2015/10/17

追悼

とても大切な友人を亡くしてしまいました。私の木の師匠でもあり、一から林業の事を教えてくれた大切な友人でした。

 もう15年程も一緒に日本の新しい林業の有り方について話し合い、活動し、いつも私の事を気にかけてくれていました。いつも元気で活動的で自分が良いと信じた事は自ら率先して取り組み、誰も真似の出来ない林業の有り方に取り組んでいました。

 日本で唯一人、1本1本の木に履歴を残す方法を開発・実践し大変な苦労をしてその活動を将来に繋げようとしていました。いつも「一生懸命、汗水流して木を育てている林業家が食べていける様に山にお金を戻す林業をしていかないと日本の山は良くならない」と口癖のように言っていました。

 先駆者の常として批判を浴びる事もしばしばあり、私もそういう場面に遭遇した事が何度かありました。しかし、彼は常に毅然とした態度でどっちが正しいか理路整然と議論していました。

 彼はいつも他人に対して優しく林業の為になることならどんな事でも率先して実践していました。年齢的には私より少し先輩ですがユーモアがあり他人を喜ばす事にはとても長けた人でした。その分、家族やスタッフは大変だったろうと思います。

 彼の会社の事務所は立派なログハウスでした。私は「いつでも泊まっていいからね」と言われ、良くその事務所で寝泊まりさせて貰いました。事務所には誰が寝泊まりしても良い様に常に寝具が用意され風呂もキッチンもついていて、いつでも誰でもそこで寝泊まりして仕事が出来る様になっていました。「冷蔵庫の中身は何でも食べていいよ」と言われ、いつも飲み物と食べ物が用意されていました。

 彼はいつも林業や建築関係で「素晴らしい仕事をしている人がいる」と聞きつけるとその人にアポなしで話を聞くために訪ねて行きました。

 以前、私は「何で前もって連絡して予定を聞いてから行かないの?行き違いになると時間が勿体ないじゃないですか」と言うと「前もって連絡すると本当にその人が普段からそういうちゃんとした仕事をしているか分からないじゃないか」と言っていました。

 だから丸一日かけて車を運転して早朝からその訪ねて行った会社の様子を遠くから観察するなんて事もしていたようです。それ程、日本の林業には問題が多くあったという話を良く彼から聞きました。

 彼の廻りには常に彼を慕う人たちが集まり私もそのお陰で本当に多くの人と知り合う事ができ、常にその人の輪の中心に彼はいました。

 本当につい先日、今年の夏まで一緒にイベントに参加して、いつもの様に冗談を言い合い、いつもの様に仕事をしていたのに本当につい先日、私が参加出来なかった会合に参加していた彼が「お腹が痛い」と言い出して出張先の病院に入院し、その病院はすぐ退院して地元に帰り地元の総合病院に入ったところまでは人づてに聞いていたので時々電話して「元気?」と聞くと、珍しく「元気じゃないよ」と弱々しい声で返事したのを気にしていたのですがある日、彼の事を気遣う知人から「彼は日本の為になくてはならない人、今、逝かれちゃ困る。だから東京の高度専門医療病院に転院して貰うから」と連絡を受け、やっと時間を見つけて他の人には内緒になっている病室を訪れた時には彼はもう意識が朦朧としていました。

 手を握って「今まで有難う」と耳元で話すと気のせいか、少し反応した様に思えました。実際、ベットの足元に立っているとうっすらと目をあけて頷いた様に思えました。

 そして、その翌日、彼は逝ってしまいました。ご遺体は地元に戻り立派な葬儀が執り行われ私は生まれて初めて葬儀で取り乱して、同じ思いで葬儀に参列していた仲間と抱き合って泣いてしまいました。

 本当に惜しい人を亡くしてしまいました。苦労が報われて漸くこれから彼が築いて来た新しい林業の有り方が表舞台に立つ矢先の出来事でした。

 今は、唯々彼のご冥福を祈るしかないのですが心の中にポッカリと穴が開いてしまった気がしています。彼が生きていたら「いつまでも、くよくよしていてもしゃ~ないじゃん。生きてるモンがやる事やらんといかんじゃろ」とキッと言っているでしょう。

 でも、まだ私には立ち直るまで時間がかかりそうです。彼が成しえなかった事を残された我々が引き継がねばなりません。天国で待っててよね。合掌・・・

2015/09/30

祭りの季節

 この時期、多くのイベントが集中します。八ヶ岳南麓でもこの季節は収穫祭の時期に当たる事もあり様々なイベントが開かれます。そのイベントに主催者側として、あるいは出展者側として毎年、参加する機会があります。

 イベントにも色々なカラーがあり建築関係者のイベントだったり地元活性化関係のイベントだったり、それこそ婚活イベントだったりします。主旨は違ってもそれらのイベントに参加していつも感謝するのはブースを訪れて下さった方との出会いや出展者同志の繋がりです。

 たまたま隣り合わせたブースの出展者と親しくなったり久し振りにイベントを通じて昔の友人と再会したりと色々な出会いがあります。イベントによって数万人が訪れる大規模なものから地元自治区の百人も入ったらもう満員といったイベントまで様々です。

 私はいつも思うのですがこれらのイベントの成功は企画する人達の情熱や準備の周到さで決まると思っています。同じイベントを長く続けていくのは大変ですがその企画の主旨やスタッフの情熱がしっかりしていれば必ず成功すると思っています。

 そしてイベントの目的はいかに多くの人に訪れて貰うかではなくそのイベントの主旨をいかに理解して貰うかだと思います。イベントはその為のきっかけにしか過ぎないのです。

 今年もまだまだこれから多くのイベントが開催されます。毎年、楽しみにして多くの方が訪れるイベントもこれから沢山予定されています。私は特にこの後、音楽関係のコンサートに何度か出掛けていく予定をしており自分たちでもあるファミリーフェステバルに出展し昔懐かしい竹とんぼを造って子供達と遊ぼうと思っています。今の子供達に少しでも木に関心を持って貰えるといいなと思っています。

2015/09/11

サラバ我が家の井戸水!

八ヶ岳の森に棲んで27年目の今年、我が家の水は市営水道に変わる事になりました。今までは森の奥に掘られた共同井戸から引いてきた井戸水が我が家の命の水でした。

 近年は残念ながら消毒された井戸水に変わってしまいましたが以前は井戸に湧いてきた井戸水をそのまま使用していました。その井戸は八ヶ岳の南麓の地下100mからくみ上げた湧水で夏は冷たく冬は暖かい本当に口当たりの良い美味しい水でした。

 ところが井戸の付近が大規模な別荘地として開発されてしまい水質に不安が出てきたために管理会社が入って自動的に消毒液が混入される事になりその時はお風呂にはいると目が痛くなる程でした。それでも都会の水道水よりははるかに口当たりが柔らかくて美味しい水でした。

 しかしここ数年で森の奥の開発がどんどん進み最初の井戸では供給出来なくなり新たに井戸を掘る事になりました。こうして森の奥には新たな井戸が掘られる事になり管理も別々に行われていました。

 しかし、私達が利用していた井戸の老朽化が進み維持する事が難しくなりこの井戸を利用している皆で話し合い、この際、井戸を一元管理して古い井戸を廃止して私達も新たに掘られた井戸に繋ぎかえる事になりました。

 さらにその井戸は市が管理し上水道として供給する事となりました。こうして元々の私の家に供給されていた井戸水は廃止される事になり今はその為の工事が進んでいいます。

 暫定的に今はその古い共同井戸から水を引いているのは我が家だけとなり何だかとても寂しい感じがしています。勿論、市営水道となればある意味、安全で便利な水道になるのは喜ばしい事だとは思いますが、私は別に元の井戸水で不便に感じた事はありませんでした。

 現代では蛇口をひねると水が出るのは当たり前の様に思っていますが井戸水の場合は停電すればポンプが動かなくなるので断水してしまします。又、配管が古くなっているのであちこちで水道管がパンクして水が出なくなるなんて事も度々ありました。

 又、別荘が増えてきて大型連休中なんかは皆が一斉に水を使うので水が出にくくなるなんて事も良くありました。でも、だからこそ水の大切さを実感する事にもなっていました。勿論、今度の上水道も簡易水道と呼ばれ井戸水には違いないのですが今度は市営水道となるので料金も跳ね上がるし水質も管理されキチンと消毒されてしまいます(笑)

 今度27年間お世話になった井戸に感謝を込めてお祓いをしてこようと思っています。今まで本当に有難うございました!

2015/08/30

町の散髪屋さん

地元にいつもお世話になっている散髪屋さんがあります。もう20年以上通っている店で今の店長さんで3代目になりますが私は今の店長のお父さん(2代目)の時代からお世話になっています。

 大体、1か月に一度位のペースで行っていますが散髪する為に勿論行っているのですがそれだけではなくて地元の色々な情報や世間話を聞くのも楽しみの一つでもあります。

 都会では中々こういう店は少なくなっていますが田舎では今でもこういう人情溢れる店がまだあるのが嬉しい限りです。

 2代目のお父様は既に亡くなられて今は3代目さんが店を切り盛りしていますが昔は今の店長さんとそのご両親の3人で店をやっておられて、とても賑わっていました。

 その頃は美容院なんかもそんなに無くて店は女性客も良く訪れ子供達も親御さんに連れられて良く来ていました。

 夏休みには近くの高校生達が髪を染めにきたり逆に夏休みの終わり頃になると髪を元に戻しにきたりしていつも店は予約で一杯でした。

 散髪屋さんは地元の情報源でもあります。色々な話が聞けて他県からきた私にとってな貴重な情報元でもありました。

 そして3代続く店だけにその確かな技術は安定していて決して手を抜くことはありません。そのご両親がお元気だった頃はお父さんもお母さんも腕は確かで私はいつもお母さんに笑いながら顔を剃って貰っていました。

 今はそのお母さんも少し体調を崩されて現役を離れて店に顔を出すことは無くなってしまいましたが私はそんな人情味溢れる町の散髪屋さんが大好きです。

2015/08/15

お盆休みと終戦記念日

 今年も暑い夏のお盆休みと終戦記念日を迎えます。私は戦後に生まれたので戦争の経験はありません。しかし、祖父が陸軍のお偉いさんだったので戦争の話は何となく聞いているし、母も学生時代には風船爆弾を造っていたそうです。

 今、日本は安保法制を取り巻く問題が議論され国会周辺や地方でも反対・賛成を巡り大きな問題になっています。このままでいくと戦後70年堅持してきた世界に誇る平和憲法と呼ばれてきた憲法9条が見直される事になるかも知れません。

 私は議論は大いに良い事だと思いますがこと戦争に関してだけはどんな事があっても絶対反対です。

 以前、広島の原爆記念館に行った事があります。日本人はすべての子供たちがあの原爆記念館を見学すべきだと思います。どうやら近年は展示物が変更になって前より悲惨な展示が自粛されているようですが私はありのままの展示をすべきだと思います。

 正しい戦争なんてものはありません、戦争は国家が認める殺人に他ならないと思っています。

 どんなに国会の政治家達が「そんな事はあり得ない」「戦争になると煽り立てるのはメデアの陰謀」といっても当の本人達は決して当事者にはならないのですから口では何とでも言えます。

 私は「そんなに安全だというのなら原発も国会の隣に建設すればよいし国会議員の先生たちも怪しい政治活動費を無駄遣いせずに紛争地域に行って自分の目で本当に安保法制の改正が必要なのか体験してから言えば良い」と思います。私だって紛争地域の最前線に行った事はありませんが想像する事は出来ます。

 戦争に正義なんてないし最前線になってしまった現場で生死をかけて戦っている人間に「後方支援に徹して攻撃されても武器の使用はせずに撤退しろ」何て事はとても現実的とは思えません。

 戦後70年、段々戦争の記憶が薄れるにつれ又第2次世界大戦前の様な危うい状況になってきている様な気がしてなりません。

 若い国会議員が「戦争に行きたくないなんて利己主義は戦後教育の間違いが引き起こした」何て発言を聞いていると背筋が寒くなります。なんで「戦争に行きたくない」と思うことが利己主義になるのか私には全く分かりません。むしろ人間なら至極当然な事だと思います。

 毎年、夏になるとこんな事が気になりますが今年程、痛切に危機感を感じる事はありません。

 日本は本当にこの政府が主張する変革の道を進んで良いのでしょうか?決めるのは国会議員ではなく私達です。未来の子供たちに平和な生活を残す義務が我々にはあります。

2015/08/08

故郷帰り

子供達が夏休みに入り、お盆が近くなってくると故郷へ帰る人達が増えて来ます。我が家も娘が孫達2人を連れて八ヶ岳の森の中に帰って来ています。

 子育てを終えて3人の子供達もそれぞれ独立して家を出て行って、すっかり静かに夫婦2人と猫2匹で暮らしていた山のログハウスも孫達の歓声で賑やかな日々が続いています。

 迷惑なのは猫達で「ネエ、この煩い奴らは何時までここに居るの?」と言わんばかりに眉間に皺を寄せて逃げ回っております。ストレスで脱毛にならなければ良いのですが(笑)

 しかし、すっかり忘れていた赤ちゃんの匂いや泣き声に接するのは嬉しいものです。「孫は来て嬉しい、帰って嬉しい」とは良く聞く言葉ですがホント旨く表現した言葉だと思います。

 しかし、育ち盛りの子供達にはこの夏休み思いっきり自然と親しんで、一杯汗かいて、一杯遊んで、一杯色んな事を感じて欲しいと思います。

 いずれ又、都会に帰って行かなくてはなりませんが少しの間、我が家の森の中のログハウスで一人は床を這いまわっておりますが(笑)一人は家の中を上から下まで走り回っております。オ~イ、ジイジイと遊ぼうよ~!

2015/07/26

音楽の力

一年に何回かコンサートに行く機会があります。数百円~1万円位までの中小規模のコンサートがほとんどですがそれだけに気取ったところが無くて演奏する方も中小規模のホールやペンションだったり喫茶店だったり酒蔵だったりと気取らない雰囲気の所が多いので余り緊張せずに演奏出来る様でその雰囲気が聞いている方にも伝わってきます。

 昨日はお施主様の自宅のリビングで「知り合いがイタリアから帰ってきてジャズの演奏するから来てください」と声を掛けて頂いて早速行ってきました。

 まだ20代の若い彼は北杜市の地元の中・高校を卒業後、単身イタリアに渡りクラシックのトランペットを勉強していく中でジャズに興味を持って現在、教授から指導を受けながら演奏活動を続けているそうです。

 ソロの演奏だったので大変そうでしたが若者らしく恥じらいながらも一生懸命、イタリアで学んできたものを披露してくれました。いつの日か著名なアーテストになって又、彼の凱旋ライブを聞ける日が来るのを楽しみにしています。

 山梨には余り大きなコンサート会場はありませんが先日も甲府市内の800人程収容の小ホールでのコンサートに行ってきました。

 シンガーソングライターの現在50代の彼女は昔、一世を風靡した著名なアーテストですが暫く子育ての為に日本を離れ海外で暮らしていましたが子育てを終えて帰国して全国の小規模なホールばかりを廻るツアーをしています。

 地方都市にいると中々、時代の最先端をいくアーテストのコンサートが開催される事はありませんがこういう一時期、栄光の時代を過ごした後、様々な人生の経験を積んで新たにアーテストとしての別の価値観を見出した活動をしている彼女の様なコンサートが開催される機会があります。

 勿論、彼女が昔、ステージ上で光り輝いていた時代も見ていましたがこうやって普通の一人の人間として親としての時間を過ごした後、復帰して又、あの時代の曲を生で目の前で披露してくれるのを聞く機会が持てるのはとても幸せな事だと思います。

 彼女自身も「20代の頃の大ヒット曲を引っ提げてのツアーは会場と移動だけの時間しかなくて、もうそういうツアーはやりたくない」とステージ上で語っていました。

 今は地方都市のコンサート前に地元の特産品を買ったり美味しいものを食べたり地元の方と触れ合ってから会場入りしてリハーサルをする事に決めているそうです。そうする事によってその地方の暮らしを少しでも体感する事で初めてその地方でのコンサートを開催する意味があるという事のようです。

 彼女は演奏活動を通じて東北大震災の復興活動にも尽くし山梨の神代桜の苗木を東北に送り続ける活動もしています。

 又、先月は知人の中国の著名なバイオリニストの演奏も聞く機会がありました。彼女は中国で文化大革命の影響を受け楽器を演奏する機会を奪われ自宅の地下に隠れ父親が大人のバイオリンをノコギリで切って子供用に小さくしたバイオリンで密かに練習を積み、やがて日本に来て大学に入学して外国人として初めて芸大の博士号を取得しました。彼女の演奏は本当に素晴らしくて私は涙が止まらなくて困りました。

 あの東北大震災以降、多くのアーテストが復興活動に参加し演奏を続けてきました。「音楽は人を救えるか?」とよく言われますが、私は自身をもって「勿論です!」と言えます。

 前出の中国人のバイオリニストも東北大震災後、復興活動で演奏していますが「悲しい時は悲しい曲を聴いて思いっきり泣くことも必要です」と言っていました。

 残念ながら私自身は楽器はまるで駄目なのですが聞くのは大好きです。困るのはどうも年齢を重ねて涙腺が緩くなって素晴らしい音楽を聴くと感情が昂ぶって涙が止まらなくなるのが難点ですが(笑)

 これからも多くの良い音楽を聴き続けて行きたいと思います。皆さんもたまにはコンサート会場に行って手を叩き、拳を振り上げませんか(笑)

2015/07/12

森の夕暮れ時

 ここ1週間程、毎日の様に雨が降り、いい加減鬱陶しく思っていましたがここ数日は一気に猛烈な暑さに見舞われて、まるで真夏の様な日差しが差し込んできています。

 この季節、高原の夕暮れ時はたまらなく、何とも言えない幸せな時間が訪れます。

 蜩が鳴いて昼間の暑さが嘘のように森の中を涼しい風が吹き抜け、時間としてはホンの1時間程度の間ですがこの季節独特の美しい時間帯です。

 都会にいるとなかなか味わえない森の中に住んでいる者の特権みたいな時間です。

 我が家の猫たちも唯一外に出る事が出来る物干し場に出て日が暮れて真っ暗になるまで家の中に入って来ようとしません。「お~い、いい加減入っておいでよ」と言ってベランダに迎えに行くのが日課になっています。

 森の中に住んでいると時には木陰が濃くて家一杯の太陽の光が欲しくなる時もありますが森から一歩外に出れば強烈な真夏の太陽が待ち受けているので私は森の木陰の恩恵の方が有難かったりします。

 標高1000mの森の中に建っている我が家、真夏には有難い天然のクーラーに守られて今年も快適です。

2015/06/30

手紙とメール、ネットと感性

 最近、手紙というものを書かなくなりました。と言うか正確に言うと「手書き」の手紙というのを書かなくなりました。

 仕事柄、ビジネスの手紙はしょっちゅう出すのですが「手書き」で書くことはまず無くなりました。いつもパソコンで書いた手紙をプリントアウトして封筒に入れて郵送するか、あるいは郵送に替えてメールを送信するといった方法で用事を済ますことが多くなりました。

 その結果、何が悪いといっても最悪なのは漢字が書けなくなりました。昔、子供の頃は漢字を覚えるのに「漢字はとにかく沢山、紙に書いて覚えるもんだ」と言われて何度も何度も紙に書いて覚えさせられたものでした。

 ところが便利なパソコンというものが出来て勝手に打ち込んだ文字を漢字に変換してくれるもんだからいざ、手書きで手紙を書こうとするとすっかり漢字を忘れてしまっていて愕然としてしまいます(笑)

 あんなに日常的に使っていた漢字が手先から抜け出てしまって「アレッ?」てな感じで簡単な漢字が出てこなくて困ってしまいます。あんなに苦労して覚えた漢字なのにちょっと使わないととアッと言う間に忘れてしまうのですね。驚いてしまいます。

 人間の能力というものは本当に素晴らしくて無限大の可能性を持っている反面、その能力を別のものに置き換えて使わなくしてしまうとどんどんその能力を失っていく様です。

 昔、このまま人類がコンピューターに頼った生活を続けていくと手足が衰えて頭デッカチな宇宙人みたいな姿に変わってしまうと言われてそんな姿が随分描かれましたが本当にそんな姿になってしまうかもしれないですね。

 最近のインターネットを利用した検索サイトやネット通販なんかも本当に便利になりましたね。しかし、それらのもたらす膨大な量の情報はあまりに多くの情報を世の中に溢れさせてしまい肝心の情報を精査して自分の感性によってその情報を取捨選択して自分にとって何が大切で何が要らないのかといった判断を奪ってしまった様な気がします。

 私も現代に生きている以上、ある程度のネット環境には順応する必要があるし便利なものは利用しようと思います。しかし、その反面、この情報にはアクセスしないでおこうと思うことも増えてきました。あまりにも色々な情報が日々、寄せられてきてメールの量も数日ほっておくと大変な数になり、とても全部に目を通す余裕がなくなります。

 又、その大半は自分にとって不要な売り込みや「お金貸します」(笑)みたいな情報が溢れていて、とても見る気になりません。

 自分がモノ造りの仕事に関わっており事もあり、あまりにも表面的な情報ばかりが流れてちょっとした些細なモノでも「これを造るのにどれだけの手間がかかっているんだろう?」と思ってしまいます。

 どうもその表面的な事象にばかり目がいってその裏にある人々の手間や苦労が分かり辛くなっているような気がします。又、世の中の価値観も手間暇かかるモノ造りの手間や価値をなかなか認めない様に変わってきてしまった気もします。

 元々、日本人は手先が器用で細かな作業を根気よくこなすのが得意な人種でした。この本当の意味でのモノ造りにおける価値感を忘れずに正当に評価していける世の中を続けていかなくてはと梅雨空を見上げながら物思いにふけったりしております。(笑)

2015/06/14

変わっていいもの、変わってはいけないもの

 最近、日本列島は大規模地震が発生したり火山の噴火があったりとどうやら地殻変動の活動期を迎えているらしい。

 一方、国会も安保法制で大もめにもめたり大阪都市構想が住民投票で否決されたりと、政治の世界も変動の時を迎えているらしい。

 何時の時も人は慣れ親しんだ暮らしや生活に変化が起こる時はストレスが掛りリスクも大きいです。

 私も昨年の秋から身の周りに大きな変動がありました。先月も義理の父を見送る事になりそれはそれで大きな変化でした。

 出来れば平穏な、いつもの生活がず~と続けばよいのですがそれはそれで変化がなくてつまらない人生になるのかも知れません。

 しかし、世の中には変わってよいものと変わってはいけないものがあると思います。仕事上の変化や暮らしの変化はある程度は仕方ないものと思います。しかし、平和を愛する気持ちや人を傷つけないといった当たり前の事は決して変わってはいけないものだと思います。 自然も同じ。人が暮らしていく上で自然を恐れ敬う気持ちも決して変わってはいけない事です。

 そんな当たり前の事が今の日本では当たり前でなくなっていく危険性を孕んでいるような気がしてなりません。

 日本には3権分立という人が暮らしていく上で大切な決まりがあります。しかし、今の政治の世界は行政権のみが強権をもち立法権や司法権がないがしろにされている様な気がしてなりません。

 安保法制では行政に携わる政治家が平気で「国民を守るのは行政の責任で憲法学者ではない」と言い放ち、憲法で保障された投票権で1票の格差が憲法違反と言われながら一向に行政側はそれを改善する気配もない。世界に誇る平和憲法といわれた憲法9条を時の国会で都合の良い様に解釈を変更して憲法9条の精神を踏みにじる様な変化が議決されようとしています。

 一体、行政権は誰の為にあるのでしょう?私の住む北杜市でも最近メガソーラーの乱開発が問題となり住民側と行政側の間で争議が起きていますがどうも行政側の動きは鈍くて一向にこの大切な自然を守ろうという行政側の姿勢が伺えません。

 先日、日本で一番移住したい県として山梨県が1位に選ばれましたがその理由のひとつはこの美しい自然に囲まれた北杜市のような自然溢れる土地が東京からわずか2時間足らずの距離にあるという魅力だと思うのですがどうも行政に携わる人達にはその自然を守ろうという覚悟が見られません。

 変わっていいもの、変わってはいけないもの。少し皆で考えてみませんか?

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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