕方ないのですよね。でも、私は最低限でよいです。何も夜中の3時から中継を見ようとは思わないし、結果と試合内容が後で分かれば私は満足です。

 しかしあれですね。デジタル波というのは意外と弱いのですね。アナログ波なら多少、雷が鳴ろうとも森の木々が揺れようともそんなに支障ないのにデジタル波はダメですね。

 最近の家電製品なんかは皆、マイクロチップが組み込まれているので雷なんかには本当に弱いですね。昔は作りもシンプルだったからそんなに壊れなかったし多少のことなら「叩けば直る(笑)!」というのが常識でしたが、最近は叩かないで下さいと注意されます。

 叩くと壊れる(笑)んだそうです。そういえば田舎の我が家でもTVが写らなくなるとよくTVの横をひっぱたいていたな~。そうすると確かに写るようになったから不思議ですね。今は壊れるから叩くな、昔は壊れたら叩け!どっちが進んでいたのでしょうね(笑)

2010/06/26

言葉というツール

 先日、TVのニュースで昨今の若者の言葉でのコミュニケーションの様子を特集していました。初対面の人とどの位、上手く話が出来るかという実験をしていましたが中々これが上手くいかなくて沈黙が10秒間続くとその時点で実験は終了というものでした。

 そういえば先日、いつもBGMで事務所に流しているFM番組でもDJの人がラジオ番組で10秒間、沈黙するとそれは放送事故に繋がりかねないと言っていました。

 自慢じゃないけど私も他人と話をするのが苦手で若い時はそれが心の葛藤に繋がって更に話が上手く出来なくなるという悪循環に繋がっていました。

 子供の頃に自宅で近所の子供達と遊んでいたときに何が原因だったか忘れましたが皆と喧嘩になって「もう皆、帰れ!」と言ってしまったのがきっかけでその後ひどく落ち込んでしまいそれがトラウマになって余り上手く他人と話が出来なくなってしまいました。

 他の方が聞くと「そんな些細な事でトラウマになんかなるものか」と思うでしょうが今でもその情景を覚えていることが正にトラウマなのかも知れません。

 そうして何とかそれなりに大人になり社会人となり、それなりに他人と話をせざる得ない状況になりそれでもやっぱり自分なりに悩んで、以前にもここで書きましたがある日、ふと目に付いた「他人と上手く話をする方法」みたいなテーマのノウハウ本を購入しました。

 普段は余りこういうノウハウ本は好きじゃないので買わないのですがその時はよほど自分なりに何かで人とのコミュニケーションに困っていたのだと思います。

 そこで色々な人とのコミュニケーションの仕方のノウハウを知り、それから面白くなって色々な本を読みました。コント55号の「欽ちゃん」が書いた本や脚本家の倉本聰さんの著書なんかに感銘をうけてそれをそっくりそのまま真似させて貰った事を覚えています。

 今ではその経験をいかして自分なりに工夫して話をしようと努力していますがそれでもやはり努力しないと上手く話せません。

 現代のコミュニケーションツールとして絶対的な存在は携帯電話であり又、メールでもありますよね。これは僕はすごく便利であるし危険でもあると思っています。

 何が気になるかというと色々あるのですが携帯電話は掛けている相手の状況が分からないと言う事です。僕はいつも「今、話できますか?」と聴く事にしていますが固定電話であれば間違いなくその電話がある場所に相手がいるわけだからおおよその状況は分かりますが携帯電話の場合は相手が何処にいてどういう状況が全く判りませんよね。それがとても気になります。

 だから私は休みの日や仕事が終わると携帯電話を切ってしまいます。自分のプライベートな時間を大切にしたいのです。よくスタッフには怒られますが(笑)

 それからメール、これは何がいけないかって、どうしても伝えたい微妙なニュアンスが伝わらないのです。所詮メールという言語と最近は絵文字なんてのも使えるようになりましたがそれでもやはりそこに書かれている文字には感情が表れないので微妙なニュアンスが伝わらないのです。

 私は人と話をするときにその人の微妙な顔の表情の変化や言葉の強さ、態度にすごく興味があります。表情を変えないで硬い表情の時は何か話の中身に気に入らない事があるはずだし、シビアな話題なのに表情が緩んでいるときは何か解決策をもって臨んでいると思うし、そういう意味で相手と言葉でコミュニケーションをしている時は他の表現手段を参考にできるのでとても助かります。

 片やメールの場合はどうしても文字だけで伝えなくてはならないので表現が強く伝わりがちな気がします。

 言葉でのコミュニケーションはそういう言葉以外の状況を見ながら話題を探せるので助かります。基本的にコミュニケーションは相手とのキャッチボールなのでどんな話題に変化しているか無限の可能性があります。

 そういう意味では社会人をしていて一番辛かったのは自分が有利な結果しか求められていない交渉でした。この場合は仕事として結果が求められているので自分に有利なように相手を誘導する必要があります。簡単な交渉ならよいのですがそうでない場合は相当ストレスが溜まります。

 仕事の規模が大きければ大きいほどそうなりますね。今回のWカップ日本代表なんていうのも言葉での折衝とはちょっと違いますがスポーツとしての試合の結果として勝利を求められているので関係者のプレッシャーは大変なものだと思いますね。

話がアチコチ飛んでしまいましたが現代の若者たちはどうしてもこういうメールという文字でのコミュニケーションが主体になってしまったのでどうも言葉でのコミュニケーションが苦手なようです。

 人間って思ってもいないことを伝えてしまったり言わなくても良いことを言ってしまったりして相手を傷つけてしまう事があります。だから人間って面白いと思うのです。倉本さんの脚本にはよく「・・・」という表現方法が取られます。文字にすると「・・・」ですが言葉にするとそこに顔の表情だとか深い思いだとかが詰まってきます。だから言葉って面白い・・・

2010/06/18

八ヶ岳高原サイクリング2010

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  今年も八ケ岳高原サイクリングが開催されスタッフとしてお手伝いして来ました。私がこのサイクリングイベントをお手伝いするようになって
7年程経ちます。最初にお手伝いした時は清里から小諸まで100kmのサイクリングイベントで結構、長丁場なイベントでしたが今は地元、八ケ岳を中心として70kmと45kmの2つのコースに分かれて開催されています。

 私はいつもサポートカーの運転手としてお手伝いさせて貰っていますが毎年、多くの方に楽しんで貰って年々、参加者が増えて今年は定員オーバーの140名程の参加者でした。

 イベントの主旨がタイムを争うものではなく八ケ岳の自然を楽しみながらゆっくりサイクリングの楽しさを味わって貰おうというものなので参加者の皆さんもスタッフも和気あいあいとした雰囲気のイベントです。

 参加者も小学生から70歳近い方まで幅広い年齢層の方が参加されています。私はもう一人のスタッフである岡ちゃん(事務所隣の指圧の先生)といつも最後尾からレースをサポートし何かトラブルがあった場合に駆けつけて対応する役目です。

 その他に参加者の荷物を運んだりレース最後尾なのでコースに張り出してあったコース案内の矢印を最後尾が通過する度に撤去していったり怪我をしたりしてギブアップした参加者を自転車と共に収容してゴールまで運んだりといった仕事が待っています。

 そしてイベントが終わると参加者を駅に送っていったりといった仕事もあります。私だけでもこれだけの役割があるのでイベント全体を支えるボランテアスタッフの仕事は大変です。

 メンバーの主力はいつも毎月1回、八ケ岳通信というウエブマガジンを発行しているヤツネットのメンバーが果たしているのですがメンバー全員がそれぞれの仕事を抱えながらのボランテイアスタッフとしての参加なので、大変です。

 又、ヤツネット以外のメンバーとしても遠く関西方面から毎回参加している女性スタッフや地元「歩こう会」の方達、それから各自転車グループのリーダーとして参加してくださる自転車愛好家の皆さん、そして自転車のメカニックとしてサポートしてくださる方、そして参加賞やドリンクといった面で協力して下さる企業等、イベントの規模が大きくなればなるほどサポートスタッフの仕事が多くなります。

 そしてこのサポート体制が出来ているかどうかでイベントが成功するかどうかの一つの鍵になります。

 私はいつも参加させて貰って思うのですがボランテイアスタッフが何で自分達の貴重な時間をさいてこのようなイベントをサポートするかというと参加して下さった皆が笑顔で「楽しかったよ」「又、来年会いましょう」何て事を言ってくれるからではないでしょうか?眉間に皺を寄せてクレームばっかりのイベントには誰も参加しようなんて思わないし「金払って参加してるんだぞ!」みたいなイベントは又、別の参加意義があるので雰囲気が全く違うんだと思います。企業が開くイベントなんかは当然、利益を生み出すような仕掛けが必要なので又、別物ですよね。

 今年はこのサイクリングイベントに参加されていた方達の中から2組のカップルが誕生した事が報告され打ち上げの席上で参加者の祝福を受けていました。

 私はいつもレース最後尾を追いかけているので大体、脱落寸前なんて参加者をサポートする事が多いのですが今年は一人の落伍者もなく、すんなり皆さんゴールされ「今年は前回参加していたちっちゃな子供さんいないのかな?」なんて思っていたらその子供さんはしっかり大きくなって参加されていてこっちが全然気付かなかったなんて事もありました。

 後ろから見ていると必死で前ばかり見て登り坂では苦しそうにペダルをこいでいて、とうとう自転車をおりて押しながら上るなんて光景もいつもの事で、私なんか「苦しそうだけど大丈夫かな?あれで楽しいのかな(笑)」何て事を思ったりするのですが後で聞くと「苦しいところもあるから達成した楽しさが倍増するんですよ」なんて話を聞き「ふ~ん、そういうものなんだ・・・」と変なところに感心したりしています。

 昨年からSECOMさんに協力をお願いして万一に備えてAEDも用意して走っていますが幸いなことに今まで一度も使わずに済んでいます。

 多くのボランテアスタッフに支えられて今年も八ケ岳サイクルリングも終了しました。一年はアッというまに過ぎ去り又、来年も自転車好きな方達に八ケ岳でお会いできるのが楽しみです。来年は又、どんなドラマが待ち受けているのか・・・

2010/06/12

現代古本屋事情

 先日、溜りに溜まった本を処分しに行きました。いつも寝る前に本を読む習慣があるのでベッドの廻りには夫婦で読み溜めた本が山と詰まれており万一、地震でも来た日には間違いなく本の下敷きになって死んでしまうだろうと言う事が予想されたので(笑)そうなる前に涙を飲んで「○○オフ」へダンボール一杯に読み溜めた本を詰め込んで売りに行った。

 いつも休みとなると夫婦でこの○○オフに足を運ぶことが多い、一回いくと1時間近くそこにたむろして目ぼしい本がないか探す事が休みの日課になっている。前にも何度か書いたけど手元に次に読む予定の本が数冊はないと精神的に不安定になるので予備の本は欠かさない。

 最近の悩みは仕事が忙しくてついつい寝床に入ってしまうと余りの気持ちよさと睡眠の誘惑に囚われて10分位しか読書に集中出来ずにバタンキュウして沈没してしまう事です。

 速読にも何度か挑戦してみたんだけど長続きせずに諦めてしまいました。しかし、最近は若い作家さんが頑張っていて、なかなか良い雰囲気になってきています。何だか最近は子供達の読む本とダブル事もあって子供達が「父さん、こんな本読むんだ?」何て聞かれたり「お前、何、この本持ってるの?貸して」なんて親子で本の物々交換をしたりしています。

