2007/12/18

クリスマストレイン

20071218_190229498_2 毎年この時期になると仲間と一緒に「クリスマストレイン」という企画に参加している。というか何故かスタッフの一員である。JR小海線の車両をチャーターして子供達を連れて車内でプレゼント交換なんぞをして楽しもうじゃないかという企画なのである。しかし、今年は例年になく大いに盛り上がった。何故かというと今年のトレインはいつものトレインとはちょっと違うのである。何が違うかというと今年、世界に先駆けてハイブリッド車両が小海線に投入されたのである。ハイブリッド車両とは車のハイブリッドカーのように普段はモーターの力で動き、減速時や加速時のエネルギーを蓄電器に貯めて動くエコロジーな車両なのです。

 でっ、このハイブリッド車両をこれまた世界で始めてチャーターしてクリスマスをしようじゃないかという企画なのです。なにせ世界初が2回もつくのだから楽しくない訳がない。もうギネスものなのです。オマケに小諸に着いた後にバスに乗り換えて小高い丘の上にある露天風呂にケーブルカーを使って登り、ゆっくり体を温めた後、再びバスに乗り換えて近くのキノコ料理の宴会場を借り切って宴会をしてしまおうじゃないかという話。

 その宴会も只の宴会じゃつまらないから今年のNHK大河ドラマ「風林火山」にあやかり甲州側から甲州産ワインを持ち込み信州側は信州産ワインで受けてたって信州対甲州のワイン合戦をしてどちらが旨いか雌雄を決しようじゃないか、雌雄を決するには専門家が必要だから甲州側からわざわざソムリエを招きそれぞれのワインのウンチクを披露して貰い我々はフムフムとうなずくフリをしながらタラフク飲んでしまおうという企みなのである。

 これで楽しくないわけがない!で、大いに飲んだ帰りの電車の中で少年少女合唱団による聖歌隊の厳粛な聖歌を聴こうと思ったのだけど少年少女合唱団が生憎乗っていなかったので写真の中年中女合唱団による聖歌と相成った訳です。やれやれ・・・とにかく楽しい時間はあっという間に過ぎ去り残ったのは二日酔いにフラフラする頭痛のみ・・・なんて事になったとかならなかったとか。お後が宜しいようで。

2007/12/10

夫婦2人・・・

我が家は人間5人、猫3匹、犬1匹の大?家族であった。それがここ2,3年で段々数が減り始め、今は人間3人の家族になってしまった。犬、猫達は飼い主より先に天国に行って向こうでそのうち来るであろう飼い主を待っている。人間の方は段々成人し社会人となって山を出て行ったのである。(時々戻ってくるけど・・・)

 人間は夫婦2人と子供1人が残っているがどうやらその子供も来春には勉強の為に出て行くようである。その話が正式に決まって手続きをしていてフト気が付いてしまったのである。あれっ?もしかしてあと1人出て行ってしまうと残されるのは夫婦2人だけ?当たり前だけど全然考えていませんでした。本当に間抜けな話ですが夫婦2人になるなんて思いもよらなかったのです。

 考えてみりゃそりゃ最初から家族が居た訳は無いんだから最初は夫婦2人で暮らしていた訳で・・・でもその頃は若かったし共働きで二人ともバリバリ現役で働いていたもので何とも思わなかったけど、最近体のあっちが痛いのこっちが痛いのと言い出した立派な中年夫婦となってみて家の中で二人で向かい合った時どう対処して良いのやら・・・いや、全くバカな話でしょう。他人が聞いたら何、当たり前の事言ってんだと笑われますよね。

 でもきっと結婚したての希望に満ちた夫婦が向かいあうのと長い時間を共有してきた中年夫婦が向かい合うのとではそりゃ違いますよ。何が違うの?って、そりゃ実際に向かい合ってみなきゃ分りませんよ。でもきっと違うだろうなと思っている訳ですよ。

 で、何が困っているかというとどんな会話をすれば良いのかな~と今から思っている訳です。「え~~何だお前、お茶でもする?それともコーヒー飲む?」何てきっとたわいもない会話になるとは思うけどそれはそれでいいんじゃないかと思っているのです。出来ればゆったりと二人の時間を持てれば良いかなと・・・

 しかし、ここで問題なのは私の方が土・日曜日にほとんど家に居ないと言うことです。女房もまだ働いているので休みは当然、土・日曜日。そうなると家に2人しかいないのにいつもすれ違いとなる訳で今までは子供が居たから良いけど二人きりになるとそうもイカナイかなと思っています。

 果たして来年の私達夫婦はどう変化するのでしょうか?なるようにしかならないか・・・今までもそうだったものね。

2007/12/02

出張よもや話

 いままで色んな所へ出張してきました。どうしてもお客様は東京近郊が多いので東京出張が圧倒的に多いんですがそれ以外の地域で多いのは名古屋、大阪ですかね。そんな出張では色んなハプニングもありました。

 以前、冬の名古屋出張時、車で小牧を目指していたのですが途中で大雪になり中央高速は閉鎖、何とか途中のサービスエリアで雪が止むのを待っていたのですが一向に雪が止む気配はなく仕方なく途中のICで一般道に下りたのですがその一般道も迂回する車で渋滞して一向に動かない。仕方なく山梨に戻ろうとしたのですが今度は反対方向の一般道も全く動かず仕方なく近くの駅に寄って泊まる所を探しのですがこれが全く空いてなくて深夜やっと一軒の宿を見つけて泊めて貰いました。

 次の日やっと天候が回復して再度、小牧に向かいやっと仕事を終えて帰る事が出来ました。

 又、昔カナダに行った時の事。折角カナダに行ったのだから新しいチェーンソーを買って帰ろうという事になり向こうで知り合ったビルダーに聞いたらすぐ近くに良い店があるから紹介してやると言われ翌日、車で向かったら半日走っても行き着かない・・・後で分かった事だがカナダ人の「近い」と日本人の「近い」はどうも感覚が違うようで良く考えたらこのカナダ出張はレンタカーで移動したのだけれど確かにスケールが違い過ぎて真っ直ぐな道が延々と半日続くなんて事もザラだった。

 しかし、問題はそんな事ではなかった漸く手に入れたチェーンソーを持って帰りの飛行機に乗ろうとして持ち込み手荷物としてチェックインしようとしたらこれがトラブル、買ったばかりのチェーンソーの持ち込みが認められないという。何度か押し問答したがカウンターのお姉ちゃんが頑として受け入れてくれない。危険物だから絶対認められないと仰る。じゃあ、どうすれば良いんだと聞くと貨物便として別送しろと言う。しかも、受け付けは遠く離れた貨物棟に行かなくては駄目だという。

 仕方なくタクシーを拾ってカーゴエリアに行ったらタクシーの運ちゃんがべラボーな料金を要求する。文句を言いたいが帰りの便の出発時間も迫っておりこちらの英語もあやしいブロークンで喧嘩にならない。泣く泣く料金を払い、貨物便の手続きを終え、無事に機上に人となった時にはぐったりしていました。

 出張はあくまで仕事なんだけど小さな旅でもあります。旅先での色んな出来事が仕事の記憶と繋がって様々な人との出会いの輪が広がって行きます。私の仕事はこの出会いを求める事でもあります。

2007/11/26

不思議、新月の木

Singetu

 先日、東京で「NPO新月の木国際協会」の研究発表会があり理事長から「お前も何か発表しろ」と言われ参加してきました。私の発表内容はどうでも良いのですが招かれた講師の方の研究内容はとても興味深く目からウロコの感がありました。

 写真の方は北海道で「共働学舎新得農場」という農場を経営されている宮嶋氏でNPOの副理事長です。以前、彼の農場を訪ねた時も感動を覚えるような素晴らしい農場だったのですが彼の話はいつも興味深く理論的です。

 新得学舎が創るチーズは3年連続で世界一の金賞を受賞(勿論日本人としては初めてです)する程の素晴らしいチーズを創っています。それには訳がありきちんとした理論に裏付けされた独創的なチーズ作りなのです。自然の力に逆らわない独特の製造方法を用いられています。

 話を新月の木に戻しますが、新月の木はとかく伐採時期だけに興味がもたれており新月の時期に伐れば良い木が取れると思われています。しかし、それだけでは決してありません。キチンとした乾燥方法を用いて自然の営みに逆らわない昔ながらの自然と相談しながらの人間と木との係わり合いを探るものなのです。

 新月の木の活動は決して営利活動が先行するものであってはならないのです。勿論、日本の山の木が流通し間伐が進み若い元気な光合成を活発に行いCO2をその体内に固定出来る様にし、持続性を持つ森作りが出来て人々と森林との係わり合いを取り戻すのが我々の目的ですので、その為には現在の木が流通するのが必要です。しかし、肝心なのはその手法なのです。けっして企業のイメージのように新月の木が扱われてはなりません。そうしないと我々は又、子孫に負の財産を残す事になりかねません。

 現在の杉と檜に偏った拡大造林の森をより自然に近い混合林の森に戻し持続性のある森に作り変える事が出来れば少しでも温暖化の抑制に寄与する事が出来ます。新月の木の活動はその為の活動なのです。

 話が随分逸れてしまいましたが宮嶋氏の講演は何故、新月の時期なのかという事を太陽と地球と月の位置関係から説明した内容でした。詳しい内容はここでは書ききれないの省略しますが要は自然の営みを科学的に推察してみるという事です。あくまで推察ですのでそれが正しいがどうかは分りませんしかし、分らないから違うとは言い切れません。自然界ではむしろ分らない事の方が多いのです。

 新月の木の活動についてはこれからも随時報告していきますので楽しみにしておいて下さい。

2007/11/20

森つくりの達人

Kannbatu

「森つくりの達人」なる講座を2年掛けてやっている。今年が2年目で今回は間伐を体験して貰う講座である。今更ながら大それたタイトルをつけたもんだと恥ずかしくなっている。森のことなんて耳で聞きかじった知識しかなくてとても達人なんておこがましいのだが一昨年の会議の時に「森つくりは最低2年間かけないとそのサイクルは実感出来ない」なんてよせばよいのに偉そうな発言をしてしまったのがウンのつきでそりゃもっともだ。となってしまい結局言いだしっぺの私が担当する事になってしまった。

 毎回、毎回もうこれで最後にしようと思いつつナンダカンダで足掛け5年くらいこんな講座を開いて来た事になる。最初は全く先が見えずにこんな事で人が集まるんかいな?と毎回心配しつつも最近は段々横着になり不遜にも「今回は参加者が少ない」なんて聞くと内心「良かった~」なんてイケナイ事を考えてしまうようになっていた。

 しかし!私が担当するのはこれで最後!2年間の講座が漸く終わる・・正確にはもう1回あるのだがそれは私の担当ではないので良いのである。やれやれ・・・・何とか終わったよ~

 今、考えたら色々あったな~無謀にも夏の森の講座を開いてしまい、しかも参加者の中に半袖半ズボンとこれまた夏の森に入るのに無茶な格好をした人がいたり。竹炭つくりを企画したら見事に失敗して窯を開けたらすっかり灰になっていてあの時はあせったな~

 間伐体験を開くと大抵みなさんチェーンソーを動かしたくて目がギラギラしてきてあっちこっちで木を伐り出してコリャ危ないとヒヤヒヤして、それ以来余計なチェーンソーは持っていかない事にした。

 しかし、そんなこんなで5年もやってきたのは、やはり参加した人達と森の中でお弁当食べてお茶して一緒に作業して汗をかいて、というごくごく人として基本的な楽しみがたまらなく心地よいからなんだろうな。

 しかし、今回で絶対最後にしようと誓っている。誰がなんと言おうと、もう辞めようと思う。いい加減マジメに仕事しないとイケマセンからね。えっ?来年からの「森つくり」どうするのって?そりゃ誰か他の人に聞いて下さいよ。いえっ私はやりませんよ絶対にやりませんからねいえ!ダメだってホント・・・

2007/11/11

赤松亡国論

 知り合いの林業家と一緒に近くの里山の様子を見に行った。先月見た時にはそれ程でもなかったのですが今回みると赤松がほぼ全滅状態でした。松食い虫の被害です。山中の赤松の枝が赤くなってきていました。恐れていた通りの状況になってしまいました。前回見たときには山の一番端の赤松が枯れていたのでこれは多分全滅するだろうなと思っていたのですが改めて現実を目にするとちょっと恐ろしくなってきます。

 地球温暖化の影響はじわじわとここ八ヶ岳南麓にも確実に迫って来ています。既に標高の低い武川町にある国の天然記念物「舞鶴の松」は枯死してしまいました。

 赤松はここ北杜市の市の木に指定された木です。私は北杜市がなぜ赤松を選定したのか不思議でした。恐らく早晩こういう状況になるのは目に見えていました。それなのに何故、市の木に指定するのか不思議でたまりませんでした。

 近代日本林業の礎を築き「日本の森林を育てた人」として有名な本多静六氏は彼を紹介する言葉として有名な「赤松亡国論」と言うのを唱えている。詳しい内容は省略するが林業の世界では赤松の占有面積が広い土地は(つまり典型的な日本の山の状況)荒廃しやすく松の病虫害の被害を受けると赤松林は枯死し土地はますます荒れて雨が降れば土砂が流出し天気が続けば旱魃の被害をうけるという痩せた土地になりいずれ農工業に多大な影響を及ぼすというのが彼の理論でありこれは林業の世界では歴史的にみてもごく自然な林相の移り変わりなのです。

 別に赤松が悪いという話ではなくてこれが自然の営みなのです。つまり赤松林を豊かな土地に変えるには早い時期に赤松林を別の林相に変えていく必要があるのです。北杜市の木の赤松にはこうした自然の厳しい掟があるのです。赤松を市の木に決めた人はこういう事も知っていたのかな?

2007/11/03

TVの画像が・・・

 実は無類のTV好きです。小さい頃、まさに今日公開の映画「オールウェイズ三丁目の夕日」ではないが正にあの世界で近所の家にTVを見に行って力道山を見て感動した世代である。それから、TVの虜になって今に至っている。小さい頃は母に「お前はTVの中に入ってしまいそうだね」とよく怒られた。

 今は森の奥深くに住んでいるものの世の中は便利になり、そんな奥深い森の中でもTVは見る事が出来る。但し、いわゆる難視聴エリアというやつで中々綺麗には写らない。近くまでケーブルTVは来ているが加入料が高いのでとても入れる気にはならない。しかし、今まではそれでもそれなりに写っていた。ところがある日、大風の日に我が家の屋根に掛かっていた木の枝が折れてアンテナを直撃し写らなくなってしまった。何とか自分で治そうと思ったが完全に折れており危険だし諦めた。

 それでTVアンテナの専門屋さんに頼んで取り付けて貰ったものの何だか写りが悪い。とくにNHKが全然ダメになってしまった。何故だか分らない・・・一応感度は有るのだが写りが悪くてゴーストが出てダメである。しかし、ちゃんと料金は払っているので癪にさわる。

 仕方なく我慢していたのだが先日から急に写りが若干良くなって何とか見れるようになった。???何でかな~と考えてフト、アンテナの示す先を見詰めると綺麗な森の紅葉風景が・・・そうか落葉か~信じられないかもしれないが森の中では葉が茂るとTVが写らず葉が落ちると写るというのが当たり前なのである。

 暫くそんな事忘れていたのだけれど多分、間違いないと思う。それでは来春までは我が家のTVは写りが良いと言う事か・・・何だかね。

 しかし、最近余り面白い番組もないしニュースは腹の立つことばかりだし余り見る気も無いんだけどね。プロ野球も終わったし我がジャイアンツはとうにシーズンを終了してしまったし・・・リーグ優勝したんだけど何だか喜びも半分で本当に優勝したんだろうか?又、来年だね。来年こそ日本一に、打倒中日!

 あ~TVが写るようになったのは嬉しいのだけど屋根に積もった枯葉を落とさなきゃ・・・庭の枯葉も取らなきゃ・・忙しい忙しい。

2007/10/31

雨の里山体験

Satoyama

 日本近海で突然発生した台風が猛烈な勢いで近づいて雨模様となった先週末、誰も来ないんじゃないかと思われた「里山整備」の講習会、それでも十数人のメンバーが集まりました。

 昨年来、2年に渡って開催している「八ヶ岳森つくりの達人」講座、リーダーを引き受けた事をつくづく後悔しながら何とかあと1回というところまでこぎ着けました。今回は北杜市高根町の田園地帯にある里山をフィールドに選び里山整備を行う予定でした。

 しかし、当日は雨・雨・雨・・・・・前日の午前中までのピンポイント天気予報では何とか曇りで天気はもつ予定だった。だから、そうそうに実施を決めて連絡をしたまでは良かったが、時間が経つにつれて徐々に天気予報は悪い方に変化し、前日の夜中、フト寝床で目が覚めると頭の上の天窓には大粒の雨音がしていた。え~い、しゃあない!里山整備だもの雨が降る事だってあるさ!と自分及び関係者に言い聞かせ、しかしこの講座、何故だか雨の確立が高い。メンバー一同、「一体誰が雨男(女)だよ~マッタク」とぼやくことぼやくこと

 そういえば春先にやった「ツリークライミング」も雨だっけ、あの時は奇跡的に天気が回復してやれたからよかったけどね。

 この里山の持ち主の方がとても良い方で「何とか雨でも落ち着いて話の出来る所はないでしょうか?」とお願いしたら早々に公民館を借りてくれて、後で見たらこの公民館の運営委員さんでした。しかも雨の中、傘をさして里山の中をゆっくり案内してくださり、その後、公民館で行われた意見交換会でも自家製の落花生やサツマイモ、お漬物等を奥様が用意して下さり本当におんぶにだっこでお世話になった。田舎はこういう人がいるから嬉しい。まだまだ人情が生きているところなんだな~

 しかも景観や持続性のある環境に対する思い入れも深く、凄く協力して頂いた。有り難いことです。あと、もう1回間伐をすれば私の講座は終わる。やれやれあと1回頑張るか・・・

2007/10/22

晩秋の山便り

朝晩、すっかり冷え込むようになりました。朝は吐く息も白くなってきていよいよ本格的な秋本番といったところです。この時期の山の様子は色んな事が冬に向けて変化していきます。

私の家の前には大きなコナラの木が立っており高いところの枝から一日中我が家の屋根にドングリが落ちてきます。夜中に落ちてくるとカ~ンと甲高い大きな音がしてビックリします。

枯葉もどんどん道に落ちてきて困るのは秋雨が降った夜、車で山の中の道を走っていると枯葉かなと思って見ているとこれがでっかい蛙なんですね~。近くの沼に戻るのかそれとも沼から出てきて森に帰るのか分りませんが、これがそっくりで困ります。枯葉が落ちてると思ってそのまま踏んづけようと思うと道に座っている蛙なんて事が頻繁になり段々、疑心暗鬼になってきてコワゴワ運転する羽目になります。

そしてこれが一番問題なのですが薪割です。そもそも寒くなってから心配する事自体が遅すぎなのですが今年は特に色々と忙しくて全く薪の準備をしていなかったので家族から猛ヒンシュクです。慌てて用意はしていますが果たしてどうなるやら・・

寒くなってきて楽しみなのは星空と山が綺麗に見え出す事、昨晩も女房と夜中に流星群を見にいきましたが残念ながらまだお月様の位置が高くて明るいもので殆ど見えませんでした。

そもそも余り寒いのは好きではないのですがこれも自然の掟なのでしょうがないですね。今から春が待ち遠しい・・・・

2007/10/14

サラバ!青春の祐天寺

 仕事で30年ぶりに東急東横線の祐天寺の駅で降りた。30年程前、親友が祐天寺に親友の兄と共に住んでおり、よく遊びに行っていました。その親友の兄は渋谷の飲食店の板前さんをしており頭を角刈りにして男前で格好良く、美人でモデルの彼女を連れていて俺達二人にとって憧れの兄貴でした。

 その頃、俺達二人は当然ながら貧乏で酒なんか飲める訳無く、その兄貴がボトルを入れていた駅前のスナックに入り浸り兄貴の酒をタダで飲ませて貰っていた。そのスナックはママさんとマスターがカウンターに入り女の子が一人、時々手伝いにきて切り回しているテーブル席が3卓程、カウンター席が5,6席のこじんまりとした店だった。

 ある日、店に集まる常連達で何故かハワイアンバンドを作ることになった。たまたま俺もギターを少し弾けたのでバンド仲間に入ることになり、その他にスチールギターとパーカッションとボーカルに同じく店に来ていた若い歌手の卵が起用されて都合4人の素人バンドが結成された。条件は店で時々演奏する代わりに飲み食いはタダという貧乏学生には答えられない条件だった。

 スチールギターを弾く当時50代の店の客がバンドのリーダーで彼は鎌倉の海岸近くに自宅があって休日によくその自宅にメンバーが集まりバーベキューをしながら練習をしていた。

 ほぼ毎日のようにそのスナックに集まり閉店まで時間を潰し客が帰った後、店の後片付けを手伝い、看板を店の中に仕舞って自宅に帰るのが当時の俺達二人の夜の過ごし方でした。

 大学を卒業し、いつしか二人はバラバラになり俺は東京の会社に就職し親友は故郷の北海道で就職し中々会えなくなり店にもほとんど行く事が無くなりました。

 そんなある日突然、スナックのママから手紙が届いたのです。祐天寺の店を閉店して銀座に同じ名前の店を開店するから訪ねて欲しいという案内状だった。あまりの懐かしさにサラリーマンになり立てだった俺は北海道の親友を誘って久しぶりにその銀座の店を訪ねていった。

 開店したての店は祐天寺の頃の店とはうって変わり若いホステスが4,5人入ってすっかり垢抜けた、いかにも銀座の店といった雰囲気になっていて俺達が行ける様な店では無くなっていた。何となく居づらい雰囲気のまま時間が過ぎそろそろ帰ろうと思ってママとマスターに挨拶して店を出たところへ祐天寺の頃から店に出ていて俺達が姉さんと呼んで世話になっていた顔馴染みの年上のホステスが追いかけて来て俺を捕まえて「もう来ちゃだめだよ。ここは前の店とは違うからね」と耳元で囁いた。俺はうなずいて「うん、多分もう来る事はないと思う」と答えて店を後にした。

 あれから30年、久しぶりに訪ねた祐天寺の駅前はすっかり変わっており当然、昔の店の佇まいなどすっかり無くなり再開発の波に飲み込まれていた。「有る訳ないよな・・・・」   サラバ!祐天寺で過ごした青春の1頁・・・

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム