2007/02/25

田舎暮らしの必須アイテム~車~

 森の中で暮らしていると良く聞かれるのが「買い物はどうしてるんですか?」「車がないと大変でしょう?」「年取って車運転できなくなったらどうするの?」と車にまつわる事が多い。確かに現代の森の生活では車がないと大変かも知れない。私の憧れの暮らし、森を出たところに地下鉄の駅があって隣が六本木という構想は暫く無理のようなので・・そこで車は森の暮らしの必須アイテムとなる訳です。

 こちらで暮らし始める人によく「車は何を買ったら良いでしょうね?」と聞かれるのですが私はいつも「田舎のベンツ「軽トラ」しかも四駆!」と答える事にしている。本物のベンツは全く必要ないし邪魔なだけですからね。役立たないし・・その点「軽トラ」は便利ですよ~何でも載るし、どんな道でも入っていけるし雪道にはダントツで強いし、汚くしても洗う必要ないし、まさに「田舎のベンツ」だと思っています。地元の農家の方は必ず一台は持ってますね。持ってないと仕事になりませんしね。たまに、共同清掃作業なんかの日があるのですがそんな時は見事ですよ。道の脇にド~と軽トラが何十台と並び、何だか軽トラの見本市みたいになります。その光景をみているといつも「自分の軽トラがどれか分るのかな?」と思ってしまうのです。なんせ皆、鍵もかけないし勝手に乗っていけるし見た目は皆同じだしね・・

 以前、軽トラが欲しくて知り合いの農家のオジサンに「どっか余ってる軽トラないかね?」と聞いたら「そんなら、うちの持ってけ」と言われ「えっホント!」とすっかり舞い上がってオジサンの庭先に置いてある軽トラを一緒に見に行った。確かにまだまだ使えそうな軽トラである。「ホントにいらないの?」「あ~もう使ってねえからな、持ってきな」と軽くおっしゃる。「へ~まだまだ使えそうなのに・・・」とぐる~と見回してフト気付いた・・車検が切れてる。しかもかなり前・・「これ、車検ないよね?」「ほんなもんいるかい!畑走ってるだけだもの誰も気になんかしゃ~せんよ」「・・・・・」う~ん、欲しかったけど丁重にお断りさせて頂いた。

 又、工事現場で知り合った現場近くの御婆ちゃん、どうやら評判の元気な御婆ちゃんらしい。こちらに別荘をお持ちで時々遊びに来ているそうな・・その御婆ちゃん、どうも東京では大変なお金持ちらしい。ある日、たまたま一緒に昼ごはんを近くのレストランでご一緒した。「あんた、私の車いらんかね」「えっ!」「もう飽きたからアンタにあげる」「えっ!車って御婆ちゃんの乗ってるベンツ?」「ウン、あのベンツさ~あたしが小さいからあたしの体に会わせてアクセルとかブレーキとか特注でいじっているけど、良かったらアンタにあげるわ」「・・・・」これも丁重にお断りした。何せ維持していくだけでも大変そ~だったので。

 そんな訳で今、私の愛車は軽トラでもなくベンツでもなく普通のホンダのCR-Vという四輪駆動の乗用車です。森で生活するには充分な機能を持っています。八ヶ岳に来てからの車遍歴はデリカ、ランクル、パジェロ、オデッセイ、エスクード、CR-Vと気が付けば色々乗って来たけどどれも大体どこでも何にでも使えるといった車が多かったように思う。生活が森の中だったり街に出掛けたりと色々と環境の変化が大きいのでどうしても選ぶとそういうのに対応した機能をもつ車になってしまう。

 昔、大雪が降った次の日に街に出かける用事があって車の屋根に大量の雪を乗っけたまま街の駐車場に止めたら廻りの人達がどうも私の車を指差して笑っている。何故かな?と思ったら、雪が降ったのは山の上だけで下の街には全く降らずに駐車場に止まっている車は皆、綺麗なまま・・どうりで私の車だけが目立つ訳です。

