2010/05/29

D51がやって来る

 八ケ岳に蒸気機関車のD51がやってきます。試験的に今日、明日の2日間と65,6日の4日間だけ一日1往復のダイヤで運行されるそうで既に乗車券は売り出して直ぐに売り切れてしまい、中央本線の沿線はマニアの方が撮影する為に朝早くからカメラの3脚を立ててその勇姿を捉えようと待ち構えています。

 私は別に鉄道マニアではないのですがTVの報道でその姿と汽笛の音を聞いて不意に心が昔に飛んでしまいました。田舎の高知の土賛本線は単線で山間の谷を走る路線でした。大歩危、小歩危なんて名前で少しは知られていますがよく谷あいに車が落っこちたり台風がくると山崩れで大変な災害になることがありました。

 しかし、昔の高知駅はそれなりに幹線駅だったのでよく蒸気機関車が止まっていたような記憶があります。高知駅は今は高架になりすっかり昔の雰囲気は無くなってしまいましたがなんとなく哀愁があり私はそれなりに好きな駅でした。

 東京に大学生として移り住むようになった時も夏休みの帰省はお金が無かったので夜行列車でした。今で言うブルートレインっていうやつですね。東京から岡山に行き、宇野から宇高連絡線(宇野と高松を結ぶのでこの名前が付いています)に乗り換えるのですがよく連絡線のデッキでウドンを食べました。(今では映画でちょっと名前がうれた讃岐ウドンですね)これを食べたら高松に着くので今度は着岸前に荷物をまとめて船の降船口に並ばなくてはなりません。そうしないと着岸して桟橋が掛かってゲートが空いた瞬間に荷物を持ってダッシュして高知行きの汽車の自由席が取れないからです。

 今から考えると信じられないような光景ですがあの頃はそれが普通でした。特急電車はそれでも座席のクッションが効いていたから良いのですが各駅停車の汽車なんかに乗ると木の座席で背もたれも直角で今みたいにリクライニングなんかしない(笑)ので腰が直ぐ痛くなってしまいました。

 高知に帰る時は今は、ほとんど飛行機を利用して帰るので羽田から2時間足らずで着いてしまいますが当時は東京駅から丸一日掛かりのちょっとした旅でした。

 時々TVでヨーロッパなんかの大陸横断鉄道なんかを見ると飛行機を利用して時間を節約する旅もそれはそれで便利だけど大陸横断鉄道なんてのも一度は乗ってパノラマのヨーロッパの景色を車窓から眺めながら食堂車でフルコースのデイナーなんてものをゆっくり楽しむなんて旅も良いな~なんて憧れてしまいます。

 人は便利さを追求しながらも不便さのなかに又楽しみも忘れられないものでしょうか?移動手段としての鉄道機関も蒸気機関車からデーゼルにそして新幹線からリニアモーターカーへと、どんどん高速化が進み便利になっていきます。

 しかし、最近私はよく感じるのですがただ乗っているだけでも体は疲れます。その疲れは時間の長さによる違いも勿論あると思いますが、単に早いと疲れが少ないという事でも無いように感じるのです。

 早ければ早いだけ乗ってる方も緊張を強いられてやっぱり疲れます。正直言って私は新幹線でもかなり嫌だな~と思うことがあるのでリニアモーターカーには余り乗りたいとは思いません。何が?って・・・どうも車窓からの景色が流れるスピードが速すぎて目が付いていかないのです。

 その点、飛行機は比較する景色が遠いので余り実感として「時速500キロで飛行中です」何て言われてもそれほど早いと感じないのです。

 私は鉄道はもうこれ以上早くしなくても良いのではないかと思います。むしろ、車窓からの景色がもっと楽しめるようなパノラマ電車とかフランス料理のフルコースが楽しめる食堂車とかもっと娯楽性を持たしても良いのではないかと思います。日本には美しい景色がまだまだ鉄道の沿線には広がっているのですから。

 

 D51がどうして復活する事になったのか詳しい経緯は知りませんが鉄道の楽しみかたはまだまだ沢山あるように思います。JRさん、そこのところ考えてくれないかな~

2010/05/24

自主上映作品「葦牙(あしかび)」の上演終了で感じたこと

 昨日、北杜市長坂町のコミュニテイーホールでドキュメンタリー映画「葦牙(あしかび)」が上映され雨にもかかわらず200名を越える観客の方が集まりました。

 昨年の「いのちの作法」に続く自主上映映画として小淵沢の知り合いのペンションオーナーが企画し、そのスタッフとしてチケット販売と駐車場整理をお手伝いしてきました。

 昼夜2回公演なので昼過ぎに会場に集合し打ち合わせ。今回は2回目なので前回よりも勝手が分かっている分、役割分担や動きも無駄がなくスムーズに進みました。

 それと今回はこういっては何ですが前回の「いのちの作法」が老人医療がテーマだっただけに過疎地を抱える町としては感心が深いテーマで昼夜共満席という大変な緊張がありましたがそれに対して「葦牙」は児童虐待がテーマだけにいまいち反応が鈍く観客も前回ほどは集まらないだろうという予測で気は楽でした。

