2009/06/02

森の生活者

 僕は森の中に住んでいるので毎日、人間以外のいろんな生き物達に出会う。最近特に出会うのは夜道で出会うアライグマ、先日は夜道を車に乗って帰っていたら道路の真ん中で2匹のアライグマが遊んでいて慌ててハンドルを左に切って避けようとしたらアライグマも左に逃げようとしてお互い「オットット」という具合でぶつかりそうになり今度は右側に避けて2匹のアライグマはヨタヨタと森の中に消えて行きました。

 今日も同じ付近でこんどはタヌキに遭遇、ムクムクに太ったタヌキで尻尾もフサフサで何だかメタボタヌキのようでとても愛らしい奴だったけどムクムクの尻尾をフリフリ、同じく森の中に消えて行きました。

 動物に出会うのは大体、夜が多いのですが先日、用事があって朝早く会社に向かっていたら切り開かれた崖の中腹に鹿の群れが立ち止まってこっちを見ていました。何だか彫刻のように固まってこっちをみているので可笑しくなり、その時は驚かさないようにそっとスピードダウンしてゆっくりその群れから遠ざかりました。

 この時期、一番困るのはひっきりなしに道を横切るでっかい毛虫達、ちょうど車の進行方向とスピードとのタイミングでこのまま直進すると確実に踏み殺しそうになると可哀想で出来るだけ避けるようにしているんだけど何せ連中は所構わず道を横断するので危ないったらありゃしない。

 この前の休みの日、地下室に仕事の材料をとりに裏庭に出て地下室の扉方向に行こうとしたら目の前にニュルニュル蠢く奴が・・・あいつだ!我が家に住み着いているデッカイヘビ!女房が「チャーリー」なんて妙な名前を付けたもんでまるで我が家の守り神みたいに偉そうにしている全長1.5m程の奴だ。

 僕はこの世の中で何が一番嫌いかってこのヘビが一番嫌いなのだ。だから奴をみると心臓が止まりそうになるほど嫌いなのだ。もしかして前世はカエルだったのかも知れない。

 最近一番被害を受けたのがスズメバチ、夜、寝ようと思って掛け布団をめくって足を突っ込んだとたんに鋭い痛みが左足に走った。何事か訳が分からず布団から飛び出しパジャマのズボンをめくってみても何ともない。思わずかぶっていた布団をめくってみたら大きなスズメバチが張り付いていた。ヤラレタ!兎に角、布団に張り付いていたにっくき敵を網ですくって潰し(そう、我が家にはハチ退治用に必ず子供が使う虫取り網をいつも部屋に置いてあるのだ)すぐさま治療体制に突入、すぐに毒を絞り出して、家に置いてあるスズメバチを焼酎に付けたエキスを患部に塗り、とりあえずショックを起こさないか様子を見て、何せ夜中の1時頃だったのでもし万一の場合は救急車を呼ぼうと思っていたのですが兎に角5分たってショック症状が出なければ大丈夫と自分で判断した。

 幸いにもショック症状は出なかったもののそれから23日は痛みが引かず、その後は今度は治りかけの独特の痒みに襲われて眠れない日々が続いた。幸い、スズメバチ騒動はその後治まったけど2度目が一番危ないので今年はハチに刺されないように注意しなければならなくなりました。

 しかし、そうは言っても我が家は何故かあちこちからハチが入ってくる。特に「ジバチ」と呼ばれるハチは体が白黒の斑模様のハチで地元では「ヘボ」とも呼ばれ地元の人達はこの幼虫を楽しんで捕獲して食用にして食べている。このジバチ、れっきとしたスズメバチの一種なのだから侮れない。

 過去に一度、同じように枕の裏側にへばりついていて頭をかまれ大変な思いをしたことがある。

 夜中、一年中我が家に何故か遊びに来ている白茶の猫がいる。冬の雪が降った翌朝、その猫の足跡は我が家の軒下にいつも付いている。寒いのに何故遊びに来るのか知らないがいつもその子の足跡が付いている。