 いずれ念願の畑が持てたら軽トラを買おうと思っています。

2007/02/18

コミュニケーション

 私は子供の頃、友達とうまく遊ぶのが苦手でした。幼稚園の頃からどうしようもないガキ大将だったのですが実は内心では人と会話したり、自分の意見を伝えるのがとても苦手でした。大人になって処世術を何となく学び旨く立ち回る術も少しは覚えて次第に他人からはそう見られなくなって来ましたがそれでもやはり苦手意識は今もあります。

 一時期、凄く他人との会話に悩み、本屋に行ってその手の会話術法みたいなものも少し読んだりしました。その時に学んだのは「人と話そうとするのではなく人の話を聞く」という事でした。話すには苦手でも聞くのは誰でも出来る。その時に少しだけコツが有って、出来るだけその人が話しやすいように話題を展開していくという事です。昔、コント55号の欽ちゃんの本にも人との話方の作法みたいな事が書いてあってとても参考になった覚えがあります。それは、その時の状況、相手が年上か?年下か?立場は?というような事を考えて喋りなさいといった事だったと記憶しています。

 最近、色んな所で人の話しているのを聞いていると特に他人との会話がとても拙くなっているように感じます。主語、述語を省略したり自分が理解しているから相手も理解していると錯覚した喋り方をする機会が多いように思います。

 話は変わりますが私は「北の国から」の倉本さんの作品が好きなのですが何故好きかというと彼の作品のセリフには例えば「僕には分らなかった訳で・・・」のようにそのセリフを聞いた人が色んな感性でそのセリフで最後まで言わなかった残りを想像するという余地を残して広がりを持たせているからです。曖昧かもしれませんが私の感性には凄く合っています。

 近頃、私は相手の顔をジッと見て話すように心がけています。別に睨みつけているわけじゃないですよ。何故かというと私は人の顔を覚えるのが凄く下手な人なんです。どうしても旨く会話出来ないという事が相手の顔を見ていないという事にこの歳になって遅ればせながら気付き(遅すぎっ!)それからは出来るだけ相手の顔を覚えるように話しながら相手の顔の変化や特徴を何となく覚えるように心がける事にしました。

 私もけっして他人と話すのが得意ではないので分るのですが下手な人は会話に参加しようとしない、自分の興味のあることしか参加しない、話しかけても返事しない、そうすると次第に相手も話し辛くなって段々、話しかけなくなるようになります。話の第一歩は挨拶です。オハヨウとかバイバイとか些細な事なんです。明るく大きな声で挨拶するところから会話は始まると思います。

 それと大事なのは自分に殻を作らないという事でしょうか、「ここから先には絶対踏み込ませないぞ」みたいなものを感じる人や「お前みたいな奴と話す必要なんかないんだ」みたいな態度を感じる人もいます。そうすればこっちだって話す気にはならないですよね。友達との会話が楽しいのは同じ価値観でものが言えるからですよね。

 それからもうひとつ相手を敬うという事でしょうか。最近は「タメ口」と言って相手と友達のように話す事が話し方のコツのように思っている風潮がありますがそれは相手に対してさっき言った「お前に気を使う必要なんかないんだ」と言ってるようなものです。相手が年上だったり自分にないものを持っていると思えれば自然と敬語が出て来るはずなんですが最近はそうでもないようです。

 最近、人の会話を聞いててず~とそんな事を感じていました。私自身が会話べたなので凄く言葉のコミュニケーションというものが大事かという事を思い知らされます。しかし私は幾つになっても話すのは苦手です。

