2006/12/10

大人と子供

 フト、思った・・大人と子供の違いとはなんぞや?何故そんな事を考えたかというと昨日、清里で駐日ノルウエー王国大使のグルットレ氏を招いたノルウエーのイベントに参加してきた。いや、実はそれは口実でそのイベントの最後に予定されているオカリナ奏者の大沢聡さんのオカリナが聞きたくて行ったのですよ本当は・・・ところが受付で「場所はどこですか?」と聞いたら「入られますか?」と聞かれうっかり「ハイッ」と明るく返事したものだからそのコンサートの前に実施されているこのノルウエー大使を招いての「持続可能な都市つくり」だったかな?兎に角そういうパネラーを囲んでの討論会の中に入れられてしまったと言う訳です。

 もうその会も質問を終えて終わるところだったのですがパネラーとして出席していた柿沢元外務大臣が「今日、大使がお1人で何とJR中央線の電車でここ清里に来られた言う事が何よりの持続可能な都市つくりを実践されているという事ではないでしょうか」と発言されてのにひどく感銘を受けてしまったのですね。

 つまりノルウエーという国は景観や環境というものにすごく配慮されている国で環境破壊に繋がる行為は犯罪者として取り締まられるという事が国民の心の中に染み込んでいるという事なんでしょうね。わが国のお偉方のようにタウンミーテングと称し、やらせ質問を用意し更に静岡駅からわずか歩いて8分の会場まで東京からハイヤーで行く事になんの罪悪感も感じないという心と比較するとこれが大人と子供の違いなんだなと思ってしまったのですよ。

 つまりバレなきゃ何をしても良い。バレりゃしょうがないから謝る。これは子供ですね。つまり自分の判断が無い。自分の価値観が無い。大使が話していたのは「グローバルな価値観、誰かに言われたからではなく地球に住む者として当然持続していかなければならない事を先ず、自分から実践し行動する。」これは大人の価値観ですね。いや~聞いてて恥ずかしかった。当たり前の事だけど日本のお役人とこの王国大使との価値観の違い・・・どうしてこんなに違ってしまったのだろう?やっぱり鎖国がいけなかったのかな・・環境に対する価値観の違いは雲泥の差のような気がする。

 偉そうな事は言えないけど自分で出来る事はやっているつもりだけど更に今日からもっと考えなくちゃと思い知らされました。

 その後のコンサートは甚目さんのMCとグリーグの演奏、更に甚目さんが「最初で最後だと思う」といわれた奥様とのピアノ連弾、お嬢さんの素晴らしいバイオリン、そしてお目当てのオカリナ奏者大沢聡さんとピアノの堀内なつみさんのコラボレーションがいつものようにアットホームな雰囲気の中でもキラッと光る才能溢れる演奏を楽しんでとても得をした時間でした。こういうイベントは今後もずっと続けていって欲しいと思いましたね。自分では椅子運びくらいしか手伝わなかったけど・・・今度はもっとお手伝いしますね。

2006/12/07

喋る機械達

最近の住宅に置かれる機械達はよく喋る。例えば自宅のボイラー、昨年壊れてはいなかったけど15年経ったのを機会に取り替えた。このボイラー君いやボイラー嬢、親切に色々教えてくれる。曰く、「お風呂が沸きました。給湯栓を閉めてください」あるいは「給湯温度を○○度に変更しました」と色っぽく?話しかけてくれる。う~んマアこの位ならまあイイカと思っていた。可愛い声だし・・それなりに便利だし・・・と思っていた。

 先日、とあるお宅の便所に入った。入ると直ぐ便器の蓋が自動的にパカッと開いた。マア、最近の便器は全自動のフル装備になっているのでこれ位は当たり前になっている。ウンそうかそうか、便利だねと思い納得して用事を済ませた。すると・・・今度は何だか音楽が鳴り出した。どうやらこれはトイレでリラックスする為の工夫のようだ、もしかしたら用を足すときの音を消す効果もあるのかも知れない。フムフム色々工夫されているな。と思ったがフト便器を覗くと何だか怪しい照明が点いて便器の中を照らしている。ウ~ムここまでしなくても・・と思うけど機能が付いているのだからしょうがないよね。

 このまま世の中が進んでいくときっと朝起きたら「オハヨウございます。電気を点けました。コーヒーを煎れておきました」何て事になり、「口を開けて下さい。歯を磨きます」なんて歯磨きロボットが出てきたりはしないだろうか。そんなバカナと思うかも知れないけど意外と現実になるかも知れない。