 しかし、今回の上映にあわせて駆けつけてくれたデイレクターの都鳥さん兄弟のお話によると200名をこえる観客が集まる事は初めてということでそれなりに反応があったのだろうというのが驚きでした。

 冷たい雨の中、私を含め3人の駐車場係りが気楽に「マア、今日は気が楽だね」何て気楽に考えていたら開場40分ほど前から続々と車が入って来て「あれ?何だか多くない?」と思いきや、昨年もお会いした「八ケ岳音楽祭」のスタッフの方がニコニコしながら寄ってきて「ヤア、又お会いしましたね」と声を掛けられ、何と今年も八ケ岳音楽祭のコーラスの練習日と重なってしまい結局、駐車場は満車状態となりほぼ1台の余裕もない状態で開演を迎えることになり「何だ、結局大変だったね」という事になりました。

 しかし、コーラスに集まった人達の中にも何人か知り合いがいて「今日は何やってるの?」と声を掛けて頂いたり勿論、私からチケットを買って頂いた方達も「やあ、来たよ。ご苦労様」と声を掛けて頂いたり、こういった雰囲気って本当に心地良いなと思いました。

 たとえそんなに興味は無くても「あの人がやってるのなら見てみるか」という方が結構いたと思います。テーマとしても重いテーマなので果たして本当にどれだけの人が感心を持って見てくれるのかという思いもありましたがこうやって200名を越える人達が呼びかけに応えてくれて集まってくれるというのは本当に素晴らしい事だとつくづく思いました。

 

 上映に先立ち都鳥兄弟の映画紹介があったり上映後に小池監督の撮影に関わる裏話やウクレレによる主題曲の演奏など一般の映画上映とは違う自主上映映画作品ならではの手作り感や臨場感がありこれが又、たまらない魅力でもあります。

 昼夜2回公演だったので1回目の駐車場整理が終わった後、冷え切った体と濡れた服を乾かす為に会場のロビーに戻り、時間があったので楽屋にお邪魔して監督や都鳥さん達兄弟と談笑して時間を過ごしました。

 そして1回目の上映が終わる頃、監督達は舞台挨拶に備えて舞台袖に戻り我々は上映が終わって帰るお客様のお見送りにロビーで待機しました。私からチケットを買って頂いたお客様も会場を出るときに挨拶に寄って頂いたり、作品に感動して頂いた方がパンフレットを購入して監督のサインをして貰ったり、いつもの上映後の光景が今回もロビーに広がっていました。

 そして2回目の上映は午後5時半から、日も暮れ始めてますます雨もきつくなり「2回目は果たしてお客様はくるのかな?」と思って駐車場の誘導をしていたら何組かの方が「当日券はまだありますか?」と聞いてきて「勿論?大丈夫です」と応える事がありました。おそらく用事があって見れるかどうか分からないのでギリギリ間に合わせて来てくれたんだろうと思いました。

 普段は全く気に掛けないような事や知らないまま過ごしているこういう事柄が本当は人の繋がりを深める大事な事なんだと改めて思い知らされました。

 大型劇場で上映されるハリウッド作品のような娯楽性はないけど派手な演出や3D映画のようなダイナミック性もないけどこういう手造りの社会派ドキュメンタリー作品をギリギリの予算で制作し地方に出掛けて行って舞台に立って観客に直接、映画の持つ意味を知って貰おうとする製作側の人達がいて、それに共感して上映に向けて自分の時間を費やしてバックアップする人達がいて・・・何だか雨に濡れて寒くて疲れたけど気持ちの良い一日でした。

2010/05/18

故郷の川

 故郷の高知で親戚の結婚式が開かれるので久しぶりに墓参りと母の様子を見るのを兼ねて高知に帰って来ました。

 近くのJRの駅から羽田行きの高速バスが出ているので、そこまで車で行き、駐車場に車を止めて高速バスに乗り換えて羽田まで約3時間。羽田から高知まで1時間20分のフライトで着いてしまいます。昨年の夏から帰ってないうちに飛行機のサービスがすっかり簡略化されてドリンクサービスも基本的に有料サービスになっていて驚きました。航空会社も生き残りをかけてスリム化を図っているという事みたいですね。

 高知竜馬空港についてからレンタカーに乗り換えて結婚式場へ向かう。結婚式場はいわゆるブライダル会館ではなく土佐和紙の体験工房をブライダルイベントにも利用出来るようにした初めての試みとの事で、その建物は昔、私が良く遊んだ仁淀川という大きな川の川べりに建っていました。

 昔、父方の伯母がその仁淀川の源流に近いところに住んでおり学校が夏休みになるとよく伯母の家に泊りこみで遊びに行っていました。昔は川べりの道は狭くてその道沿いに家が立ち並んでおり路線バスはその軒先すれすれをかすめるように進んでいました。

 仁淀川の源流に近い所にある仁淀村という村が伯母の家があるところで山と川に挟まれた自然豊かな村でした。伯母の家で夏休みを過ごす間、仁淀川に毎日、泳ぎにいって近づいてはダメと言われていた深いよどみに潜って魚を追いかけたり、川の中の岩の下にそっと手のひらを潜り込ませると潜んでいた小魚がその手のひらに乗ってくるところを捕まえたりして遊んでいました。そう、昔は手掴みで魚を捕っていたのですよ。

 余り、長く川に入っていると唇が青くなって伯母に叱られるので昼からは山にいって丁度、夏休みで帰っていた年上の従兄が持っていた空気銃を貸して貰い、木の枝にとまった鳥を撃ったり、棒の先にネバネバの粘土のようなものを塗った長い棒を持ってセミを捕まえたりトンボを捕まえたりしていました。

 そんな子供達の遊びを支えてくれていたのが仁淀川でした。久しぶりに見る仁淀川は何だかすっかりきれいに護岸が施されて奇妙に綺麗だったけれど広い河原は昔のままで、違うのは昔はなかったカヌー教室やラフテイング教室なんていう洒落た体験教室が開かれていてライフジャケットを着けた元気な若者から結構、年のいった中年の夫婦までが楽しそうに川遊びを楽しんでいました。その割に子供達の姿を全然、見なかったのがちょっと気になるけどマサカ家の中でゲームなんかしてるんじゃないよなと思いつつ昔、遊んだ川を久しぶりに眺めていました。

 そういえば成人した我が家の子供達も「初めて沈下橋を渡った。手すりもなくて危ないよね」なんて言ってたよな。「そうか、沈下橋を見た事なかったのか・・・」とその時、初めて思い当たりました。

 高知は台風が多いので川の水かさが増すと上流から倒木が流されてきて橋に引っかかって橋を壊してしまうので手摺もつけず台風で水かさが増した時は川の中に沈んでしまうように造られたのが沈下橋です。

 確かに危ないかもしれないけど小さい時から沈下橋から人や車が落ちたなんて話を聞かないので不思議なもんですね。子供達にとってはこの沈下橋から川に飛び込むのが度胸試しになっていて結構、少年達の危険な遊びになっていました。

 高知では四万十川の方が全国的にはすっかり有名になってしまったけれど私にとって高知の川は仁淀川と鏡川、それとすっかりどぶ川になってしまった高知駅前を流れている江ノ口川が故郷の川なんです。

 江ノ口川は父方の祖父が川岸に家を持っていてその庭にある地下に続く階段を下りていくと船着き場があり祖父の船がそこに舫ってあり、その船に乗り込んで川との境にあるゲートを開くと江ノ口川に乗り出せるようになっており、そこから浦戸湾に乗り出すと太平洋まで出て行く事が出来る仕組みになっており、その地下の船着き場は子供だった私にとって秘密のサンダーバード基地になっておりワクワクする場所であり、祖父はその基地の持ち主として私にとってはヒーローでありました。

 私がまだ子供だった頃、故郷高知の川は間違いなく子供達の遊び場だったのです。

2010/05/09

猫の巨大な巣箱造りました。

P1010003 P1010001  我が家の猫達はちょうど今が育ち盛り、一日中

部屋の中を走り回っているかと思えばいつの間にかどっかへ消

2匹で寝ている。最近困ったのが女房殿の大切なデッキの物干し場。いつもサンルームから出入り出来る様になっているのでそこから洗濯物を持って干していたが何せ興味津々の猫達がその出入り口のドアが開くのを今か今かと待ち受けている。ちょっとでも隙を見せればパ~と飛び出して行ってしまい後はサヨナラ~となりかねない。

 何せ廻りは森だらけなので一旦飛び出したら多分、暫らくは戻って来れない。そこでこれは何とかしなくてはナラヌということになり、仕方ないので網を張ることにした。しかし、もともとそんなつもりで造っていないので網を張るったって簡単にはいかないし外から見た体裁もあるので余り変な網も張るわけにはいかない。仕方ないのでホームセンターに行って農家の鳥除け用の白いネットを買ってきた。

 これを何とか物干し場の廻りに張り巡らして猫が飛び出さないようにと目論んだ訳です。しかし物干し場は地面からは結構高い位置にあり屋根までネットを張るのは結構、大変。結局、高い脚立を引っ張り出してきてそれでも足りないところは室内側から脚立を立てて何とか外へ体を乗り出して結構、危ない姿勢で作業せざる得ない状況でした。

 ちょうど作業した日は午前中は生憎の天気で雨が降り、何とか午後に天気が回復するという中途半端な天気模様で結局、作業可能な時間は半日、何とか全ての作業を半日で終わらせねばならぬ状態で「こりゃよっぽど段取り良くいかないと今日中には終わらないな」と自分に言い聞かせ兎に角手戻りの無いように資材を用意した。

 資材たって使うのは鳥用のネットの他は床下に放り込んであった木端を引っ張り出してきて出来るだけ余分なものは買わないようにして作ったのであちこちツギハギだらけだけどそこはそれ自分の家なので良しとして見かけは気にしない事にした。

 見かけはどうでも良いのだけで問題はうちの猫達のヤンチャぶり。何せ家のカーテン登りは全て成功しどんな高い所へでも平気で登って行く。鳥除けネットなんざ多分、楽勝でテッペンまで登っていくはず。という事は屋根の隙間は絶対開けられない。

 しかし、何で俺、こんなもの造らなくちゃいけないんだろ?何て事を思うより手を動かせ!状態で兎に角、ネットを張り巡らした。その結果が写真のような巨大な鳥籠ならぬ猫の巣箱。

