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2012/07/16

我が故郷高知に想う

 母の介護の為に高知に帰っていましたが漸く八ヶ岳に戻って来ています。母には申し訳ないけど「又、何かあったら駆けつけるからね」と言い聞かせて戻ってきました。

 高知はもう直ぐ夏祭りを迎えます。知る人ぞ知る「よさこい祭り」。最近は派手なパフォーマンスダンスで有名な「よさこい鳴子踊り」が祭りのメーンイベントですが私が高知に居る間も高知のメイン通りとなる「はりまや橋商店街」では踊りの練習が夜遅くまで行われていました。

 私も学生時分に2度程踊った事がありますが当時は今ほど派手なパフォーマンスはなく正調の「男踊り」と「女踊り」があってその踊りの正確さとパフォーマンスの良さで審査員から踊っている最中に首にメダルを掛けて貰っていました。この「よさこい踊り」は高知の町中を練り歩くのですがその中に審査員のいる審査会場が含まれていて、その会場の中を通る時に審査員が踊り子達を評価して個人の賞と団体の賞を決めるのです。

 「よさこい祭り」はこの「よさこい鳴子踊り」と花火大会がメインですが市内を流れる河原に打ち上げられる花火を見ながら屋台を見て廻るのが高知の暑い夏の風物詩でした。

 最後に「よさこい祭り」を見たのはいつ頃になるだろう?多分、学生の頃だから30年以上も前の事になると思います。あれから長い月日がたって高知の中心部となるはりまや橋付近のアーケード街もすっかり雰囲気が変わってしまってしまいました。

 私達が「とでんデパート」と呼んでいた「はりまや橋」の直ぐ近くにあった高知の商店街の核となるデパートは既になくなって取り壊されてしまい。今は大手資本によるパチンコ屋さんに変わってしまいました。「とでん」といっても「都営電鉄」の略ではなく「土佐電鉄」の略ですので誤解のなきよう(笑)

 アーケード街の店の様子もすっかり変わってしまい私が学生時代に毎年アルバイトをしていたカバン屋さんも店を閉めてしまい今は新しいファッション関係の店に変貌していました。当時、お世話になった店長さんからも「定年退職致しました」という年賀状を頂いてはいたのですが実際に自分の目で懐かしい店の変貌をみると感慨深いものがありました。確か女優の広末涼子の実家の店もアーケード街の中にあったと記憶しています。

 それでも当時と変わらないものもあります。それは路面電車です。それこそ「とでん」なのですがそのチンチン電車の「行先表示」に「御免(ごめん)」と「伊野(いの)」というのがあり「ゴメンね」「イ~ノ」と引掛けて一時期、県外で珍しがられた時もありました。

 このチンチン電車は世界各地の路面電車のボデイを借りてきて造ったものと昔ながらのボデイのものがあり、更に最近はアンパンマン号も走っていて子供達の人気者になっています。今はJR高知駅にも直結して昔からの便利な市民の足として今も昔も変わりなく走り続けています。

 それから最近、気になったのは高知は川があちこちに流れているのですが高知駅前の小川には何故か大きな鯉が放流されていて、いたるところで群れをなして泳いでいます。誰が何の目的で放流しているのかは知りませんがかなりの数が泳いでいます。

 高知駅前には高知橋という橋が掛かっていて高知駅からはりまや橋に向かうと通る橋になっていますがこの下を流れるのが江ノ口川です。この川はお世辞にも綺麗な川ではなく私の子供の頃からドブ側でした。

 今でも相変わらず汚いのですが昔よりは幾分綺麗になったようです。そんな事もこの鯉の放流に影響しているのかも知れませんね。

 高知の陸の玄関、高知駅は昔とはすっかり変わって珍しい木造の高架駅になっています。まだ、完成してそれ程経ってなくてこれから駅前開発が進んでいくのだと思います。

それから変わっていないのが土佐の高知の心意気です。昔から比べると静かになったとはいえ相変わらず高知県民は酒が好きで酒が入ると天下国家を論じて大声で怒鳴り合いながら賑やかに飲み交わします。この光景だけは昔も今も変わらないようで県外の方が始めて高知県民と飲み会の席に同席したらきっとビックリすると思います。

 流石に昔の映画の1シーンの様に「なめたらいかんぜよ!」なんてタンカを切る事は少なくなりましたが、全く男も女も煩くてろくに横の人の声も聞こえない程になります。良いか悪いかは別としてこれだけは変わらないですね(笑)

 我が故郷高知、これからどんな風に変わっていくのかは分りませんが何時までも平和な町でいられる事を祈っています。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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