2012/09/25

耳をすまして・・

 か~ん。今年も屋根の上に秋の訪れの音が聞こえてきました。森の中に住んでいると都会と違って人工的な音は一切しません。自然が奏でる自然の音しか聞こえてきません。だから、私は都会に出ると頭が痛くなってしまいます。

 秋が近づくこの頃、森の中はシ~ンとして何一つ物音が聞こえません。ところがある時期がくると途端に賑やかになってきます。一つはドングリの落ちる音、屋根の上に大きなドングリが落ちてきて「カ~ン」と大きな音を立てます。特にドングリの当たり年になると次から次からカンカンと煩いくらい落ちてきて運が悪いと森の中の小道を歩いていると頭の上にゴツン何て事もあります。

 雨上がりの朝、明け方近くまで大雨が降っていたのに朝になるとカラッと晴れ上り気持ちの良い朝。陽が射しているのに上からポタポタ雨が落ちてきます。昨晩降った雨が木々の葉っぱの上に残り、それが風に吹かれてバラバラと落ちて来るのです。これも晴れてるからと思ってうっかり大木の下を歩いているとビショヌレ何て事もあります。

 そして秋も深まると今度は空からカサカサと奇妙な音がし始めます。そう、枯葉が落ちて来る音です。都会ではそんな音は聞こえないと思いますが他の音が全くしない森の中では枯葉が風に舞って他の葉に当たりながらカサカサと音を立てながらゆっくりと落ちて来ます。

 夜、得体の知れない音がする時もあります。先日も夜も更けた頃、家のお風呂場の外でカサカサ大きな音がします。まるで人間が外を歩いている様な音です。「誰か外にいるんじゃない?見てきてよ」と女房が言うので懐中電灯を手に外に出て森の中を照らしても誰も居ません。「誰もいないよ」といって家の中に入り暫くすると又、ガサガサ外を誰か歩いているような音が・・・きっと鹿かキツネだと思いますが外をウロウロしている音が聞こえて来ました。マア都会なら大変な騒ぎになるかも知れませんが森の中には色んなものが棲んでいるので(笑)気にもせず寝てしまいました。

 仕事で都会に泊まる事も多いのですが一番気になるのが救急車とパトカーが鳴らすサイレンの音ですね。昔は全然、平気だったのに森の中に住む様になって滅多に聞く事がない音なのでいつも「ドキッ」としてしまいます。

 最近は玄関で変な奴が私の帰りを待っています。デッカイ「ガマガエル」です。何故か玄関の階段の所に座って待っています。暗いと中々気が付かないので踏みつぶさないか心配なのですが何故か毎日、そこで出迎えてくれます。こいつが夜になるとゲロッゲロッと煩く鳴きます。近くに小川が流れているので多分、そこから通ってくるのだと思いますが、我が家の周りには蛇も棲んでいるので食べられなければ良いのですが(笑)

 それからこれは全然違う話ですが先日、知りあいの方で東京で「江戸噺」を主宰されている方が「八ヶ岳でやるので聞きに来ませんか」と誘って頂き女房と二人で聞きに行きました。

 近くの知り合いの方の居間を借りて高座に仕立てて目の前でほぼ独占状態で聞かせて頂きその声に聞き惚れました。その時、私が思ったのはテレビやパソコンやDVDが発達してスピーカーを通しての音声を聞く機会はもの凄く多くなったけど一昔前まではこうやって皆で演芸場に行って江戸の人情噺を直に人の声で語るのを聞くのが数少ない娯楽だったのだろうなという事でした。

 それが逆に新鮮で、人の声で直に物語を語るのを直接、生で聴くという事が現代ではとても貴重な機会になってしまったんだなと感じました。

 造られた音を楽しむのも良いけれどたまに自然が奏でる自然の音や人が語る物語を静かに観賞するのも秋の楽しみ方としてはとても癒されますよ。

2012/09/16

一日早くなってない?