 何とか出来たものの本当に連中が網を破って出て行かないかビクビクと試しに出してみた。連中、始めは恐る恐る「何だこれ?」てな調子で辺りを伺いながら外に出てあちこち匂いを嗅いだりして調査をしていた。

 丁度たまたまその時に悪いことに我が家の前をいつも通っていく馬が通りかかった。その瞬間、猫はパニック!ワンニャン!ワンニャン!と騒ぎ出し(我が家の猫は何故か犬のように鳴くのである)一目散に家の中に逃げ込んだ。やれやれこれで少し懲りてくれれば安心、安心。

 しかし、段々なれてくると連中、やはり手摺に登ったり網に爪をかけて登り始めた。又、悪いことに屋根の間に少しだけ空いた隙間から鳥達が中に迷い込んで出れなくなり逆鳥の巣状態になってしまい。こんな所を猫が見つけたらそれこそ迷い鳥を追いかけて黒鳥のコウノトリを襲ったテン君状態になってしまう(丁度我が家の猫はテンそっくりの容貌をしているのである)ここは早々に立ち去ってもらわねばナラヌところですが暫らくしてくだんの鳥サンは漸く出口を見つけ出て行ってくれた。やれやれ、鳥サン達には迷惑なことだと思うけど余り我が家の猫を刺激しないでね。

2010/05/01

自主上映映画「葦牙(あしかび)」

 今年も自主上映映画のお手伝いをする事になりました。映画のタイトルは「葦牙(あしかび)」と言います。葦牙とは葦の若芽をさす言葉だそうです。

 この映画は岩手県盛岡市にある児童養護施設、「みちのくみどり学園」の活動を描いたドキュメンタリー映画です。例によってスクリーンでの上映のみで公開される映画で日本各地で自主上映されています。昨年も上映のお手伝いをさせて頂いた「いのちの作法」の監督、小池征人さんの作品です。

 この映画のテーマとなっているのは児童虐待です。テーマとしては凄く重いと思われがちですが、作品内ではこのテーマを淡々と追い続けており、私が凄いと思ったのは映画に出てくる子供達も実名で顔を隠す事無く登場し、虐待をした側のお母さんも普通に顔を出して映画に登場して淡々とカメラの前でその心情を語るというこの映画の方針とそれに賛同して撮影に全面的に協力した「みちのくみどり学園」のスタッフの方達の姿勢です。

 そして何より感動させられたのは親から虐待を受けて保護された子供達が複雑な心の葛藤を抱えながら懸命に自分という個の存在を何とか見つけようとする姿とそれを何とかサポートしようとする学園のスタッフの方々の並々ならぬ真摯な姿です。

 「みちのくみどり学園」は児童虐待を受けた子供達だけを保護している施設ではなく、もともと虚弱児施設として創立され、今でもその3割は病気療養やその他の理由で入所している子供達の養護施設です。それがまさにこの「みちのくみどり学園」の特徴的な姿になっています。

 映画の中にも出てきますが複雑な家庭環境に晒され親から虐待を受けた子供達をどうしたら自立させる事が出来るかという難しい仕事に取り組まなければならないスタッフの葛藤を園長さんが語っています。それは決して一括りで語れるものではありませんが昔、学園で無念にも病気で亡くなっていく虚弱児達を見つめてきた園長さんにとって子供たちの命があるということだけでも有難い事だという、その取り組み方の姿勢がこの学園を支えているポリシーだと私は思いました。

 私自身も3人の子供の父親であり昔、自分の父親とは余り仲良く暮らしたという経験がなく父親から暴力も何度も受けました。父は酒を飲むと性格が変わるところがあり、よく酒を飲んで暴れていました。

 しかし、昔はそんな事は余り珍しい事とは捉えていなくてどこの家庭でも大なり小なりこんなものなのかな?と自分でも思っており、父が酒を飲んで暴れて帰ってくると眠った振りしてやり過ごしたり母に暴力を振るう事があれば飛び出していって父の足にしがみ付いたりした事もありました。

 この事が現代でいうと正に児童虐待だったのかも知れません。よく児童虐待を起こした親が「躾のつもりだった」と言いますが本人達の意識はまさにそうだったのかも知れません。そして、その事こそがこの児童虐待の持つ問題なのかもと思います。

 私の父は暴れましたが私が止めに入ったらそれを振りほどく事はありませんでした。きっとフト我に返り自分のしている事に気付く瞬間があったのだと思います。

 児童虐待はそれを受けた子供達にとって暴力という負の連鎖を生む心の傷を与えます。私自身も子供のいる親ですが決して褒められるような父親ではありませんでしたし子供に手を上げた事も何度もあります。しかし、父親から受けた暴力が心の反面教師になっている事は間違いありません。酔って子供達に手を上げるのだけは絶対止めようと自分が子供の頃に強く心に誓ったからです。

 同じようなシーンがこの映画でも出てきます。虐待を受けた子供達が親に対する「恐れ」を払拭出来ずに苦しみながらも自分達だけはその暴力の負の連鎖を止めなくてはいけないと語るシーンがあり、そのシーンには思わず忘れかけていた昔の記憶が蘇ってきて自分と同じ事をこの子供達も考えているんだと知り驚きました。

 いつの時代も被害を受けるのは子供達や立場の弱い人達です。この映画を観る事によって未来を担う子供達の葛藤を一人でも多くの人に知って貰いどうしたら良いのか一緒に考えるきっかけになればと思います。

 「葦芽(あしかび)」は523日(日)北杜市長坂町のJR長坂駅前にある長坂コミュニテイホールで午後2時と午後5時半の2回公演で上映されます。チケットの必要な方は私の方でも取り扱っておりますのでこのブログにコメント頂ければお取り出来ます。

2010/04/24

忙しいのは良くないのだ!