2007/02/11

アマチュア規定にもの申す

 私はスポーツ大好き人間である。自分でやるのも好きだけど見るのも大好きである。高校野球も好きだし、春高バレーも、箱根駅伝なんかも大好きである。しか~し!最近気に入らない!何がって、以前も言った事があるけど日本のアマチュア規定はオカシイ!高校総体のバスケット選手で身長2m超えの黒人選手が出て来る。当然、日本人の高校生が手におえるワケがない。まるでプロとアマチュアの試合である。その他のスポーツでも外人選手がよく登録されて出て来る。何故か?勝ちたいからである。でも、アマチュアスポーツの目的とはなんだろう?勝負の厳しさか?それもあるとは思うが私は負けたことから学ぶ事も多いと思う。プロではないのだから・・・

 誤解のないように言っとくが私は外人選手が悪いと言っているのではない。本来の高校生のアマチュア精神からすれば日本に勉学の為に留学してきて、ある一定の期間が過ぎれば日本の高校生として公式戦に参加できるというのなら全く私は賛成である。しかし、今の留学生制度ははっきり言って日本で活躍して企業なりプロのスカウトの目に止まり将来はスポーツを通した人生設計を目指して留学して来ているとしか思えないし、留学生をスカウトしてくる方も試合に勝って学校の知名度を上げようとしているとしか思えない。

 一方、一年生から公式戦に一度も出場出来ずに去っていく選手も沢山いる。彼等も同じ選手として公式戦に参加している仲間を支えてきている。そこへ、海外から体力的にあきらかに差のある選手をスカウトしてきていきなり公式戦に出して勝ったとしても出場機会を奪われた彼等は納得出来るのだろうか?それこそアマチュア精神に反するのではないだろうか。

 今の教育界の問題はメデアが色々取り上げているが私は勉強やイジメだけではなくこういう課外活動としてのスポーツのあり方も歪んでいると思う。大人達が作り上げた歪んだ構造が見えて面白くない!勝てばいいはプロの世界、アマチュアは勝つにはどうすれば良いかを通して人間形成をしていくのが目的ではないでしょうか?高校生のプロ化には反対です。もっと大事なものを是非見直して欲しい。その為にはアマチュア規定の見直しを是非、お願いしたい。

 アマチュアスポーツ大好きな私は、アマチュアスポーツの持つ純粋さが大好きなんです。勝って笑い、負けて泣く、そこには純粋に一生懸命、練習し、耐えて努力して来た仲間にしか共有出来ない感情があるからで、だからこそスポーツは筋書きのないドラマなんだと思うわけです。

2007/02/04

動物の一生

Sika 暗くて、小さいので分り難いかも知れませんが写真の中央に鹿が写っています。仕事場近くの森の中で偶然出会い10分近くお互いに見詰めあっていました。相手は当然警戒して、こちらは動くと驚かして逃げてしまうので動けなくて・・・実はこの写真の左側の森からもう一頭、小鹿が出て来ています。どうやら親子らしい・・2頭で餌を探しながら右側の森の中に消えていきました。八ヶ岳はまだ狩猟期間中で今年は又、1ヶ月延長されたので3月中旬までが狩猟期間になる。不思議な事に彼等は狩猟期間が過ぎると森から出てくる。彼等なりに危険を察知しているような気がするのは私だけかも知れないけど・・

 話はがらっと変わって昨日、うちの猫が死んだ。3匹いた同居猫の親猫で今年になって2匹目の死である。14歳の生涯であった。昨年はラブラドールの愛犬を亡くし今年の1月に娘猫が死に、それから数えると3匹目の死である。それぞれが寿命を迎える歳ではあったのでそれなりに覚悟はしていたが、いざ現実になってみると笑われるかもしれないけど結構辛い・・・今まで家の中で3匹が当然のようにウロウロしてて、時々ぶつかって蹴っ飛ばされたりしていたのがフト、気が付くと1匹しか居なくなってしまい、そいつも癲癇の病と闘っているような状態なのでいつ寿命になるか分らない。昨日、死んだ親猫は生きている時からいつも気位の高い猫で何故か女房にしか抱かれなかった。私には決して抱かれようとしなかった。機嫌の良い時だけ近寄ってくるような猫らしい猫でした。一昨日の晩から呼吸が浅くなり昨日あたりが山だろうなと思っていたら、私が会社にいる間に眠るように逝ったそうな・・・