 そうなるときっと人間の手足なんかはすっかり退化してしまって短くなって寝たきりになんかなってしまって全てロボットがしてくれるようになるのだろうな・・・

人間はコンピューターのキーボードだけ操作していれば良くなってどんどん運動能力は退化していくのだろうな・・・

 オソロシイ、オソロシイ・・・この喋る機械達、以外と落雷に弱い。昔のシンプルな機械達にはICが組み込まれていなかったのでそうでもなかったけど今の機械には皆ICチップが組み込まれていて落雷による地絡電流がこのICチップを焦がしてしまうのだ。つまり意外と天変地異に弱いと言う事・・やはりシンプルイズベストと言う事だろうか・・・人間もシンプルが一番、私は農家のお百姓さんが世の中で一番エライと思っている。

2006/11/27

「エコ」って何?

今年も東京ビッグサイトでエコビルド展が開催され、私もNPO新月の木国際協会の会員として最終日の1日だけ参加して来ました。本当は11月22日から25日まで開催されていたのですが今年は色々と忙しくて結局、最終日のどうしても外せない講演会だけ参加させて頂きました。準備に忙しかったスタッフの皆さん、お手伝い出来なくてすみませんでした。

 しかし今年は昨年より少し出展者が少なかったのかな?という感じでしたがそれにしても盛況でした。世の中はそれでなくてもエコロジー流行だそうでいつだったか雑誌を見ていたら「エコロジー」というキーワードだけで経済効果は大変なものだそうな。つまり「エコロジー」は商売になるという事らしい。う~んどうもすっきりしない。流行らないよりは流行った方が良いとは思いますが・・・どうもすこ~し引っ掛かるのですね。色んな企業がエコロジーをキーワードに商品を展開していますが「ホントのところこれってエコロジーなの?」と首を傾げたくなる物も中にはあります。つまり「エコロジー」ってよ~く考えて見ないと分らないところがあると思いませんか?確かにある一面ではエコロジーかも知れないけどもっと大きな次元で捕らえてみるとトータルとしてはエコロジーとは言えないんじゃ無いかなって事、有る様に思います。

 例えば僕達ビルダーが丸太の端材で冬、暖をとっていたとします。しばらくすると間違いなく保健所から産業廃棄物の不法処分に当たるので止めなさいと言ってきます。「ダイオキシンが出るからイケナイ」そうな、ある日エライ大学の先生にこの件を聞いてみた「本当にダイオキシンが出るのかどうか・・?」先生は憤慨しながら「あんたら、丸太を燃やしてるんでしょう?ダイオキシンの化学式知ってるか?ダイオキシンは塩素が無ければ出るわけないでしょが!丸太燃やしてなんでダイオキシンが出るの、出る訳ないでしょが!言ってやりなさいその役人に!」と逆に怒られた。しかし法律は法律である。だから我々は灯油を買ってきて小屋の中でストーブを燃やしている・・・何だかオカシイ。家に帰ればウッドストーブを燃やしているのに・・・・

 地球温暖化防止策に有効だとして高気密高断熱住宅がもてはやされた。暫くしてシックハウス症が問題になり更に24時間換気が必要だと言って換気扇の設置が義務付けられた。24時間換気だから当然、消してはいけない。だからスイッチに24時間ONというシールを貼らなくてはならない事になっている。当然、いくばくかの電気がかかる。しかもここは標高1000m近い高原、冬は氷点下15度近くまで下がる日もある。でも換気扇は廻さなくてはならない。これってどうよ?

 エコロジーだからといって24時間のオール電化住宅がもてはやされる。しかし待てよ?皆がオール電化住宅にしたらどうなるの?電気が足りないというではないか。タダでさえ足りない電気だけど夜の電気は余ってるから使って欲しい。それは分る。でも、需要が増えてそれで供給できなくなったら又、原子力発電所を造るのかな?一体、一棟の原子力発電所を造るのにどれだけのエネルギーを必要としどれだけの核廃棄物が放出されるのかな?これってエコロジーなのかな?