 何だか最近、やたらと忙しい。人には「忙しくて良かったじゃない。暇なら困るでしょ」と良く言われる。そりゃ、そうだけれども私は根っからのノンビリ人間なので適当に忙しいのは良いのだけれど毎日、決められたルーテーンワークに加えて次から次へと処理していかなくてはならない仕事が重なってくるとどうも精神的に良くない。

 私はそんな用件を小さなメモに書き留めて一つずつこなした仕事を消していくのが習慣になっている。

 昔、東京でサラリーマンをしているときに厳しい上司がいて、いつも怒られていたけど尊敬もしていた。その上司は、毎朝机についたら何やら小さなメモに万年筆でメモを取っていた。どうやら気がついた事を書き留めていたらしい。

 その上司は新しいプロジェクトが始まる時は必ず私達を集めて「大きな紙持って来い」と命令する。何をするのかというと「これからこういうプロジェクトを企画するから何でも思いついた事をこのデカイ紙に書き出せ」と仰る。我々は兎に角何でも思いついた事を紙に出来るだけ書き出さないと又、怒られるので必死で思いつく限りの事を書き込んだ。そして書き込まれた項目を関連がありそうなものを選んでその上司は丸で囲んで今、流行の仕分けを行った。

 そして、「どうだ、こうやってブレーンストーミングを行って頭を整理するにはこういうやり方が一番良いだろう」と仰った。残念ながらいかにも分かったような振りをして返事をしていた余り出来の良くない部下である私には良くその意味は理解出来ていなかったのだが少なくても忘れないようにメモをとるという行為は今でも続けている。

 そしてそのメモに新しい仕事が増えるより早く一つずつ減らして行くことに全力を注ぐことになる。それが何故かなかなか減っていかない事がある。その原因は主に私にあるのだけど、やらなくてはいけない仕事の項目を書いたメモを目の端に捉えていながら何となく見ない振りをして後回しにしてしまうからなんだけど、そういう事が重なるとある時「これはイカン。もうこれを片付けないといい加減ヤバイゾ・・・」という事に相成る。

 それにしても、どうして一つ一つの仕事はどんなに簡単な仕事でもそれなりに時間がかかるのでしょかね。そんなの当たり前のことだし「今更新入社員があるまいし・・・」と怒られそうだけど最近、本当にそう思うようになった。

 時には何故か朝から懸案にしていた仕事が要領よく片付いていく事もあり、そんな時は何だか「よ~し今日は調子が良いぞ」と心が軽くなる。それは何も仕事に限らずなんですけどね。

 どうも性格なのか自分の思いと違う事に気がついて目がいくと見ない振りをしていながら目についちゃうんですよね。そうすると直したくなってしまう。それがイカンといつも分かっているのに気になっちゃう。そして何時までも見ない振りをしていると段々精神的に辛くなってくるという、怠け者のくせに困った性格で自分でもどうしようもないのです。

 だから、それじゃ本当にすることが無くて暇になったらきっとそれはそれできっと我慢出来ずにきっと又、よせばよいのに何か新しい面白そうな事を探しだして首を突っ込んでしまうのだろうなと思っている。結局、自分で自分の首を絞めている。

 でもきっと最後までそんな事を繰り返すのだろうなという事も自分では分かっているつもり。だから、余り仕事が忙しくて面白そうな事に気を廻す時間がないと精神的に良くい状態となる。それじゃ、仕事が面白くないかというと決して嫌いではない。新しい家のプランなんかを考える時は自分にとって生きる証なのでそれはそれでとても楽しい時間ともいえる。

 それじゃどうしろと・・・あ~だから適度が一番なのよ、適度が・・・何事もホドホドが大事なのですよ。次から次へと追われるように時間と戦うという状況が良くないのですよ。

 何せ今の自分にとって家のソファーでお腹に猫乗っけてボ~としているのは至福の時間なのです(まるで日向ぼっこしている老人のようですが・・・)猫の方も良くしたものでこちらがそういう心理状態だと分かると「今日はノンビリお腹の上で寝られそうだ」と思うのか当然のように乗ってくる。

 いやはやこれも春の訪れを待つ森の生活のいつものお約束の様なもんですね。都会じゃこうはいかないってか・・・

2010/04/17

最後に住みたいのは山、海、それとも都会?