 一度、我が家の中でお泊りしていった事もある。自宅はどこだか知らないけど結構遠くから来ているような気がする。

 朝、出勤するのに車のエンジンをかけて家の前の舗装道路に出ようとしたら目の前を2匹のリスが歩いていた。地面を歩いており僕の車に気がついて慌てて2匹で近くの木にへばりついて登っていった。きっと夫婦のリスだろうと思うけど見るからに仲のよさそうな夫婦リスでした。

 夜中、家の周りで「ギャーギャー」と都会ならスワッ!人殺し!と間違えられそうな声で騒ぐ奴がいる。多分、狐だろうと言う事になっているが見た訳ではないので分からない。それにしても凄く騒がしい奴である。

 しかし、連中はTVを見るわけでも新聞を読むわけでもなく何となく「最近は気候も変だし、何だか人間達もイライラしているしおかしな世の中になったな」と仲間同士話しているかも知れない。

2009/05/24

サラバ、サザンオールスターズ

 先日、久しぶりに何も用事の無い休みの時間がポッカリ空いたので前から見ようと思っていたWOWWOWで録画したサザンオールスターズの30周年となるファイナルコンサートを見ました。

 彼らがデビューした頃の印象は面白い個性を持ったバンドだなという感じでした。今でも覚えているのは確か青山辺りのビルの屋上での演奏をTV中継したものでしたが桑田がお尻を出してしまってヒンシュクをかい、当時、結構騒がれた様に記憶しています。当時の事をリーダーである桑田も兎に角目立とうと思って必死だったと言っていました。しかし、このバンドが30年という長い間、多くの人の支持を得たというのはやはり一つの時代を代表するバンドとして常にファンに向けてその時代が求める音を提供してきてそれが共感を得たという事だと思います。

 私は音楽には年齢も性別もジャンルも無いと思っています。クラシックしか聞かない人、ジャズしか聞かない人、人はそれぞれですが私は垣根を作らず自分の感性を信じて気持ちの良い音を聞こうと思っています。

 サザンオールスターズはそういう意味では結構、色んなチャレンジをしたバンドだと思っています。最近の音楽作りではヒットしない曲は作れないのか知れませんが何だか似たような曲やカバー曲がやたら多いような気がします。サザンの曲は一時、桑田が言っていたように「詩」に余り重きを置かずどちらかというと「曲」に重点を置いた楽曲が多いのですが、かと思うと当時の時代批判を込めた「詩」をふんだんに込めてみたり、バラードやサンバといったジャンルの音を散りばめてみたりと色々なチャレンジを惜しまずやってきたから多くの人に支持されたのだと思います。サザンは売れるだけなら多分、バラードだけを定期的に出していけば充分、やっていけたバンドだと思います。実際にバラードだけのCDもちゃんと定期的に出していますけどね(笑)

 しかし、30年という長い期間、トップセールスを続ける事が出来るというのは大変な事でそれなりにプレッシャーも大きかったでしょうね。私の青春時代もまさにサザンと同時期だったので色々なシーンが彼等の楽曲とダブって記憶されています。余り他人に言えないような辛い思い出や反対に嬉しくて楽しくてたまらなかった時、彼等の曲が近くにありました。何かの折にそんな思い出の曲が聞こえてくると忽ちそれらの記憶がよみがえり当時の匂いがよみがえったりします。確か頼まれて結婚式で「いとしのエリー」をギター担いで歌って大恥かいた事もあったな~。3時間半というとてつもなく長いコンサートを見ているとそれらの思い出が頭によぎってきて思わず目頭が熱くなってきたりして、これも音楽のなせる業ですね。

 最近はたまたま仕事でピアニストのお客様の自宅を建てさせて頂いたのを縁にクラシックコンサートのスタッフをお手伝いしたりしてクラシックコンサートに出掛ける機会が増えてきました。正直いってクラシックなんて柄ではないのですが最初に言ったように元来、余り物事に拘らない優柔不断な性格なものでどんな音楽でも自分が聞いていて気持ちよければどんなジャンルの音楽でもホイホイ聴きに行きます。それが自分の感性を磨くコツだと思っていますから。