 14,5年も一緒に暮らすと何となく「ペット」という言葉に抵抗を感じる様になる。だからいつも同居猫と呼んでいた。小さな小さな命だけど目の前でその命が消えていくのを見ていなくてならない辛さは人間も猫も同じだなと思う。あの親猫を長坂町のプールの入り口で拾ってきて「飼いたい」といった当時、小学生の長男はもう社会人で、大学生の長女も小学生、高校生の一番下の子はまだ保育園にも行ってなかった。いわば一緒に育ったようなものである。

 命あるものはいつかはその命が尽きるのは避けられない現実ではあるがその場面に直面するのには凄く精神的な負担がつきまとう。それが人間であり犬であり、猫であっても・・最近、その両方共に直面する機会が多く、その度に命ってなんだろうと何時も考えさせられる。

 野生の動物達は自分の死を間近に感じると群れから離れてひっそりと自分の生涯を閉じるという話を聞いたがある。犬も猫も野生の場合はそうだという話も聞いた。確かに家で飼っている猫も具合が悪くなるとどこかに隠れて家の中に確かに居るはずなのに姿が見えなくなる時がある。そんな時、家中を探しまわると、とんでもない隅っこに隠れていたりする。今では動物病院があるのでそんな時は手厚い看病を受けて、死んだ親猫も2、3年程前から乳がんを患い両方の乳房を切除して死ぬ直前まで投薬を続けていた。本当は亡くなった日も病院にいく予定だったけど女房と話し合い、これ以上辛い思いをさせるのは止めようと言う事になり静かに最後を迎えたと言うわけです。

 又、ひとつ身近な命が消えてしまいました。辛いけど乗り越えなくてはならないワケで・・しょうがないね。合掌

2007/01/28

薪割もこんなに奥が深い

20070128_171328546 昨日、私が担当する森つくりの企画の一つ「薪割もこんなに奥が深い」が開催されました。昨年、実施予定だったのが悪天候で延期となりようやく開催する事が出来ました。当日、「余り集まらないんじゃないの」と思っていたのですが意外にも16人もの方達が集合し小雪がパラツク中で開催と相成りました。普段、余り人に教わる事のない薪割ですが千差万別でそれぞれ実は人によって違うんじゃないのと話がでたのが発端でそれじゃ、我こそは「薪割名人」と自称する人達に集まってもらって思いのたけを語って貰おうじゃないのというのがそもそもの企画の発想だったのです。

 私自身も八ヶ岳に来て薪割を始めて19年ですが人に教わった事なんてないし、そもそも教わろうなんて思ったこと無かったのですが今回、色んな人に集まってもらって話しを聞くといやいや中々皆さん、それぞれウンチクがおありで面白いのなんの・・・当然初めての方もおられて「やってみませんか?」と斧を差し出すと「いえいえ、私は結構です」なんて最初は遠慮していた女性が最後の方では「やり始めると以外と面白いですね」と汗をかきつつ斧を離そうとしなかったりとこれが本当に面白い。

 で、ふと思ったのが「薪割」というものは時代が変わっても延々と続けられてきた数少ない行為であるのだなという事である。昔、人類が初めて火というものを手に入れて以来、続けてこられた行為なのである。つまり全ての人のDNAに刷り込まれてきた記憶ではないかと・・だから人は薪を割る道具を手にした時にそのDNAが蘇るのではないかと思うのです。

 何でそんな事考えたかというと、いざ薪割を始めると普段、物静かで穏やかに話をされる人が、まるで人が変わったように薪割に異常な熱意を示したり、先程の女性のように「イエイエ私なんか」と仰ってたご婦人が旦那さんそっちのけで力強く斧をふるって目の色が変わってしまったり、つまりこれは潜在していたDNAが呼び覚まされるんではないかと思ってしまった訳です。たかが薪割という単純な作業ですが時を越えて延々と受け継がれてきた人類に残された(オーバーか・・)数少ない貴重な活動ではないかと・・

 まあ、そんな事は別として全く私もたかが「薪割」にこんなに色んな技とウンチクがあるとは思いませんでした。よく言われるのは薪木の根元側から割るか枝先側から割るかと言う事ですが一般的には根元側という意見が多いのですが、これは私も一概には言えないと思っていましたがどうやらこれは参加者、全員同じ意見のようでした。むしろ割れなかったらひっくり返して割ると以外と割れると言う意見が数多く出ました。それと、比較的、乾燥していない新しい面の方が割りやすいという意見も多かった。

 割り方も縦にして割る方法、横にして割る方法、節に当たった時の割り方、枝分かれした木の割り方、針葉樹と広葉樹の違い等・・いやいやこれほどウンチクがあるとは思いもしませんでした。世の中、分らない時は聞いてみるもんですね。たかが薪割も本当に奥が深い神聖な生業でありました。

2007/01/19

「老い」との付き合い方

「老い」と言っても私の事ではない。まだまだ若いつもりだが昨今、ちょっと物忘れがひどくなってきてちょっと心配している。親しい人の名前がつっかえて出てこない・・・困ったもんだ。実は田舎で1人暮らしをしている母が体調を崩して入院してしまった。それはそれで覚悟はしていたので驚きはしなかったが、いざ事態に直面して母が老いていくのを見るのは少々辛い。これは幾つになっても変わらないものなのかも知れない。

 子供の頃は母が老いていくなんて考えもしなかった。何時までも元気な母のままでいるものだと思い込んでいたし普通、考えないよね・・その点、父親という存在はどんななんだろう?子供達はどう思っているんだろう?実は私自身は父親の存在が消えた時、父には申し訳ないが余り感傷的にはならなかった。これは男同士だからであろうか?母に対する感情とは明らかに違う気がする。やはり人間も動物だから生んでくれた母性に対する感情の方が強いのだろうか?それとも単に父母の子供に対する接し方の違いから生まれる感情の違いだろうか?ちょっと同じ父親として寂しい気もする。果たして自分の子供達は自分をどう見ているのだろうか?もうほとんど成人しているので今更どうのこうのと言っても遅いし、はっきりいって子供達にとって、とても立派な父親だったとは言えないと自分自身思っている。

 自分も含めて人は必ず「老い」ていく。それは避けられない事だし、出来れば「老い」を楽しみたいとさえ思っている。老いて行く事は決して不幸な事ではないと思う。母も老いていくに従って段々子供に戻っていくように感じている。「老いては子に従え」とは良くいったもので現段階では母はまだ従いきれずに若かった自分の姿に固執しているように思える。キット自分もそうなるであろうと思う。そう簡単に子に従えるか!と誰しも思うんだろうな・・自分もきっとそうだろうな。でも娘に優しくされると従っちゃおうかな・・なんて思う時も来るかも知れない。

 話は変わるが今の日本の老人福祉のあり方は最低だと思う。はっきり言って福祉切捨てとしか思えない。貯蓄がないとうっかり年を取る事もままならない。金持ちの老人なら良いがそうでない大多数の老人、まさにこれから高齢化社会を迎えようとしているそんな老人から更に医療費を巻き上げて、うっかり入院しようものならさっさと出て行きなさいと言わんばかりのお粗末な制度しかない。更に悪化しそうな情勢である。戦後の荒廃した日本を繁栄に導き働きずめに働いた人達に対して余りにも無情な国である。我々だってうっかり老いる事も出来ない。税金を上げるなら是非、福祉に役立てて欲しい。一部の裕福な人達だけが報われたり、どこぞの国会議員さんみたいに訳のわからない事務経費に数千万も使える人の為に税金が使われると思うとやるせないですよね。

 是非、豊かな「老い」を過ごし人生の終わりを満足して迎えることが出来るようになって欲しいと年頭にあたり思った訳です。

2007/01/08

新年おめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。すっかり温暖化が定着した感のある冬模様ですが、一昨日まで帰省していた高知では昼間の気温が10度を軽く越えてセーターを着ていると暑くて仕方ないといった気候でした。

 そして一昨日の晩、中央高速をえっちらおっちら高知から720kmの道のりを帰って来ようとしていたら恵那のあたりから猛吹雪!前が全く見えない!「こりゃもうすぐ通行止め間違いないな・・」と隣に座っていた息子に軽く脅しをいれて兎に角、通行止めになる前に何とか通り過ぎなくてはと必死にハンドルを握り、見えない前方の視界を見える事に何とかして(なる訳ないか・・)必死でセンターラインのみを注視して走り続け、到着予定時間を30分程オーバーして、高知から9時間30分で無事、山梨に到着しました。

 事情により今年のお正月ほどお正月の雰囲気のしない年はなかったかなという年末年始を高知で過ごしましたがそれでも時は止まる事無く過ぎ去り今年も気が付けば、はや1週間が過ぎていました。

 今年は皆様にとってどんな年になるのでしょう。私にとってはなんとなく心の切り替えが出来ないまま始まってしまった2007年ですがきっとこのまま時は過ぎていくのだろうなと思っています。その中でもその時、その時、自分のやるべき事をひとつずつクリアしていくしか自分には出来ませんし、今までそうして来たつもりです。

 しかしそんな中でも「笑い」だけは忘れないで行きたいと思います。人生をしかめっ面して過ごすほどつまらない事はありません。どんな時でも楽しみを求めて笑って過ごしていきたい・・最近特にそう思うようになりました。女房からはよく「何があってもアリガトウと言うと良いらしいよ」と言われます。最初は「バカ言ってら!」と思って「貧乏でアリガトウ、宝くじが外れてアリガトウ」とやけくそで言ってましたが良く考えたら「ものは考えよう・・貧乏だから人の痛みが分る。宝くじが外れたから又、明日から一生懸命働こうって気になる」と考えれば確かに「アリガトウ」かも知れません。別にスマップの曲の宣伝をしている訳ではありませんが・・

 という事で今年の私は「ア・リ・ガ・ト・ウ」をテーマに行こうかななんて思ってみたりしています。果たしてどこまで続く事やら・・・今年もどうぞ宜しくお願いします。

2006/12/29

さらば2006年

 2006年もあと2日余りで終わろうとしています。今更ながら今年を振り返ると今年も色んな事がありました。今年をあらわす漢字は「命」だそうですが私にとっても今年は「命」に関わる出来事が多くあり、改めて「命」について考えさせられた年でもありました。

 今年、年初に愛犬の「キキ」をガンで亡くしました。それ以来、めっきり朝の散歩の回数が減り続け今ではほとんど行かなくなってしまいました。そしてその後、病気療養中だった義母が亡くなりました。病状が回復に向かっているとの話を聞いて喜んでいた最中の訃報で夜中の高速道路を徹夜で移動して葬儀に駆けつけました。そしてその後、同居中の3匹の猫が相次いで倒れ一時は危篤状態でしたが何とか今は持ち直しています。

 そして世の中ではイジメに端を発した自殺が多発し命について考えさせられる年でありました。「命」 重い課題を背負った言葉です。

 来年はどんな年になるのでしょう。願わくば万民に勇気を与えられるような年になって欲しいものです。しかしそれを与えるのも人間、奪うのも人間ですよね。いかなる時も希望をもって前向きに生きたいと思います。もとより余り難しい事は得意ではないので「なんちゃって~」と笑って過ごしていければ私にとっては良い年になるものと思っています。

 今年も最後になりました。皆さん、今年も最後まで「森の囁き」を読んで頂いて有り難うございました。来年が皆さんにとって良い年になりますようお祈り致します。どうぞ良い年をお迎え下さい。

2006/12/25

森の営み

20061225_121654538 今年一年も世の中には様々な事件・事故がありました。そんな年末の慌しいこの時期、一通の手紙が届きました。中には国立大学の偉い先生が研究した樹の生態に関する研究成果が入っていました。そこには慌しく右往左往する人間達の世界とは別の自然界の掟にそって淡々と自分達の生を刻む森の木々達の生態が記されていました。人間達の知らない森の営みとはどんなものでしょう?

 森に生息している木々の生態にはまだ分らない事が山ほどあります。そんな神秘に包まれた森の樹の一年を簡単に振り返ってみたいと思います。

 春、木々達は土中から盛んに養分と水を吸い上げて光合成を進めます。木の細胞の中で細胞学的に生きているのは一番外側の辺材と呼ばれる部分で、年輪でいうと外側のほんの数年分だけです。この生きている細胞をフルに活用して自分の体を作るのです。葉で行う光合成だけでは養分を賄いきれずに冬の間に体内に貯めておいた養分もフルに使って必死に成長しようとします。

 そして春から夏にかけて必死に成長を進めた木々は秋になるとゆっくりと休憩に入り地中からの養分の吸い上げも徐々に弱まり10月から11月頃になると成長活動を休止します。

 そして迎える厳しい冬、彼等は春から夏にかけて体内に貯めておいた養分を分解して自らの体を凍結から守る為に凍結防止剤を作り出し細胞内に蓄えています。その他にも自分の体を虫食いや腐れから守る為に心材と呼ばれる年輪の中央付近の赤くなっている部分にそういう効果のある栄養素を送ります。そうして生きている辺材部の活動は終わり次の細胞にその働きは受け継がれていきます。

 そして夜、誰もいなくなった森の中で木はひっそりと細胞分裂を始め新たな命を生み出しているのです。

 再び訪れる春、森の木は眠りから目覚め冬の間に体内にためておいた栄養分を再びかき集めて成長に必要な栄養分に作り変えて新しい成長に向けて活動を開始します。

 森の木はこのサイクルを忠実に守り続け地球上での自分達のテリトリーを広げていくのです。

 話は変わりますが木は地球上で最も大きくて重い生命体だって知ってますか?普通の感覚の生物で最大なものは鯨ですが鯨は重いが為に決して地上に上がる事は出来ないのです。しかし木はその根をしっかりと地上に張り、その体内に作り出した強靭な細胞の力によって自らの巨大な体をしっかりと支えていく事が出来るのです。

 人間達が知らない所で森の木々達はしっかりとその年月を刻んでいます。来年も淡々と刻む事でしょう。人間達の喧騒とは関係なく・・・今も耳を澄ませばもしかしたら聞こえる人には森の木々達の営みが聞こえるかも知れません。

2006/12/17

新月伐採講習会in福島

20061217_104625578 NPO新月の木国際協会から依頼を受けて福島県郡山市で新月伐採の講習会を開催してきました。といっても私が開催した訳ではなくてNPOの会員からの要請で講習会が開かれてその講師として行ってきたと言う訳です。

私が担当するのは新月伐採の過程の中でNPOが定めている「現認制度」についての仕組みを説明する事です。NPOが今まで行ってきた活動の中でちょっと特徴的なのがこの「現認者制度」です。詳しい説明はここでは出来ませんが分り易く言うと木を伐採する時に第三者として伐採に立会いその木が何時、何処で、どういう環境や状態で伐採されたかを記録し最終的にその木を利用する人にそのデータを提供するのが現認者の果たす役割です。