 皆さんは人生の仕上げとして住む所を選べるとしたらどこに住みたいですか?最近、母親の様子を見に故郷、高知に帰る事が多くなってふと子供の頃から慣れ親しんだ城下町、高知に哀愁を感じたりしています。

 今は八ヶ岳の麓に住んでいますが良く人に「どうして八ヶ岳に決めたのですか?」と聞かれます。実は自分でも良く分からないのです。人には「故郷に帰ると甘えてしまうので・・・」なんて訳の分からない返事をしたりしています。

 でも、それは全くの思いつきではなく心の隅には確かにそういう想いもあるのです。今、故郷、高知には自分の家はありません。母も施設に入っているので高知に帰るときにはホテルに泊る事になります。

 先日、高校の先輩が経営する高知の建設会社から高知に建てたマンションの案内状が届きました。どうやら我々の年代になってくると都会での生活を終え次の人生の拠点として故郷へのUターンという選択もどうですかと言う事らしい。

 子供達にも「父さん達は年とったらどこに住むの」と聞かれます「何でだよ?」と聞くと「だって年とって車、運転出来なくなったら暮らせないじゃない」と言われます。

 そこまで考えた事はないし、車が無くても何とかなるとは思っています。最近はデマンドバスなんてシステムも出来てきましたしね。

 それはそれとして、もし、今、自分が自由に住みたいところを選ぶ事が出来るとしたらどういう環境を選ぶのかと問われたらどうするだろう?

 我が女房殿は間違いなく普段から海辺のリゾートマンションと仰っているのでそこを選択する事と思います。私は今の森の中の生活に全く不満はないし、かといって地方都市である高知での暮らしも悪くはないと思っています。

 でも、ここ八ヶ岳に住んで20年、ここ数年の地球温暖化による異常気象なんかを身をもって体験してしまうとやはり自然のない都会生活より森の中の生活の方がずっと自分には向いていると思います。

 もともとフラフラと旅をするのは嫌いな方じゃないので可能ならば世界中とはいわないけどあちこちを転々と暮らし歩いて行ければそれが一番、嬉しいかな~

 そうすれば海にも住めるし、山にも住めるし都会にもちょっとだけ住めるし・・・でもそれはきっと旅人としての感覚でしかないのだと思います。

 「住む」というのはその地域での暮らしに溶け込むと言う事だからきっとそういうのは「住む」とは言わないのでしょうね。

 都会での生活は何かと便利だけどその代わり失っているものも大きいような気がします。自然の中での暮らしは不便だけど都会では味わえないものもあります。

 結局のところ何かを得れば何かを失うという事で森の中で都会の便利さを求めるのは矛盾があるし逆に都会のなかで自然のダイナミックさを味わう事は出来ないのだし、どちらが自分に合っているかという事なんだろうな。

 20年こちらに暮らしていてやっとそういう事が分かって来た様な気がします。よく都会からこちらに移住するにあたって「都会の便利さをそのままに自然の中で暮らしたい」と言う人がいますがそれには自ずと限界があるし無理もある。

 住んでる人が少ないから自然が多いのだし自然が多いから暮らすにあたっては自然との共存を大事にしなくてはならないし不便なことも多い。

 森の木を倒して家を建てるのですからそれを自然破壊だというのならここに来るべきではないのだと思います。倒した木の分だけ新しい自分達で管理出来る木を植える事の方が私は現実的だと思います。

 海に住むにしても人が海の近くに住む以上、全く環境に影響を与えないと言う事はありえません。出来るだけ環境にインパクトを与えないように気を使いながら暮らしていくべきだと思います。

 それじゃ都会に住めばいいじゃないかと言えば元々人が自然と関わりながら暮らしていたからこそ森も海も人間と共存できたのであり都会だけに人間が集中して住む事になればそれはそれで人間と自然とのバランスを崩してしまう事になるのです。

 里山の荒廃なんかも正にその典型ですね。昔から里山では人々が薪木等を取ってきたり動物を捕えて食べたりして山とバランスよく関わっていたからこそ人々も自然の尊さを伝える事が出来たのが都会に集中して住んでしまうとそういう事は全く知らない人間ばかりになってしまいます。

 で、結局我々はどこに住めば良いのでしょうか?どこに住んでも自然と上手く付き合っていければ幸せになれると言う事でしょうか?都会には都会の魅力があるし海には海の良さが、山には山の良さがあるし・・・結局、いつもの通りどっちつかずの結論か・・・

2010/04/11

猫娘と猫息子

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我が家に猫家族が同居する事になって2カ月が過ぎました。その内の猫息子は今日は病院に入院して留守です。そろそろ大きくなって里親会との約束で去勢手術をする事になったのです。

 猫娘の方は既に手術が終わってから譲渡を受けたので今回はお留守番です。この猫娘、我が家にきてから約1カ月程はキッチンの裏に引きこもったり箪笥の陰に引きこもったり一時はどうなる事かと思いましたが、どうやら人間の餌作戦にすっかりはまってしまい今では平気ですり寄ってくる様になりました。それでも抱っこは苦手でちょっと抱っこすると突っ張って逃げてしまいます。

 片や猫息子の方は根っからの人好きの甘えん坊で下手すると一日中(勿論、寝る時も)私のお腹の上に乗っかっています。オマケに子猫独特の母親のオッパイを吸う行動が忘れられずにやたらめったらチュウチュウ人の皮膚に吸いついてきます。