 クラシックは何を間違ったか親が私の小さい時にピアノの個人教師何かをつけたもので子供の頃はピアノが弾けたのですが、そこはそれ何せガキ大将だったのでピアノより外で暴れる方が大事で早々に先生に強制退去願ってそれ以来ピアノは全く駄目になってしまいました。その後、ご他聞にもれず学生時代はギターに凝ってフォークギターをかき鳴らし、やれコード進行がどうのと遊んだクチです。当時、渋谷のヤハマ楽器がメッカでよく覗きに行きました。そう言えば当時、かなり怪しい奴が下宿に出入りしていて何故、そんな奴と知り合ったのか良く覚えていないのですが初めてエレキギター(当時はそう言っていたのですよ・・笑)を下宿に持ち込み昼日中から部屋に篭って音あわせなんかして演奏していました。あれは何だったのでしょうね?今でもよく分りません。

 私の事務所ではBGMにいつもFN放送が流れています。東京でサラリーマンをしていた時は考えられませんでしたが今はBGMが流れていないと落ち着きません。そういえば現場でも、うちの職人さん達は比較的若い人達が多いのでポップな曲が流れている事が多く、昔の現場みたいに昼休みに演歌がガンガン掛かっているなんて事は無くなりましたね。私は音楽が溢れる空間というのは優しい平和な時を刻むと思っています。いつも心に音楽を・・・

2009/05/17

森のコンビニ事情

 私が八ケ岳に引っ越して来た20年前には近くにコンビニと称するような店は1軒も有りませんでした。あるのは所謂、田舎の民家が建っている中に良くある何でも売っているお店。棚に置かれている品物は一体何時から置かれているんだろう(笑)と思われるような埃を被った商品が大半でした。それでもパンも売っていて、今では考えられませんが、日切れしたパンをダンボール箱に入れて安売りしていて私もよくそれを買いました。別にお腹を壊すこともなかったしね・・・

 

 その他に町の中心部に唯一あったスーパーのお店が「移動スーパー」と称するトラックを改造して中に棚をつくった移動店舗を造り、この改造車が山間部の民家を回り、町まで出て来られないお年寄りの家庭には便利な買い物のお手伝いになっていました。この移動スーパーは大体、止まる場所と時間が決まっていて畑仕事が終わって家に戻ってきたお百姓さん達が利用出来るようになっていたようです。

 

 そんな買い物事情が当たり前のようになっていた森の生活にも或る日、近くにコンビニが出店されるという話が伝わって来ました。「へえ~いよいよここにもコンビニが出来るのか」と驚いたのを覚えています。それから結構、短期間にあちこちにコンビニが建てられるようになりローソンやセブン・イレブン何ていういわゆるメジャーなコンビニも続々増えていきました。それでも当時は夜、人が出歩くなんて事は考えられなかったので夕方には閉まる店がほとんどで、「全然セブン・イレブンじゃ無いね」なんて笑っていましたが今では24時間営業なんてのが普通になってきてしまい、すっかり買い物事情は変わってしまいました。

 

 比較的早い時期に中央高速道路小淵沢ICの前に出来たローソンは当時の売り上げ高(何の売上高かは忘れましたが・・)日本一なんて話も聞くようになり驚いたものです。

 

 この話の最初に出てきた何でも売っていた「何でも屋さん」も大手チェーン店のコンビニに改装され2代目さんが中心になって経営されるお店になりました。それでも当時の店番をしていたオバチャンもまだ現役で頑張っているので時々、私が顔をだすと「ありゃ!久しぶり。今日はさぶいね~」何て昔のままの元気な姿でカウンターに立っています。

 

 その内に中央高速道路長坂ICの前にも大型ショッピングセンターが建設され、今では買い物にはほとんで不便を感じなくなりました。しかし、その事は同時に地元商店街の営業にも大きな影を落とすことになりました。

 

 山間部に暮すお年寄りの買い物を支えていた移動スーパーは経費削減で無くなりお年寄りには返って不便になってしまいました。地元商店街では大型SCに対抗出来ずに店を閉めるところも増えてシャッターが閉まったままのお店が段々増えてきているような気がします。

 

 世の中の移り変わりで仕方無いことかもしれませんが少し寂しい気もします。それでも元気に頑張っているお店もあり、そういうお店に行くと品揃えなんかは確かにコンビニやSCには敵わないかもしれないけど、そういう大手の店にはない細かなサービスや人情何かがあってそれはそれで嬉しいものです。レジのところに火鉢やお漬物何かが置いてあり「お茶飲んで漬物食べてきな」なんて声掛けられ、まるで昭和の初期にタイムスリップしたような気分になりそれが何だかホノボノ嬉しかったりするのは何故なんでしょうね。

 

 今ではここ北杜市内でも10店舗以上のコンビニがひしめきあっていてちょっと車で走っていると必ず見かけるようになりました。しかし、それが災いしてか大型SCがオープンして直ぐにSCの敷地内に置いてあったATMが建設用重機で壊されて中の現金支払機が持ち去られたりして物騒な犯罪も起こるようになってしまいました。昔では考えられない事です。

 

 便利になって買い物には困ることは無くなったのですがそれと引き換えに無くしたものもあるような気がします。

2009/05/10

自主上映会「いのちの作法」開催のお知らせ

Omote Ura

北杜市の知り合いのペンションの風路さんがある日、東京で見たこの映画に感動しこの映画を是非、北杜市で開催したい!との思いで仲間の輪が広がり、とうとう7月5日(日)に北杜市長坂コミュニテイーステーション・ホールで昼・夜の2回上映が決定しました。

この映画は戦後の混乱期に岩手県の寒村だった旧沢内村が豪雪・貧困・多病多死の困難を当時の深沢村長を中心とした生命行政(住民の生命を守る事こそが地方行政の使命)により日本初の老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成した物語を描いた及川和男著 「村長ありき」を原作としその後の沢内村を描いた作品です。

私はこの映画を見て、この作品に描かれている現代の沢内村(岩手県西和賀町)は当時の深沢村長の遺志を引き継いだ後継者達が未だにこの問題と取り組んでおり、これこそが今、日本の行政に必要とされている事だと思い知らされました。

私は自分達が住む山梨県北杜市も是非このような年寄りと若者が一緒に暮らせる市になって欲しいと思い1人でも多くの人にこの映画を見て欲しいとの願いから実行委員としてお手伝いする事になりました。ご覧になりたい方は当社までご一報下さい。チケットをお届けします。

メモ雑感

 最近、何でもメモするようにしています。それは歳取って忘れっぽくなった事(笑)が原因なんですが取り敢えずメモしておけば大丈夫かなと・・・

 昔、サラリーマンをしている時に尊敬していた上司がいつも机の上に小さなメモを置いていました。とても理論的な思考をする方で私みたいに思いつきで動く典型的B型行動人間とは全く違っていつも静かに時に激しく議論をする人でした。

 ゼネコンから出向してきている方で私が就職した会社内でも立場的に難しい立場にいる人でしたが私はその人に社会人としての基礎となる色んな事を教えて貰いました。今の私があるのもその人のお陰とも言えます。

 当時、ある空港のターミナルビルの仕事をしていましたがそのビルは老朽化が進んで良く雨漏りをしていました。或る日やはり屋上から雨漏りをして、下のテナントのお店に雨水が天井から垂れてきて騒ぎになり、すぐその上司が所属しているゼネコンの会社に依頼して対応して貰ったのですが当時、新入社員だった私は立場上その工事を依頼する側の会社の人間だったので、そのゼネコンの作業員の人達が一生懸命雨漏りした水を排水したりテナントさんの商品が濡れないようにビニールを掛けたりする作業を腕を組んで見ているだけでした。

 その途端、その上司から雷のような怒鳴り声を掛けられ「バカヤロー!さっさとバケツと雑巾を持ってきて手伝え!」と怒鳴られました。本来なら出向先の社員を怒鳴りつけるというのは立場上、憚られることだと思いますが逆にその先輩は私が入社した会社の人間が私のような新入社員が黙って腕組んで作業を見ているのを咎めない事に苛立ったのかなと思いますがその目の前で私を怒鳴りつけたのです。