 余り知恵の無い頭で無理な事考えて照明付けてると電気代が無駄になるからこの辺で止めて置く。これはエコロジーに繋がるかな・・・「下手な考え休むに似たり・・・エコ」

2006/11/19

教育について思う事

 最近、何かと教育に関わる報道が取りざたされていますが何だか難しい世の中になったものです。私は小学校時代はいわゆるガキ大将でしたのでよくイタズラして叱られました。学校に行っているというよりも学校の廊下に行っていると言った方が正しい位、毎日廊下に立たされていました。何せ、宿題はしたことないし、学校には何も持っていかないし当然、毎日忘れ物だらけ、徒党を組んでイタズラのし放題でしたので当然、毎日立たされる訳ですね。怒られて当たり前でしたが何故か先生はいつもそんな私でも怒りながらも庇ってくれました。私も悪い事をしてるのは百も承知でイタズラして先生に怒られるのが楽しくてイタズラしているところがありました。

 でも今は先生は生徒に余り怒れないような環境になっているみたいですね。私の頃は当然悪い事をすればぶっ飛ばされるし、竹刀で叩かれたり、出席簿の角で頭叩かれるとイタカッタ!でも親も当然、我が子が悪いのが分っているので「先生、もっと叱ってやって下さい」というような雰囲気がありましたよね。子供も当然、悪い事をすれば罰を受けるという事が分っていましたので私も毎日、立たされたり正座させられても「しょうがないわな・・」と納得していました。

 現代は先生が子供に手を上げようものなら〇〇委員会とやらに親が通報し暴力教師として目を付けられるみたいですね。私らの時は大抵、体育の先生が鬼教師でどんな悪ガキでも体育の先生にだけは頭があがらないモンでしたけどね。世の中変わったんですね。私も悪ガキでしたが体育だけは得意で小学校も結構なマンモス校で全校生で1000人くらいは居ましたね。毎年1回、全校の縄跳び大会があって引っかかった人は順番に座っていって最後に誰が残るかという大会でした。いつも私は最後まで残りとうとう時間切れで何人かが一等賞なんて事もありました。

 ある日、その小学校が放火で全焼してしまった事がありました。学校が無くなってしまって私はもう行かなくて済むのかなと思い嬉しいような遊べなくなって悲しいような複雑な気持ちになりました。そこで何故か私が思いついたのはお金を稼いで学校を建て直す足しにして貰おうと思ったのです。普段からガキ大将で色んな悪い事してましたのでさっそく仲間を召集し「オイッ皆で釘拾って来い!」と号令をかけて自分も広場を這い回って古釘を拾って廻りました。それを普段から懇意にしていたボロ集めのオヤジのところに持っていくと買って貰えるのです。普段はそれをオコヅカイにして買い食いをしていたのです。皆で集めた古釘は当時で1000円位になったと思いますがそれを封筒に入れていつも、イタズラをしては連れて行かれる職員室の入り口に夕方そっと置いて走って逃げて来ました。

 良く考えれば別に逃げてくる事はないのですが何せホラ、普段怒られてばかりなので職員室に近づく事さえ憚られるのですよ。習慣って恐ろしいですね。ところが何故か次の日、早速職員室に呼び出されて「この封筒を置いたのはお前だろう!」と先生に言われ「何で分ったんだろう?」と内心思いながらもそこはほれ悪ガキですから「コリャ又、怒られる」と思い「はいっ、ゴメンナサイ・・・」と謝ったら先生、何故か何も言わない・・・殴られると思いうつむいてそっと先生の顔を見たら先生が泣いていた。「先生・・・」と言ったら、先生は何も言わずに頭を撫でてくれました。もう40年以上前の事ですが今でもハッキリその先生の涙が一杯溜まった目を忘れる事はありません。

 それから私はもうイタズラは止める事にしました。教育ってナンでしょうね・・・

2006/11/13

美しい季節

Yatugatake_1 一昨日、森に今シーズン初の雪が舞いました。勿論、積もるまではいきませんがすっかり冷え込んで朝の気温は1度まで下がり久しぶりに震え上がりました。我が家のウッドストーブにも火が入り、ストーブの暖かさにホッとする季節になりました。この写真は1週間程前、白州の知り合いの農場に行った時に余りにも美しい八ヶ岳の姿に見惚れて思わずシャッターを切った時のものです。麓まで紅葉の紅色が降りてきてまるで美しい着物をまとったような姿を見せてくれています。

 これから冬に向かって山は一年で一番あでやかな美しさを垣間見せてくれる季節です。この季節、いつもカメラを持ち歩いていないと自然が見せる一瞬の涙が出そうになる美しさを撮りそこなう事になります。もっともカメラの技術がないので後で見るといつも「こんなはずじゃなかった。もっと綺麗だったのに・・・」と思うのですが・・それでも撮らないよりはマシと思って撮り貯めています。

 山の美しさは春と秋、春は新緑の美しさ・・・それは新しい生命の息吹の美しさ。それは若者の希望に満ちた眩しいキラメキ。秋は、紅葉の美しさ・・それは大人の美しい女性の様なハッとする程の美しい彩をまとった美しさ・・春、秋、それぞれ別の美しさを見せてくれます。

Kouyou

 そしてこの美しさに見とれていられる時間はそうは長くありません。次第に厳しい冬の寒さが忍び寄ってきて森は静かに一年の活動を終え、じっと次の春の訪れを待つ静寂の季節になって行きます。森の中に住んでいるとこの一年の移り変わりを自宅の窓からジッと眺められる幸福を感じる事が出来ます。八ヶ岳の森に住んで本当にヨカッタ・・・

2006/11/06

舞台裏人間模様

昨日、地域のイベントのお手伝いで舞台の裏方をしてきました。時々、こういうお手伝いも廻ってくるのですが地域のイベントといってもれっきとした県立の施設なので舞台設備もしっかりしており客席も200人くらいは入れるのかな?数えたわけではないので良く分りませんが、なんせ立派なホールです。

 秋の初めからスタートした民話の語りがそのメインなのですが出演者も含めて長い期間リハーサルを繰り返しその最後の舞台でした。私は裏方なのでアシスタントとして舞台の袖で進行をするだけなのでそんなに負担はないのですが出演する人達のうちプロの方達は余裕ですがそうでない方達も含めて舞台裏では様々は人間模様が繰り広げられます。

 私はもともとこういう人間ウオッチングが大好きなのでそういう人達を見ているのがたまりません。自分がそういう立場に置かれたらとてもそんな余裕は有りませんが・・・

 本番が近づくにつれて寡黙になり出番の時間を伝えるのさえためらわれる程、集中して台詞をブツブツと繰り返す人、舞台上での動きを間違えない様に舞台裏の僅かなスペースを利用して動きを確認する人達、照明のタイミングを確認する為に舞台監督と無線でやり取りする音声担当(ミキサー室にいるので本番中は全く会いませんが・・・)、そして演技に必要な小道具の出し入れや演者の入るタイミングを舞台袖で知らせる我々アシスタント等様々な多くの人間がたとえ僅かのイベントでも関わる事になります。

 本番が始まれば例えどんな事があってもとめる事は出来ません。とにかく演じ切るしかアリマセンから客席から見ていると分らなくても舞台裏は大パニックなんて事もあります。以前のイベントでは私が担当してスモークという煙を出す役目を仰せつかっていたのですがそのタイミングが旨く行かず舞台裏で真っ青になってました。何せ一旦スモークが出始めると止める事ができない機械なもので「もうどうにでもシテ・・」状態です。

 他にもあれほどリハーサルを繰り返しても皆さん緊張しているので自分の出るタイミングを忘れて早く出そうになった演者さんを慌ててうしろから引っ張りもどしたり逆にタイミングが過ぎてるのに出て行かない演者さんを押し出したり・・・。しかし、舞台の反対方向に起きたハプニングにはどうしようもありません。何とか伝えようと腕を振り回すのですがこれが中々気付いて貰えないんだな~

 華やかに見える舞台の裏では多分、どんなイベントでも様々な人間が青くなりながら走り回っている事だと思います。客席からみる舞台も楽しいですけど舞台裏はもっと楽しいですよ・・・

2006/10/29

物質文化と精神文化

 やたらと固そうなタイトルになってしまいましたが最近、時々ニュースをみたり日常でフト気になる事があります。例えば仕事柄、建築関係の記事にどうしても目がいくのですが「秋の住宅フェア!特別キャンペーンモデル販売」などという広告が最近はやりですよね。つまり住宅は建てる物ではなく買う物なんですね。う~ん、何となく自分の感覚とはギャップがあるな~と思ってしまいます。これだけ住宅の工業化が進めば当然の事なんでしょうけどね。

 先日も、自宅に届いた壁材の板は綺麗にラッピングされて一束ずつ梱包されてそれは素晴らしい納品姿でした。それはそれで素晴らしいと思うのですが、別にそこまでしなくてもいいんじゃないのとちょっと変な感触が心の中に引っかかりました。多分、普段から山の中に入ってキコリさん達が木を倒すのを見ている感覚と木が違うとはいえその木がラッピングされて納品されるという感覚のギャップが旨く埋められないのでしょうかね。

 昨今、話題の高校の必須科目の履修逃れの話題も世界史だか日本史だかでしたっけ?昔、私も日本史と世界史が苦手でとにかく訳も分らず丸暗記したものでした。だから今でもその時代の繋がりがさっぱり分らずいい歳してあの頃もっと勉強しときゃ良かったと後悔しています。私も理系だったので文系の授業はさっぱりでしたが今となってはとても後悔しています。受験はテクニックも確かに重要だけど余り受験テクニック偏重の授業をしていると私みたいに後で後悔する羽目になるような気がするけどな・・・何が言いたいかというと人が人となるにはそれなりに時間と経験と手間がかかるのは当たり前じゃないのかなと思うわけです。余り早くから自分の人生を決めてしまわない方が良いんじゃないかな~。

 全然違う話ですが先日、雷が近くに落ちた影響で家のTVが死んでしまい。しょうがないので小さな液晶テレビを買おうと思い女房と近くの電気屋さんに見に行きました。今、テレビ業界は地上デジタルテレビが話題となり新しい家電需要の拡大を期待してどこもTVコーナーは充実しています。案の定、棚には同程度のTVが右側が地上デジタル対応型、左が非対応型として展示してあり「サア、あなたはどちらを選びますか?」状態であった。当然、迷うよね。電気屋さんに行って悩んでも遅いって思うんだけど、そこはそれ旨く並べてある訳ですよ。で、結局予算のない我々夫婦としては「出直してきま~す」にあいなる訳ですね。で、それが言いたい訳では全くなくそこで前から気になっていた「亀山モデル」というのがどうも心に残ったのですね。別にメーカーの宣伝をする訳ではないのですが同じそのメーカーの製品でありながらあえて亀山工場製品というのを前面に打ち出すのに共感を感じるのです。

 「ものづくり」をしていく中で確かにコストを抑え安く仕上げる事も大事だし、綺麗に包装して届けることも大事だと思うけど原点は人間が手で作っている事だと私は思います。どんなに効率を上げても人間が作る以上「かかるものはかかる」のである。費用も時間もですね。同じメーカーの製品でありながら亀山工場で作るものとそうでない物とが差別化されている販売方法は「違うんですよ!」というメーカーの姿勢を表したものですよね。そこに何だかオウ!いいじゃないのと思ってしまう訳です。今まで余り気にしていなかった何処で作られたか?という作り手の価値観を付加したという所がグッドですね。

 最近、特に効率優先で余裕が無さ過ぎるような気がします。豊かな物質文化は豊かな精神文化の上に立ってこそ出来上がるものではないでしょうか?普段、必要のないハイスペックなものが巷に溢れて過ぎていませんかね。どっかのコマーシャルにあったけど電話は話が出来れば良いんじゃないですかね。車は安全に快適に走ればそれで良いじゃないですかね。シンプルイズベスト・・何だか一昔まえにこんなキャッチフレーズが流行ったけど今一度「勿体無い」と「シンプルイズベスト」が流行らないかな~なんて思う秋の一日でした。

2006/10/22

森の講演会

Mori1 Mori2_1          昨日、八ヶ岳「森つくりの達人」講座2006<秋>という講演を無事終えた。今年の初めに企画したものでいつも誰かに「こういう企画をやらないか?」という話があるとやめとけば良いのについ「面白そう・・」が先にたって引き受けてしまう。そして暫くは「マアいいやまだ先だから考えないでおこう」と思いつつ頭から消え去り、そして段々期限が近づいてくると段々、気が重くなる。「アア、やっぱり手を上げるんじゃなかった」と後悔してももう遅い。この講演も結局3ヶ月前から具体的に動き出してチラシの企画だの報道関係へのFAXだの宿の手配だの講演会場の手配だのスタッフとの打ち合わせだので飛び回る羽目になってしまった。講演会の内容は「未来への贈り物~新月の木~」というタイトルでNPO新月の木国際協会の増田理事長に基調講演をお願いし、私も言いだしっぺなので「新月の木の証人~現認者~」という題で講演をした。その後、山に入って実際に伐採を体験してもらい更にその後、知り合いの自然農場で焼き芋をご馳走になるという忙しいイベントでなんだかんだで30人くらいの殊勝な方が集まりワイワイと楽しんだ。

 講演が終わって基調講演をして頂いた理事長を駅までお送りしてホッと一息・・「アア、もう二度としないぞ」といつも誓うのだがそこはそれB型の悲しさというか誰かから「こんな事やろうと思うんだけど手伝ってくんないかな~」なんてお誘いがあると、辞めとけばよいのに「オモシロソ・・・」と心が騒ぐのである。んで、結局又、後悔の繰り返しと相成るわけでありますね。そんな訳で会社の社員からは白い目で見られながら今夜も地元の仲間とのイベントの打ち合わせに夜は更けていくのですね。特に秋はいろんなイベントが多くてやれ「〇〇の会」だの「〇〇コンサート」だの「〇〇講演会」だのと忙しいのである。んで、考えた。どうしていつも後悔するのに辞められないか?それは、イベントを通じて知り合った人達との繋がりやスタッフとして同じ目的で普段の仕事を離れて一つの目的を目指してお互いの時間を共有する事による心のつながりが気持ち良いのですね。達成した時の満足感がたまらないのだろうなと言う事ですかね。

 そんな訳で今年も年末に向かって様々なイベントが控えているのです。順次、その報告もして行きたいと思います。来年こそは少し控えようっと・・・

2006/10/14

我がジャイアンツにもの申す

我が原ジャイアンツ、復活を誓った今シーズン、今年もダメだった・・・近年、生まれてからず~とジャイアンツファンを貫き通してきた自分としては辛い日々が続いている。昨シーズンは悪いけど本当にジャイアンツファンを辞めようかとも思った。セリーグ優勝がかかった中日戦、東京ドームでの胴上げだけは見たくなかった。気概を見せて欲しかった・・・

 今シーズンも1回だけ東京ドームに試合を見に行った。当然、負けゲーム・・途中で出てしまった。余りにも面白くなかった。別に常に勝てとは言わない。そりゃ勝つ事もあるし負ける事もある。それは分っているつもり・・でも内容が悪すぎる。今シーズン、原監督に代わってはっきり言って相当期待していた。シーズン当初は首位に立ち。ヨシッ!今年はいけるぞ!と思ったのもつかの間、交流戦以降は下降線をたどりっぱなし・・・主力選手はみんな怪我で戦線離脱・・・若手は伸びず・・・2年、3年は我慢する。しかしそろそろ何とかして欲しい。

 今シーズンとうとういまだかつて無かった巨人戦のTV中継の中止、並びにに放送延長の中止・・・悲しい、余りにも悲しすぎる。昔、田舎ではTV中継のあるカードは巨人戦しかなかった。だから田舎はみんな巨人ファンになる。しかし、今は巨人戦だから中継がない・・なんて事だ!今朝、日テレのスポーツ番組で巨人選手にインタビューするコーナーがあった。主力選手はみんなガムを噛みながらインタビューに答え敗戦の弁を淡々と悪びれる事なく語っていた。唯一人だけイ選手だけが悔しそうに丁寧に受け答えして来シーズンも巨人で頑張る旨、語ってくれた。そりゃナイジャナイカ・・私を含めファンは主力選手達がさぞ悔しがってくれて真剣に復活を語ってくれるものと期待している。それがカメラの前でガムをクチャクチャさせながら「負けちゃいました」みたいな話をされるとそりゃアンタ、ファンは離れていきまっせ。

 そりゃね。これだけ優勝戦線から離れてしまえばヤル気もなくなるだろうけど今のジャイアンツの試合を見に行って真剣に戦っているなと感じるのは小久保選手とイ選手だけでっせ。二人ともジャイアンツ生え抜きとちゃいまっせ!(何故か関西弁になってしまうけど)兎に角ガムクチャクチャは止めて欲しい!昔から何故プロ野球の選手だけが試合中にガムを噛むのか良く分らない。他のプロスポーツで試合中にお菓子を食べたりガムを噛んだりするのを私は知らない。知らないだけかも知れないけど理解できない。緊張をほぐす為とか色々、ウンチクは聞いたけど私は納得出来ない。そもそも、何故練習中やインタビュー中にガムを噛まなくちゃいけないの?そこんところよ~く考えてくれないかな原さん。意識改革が必要でっせ。何か感覚がマヒしてんじゃないの。ジャイアンツの名前に溺れてまへんか?いくら名門球団だからってファンあってのプロじゃないのかな?他球団みなはれ、色んなパフォーマンスやってみたりサービスしたりして一生懸命やってるじゃないの。そりゃ賛否は色々あるけど何とかファンに喜んで貰おうと努力してるのは凄く分る。我が巨人は何してるのかな?サインボール投げ入れるだけでっか?昨シーズンはろくに監督インタビューさえしなかったし・・・何考えてるんだろね。

 我がジャイアンツよ蘇れ!一度過去の栄冠を捨てて一から出直そうじゃないか!新人達よ頑張れ!一流と呼ばれた主力選手達よ原点に返ってガムを吐き出せ!ガムを噛んでる場合じゃないだろっ!今のままじゃ高校野球の方がよっぽど面白いぞ。原さん、実力第一主義で来シーズンはメンバーをすっかり入れ替えて新生ジャイアンツを目指そうじゃありませんか!無名ジャイアンツ!面白いじゃないですか。それなら負けても元々、ファンは喜びまっせ。もう、一流選手を金で買ってくるのは辞めて生え抜きの巨人選手を育てようじゃないか!それなら負けても納得しまっせ!とにかく一番から九番まで打って守って走れる選手で固めてスピード溢れる野球をやろうじゃないか?いくら強打者でもヨタヨタしか走れない選手は見てても面白くありませんよ、むしろスーパーサブとしてここぞという所での代打の方がよっぽどプロらしいでっせ。一打にかける緊張感!それこそプロでっせ。

兎に角、来シーズンこそ原さん頼みまっせ!ガムを吐き出せ!これでっせ!

2006/10/08

自然って何?

 私の家はログハウスです。ここ数年、忙しさにかまけてログ外壁の塗装をサボっていたらある日、表面からキクイムシが出てきました。コリャ大変と思いつつそれでも中々決心がつかずサボっていたら段々増えてきて今年こそは塗装しなくてはならないと肝にめいじています。勿論、塗料は昨年から既に用意はしてあるのですがね・・・

 そこでフト、思った。何もしなければこのログはどうなってしまうのだろうかな?と・・私は仕事柄、木について色々な方と話す機会があります。「新月の木」に関する活動も続けています。そこで自然の木ってどういう意味かなと思った。木材業界ではキクイムシは嫌われ者である。木の辺材部の栄養分の高い部分に入り込み卵を産み付ける。それが成長して穴を開けながら出て来る。その結果どうなるかというと業界でシラタと呼ぶ辺材部に小さな穴が開きその部分を製材すると板に穴があいて商品にならないからだ。でもその小さな穴があいているからといって使えないわけではないし強度が落ちるわけでもない。

 そこで思うわけです。自然って何?虫なんか一匹も付いてない木が良い木で虫が入っている木はダメな木なのかな?と・・・野菜でも自然農法で農薬を使わないものには虫が付いています。先日も知り合いの自然農法を実践されている方から「うちは農薬使わないから小さいし、見栄えは悪いけど持ってくか?」といわれてムラサキ芋を頂いた。これがものすごく美味しかった。確かに小さいし見栄えは決してよくないけど味はピカ一でした。

 森の中に立っている木々をみているとこれらの木には果たして本当に一匹の虫も付かないのだろうかと思ってしまいます。残念ながら私にはその知識がないので実際のところは分りませんが確かに立ち枯れてしまった木には多くの虫や鳥が寄ってきていかにも弱って見えます。しかしそうでない木は元気に立っています。

 昔、戦後間もない頃に極端な住宅不足から日本中の山の木が皆伐されて使われその後、植林された木は残念ながらその頃流通し始めた「新建材」と称する腐らない、曲がらない、汚れない新製品にその主流の座を奪われ行き場を失ってしまいました。しかし、その製品はとても自然の木とはかけ離れた存在でした。現在はエコロジーブームです。世の中は自然に対する感心が高まっています。「新月の木」も昔から口伝で伝えられてきた伐採方法を踏襲し山で葉をつけたまま天然乾燥し出来るだけ人工的なものを使用しないで自然の力を利用して「木」本来の姿で流通を図ろうという活動です。

 私は昔もてはやされた「無節」で「柾目」の木が価値ある木だとは思いますがそれは何故、価値があるかというと簡単には取れない木だからです。自然に育った木のなかではそういう条件でとれるチャンスが少ないからです。逆に虫が入った木はダメだとも思えません。その木を生かす方法はあると思います。もう一度、自然って本当はどういう事かとじっくり考る時ではないですかね。なんてフト思ってしまいました。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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