2012/07/28

「甲府でもやるじゃん」原発反対デモ参加顛末記

IMAG0115毎週金曜日の夜、官邸を取り巻く市民による原発反対運動ですが昨日、山梨でも「甲府でもやるじゃん」という原発反対運動が始まり参加してきました。

 私は正直、このような反対デモに参加した事がありませんでした。特に参加そのものに否定的だった訳ではなく都合がつかなかったり体調が悪かったりしただけの事ですが今回は思い切って都合をつけて参加する事にしました。

 地元の駅前駐車場に車を置いて電車で甲府駅に行き外に出ると既に多くの人達が駅前に集まっていました。見廻すと知り合いの方達も何人か参加しておられて挨拶をしている内に何となくスタッフに引きずり込まれてしまい(笑)いつの間にかデモ行進の最後尾の誘導員になってしまい、幟を2本と誘導棒を持って最後尾から「原発はんた~い!」と声を上げながらついて行きました。

 地元の大学生から「卒業論文で原発反対運動を取り上げているんですが、ちょっとお話を聞かせて貰えますか?」とアンケートの様なものに協力したり、新聞社の方に「あなたの事知ってます」と言われて何で知ってんの?と思ったりしながら歩いて行きました。

 我々の世代は学生運動がちょうど収束を迎えた頃で大学に行くとちょっとだけその名残があったりした程度で実際に学生運動に参加して活動した事は私は無いので実際の当時の雰囲気は報道でしか知りませんが今回の原発反対運動のデモに関してはとても平和的で市民的な行動だと感じました。

 途中、私に「あの~自転車を押しながらでも参加しても良いですか?」とOLさんと思われる2人連れが話かけて来ました。「どうぞどうぞお入り下さい」と私の前に入ったのですが、どうやら新聞社の方達の目に止まったらしく数社の新聞社の方にインタビューされてちょっと気の毒でした。

 子供連れで参加しているお母さん達は「ちゅかれた~」という子供達にお菓子を与えたり脱水にならない様に水分を補給させたりしていて、それを見ていると本当に参加されている母親達は子供達の未来を案じていると強く感じました。

 途中、東京電力の甲府支店の前でシュプレヒコールを上げて数人の方が個人的にメッセージを読み上げましたがその中の一人のお母さんのメッセージが心に響きました。「私の主人は東北電力の社員です。震災後も現地に留まり必死で仕事に取り組んでいます。私は主人と別れて暮らしています。電力会社の人には本当に今迄、有難うと言いたいです。でも原発はもう厭です。」というような事を仰っておられました。どうやら子供さんの為に離れて暮らしておられるようでした。

 この毎週金曜日に各地で行われている原発反対運動については賛否両論、色々な意見があると思います。私自身も今迄色々な事情があったにせよ参加してこなかったのには何か心の中に迷いがあったのではないかと思います。

 今回は私は自分の為に参加しました。何か自分の中で行動や形で意見を表明しないと後悔する気がしたからです。元々、原発には反対でした。原子力そのものにも人間が越えてはいけない領域を感じていたからです。

 しかし、何も行動せずに今迄、暮らしてきたと言う事は賛成していたと言われても仕方ない事です。確かに、もしかしたら人間の知恵は自分が思っている以上に素晴らしくて原子力の平和利用も本当は可能なのかも知れないと心の隅には思っていたかも知れません。

 でも昨年の3月11日以降、やはり自分の考えは間違っていたと思い知らされました。間違っていたと知ってしまった以上、やはり自分で出来る事をする責任があると痛感しました。もともとノンビリした性格なので余りこういう活動は得意ではないのですがやはり行動しなければならないと思いました。

 この活動に批判的な方やメデアの論調は「扇動されている」とか「売名行為」だとか「どうせ変わらない」「電力がなくては暮らしていけないのが分っていない」といったものが多い様な気がします。私はそれを否定するつもりはありません。でももし、現状を変えたいのなら今、何も声を上げなければ間違いなく原発再稼働は止まらないし、ましてや原発の廃炉や自然エネルギーへの転換は進まないでしょう。

 今迄は「政府が何とかしてくれる」「どうせ何も変わらない」「誰かが何とかしてくれる」と思っていた人は多いと思います。でも昨年の3月11日以降、日本は変わり始めました。「このままじゃいけない」「政府は我々の代弁者じゃなかった」「最先端技術が想定出来ない事故が起こる事が実際にあって誰もそれを止められない」そんな思いの人達がこのデモに参加しているのだと思います。もしくは、たとえ参加する人達の思いはそれぞれ違っても目標は一つ、原子力発電所の廃止です。私は今後も自分で出来る行動をしていくつもりです。

2012/07/21

デジタル化と猿

私は自分が読んだ本の履歴をパソコンの中に残しています。そのシリアルナンバーが先日700番を越えました。じつはもっと多いのだけど一度、パソコンのHDを駄目にしてしまい記録がすっ飛んでいってしまいその前のデータがすっかり分らなくなってしまいました。

 サラリーマンの頃は通勤時間が片道2時間半近く掛かっていたのでもっと多くの本が読めていたのできっと今の倍以上の本を読んでいたと思います。八ヶ岳に移住してきてからは逆に本を読む時間が取れなくなってしまい大体、寝る時に数十分位読むだけになってしまいました。だから、1冊を読むのに凄く時間が掛かってしまっています。

 それでも出張に行く時や高知への帰省の時の移動時には欠かせないアイテムになっています。

 その本が最近デジタル化されてネットで配信されるようになり読書のシーンも大きく変わろうとしています。そうなってしまうと新刊本の印刷の匂いだとか装丁の手触りだとか挿絵の楽しみとかはどうなってしまうのでしょうかね?

 一度、デジタル本にもトライしてみたのですが途中で何となく面白くなくなってしまい挫折してしまいました。きっと慣れればどうって事無いのかも知れませんがどうもページをめくる楽しみとか残りのページの厚みが減っていく寂しさ(笑)とかはデジタル本ではなかなか味わえないのだろうなと思います。

 確かに端末が1台あれば何でも読めるので便利だし重くて嵩張る本を持ち歩かなくて良いのでそれは便利だろうと思いますけどね。

 それから本と同じくミュージックシーンでもデジタル化が進み、昔みたいにレコード店(今、そんな言い方しないか(笑))に行かなくてもネットで楽曲が買えるしアルバムの中の好きな曲だけをダウンロード出来たりするのでとても気安くアーテストの曲を手に入れる事が出来る様になりそれは私にとってはとても便利な事になっています。

 私の森の中の棲家にもとうとう先日、光ケーブルが引かれてとても通信速度が上がってそれはそれでとても便利になりました。こんな自然一杯の中の不便なところに住んでいると居ながらにしてショッピングが出来たり情報が読めたりメールが瞬時にやり取り出来たりするのは本当に有難いことです。

 誰のお陰でこんなに便利になったのか知りませんがデジタル化の波は我々、中年連中にも確実に押し寄せてきています。木の関係の知人にも昨年までキーボードを打つことさえ出来なかった方がパッドを持ち歩きfacebookを閲覧し、写真を撮って掲載するなんて事が出来ちゃう世の中になってきたのですからその進化たるや凄いですね。

 私も決してこの手のものは得意ではないのでいつも最後にヨタヨタと世の中の流れに取り残されないようについて行くのが精一杯でとてもそのスピードについていけない状態です。

 仕事上でもCAD化の波にはすっかり取り残されて未だに手書きのスケッチしか描けないという情けない状態です。

 もう直ぐロンドンオリンピックが始まりますがスポーツの世界でもデジタル化の波はどんどん進んでおり競技選手のフォームのチェックや訓練プログラムの作成、メデイカルチェック、それに審判の判定にもデジタル映像によるチェックが正式に認められる競技が段々増えてきました。

 これも時代の流れなんでしょうね。デジタル機器によるこれらスポーツ全般に渡るサポートはその技術レベルを上げ判定を正確にするのに多大な貢献をしています。なんて書くと何だかレポートを書いているみたいになりますがつまりは今迄アナログでやってきた事をデジタル化することでより正確に効果を上げられると言う事ですが裏をかえすと、だから人間は間違える動物であると言う事です。

 もっと言うと間違えるから人間なのです。ある著名な哲学者が言いました「自然は決して間違えない、間違えるのはいつも人間である。」そう人間は過ちを犯すのです。でも人間は反省も出来ます。私なんか自慢じゃないけど失敗→反省→失敗→反省の繰り返しの反省人生です(笑)

 「自然は決して間違えない」だけど時として自然は残酷で容赦のない厳しさを人間に与える事もあります。その時、何故そうなったのか人間は過ちを反省して繰り返さないようにしなければなりませんね。反省だけなら猿でも出来る・・お後が宜しいようで・・・・

2012/07/16

我が故郷高知に想う

 母の介護の為に高知に帰っていましたが漸く八ヶ岳に戻って来ています。母には申し訳ないけど「又、何かあったら駆けつけるからね」と言い聞かせて戻ってきました。

 高知はもう直ぐ夏祭りを迎えます。知る人ぞ知る「よさこい祭り」。最近は派手なパフォーマンスダンスで有名な「よさこい鳴子踊り」が祭りのメーンイベントですが私が高知に居る間も高知のメイン通りとなる「はりまや橋商店街」では踊りの練習が夜遅くまで行われていました。

 私も学生時分に2度程踊った事がありますが当時は今ほど派手なパフォーマンスはなく正調の「男踊り」と「女踊り」があってその踊りの正確さとパフォーマンスの良さで審査員から踊っている最中に首にメダルを掛けて貰っていました。この「よさこい踊り」は高知の町中を練り歩くのですがその中に審査員のいる審査会場が含まれていて、その会場の中を通る時に審査員が踊り子達を評価して個人の賞と団体の賞を決めるのです。

 「よさこい祭り」はこの「よさこい鳴子踊り」と花火大会がメインですが市内を流れる河原に打ち上げられる花火を見ながら屋台を見て廻るのが高知の暑い夏の風物詩でした。

 最後に「よさこい祭り」を見たのはいつ頃になるだろう?多分、学生の頃だから30年以上も前の事になると思います。あれから長い月日がたって高知の中心部となるはりまや橋付近のアーケード街もすっかり雰囲気が変わってしまってしまいました。

 私達が「とでんデパート」と呼んでいた「はりまや橋」の直ぐ近くにあった高知の商店街の核となるデパートは既になくなって取り壊されてしまい。今は大手資本によるパチンコ屋さんに変わってしまいました。「とでん」といっても「都営電鉄」の略ではなく「土佐電鉄」の略ですので誤解のなきよう(笑)

 アーケード街の店の様子もすっかり変わってしまい私が学生時代に毎年アルバイトをしていたカバン屋さんも店を閉めてしまい今は新しいファッション関係の店に変貌していました。当時、お世話になった店長さんからも「定年退職致しました」という年賀状を頂いてはいたのですが実際に自分の目で懐かしい店の変貌をみると感慨深いものがありました。確か女優の広末涼子の実家の店もアーケード街の中にあったと記憶しています。

 それでも当時と変わらないものもあります。それは路面電車です。それこそ「とでん」なのですがそのチンチン電車の「行先表示」に「御免(ごめん)」と「伊野(いの)」というのがあり「ゴメンね」「イ~ノ」と引掛けて一時期、県外で珍しがられた時もありました。

 このチンチン電車は世界各地の路面電車のボデイを借りてきて造ったものと昔ながらのボデイのものがあり、更に最近はアンパンマン号も走っていて子供達の人気者になっています。今はJR高知駅にも直結して昔からの便利な市民の足として今も昔も変わりなく走り続けています。

 それから最近、気になったのは高知は川があちこちに流れているのですが高知駅前の小川には何故か大きな鯉が放流されていて、いたるところで群れをなして泳いでいます。誰が何の目的で放流しているのかは知りませんがかなりの数が泳いでいます。

 高知駅前には高知橋という橋が掛かっていて高知駅からはりまや橋に向かうと通る橋になっていますがこの下を流れるのが江ノ口川です。この川はお世辞にも綺麗な川ではなく私の子供の頃からドブ側でした。

 今でも相変わらず汚いのですが昔よりは幾分綺麗になったようです。そんな事もこの鯉の放流に影響しているのかも知れませんね。

 高知の陸の玄関、高知駅は昔とはすっかり変わって珍しい木造の高架駅になっています。まだ、完成してそれ程経ってなくてこれから駅前開発が進んでいくのだと思います。

それから変わっていないのが土佐の高知の心意気です。昔から比べると静かになったとはいえ相変わらず高知県民は酒が好きで酒が入ると天下国家を論じて大声で怒鳴り合いながら賑やかに飲み交わします。この光景だけは昔も今も変わらないようで県外の方が始めて高知県民と飲み会の席に同席したらきっとビックリすると思います。

 流石に昔の映画の1シーンの様に「なめたらいかんぜよ!」なんてタンカを切る事は少なくなりましたが、全く男も女も煩くてろくに横の人の声も聞こえない程になります。良いか悪いかは別としてこれだけは変わらないですね(笑)

 我が故郷高知、これからどんな風に変わっていくのかは分りませんが何時までも平和な町でいられる事を祈っています。

2012/07/05

現代外科病棟の人間模様

 田舎の母が先日、お世話になっている施設で転倒してしまい足と手を骨折して市内の病院に搬送されてしまいました。

 朝、食事に下りてこないので不審に思ったスタッフの方が部屋に見に行ってくれたらベッドに腰掛けてボー然としている母を見つけてくれたそうです。

 直ぐに救急病院に運んで頂いて手術する事になりました。何せ一人暮らしでお互い離れて暮らしているので急に何かあっても駆けつける事が出来ないので事情を説明してオペを担当してくれる先生と電話でやりとりが始まりました。「それでは現在の状態から説明します。レントゲン写真の結果は・・・・と延々と丁寧に状況を説明してくれて手術に関わるリスクと効果を分り易く説明してくれました。

 その後、緊急を要するとの判断で電話で手術への同意と輸血への同意を先生と第3者ということで看護師の方に同意する旨を伝えて取り敢えず緊急の対応をすませて直ぐに田舎に帰るべく色んなところへの仕事の手配と交通手段の段取りと様々な事をすまして翌日、夫婦で病院に駆けつけました。

 病院に着いて母の病室を訪ねるとナースセンターの直ぐ脇の6人部屋との事、大体、ナースセンターの直ぐ近くと言う事はナースさん達が直ぐに気がつく様に何らかの事情がある病人が収容されているケースが多いと聞いているのでハハ~ンと思い病室へ行くと一番奥に母が居ました。

 電話で事前に様子を聞いていたので想像はついていたのですが予想どうりの状態でした。満面の笑顔を振りまきながら「えらい事やったね~大丈夫かえ?」と声を掛けた母の様子は点滴の針を抜いたり怪我をした手首に巻いたギプスを器用に外してしまった前科に看護師さんがあきれ果てて手には手袋をはめて動けなくされた哀れな状態でした。

 笑ってはいけないけど予想どおりの状態なので余計、満面の笑顔を振りまく事になりました。

 しかし、ナースセンター脇の6人部屋はそんな生易しい患者さんの部屋では無かったのです。母の斜め前の患者さん。歳は母より少し若いかと思われるオバちゃん。これが凄いクレーマー患者さん。

 「お姉ちゃん!痛いちゃ~!はよ~来て!いや参った!いと~てかなわん!はよ~来て!」と叫んでいる。最初は事情が分らないので大丈夫かな?と心配したのだけど廻りの患者さんも看護師さんも完全無視の状態なので何か訳があるのだろうなと思ってはいたのですがこれが本当に凄い!

 食事をするのにも、点滴をかえるにも、お尻のオムツを替えるもの全て3人掛かり、何日かして私も慣れてきては居たのですがある日の午後、例によって「おねーちゃん!痛~い!はよ~来て!」「○○さん、どうした?いや?これはどうした事?何で裸になっちゅうが?いや!点滴も外してしもうてどうしたが?」

 「いた~い!はよ~外して!」「○○さん、これを外すとあなたは死ぬかも知れんよ。苦しくなっても良いの?ダメでしょ。ハイ、頑張って戻すよ!」「いや~!私に触るな~!」「いや!何で人の顔を足で蹴るの!いくら何でもそんな事したらダメでしょ!」「バシッ!」「アッ!何で叩くの?オムツを替えてるだけじゃないの!そんな思い切り叩いたら私ら痛いよ!」「ガンッ!バシッ!」「厭っ!○○さん私も病院勤務長いけど、オムツ替えるのに顔を足蹴にされたのは初めて!皆、一生懸命あなたの為に頑張ってるのにそんなことしちゃダメでしょ!」「・・・・」

 なんて会話が一日に何度も繰り返される。しかもこの方、大人しそうな看護師さんとみるとかさに掛かって叫ぶのである「痛~い!」その癖、処置が終わって皆がいなくなると暫くして

 「誰かおらん?いや困った、痛いのに誰もおらんろうか?おねえちゃん?いや困った・・・」と小声でノタマウのだ。

 これを一日、傍で聞いているといくら仕事とはいえ看護師さん達の仕事とは本当に激務だなと感心してしまいます。

 母も昨年も同じ病院に救急車で運ばれてお世話になっているので病院勤務のお医者さんや看護師さんの仕事ぶりには頭が下がります。世間ではとかくメデイアで問題のある病院や医者の事ばかりが報道されていますが実際の外科病棟の一日は本当に命との戦争です。

 母の元にも担当の医師や看護師さん、看護師長さん、栄養士さん、リハビリ担当、ソーシャルワーカーさん等、多くのスタッフが様子を見に来てくれます。認知症で少しスタッフの方には迷惑かけますが母が治るまで宜しくお願い致します。

2012/06/24

森の音、色、匂い

 森の中に住んでいると自然の音や色・匂いに敏感になります。森の中には都会の様に車や電車等の騒音がないので聞こえるのは自然が放つ音だけなんて事が普通なので段々耳が敏感になります。

 例えば自宅の傍の森の中を歩いている時、冬の間は冷たい八ヶ岳下ろしの北風が木々を揺らす音だったりするし、春から夏にかけてのこの季節は雨上がりの朝など煩いほどの鳥の鳴き声が森の中に溢れ、まだ生まれたばかりの幼鳥がうまく鳴けなくて「ケキョケキョ」言ってみたり美しい甲高い声でさえずる小鳥の声だったり猛禽類のタカ達が上空から威嚇する鳴き声等が空から降ってきます。

 鳴き声ではないけれどもキツツキ達が木の幹をつつく「ドラミング」という音も凄いですよ。木の中にいる虫を探したり巣穴を掘ったり求愛行動の一つとも言われていますがその音は「ダダダダダ・・」と本当にドラムを叩くような凄い音がします。我が家も何度かつつかれ家の中にいてもビックリして飛び出しそうな音です。

 それからもう少しすると煩い程の蝉の合唱が始まります。昨晩は森の中を流れる小川からカエルの鳴き声が聞こえていました。時々夜中にも「ギャーギャー」とキツネが騒ぐ声がしますがこれはまるで人の叫び声にそっくりで初めて聞いた方はビックリすると思います。

 又、「キュン!」という金切り声みたいな音は鹿が仲間に危険をしらせる警戒音です。反対に冬のシンシンと雪が降る日は辺りが全くの無音の世界に包まれます。雪が音を吸収して音が全く反響しなくなるのです。

 それから森の色、これは季節によって本当に美しい変化を見せてくれます。冬の間は水墨画の様に単色の「黒」と雪の「白」に包まれていた森が春先に一日一日と新緑の世界に変わっていくのは毎日見ていても本当に凄い勢いで緑に変わっていって生命力の息づきを感じます。

 又、夏から秋にかけては森の木々が美しく化粧を施したようにハッとするような赤や黄色の世界に変化していって本当に美しい姿を見せてくれます。

 もうひとつ匂い、これは一番、感じるのは雨上がりの草いきれの匂いです。ムッとするような若葉の匂いが森の中に漂い森の木々が雨をタップリと吸い込み太陽のエネルギーを受けて喜んでいるような力強さを感じます。

 都会に住んでいる皆さん、人工的はものがまるでない森の中には本当の自然の色や音や匂いが溢れていますよ。時々はそういうものを感じて人間も森の中の生き物の一部にしか過ぎないのを改めて感じてみませんか?以外とすっきりしますよ。あっ!これを森林浴というのか!そうか・・・

2012/06/16

電波障害と蟻攻撃

 いよいよ関東甲信越地方も梅雨入り宣言となりジメジメと鬱陶しい日々が続いています。この時期になると我が家は色々と支障が出てきます。

 先ず、今年は地上デジタル放送に全面的に切り替わって初めての梅雨を迎えますがこれが又映らないのですね~昨年、総務省の難視聴地域の支援をしてくれるデジサポさんに来て貰って調査して貰った時には「問題なく映る筈です」と言われてしまいました。

 そうなのです。晴れて風がなければ問題無く映るのです。ところがこれが雨が降ったり風が吹いたりすると映らなくなってしまうのです。森の中に住んでいるので木々が揺れると電波障害を起こしてしまうのです。雨が強い時も駄目ですね。

 これは色んなところに陳情して相談するのですが中々分って貰えなくて解決しそうもありません。基本的に難視聴地域の対応は今年の3月末で終了したそうでその後、総務省の担当窓口にも相談してるのですが丁寧に対応はしてくれるのですが手の打ちようがないので我が家はアナログ時代は全チャンネルが映っていたのにデジタル化された途端に全ての地上波が映らない日があるというTV難民になってしまいました。

 一番困るのが台風とか天候が悪化した時の気象情報が入って来ないという事なんですがそれ以外はマア最近、面白い番組もないしBS放送の方が面白い番組が多いのでそれならそれで良いのですが映らないのに某放送局のみに料金をとられるのにちょっと抵抗があります(笑)