 最終的に利用する人が木の研究者ならその研究データとして貴重な資料となるし家を建てる人ならその家で使われた木がどういう場所でどういう状態で立っていた木かを知らせる事により安心感を与える事が出来ます。つまり木の履歴保証人とでも言えば良いのかも知れません。

 最近、「新月伐採木で家を建てます」というキャッチフレーズが全国的に広がってきて月と木の関係が注目されてきました。その事自体はとても良い事だと思っています。つまり、このエコロジー流行の社会現象の中でやっと木についても感心を持ってくれる人が増えてきたという事です。地球上に生息する全ての生き物は少なからず月や太陽の影響を受けています。そんな当たり前の事も人は忘れてはいないでしょうか?若しくは「制御出来る」と思い上がっていないでしょうか?私たちが食べる食物も全て自然界の環境に影響されています。私はその世界には人が立ち入ってはいけない自然界のルールが存在するように思います。

 新月伐採木も全国でエコロジーの旗手としてもてはやされる様になりましたがまだまだ解明されなければならない事が山ほどあります。NPOではその為に様々な研究機関と共同研究を継続し全国の会員達も自分達のレベルで出来る色々な試みを行い、その結果を定期的に報告しています。

 最近は企業として「エコ」という言葉は大変な市場をもつ魅力的な言葉になっているようです。それはそれとして素晴らしい事だとは思いますが私はそれが商業活動として利用される事には少し危惧を感じています。以前も書きましたがグローバルな視点で考えないと本当のエコロジーは見えてこないんじゃないかと思います。

 私は地元でNPO八ヶ岳南麓景観を考える会というNPOにも参加しており「森つくり」という分野を担当していますがそのイベントでも山に入って間伐をすると参加者の中に「木を伐ってしまうんですか?」と異論を唱える方が時々出てきます。人が山の自然に関わってしまうという事は最後まで責任を負うという事です。それが嫌なら全く関わらないしか有りません。自然林として立ち入りを禁止し自然界の法則にのっとり自然淘汰されていく森を見守るのが最善の策となります。しかし、今の現状で多くの人達が自然と共に生きる事を希望し里山に住む以上、自然の山とうまく共存する方法を模索するしか手はないように思います。出来るだけ自然界に自分達が住む事による影響を与えないように配慮するしかないと私は思います。

 新月伐採木はその木がもつ自然の力を最大限に引き出そうとするものです。どうしても「新月伐採木」という言葉の響きがよいものでその言葉だけが一人歩きしてしまいがちですが実際は「木が月にどのように影響を受けて育っているか」「どのような条件で木を伐採し製品化すれば木が本体持つ性質を損なわないで環境にも悪影響を与えないですむか」を考えた活動を指した言葉なのです。

 もっと分り易く言えば樹齢100年の木を正しい時期に、正しい状態で伐採すれば良質な木が得られて、そしてその木が100年腐る事無く利用出来れば木の体内に蓄積されたCO2が空気中に拡散せずに済み、再びその次の木が100年間その体内にCO2を蓄積し酸素を大気中に造り出してくれる更新の時間を稼ぐ事が出来、地球温暖化を防ぐ事が出来ます。この地球上でCO2を蓄積出来る大きな希望は海と木なのです。そういう意味で「新月伐採木」は大きな希望を与える事ができる可能性(あくまで可能性です)を秘めていると言えます。但し、希望は希望であって正しくそのメカニズムを理解する事が必要です。そういう意味で単にエコの旗手として商業化に利用される事に注意しなくてはなりません。もっと時間をかけてじっくり解明していく必要があると思います。

 新月伐採木には私はとても魅力を感じていますし月と木の関係についても切っても切れない関係がお互いに有るだろうなと思っています。多くの方達に新月伐採木の事を正しく理解して貰うために自分が知っている事を今後も伝えていこうと思います。ふ~今日はとてもマジメな事を書いたな~ちょっと疲れました。終わり・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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