 最近、めっぽう一日が早く感じられて仕方ありません。ものの本によると人間は年齢を重ねるに従って一日が短く感じるようになるそうですが私も最近めっぽう一日が短くて困っています。

 何が困るかというと一日にできることが少なくなってきたような気がします。まあ、動きも鈍くなったし(笑)仕方ないのですが昔はとにかく走らないと気がすまないというか気がつくと走っているという事が多くてゆっくり歩くなんて出来ませんでした。

 それがこのところはめっちゃ動きが鈍いというか走っていない!(笑)マッ仕方ないので最近は開き直って心で「一歩づつ、一歩づつ」と言い聞かせてとにかく今、やらなくてはイケナイ事を「一歩づつ」を家訓としております。

 そうしないと本当に何もしないうちに一日が終わってしまいますからね。出来る事は頑張る出来無いことは「明日にする」もしくは「諦める」(笑)こんな事絶対、他人には勧められませんがね・・・ところがこれが以外と気持ち良いのです。

 「無理しない」というか「無理出来無い」を自分の中に受入れてしまうとこれが気持ち良いのです。あっ誤解の無いように言っときますが決して「怠ける」とか「サボる」という意味ではないですからね。全力をつくすのですが「急がない」という意味ですから。そこのところ誤解なきようにお願いしますね。

 朝起きて、カーテンを開けて、朝食を女房と一緒に作り、新聞をとりに森の外に散歩に行って帰って来てから歯を磨き、愛車にのって会社に出かけ、一日頑張ったらもう夕暮れ、帰って夕食、食べてお風呂入ってTV見たらもう寝る時間、ちょっと寝る前に布団の中で読書をして気がつけがもう次の朝・・・こんな平凡が毎日なんですけど、フト気づきました。

 これって一番幸せな事じゃないのかな?健康で食事が出来て好きな仕事に没頭出来てつかれて寝る。これ以上の幸せって無いのじゃないかな・・・と。

 そんな事、皆さん考えた事ありませんか?私は最近こんな事を良く考えるのですけど、これってやはり加齢のせい?

2012/09/02

老人介護の今

 先週、母の次の入居先探しの為に故郷、高知に再び帰って来ました。6月に今までお世話になっていた施設内で転倒して大腿骨と手首を骨折してしまい、入院して手術をしその後、別の病院に移転してリハビリを続けていました。

 しかし、認知症の患者の傾向として急激な環境の変化は患者に大きな混乱を引き起こさせるケースが多くて母の場合も今迄の環境と大きく変わってしまった為に退院して元の施設に戻るのは困難になってしまいました。

 今迄の母の様子を見てきて何となく予想はしていた事でしたが、いざ実際に事態に直面してみるといかに自分にそういう知識と認識が足らなかったか思い知らされました。

 サア、それからが大変。私がどうしても仕事の都合で中々日程調整が出来ないので女房が一旦先に帰って入院先の病院のソーシャルワーカーさんと打ち合わせをして次の入居先の候補リストを頂いて来て2,3の施設の様子を見てきてくれました。

 その後、やっと都合がついたので先週、私が帰ってそのリストに載っている施設と自分のツテで探した施設を片っ端から廻って入居が可能かどうか探して廻りました。母の様なケースでは次の入居先の候補となるのは所謂「グループホーム」と呼ばれる施設なのですが高齢化社会を迎えた日本では絶対的に施設数が不足しており私も19箇所の施設を廻りましたが全然、空いていなくて大体6,7人待ちの状態で、これでも少ない方らしいです。

 見学して廻った19箇所の施設もそれこそ千差万別で民家の様なところを改装したところやマンションの中だったり、木造の杉の香りが一杯の新しい感覚の施設や立派なホテルの様なところもありました。どこも基本的には集団で日常生活に近い状態で老後の生活を見守り必要な介護を行える様に工夫してありました。

 施設を見学して思ったのは圧倒的に女性が多いと言うことです。ほとんどの施設が女性が8割以上といった感じで中には女性のみというところもありました。一体、日本のお爺ちゃん達はどこに行ったのでしょうね?ていうかやはりお婆ちゃんの方が元気だという事でしょうか・・何となく寂しい気もしました。

 母の様なケースでは一般的には入居希望先の施設に入居申し込みをして部屋が空くのを待つのですが、現在の日本の病院事情ではそれまで入院して待っていることは困難なので一旦、介護老人保健施設という所へ移転してリハビリを続けながら施設の空くのを待つのだそうです。ところがその介護老人保健施設というところも空きが中々なくて漸く友人のツテで探した施設に入居出来る事になり来週再度、高知に帰って引越しをする事になりました。ヤレヤレです。

 しかし、考えてみるともうすぐ自分達も同じ様な年齢を迎えきっと同じような苦労をするのだろうなと言うことが容易に想像出来てしまいます。

 少子高齢化の時代を迎えた日本、幸せな老後を安心して迎える事が出来るような国に変わっていけるかが大きな課題になりそうです。政治家の皆さん党利党略なんぞで無駄な時間を費やしている場合ではありませんよ。来るべき大地震への備えや原発問題等、多くの課題を抱えて日本も変わらなくてはならない時に来ています。

 国民一人ひとりが意識を持って政府に頼らないで国民が政府を動かす仕組みをもった国に生まれ変わらなくてはならないですね。な~んて事を山梨から高知までの電車の中で考えておりました。

2012/08/20

暑かったね今年の夏、

P1010278

 今年の夏も暑さのピークを過ぎ朝晩は少し秋の気配が漂う涼しい風が吹く様になってきました。

 しかし、年々暑くなってくるような気がしますが今年の夏もなんだか暑かったですね。今年の夏は母の入院があったりオリンピックがあったりでばたばたしているうちに終わってしまった感じです。

 今年、ふと感じた事は「木陰の恵み」です。今年の夏も暑かったけど我が家は森の中にあるログハウスなので申し訳ないけど家の中はそれ程暑くならないし夜だってエアコンもいらずに快適に寝られてありがたい事です。

 ある日、ふと庭に出て我が家を眺めていると当然のように森の木々の影が我が家に影を映していました。そうか!森の恵みはこんな所にもあるんだ・・・と「今更何言ってんだ」という話ですが、その今更に気が付いてしまったのです。

 世間ではエアコンの温度を上げろとか照明を減らすだとか色々、節電対策を苦労して実践しているのですが有難い事に我が家では大きな森の木々が影を造って我が家を守ってくれています。これは本当に有難い事ですね。都会にももっと木々を植えて森を造ってやれば電気を使わずに涼む事が出来ますね。

 それから年々多くなるのは集中豪雨の被害です。温暖化による異常気象が進むとどうしてもゲリラ豪雨のように短時間に大量の雨が降る事により多くの被害が生まれてしまいます。森の中でもあまりにも集中して短時間に雨が大量にふるので土の保水力の限界を越してしまい土砂災害を引き起こしてしまいます。これは森の中に住む人間として恐ろしいです。

 幸い、私の住んでいる辺りは八ヶ岳の南麓ですがそれほど勾配のきついところではないので土砂災害の危険性はさほど心配しなくてもよさそうです。

 暑かった今年の夏、皆さんはどのように過ごされましたか?

2012/08/15

森林セラピー専門医

画像 041

 東京から友人の森林セラピー専門医の女医さん達3名が八ヶ岳に遊びに来てくれました。

 森林セラピー専門医とは新しく出来た医療制度で、まだ日本には20名程しかいないそうです。今迄、どちらかというとボランテイア的な捉えられ方をしていた森林を拠点とした自然療法ですがいよいよ医療の現場としてその効果が認識されてお医者様が森林セラピーとして医療活動として森林の癒し効果を治療の現場に取り組んでいく活動が始まります。

 私はその活動にとても期待しています。自分が都会での暮らしの中で生活のリズムを崩してしまい辛い思いをした経験があるのでもし、その時にこういう治療方法を受けていれば又、違う暮らしが出来たかもしれません。

 人間が都会に暮らし始めてからの年月は長い人間の歴史の中ではつい最近の事です。それまでは人間は森で穏やかに暮らしていたのですがその内に人間は「道具」を生みだし、「狩り」を行い、「火」を起し、食物を「栽培」する術を習得しそして次第に自然環境を壊し自分達が暮らしやすい環境を生みだし、産業革命をもたらし都会を形成してそこに集団で住むようになりました。

 しかし、もともと人間は森の中で暮らした時間が長かったのです。だから人間のDNAにはその記憶が蓄積され、それがあまりにも早い環境の変化に追いつかずに知らないうちに人間のストレスとなって体調の変化をもたらすのではないかと私は思っています。

 勿論、ひとによって感じ方は様々ですので都会大好き、山の中は嫌いなんて人も当然いる訳で私はそれを否定するつもりは全くありませんし、自分自身も都会の真ん中でサラリーマン生活を普通に過ごし、学生時代からを含めると14年程東京で普通に毎日、満員電車に揺られて通勤し暮らしていた時はこんな事は全く考えませんでしたからね。

 でも私はある日、体調を崩してしまい突然、都会の生活に拒否反応を感じてしまい、それが耐えられないくらいのストレスになってしまったのです。その原因は色々あると思うのですが残念ながらその時は対処療法はありませんでした。いわゆる「自律神経失調症」みたいな診断をされてしまい、多分それしか言いようがなかったのだと思いますが自分もそれで納得してしまいました。

 しかし、その時に対処療法として森林セラピー専門医のような制度があり、それを試す事によって自分の体のリズムがどう変化するかを診断する事が出来ればもっと早く自分の体調への理解を深める事が出来て自分なりに病気とどう取り組んでいくべきか判断出来たかも知れません。

 今の世の中はストレス社会だと思います。ちょっとした事で怒りが爆発し人々はパンパンに心の容量が膨れて余裕がない様に感じます。そんな時に森林セラピー専門医の方の問診を受けてちょっと森の中に入りその懐に抱かれれば少し心の容量が広がる様に思います。

 その為には森の看護師さんも必要になるかも知れません。それは今、正に森の中で自然ガイドをされている様な人達が森の看護師さんになるのかも知れません。期待しています。森林セラピー専門医、頑張れ!

