2012/05/01

「モノ造り」という文化

 私達のように木造建築を生業としているものにとって法隆寺の最後の宮大工、西岡常一氏は神様のような存在です。もう日本には昔のように寺に専属でついている宮大工は西岡さんが最後だったかも知れません。

 今でも勿論、宮大工さんは居られるのですが所謂その寺に専属で仕える宮大工さんは日本にはもう居ないと思います。というか、もう宮大工では生計が立てられない世の中になってしまったのです。

 もともと西岡さんもそうですが宮大工は決してお金を貰って他人の家を建てると言う事はしない大工さんなのです。西岡さん自身も自分の家は大工さんに造ってもらったそうです。それくらい自分の仕事に拘りを持っておられたし、宮大工という職種は特殊な技能集団でもあり自分達が属する寺の事は全て理解している宗教人でもあったのだと思います。

 今、自分達が生業としている建築技術は戦後、海外から持ち込まれたものです。それが今の日本の建築基準法のベースにもなっています。しかし、西岡棟梁達が残そうとした伝統木工法は世界にも類を見ない日本独自の木構造の木組みの技術でその中でも法隆寺は築1300年という世界最古の木造建築と言われています。

 今、日本ではこのような伝統木工法は時代の趨勢とはいえ中々受け入れられず少数派とされています。私達が建てているハンドカットログハウスもそういう意味では少数派に入ります。よく建築士の講習会等にいくとこの伝統木工法とログハウスについてはいつも「例外」として片付けられて悔しい思いをします。その位、今の世の中はスピードと変化を求められています。その裏に存在するのは消費と浪費の文化です。

 国が進める長期優良住宅の制度といっても所詮100年住宅で西岡さんはコンクリートの基礎の上に木造建築を造っても100年は絶対持たないと仰っています。つまり変わらない技術や伝統を尊ぶ文化が今の日本には根づきにくい環境になっているといえます。西岡さん自身もご自分の子供には後を継がせませんでした。代わって小川さんという方が西岡さんの弟子としてその技術を受け継いでおられるのですが小川さんも本当の意味での宮大工は西岡棟梁が最後だったと言われています。

 同じ木を扱うものとして西岡さんの言葉ひとつひとつに感銘を覚え、感銘を覚えれば覚えるほど反対に恥じ入る事ばかりです。今の建築基準法の教えは西岡棟梁の言葉とは正反対の事ばかりです。高気密・高断熱・24時間換気・耐震金物の利用等、全て西岡棟梁の教えとは全く眞逆です。これで本当に日本の木造建築は良いのでしょうか?

 西岡棟梁は「木組は木の癖組」と良く言われます。「木は一つとして同じ木はない。その木の癖を見て組まなければならない」と、しかし、今の日本の建築基準法は木が曲がる事を許しません。金物で補強し木が曲がろうとする力を抑え込み曲がってはいけない工法を求めます。しかし、もともと鉄と木の一番の違いは木には鉄にはない元に戻ろうとする力があるので本当の木の特徴を殺してしまっているのです。

 又、西岡棟梁は木材は山の樹を買うのではなく山全体を買えと言います。その地方に立つ木はその地方の気候に合っているのだからその木を立っていた向きのまま建物に使うのが一番自然で長持ちするとも言われています。

 しかし今、日本の建築は外材に押され海外から綺麗にパッキングされた木材が安価で輸入され市場を席巻しています。このままでは日本の文化といえる木造技術はすたれてしまいます。

 私達は少しでも日本の木の事を知ってもらい次世代の子供達に伝えていかなくてはなりません。荒廃した日本の山を美しい山に戻すには昔の様に山に親しみ日本の山の木で日本の家を造らねばなりません。

 「モノ造り」の手間と技術を理解する文化を大切にしていかないと日本の「モノ造り」の未来は無い様な気がします。ずっと繁栄し続けると信じた日本の経済環境が破綻した今こそ衣・食・住の生活の基盤に「モノ造り」の手間と時間を惜しまない文化が根付く事を願っています。

2012/04/21

龍が来た!