 先日の「○○オフ」行きの本を詰め込んでいるときも「この本読む?」なんて選別をしていました。

 そういえば以前、読んでいた「SFモノ」の3部作の最終巻をずっと探していたんだけど、それこそ10年前位の作品で一気に2部までは読んだんだけどその後何となく間があいてしまい作家さんも何故かなかなか最終章を書いてくれなかったのでずっとそのままになっていたんです。

 その後も探すでもなく思い出しては「そういえばあの作品の完結編はどうなったんだろう?」と思って探すんだけどず~と見つからなくてそのままになっていたんです。

 それが先日の「○○オフ」の書棚を探検しているうちに若者向けのコミック誌なんかを置いてある本棚に迷い込んでしまい。「こりゃいかん、ここには探すものはない」とふと棚の一番上を見ると「長編SF3部作ついに完結」と書いた本が並んでおり紛れもなく私が長い間探していた本だったのです。

 しかし、その本のカバーはいかにも若者が喜んで読みそうな派手な衣装を着た主人公の女将校の姿が漫画チックに描かれており、ちょっと中年オジサンが手を差し伸べにくい雰囲気の本で、思わず廻りに人が居ないことを確認して(笑)本棚の一番上のそのコミック誌風のその本を手に取り中身をペラペラとめくると確かに探していた本でストーリーそのものはいたって普通のSFモノなんですが表紙がね~。

 最近はどうも若者が本を読めるようにという作戦なのかやたらと歴史書なんかも格好良い若侍が漫画チックに描かれていて内容は変わらないんだけど表紙が違うというのが最近のはやりの様ですね。

 結局、漸く見つけた完結編なので恥ずかしいけど他の本の間にはさんで(笑)レジに持っていって購入してきました。

 最近、発売された電子書籍なんかも私は良いんじゃないかと思っています。以前はやっぱり本はページをめくらないとなんて言っていましたがあのIpadは大きさといい雰囲気は持っている気がします。もう少し価格がこなれてきたら購入してみようかな何て思っています。

 本の装丁や読み方や購入方法も時代と共に変化していくという事ですね。そういえば最近の○○オフの棚も段々、文庫なんかの棚が減ってきてコミック誌やDVDのコーナーが増えてきてハードカバー何かのコーナーも随分小さくなってきたような気がします。

 それにしてもあの○○オフの店に入っ時に「いらっしゃいませ~こんにちは~」という独特の言い回しは別に悪くはないんだけど店にいる間中あれを聞いていると何だかテープレコーダーを聞いているようでそれも機械的で心がこもってないななんて思ってしまうのですが単に「いらっしゃいませ」でよいのではないかな・・・これも時代の流れかな。

2010/06/05

記念日

 もう少しで自分の50数回目の誕生日を迎えます。もう誕生日を迎えて嬉しいという感覚は全く有りませがそれでも必ず来てしまうので仕方ないのです。というか、迎えられるだけ有り難いと言った方が正解かも知れません。少し前?ならもうとっくにアッチの方へ行っててもおかしくない年なので全く有難いことです。ガバイバアチャンではないですが生きてるだけ丸モウケなのです。

 何時の頃から自分の誕生日がそれほど嬉しく無くなったかは覚えていませんが、少なくても子供の頃は美味しいケーキを食べれたし大人たちが色んなもの買ってくれたりしたので嬉しかった覚えがありますが、何時しか自分達の子供を持つようになり、自分よりも子供達の誕生日パーテイーがメインになりそしていつしか、その子供達の誕生日を段々忘れがちになり(笑)そしていつしか子供達に誕生日を祝って貰うようになりました。これも家族の中での時の流れかも知れません。

 そういえば私の大好きな作家である椎名誠さんもエッセイで正しいお爺ちゃんになるんだと宣言しておりましたが全くそんな雰囲気になってきてしまいました。

 マア、それはそれとして記念日というのは色々ありますよね。誕生日をはじめ結婚記念日、卒業記念日、付き合って何年目記念日(笑)、終戦記念日、合格記念日、それぞれの家族の記念日や個人の記念日等色んな記念日があります。