2012/08/06

ITオリンピック

 4年に一度の世界のアスリート達の祭典オリンピックがイギリスで開幕しました。私は元々スポーツを見るのが大好きなのでオリンピックはたまらない楽しみです。

 学生の頃は陸上部だったので男子100m走のウサイン・ボルトの走りは驚愕の思いです。私達の現役の頃は100m走の人類の限界は人間の体が受ける風圧と脚力の関係から9秒6と聞いていたので彼の走りは人類の限界を越える走りとしか思えません。正に人類最速の男ですね。

 しかし、今回のオリンピックの運営を見ていて気になるのは競技の判定にIT化が進みジャッジが正確になるのは凄く良いことだと思うけどその為に競技が中断されたりするのは何となく拍子抜けしてしまいます。

 陸上競技の100m走も私達の頃は当然、IT機械なんてないのでストップウオッチで計測するのですが、これが人によって押すタイミングが違うので微妙にずれるのです。

 当時はゴールラインに測定員がいてスターターのピストルが発射された時に出る「煙」を見てストップウオッチのボタンを押して計測していました。スタートラインからゴールまで当たり前ですが100mあるのでピストルの音を聞いてからストップウオッチを押していたのでは遅くなるのです。だからせいぜい10分の1秒位までしか出せませんでしたが今は100分の1秒まで測定できるのですから凄い進歩ですね。

 フライングも当時は2回までOKでしたが今は1回で失格なので厳しくなりました。スターテイングブロックという選手がスタートする時に足を乗せる機械にセンサーが付いていてそれでピストルがなってからどの位で反応したか分るし勿論フライングしたかも分る仕組みになっています。

 今大会で私が知っている限りではその他の競技でIT判定を採用しているのは水泳、フェンシング、柔道、テニス、自転車、体操等、多くの競技でIT機器が使われています。

 しかし、今大会の柔道で使われている映像判定にはちょっと違和感があります。それは柔道という競技の中で主審1人と副審2人という一番近くで見ている3人の審判の存在価値が失われる可能性があるからです。

 勿論、正確を期すのは当然だと思いますが際限なく機械に判定を委ねるのは逆に競技の進行を妨げるだけになるのではないでしょうか?テニスの様にプレー中に1回だけ映像判定を求める事が出来るとかにしないとその内に審判は要らなくてそれこそロボットが判定する(笑)時代が本当にくるかも知れません。

 私がスポーツ観戦が好きなのはそこに嘘がないからなんです。口はぼったい言い方をするならそこに筋書きの無いドラマがあるからたまらんのです。競技するのが生身の人間だからそこに色々なハプニングや番狂わせがあるから楽しいのです。

 それは誤解を覚悟でいえば裁く側の人間にも言える事です。人間だからミスジャッジもする可能性がある。だからそこにドラマが生まれる。そのミスジャッジでその人の人生が変わるなんて話も本で読んだ事があります。

 たった1球のストライクかボールかの判定がそのボールを投げたピッチャーの人生を変える事さえあるかも知れません。だけどそれが人間なのです。

 過去に柔道のミスジャッジだとかサッカーの神の手と言われるミスジャッジだとか既に伝説になるような話もあります。日本でも長嶋選手の天覧試合でのサヨナラホームランがファールだったなんてのもそうですよね。

 きっとその場面にIT機器が採用されていたら、その場面に関わった人達は違った人生を送ったかも知れません。私はひねくれているのでその辺の曖昧な人間味のある出来ごとが実は大好きなのです。

 確かにIT機器がその場にあって正確な判定ができていたなら違った展開にはなったと思いますが、なかったからこそ真相が最後まで分らないという、いかにも人間臭いドラマが生まれるのです。エッ?いい加減にしろ?ハイ、今日はここまでにします。あ~でもだからオリンピック大好き!

2012/07/28

「甲府でもやるじゃん」原発反対デモ参加顛末記

IMAG0115毎週金曜日の夜、官邸を取り巻く市民による原発反対運動ですが昨日、山梨でも「甲府でもやるじゃん」という原発反対運動が始まり参加してきました。

 私は正直、このような反対デモに参加した事がありませんでした。特に参加そのものに否定的だった訳ではなく都合がつかなかったり体調が悪かったりしただけの事ですが今回は思い切って都合をつけて参加する事にしました。

 地元の駅前駐車場に車を置いて電車で甲府駅に行き外に出ると既に多くの人達が駅前に集まっていました。見廻すと知り合いの方達も何人か参加しておられて挨拶をしている内に何となくスタッフに引きずり込まれてしまい(笑)いつの間にかデモ行進の最後尾の誘導員になってしまい、幟を2本と誘導棒を持って最後尾から「原発はんた~い!」と声を上げながらついて行きました。

 地元の大学生から「卒業論文で原発反対運動を取り上げているんですが、ちょっとお話を聞かせて貰えますか?」とアンケートの様なものに協力したり、新聞社の方に「あなたの事知ってます」と言われて何で知ってんの?と思ったりしながら歩いて行きました。

 我々の世代は学生運動がちょうど収束を迎えた頃で大学に行くとちょっとだけその名残があったりした程度で実際に学生運動に参加して活動した事は私は無いので実際の当時の雰囲気は報道でしか知りませんが今回の原発反対運動のデモに関してはとても平和的で市民的な行動だと感じました。

 途中、私に「あの~自転車を押しながらでも参加しても良いですか?」とOLさんと思われる2人連れが話かけて来ました。「どうぞどうぞお入り下さい」と私の前に入ったのですが、どうやら新聞社の方達の目に止まったらしく数社の新聞社の方にインタビューされてちょっと気の毒でした。

 子供連れで参加しているお母さん達は「ちゅかれた~」という子供達にお菓子を与えたり脱水にならない様に水分を補給させたりしていて、それを見ていると本当に参加されている母親達は子供達の未来を案じていると強く感じました。

 途中、東京電力の甲府支店の前でシュプレヒコールを上げて数人の方が個人的にメッセージを読み上げましたがその中の一人のお母さんのメッセージが心に響きました。「私の主人は東北電力の社員です。震災後も現地に留まり必死で仕事に取り組んでいます。私は主人と別れて暮らしています。電力会社の人には本当に今迄、有難うと言いたいです。でも原発はもう厭です。」というような事を仰っておられました。どうやら子供さんの為に離れて暮らしておられるようでした。

 この毎週金曜日に各地で行われている原発反対運動については賛否両論、色々な意見があると思います。私自身も今迄色々な事情があったにせよ参加してこなかったのには何か心の中に迷いがあったのではないかと思います。

 今回は私は自分の為に参加しました。何か自分の中で行動や形で意見を表明しないと後悔する気がしたからです。元々、原発には反対でした。原子力そのものにも人間が越えてはいけない領域を感じていたからです。

 しかし、何も行動せずに今迄、暮らしてきたと言う事は賛成していたと言われても仕方ない事です。確かに、もしかしたら人間の知恵は自分が思っている以上に素晴らしくて原子力の平和利用も本当は可能なのかも知れないと心の隅には思っていたかも知れません。

 でも昨年の3月11日以降、やはり自分の考えは間違っていたと思い知らされました。間違っていたと知ってしまった以上、やはり自分で出来る事をする責任があると痛感しました。もともとノンビリした性格なので余りこういう活動は得意ではないのですがやはり行動しなければならないと思いました。

 この活動に批判的な方やメデアの論調は「扇動されている」とか「売名行為」だとか「どうせ変わらない」「電力がなくては暮らしていけないのが分っていない」といったものが多い様な気がします。私はそれを否定するつもりはありません。でももし、現状を変えたいのなら今、何も声を上げなければ間違いなく原発再稼働は止まらないし、ましてや原発の廃炉や自然エネルギーへの転換は進まないでしょう。

 今迄は「政府が何とかしてくれる」「どうせ何も変わらない」「誰かが何とかしてくれる」と思っていた人は多いと思います。でも昨年の3月11日以降、日本は変わり始めました。「このままじゃいけない」「政府は我々の代弁者じゃなかった」「最先端技術が想定出来ない事故が起こる事が実際にあって誰もそれを止められない」そんな思いの人達がこのデモに参加しているのだと思います。もしくは、たとえ参加する人達の思いはそれぞれ違っても目標は一つ、原子力発電所の廃止です。私は今後も自分で出来る行動をしていくつもりです。

2012/07/21

デジタル化と猿

私は自分が読んだ本の履歴をパソコンの中に残しています。そのシリアルナンバーが先日700番を越えました。じつはもっと多いのだけど一度、パソコンのHDを駄目にしてしまい記録がすっ飛んでいってしまいその前のデータがすっかり分らなくなってしまいました。

 サラリーマンの頃は通勤時間が片道2時間半近く掛かっていたのでもっと多くの本が読めていたのできっと今の倍以上の本を読んでいたと思います。八ヶ岳に移住してきてからは逆に本を読む時間が取れなくなってしまい大体、寝る時に数十分位読むだけになってしまいました。だから、1冊を読むのに凄く時間が掛かってしまっています。

 それでも出張に行く時や高知への帰省の時の移動時には欠かせないアイテムになっています。

 その本が最近デジタル化されてネットで配信されるようになり読書のシーンも大きく変わろうとしています。そうなってしまうと新刊本の印刷の匂いだとか装丁の手触りだとか挿絵の楽しみとかはどうなってしまうのでしょうかね?

 一度、デジタル本にもトライしてみたのですが途中で何となく面白くなくなってしまい挫折してしまいました。きっと慣れればどうって事無いのかも知れませんがどうもページをめくる楽しみとか残りのページの厚みが減っていく寂しさ(笑)とかはデジタル本ではなかなか味わえないのだろうなと思います。

 確かに端末が1台あれば何でも読めるので便利だし重くて嵩張る本を持ち歩かなくて良いのでそれは便利だろうと思いますけどね。

 それから本と同じくミュージックシーンでもデジタル化が進み、昔みたいにレコード店(今、そんな言い方しないか(笑))に行かなくてもネットで楽曲が買えるしアルバムの中の好きな曲だけをダウンロード出来たりするのでとても気安くアーテストの曲を手に入れる事が出来る様になりそれは私にとってはとても便利な事になっています。

 私の森の中の棲家にもとうとう先日、光ケーブルが引かれてとても通信速度が上がってそれはそれでとても便利になりました。こんな自然一杯の中の不便なところに住んでいると居ながらにしてショッピングが出来たり情報が読めたりメールが瞬時にやり取り出来たりするのは本当に有難いことです。

 誰のお陰でこんなに便利になったのか知りませんがデジタル化の波は我々、中年連中にも確実に押し寄せてきています。木の関係の知人にも昨年までキーボードを打つことさえ出来なかった方がパッドを持ち歩きfacebookを閲覧し、写真を撮って掲載するなんて事が出来ちゃう世の中になってきたのですからその進化たるや凄いですね。

 私も決してこの手のものは得意ではないのでいつも最後にヨタヨタと世の中の流れに取り残されないようについて行くのが精一杯でとてもそのスピードについていけない状態です。

 仕事上でもCAD化の波にはすっかり取り残されて未だに手書きのスケッチしか描けないという情けない状態です。

 もう直ぐロンドンオリンピックが始まりますがスポーツの世界でもデジタル化の波はどんどん進んでおり競技選手のフォームのチェックや訓練プログラムの作成、メデイカルチェック、それに審判の判定にもデジタル映像によるチェックが正式に認められる競技が段々増えてきました。

 これも時代の流れなんでしょうね。デジタル機器によるこれらスポーツ全般に渡るサポートはその技術レベルを上げ判定を正確にするのに多大な貢献をしています。なんて書くと何だかレポートを書いているみたいになりますがつまりは今迄アナログでやってきた事をデジタル化することでより正確に効果を上げられると言う事ですが裏をかえすと、だから人間は間違える動物であると言う事です。

 もっと言うと間違えるから人間なのです。ある著名な哲学者が言いました「自然は決して間違えない、間違えるのはいつも人間である。」そう人間は過ちを犯すのです。でも人間は反省も出来ます。私なんか自慢じゃないけど失敗→反省→失敗→反省の繰り返しの反省人生です(笑)

 「自然は決して間違えない」だけど時として自然は残酷で容赦のない厳しさを人間に与える事もあります。その時、何故そうなったのか人間は過ちを反省して繰り返さないようにしなければなりませんね。反省だけなら猿でも出来る・・お後が宜しいようで・・・・

