故郷の川
故郷の高知で親戚の結婚式が開かれるので久しぶりに墓参りと母の様子を見るのを兼ねて高知に帰って来ました。
近くのJRの駅から羽田行きの高速バスが出ているので、そこまで車で行き、駐車場に車を止めて高速バスに乗り換えて羽田まで約3時間。羽田から高知まで1時間20分のフライトで着いてしまいます。昨年の夏から帰ってないうちに飛行機のサービスがすっかり簡略化されてドリンクサービスも基本的に有料サービスになっていて驚きました。航空会社も生き残りをかけてスリム化を図っているという事みたいですね。
高知竜馬空港についてからレンタカーに乗り換えて結婚式場へ向かう。結婚式場はいわゆるブライダル会館ではなく土佐和紙の体験工房をブライダルイベントにも利用出来るようにした初めての試みとの事で、その建物は昔、私が良く遊んだ仁淀川という大きな川の川べりに建っていました。
昔、父方の伯母がその仁淀川の源流に近いところに住んでおり学校が夏休みになるとよく伯母の家に泊りこみで遊びに行っていました。昔は川べりの道は狭くてその道沿いに家が立ち並んでおり路線バスはその軒先すれすれをかすめるように進んでいました。
仁淀川の源流に近い所にある仁淀村という村が伯母の家があるところで山と川に挟まれた自然豊かな村でした。伯母の家で夏休みを過ごす間、仁淀川に毎日、泳ぎにいって近づいてはダメと言われていた深いよどみに潜って魚を追いかけたり、川の中の岩の下にそっと手のひらを潜り込ませると潜んでいた小魚がその手のひらに乗ってくるところを捕まえたりして遊んでいました。そう、昔は手掴みで魚を捕っていたのですよ。
余り、長く川に入っていると唇が青くなって伯母に叱られるので昼からは山にいって丁度、夏休みで帰っていた年上の従兄が持っていた空気銃を貸して貰い、木の枝にとまった鳥を撃ったり、棒の先にネバネバの粘土のようなものを塗った長い棒を持ってセミを捕まえたりトンボを捕まえたりしていました。
そんな子供達の遊びを支えてくれていたのが仁淀川でした。久しぶりに見る仁淀川は何だかすっかりきれいに護岸が施されて奇妙に綺麗だったけれど広い河原は昔のままで、違うのは昔はなかったカヌー教室やラフテイング教室なんていう洒落た体験教室が開かれていてライフジャケットを着けた元気な若者から結構、年のいった中年の夫婦までが楽しそうに川遊びを楽しんでいました。その割に子供達の姿を全然、見なかったのがちょっと気になるけどマサカ家の中でゲームなんかしてるんじゃないよなと思いつつ昔、遊んだ川を久しぶりに眺めていました。
そういえば成人した我が家の子供達も「初めて沈下橋を渡った。手すりもなくて危ないよね」なんて言ってたよな。「そうか、沈下橋を見た事なかったのか・・・」とその時、初めて思い当たりました。
高知は台風が多いので川の水かさが増すと上流から倒木が流されてきて橋に引っかかって橋を壊してしまうので手摺もつけず台風で水かさが増した時は川の中に沈んでしまうように造られたのが沈下橋です。
確かに危ないかもしれないけど小さい時から沈下橋から人や車が落ちたなんて話を聞かないので不思議なもんですね。子供達にとってはこの沈下橋から川に飛び込むのが度胸試しになっていて結構、少年達の危険な遊びになっていました。
高知では四万十川の方が全国的にはすっかり有名になってしまったけれど私にとって高知の川は仁淀川と鏡川、それとすっかりどぶ川になってしまった高知駅前を流れている江ノ口川が故郷の川なんです。
江ノ口川は父方の祖父が川岸に家を持っていてその庭にある地下に続く階段を下りていくと船着き場があり祖父の船がそこに舫ってあり、その船に乗り込んで川との境にあるゲートを開くと江ノ口川に乗り出せるようになっており、そこから浦戸湾に乗り出すと太平洋まで出て行く事が出来る仕組みになっており、その地下の船着き場は子供だった私にとって秘密のサンダーバード基地になっておりワクワクする場所であり、祖父はその基地の持ち主として私にとってはヒーローでありました。
私がまだ子供だった頃、故郷高知の川は間違いなく子供達の遊び場だったのです。
最近のコメント