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2007/10/14

サラバ!青春の祐天寺

 仕事で30年ぶりに東急東横線の祐天寺の駅で降りた。30年程前、親友が祐天寺に親友の兄と共に住んでおり、よく遊びに行っていました。その親友の兄は渋谷の飲食店の板前さんをしており頭を角刈りにして男前で格好良く、美人でモデルの彼女を連れていて俺達二人にとって憧れの兄貴でした。

 その頃、俺達二人は当然ながら貧乏で酒なんか飲める訳無く、その兄貴がボトルを入れていた駅前のスナックに入り浸り兄貴の酒をタダで飲ませて貰っていた。そのスナックはママさんとマスターがカウンターに入り女の子が一人、時々手伝いにきて切り回しているテーブル席が3卓程、カウンター席が5,6席のこじんまりとした店だった。

 ある日、店に集まる常連達で何故かハワイアンバンドを作ることになった。たまたま俺もギターを少し弾けたのでバンド仲間に入ることになり、その他にスチールギターとパーカッションとボーカルに同じく店に来ていた若い歌手の卵が起用されて都合4人の素人バンドが結成された。条件は店で時々演奏する代わりに飲み食いはタダという貧乏学生には答えられない条件だった。

 スチールギターを弾く当時50代の店の客がバンドのリーダーで彼は鎌倉の海岸近くに自宅があって休日によくその自宅にメンバーが集まりバーベキューをしながら練習をしていた。

 ほぼ毎日のようにそのスナックに集まり閉店まで時間を潰し客が帰った後、店の後片付けを手伝い、看板を店の中に仕舞って自宅に帰るのが当時の俺達二人の夜の過ごし方でした。

 大学を卒業し、いつしか二人はバラバラになり俺は東京の会社に就職し親友は故郷の北海道で就職し中々会えなくなり店にもほとんど行く事が無くなりました。

 そんなある日突然、スナックのママから手紙が届いたのです。祐天寺の店を閉店して銀座に同じ名前の店を開店するから訪ねて欲しいという案内状だった。あまりの懐かしさにサラリーマンになり立てだった俺は北海道の親友を誘って久しぶりにその銀座の店を訪ねていった。

 開店したての店は祐天寺の頃の店とはうって変わり若いホステスが4,5人入ってすっかり垢抜けた、いかにも銀座の店といった雰囲気になっていて俺達が行ける様な店では無くなっていた。何となく居づらい雰囲気のまま時間が過ぎそろそろ帰ろうと思ってママとマスターに挨拶して店を出たところへ祐天寺の頃から店に出ていて俺達が姉さんと呼んで世話になっていた顔馴染みの年上のホステスが追いかけて来て俺を捕まえて「もう来ちゃだめだよ。ここは前の店とは違うからね」と耳元で囁いた。俺はうなずいて「うん、多分もう来る事はないと思う」と答えて店を後にした。

 あれから30年、久しぶりに訪ねた祐天寺の駅前はすっかり変わっており当然、昔の店の佇まいなどすっかり無くなり再開発の波に飲み込まれていた。「有る訳ないよな・・・・」   サラバ!祐天寺で過ごした青春の1頁・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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