2012/06/24

森の音、色、匂い

 森の中に住んでいると自然の音や色・匂いに敏感になります。森の中には都会の様に車や電車等の騒音がないので聞こえるのは自然が放つ音だけなんて事が普通なので段々耳が敏感になります。

 例えば自宅の傍の森の中を歩いている時、冬の間は冷たい八ヶ岳下ろしの北風が木々を揺らす音だったりするし、春から夏にかけてのこの季節は雨上がりの朝など煩いほどの鳥の鳴き声が森の中に溢れ、まだ生まれたばかりの幼鳥がうまく鳴けなくて「ケキョケキョ」言ってみたり美しい甲高い声でさえずる小鳥の声だったり猛禽類のタカ達が上空から威嚇する鳴き声等が空から降ってきます。

 鳴き声ではないけれどもキツツキ達が木の幹をつつく「ドラミング」という音も凄いですよ。木の中にいる虫を探したり巣穴を掘ったり求愛行動の一つとも言われていますがその音は「ダダダダダ・・」と本当にドラムを叩くような凄い音がします。我が家も何度かつつかれ家の中にいてもビックリして飛び出しそうな音です。

 それからもう少しすると煩い程の蝉の合唱が始まります。昨晩は森の中を流れる小川からカエルの鳴き声が聞こえていました。時々夜中にも「ギャーギャー」とキツネが騒ぐ声がしますがこれはまるで人の叫び声にそっくりで初めて聞いた方はビックリすると思います。

 又、「キュン!」という金切り声みたいな音は鹿が仲間に危険をしらせる警戒音です。反対に冬のシンシンと雪が降る日は辺りが全くの無音の世界に包まれます。雪が音を吸収して音が全く反響しなくなるのです。

 それから森の色、これは季節によって本当に美しい変化を見せてくれます。冬の間は水墨画の様に単色の「黒」と雪の「白」に包まれていた森が春先に一日一日と新緑の世界に変わっていくのは毎日見ていても本当に凄い勢いで緑に変わっていって生命力の息づきを感じます。

 又、夏から秋にかけては森の木々が美しく化粧を施したようにハッとするような赤や黄色の世界に変化していって本当に美しい姿を見せてくれます。

 もうひとつ匂い、これは一番、感じるのは雨上がりの草いきれの匂いです。ムッとするような若葉の匂いが森の中に漂い森の木々が雨をタップリと吸い込み太陽のエネルギーを受けて喜んでいるような力強さを感じます。

 都会に住んでいる皆さん、人工的はものがまるでない森の中には本当の自然の色や音や匂いが溢れていますよ。時々はそういうものを感じて人間も森の中の生き物の一部にしか過ぎないのを改めて感じてみませんか?以外とすっきりしますよ。あっ!これを森林浴というのか!そうか・・・

2012/06/16

電波障害と蟻攻撃

 いよいよ関東甲信越地方も梅雨入り宣言となりジメジメと鬱陶しい日々が続いています。この時期になると我が家は色々と支障が出てきます。

 先ず、今年は地上デジタル放送に全面的に切り替わって初めての梅雨を迎えますがこれが又映らないのですね~昨年、総務省の難視聴地域の支援をしてくれるデジサポさんに来て貰って調査して貰った時には「問題なく映る筈です」と言われてしまいました。

 そうなのです。晴れて風がなければ問題無く映るのです。ところがこれが雨が降ったり風が吹いたりすると映らなくなってしまうのです。森の中に住んでいるので木々が揺れると電波障害を起こしてしまうのです。雨が強い時も駄目ですね。

 これは色んなところに陳情して相談するのですが中々分って貰えなくて解決しそうもありません。基本的に難視聴地域の対応は今年の3月末で終了したそうでその後、総務省の担当窓口にも相談してるのですが丁寧に対応はしてくれるのですが手の打ちようがないので我が家はアナログ時代は全チャンネルが映っていたのにデジタル化された途端に全ての地上波が映らない日があるというTV難民になってしまいました。

 一番困るのが台風とか天候が悪化した時の気象情報が入って来ないという事なんですがそれ以外はマア最近、面白い番組もないしBS放送の方が面白い番組が多いのでそれならそれで良いのですが映らないのに某放送局のみに料金をとられるのにちょっと抵抗があります(笑)

 もう一つは蟻さんが家の中に入ってくるという事です。森の中なので当然、蟻も大勢一緒に(笑)住んでいるのですが普段、外に巣を造って住んでいる蟻達が雨がふると我が家の中に逃げて来るのです。

 気持ちは分るのですが(笑)こちらも迷惑だし噛まれると痛いし連中、何せ数が圧倒的に多いので1匹や2匹ならまだ良いのですが何百、何千となると話は別です。

 しかも今は我が家に小さな赤ちゃん(初孫)が同居しているので速やかに退散して貰わないと困るのであの手この手で退治しています。

 この梅雨があけると暑い夏がやってきます。今年の夏はどうなるのでしょう?子供たちの明るい笑い声が沢山聞ける明るい夏になってくれると良いな。

2012/06/11

今だからこそ言います「原発再稼働に反対です!」

 やはりこの事を避けて通れないと思うので今迄敢えて書かずに来たけど言わせて貰います。野田首相は原発の再稼働を発表しました。国民生活を犠牲に出来ないという理由でした。その言葉に凄く違和感を感じます。

 国民の為?国民とは誰の事をさすのでしょうか?原発推進派の事情を持つ国民の為でしょうか?それとも福島第一原発の事故で避難を余儀なくされている国民でしょうか?皆、国民ですね。国民の中にも原発再稼働に賛成する人も、反対する人も勿論います。現在の状態で全ての国民が納得出来る判断は難しいと思います。

 しかし、これが福島原発の事故直後のように非常時ならどうでしょう?それでも国民の為に原発を稼働し続けると言えるのでしょうか?私は今が非常事態だと思います。やはり日本で原子力発電所を稼働させてはいけなかったのです。いや敢えていうなら原子力技術開発そのものが人類が手を出してはいけない領域の科学技術だったのではないでしょうか?

 以前、最先端技術開発の異種業種のシンポジウムに参加させて頂いた事があります。タイトルは「科学技術と人間」というものでした。シンポジウムの内容は「科学技術の進歩は人間を幸せにしたか?」というものでした。

 今迄の歴史を振り返ると人類の最先端科学技術の開発は最終的に結局、最先端兵器の開発に使われてきました。日本は世界で唯一の原子爆弾の被爆国です。原子力技術はその使い方次第で人類を滅亡させる凶悪な最終兵器にもなるし膨大なエネルギーで繁栄をもたらしてもくれます。

 だからこそ人は迷うのだと思います。表裏一体のリスクとメリットを持った巨大なエネルギーだといえます。しかし、日本は世界の中で唯一その裏側の悪魔の姿を見届けた国です。だからこそ日本の国民はそのリスクについて世界に警告すべきではないでしょうか?

 今や、日本はその表の顔だけを取り上げてそれをビジネスにしてしまい逆に世界にその技術を輸出さえしてしまっています。だからこれだけの大災害を引き起こしながらそれでも尚、ひたすら裏の顔を隠して安全神話を必死になって唱えなくてはならないのでしょう。

 今の、総理大臣もその権力の座をおりて一人の庶民となった時にやはり再稼働が正しいと本当にいえるのでしょうか?将来、東南海、南海、東海沖の地震が連動して起こった時に万が一、今回の福島のような原発事故が起これば日本国は壊滅的な被害を受ける可能性があると思います。

 命より大事な価値って何でしょう?お金でしょうか?日本の国土を失うかもしれないのに何故再稼働なのでしょうか?

 今こそ、原発から自然エネルギーにシフトしその技術を必死になって開発・実践し世界唯一の被爆国であり巨大地震で原発事故を引き起こした当事国として安全なエネルギーへの転換をアピールすることこそ日本の務めでありそれこそが日本が世界にむけて発信すべきメッセージだと私は思います。

 全ての日本人に広島原爆資料館を訪れて欲しい。そしてもう一度良く考えて欲しい。今の政府は私達国民を守ってくれません。私達が自分達の子供を守らねばなりません。

2012/06/04

色々ありましてお久しぶりです(笑)

 何だか近頃、イベントやら会議やらでやたら色々と右往左往しており「森の囁き」がアップ出来ずにごめんなさいでした。やっと一段落しましたので今日、アップしています。

 エ~ト何から話そうかと思いましたが取り急ぎ一番目は新しい小さな家族が増えました!昨年、結婚した我が家の長女に赤ちゃんが出来て何と!私がお爺ちゃんになってしまいました。初孫は女の子でした。

 自分に子供が授かり父親になった時も何だか実感が持てなかったのですがまさか自分の人生の中でお爺ちゃんと呼ばれる時がくるとは思いませんでした。そりゃ、当然自分の子供に赤ちゃんが生まれれば爺ちゃんなり婆ちゃんになるのは理屈では分かっているのですが実感としてお爺ちゃんになる自分が想像出来なくて・・・兎に角、今は長女が1週間前に生まれたばかりの孫を育てに我が家に帰って来ているので家の中では元気な赤ちゃんの泣き声が響き渡っています。

 一番、影響を受けたのは我が家の猫娘と猫息子かも知れません。何せ今迄、我儘しほうだいだったのが変なオギャ~オギャ~と煩い生き物が家の中に突然来て自分達は一挙に邪険に邪魔にされてベランダに放り出されています(笑)しかし、我が家にとってはそりゃ今のところ初孫第一なので暫く猫達は我慢なのです。

 それから我が家に光ケーブルが引かれました。20数年前に森の中に家を建てた時にはNTTに電話して「電話を引いて欲しい」と頼むと「空いている回線がないのでお宅に電話をひくのは1年くらいは待って貰う事になりますね」と言われた事が夢の様な話です。

 家電量販店を通じて光ケーブルの工事を予約して先週末、漸く工事のお兄ちゃんが我が家にやって来ました。工事車輛に乗って我が家にきたお兄ちゃんに「ログハウスなので既存の電話配線のルートからはケーブルが入らないので屋根のあそこからこっちにケーブル引いて床下を通ってこっちに穴開けて通してくれる?」と説明すると「分かりました。やってみます」と気軽に応じてくれたお兄ちゃんは外部の電柱に登って既存光ケーブルの分岐から始めて手際よく作業を進め2時間程で工事は終わりました。

 20数年前の頃と比べて格段の変化です。今の日本の技術の進歩は素晴らしいですね。こんな山の中に住んでいながら光ケーブルで外部とインターネットで繋がるのですから信じられない事です

 それからこの時期は何故かイベントが目白押しで出来るだけ余計な事には首を突っ込まないように(笑)しているつもりなのですが1週間の間に月曜日は私が主催の婚活イベントを八ヶ岳ですませ、火曜日に東京ビックサイトで翌日から開催されるイベントの搬入にビックサイトに行きそのまま3日間の会期中に2度ビックサイトに行きブースを訪れてくれたお客様の相手をして金曜日に八ヶ岳に帰ってきて土曜日に次の日曜日の八ヶ岳高原サイクリングのスタッフとして景品や自転車の運搬につかうレンタカーを引き取りに行き、日曜日は朝4時半起きでサイクリングのスタート場所に準備に行きそのままゴールの夕方まで最後尾の自転車の後ろで後方支援を行い、最後はゴール後のBBQ大会の準備やら何やらで終わったのは午後6時頃でした。

 何だか怒涛のような1週間でした。やれやれです。これからちょっと落ち着いて仕事をしようと思います。それでも今週末は又、自社のイベント開催するのですが(笑)これから漸く高原にも夏の日差しがさしはじめます。

2012/05/18

サラバ友よ・・

 昨年末に亡くなった友人にお別れをしてきました。八ヶ岳に来る前に一緒に同じ会社で勤めていた同僚で退社後は九州の佐賀県に移住して暮らしていました。

 突然の悲報を昨年末にやはり同じ会社に勤めていた同僚から聞かされ直ぐにでも葬儀に参列しに行きたかったのですがどうしても都合が付かず漸く先週、時間がとれたのでお別れをしに行ってきました。

 知らせてくれた広島に現在、住んでいるその同僚と3人で昔は良く週末に飲みに行っていました。何でも話せる友人の一人でした。

 お互いに良く飲み歩いているうちに何となく3人とも同時期に前の会社を退社する決心をし別の人生を歩むという道を3人、それぞれが選択したのも偶然ではなかったと思っています。

 あれから20数年経ちお互いに年賀状のやり取りや時々、佐賀名産のミカンを送って貰ったりのやり取りが続いていましたがあれから一度も会う事はありませんでした。

 まさかこんな事になるとは思ってもいなかったのですが、今更ながら彼が暮らしていた佐賀の海辺の町の風景を見て、ご家族にもお会いして彼がどんな暮らしを送っていたのかが知りたくて、そして何より自分の心の中でのケジメをつけたくて行ってきました。

 彼の住んでいた佐賀の海辺の町は美しい町でした。お墓も海の見える丘の上に建てられていました。奥様も息子さんや娘さんもしっかり元気に暮らしておられました。

 帰りに近くの駅まで送って下さった家族の皆さんがなかなか帰ろうとしないので「ありがとうございました。これで私は気が済んだのでどうぞお帰り下さい」と何度も何度もお願いして漸く帰って貰いました。

 帰りに新幹線でもう一人の同僚だった友人が住んでいる広島に寄り「昔の様に一人欠けちゃったけど飲もうよ」という事になり、広島の繁華街に行き、飲み屋のカウンターに座ると彼が「取り敢えずビール、それからコップ3つ」と頼んだので「ウン?」と思ったのですがビールが届くと「○○さんの分」といって二人の間にコップを置いてビールを注ぎました。

 姿は見えなかったけど久しぶりに3人で飲んで楽しい時間を過ごしました。彼と別れ際に「お互い、生きてるうちに又、会おうね」と言って別れました。寂しいけれど何か気持ちの整理が出来てホッとしました。

 友よ、サラバ・・・

2012/05/05

GWのひとり言

 今年も私の嫌いな(笑)GWがやってきました。昨年のGWは東日本大震災の影響で自粛ムードが広がった反動で八ヶ岳には多くの観光客が集まりました。今年はどうかな?と思っていたら今のところ知り合いの地元の店の人に聞いたらさほどでも無い様な話でした。

 それでも森の中には車を止めて双眼鏡を取りだして楽しそうに鳥の姿を追い求めるバードウオッチャーの姿が多く見受けられました。私なんか朝、新聞をとりに行くのに森の中の道を歩いていると見知らぬ方が道の真ん中に三脚を立てて一所懸命、鳥の姿をカメラに収めておられるので何となく近くを通るのが気の毒に思いながら小声で「おはようございます」と声をかけると向こうの方も小声で挨拶を返してくれました。

 そこでフト気付きました。今更なんですが森の中で毎日過ごしている私にとっては当たり前の風景、それは小鳥の声だったり樹木が風で揺れる音だったり、新緑の美しさだったりが実は普段、都会で暮らしている人達には貴重な自然とのふれ合いの時間なんだな~と・・・私自身も20年前に都会に住めなくなって八ヶ岳に移住してきたのですが段々、こちらの生活に慣れてしまって自分達の生活を取り巻いている普段の光景が当たり前の事になってしまいましたが20年前はこの自然豊かな八ヶ岳の地に憧れてほとんど逃げるように来てしまったんだな~と言う事を思い出してしまいました。

 だからこそ、この貴重な自然を大切にしていかなくてはならないのだと、本当に今更ながらGWでこちらに楽しみに来られる人達を見ていると思いました。それは住んでいる我々の務めでもあると思います。

 話は変わりますが先日、ある方と話しをしている時に面白い話を聞きました。それは、ニューヨークに住んでいるその方の知人のアメリカ人が何年振りかに日本を訪れた時に日本人の印象が随分変わってしまったというのです。それは以前、日本に来た時に見た日本人の顔と比べて随分、悪くなったと言う事です。それはたまたまその方が訪れた場所の方がそうだったのか、それとも個人の感覚の違いなのか分かりませんが昨年の東日本大震災や長引く経済不況の影響も、もしかしたら有るのかも知れません。

 何れにしても昨年の3/11以降明らかに何かが変わろうとしている事を私も感じています。それがもしかしたら普段、日本に住んでいる者には分からない日本人の顔の変化として海外から来られた方には感じられたのかも知れませんね。

 今年、我が家のコブシの木はほとんど花を付けませんでした。コブシの花が満開になる時は暑い夏が来ると聞くので今年は以外と冷夏になるのかな何て事をコブシの木を見上げながら感じています。

 変わって良いもの、変わってはいけないものがあると私は思います。変わって良いもの、それは時代の変化に伴う価値観や文化。変わってはいけないもの、それは自然を畏れ尊ぶ心。一見、相反する考えのようですが実は同じ様に考えていかなくてはならない事のように思います。

 先日、新聞の記事で瀬戸内寂聴さんが原発再稼働に反対して経済産業省の前でハンガーストライキに参加された事を知りました。瀬戸内氏が生きてきた人生の中で今が日本人にとって最悪の時期だと感じておられるという記事でした。今、私達が未来の子供達に出来る事を責任を持って一歩踏み出さなくてはならない時にきっと差し掛かっているのだろうなと私も思います。何てことをGWの森の中で考えてしまいました。

2012/05/01

「モノ造り」という文化

 私達のように木造建築を生業としているものにとって法隆寺の最後の宮大工、西岡常一氏は神様のような存在です。もう日本には昔のように寺に専属でついている宮大工は西岡さんが最後だったかも知れません。

 今でも勿論、宮大工さんは居られるのですが所謂その寺に専属で仕える宮大工さんは日本にはもう居ないと思います。というか、もう宮大工では生計が立てられない世の中になってしまったのです。

 もともと西岡さんもそうですが宮大工は決してお金を貰って他人の家を建てると言う事はしない大工さんなのです。西岡さん自身も自分の家は大工さんに造ってもらったそうです。それくらい自分の仕事に拘りを持っておられたし、宮大工という職種は特殊な技能集団でもあり自分達が属する寺の事は全て理解している宗教人でもあったのだと思います。

 今、自分達が生業としている建築技術は戦後、海外から持ち込まれたものです。それが今の日本の建築基準法のベースにもなっています。しかし、西岡棟梁達が残そうとした伝統木工法は世界にも類を見ない日本独自の木構造の木組みの技術でその中でも法隆寺は築1300年という世界最古の木造建築と言われています。

 今、日本ではこのような伝統木工法は時代の趨勢とはいえ中々受け入れられず少数派とされています。私達が建てているハンドカットログハウスもそういう意味では少数派に入ります。よく建築士の講習会等にいくとこの伝統木工法とログハウスについてはいつも「例外」として片付けられて悔しい思いをします。その位、今の世の中はスピードと変化を求められています。その裏に存在するのは消費と浪費の文化です。

 国が進める長期優良住宅の制度といっても所詮100年住宅で西岡さんはコンクリートの基礎の上に木造建築を造っても100年は絶対持たないと仰っています。つまり変わらない技術や伝統を尊ぶ文化が今の日本には根づきにくい環境になっているといえます。西岡さん自身もご自分の子供には後を継がせませんでした。代わって小川さんという方が西岡さんの弟子としてその技術を受け継いでおられるのですが小川さんも本当の意味での宮大工は西岡棟梁が最後だったと言われています。

 同じ木を扱うものとして西岡さんの言葉ひとつひとつに感銘を覚え、感銘を覚えれば覚えるほど反対に恥じ入る事ばかりです。今の建築基準法の教えは西岡棟梁の言葉とは正反対の事ばかりです。高気密・高断熱・24時間換気・耐震金物の利用等、全て西岡棟梁の教えとは全く眞逆です。これで本当に日本の木造建築は良いのでしょうか?

 西岡棟梁は「木組は木の癖組」と良く言われます。「木は一つとして同じ木はない。その木の癖を見て組まなければならない」と、しかし、今の日本の建築基準法は木が曲がる事を許しません。金物で補強し木が曲がろうとする力を抑え込み曲がってはいけない工法を求めます。しかし、もともと鉄と木の一番の違いは木には鉄にはない元に戻ろうとする力があるので本当の木の特徴を殺してしまっているのです。

 又、西岡棟梁は木材は山の樹を買うのではなく山全体を買えと言います。その地方に立つ木はその地方の気候に合っているのだからその木を立っていた向きのまま建物に使うのが一番自然で長持ちするとも言われています。

 しかし今、日本の建築は外材に押され海外から綺麗にパッキングされた木材が安価で輸入され市場を席巻しています。このままでは日本の文化といえる木造技術はすたれてしまいます。

 私達は少しでも日本の木の事を知ってもらい次世代の子供達に伝えていかなくてはなりません。荒廃した日本の山を美しい山に戻すには昔の様に山に親しみ日本の山の木で日本の家を造らねばなりません。

 「モノ造り」の手間と技術を理解する文化を大切にしていかないと日本の「モノ造り」の未来は無い様な気がします。ずっと繁栄し続けると信じた日本の経済環境が破綻した今こそ衣・食・住の生活の基盤に「モノ造り」の手間と時間を惜しまない文化が根付く事を願っています。

2012/04/21

龍が来た!

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今年の干支が辰だからと言う訳ではないのですが今年は「龍」に色々とご縁があり、年初めに初詣を兼ねて知り合いから教えて貰った諏訪大社のいたる所に飾られている龍を見に行ったり地元で「龍」にまつわる面白い話を持っている人達の集まりに参加させて貰ったり、先日は身延山の久遠寺の枝垂れ桜を見にいったら又、いたるところで龍に出会ったりと何故かあちこちで龍に出会う事が多いな~と思っていたら昨日とんでもない龍が我が社を訪れました。

 それが写真の龍の壷なのですがこれは「永見陶節」さんと言われる著名な陶芸家の方が造られた「古編文」という技法で造られた龍壷です。この「古編文」という技法は日本では唯一人この永見さんだけが出来る技法だそうでとても貴重な壷です。

 この壷は当社のお客様からお預かりしたもので当社の守り神をお願いする事になりました。

 龍と言えば昨年日本を訪問されたブータン国王が子供達に残されたコメントが思い出されますがその時、国王は「龍は皆の心の中にいて経験を食べて大きくなる」と仰っていました。そして国王自身も「龍を見た事がある」とコメントされていました。ブータンは龍の国と知られ国旗にも龍が描かれています。そして有名な国民の幸福度、世界一の国です。それには龍が大きな要因を占めているのかも知れません。

 古来より龍は色々な寺院に奉納され信仰の対象とされてきました。ある時は恐ろしい恐怖の対象でもあり、ある時は幸福をもたらす使者ともなります。それ程、人間の心の中の「祈り」を具現化した生き物かも知れません。

 もともと「龍」は龍・麒麟・鳳凰・霊亀の四霊の一つとして知られる中国神話上の生き物ですが日本神話でも八岐大蛇として知られています。

 今年の干支は辰(龍)ですが十二支の中で唯一、実在?しないのが辰(龍)です。何故、十二支の中にこの辰が選ばれたのでしょうか?もしかしたら昔は実在の生き物だったかも?

 この様に不思議な云われをもつ龍ですが当社に来た龍もそういう意味では不思議な縁を持っているのかも知れません。何だか見ていると「しっかりせんかい!」と叱られている(笑)様な気がして仕方ないのですが「龍」さんこれから宜しくお願いします。

2012/04/10

春の訪れ

 寒かった今年の冬も漸く寒波が弱まってきて少しずつ春の兆しが感じられる様になってきました。そこでまだまだ桜には早かったのですが先日、女房と二人で身延山にある日蓮宗の総本山である久遠寺の枝垂れ桜を見に行く事にしました。

 元々、昨年完成した五重塔を見に行きたかったのですが中々踏ん切りがつかずにグズグズしていたのですが良い機会なので余り混む桜の満開時期をずらして行ってみる事にしました。

 当日はそれでも交通規制が敷かれていて近くの公共施設に臨時駐車場が用意されており一般の車はそこに止めてそこから臨時巡回バスで行くようになっていました。久遠寺の入り口のバス停でバスを降り、そこから徒歩で入り口に向かいます。お土産屋さんが軒を連ねた商店街では路上ライブが行われており中々華やいだ雰囲気でした。しかし!問題はそこから先でした。

 本堂に行くには300段近い石段を登るかそれを迂回して男坂・女坂と呼ばれる坂道をぐるぐる上るかの2通りですが「折角来たんだから石段を登ろうよ」と言う事になりえっちら、おっちら上る事にしましたがこれが結構キツイ!手摺に捉まりながら途中、何度か休憩を入れてゼーゼーいいながら二人でやっと登り切りました。日頃の運動不足がモロに足に来てしまいました。

 石段を登り切ったところに五重塔が建っておりその正面に本堂がそびえたっています。日蓮上人の仏舎利堂はその本堂の裏手に建てられていましたがどの建物もさすが日蓮宗の総本山らしくとても立派で目を見張るものばかりでした。

 特に建物のそこかしこに装飾された彫り物は素晴らしく龍を始め象や亀・鳳凰といった彫刻がいたるところに配置されて、まるで久遠寺全体を守っている様に見受けられました。

 館内を二人でくまなく見て回り、前から一度乗ってみたかったロープーウエイにのって更に上の身延山の頂上にも行ってみました。頂上に整備された遊歩道を歩くと南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳が一望できる展望台がありそこから勇壮な日本屈指の名峰が見渡せて素晴らしい景色でした。

 特に目の前に広がる連峰の間に日本の背骨となるフォッサマグナが横たわっているという解説を読むと唯でさえ話題となっている将来起こるであろう巨大地震の事が思い起こされて少し感慨深いものがありました。

 日蓮上人はこの山頂にほぼ毎日の様に登られて一度も里に下りなかったそうです。我々俗人はそうもいかないので(笑)早々に下山するべくロープウエイ乗り場に行くと下りのロープウエイは桜にはまだまだ早いにも関わらず長蛇の列で最後尾に並んでから乗れるまでに30分ほど掛かりました。

 漸く下りのロープウエイに乗り込み麓の駅につくとそこに待っているのは上りで苦労した石段です。私は自慢じゃありませんが高所恐怖症なのと上りの石段で足がバテバテになり下っていると膝が笑ってしまいガクンときそうなのでこんどは試しに坂道を下ってみる事にしました。

 しかし下りの坂道も結構な勾配なので今度は足を滑らせて尻もちでもつきそうで、それはそれで結構気を使いました。ようやく山門の入り口まで降りてきたらライブ演奏をしていたバンドの前には既に人影が無くスタッフと思しき人が何とか盛り上げようと拍手を送っていました。

 帰りは土産物屋さんで名物の身延饅頭を自宅用と会社用に購入し車の中でバラで買ったやつを口に入れて食べながら運転してきました。

 北杜市の地元には日本の天然記念物指定第1号となる武川町山高の実相寺の境内にある樹齢推定2000年の神代桜がありますがこのお寺も日蓮宗のお寺だと後で知り今更ながら驚きました。

 身延山久遠寺の桜は多分、今週末から来週にかけてが見頃になると思います。実相寺の神代桜はそのもう少し後になるかも知れませんね。今年は故郷、高知城の桜が久しぶりに日本で一番早い開花宣言を受けて良かったな~と思いましたが八ヶ岳南麓の桜はまだまだこれからが見頃を迎えます。皆さん長く桜を楽しみたかったら八ヶ岳にお越し下さい。

2012/03/31

子育て完了!

 今から32年前に女房と結婚して3人の子供を授かりました。最初の長男が生まれた時に自分が親になるという事がどういう事なのか全く実感がないまま親になってしまい、あれから32年、今年末っ子の3番目の次男が大学を卒業してこの就職難の時代になんとか就活に成功して社会人として巣立っていきました。これにて子育て完了と相成りました。

 子育てといっても私は全く親としては失格だったと思っており女房からもいつも「私がどれだけ苦労したか(笑)」と今でも責められています。それほどあまり子煩悩な親とは決していえない父親でした。

 川崎に住んで居る時には子供達が小さかったのとサラリーマンで週休2日制だったので父親失格とはいいながらもそれなりに子供達を連れてキャンプに行ったり散歩にいったりデイズニーランドにいったりと世間並みの父親の勤めはある程度はしていたかなと思います。

 長男は電車が大好きで近くの田園都市線の駅までいつも子供用のおもちゃの乗り物にのって私に手をひかれて長い事、駅の上の橋で長い時間飽きもせずに電車を見て何事か叫んでいました(笑)

 長女は生まれた時から背が高くて小・中・高校とバレーボールの選手を続ける頑張り屋さんでした。小学校高学年までは毎日の様に一緒にお風呂に入っていたのですが何故かある日を境にぷっつり一緒にお風呂に入らなくなり(笑)それからは距離を置く様になった気がします。父親の宿命ですかね。それでもいつかは一緒にバージンロードを歩く事になるのかなと心の奥底に秘めていた思いが昨年、とうとう現実になってしまいました。

 そして少し年の離れた末っ子の次男、子供は2人で終わりと思っていたのが八ヶ岳に移住すると決めた途端にひょっこりと授かってしまい、それだけに末っ子でもあり兄弟の中では一番親に手を掛けられた子供でした。3月生まれだったので同じ学年の子供達の中ではいつも一番小さくて頭の毛も天然パーマでクリクリだったので色んな人に可愛がられました。

 昔、近所の美術館のスタッフの女性がいつもこの子を可愛がってくれていてうちの子も「ネエネエ」と彼女の事を呼んでなついていました。その女性が退職する事になり我が家に挨拶にこられ「最後に一度だけこの子とデートさせて欲しい」と頼まれました。その女性は一日我が家の末っ子を抱いてデートを楽しみ心の整理をつけたようでした。その方とは今でも親交があります。

 3人の子供はすっかり大人になり今ではこちらが色々な相談を子供達に持ちかけて世話になっています。何せ今の時代は進歩が速くて私達には付いていけないので子供達に教わらないと時代に取り残されてしまいますからね。

 3人の子供達が私の事をどう思っているか知りませんが3人の子供を授かった時に私は授かった子供3人―親2人で1人余り・・・だから動物としては子孫を残す役目は取り敢えず果たしたのかなと思いました。変な話ですが本当にそう思ったのです。というのは結婚してから直ぐに女房が身体を壊して医者からは「子供は出来ないかも知れないのでそう思っておいて下さい」と宣言されていたので覚悟だけはしていたのです。

 女房とも「別に子供だけが夫婦の目標じゃないんだから子供が出来なければお金が溜まるから一杯遊べるね」と話していたのも束の間、3人も子供を授かってしまいお陰でうちは一生貧乏になってしまいました(爆笑)。

 まあ、しかしその代わりデッカイ子供が3人も出来たので良しとしなくてはなりませんね。3人の子供達が全員、大人になって出て行ったのでこれからは夫婦2人で楽しく暮らして行こうと思います。

 熟年離婚というのも流行だそうですので何とか女房に捨てられないようにご機嫌を伺いながら過ごして行きます。3人の子供達にはそのうち最後はお世話に又なるかも知れませんがなるべく迷惑を掛けないように暮らしていくつもりです。巣立っていった子供達、これからはお父さんにお小遣い頂戴ね(笑)。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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