 私にとって一番、意識しているのは家族の誕生日と結婚記念日かな、この結婚記念日というのがうっかり忙しかったりするとつい忘れがちになってしまってオットット何て事が今までも良くありました。

 今年は結婚して30年目に突入する年になりました。よくもまあ、長い事一緒に暮らして来たと思います。我が女房殿とは19歳の時に出会ってから一緒に人生を過ごしてきましたので、既に出会う前の時間よりも長く一緒に暮らして来た事になります。

 マア、こんな我儘な自分に仕方なかったにしろ(笑)一緒に傍に居て時間を過ごしてくれたのだからそれはそれでとても感謝しており、それだけに結婚記念日は例え忘れがちあったとしても自分にとっては一番大切な記念日かも知れません。

 もともと物事にそれほどこだわりを持たない性格なので直ぐに○○記念日とかいうのを忘れてしまうのです。

 この前、そういえば自分の父は幾つで亡くなったのだろうと思い、ふと計算しようと思ったら既に亡くなった年を忘れてしまい大体70歳過ぎ位だったなと計算し母が80歳なので「そうか母は父より長生きなんだな」と思い、自分は父親より長く生きるには後、何年生きればよいんだ?と計算してしまいました。

 そういえば退職記念日というのもあったな。東京でサラリーマンをしていた会社が最近TVや新聞をよく賑わせているのでフト「辞めて何年になるんだろ」と計算したらほぼ20年になりました。あのままサラリーマンを続けていたらそろそろ定年後の事を考えなきゃいけなくなっていました。

 事実、以前、その会社の社内報を見る機会があって見ていたら同期の連中が書いたコラムがあり「定年までの時間を有意義に暮らそうと思っています」みたいな事が書いてあり少なからずショックを受けた事を覚えています。

 しかし、マア組織の中で生きていればそりゃそうだよねと納得したのですが「もうそんな年になるんだ」というのが正直な感想でした。

 しかし、里山の地元のオジイちゃんやオバアちゃん達はいつまでたっても元気です。地元新聞の死亡広告なんていつも気をつけて見てるんですが昨日の新聞にも100歳なんて方が居ましたし普通でも80~90歳はまだまだといった感じです。沢山沢山、記念日が迎えられますね。

 先日、我々世代と共に活躍した、とある著名なシンガーソングライターのコンサートに女房殿と行ったのですが「前回の全国ツアーに来てくれた人、手を挙げて~」と言われてかなりの人が手を上げていましたが「今回が始めての方~」なんて言われ自分なんかもそうなので手を挙げたら「自分も随分長いこと全国ツアーしてるけどそれでもまだ会えない人がいます。今度行こうなんて思っていると二度と会えなくなりますからね~(笑)」とマイクを通じて言われ会場内が大爆笑でした。

 これから何回、迎えられるか分からない色んな記念日、皆さん大切にしないとそのうち迎えられなくなりますよ(笑)

2010/05/29

D51がやって来る

 八ケ岳に蒸気機関車のD51がやってきます。試験的に今日、明日の2日間と65,6日の4日間だけ一日1往復のダイヤで運行されるそうで既に乗車券は売り出して直ぐに売り切れてしまい、中央本線の沿線はマニアの方が撮影する為に朝早くからカメラの3脚を立ててその勇姿を捉えようと待ち構えています。

 私は別に鉄道マニアではないのですがTVの報道でその姿と汽笛の音を聞いて不意に心が昔に飛んでしまいました。田舎の高知の土賛本線は単線で山間の谷を走る路線でした。大歩危、小歩危なんて名前で少しは知られていますがよく谷あいに車が落っこちたり台風がくると山崩れで大変な災害になることがありました。