2012/07/16

我が故郷高知に想う

 母の介護の為に高知に帰っていましたが漸く八ヶ岳に戻って来ています。母には申し訳ないけど「又、何かあったら駆けつけるからね」と言い聞かせて戻ってきました。

 高知はもう直ぐ夏祭りを迎えます。知る人ぞ知る「よさこい祭り」。最近は派手なパフォーマンスダンスで有名な「よさこい鳴子踊り」が祭りのメーンイベントですが私が高知に居る間も高知のメイン通りとなる「はりまや橋商店街」では踊りの練習が夜遅くまで行われていました。

 私も学生時分に2度程踊った事がありますが当時は今ほど派手なパフォーマンスはなく正調の「男踊り」と「女踊り」があってその踊りの正確さとパフォーマンスの良さで審査員から踊っている最中に首にメダルを掛けて貰っていました。この「よさこい踊り」は高知の町中を練り歩くのですがその中に審査員のいる審査会場が含まれていて、その会場の中を通る時に審査員が踊り子達を評価して個人の賞と団体の賞を決めるのです。

 「よさこい祭り」はこの「よさこい鳴子踊り」と花火大会がメインですが市内を流れる河原に打ち上げられる花火を見ながら屋台を見て廻るのが高知の暑い夏の風物詩でした。

 最後に「よさこい祭り」を見たのはいつ頃になるだろう?多分、学生の頃だから30年以上も前の事になると思います。あれから長い月日がたって高知の中心部となるはりまや橋付近のアーケード街もすっかり雰囲気が変わってしまってしまいました。

 私達が「とでんデパート」と呼んでいた「はりまや橋」の直ぐ近くにあった高知の商店街の核となるデパートは既になくなって取り壊されてしまい。今は大手資本によるパチンコ屋さんに変わってしまいました。「とでん」といっても「都営電鉄」の略ではなく「土佐電鉄」の略ですので誤解のなきよう(笑)

 アーケード街の店の様子もすっかり変わってしまい私が学生時代に毎年アルバイトをしていたカバン屋さんも店を閉めてしまい今は新しいファッション関係の店に変貌していました。当時、お世話になった店長さんからも「定年退職致しました」という年賀状を頂いてはいたのですが実際に自分の目で懐かしい店の変貌をみると感慨深いものがありました。確か女優の広末涼子の実家の店もアーケード街の中にあったと記憶しています。

 それでも当時と変わらないものもあります。それは路面電車です。それこそ「とでん」なのですがそのチンチン電車の「行先表示」に「御免(ごめん)」と「伊野(いの)」というのがあり「ゴメンね」「イ~ノ」と引掛けて一時期、県外で珍しがられた時もありました。

 このチンチン電車は世界各地の路面電車のボデイを借りてきて造ったものと昔ながらのボデイのものがあり、更に最近はアンパンマン号も走っていて子供達の人気者になっています。今はJR高知駅にも直結して昔からの便利な市民の足として今も昔も変わりなく走り続けています。

 それから最近、気になったのは高知は川があちこちに流れているのですが高知駅前の小川には何故か大きな鯉が放流されていて、いたるところで群れをなして泳いでいます。誰が何の目的で放流しているのかは知りませんがかなりの数が泳いでいます。

 高知駅前には高知橋という橋が掛かっていて高知駅からはりまや橋に向かうと通る橋になっていますがこの下を流れるのが江ノ口川です。この川はお世辞にも綺麗な川ではなく私の子供の頃からドブ側でした。

 今でも相変わらず汚いのですが昔よりは幾分綺麗になったようです。そんな事もこの鯉の放流に影響しているのかも知れませんね。

 高知の陸の玄関、高知駅は昔とはすっかり変わって珍しい木造の高架駅になっています。まだ、完成してそれ程経ってなくてこれから駅前開発が進んでいくのだと思います。

それから変わっていないのが土佐の高知の心意気です。昔から比べると静かになったとはいえ相変わらず高知県民は酒が好きで酒が入ると天下国家を論じて大声で怒鳴り合いながら賑やかに飲み交わします。この光景だけは昔も今も変わらないようで県外の方が始めて高知県民と飲み会の席に同席したらきっとビックリすると思います。

 流石に昔の映画の1シーンの様に「なめたらいかんぜよ!」なんてタンカを切る事は少なくなりましたが、全く男も女も煩くてろくに横の人の声も聞こえない程になります。良いか悪いかは別としてこれだけは変わらないですね(笑)

 我が故郷高知、これからどんな風に変わっていくのかは分りませんが何時までも平和な町でいられる事を祈っています。

2012/07/05

現代外科病棟の人間模様

 田舎の母が先日、お世話になっている施設で転倒してしまい足と手を骨折して市内の病院に搬送されてしまいました。

 朝、食事に下りてこないので不審に思ったスタッフの方が部屋に見に行ってくれたらベッドに腰掛けてボー然としている母を見つけてくれたそうです。

 直ぐに救急病院に運んで頂いて手術する事になりました。何せ一人暮らしでお互い離れて暮らしているので急に何かあっても駆けつける事が出来ないので事情を説明してオペを担当してくれる先生と電話でやりとりが始まりました。「それでは現在の状態から説明します。レントゲン写真の結果は・・・・と延々と丁寧に状況を説明してくれて手術に関わるリスクと効果を分り易く説明してくれました。

 その後、緊急を要するとの判断で電話で手術への同意と輸血への同意を先生と第3者ということで看護師の方に同意する旨を伝えて取り敢えず緊急の対応をすませて直ぐに田舎に帰るべく色んなところへの仕事の手配と交通手段の段取りと様々な事をすまして翌日、夫婦で病院に駆けつけました。

 病院に着いて母の病室を訪ねるとナースセンターの直ぐ脇の6人部屋との事、大体、ナースセンターの直ぐ近くと言う事はナースさん達が直ぐに気がつく様に何らかの事情がある病人が収容されているケースが多いと聞いているのでハハ~ンと思い病室へ行くと一番奥に母が居ました。

 電話で事前に様子を聞いていたので想像はついていたのですが予想どうりの状態でした。満面の笑顔を振りまきながら「えらい事やったね~大丈夫かえ?」と声を掛けた母の様子は点滴の針を抜いたり怪我をした手首に巻いたギプスを器用に外してしまった前科に看護師さんがあきれ果てて手には手袋をはめて動けなくされた哀れな状態でした。

 笑ってはいけないけど予想どおりの状態なので余計、満面の笑顔を振りまく事になりました。

 しかし、ナースセンター脇の6人部屋はそんな生易しい患者さんの部屋では無かったのです。母の斜め前の患者さん。歳は母より少し若いかと思われるオバちゃん。これが凄いクレーマー患者さん。

 「お姉ちゃん!痛いちゃ~!はよ~来て!いや参った!いと~てかなわん!はよ~来て!」と叫んでいる。最初は事情が分らないので大丈夫かな?と心配したのだけど廻りの患者さんも看護師さんも完全無視の状態なので何か訳があるのだろうなと思ってはいたのですがこれが本当に凄い!

 食事をするのにも、点滴をかえるにも、お尻のオムツを替えるもの全て3人掛かり、何日かして私も慣れてきては居たのですがある日の午後、例によって「おねーちゃん!痛~い!はよ~来て!」「○○さん、どうした?いや?これはどうした事?何で裸になっちゅうが?いや!点滴も外してしもうてどうしたが?」

 「いた~い!はよ~外して!」「○○さん、これを外すとあなたは死ぬかも知れんよ。苦しくなっても良いの?ダメでしょ。ハイ、頑張って戻すよ!」「いや~!私に触るな~!」「いや!何で人の顔を足で蹴るの!いくら何でもそんな事したらダメでしょ!」「バシッ!」「アッ!何で叩くの?オムツを替えてるだけじゃないの!そんな思い切り叩いたら私ら痛いよ!」「ガンッ!バシッ!」「厭っ!○○さん私も病院勤務長いけど、オムツ替えるのに顔を足蹴にされたのは初めて!皆、一生懸命あなたの為に頑張ってるのにそんなことしちゃダメでしょ!」「・・・・」

 なんて会話が一日に何度も繰り返される。しかもこの方、大人しそうな看護師さんとみるとかさに掛かって叫ぶのである「痛~い!」その癖、処置が終わって皆がいなくなると暫くして

 「誰かおらん?いや困った、痛いのに誰もおらんろうか?おねえちゃん?いや困った・・・」と小声でノタマウのだ。

 これを一日、傍で聞いているといくら仕事とはいえ看護師さん達の仕事とは本当に激務だなと感心してしまいます。

 母も昨年も同じ病院に救急車で運ばれてお世話になっているので病院勤務のお医者さんや看護師さんの仕事ぶりには頭が下がります。世間ではとかくメデイアで問題のある病院や医者の事ばかりが報道されていますが実際の外科病棟の一日は本当に命との戦争です。

 母の元にも担当の医師や看護師さん、看護師長さん、栄養士さん、リハビリ担当、ソーシャルワーカーさん等、多くのスタッフが様子を見に来てくれます。認知症で少しスタッフの方には迷惑かけますが母が治るまで宜しくお願い致します。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム