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2006/04/01

携帯電話の罪?

最近、子供達をみていると不思議な光景に頭が???となる事が多い。それは友人同士隣り合って座っても互いに携帯をカチャカチャ・・車で迎えにいって後ろに3人くらい乗っけていてもお互いに携帯でカチャカチャ・・・これは一体何なんだろう?と考えた。

最初は「これも時代の流れなんだろうな~」と理解した。そしてこれが新しいコミュニケーションの方法なんだろうなと理解もした。私自身は携帯電話でさえも持ち歩きに抵抗を感じる人間である。何故嫌かというと自分が置かれている状況に関係なく呼び出されるからである。だから、良く電源を切ってしまう。そうすると会社のスタッフや家族から携帯電話をもっている意味がない!と叱られる。そりゃそうだ。だから打ち合わせをしている時や建物の中や施設に入っているときにはマナーモードという事にしている。

今朝、テレビを見ていたら電車の中で時間が出来たときにとる行動は?との問いに一番多かったのが携帯でメールをする。というものだった。ふ~んやはりそうなんだと納得してしまった。

つまり、現代人の人とのコミュニケーション方法は携帯電話が出来たお陰で場所という距離感を飛び越えてしまったと言う事なんでしょうね。だから傍にいる人間との会話にこだわらずに違う場所にいる人とコミュニケーションをとるという事に違和感を持たなくなったと言う事でしょう。だから、隣に座っているのに会話が成立しない。話術というものが必要なくなってしまったんでしょうね。メールで会話するには話術は必要なく顔文字とか感嘆詞とかそういうものの盛り込み方によってそれに代わる方法を見出している。という事かな?

私は誰か知り合いが隣にいたら「何か話題を探して話をしなくちゃ!」という脅迫観念に近い感情をいつも持ってしまいます。それが正常かどうかは分りませんが少なくてもそういう感情はいつも持っています。でも現代は必ずしも傍にだれも居なくても誰かと繋がっているという事なんですね。だから時間と場所に関係なく誰かと繋がっているために「命に次に大事なものは?」と聞かれると「携帯電話」となってしまうのだろうな・・・

一度、携帯を捨てたらどうなるんだろう?もともと無かったんだから別に死にはしないし・・困ることは困るだろうけど・・それもどうしてもという事ではないような気もするけど・・携帯電話は便利だけど一度電磁場とかが乱れるときっとパニックになってしまうのだろうな。

文明って何だろう・・生活が便利になればナルホド昔に返りたがる感情が芽生えるのは何故なんでしょう・・薪割りもそうだし、森の中で火をおこしてコーヒーなんか飲んだら最高に幸せなんだけどな・・・不思議ですね。

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