画像 021

今年の干支が辰だからと言う訳ではないのですが今年は「龍」に色々とご縁があり、年初めに初詣を兼ねて知り合いから教えて貰った諏訪大社のいたる所に飾られている龍を見に行ったり地元で「龍」にまつわる面白い話を持っている人達の集まりに参加させて貰ったり、先日は身延山の久遠寺の枝垂れ桜を見にいったら又、いたるところで龍に出会ったりと何故かあちこちで龍に出会う事が多いな~と思っていたら昨日とんでもない龍が我が社を訪れました。

 それが写真の龍の壷なのですがこれは「永見陶節」さんと言われる著名な陶芸家の方が造られた「古編文」という技法で造られた龍壷です。この「古編文」という技法は日本では唯一人この永見さんだけが出来る技法だそうでとても貴重な壷です。

 この壷は当社のお客様からお預かりしたもので当社の守り神をお願いする事になりました。

 龍と言えば昨年日本を訪問されたブータン国王が子供達に残されたコメントが思い出されますがその時、国王は「龍は皆の心の中にいて経験を食べて大きくなる」と仰っていました。そして国王自身も「龍を見た事がある」とコメントされていました。ブータンは龍の国と知られ国旗にも龍が描かれています。そして有名な国民の幸福度、世界一の国です。それには龍が大きな要因を占めているのかも知れません。

 古来より龍は色々な寺院に奉納され信仰の対象とされてきました。ある時は恐ろしい恐怖の対象でもあり、ある時は幸福をもたらす使者ともなります。それ程、人間の心の中の「祈り」を具現化した生き物かも知れません。

 もともと「龍」は龍・麒麟・鳳凰・霊亀の四霊の一つとして知られる中国神話上の生き物ですが日本神話でも八岐大蛇として知られています。

 今年の干支は辰(龍)ですが十二支の中で唯一、実在?しないのが辰(龍)です。何故、十二支の中にこの辰が選ばれたのでしょうか?もしかしたら昔は実在の生き物だったかも?

 この様に不思議な云われをもつ龍ですが当社に来た龍もそういう意味では不思議な縁を持っているのかも知れません。何だか見ていると「しっかりせんかい!」と叱られている(笑)様な気がして仕方ないのですが「龍」さんこれから宜しくお願いします。

2012/04/10

春の訪れ

 寒かった今年の冬も漸く寒波が弱まってきて少しずつ春の兆しが感じられる様になってきました。そこでまだまだ桜には早かったのですが先日、女房と二人で身延山にある日蓮宗の総本山である久遠寺の枝垂れ桜を見に行く事にしました。

 元々、昨年完成した五重塔を見に行きたかったのですが中々踏ん切りがつかずにグズグズしていたのですが良い機会なので余り混む桜の満開時期をずらして行ってみる事にしました。

 当日はそれでも交通規制が敷かれていて近くの公共施設に臨時駐車場が用意されており一般の車はそこに止めてそこから臨時巡回バスで行くようになっていました。久遠寺の入り口のバス停でバスを降り、そこから徒歩で入り口に向かいます。お土産屋さんが軒を連ねた商店街では路上ライブが行われており中々華やいだ雰囲気でした。しかし!問題はそこから先でした。

 本堂に行くには300段近い石段を登るかそれを迂回して男坂・女坂と呼ばれる坂道をぐるぐる上るかの2通りですが「折角来たんだから石段を登ろうよ」と言う事になりえっちら、おっちら上る事にしましたがこれが結構キツイ!手摺に捉まりながら途中、何度か休憩を入れてゼーゼーいいながら二人でやっと登り切りました。日頃の運動不足がモロに足に来てしまいました。

 石段を登り切ったところに五重塔が建っておりその正面に本堂がそびえたっています。日蓮上人の仏舎利堂はその本堂の裏手に建てられていましたがどの建物もさすが日蓮宗の総本山らしくとても立派で目を見張るものばかりでした。

 特に建物のそこかしこに装飾された彫り物は素晴らしく龍を始め象や亀・鳳凰といった彫刻がいたるところに配置されて、まるで久遠寺全体を守っている様に見受けられました。

 館内を二人でくまなく見て回り、前から一度乗ってみたかったロープーウエイにのって更に上の身延山の頂上にも行ってみました。頂上に整備された遊歩道を歩くと南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳が一望できる展望台がありそこから勇壮な日本屈指の名峰が見渡せて素晴らしい景色でした。

 特に目の前に広がる連峰の間に日本の背骨となるフォッサマグナが横たわっているという解説を読むと唯でさえ話題となっている将来起こるであろう巨大地震の事が思い起こされて少し感慨深いものがありました。

 日蓮上人はこの山頂にほぼ毎日の様に登られて一度も里に下りなかったそうです。我々俗人はそうもいかないので(笑)早々に下山するべくロープウエイ乗り場に行くと下りのロープウエイは桜にはまだまだ早いにも関わらず長蛇の列で最後尾に並んでから乗れるまでに30分ほど掛かりました。

 漸く下りのロープウエイに乗り込み麓の駅につくとそこに待っているのは上りで苦労した石段です。私は自慢じゃありませんが高所恐怖症なのと上りの石段で足がバテバテになり下っていると膝が笑ってしまいガクンときそうなのでこんどは試しに坂道を下ってみる事にしました。

 しかし下りの坂道も結構な勾配なので今度は足を滑らせて尻もちでもつきそうで、それはそれで結構気を使いました。ようやく山門の入り口まで降りてきたらライブ演奏をしていたバンドの前には既に人影が無くスタッフと思しき人が何とか盛り上げようと拍手を送っていました。

 帰りは土産物屋さんで名物の身延饅頭を自宅用と会社用に購入し車の中でバラで買ったやつを口に入れて食べながら運転してきました。

 北杜市の地元には日本の天然記念物指定第1号となる武川町山高の実相寺の境内にある樹齢推定2000年の神代桜がありますがこのお寺も日蓮宗のお寺だと後で知り今更ながら驚きました。

 身延山久遠寺の桜は多分、今週末から来週にかけてが見頃になると思います。実相寺の神代桜はそのもう少し後になるかも知れませんね。今年は故郷、高知城の桜が久しぶりに日本で一番早い開花宣言を受けて良かったな~と思いましたが八ヶ岳南麓の桜はまだまだこれからが見頃を迎えます。皆さん長く桜を楽しみたかったら八ヶ岳にお越し下さい。

2012/03/31

子育て完了!

 今から32年前に女房と結婚して3人の子供を授かりました。最初の長男が生まれた時に自分が親になるという事がどういう事なのか全く実感がないまま親になってしまい、あれから32年、今年末っ子の3番目の次男が大学を卒業してこの就職難の時代になんとか就活に成功して社会人として巣立っていきました。これにて子育て完了と相成りました。

 子育てといっても私は全く親としては失格だったと思っており女房からもいつも「私がどれだけ苦労したか(笑)」と今でも責められています。それほどあまり子煩悩な親とは決していえない父親でした。

 川崎に住んで居る時には子供達が小さかったのとサラリーマンで週休2日制だったので父親失格とはいいながらもそれなりに子供達を連れてキャンプに行ったり散歩にいったりデイズニーランドにいったりと世間並みの父親の勤めはある程度はしていたかなと思います。

 長男は電車が大好きで近くの田園都市線の駅までいつも子供用のおもちゃの乗り物にのって私に手をひかれて長い事、駅の上の橋で長い時間飽きもせずに電車を見て何事か叫んでいました(笑)

 長女は生まれた時から背が高くて小・中・高校とバレーボールの選手を続ける頑張り屋さんでした。小学校高学年までは毎日の様に一緒にお風呂に入っていたのですが何故かある日を境にぷっつり一緒にお風呂に入らなくなり(笑)それからは距離を置く様になった気がします。父親の宿命ですかね。それでもいつかは一緒にバージンロードを歩く事になるのかなと心の奥底に秘めていた思いが昨年、とうとう現実になってしまいました。

 そして少し年の離れた末っ子の次男、子供は2人で終わりと思っていたのが八ヶ岳に移住すると決めた途端にひょっこりと授かってしまい、それだけに末っ子でもあり兄弟の中では一番親に手を掛けられた子供でした。3月生まれだったので同じ学年の子供達の中ではいつも一番小さくて頭の毛も天然パーマでクリクリだったので色んな人に可愛がられました。

 昔、近所の美術館のスタッフの女性がいつもこの子を可愛がってくれていてうちの子も「ネエネエ」と彼女の事を呼んでなついていました。その女性が退職する事になり我が家に挨拶にこられ「最後に一度だけこの子とデートさせて欲しい」と頼まれました。その女性は一日我が家の末っ子を抱いてデートを楽しみ心の整理をつけたようでした。その方とは今でも親交があります。

 3人の子供はすっかり大人になり今ではこちらが色々な相談を子供達に持ちかけて世話になっています。何せ今の時代は進歩が速くて私達には付いていけないので子供達に教わらないと時代に取り残されてしまいますからね。

 3人の子供達が私の事をどう思っているか知りませんが3人の子供を授かった時に私は授かった子供3人―親2人で1人余り・・・だから動物としては子孫を残す役目は取り敢えず果たしたのかなと思いました。変な話ですが本当にそう思ったのです。というのは結婚してから直ぐに女房が身体を壊して医者からは「子供は出来ないかも知れないのでそう思っておいて下さい」と宣言されていたので覚悟だけはしていたのです。

 女房とも「別に子供だけが夫婦の目標じゃないんだから子供が出来なければお金が溜まるから一杯遊べるね」と話していたのも束の間、3人も子供を授かってしまいお陰でうちは一生貧乏になってしまいました(爆笑)。

 まあ、しかしその代わりデッカイ子供が3人も出来たので良しとしなくてはなりませんね。3人の子供達が全員、大人になって出て行ったのでこれからは夫婦2人で楽しく暮らして行こうと思います。

 熟年離婚というのも流行だそうですので何とか女房に捨てられないようにご機嫌を伺いながら過ごして行きます。3人の子供達にはそのうち最後はお世話に又なるかも知れませんがなるべく迷惑を掛けないように暮らしていくつもりです。巣立っていった子供達、これからはお父さんにお小遣い頂戴ね(笑)。

2012/03/25

八ヶ岳の愉快な仲間達

 八ヶ岳には本当に興味深い愉快な仲間達がいます。年齢に関係なくそういう人達の集まりに時々呼んで貰って楽しい時間を過ごさせて貰っています。昨晩もそういう人達の集まりがありました。

 昨晩の集まりはちょっと変わった人達(失礼)の集まりで(そういう自分は怪しくないと思っているのですが他人に言わせると「あんたも充分怪しい」と言われます)何が怪しいかと言いますと、昨晩は初めてお会いする人が何人か居られたのですが最初の挨拶が「初めまして、あなたはどちらからですか?」「はい私はシリウス星のほうから・・」「そうですか、私はアンドロメダの方でして・・」なんて会話が普通に交わされておりましてこれが別にふざけている訳ではなくて極めてまじめに行われている(笑)のが面白いところなのです。

 私なんて自分の星なんて知る訳もないし「自分の星って何?」てな感じなので話を聞いていると人類は全て宇宙のかなたからやってきてやっと地球に到着したのだけれど原子の中に蓄えられた代々の記憶は肉体が更新される度に昔の記憶が消されるので中々自分が昔、どこに居たのか分からないのだそうです。

 では自分の星がどこだったか分かる簡単な方法はないのかと聞くと「夜空を見上げて何となく気になる星が必ずあるからそこがあなたの生まれ故郷だ」と言われるナルホド(笑)そこでいたく納得してしまう自分も何だかなと思うのですが何となく説得力があり自分の中でも「そうか、そうだったんだ」と共感する部分があるので怖いですね~。

 昨晩来られてた別のご夫婦のご主人が先日とうとうUFOを見てしまったと仰る。そのご主人はこういう会話を全く信用せず今までも「そんな根拠のない事を・・」とどちらかというと現実派の人であったそうです。だから自分は普通の人間なのだと・・・それがとうとうつい数日前にUFOに遭遇してしまったそうなのです。

 「先日、庭で作業してたら何だかバットの素振りをするような音が聞こえてきて何だろう?と思って廻りを見渡しても誰もいない。変だなと思って真上を見上げると透明な乳白色をした物体がクルクル廻っていてそれが森の中を移動して行ったんだ。慌てて家族を呼びにいったら作業を手伝って貰っていたアルバイトの子が自分を見て「マスクが・・」というので自分が掛けていたマスクを見ると鼻血で真っ赤になっていたんだよ」と話された。

 それを聞いていた私の隣に座っておられる事情通の方が「あ~やられましたね。完全に実験台にされましたね」と言われる。「そんな訳ないよ。だって自分はずっとそこにいて見ていたんだからそんな時間はないよ」と、そこで私が「それは地球時間での話ですよね。UFOの中での記憶は消されているし自分では気づかないと思いますがきっと長い間宇宙船の中にいたはずですよ」と・・・何で自分がそんな事を知ったかぶりに発言したのか自分でも分かりませんがとにかく私がその方にそう伝えてしまったのです。

 そうすると皆さん納得顔で「そうそう、もしかしたら1年位居たかもよ、地球上では一瞬だからね」と言われる。そうするとご主人はちょっと心配顔で「そういえばUFO見る前から変な事あったんだよね。庭に居る時に誰かに「コラッ」と怒られて何だ何だ?と思って廻りを見廻しても誰も居ないんだよね」あの日は何だか変な日だったよね。と言われる。どうもUFOに拉致される運命にあったようです(笑)

 実は八ヶ岳にはこういう人達がUFOに関して情報交換する真面目なイベントがありUFOコンベンションと言います。今年で3回目位になるのですがHPはこちらです→http://yatsucon.exblog.jp/ このイベントには毎回多数の参加者が応募してきていつも満員の状態です。それだけ賛同者が多いということだと思います。

 昨晩の集まりにはこのイベントの呼びかけ人の人達も参加していました。いつも思うのですがこういう人達はきっと八ヶ岳に呼ばれて集まって来ているのですね。何せ八ヶ岳には縄文時代の遺跡が山ほど発掘されているのでキット我々は現代の縄文人にあたるのかも知れません。いや~八ヶ岳には面白い人が沢山住んでいます。

2012/03/17

市議会傍聴記(本会議編)

 昨日、私の住んでいる北杜市の平成24年第1回定例議会本会議が開催されたので傍聴してきました。前回、傍聴したのは委員会でこれは小さな部屋で開催されたのを後ろの席で聞いたのですが、今回は本会議なので市長も出席して本会議場で開催されたものです。

 傍聴席もちゃんとした席が50席程用意され記者席も設けられています。ここで議会の様子を見るのですが傍聴席の前に議員が座る二人掛けの席があり我々傍聴者は議員達の様子を後ろから見る事になります。

 その反対側に市役所の担当者達が市長も含めて座っており傍聴席からは向かい合う様になります。そしてその真ん中に議長・副議長席があります。議事進行は議長が行うのですが大体1時間毎に小休憩が設けられその時に外に出ると議員達とトイレの奪い合い(笑)という事になります。

 北杜市の議員定数は22名ですが田舎の議会ですので傍聴席に知り合いがいたりして「あらっ?今日は何時頃帰る?」なんて話も聞こえてきます。

 そしてこの会議場で将来の北杜市民の暮らしを左右するかもしれない重要な議題が審議されました。それは「中部日本横断自動車道の建設促進を請願する」議案です。賛成・反対の討論が行われた後、採決がとられ賛成16反対5(議長は裁決に参加せず)で建設促進が採択されました。

 これはあくまで国の事業に対して地元の市として早期建設をお願いする文章を提出するものなのでこれで建設が決まった訳ではありませんが地元の市としては「賛成です」と国に回答した事になります。

 勿論、地元にも賛成意見、反対意見それぞれが有って当たり前なので(私自身は反対です)採決そのものは理解するのですがそこに到る経緯は決してフェアなものとは言えないやり方でした。

 詳しくはここでは述べませんが、かつて市町村合併で「北杜市」が誕生した時と同じような厭な印象が残りました。北杜市が決定した時も市側は住民投票で決定するといいながら住民投票の結果1番多かった「八ヶ岳市」を特定の地名がついた名前は除外するという後だしジャンケンのような屁理屈を持ち出して「北杜市」に決めてしまいました。

 余談ですが「北杜市」という名前は一字違いで「北斗市」が北海道の函館の西側にあります。面積は山梨の北杜市のほうが5割程広いのですが人口はほぼ同程度です。どうしても「北杜市」という名前は東北・北海道地方を思ってしまう地名でいまでもこの地名に決まった事が残念でなりません。決まってしまった事は仕方ないことですが・・

 今回も何故か地元北杜市観光協会と商工会が同じタイミングで議会に対し早期建設を願う請願書を提出しそれを受けて市議会で審議が行われるという出来レースの様な審議で初めから決まっていたかのような印象を受けました。

 しかし、この議会運営、前回も書きましたが議長が延々と続く議案に対し「第○○議案につきましては○○委員会委員長の報告が終わりました」「引き続き審議に移ります」「討論はありますか?」「議長!」「討論を認めます○○君」「○番○○です。第○○議案について反対の立場から討論を致します・・」「議長!」「○○君」「○番○○です。第○○議案について賛成の立場から討論を致します・・・」「他に討論はありますか?」「なし!」「討論なしと認めます」「引き続き採決に移ります。第○○議案に対して賛成の諸君の起立を求めます。尚、委員長報告は議案に賛成であります」「起立多数、従いまして第○○議案は採択されました」という文言が延々と続きます。

 何だかこういっては大変失礼ですが昔、小学校の時にクラス会のやり方を勉強として教えて貰った時を思い出しました。クラス委員が前にでて議事進行をするのですがその時に様々な決まり事を決めて、例えば議長は裁決に参加しない。議長がどうしても意見を言いたい時は前の席から自分の席まで戻ってから手を挙げて発言する。書記が黒板に皆の意見を書いていく。何て決まり事を決めて討論するのが何だか大人になったようで自分が偉くなったような気がして嬉しかったのですが何となくその時の事を思い出してしまいました(失礼)

 私、思いました。「市議会議長は早口言葉が話せないと絶対勤まらない(笑)」とだって延々と同じ言葉をこれでもかと繰り返し繰り返し喋り続けるわけですからよほど忍耐強くないと務まらないと思うのです。一字一句間違って発言すると直ぐに書記から言い直しの指摘が入り言い直すのです。

 昨日の議会でも多分100回以上の議会運営言葉を繰り返し叫び続けたと思います。思うけどこんな事やってるから市民から政治が離れていくのではないかな?だって傍聴していてもちっとも楽しくないし議員の本音が聞こえてこないのです。初めから決められた議案を決められた手続きのとおり進めていくだけで発言の言葉も議会言葉の繰り返しで一般市民には全く理解出来ません。

 もっと本音で普通の言葉で市民の心に響くような言葉を話してほしいです。与党だった議員がこの議案だけは裏切って野党に賛成してしまったとか議論が白熱して掴みかからんばかりの乱闘寸前になってしまうとか(笑)議長が「どうせ、ここからここまでの議案は皆、賛成でしょ?だったらはしょっていいよね」とかもっと人間らしい話合いをしてくれれば傍聴する人も増えると思うな。

 それに皆さん、議員は選挙の時と議会活動の時は違う人になってしまう事もありますよ。良く観察していないと、とんでもない人を議員に選んでしまうかもしれませんよ。

2012/03/09

市議会傍聴記

実は政治の世界が大嫌いです。勿論、一般市民として政治に関心が無い訳ではありません。それなりに普通の方と同じように今の政治について考えることはあるのですがどうも好きになれません。

 以前、東京でサラリーマンをしている時に当時の○○省に関係する仕事をしており勿論、勤めていた会社は民間会社ですが代々の役員はいわゆるそこの天下りでして仕事の内容も詳しくは言えないのですが公共事業に関係する内容があったのです。

 私はその折衝窓口的な仕事をしており所謂、キャリアー組の方やノンキャリアーの事務方の方達とも打ち合わせする機会が多かったのです。そこで仕事をしていればそりゃいろいろとある訳で(笑)余り、人様に胸張って言えないような事も業務としてやらざる得ない事もありました。

 そんなこんなで政治の裏側を見る機会がありすっかり厭になってしまったのです。しかし、それでも当時の日本を動かしていたのは間違いなくそういう人達であり一般市民が知る由もない所で政治というのは動いているのだなと痛感させられました。

 以来、どうも政治から始まって一般の行政や役場までも含めて嫌いになってしまいました。出来れば遠回りしてすませたいと思っています。しかしながらこうして社会人として会社を経営し役場とも全く関係しないという訳にもいかず申請業務や建築確認等では避けて通れない訳で大半の事はスタッフがやってくれるのですがそれでもやはりノータッチという訳にもいかないのです。

 昔は自分で役場の申請関係も一人でやっていたのでその関係で地元の町議会の議員さんに一応挨拶しておいた方が良いと知り合いに言われ挨拶に行ったら、いきなり町役場のロビーで恫喝され「???」状態で「何でこの人は怒ってるんだろ?」と思いましたが隣にお客様も一緒だったので「ここは頭を下げるしかないか」と訳も分からずとりあえず謝ったら要は「俺に挨拶もなしに仕事していたのか」という事らしくて帰ってから、挨拶に行った方が良いと言ってくれた知人に「こんなだったよ」と報告すると「気にしなくていいよ。あの人は誰がきてもワザと皆の見ている前で叱り飛ばして自分の威厳を保っている人だから」と言われ。「それを先に言ってよ(笑)」とガッカリして再びこの地にきてもすっかり役場が嫌いになってしまいそれ以来、ここでも出来るだけ行政の方や役場の方達とは距離を置く様にしてきました。

 しかし、日本中どこへ行ってもこの手の話はある訳で特にここがひどいという訳ではないし東京に居る時はもっとひどい目に遭ってきたのでとにかく「触らぬ神に祟りなし」と自分では決めていました。

 しかし、先日から中部横断自動車道の建設に反対する運動によせばいいのに参画してしまい署名活動なんかしてしまったもんだから署名を集める以上、署名して頂いた方にちゃんと説明しなくては申し訳ないと建設推進の請願書を審議している市議会の傍聴に言ってきました。

 勿論、こういう事は逃げ回っていた(笑)自分ですので議会傍聴なんて初めてなので傍聴手続きをしていると担当の方に「兎に角静かにしてジッと聞くだけですからね。良いですね」と念を押され、どうも私が反対の意思をもって議場で何かしでかしやしないかと疑われているようで(笑)マア、そんな事はなくきっと傍聴する人には皆、同じ注意をしているのだろうと思いますが。

 そして当然ながら審議は中部横断道の建設推進請願だけを審議する訳ではないので平成24年度の予算審議は延々と進みそれを聞いているだけで既に来た事を後悔(笑)し始めたのですがここは我慢我慢と辛抱して議題の最後になる請願書の審議を待ちました。

 しかし、議会運営というのはどこもそうでしょうが議会独特の専門用語と決まり言葉が延々と続き「○○君の発言を求めます」「ハイ議長!」的なやりとりが延々と繰り返され、あれってやってる方は可笑しいと思わないのでしょうかね?勿論、議会運営の決まりごとがあって議長がそういう定型文言を言わなくてはならないのだと言う事は理解していますがあれを一般の会社でやってたら怒られますよね。

 変えようと思わないのでしょうか?きっとあのテレビで見かける国会審議の真似をしているのだと思いますがあのやり方が議員たる自分達の独特の価値観でステータスシンボルみたいな事になっているのでしょうね。私には茶番(失礼)にしか思えません。

 もっと事前に資料を配り内容を把握して上で質疑応答を自由にすれば半分以下の時間で終わるとおもうのですがね。それと議会活動についてはもっと一般開放して審議内容をネット中継するなりしてくれれば平日の日中に議会が開催されても多くの人がその内容を見る事ができるのになと思います。

 しかし、議会傍聴は良い経験になりました。機会があればもっと多くの方が見た方が良いと感じました。見られると人は真面目にやらざる得なくなりますから(笑)

2012/02/27

「いのち」の歌

 この話を書くべきか実は大いに迷ったのですが、昨年の東日本大震災以来、「いのち」について色々考えさせられました。東日本大震災では多くの方の尊い「いのち」が犠牲になり又、私の廻りでも震災以外で昨年から今年にかけて「いのち」をなくされた方がいます。

 それは前の会社の同僚だったり地元で一緒に市民活動をしていた知人だったり、掛かりつけのお医者さんだったり、当社の大切なお客様だったりした方です。

 段々、年齢を重ねるにつれてどうしても考える機会が増え、そして避けて通れない道がこの「いのち」の終わり方です。日本では自宅で最期を迎えられる幸な方はほんの一握りにしか過ぎません。多くの場合は東日本大震災のように突然襲われる災害や事故、あるいは病気によって「いのち」の最後を病院か屋外で迎えるケースがほとんどです。近年、漸く終末医療についての議論が活発になり自宅で最期の時を迎えると言う事について理解が進んできましたが、それでもまだまだこれからだと思います。

 「生きる」と言う事はすなわちいつかは「死ぬ」と言う事と同じ意味があると私は思っています。私は今年57歳になります。知人からは「まだまだこれからだよ」と言われるケースがほとんどですがそれでも同級生や同僚の死を知らされる度に少なくても心の底に何らかの「覚悟」みたいなものはどうしても感じざる得なくなってきます。

 しかし、逆に「今日も生きているのだからそれだけでも幸せなんだ」とも思えます。「いのち」が消える時、それは肉体の終わりかもしれませんが決してその人の存在が無くなる訳ではありません。

 生きている間に共に時間を共有した家族や友人の心の中には何時までもその人の存在は残ります。そして徐々に時間が経つにつれてその記憶も薄れていくのですが、私はきっと「いのち」が終わった時に新しい「いのち」の記憶がどこかに新たに伝えられるのだろうと思っています。しかし、残念ながら昔の記憶は新しい「いのち」の中では封印されどっか奥深い所にしまわれそれが時々「デジャブ」のように顔を出すのだと理解しています。

 ひとつの「いのち」が失われる時、同じ時間を共有した廻りの人達には深い悲しみが訪れます。私も涙もろいので「泣くまい」と思っていてもつい涙が頬を伝わってしまう事があって困ってしまいます。先日もやはり葬儀に出席させて頂いて泣くまいと思ったのですが駄目でした。

 しかし、時間が経てばきっと家族の人や友人の方もきっと立ち直ってくれると思います。だってその人の「いのち」は又きっと新しい「いのち」となってどこかで生まれていると思うからです。

 自分にもいつかその時が訪れると思います。それが何時かは分かりませんがそれまでは神様が残してくれた「いのち」の時間を○○ばあちゃんの言葉ではありませんが「いのちがあるだけで丸儲!」と思って過ごして行きたいと思います。

2012/02/23

正倉院正倉整備工事見学会・・落選

Syousouin私は正倉院正倉が大好きで何せ世界最古のログハウスとも言われているので一日見ていても飽きない程なのです。その正倉院正倉が大正2年の解体修理から約100年を経過し今年屋根の葺き替えをする事になりました。そこで現場が100年ぶりに公開される事になり早速見学会に応募しました。その見学通知書がやっと届きました!やった~!と思ったのもつかの間、「あれっ?」確か1枚の葉書で6人までと書いたあったので当社はスタッフ8人なので2枚書いて応募したはずなのに?と思っていたらもう一枚には落選通知が・・・ショック!当然、私の名前で出した方が落選、スタッフの名前で出した方が当選。これって普段の行いの差?(笑)仕方無い、工事中にまだあと4回チャンスがあるみたいだから次回にもちこしだ~チクショー絶対リベンジしてやるぞ!何せ、もう生きてる間には見えないんだから。皆さんも是非、見たい方はどうぞチャレンジして下さい。

2012/02/18

スピリチュアルライフの薦め

 世の中、経済発展が当たり前だと思っていた右肩上がりの日本経済がすっかり右肩下がりになってしまい暗い影が漂っています。でも、私はこれはこれで良かったと思います。

 経済発展に不可欠だと言われその電力需要を補うのに生みだされた原子力発電所が実は恐ろしい環境破壊を起こす事に人々はやっと気が付き経済発展だけが人間の幸せに繋がるものではないと思う様になりました。物質的な満足も必要かもしれませんが実は精神的な安定が今、一番必要だと私は思います。

 私が八ヶ岳の森の中に住むようになったのも実は東京という都会で暮らし、ある程度の経済的に安定した生活がステータスシンボルだとされていた暮らしにどっか心の中で違和感を感じていたのかも知れません。

 敢えて家族5人で不便な八ヶ岳の森の中に住み子供達は片道1時間半かけて学校に通い新聞も配達されない不便極まりない生活に飛び込んだ訳ですが、それでも決して不便で泣く事はありませんでした。むしろそれを楽しんだような気がします。「不便=自然が一杯」という方程式で私は不便さと引き換えに自然豊かな暮らしを手に入れ小さいながらも自分の土地とログハウスを手に入れてここで20年住んでいます。

 そしてこの地でとても楽しい人々との出会いがあり刺激溢れる生活を楽しんでいます。とくに最近はスピリチュアルな人との出会いや交流があり、そういう人達との会話はとても楽しく時間が経つのも忘れてしまう程です。

 先日も「○○山にはさ~ストーンサークルの跡があってさ、ちょっと霊気が乱れてたからこの前、直してきたよ」とか「うちのカミさんが飼ってる龍は○○っていう名前だけど龍はね、お願いしちゃ駄目らしいよ命令しないと言う事聞かないらしい」とか「この前あった人はどうやら祖先は○○星雲から来た○○人らしい」とか、ちょっと普通の人が聞けば「この人可笑しいんじゃない?」と思われそうですがこういう話だからこそ面白いしこれが不思議と都会でこの手の話を聞くと唯の「可笑しな人」になってしまうのですが自然一杯の環境の中で聞くとなんとなく「それ、分かる(笑)」となるから不思議なのです。

 こういう話が正しいとか間違っているとかいう話ではなく目に見えない世界の話だから面白いのです。現代の人々が経済的発展と引き換えに失ってしまった精神的な目に見えないものを心で感じる力、それがスピリチュアルな世界です。

 誰に強制されるでもなく自分自身で感じる力、それこそが人間にとって一番大事な能力かも知れません。目に見えないから感じるしか無くてしかも目に見えないから嘘だとは言い切れないのです。ようはその人が感じ取る事ができるかどうかなのです。

 私は人との会話もこの「感じる」と言う事がとても大事な役割を果たすと思います。話している相手のちょっとした表情の変化や態度や口調から耳に入ってくる情報とは別の情報を得る事が出来ます。「あっ、この人はあんな話をしているけど実はこんな事思っているんじゃないだろうか?」とか「この人は口には出さないけど実は心の中でこんな事思ってるんじゃないか」とか「あれっ?この人は前はこんな口調で話す人じゃなかったのに何でこんなになっちゃったんだろ?」とか色々な事を感じる事が出来ます。

 又、普段から「感じる」事を大事にしていると危険回避が上手に出来る様にもなります。「何となく厭だ・・・」と危険な状況を感じる事が出来るのです。それは食べ物だったり買い物だったり交通手段だったりと様々な場合に感じる事が出来ます。

 でも「感じる」為には普段から自分の感性や自然を大切にし今ある事に感謝して自ら進んで心が気持ち良い事を率先して取り入れていかないと「感じる」事は出来ません。

 目に見える物ではなく目に見えないモノ、それにだって貴重な価値があるのです。人が人として生きていく中で本当に必要なものとは何か考えた時、今までは経済発展に伴う豊かさや便利さでしたがこれからは自然に感謝しお互いに助け合い争いのない精神的に安定した世界こそが必要な時代だと思います。

 これからはスピリチュアルライフを大切に楽しみませんか。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム