2011/09/27

ハイテクは人を幸せにしたか?

 先日、スマートフォンを初めて購入した。その翌日にauからアイフォンの発売が発表された。子供達からは「何でこんな時期に買うのさ?」と呆れられた。そんな事はちっとも知らなかったし知っていても多分、購入しただろうと思う。

 だって、キットauからアイフォンが発売されれば又、対抗して新しい機能を持った携帯が発売され、そして又、その上をいく機能を持った携帯が開発されていく・・・でキリがないと思うからです。で、女房からは「又、父さんのオモチャが増えたね」とため息をつかれた。で、自分でも何でアイフォンなのか良く分らないのだけど普段余り使わない家族用携帯電話なのでそれなら出張とかに出掛けた時に便利だからと思い多機能のアイフォンに代えたという訳の分らない理由なんですけどね。

 で、使ってみてどうかというと未だ、全然使いこなせていなくて便利になったのか不便になったのか全く分かりません。何だかWi-fi接続だのパケット通信だの訳の分からん(笑)機能が一杯ついててちっとも良さが解からないのです。

 何だか余り一杯通信機能を使うと多額の通信料がかかるらしく要注意なのであります。兎に角訳の分からんボタンを押してはナラヌという気配が漂っているのであります。元々、携帯は電話なのだから電話が掛けられればよいではないか・・・という考えだったので多機能が何故必要なのか分らないのであります。

 じゃあ、何でスマートフォン何か買ったんだよと言われると、何だか世の中ドンドン進んで行って置いていかれるのや嫌だなとちょっと思ってしまって(笑)それに何だか昔、鉄腕アトムを見て育った世代としては何だかあの頃は夢だった時計型の通信メカみたいで夢がありそうに思い、こりゃ何だか分らないけど時代の流れに兎に角、ついて行かなくては・・・と思った次第なのであります。

 しかし、今年は地上デジタルTV放送への全面移行を始め色々なハイテク機能への変換が行われていてメデイアも世の中ドンドン便利になると報道しているけど、私は逆にドンドン不便になっているようにも思えて仕方ないのです。

 例えばデジタル放送が始まるまでは我が家は関東地方で放送される全てのTVを見る事が出来たのにデジタル放送に切り替わった途端に民放2局しか映らなくなった。

 オマケに雨風がきつくなり木立が揺れると途端に画面が映らなくなり肝心の災害予想等の大切な情報が入らなくなるのです。

 それでも未だ民放の方は何とか映るのに視聴料を払っているNHKだけが何故か映らないという腹立たしい状況になるのです。これならデジタル放送になんかならない方がよっぽど良かったと心底思えてなりません。

 一体何の為にデジタル放送は始まったのでしょう?そもそも私が住んでいる森の中のような難視聴地域に対してはデジサポによるサポート体制が取られていて衛星放送からの受信が出来る事になっている。

 だけど中々このデジサポは難視聴地域であると認めたがらないみたいで我が家も「映るはずです」と言われ「じゃあ、悪天候の時に来て見て下さいよ」というのだが「中々そうは旨く行かなくて・・・」と相手にして貰えない。それなら何の為にサポートセンターがあるのかと言いたくなりますよね。

 それと不思議なのは衛星から電波が出てるのなら日本国中、同じ放送が見れるんじゃないの?と思うけど何故か山梨県は山梨県でしか見られない放送のみの妨害電波の解除になっているようで、全く不思議なのです。

 いっそのこと衛星放送にして全国で同じ番組が観れる様にすれば良いのにと思えて仕方有りません。

 スマートフォンも多機能になったのは良いけど何故かメールは今までのメールアドレスが使えずにPCと同じメール機能に限定されて不便で仕方ない。昨日、やっと新しい対応型のソフトをダウンロードして使えるようにした(したみたい?)けどこれも通信手段の変更によるものだろうけど私には良く分かりません。

 一体、ハイテクはローテクより人間を幸せにするのだろうか?ローテクは捨てずに取っておいた方が良いのではないのかな?正にローテクは死なず・・・結局は人間の感性が一番優れているのではないかな。余りハイテクに頼ると今に感性なくしちゃうかもね。

2011/09/17

自分って何者

 最近、色々な面白い人にあったり興味深い本と出合ったりして思う事があります。それは自分って何者?って事です。

 皆さん「自分って何者?」って聞かれてすぐ答えられますか?私はきっと答えに詰まってしまうと思います。僅か50数年(笑)しか生きていないので未だに自分が何者か分かりません。

 きっと死ぬまで分からないのだと思います。でも人生の多分、折り返し点を過ぎて何となく分かってきたのは「自分って自分にしか分からない唯一の存在なんだ」という事です。

 な~に言ってんのと自分でも思いますが、「具体的に言ってくれよ意味分かんないよ」と言われそうなので今のところ自分で分かっている事は「自分は自分、人と比較しても何の意味もない」という事です。

 自慢じゃないけど小さい頃からガキ大将で学校の先生からも呆れられ、小学生の頃は学校に行くというより学校の廊下で立たされに行くような毎日でしたし、一念発起して私立中学校・高校一貫校の進学校を受験して合格し「俺って意外と頭いいじゃん(笑)」と思ったのも、つかの間、中学校にいくと進学校だけに自分より格段に頭の良い生徒ばかりが集まっていて人生初の挫折感にさいなまれ、お決まりの落ちこぼれコースに突入し赤点補習の毎日・・・

 それでも何とか○○大学と名前の付く学校に滑り込み当時のバブル景気に助けられて大企業就職も果たし、これで人生何とか先が見えてきたかと思い、当時付き合っていた今の女房とも結婚し子供にも恵まれこれで俺も落ち着くか・・・と思いきや(笑)突然、アウトドアに目覚めてしまい更に大企業の安定感に自分の未来を託す気になれなくなり、おまけに体にも変調をきたして通勤電車にも乗れなくなりこれで自分の人生終わりかな・・・と思っているうちに東京大都会に暮らす事に疑問を感じ女房と子供3人つれて八ヶ岳に家族で移住を決心、親に「会社辞めたから」と打ち明けたとたんに口をきいてくれないほど落ち込まれ親不幸を詫びてるうちに親は認知症を患いどうやら親不孝は記憶の彼方に飛んでいき・・・現在に至っております。

 はあ~これだけ話すのにも結構時間がかかる訳です。何が言いたいかと言うとつまりこれが自分なんです。もっと他の人生を送れたかもしれないし、確かにいくつかの岐路の選択を余儀なくされた時にエイヤ!と右か左を決断してきてそれが良かったか悪かったか今でも分からないけどそれはきっと一生分からないと思う。

 又、それを考えてみても何も得るものは無いという事に今頃気が付いたという訳です。自分はハッキリ言って優柔不断だし、いい加減だし、頭悪いし、どうしようも無いけど先ず、その自分を認めてあげないと先に進めないのです。

 他人とは必ず何かが違う自分、きっと何か良いところがあるはず(笑)悪いところも一杯あるけどきっと他の人だって完璧なんて人はいないんだから似たようなところがあるはず、だから悪い所は悪いと認めて少しでも直していく努力をすれば良いんじゃないと自分に言い聞かせ何とか自分を奮い立たせておりますハイ(笑)

 一番いけないのは自分を否定する事、自分を認めてあげないと先に進めないじゃないですか。どんな人にもその人にしか分からない欠点や長所が必ずあります。自分の価値観だけで人を判断してはいけないですよね。これは自分にも言い聞かせています。人を批判ばかりする人に限って同じ事を自分もしてるんですよね。

 自分は自分、他の誰でも無い。どんな宗教を信じようがどんな地位にあろうが、どんなにお金持ちであろうと、どんなに貧乏であろうと自分は自分、かけがいの無い存在なのです。

 SMAPが中国大陸で大勢のファンに囲まれて「世界に一つだけの花」を熱唱しました。国の外交努力でさえ成し遂げられない日中友好をSMAPの歌が成し遂げました。SMAPに代わるSMAPは居ないようです。

 世界にひとりだけしかいない自分をあまり邪険にしないで付き合っていこうと思うこの頃です。

2011/09/11

記憶力

 自慢じゃないですが小さい時から記憶力は抜群に悪かった(笑)子供の頃はだから勉強も苦手で特に歴史の問題とか花の名前とかちっとも覚えられなかった。

 覚えられないから尚、勉強しないの悪循環でした。流石に小学校高学年になりこれでは幾ら何でもまずかろうと言うことで兎に角、頭に詰め込んで覚えることにして何とか受験という関門は乗り切ったもののそれで本来の脳の働きが変わる訳でもないのでその後の努力のなさも加速して物覚えはいたって悪いほうです。

 あの頃は兎に角、物覚えが悪いのでとにかく繰り返し手で書いて覚えろと教わり漢字や歴史もすべて手で覚える事に集中していました。

 しかし、今、一番困っているのは漢字が出て来ないと言うことです。それはワープロから始まってパソコンで文字を書く事が圧倒的に増えて漢字そのものを書かなくなったからではないかと思っています。

 文字を表現するのにキーボードでローマ字変換で打っているので漢字そのものを描かなくなったからです。手で覚えるというのは科学的には効果があるのかどうか分かりませんが例えばピアノを弾くのに確かに一度覚えた曲は暫く弾かなくてもひきはじめると手が覚えている何て事は確かにありました(勿論、昔のことですが)

 そういえば歴史を覚える訓練で歴史の年表を体や指の先の部位に置き換えて覚える何て事を書いてある本も確かあったように思います。

 他にも自分が本当に覚えるのが苦手だと確信したのは学生時代にゴルフ場のレストランでバイトをしていた時に、お客さんのオーダーが覚えられないのです。

 今ではハンデイコンピューターとかでオーダーを打ち込めば良いので多少、物覚えが悪くても大丈夫でしょうが当時はそんなもの無かったので注文された事を伝票に書いて厨房に入れなくてはならないのですが時々、注文の料理をテーブルに運んでいる最中に「ちょっと~ビール追加ね~」何て通りがかりに声を掛けられる事が多くて、そうなるともうパニックです(笑)さあ、兎に角「は~い」何て返事をしたものの、料理を注文されたテーブルに運んで厨房にもどるとサア大変!どこのテーブルの客だったか混乱し、あの頃はバブルの最盛期でゴルフ場のレストランはいつも忙しくて厨房も殺気だっていて訳がわからず泣きたくなりそうでした。

 社会に出て段々年齢を重ねて益々記憶力が怪しくなりましたが以前、東京でサラリーマンをしている頃に当時お世話になったとても怖かった直属の上司がいたのですが、朝、出社して何気なくその上司の机の上をみると小さなメモが置いてあり手書きでそに日のやるべき仕事内容が箇条書でメモしてありました。

 その上司はさる大手のゼネコンから出向で来ておられるとても優秀な技術者でいつも論理的に仕事をされる方で私もとても尊敬していました。

 その上司が小さなメモ用紙にそんな事を書き留めているのがとても印象に残っていて私は今でもその真似をして自分の机の上に小さなメモを置いてやるべきことを書き留めています。

 別に、パソコンに入力しておいてもよいのですが何だか手書きでメモしておく方が自分には馴染み易いのです。そうして終わったら線で消していくのです。忙しい時はその項目が中々減らなくて嫌な感じですけどね。

 今、母が認知症になり中々会話が続かず、いつも同じ話題の繰り返しになってしまいます。

 認知症と診断された当初は自分自身も戸惑い「しっかりしてよ、さっきもその話したよ」何て言っていましたが徐々に病状が進行していくに従いこれは病気なんだと改めて考えさせられて今では同じ話題を繰り返す母に「そう、大丈夫だよ」と延々と同じ答えを返すようになりました。

 親子だから何れ自分もそうなるのかも知れません。しかし、人間の脳というのは本当に神秘的な力を持っているものだと思います。

 今、とても心の平衡を保つのが難しい世の中だと思います。物忘れがひどくてもそこは心を広~くもって「さっきも言いましたよね」何て言わずに、いいじゃないですか何度も同じ事言ったって・・・。私はわざと同じ事を確認の為にいう事があります。イイじゃないですか同じ事何度も言ったって。えっ?これで2回目?いいじゃないですか(笑)

2011/09/03

人のもつ不思議な能力

 私の住んでいる山の中はいつも大体静かで何も人工的な物音もしないし東側の窓からは一切人工的なものは見えません。

 だからでは無いけど時々不思議な出来事が起こります。ある晩、家のすぐ傍で鹿がやたら泣き喚く。普段ならはぐれた小鹿を呼んだり危険な状況を知らせる為に短く「キュン!」と鳴いて終わるのですがその晩はやたら長く鳴き続ける。何かに足でも挟まれて身動き出来なくなったかと思って懐中電灯を持って外に出てみるけど姿が見えない。だけど暫く鳴き続け、30分程して漸く鳴き声は森の奥深くに消えて行った。あれは何だったんだろう?

 そうかと思えばやはりある晩ロックしてあるはずの玄関が開けられバタンと締まる音がした。女房と顔を見合わせ「あれっ?何だ連絡もせずに帰ってきたのか」とちょうどお盆の頃だったのでてっきり東京に行っている子供が連絡もせずに帰ってきたものと思い玄関に見にいったら何事もなくドアは閉まっており鍵もちゃんと掛かってる。「あれっ?閉まってんじゃん」「じゃ、あの音は何?」何て事が実はこのところ頻繁に起こっている。

 我が家ではそれでも余りそれを気にしないのがおかしいといえば可笑しい。いつも「お父さん、又変なの連れてきたでしょう(笑)」で済んでしまう。神に誓って私は新興宗教の信者でもないし霊感が強い方でもないのでそんな事に関わることは決してないのです。それでも我が家の中や外では何だか理解出来ない不思議な事が時々起るのです。

 これが都会のマンションとかに住んでるとその物音の原因を突き止めないと何だか落ちつくなるような気がしますが深い森の中にすんでると「又か・・・」で済んでしまうので恐ろしいことです。

 我が家の土地を買って漸く家を建てたばかりの時にも近所の方に挨拶に行ったら「あそこは色々出るからね。見た?」と言われ「えっ?何か出るんですか?」と聞くと「あの小川に沿ってね・・・」と恐ろしい話を聞き「また~やめて下さいよ~」と文句を言うと「知らないの?あそこは昔の合戦の舞台になったところでね・・・」と歴史の話をされて「へ~私には何も見えないですけどね~」「そりゃ、見えない人には見えないさ」と簡単にあしらわれました。

 あんまり言うとオカルトチックになるのでもうやめますがしかし、そういう目に見えないものや感じられない事や科学的でない事は「だから嘘だ」という事にはならないと思います。

 こんな事もありました。ある日、友人が近くに土地を買ってやはり私の知人がそういう事を透視出来るのでその知人のところに相談に行きました。

 「○○さん、近くに土地を買って家を建てようと思うんだけどその土地が良いかどうか見て貰えないかな~」「うん、そんなに悪くないけど東南の角にある大きな石がちょっと良くないね~」「えっ!何で知ってんの?」勿論、その○○さんはその土地を一度も見た事はありません。

 別の知人は真面目に八ヶ岳におけるUFO襲来について毎年会合を開いておりこれが大変な人気になっています。見える人には見えるのですね。

 今回の東日本大震災では離島の鳥が一斉に当日の朝、飛んでいなくなったという話が伝わっています。動物のように普段から自然の中で暮らしているものは自然現象の変化を敏感に感じ取ると言われています。

 私は人間にも、もともと同じような能力が備わっていたと思います。しかし、人間が文明を進化させ森を出て都会に住むようになり次第にこのような能力を失っていったのではないでしょうか。人間がこの能力を無くしていく事はダーウインの言う進化論に繋がるのかも知れませんが、それが人間を幸せにするのなら良いのですが不幸にするのならこんな悲しい事はありません。

 皆さん、六感を大事にしてもっと自然の声に耳を澄ましましょうね。

2011/08/27

震災からまもなく6カ月・・・

 東日本大震災からまもなく6カ月になろうとしています。、復興にはまだまだ気の遠くなるような手間と時間がかかる様に思われます。

 そんな中、政府は早くも次の総理大臣の椅子をめぐって政権闘争の様相を呈しています。果たして民衆の思いと彼ら政治家の価値観とはお互いに理解出来る時が来るのかと疑いを持ってしまいます。

 未曽有の災害に見舞われ、この国の未来がどうなるのだろうかと誰しも心配している時にまだ、経済成長だの災害復興だの挙党一致だのと耳触りのよい言葉だけを発する政治家に一体、何を期待しろというのでしょうか。

 被災地では未だに避難所で暮らさなければならない数万人の人々がいます。我々が望むのは何よりもそういう被害に合われた方達が一日でも早く元の普通の生活に戻れるようになって欲しいという事ではないでしょうか?

 大地震とそれに伴う巨大津波という自然災害だけでも未曽有の災害なのに今回はそれに加えて原子力発電所の事故という日本が初めて経験する人災までもが被災地を苦しめています。

 これらの災害が回復する為には長い歳月がかかるのではと思いますが、誰しもそう思いながら口に出して言うのが憚られる状況だと思います。

 被災地の事を思い、我々がなけなしの思いで寄付したお金はどこに行ったのでしょう?どうして一番困っている被災地の方達に真っ先に行きわたらないのでしょう?我々の思いはどうなってしまうのでしょうか。

 私は思います。今の世の中は複雑になりすぎています。何かが起こるたびに詳細で複雑な専門用語に埋め尽くされた法律が新たに制定され、その法律に縛られてしか行政は機能せず、上部機関からの命令を待つ事しか出来ない状況になっているのではないでしょうか?

 目の前に困っている人がいる。しかも今は未曽有の災害に見舞われた緊急的な状況で明日にでも命に関わる事もあるかも知れない。だけど、法律や条例にしばられて最前線の人達は動けない。

 放射線による基準値が示されないから除染に動こうにも動けない。片や行政トップの機構である国会も衆参で与野党が逆転して迅速な判断が出来ずにっちもさっちもいかない状況です。

 じゃあ、どうすんだよ?という話ですが、こんな時こそ災害の最前線にいる人達が動きやすい環境を整えバックアップしてあげるのが今の政治に出来ることではないでしょうか?放射線についても安全と思われる基準値が示せないのであれば被災地に限定して人々が安心出来る方法を各自が特例で判断出来る様にしてあげて必要な資金と資材を提供する事が必要ではないでしょうか?

 安全なところに身を置き空虚な政治論争に時間を費やしている場合ではないのではないでしょうか?与党でもなく野党でもなく今の政治家は日本という国を救う為に何が出来るかを考えるべきです。個人的には党の代表選挙なんかやってる場合じゃないと私は思います。

 法律は守らなくてはなりません、条例も守らなくてはなりません。でも私がいつも思うのは大事なのはその法律や条例の趣旨が何なのかという事です。

 どうもいつも法律や条例はその言葉の解釈だけが独り歩きしてしまい、こまかな解釈や法律をさらに具体的にする為の条項や細則が造られ、いつのまにかその法律が目指す本質が忘れ去られて運用方法だけが独り歩きしてしまう様に思います。

 本来、日本国民は最低限必要な文化的な暮らしを保証されているはずです。それが日本国憲法の大前提だったはずです。

 今、被災地の方達は最低限必要な文化的な暮らしを保証されていいるでしょうか?避難所で段ボールで囲まれた床の上に寝て、それが世界的な経済大国になった日本の国民に保証された最低限の文化的生活でしょうか。

 仮設住宅に入っても仕事もなくし収入もなくした人にどうやって暮らせというのでしょう。「自活生活の準備をして貰う」と行政の方達はいうけどどうやって自活しろというのでしょう。仮設住宅の暮らしに絶望し食事が最低限、保証される避難所の生活に戻ろうとすると今度は行政側の手続きの壁がそれを阻み、一旦、避難所を出ると戻れないという話しを聞きました。

 もし、そういう法律が本当にあるというのならその法律は何の為に作られたのしょう?法律は弱者を守る為にあるのだと私は思っていましたが違うのでしょうか?

震災から間もなく6ヶ月、グタグタとこんな事を考え続けています。

2011/08/21

肥った

 10代の頃の体重と比較して今は20kg程体重が増えてしまった。ついこの間、ネットで久し振りに中学校時代の仲間とやりとりする機会があり「お前誰?(笑)」何て話をお互いにしました。

 そりゃあの頃は今と違い一日5食、しかもお茶碗はドンブリだった。それでも食べても食べてもお腹が空いて絶対肥れなかった。

 それが今は見る影も無い(笑)だから、昔の同級生なんかに会うとお互いに「お前誰?」となるのも間違いないのである。

 それでも同級生の中でも昔とちっとも変わらない奴もいて羨ましいなと思うときもあります。まあ、それでもここ八ヶ岳に来てからは毎日ネクタイ締めて満員電車に揺られて通勤なんて自分にとって地獄のような環境からお蔭様で落ちこぼれて(笑)ジーパンにTシャツで楽しくやらさせて頂いてるので比較的、年齢の割には老けずに生きられてるかなとは思っています。

 しかし、年齢とともに筋肉の衰えは否めず体重も中々思うように下がってくれない。

 以前、TVの健康番組でその仕組みを解説しているのをみたけど年齢の衰えと共に脳が実際はお腹が満腹状態なのにまだ物足りないという誤った指令を送る為に食べ過ぎに繋がるという話を聞き、「ふ~んそうなんだ」と変に感心してしまいました。

 自分ではこれは禁煙よりも難しいかなと実は思っています。それというのも単に食事の工夫だけではなく私の場合は圧倒的に運動不足が原因を作っているからです。

 八ヶ岳に来てからどこに行くにも移動手段はクルマしか無いのでどうしても走ったり長い距離を歩いたりという機会が少ないからなんです。

 こんな環境の良い所に住んでいながら運動不足なんて全くナンセンスな話ですがよっぽど東京に居る方が駅までの結構な距離を歩くし駅の階段を上り下りするしでこちらに住むよりはよっぽど歩いていました。

 これは意外な盲点だったなと今では思っています。いまだに現役なので中々こちらで運動する時間をとるのが難しいのですがいい加減、何とかしないと後々の健康が心配なので仕事の量を減らしてでも運動の時間をとらなきゃまずいかなと思っています。

 えっ?もっと必死で働けば痩せる?う~ん、そりゃそうかも知れないけど根っからののんびり屋で基本的に「遊ぶために働く」をもっとうとしておりますので(笑)なかなかね、だから痩せないのか・・・

2011/08/14

不思議な体験「クラニオ・セイクラルワーク」

 このところ高知の義父と実母が相次いで体調を崩し、隔週で高知に帰らねばならず電車での長時間の往復が重なり体調が絶不調でした。

 元々、年に数回はパッタリと倒れてしまうというか、横になってれば勝手に治ってくれるので大した事はないのですが、東京に住んでる時に今で言う「パニック症候群」というような症状になってしまった事があり、電車に乗っているときに呼吸が出来なくなったり吐き気に襲われたりして、辛かったのです。

 八ヶ岳に来てからは症状も緩和されていたのですが、それでも疲れがたまってくると年に何回かはパタっと倒れていました。

 今回も入院した母の様子を見に高知の病院に行っている間に気分が悪くなり女房から「一緒に入院させて貰う?」何て言われ、「バカ言うな!」とやっとの思いで冷たい水を買ってきて貰って何とか高知から山梨に帰ってきたような状態でした。

 そんな状態がここ数ヶ月続いていて、たまらず知り合いの指圧師に治療を受けたりしていたのですがどうにも改善せず、「マア、しょうがないか。こんな状況じゃ良くなるわけないか・・・」と思っていたのです。

 しかし、余りにも体調が改善しないので思い切って以前、仕事の関係で知り合った方が私にとってとても興味深い治療をされているのを知り、いつかは治療を受けてみたいと思っていたので思い切ってお願いする事にしました。

 その治療方法は「クラニオ・セイクラルワーク」と言うとても言いにくい(笑)名前の治療方法なのです。「クラニオ」は頭蓋骨、「セイクラル」は仙骨のことだそうです。つまり頭から背骨、仙骨にかけての人間にとってとても重要な部分を担っているところなのです。

 そこに流れる骨髄液の流れを人間本来の治癒力を回復させることにより健康な状態に戻し体のバランスを回復させる治療方法だと私は勝手に理解しています。

 元々、私の病気もストレス等により首の後の部分が萎縮して緊張しそれが神経等を圧迫することにより体の平衡感覚を阻害したりして立っていられなくなるようなのです。ただ問題はどうしてそうなるかが分らない事なんです。

 もう20年来抱えてきた病気だし、大人しく横になってれば治るので余り気にはしてなかったのですが、このクラニオ・セイクラルワークの話を聞いたときに何となくこの理論は私が抱えている問題の解決に繋がるように気がして何時かチャンスがあったら治療を受けようかなと思っていたのです。

 電話で予約して自宅に伺い、先に仕事の話をすませてから治療を受ける事になりました。治療といってもこのクラニオ・セイクラルワークは別に病院の様に注射をしたり、指圧の様にどこかの筋肉を押したりするような事は有りません。

 静かな部屋の中でリラックスした状態で頭から腰、足にかけて軽く触れる事で骨髄液の流れや骨の状態を先生が把握してどこが滞っていてその骨髄液がどこにいこうとしているのか、骨がどっちに曲がろうとしているのかを感じて、その人の体が欲するように手助けをしてあげるだけという治療方法なのです。

 実際に私も治療を受けてみて1時間程の時間なのですが深いリラックス状態になり治療が終わってもベッドから起き上がれなくなり仕方なく先生にお願いして10分程、そのまま横になっていました。

 今まで感じた事の無いような深い安心感なのです。それまであった頭から首、背中にかけての違和感は不思議な事に全く無くなり「あれっ?」てな感じなのです。

 何となく予想はしていたものの、この気持ち良さは何なのでしょう?まだ、初めての治療をうけたばかりなので良く分らないのですがこれは私の様な問題を抱えている人にはとても良いかも知れません。

 う~ん、世の中にはまだまだ分らない不思議な事が一杯あって八ヶ岳にはなんでこんなに不思議で魅力的な人間が集まってくるのだろうと深く感じた一日でありました。

2011/08/01

用事の無い休みの一日

 自宅玄関4

 久しぶりに何の用事もないゆっくり出来る休みの一日。まず、朝は9時頃までゆっくりしようとしたらいつもの通り、猫が朝の6時前から「起きて、起きて」と騒ぎだし寝室のドアをガリガリと引っ掻き始めます。

 そしていつも通りこれを「煩いな~」と無視しているとそのうちに猫達は「チェッ」と言う感じで諦めてドアの前でうずくまりドアが開くのをひたすら待つ事になります。いつもならこのガリガリ攻撃の直ぐ後に目覚まし時計が鳴りだすので猫達にとっては「何で起きないんだよ!」という感じだと思うのですが、今朝はゆっくりすると決めたので起きないのです。

 それでもさすがに9時頃になるともう寝てられないので起きて、いつもの様に女房と二人で朝食の支度をします。我が家は二人とも朝はトーストとコーヒーという食事なので私がトーストを焼いている間に女房はコーヒーを入れそして何より朝一番の我が家の「掟」は水をコップ一杯先ず飲む事です。その後、野菜ジュースとコーヒーを飲むのです。その方が健康に良いと言われ、ずっと続いている我が家の掟です。

 そして、その後、私は例によって森の出口の共同新聞受けに我が家の分の新聞を取りに行きます。

 その後、朝の涼しいうちにと外の作業をする事にしました。先ずはずっと休みに用事が続いて出来なかった穴掘りをする事にしました。何の穴かというと猫達の下の始末の為です。庭に深い穴を掘って埋めるのです。うっかり掘る所を間違えると以前掘った跡がまだ土に戻らずに出てくるので要注意なのです。

 それから、やはりず~と出来る時に少しずつこなしている薪割りをする事にしました。薪小屋の脇に積んである一定の長さに玉切りしておいた薪の原木を地元で「ヨキ」と呼んでる斧で順番に割っていきます。

 先ず、薪割り台を用意してその上で安定して薪割り出来る様に設置場所を決めます。そうしたら後は兎に角割っていくだけです。この薪割りは自分でも好きでやる作業のひとつでこの科学全盛の文明社会で自分の力で冬の暖房の為に木を伐って薪を造るというのはある意味とても贅沢な作業だと自分では思っているのです。

 それでも、疲れるのは勿論疲れるのでそれなりにシンドイのですが気持ちの上ではひたすら割るだけでよいので健康と精神の安定にはとても良い作業なのです。

 そうこうしている内に女房が家の中の用事をすませて庭に出てきました。ここ数年で我が家の庭は見違える様に綺麗になりました。森の中の突き当たりに住んでいるので我が家は日当たりが悪く、花好きの女房にはず~と文句を言われているのですがこればっかりは私ではどうにもならないので仕方ないのですが、何とかかんとかして女房が綺麗な小さな庭を造ってくれました。これはとても感謝しています。

 何せ花の名前ひとつも知らない私ですので庭に関しては一方的に女房が解説するのをフンフンと聞き流すといういつものやりとりで私は全く庭に関しては無能なのです。

 そうこうしている内に昼時となり、昼からは甲府に新しく出来た映画館に見たい映画があったので二人で行って来ました。何が嬉しいって最近の映画館は色々と割引制度があり我々は夫婦二人で100歳以上割引きという何だか嬉しいような複雑なような(笑)それでも安くなる分には全く問題ないのでいつもこの割引制度を生かして楽しんでいます。

 何の用事も無い休みの一日はこうして終わってしまいます。平凡な一日ですがとても幸せな一日でした。

2011/07/27

集団検診

 毎年、町の集団健康診断を受けています。この年に一度の健康診断が嫌で嫌で仕方ないのですが年に一度なので仕方なく受けています。

 今年もその時期が来てしまい(笑)仕方なく受けることになりました。そこでひとつ、問題が・・・実は昨年の集団検診でも要精密検査に引っ掛かってしまい、今回の健康診断までにどこかの総合病院に行って精密検査を受けてその結果を報告しなくてはならなかったのです。

 それも嫌で一日延ばしにしていたらいつの間にか一年・・・「全く子供じゃないんだからちゃんとしろ」って言われても仕方ないのですが、兎に角、慌てて近くのクリニックに行って「先生、かくかくシカジカで何とかなりませんか?」「何ともなりません!」「そうですよね(笑)」「兎に角、薬だけは出しますから健康診断までの間、これを飲み続けてみて下さい」と薬を渡され内心「シメシメ、これで何とか今回の健康診断はなんとかなるかも」と淡い期待を抱いたのです。

 が・・・そんなに旨くいくわけがなく、腹部のエコー検査でひっかかりその検査技師曰く「ちょっと良いですか?」「はい?何か?」「いえちょっと見せても良いですか?」「え?あ~ハイいいですけど・・・何か」「いえ、ちょっと君、こっちに来て見てみなさい」と先生。

 隣で心電図をとっていた若い女の検査技師を呼び寄せ「ホラッここ見て、ちょっとこの方、見にくいんだけど、ホラッこうすれば見やすいだろ、ホラ分かる?ネッこうすれば良いからね。分かったね」「あの~何か写ってるんでしょうか?私の内臓?」「いえっ詳しい事は先生からお聞き下さい」ちょっと待ってくれよ~そりゃないでしょ。

 そんな気になる事、言われておまけにモルモットみたいにされて、そりゃないよね。

 で、後日、診断結果が来ました。案の定、要精密検査。あ~まただ。全くだから健康診断嫌いなんだよね。そりゃ病気にならないように予防検診は必要だと分かっちゃいるんですけど毎年、精密検査を受けろと言われると人間、段々嫌になってくるってもんですよ。

 エッ何?子供みたいな事言うな?エ~エ~どうせ子供みたいですよ。何せちっちゃい頃から病院嫌いでしたから。というか病院が好きな人なんていないでしょうよ。

 あ~あ~家に帰れば女房からも早く病院行って診てもらえと言われるし又、あと一年あるからそのうちに受けよっと。エッそれがイカン?え~え~分かっちゃいるんですよ私だって・・・

2011/07/18

日本女性は強かった

 社会の経済状況が好景気の時は男性優位の雰囲気が強いけれど一旦、経済状況が悪くなったり治安が悪くなったりすると俄然、女性が強くなりますね。

 スポーツ界でも近年、女性陣の活躍が際立っています。私にとって最初の日本女性の活躍の記憶は東京オリンピックにおける女子バレーボールの金メダル獲得でした。

 回転レシーブという画期的なレシーブ方法を編み出して見事、金メダルを獲得し、この時は「東洋の魔女」と呼ばれました。圧倒的な体格差をものともせず海外の選手の強烈なスパイクを拾いまくる日本女性の粘り強さはスポーツ界における日本女性の強さの秘訣を世界に見せつけました。その後も体操や柔道、レスリングの世界で日本女性は世界をリードしてきました。

 そして、今日、サッカー界でも又「なでしこジャパン」はワールドカップ世界一を達成しました。未だ男性陣も達成したこと無い快挙です。

 以前、TVの報道で女子サッカー界の現場を見ましたが日本では決して恵まれた環境では無く選手たちはアルバイトしながら練習に取り組んでいました。

 昼間はスーパーのレジを打ち、仕事が終わって夜、練習に明け暮れるという生活でした。それでも好きなサッカーに打ち込む姿に感動を覚えた事を覚えています。

 日本女性の粘り強さ、諦めないタフさ、それは本来、日本女性が持っていた奥ゆかしさの本質に潜む別の意味での強さなのかも知れません。

 今や女性スポーツは男性に負けない程、底辺が広がっています。元々、男性にしか許されていなかった様なスポーツにどんどん女性が進出しその中で日本女性の世界進出はめざましいものが有ります。

 中でもサッカーというスポーツはタフなスポーツでその中でも特にワールドカップは世界中の特に選ばれたチームにしか参加資格が無いまさにサッカーの頂点にある大会です。

 その大会で「なでしこジャパン」は世界の強豪に臆すること無く立ち向かい見事頂点に立ちました。

 特に決勝戦では未だ勝った事の無いアメリカを下しての勝利でした。しかし、私はいつも思います。こと、スポーツの世界において「絶対」という事はありえないのです。

 どんなに力の差があるチームの勝負でもスポーツの世界では絶対勝つとは限らない。正にやってみないと分らないのです。まして今大会でのなでしこジャパンは本当に強かった。

 FIFAランクでは日本は世界5位、アメリカは世界1位、力の差はそんなにあるわけでは無かったのだから今まで勝てなかったのにはきっと何か要因があったのだろうと思います。

 特にスポーツの世界ではそのスポーツが世界で普及すればするほど各国の力の差は無くなってきて勝負は拮抗してきます。選手達は世界中に活躍の場所を広げ、それが又、自国の選手層の底上げに繋がりその結果が力の拮抗を生むのです。

 なでしこジャパンの活躍は私の見る限り体格差を感じさせないスピードと走り負けない走力、パス廻しの正確さとスピードそしてシュートのアイデアと正確さが他のチームを圧倒していたように思います。つまりなるべくしてなった世界一のチームだと思います。

 とかく暗い話題の多い現在の日本の中でなでしこジャパンのワールドカップ世界一のニュースは本当に日本人に希望と勇気を与える快挙だと思います。

 オメデトウ!「なでしこジャパン」貴方達の決して諦めないスポーツマインドは素晴らしかったです。希望を有難う!

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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