 しかし、昔の高知駅はそれなりに幹線駅だったのでよく蒸気機関車が止まっていたような記憶があります。高知駅は今は高架になりすっかり昔の雰囲気は無くなってしまいましたがなんとなく哀愁があり私はそれなりに好きな駅でした。

 東京に大学生として移り住むようになった時も夏休みの帰省はお金が無かったので夜行列車でした。今で言うブルートレインっていうやつですね。東京から岡山に行き、宇野から宇高連絡線(宇野と高松を結ぶのでこの名前が付いています)に乗り換えるのですがよく連絡線のデッキでウドンを食べました。(今では映画でちょっと名前がうれた讃岐ウドンですね)これを食べたら高松に着くので今度は着岸前に荷物をまとめて船の降船口に並ばなくてはなりません。そうしないと着岸して桟橋が掛かってゲートが空いた瞬間に荷物を持ってダッシュして高知行きの汽車の自由席が取れないからです。

 今から考えると信じられないような光景ですがあの頃はそれが普通でした。特急電車はそれでも座席のクッションが効いていたから良いのですが各駅停車の汽車なんかに乗ると木の座席で背もたれも直角で今みたいにリクライニングなんかしない(笑)ので腰が直ぐ痛くなってしまいました。

 高知に帰る時は今は、ほとんど飛行機を利用して帰るので羽田から2時間足らずで着いてしまいますが当時は東京駅から丸一日掛かりのちょっとした旅でした。

 時々TVでヨーロッパなんかの大陸横断鉄道なんかを見ると飛行機を利用して時間を節約する旅もそれはそれで便利だけど大陸横断鉄道なんてのも一度は乗ってパノラマのヨーロッパの景色を車窓から眺めながら食堂車でフルコースのデイナーなんてものをゆっくり楽しむなんて旅も良いな~なんて憧れてしまいます。

 人は便利さを追求しながらも不便さのなかに又楽しみも忘れられないものでしょうか?移動手段としての鉄道機関も蒸気機関車からデーゼルにそして新幹線からリニアモーターカーへと、どんどん高速化が進み便利になっていきます。

 しかし、最近私はよく感じるのですがただ乗っているだけでも体は疲れます。その疲れは時間の長さによる違いも勿論あると思いますが、単に早いと疲れが少ないという事でも無いように感じるのです。

 早ければ早いだけ乗ってる方も緊張を強いられてやっぱり疲れます。正直言って私は新幹線でもかなり嫌だな~と思うことがあるのでリニアモーターカーには余り乗りたいとは思いません。何が?って・・・どうも車窓からの景色が流れるスピードが速すぎて目が付いていかないのです。

 その点、飛行機は比較する景色が遠いので余り実感として「時速500キロで飛行中です」何て言われてもそれほど早いと感じないのです。

 私は鉄道はもうこれ以上早くしなくても良いのではないかと思います。むしろ、車窓からの景色がもっと楽しめるようなパノラマ電車とかフランス料理のフルコースが楽しめる食堂車とかもっと娯楽性を持たしても良いのではないかと思います。日本には美しい景色がまだまだ鉄道の沿線には広がっているのですから。

 

 D51がどうして復活する事になったのか詳しい経緯は知りませんが鉄道の楽しみかたはまだまだ沢山あるように思います。JRさん、そこのところ考えてくれないかな~

2010/05/24

自主上映作品「葦牙(あしかび)」の上演終了で感じたこと

 昨日、北杜市長坂町のコミュニテイーホールでドキュメンタリー映画「葦牙(あしかび)」が上映され雨にもかかわらず200名を越える観客の方が集まりました。

 昨年の「いのちの作法」に続く自主上映映画として小淵沢の知り合いのペンションオーナーが企画し、そのスタッフとしてチケット販売と駐車場整理をお手伝いしてきました。

 昼夜2回公演なので昼過ぎに会場に集合し打ち合わせ。今回は2回目なので前回よりも勝手が分かっている分、役割分担や動きも無駄がなくスムーズに進みました。

 それと今回はこういっては何ですが前回の「いのちの作法」が老人医療がテーマだっただけに過疎地を抱える町としては感心が深いテーマで昼夜共満席という大変な緊張がありましたがそれに対して「葦牙」は児童虐待がテーマだけにいまいち反応が鈍く観客も前回ほどは集まらないだろうという予測で気は楽でした。

 しかし、今回の上映にあわせて駆けつけてくれたデイレクターの都鳥さん兄弟のお話によると200名をこえる観客が集まる事は初めてということでそれなりに反応があったのだろうというのが驚きでした。

 冷たい雨の中、私を含め3人の駐車場係りが気楽に「マア、今日は気が楽だね」何て気楽に考えていたら開場40分ほど前から続々と車が入って来て「あれ?何だか多くない?」と思いきや、昨年もお会いした「八ケ岳音楽祭」のスタッフの方がニコニコしながら寄ってきて「ヤア、又お会いしましたね」と声を掛けられ、何と今年も八ケ岳音楽祭のコーラスの練習日と重なってしまい結局、駐車場は満車状態となりほぼ1台の余裕もない状態で開演を迎えることになり「何だ、結局大変だったね」という事になりました。

 しかし、コーラスに集まった人達の中にも何人か知り合いがいて「今日は何やってるの?」と声を掛けて頂いたり勿論、私からチケットを買って頂いた方達も「やあ、来たよ。ご苦労様」と声を掛けて頂いたり、こういった雰囲気って本当に心地良いなと思いました。

 たとえそんなに興味は無くても「あの人がやってるのなら見てみるか」という方が結構いたと思います。テーマとしても重いテーマなので果たして本当にどれだけの人が感心を持って見てくれるのかという思いもありましたがこうやって200名を越える人達が呼びかけに応えてくれて集まってくれるというのは本当に素晴らしい事だとつくづく思いました。

 

 上映に先立ち都鳥兄弟の映画紹介があったり上映後に小池監督の撮影に関わる裏話やウクレレによる主題曲の演奏など一般の映画上映とは違う自主上映映画作品ならではの手作り感や臨場感がありこれが又、たまらない魅力でもあります。

 昼夜2回公演だったので1回目の駐車場整理が終わった後、冷え切った体と濡れた服を乾かす為に会場のロビーに戻り、時間があったので楽屋にお邪魔して監督や都鳥さん達兄弟と談笑して時間を過ごしました。

 そして1回目の上映が終わる頃、監督達は舞台挨拶に備えて舞台袖に戻り我々は上映が終わって帰るお客様のお見送りにロビーで待機しました。私からチケットを買って頂いたお客様も会場を出るときに挨拶に寄って頂いたり、作品に感動して頂いた方がパンフレットを購入して監督のサインをして貰ったり、いつもの上映後の光景が今回もロビーに広がっていました。

 そして2回目の上映は午後5時半から、日も暮れ始めてますます雨もきつくなり「2回目は果たしてお客様はくるのかな?」と思って駐車場の誘導をしていたら何組かの方が「当日券はまだありますか?」と聞いてきて「勿論?大丈夫です」と応える事がありました。おそらく用事があって見れるかどうか分からないのでギリギリ間に合わせて来てくれたんだろうと思いました。

 普段は全く気に掛けないような事や知らないまま過ごしているこういう事柄が本当は人の繋がりを深める大事な事なんだと改めて思い知らされました。

 大型劇場で上映されるハリウッド作品のような娯楽性はないけど派手な演出や3D映画のようなダイナミック性もないけどこういう手造りの社会派ドキュメンタリー作品をギリギリの予算で制作し地方に出掛けて行って舞台に立って観客に直接、映画の持つ意味を知って貰おうとする製作側の人達がいて、それに共感して上映に向けて自分の時間を費やしてバックアップする人達がいて・・・何だか雨に濡れて寒くて疲れたけど気持ちの良い一日でした。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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