 この全く性格の違う娘と息子猫ですがそれなりにお互いに影響しあい、今では一日の内の大半を家の中を大運動会のように走り回っております。

 多分、性格の大人しい猫娘のジルにとっては迷惑この上ない弟だとは思いますが兎に角姉ちゃん猫に飛びついて喧嘩を吹っ掛けてきますので仕方なく一緒に走り回って逃げ回ったり、たまには余りのしつこさに辟易としたのか思いっきり猫パンチで反撃したりしています。

 それでも元気一杯の弟はめげることなく突進を繰り返しています。このやんちゃな猫息子のバロンは兎に角人が大好きで何にでも興味を示し、先日はとうとう勢い余って浴槽に落ちて危うく溺れるところを救出されて濡れ鼠ならぬ濡れ猫になってしまいバスタオルでゴシゴシこすられる事になりました。

 2匹の猫が来てから我が家の生活は一変してしまいました。例え猫といえども命ある生き物が家の中で元気に一緒に暮らすと言う事はお互いに気遣いながら暮らす事になりそれなりに影響を受けあうものです。

 先日、ペット火葬請負業者が預かったペットの死骸を山中に投げ捨てるという事件が報道されましたが、あれがもし人間なら大変な事件になるところです。

 我が家も3匹の猫と1匹の犬を業者に依頼して火葬して自分で造った納骨堂に納骨したのでなんだか他人事には思えない事件でした。

 我が家の場合は1匹の猫を除いては火葬業者に火葬を依頼して目の前で火葬して貰い、火葬が終わるまで待って骨も貰ってきたので問題はないのですがそういえばその時に「火葬が終わった骨はどうしますか?」と業者に聞かれ変な事聞くな、貰って帰るに決まってるじゃないかと思ったのですが「どうしてですか?」と聞くと「処分して下さいと頼まれる事が多いので」と業者が言っていました。

 今、思えばそういう事もありえるんだなと思いました。それにしても我が家の新しい猫家族は良くも悪くもお互いに影響されながらとくに子猫の時代は急激に大きくなるので里親会から譲ってもらった2か月前から比べると一回り近く大きくなりました。これからもこの全く性格の違う2匹の猫はこの家で一緒に暮らしていく事になります。


 

2010/04/04

天下の奇祭「諏訪大社の御柱祭」

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初めてその祭りを見かけたのは今から
12年前の事だった。たまたま買い物に出掛けたホームセンターの駐車場でふと大きな歓声とラッパの音を聞いて「何の音だ?」とその音の方向を探して道路の反対側に顔を向けた時、大きな木に大勢の人が群がって高い坂の上から落ちるところだった「あっこれが御柱祭か!」と、その時まで気が付かなかった。

 諏訪大社に伝わる天下の奇祭、「御柱祭」の存在は知っていたがそれがたまたまその時に開催されていた事や、「木落し」と呼ばれるその祭りのハイライトがこんな所で開かれていたとは全く知らなかった。

 その時の祭りでは木落としの会場で飛び出した観衆が落ちてくる木に触ろうとして命を落とした。全くとんでもない奇祭だと思った。7年に一度、干支の申と寅歳に開催されるので実際には6年に一度だが伝統的に数え年で数えるので7年目に開催されると一般的に言われている。

 八ヶ岳に来てから20年、「御柱祭」を迎えるのは3度目になる。昨年は残念ながらタイミングが合わずに見る事が出来なかった。今回は木材関係の取引先が招待してくれたので思い切って見に行く事にした。

 「御柱祭」のハイライトは3日間に渡って開催される「山出し曳行」と傾斜角度27度の坂から御柱を引き落とす「木落とし」宮川の川を渡る「川越し」である。

 「山出し曳行」は山から切り出した御柱を氏子達が里まで曳いてくる行事で途中、狭い路地があり両側の家並みに「めでどこ」と呼ばれる御柱に刺した2対の木がぶつからないようにうまくかわしながら練り歩く豪勢な曳行行事である。

 途中、穴山地区で狭く直角に曲がった「大曲り」と呼ばれる難所をクリアしていくのが一苦労である。

 諏訪大社上社の「山出し曳行」の初日は朝から土砂降りの天気、私が開催場所に着いた時はまだ誰も居なかった。役員の方にお伺いしたが「何があっても必ず行います。地震が来ようが台風が来ようが絶対止めません。但し、何時来るかは分かりません。酒飲んで暴れるとちっとも来ませんから」と言われさすがに天下の奇祭、「御柱祭」恐ろしやと思いました。

 そのうち隊列の先頭を受け持つ旗隊が到着、「いよいよですね」とくだんの役員さんに聞くと「まだまだ曳き綱だけで100mありますから、曳き綱の先頭が着いてから大体1時間位したら本体の到着と思って下さい」「1時間ですか!・・・」いや~まさに大変な奇祭です。

 そして待つ事1時間、本当に土砂降りの中、若者達を乗せた御柱がそこだけ熱気で白く煙りながら曳かれて来ました。目の前で見る御柱は人の群れで本体は全く見えませんでした。

 1日目はこの山出しまでで終わり、2日目はいよいよ祭りのハイライト「木落し」です。御柱に付けられた2対の「めでどこ」には通常8人ずつが乗るのですが「木落し」の時はこの「めでどこ」を長いものに付け替えて1つの「めでどこ」に12人が乗っています。

 高所恐怖症の私には全く気違い沙汰(失礼)としか思えない行為ですが、これがこの祭りのハイライトなのです。そのために木落しが行われる会場には特設の桟敷席が設けられ一目この豪快な木落としを見ようとする観衆が詰めかけて立錐の隙間もありません。

 そして木落し坂にせり出した御柱が木遣り歌と喇叭隊の演奏を合図に一気にこの坂を引き落とされます。この豪快な一瞬に命を掛けた若者達が大木にしがみつき、観衆が息を飲む一瞬が過ぎて無事、御柱が坂を落ちると花火が打ちあがり観衆の大きな拍手が沸き起こります。

 最大の難関を越えたと思ったのもつかの間、その後にはアルプスの冷たい雪解け水をたっぷり含んだ川を渡る「川越し」が待ち構えています。隊列の一番前の旗隊が最初に川を渡り引き綱を付け替えた御柱が川岸まで曳いて来られて曳き綱が対岸に渡されるといよいよ御柱が川岸にせりだしで一気に川の中に引き落とされます。

 狭い岸辺から曳き綱を曳いていた若者も御柱に引きずられるように川の中に引き綱もろ共曳きこまれ川の両岸を埋めた観衆からはワ~という大歓声が上がります。

 勿論、川の中には消防署のレスキュー隊が8人程ウエットスーツを着て待機しており万一の事態に備えています。しかし、水温10度程の冷たい水の中で一日中、警戒にあたる裏方の方達の御苦労も大変なものです。天下の奇祭「御柱祭」次回見る事が出来るのは私が還暦を越えた時です。

2010/03/29

八ヶ岳の素敵な仲間達

先日、北杜市在住の作家、樋口明雄さんの大藪晴彦賞の受賞パーテーに参加して来ました。樋口さんの書かれた長編小説「約束の地」が見事この大きな賞を受賞したのです。

 「約束の地」はこの地元を舞台にした野生動物と人間の関わりを描いた素晴らしい小説です。樋口さんはまさにこの小説に出てくる主人公のような暮らしを北杜市で送られています。先日、東京で出版社や業界の方達が集まって盛大な受賞式が行われたのですが今回は我々、地元の親しい人間達が集まって地元でお祝をしようじゃないかという集まりに呼んで貰ったという訳です。

 しかし、いざ集まってみると確かにネット仲間同士で日常の報告をしあったりしているので随分親しいようなんだけど実は会った事がない!なんて人もいてこれも新しい付き合い方なんだなと改めて知りました。

 それにしても会った事なくてもその人が今日の昼飯は何を食べたかなんかは知っているという不思議な繋がりだったりするから面白いですね。会場で「え~とあなたは○○さんですか?私は○○です。」なんていい年したおじさんがハンドルネームで自己紹介したりして結構、楽しく充実した時間を過ごす事が出来ました。

 近所の温泉ホテルの宴会場が会場だったのですが参加者はご多聞にもれず全員が山奥に住んでいるのでお迎えのマイクロバスが目的地に行きつかず山の中で迷子になったりとそりゃ~笑えました。

 集まった人達の職業も千差万別、美術館の館長さん、農場経営者、ラーメン屋の経営者、平飼い鶏の養鶏場の経営者、野猿の観測家、元図書館の館長さん、ペンションオーナー、パイプオルガンの技術者、星空観測人、パン工房の経営者、主婦そして工務店の親父(私)等々、何せ楽しそうな人達ばかりであります。

 当然、話は多種多様。飾り気のない会話、年齢の差を感じない気楽な雰囲気、これがあるからたまらんのですね。宴たけなわとなったと思ったら隣の会場からは何やら酔っ払いのカラオケがガンガン聞こえてきてウア~田舎だな~って感じです。

 2時間余りの宴会があっと言う間に過ぎ去ってさ~そんじゃ皆でマイクロバスに乗って帰ろうかという事になり、会場に一番近い私が最後まで乗って遠い人から送っていく事になりました。

 これが又、都会では絶対味わえない雰囲気なのです。何がってホラ、皆さん森の奥深く住んでる人達ばかりじゃないですか。「運転手さん、この辺でいいよ」何ていって下りて行くのですが、廻りは何もない漆黒の闇の中、都会じゃ「お客さん、自殺志願じゃないですよね?」なんて降りるのを止められそうな所で皆さん平気で降りて行かれる。

 街路灯なんて代物は全くないからバスの中でバイバイすると本当にバスを降りた瞬間に相手の姿は闇の中に消えていくのです。「ここ、本当に人家なんてあるの(笑)」なんてお互いに言いながら結局、自分の家も皆さん大差ないところが本当に可笑しいのです。

とうとう、最後の乗客になってバスを運転してくれている若い運転手さんに「道、分かる?」と聞いたら「え~大体なら・・・」「じゃ、教えた通りに行って」と言ってはみたものの廻りは深い霧に包まれて20m先程までしか見えない「見えないね~」「見えないですね~」何て二人で言いながら先程の会話と同じく「運転手さん、この辺でいいよ。帰り分かる?」「はい、ここからなら分かります」というので自宅から200m程の森の入口で下して貰った。

自分では漆黒の闇だと思っていた外の闇夜は実は月が出て意外と明るかった(笑)これだから、森の生活はやめられない。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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