とても大切な友人を亡くしてしまいました。私の木の師匠でもあり、一から林業の事を教えてくれた大切な友人でした。
もう15年程も一緒に日本の新しい林業の有り方について話し合い、活動し、いつも私の事を気にかけてくれていました。いつも元気で活動的で自分が良いと信じた事は自ら率先して取り組み、誰も真似の出来ない林業の有り方に取り組んでいました。
日本で唯一人、1本1本の木に履歴を残す方法を開発・実践し大変な苦労をしてその活動を将来に繋げようとしていました。いつも「一生懸命、汗水流して木を育てている林業家が食べていける様に山にお金を戻す林業をしていかないと日本の山は良くならない」と口癖のように言っていました。
先駆者の常として批判を浴びる事もしばしばあり、私もそういう場面に遭遇した事が何度かありました。しかし、彼は常に毅然とした態度でどっちが正しいか理路整然と議論していました。
彼はいつも他人に対して優しく林業の為になることならどんな事でも率先して実践していました。年齢的には私より少し先輩ですがユーモアがあり他人を喜ばす事にはとても長けた人でした。その分、家族やスタッフは大変だったろうと思います。
彼の会社の事務所は立派なログハウスでした。私は「いつでも泊まっていいからね」と言われ、良くその事務所で寝泊まりさせて貰いました。事務所には誰が寝泊まりしても良い様に常に寝具が用意され風呂もキッチンもついていて、いつでも誰でもそこで寝泊まりして仕事が出来る様になっていました。「冷蔵庫の中身は何でも食べていいよ」と言われ、いつも飲み物と食べ物が用意されていました。
彼はいつも林業や建築関係で「素晴らしい仕事をしている人がいる」と聞きつけるとその人にアポなしで話を聞くために訪ねて行きました。
以前、私は「何で前もって連絡して予定を聞いてから行かないの?行き違いになると時間が勿体ないじゃないですか」と言うと「前もって連絡すると本当にその人が普段からそういうちゃんとした仕事をしているか分からないじゃないか」と言っていました。
だから丸一日かけて車を運転して早朝からその訪ねて行った会社の様子を遠くから観察するなんて事もしていたようです。それ程、日本の林業には問題が多くあったという話を良く彼から聞きました。
彼の廻りには常に彼を慕う人たちが集まり私もそのお陰で本当に多くの人と知り合う事ができ、常にその人の輪の中心に彼はいました。
本当につい先日、今年の夏まで一緒にイベントに参加して、いつもの様に冗談を言い合い、いつもの様に仕事をしていたのに本当につい先日、私が参加出来なかった会合に参加していた彼が「お腹が痛い」と言い出して出張先の病院に入院し、その病院はすぐ退院して地元に帰り地元の総合病院に入ったところまでは人づてに聞いていたので時々電話して「元気?」と聞くと、珍しく「元気じゃないよ」と弱々しい声で返事したのを気にしていたのですがある日、彼の事を気遣う知人から「彼は日本の為になくてはならない人、今、逝かれちゃ困る。だから東京の高度専門医療病院に転院して貰うから」と連絡を受け、やっと時間を見つけて他の人には内緒になっている病室を訪れた時には彼はもう意識が朦朧としていました。
手を握って「今まで有難う」と耳元で話すと気のせいか、少し反応した様に思えました。実際、ベットの足元に立っているとうっすらと目をあけて頷いた様に思えました。
そして、その翌日、彼は逝ってしまいました。ご遺体は地元に戻り立派な葬儀が執り行われ私は生まれて初めて葬儀で取り乱して、同じ思いで葬儀に参列していた仲間と抱き合って泣いてしまいました。
本当に惜しい人を亡くしてしまいました。苦労が報われて漸くこれから彼が築いて来た新しい林業の有り方が表舞台に立つ矢先の出来事でした。
今は、唯々彼のご冥福を祈るしかないのですが心の中にポッカリと穴が開いてしまった気がしています。彼が生きていたら「いつまでも、くよくよしていてもしゃ~ないじゃん。生きてるモンがやる事やらんといかんじゃろ」とキッと言っているでしょう。
でも、まだ私には立ち直るまで時間がかかりそうです。彼が成しえなかった事を残された我々が引き継がねばなりません。天国で待っててよね。合掌・・・
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