 もう一つは蟻さんが家の中に入ってくるという事です。森の中なので当然、蟻も大勢一緒に(笑)住んでいるのですが普段、外に巣を造って住んでいる蟻達が雨がふると我が家の中に逃げて来るのです。

 気持ちは分るのですが(笑)こちらも迷惑だし噛まれると痛いし連中、何せ数が圧倒的に多いので1匹や2匹ならまだ良いのですが何百、何千となると話は別です。

 しかも今は我が家に小さな赤ちゃん(初孫)が同居しているので速やかに退散して貰わないと困るのであの手この手で退治しています。

 この梅雨があけると暑い夏がやってきます。今年の夏はどうなるのでしょう?子供たちの明るい笑い声が沢山聞ける明るい夏になってくれると良いな。

2012/06/11

今だからこそ言います「原発再稼働に反対です!」

 やはりこの事を避けて通れないと思うので今迄敢えて書かずに来たけど言わせて貰います。野田首相は原発の再稼働を発表しました。国民生活を犠牲に出来ないという理由でした。その言葉に凄く違和感を感じます。

 国民の為?国民とは誰の事をさすのでしょうか?原発推進派の事情を持つ国民の為でしょうか?それとも福島第一原発の事故で避難を余儀なくされている国民でしょうか?皆、国民ですね。国民の中にも原発再稼働に賛成する人も、反対する人も勿論います。現在の状態で全ての国民が納得出来る判断は難しいと思います。

 しかし、これが福島原発の事故直後のように非常時ならどうでしょう?それでも国民の為に原発を稼働し続けると言えるのでしょうか?私は今が非常事態だと思います。やはり日本で原子力発電所を稼働させてはいけなかったのです。いや敢えていうなら原子力技術開発そのものが人類が手を出してはいけない領域の科学技術だったのではないでしょうか?

 以前、最先端技術開発の異種業種のシンポジウムに参加させて頂いた事があります。タイトルは「科学技術と人間」というものでした。シンポジウムの内容は「科学技術の進歩は人間を幸せにしたか?」というものでした。

 今迄の歴史を振り返ると人類の最先端科学技術の開発は最終的に結局、最先端兵器の開発に使われてきました。日本は世界で唯一の原子爆弾の被爆国です。原子力技術はその使い方次第で人類を滅亡させる凶悪な最終兵器にもなるし膨大なエネルギーで繁栄をもたらしてもくれます。

 だからこそ人は迷うのだと思います。表裏一体のリスクとメリットを持った巨大なエネルギーだといえます。しかし、日本は世界の中で唯一その裏側の悪魔の姿を見届けた国です。だからこそ日本の国民はそのリスクについて世界に警告すべきではないでしょうか?

 今や、日本はその表の顔だけを取り上げてそれをビジネスにしてしまい逆に世界にその技術を輸出さえしてしまっています。だからこれだけの大災害を引き起こしながらそれでも尚、ひたすら裏の顔を隠して安全神話を必死になって唱えなくてはならないのでしょう。

 今の、総理大臣もその権力の座をおりて一人の庶民となった時にやはり再稼働が正しいと本当にいえるのでしょうか?将来、東南海、南海、東海沖の地震が連動して起こった時に万が一、今回の福島のような原発事故が起これば日本国は壊滅的な被害を受ける可能性があると思います。

 命より大事な価値って何でしょう?お金でしょうか?日本の国土を失うかもしれないのに何故再稼働なのでしょうか?

 今こそ、原発から自然エネルギーにシフトしその技術を必死になって開発・実践し世界唯一の被爆国であり巨大地震で原発事故を引き起こした当事国として安全なエネルギーへの転換をアピールすることこそ日本の務めでありそれこそが日本が世界にむけて発信すべきメッセージだと私は思います。

 全ての日本人に広島原爆資料館を訪れて欲しい。そしてもう一度良く考えて欲しい。今の政府は私達国民を守ってくれません。私達が自分達の子供を守らねばなりません。

2012/06/04

色々ありましてお久しぶりです(笑)

 何だか近頃、イベントやら会議やらでやたら色々と右往左往しており「森の囁き」がアップ出来ずにごめんなさいでした。やっと一段落しましたので今日、アップしています。

 エ~ト何から話そうかと思いましたが取り急ぎ一番目は新しい小さな家族が増えました!昨年、結婚した我が家の長女に赤ちゃんが出来て何と!私がお爺ちゃんになってしまいました。初孫は女の子でした。

 自分に子供が授かり父親になった時も何だか実感が持てなかったのですがまさか自分の人生の中でお爺ちゃんと呼ばれる時がくるとは思いませんでした。そりゃ、当然自分の子供に赤ちゃんが生まれれば爺ちゃんなり婆ちゃんになるのは理屈では分かっているのですが実感としてお爺ちゃんになる自分が想像出来なくて・・・兎に角、今は長女が1週間前に生まれたばかりの孫を育てに我が家に帰って来ているので家の中では元気な赤ちゃんの泣き声が響き渡っています。

 一番、影響を受けたのは我が家の猫娘と猫息子かも知れません。何せ今迄、我儘しほうだいだったのが変なオギャ~オギャ~と煩い生き物が家の中に突然来て自分達は一挙に邪険に邪魔にされてベランダに放り出されています(笑)しかし、我が家にとってはそりゃ今のところ初孫第一なので暫く猫達は我慢なのです。

 それから我が家に光ケーブルが引かれました。20数年前に森の中に家を建てた時にはNTTに電話して「電話を引いて欲しい」と頼むと「空いている回線がないのでお宅に電話をひくのは1年くらいは待って貰う事になりますね」と言われた事が夢の様な話です。

 家電量販店を通じて光ケーブルの工事を予約して先週末、漸く工事のお兄ちゃんが我が家にやって来ました。工事車輛に乗って我が家にきたお兄ちゃんに「ログハウスなので既存の電話配線のルートからはケーブルが入らないので屋根のあそこからこっちにケーブル引いて床下を通ってこっちに穴開けて通してくれる?」と説明すると「分かりました。やってみます」と気軽に応じてくれたお兄ちゃんは外部の電柱に登って既存光ケーブルの分岐から始めて手際よく作業を進め2時間程で工事は終わりました。

 20数年前の頃と比べて格段の変化です。今の日本の技術の進歩は素晴らしいですね。こんな山の中に住んでいながら光ケーブルで外部とインターネットで繋がるのですから信じられない事です

 それからこの時期は何故かイベントが目白押しで出来るだけ余計な事には首を突っ込まないように(笑)しているつもりなのですが1週間の間に月曜日は私が主催の婚活イベントを八ヶ岳ですませ、火曜日に東京ビックサイトで翌日から開催されるイベントの搬入にビックサイトに行きそのまま3日間の会期中に2度ビックサイトに行きブースを訪れてくれたお客様の相手をして金曜日に八ヶ岳に帰ってきて土曜日に次の日曜日の八ヶ岳高原サイクリングのスタッフとして景品や自転車の運搬につかうレンタカーを引き取りに行き、日曜日は朝4時半起きでサイクリングのスタート場所に準備に行きそのままゴールの夕方まで最後尾の自転車の後ろで後方支援を行い、最後はゴール後のBBQ大会の準備やら何やらで終わったのは午後6時頃でした。

 何だか怒涛のような1週間でした。やれやれです。これからちょっと落ち着いて仕事をしようと思います。それでも今週末は又、自社のイベント開催するのですが(笑)これから漸く高原にも夏の日差しがさしはじめます。

2012/05/18

サラバ友よ・・

 昨年末に亡くなった友人にお別れをしてきました。八ヶ岳に来る前に一緒に同じ会社で勤めていた同僚で退社後は九州の佐賀県に移住して暮らしていました。

 突然の悲報を昨年末にやはり同じ会社に勤めていた同僚から聞かされ直ぐにでも葬儀に参列しに行きたかったのですがどうしても都合が付かず漸く先週、時間がとれたのでお別れをしに行ってきました。

 知らせてくれた広島に現在、住んでいるその同僚と3人で昔は良く週末に飲みに行っていました。何でも話せる友人の一人でした。

 お互いに良く飲み歩いているうちに何となく3人とも同時期に前の会社を退社する決心をし別の人生を歩むという道を3人、それぞれが選択したのも偶然ではなかったと思っています。

 あれから20数年経ちお互いに年賀状のやり取りや時々、佐賀名産のミカンを送って貰ったりのやり取りが続いていましたがあれから一度も会う事はありませんでした。

 まさかこんな事になるとは思ってもいなかったのですが、今更ながら彼が暮らしていた佐賀の海辺の町の風景を見て、ご家族にもお会いして彼がどんな暮らしを送っていたのかが知りたくて、そして何より自分の心の中でのケジメをつけたくて行ってきました。

 彼の住んでいた佐賀の海辺の町は美しい町でした。お墓も海の見える丘の上に建てられていました。奥様も息子さんや娘さんもしっかり元気に暮らしておられました。

 帰りに近くの駅まで送って下さった家族の皆さんがなかなか帰ろうとしないので「ありがとうございました。これで私は気が済んだのでどうぞお帰り下さい」と何度も何度もお願いして漸く帰って貰いました。

 帰りに新幹線でもう一人の同僚だった友人が住んでいる広島に寄り「昔の様に一人欠けちゃったけど飲もうよ」という事になり、広島の繁華街に行き、飲み屋のカウンターに座ると彼が「取り敢えずビール、それからコップ3つ」と頼んだので「ウン?」と思ったのですがビールが届くと「○○さんの分」といって二人の間にコップを置いてビールを注ぎました。

 姿は見えなかったけど久しぶりに3人で飲んで楽しい時間を過ごしました。彼と別れ際に「お互い、生きてるうちに又、会おうね」と言って別れました。寂しいけれど何か気持ちの整理が出来てホッとしました。

 友よ、サラバ・・・

2012/05/05

GWのひとり言

 今年も私の嫌いな(笑)GWがやってきました。昨年のGWは東日本大震災の影響で自粛ムードが広がった反動で八ヶ岳には多くの観光客が集まりました。今年はどうかな?と思っていたら今のところ知り合いの地元の店の人に聞いたらさほどでも無い様な話でした。

 それでも森の中には車を止めて双眼鏡を取りだして楽しそうに鳥の姿を追い求めるバードウオッチャーの姿が多く見受けられました。私なんか朝、新聞をとりに行くのに森の中の道を歩いていると見知らぬ方が道の真ん中に三脚を立てて一所懸命、鳥の姿をカメラに収めておられるので何となく近くを通るのが気の毒に思いながら小声で「おはようございます」と声をかけると向こうの方も小声で挨拶を返してくれました。

 そこでフト気付きました。今更なんですが森の中で毎日過ごしている私にとっては当たり前の風景、それは小鳥の声だったり樹木が風で揺れる音だったり、新緑の美しさだったりが実は普段、都会で暮らしている人達には貴重な自然とのふれ合いの時間なんだな~と・・・私自身も20年前に都会に住めなくなって八ヶ岳に移住してきたのですが段々、こちらの生活に慣れてしまって自分達の生活を取り巻いている普段の光景が当たり前の事になってしまいましたが20年前はこの自然豊かな八ヶ岳の地に憧れてほとんど逃げるように来てしまったんだな~と言う事を思い出してしまいました。

 だからこそ、この貴重な自然を大切にしていかなくてはならないのだと、本当に今更ながらGWでこちらに楽しみに来られる人達を見ていると思いました。それは住んでいる我々の務めでもあると思います。

 話は変わりますが先日、ある方と話しをしている時に面白い話を聞きました。それは、ニューヨークに住んでいるその方の知人のアメリカ人が何年振りかに日本を訪れた時に日本人の印象が随分変わってしまったというのです。それは以前、日本に来た時に見た日本人の顔と比べて随分、悪くなったと言う事です。それはたまたまその方が訪れた場所の方がそうだったのか、それとも個人の感覚の違いなのか分かりませんが昨年の東日本大震災や長引く経済不況の影響も、もしかしたら有るのかも知れません。

 何れにしても昨年の3/11以降明らかに何かが変わろうとしている事を私も感じています。それがもしかしたら普段、日本に住んでいる者には分からない日本人の顔の変化として海外から来られた方には感じられたのかも知れませんね。

 今年、我が家のコブシの木はほとんど花を付けませんでした。コブシの花が満開になる時は暑い夏が来ると聞くので今年は以外と冷夏になるのかな何て事をコブシの木を見上げながら感じています。

 変わって良いもの、変わってはいけないものがあると私は思います。変わって良いもの、それは時代の変化に伴う価値観や文化。変わってはいけないもの、それは自然を畏れ尊ぶ心。一見、相反する考えのようですが実は同じ様に考えていかなくてはならない事のように思います。

 先日、新聞の記事で瀬戸内寂聴さんが原発再稼働に反対して経済産業省の前でハンガーストライキに参加された事を知りました。瀬戸内氏が生きてきた人生の中で今が日本人にとって最悪の時期だと感じておられるという記事でした。今、私達が未来の子供達に出来る事を責任を持って一歩踏み出さなくてはならない時にきっと差し掛かっているのだろうなと私も思います。何てことをGWの森の中で考えてしまいました。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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