 考えてみれば私が就職した会社はその建物を管理する側の会社でしたのでそのテナントさんの店に雨漏りしているのですからいくら業者が作業しているからと言って管理会社の社員がそれを腕を組んで見ているだけというのは常識的にマズイ光景でそれを教えたくてその上司は怒鳴りつけたんだと思います。それが最初にその上司に叱られた記憶でした。

 話が逸れてしまいましたがその上司は朝、机に着くといつも小さなメモに何か書き付けていました。何てことは無いコピー紙の切れっぱしに書き付けていましたが私はいつもそれが気になって何を書いているんだろうと思っていましたがとうとう私が退社するまでそのメモを覗く事はありませんでした。

 しかし、自分が最近、物忘れをカバーする為にメモをとるようになってフト気が付いたのです。あれはもしかしたら自分のするべき仕事をメモしていたんではないかなと・・・そんな気がしたのです。当時の上司は今の私より少し齢は上でしたがきっと理論家の方だったので自分の頭の整理をする意味でメモをとっていたんではないかと気付いたのです。

 そういえばあるプロジェクトチームを立ち上げた時にその上司は「デカイ紙を持って来い」と我々に言いつけました。言われたとおりに真っ白なデカイ紙をつくりテーブルをくっつけてその上にそのデカイ紙を置き、どうするのかと思いきや「このプロジェクトを遂行するのに必要だと思いつくことを何でも良いから書け」と言われ、我々新入社員は兎に角、何か書かないと又、怒鳴られるので何でも頭に浮かぶことをマジックで書き込みました。

 当時は「これって新入社員研修でやったブレーンストーミングだよな?」何て生意気な事を心では思いながらもそんな分ったような事を口に出来る立場では無かったので黙って言われたとおりに思いつくままに嫌々(笑)項目をデッカイ紙に書き込みました。その先輩はその項目をジャンル毎に円で囲み関連性を纏めて今後検討すべき項目を見事に文字で表現して我々が何をすれば良いのかを分りやすく説明してくれました。本来なら多分、自分で作成した例のメモに全て書いてあってそれを我々に命令すれば済む事だと思いますが敢えて我々、新入社員に自分達でそれを発案させるように仕向けたのだと思います。

 現代はメールや私が書いているブログのように文章で表現する機会が増えてきました。それは頭の中を整理するという意味ではとても良い事だと思います。勿論、口に出して伝えると言うことはもっと大切な事だと思いますが自分の考えや言いたい事を文章化するという事は大切な事ですね。私の机の前には使用済みのコピー用紙を小さく切ったメモ用紙がいつも積まれています。これが今の私の仕事上、大切なツールになっています。

2009/05/03

桜草とGW

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 我が家のコブシの木の下に桜草が咲きました。女房が最近、庭造りに凝っていて一生懸命コツコツと小さな庭造りに励んでいます。

 私はいたってこの花の名前が苦手で全然、分りません。しかも仕事の関係で決まった休みがないし特に世間の人が休みの時は仕事という事が多いのでちっとも女房と休みが合いません。だから、最近は時間があると女房は私を外に連れ出しては花の名前をマシンガンのように私に告げるのですがこれがマア見事に右の耳から左の見に抜けていくのはどうしてでしょうかね?とっておきの美人が耳元で囁くように教えてくれると覚えるのかも知れないのですが(笑)アッ、でもかえって何言ってるか上の空か・・・

 マア、兎に角遅ればせながら今年も森の中に新緑の季節がやって来ました。しかし、ちょっと気になることもあります。最近、家の周りの森の木々達が次々と倒れていきます。ついこの間も夜中に何だか家のそばでバキッという凄い音がして次の朝、家の裏を覗いてみると大きな枝が折れて我が家の屋根を僅かのところでかわして地面に倒れていました。直撃したら危ないところでした。

 それ以外でも森の中でやたら今年は倒れる木が目立っています。根がすっかり起きてしまってゆっくり傾くように倒れていく木もあります。唐松林はこうやって徐々に広葉樹の森に変わっていくのが自然なのでこれも自然の摂理といえば摂理なのですが、どうも最近、倒れていく木が多くなったような気がします。

 そういえば最近、母なる太陽も黒点活動が弱まりここ数百年なかった程、全く黒点が見られずニキビ面が消えた真っ赤な太陽になっているそうです。太陽の黒点の減少が具体的に地球にどのような影響を及ぼすか、まだ分らない事の方が多いようですが太陽風の減少により地球に降り注ぐ地球外からの様々の宇宙線が増えるそうです。だからどうなんだと言われると困るのですが今まで地球に届かなかった異物が届くようになるのでキット何かが変わるということですね。

 しかし、日本ではそんな事とは全く関係なくGWが始まりどこもかしこも観光客だらけです。ここ八ケ岳も例年のように多くの車と人で溢れかえっています。

 ちょっと近くのお客様と打ち合わせに行こうと思っても道の真ん中でデッカイ車が止まっているし、曲るのか止まるのか、はてまた進むのか全く分かずとにかくどうしたいのかちょっと意思表示して貰えると助かるんですけど・・・

 かと思いきや、交差点で右折のウインカーだして一時停止している車があるのでその左に並んで左折しようと思ったら、いきなりその車が気が変わって左も見ずにいきなり左折してきてぶつかりそうになったり、いつも行く近くのコンビニへ買い物に行ったら明らかに田舎には不似合いなハイヒール履いたオネエチャンが香水の匂いプンプンさせながら男とイチャツイテいたり、兎に角私が最も苦手とする都会の喧騒と人のイライラ光線がそこかしこに溢れていて「コリャイカン、大人しく事務所に引っ込んでコンリンザイ外に出るものか」と硬く心に誓うのでした。

 こういうのを「閉じこもり」というのでしょうか?それなら凄くそういう人の気持ち分るな~。私なんか昼間、家の外に出て森の中で小鳥の声しか聞こえなくて時々風が吹いて木々が揺れるだけなんて状態は至福の時だもんな~。そういう意味では根っからのサボリ大好き人間です。ボ~と日がな一日していていつの間にか日が暮れるなんて事はしょっちゅうです。これはイケナイ事なのかな?マア、森の中に住んでいる人間の特権と思い大目に見て下さい。

2009/04/26

森の木々達は今・・

 2日程、静岡の清水と天竜の山の中に入って来ました。今回は仕事の関係で必要な木を見にいったのですが、今、木材業界も深刻な不況の影響を受け関係者は対応に苦慮しているのがあちこちで聞こえてきて皆、悲鳴を上げています。

 昔からの老舗の製材屋さんが店を閉じざるえなかったり在庫の処分の為に展示場を閉鎖、縮小したりして何とかやりくりするのに必死です。清水の山の中はすっかり様相が一変しており山の中には巨大なモニュメントのような第2東名高速道路の橋脚が立ち並びループ橋となるエリアには処狭しとその巨大な柱が林立して上空を通る高速道路とその下になるお茶畑や森や山間の村との景観のギャップに異様な雰囲気が漂っていました。

 これも現実なのですが何となく、こんな事して本当に良いのかな?何時かとんでもないしっぺ返しを受けるんじゃないかと恐ろしくなってしまいました。ほんの10年程前に夜間、この地域を通りぬけた時には真っ暗な山間にまだ造りかけの橋脚が数箇所そびえたっているだけで、それだけでも異様な景色でしたがそれがここ数年で凄い事になっていました。

 そんな中、天竜の山はひっそりとまだその姿を留めており、さすがに歴史ある銘木の山はまだまだすたれないという威厳を感じました。

 うろ覚えですが木の研究の中に年輪考古学?という名前だったと思いますが、そういうジャンルの研究をされている研究者がいます。世界中の森の木はその年輪にその時代の経済状況や気候変動を刻んでいます。それは広いエリアを統計的に分析すると皆同じような傾向を示すそうです。

 昔は私等も木の年輪を見ると東西南北が分ると教えられ年輪が広いほうが成長が早いから南側だと覚えましたが実はそんな事はなく、いわゆる昔の常識のウソというやつで実際は周辺の木々の密集状態や風の方向等の様々な条件によって年輪は変わるようです。

 ついでにもう一ついうとよく年輪を数えるとその木の樹齢が分るといいますがこれも必ずも絶対ということではなく例えば木の年輪といっても根元と枝先では年輪の数が違います。だからどこの位置の年輪を数えるかでその数は変わってきます。これも知っているようで意外と知らないですよね。

 さて、話はそれましたがその年輪考古学、広域の樹木の年輪傾向を統計的に調べてみると例えば世界経済の変動にその年輪の変動を重なるとピッタリ重なるから不思議です。当然、大規模な気候変動にも左右されて例えば大きな火山活動が起こったりすると太陽光を充分に浴びられなくて光合成が進まず年輪が詰まってきます。これが大規模で同じ傾向を示すという訳です。

 気候変動で年輪が左右されるのは分りますが経済状況によっても変動し木々がその体内にその記憶を記録しているというのは凄い事ですね。私が想像するのに、きっと今の日本でも戦後の住宅難から材料となる木の大規模伐採が行われ日本中の山の木が切られ経済が活性化した時には大規模伐採により樹間が充分開くので成長が促進され年輪の間隔が開き、その後、大量の杉や桧を植えたものの新建材にその座を奪われて流通の道を絶たれた為に今度は日本中の山の木が切られずに間伐も進まず、その為に充分な太陽光が森の中に射さないので年輪は育たず間隔が狭くなっているのではないかと思っています。

 これは全く勝手な解釈なので合っているかはどうかはわかりませんけどね。でもそれはともかく、木々は人間の経済状況まで見届けて体内にその記録を留めているというのは凄い事です。

 それも1000年以上もの記憶が留められている訳ですから最近のデータベースのように数年でテープからカセット、CDMD、メモリーステックのように短いスパンで駄目になったりするのとは全くその寿命が違います。

 木は本当に偉大なのですね。さて、昨今の人間達の大騒ぎする様子を森の木々達はどう見つめて未来にどう記憶して伝えていくのでしょうか?余り恥ずかしい事は出来ないですよ。1000年先まで報告されてしまいますからね。21世紀初頭の人類は・・・なんて事にならぬようにしないとね。

2009/04/19

家の中を蠢く奴ら

 今年も暖かくなってきてそろそろ奴らが蠢き始めました。今朝も女房がキッチンで「臭い!何か居る、この匂いは絶対カメだ!」とノタマウ。「俺、花粉症で鼻詰まってるから分んない」「父さんじゃダメだね。絶対いる。この辺にいる・・・」探すこと30秒。「居た!」ダイニングのテーブルの下で腹を出して引っくり返っているカメムシが・・・幸い、踏んでは居なかったので最悪の状況は避けられそ~と広告の紙で掬って外に退場願った。どうも今年も多そうです。

 

 それから例のピョンピョン飛び回るチッチャイ奴等、「カマドーマ」もう本当に煩いったらありません。ピョンピョン家の中を飛び回り、いつか全滅させてやるぞと心に誓っているのですが忙しさにかまけてまだ全滅作戦を実行するには至っていません。これが例によって風呂の中やトイレの中を自由に飛びまわって本当に煩いのです。

 

 最近、大量虐殺の方法を一つ発見しました。お風呂場の蓋を開けていると奴らは勝手に飛び込んで哀れ水死してしまう事が分りました。ちょっと気味悪いのですが風呂掃除の時に一気に掃除出来るので結構、効果的です。

 

 我が家で活躍していたカマドーマハンターの猫3匹が相次いで亡くなってしまったので奴らはこれ幸いと勢力を増しており、いい気になっているようです。そのうちにギャフンといわせてやろうと密かに闘志を燃やしております。

 

 先日、夕食を終えてリビングでくつろいでいたらリビングの真ん中を悠然とデッカイ毛虫が歩いていて「ワッ!こいつどっから出てきたんだ!」と驚きました。こんなデカイ奴が歩いていたら何もリビングの真ん中に出て来るまで気付かない何てありえないと思うのですが忽然と姿を現し驚いたの何の・・これも新聞広告で掬ってすぐさま退場願いました。

 

 大体、我が家は森の中の行き止まりに建っているので奴らに来るなという方が無理というものですがそれにしても今年は蠢くのが早いような気がします。これも温暖化の影響かも知れません。

 

 そういえばお客様からも相変わらず「蟻が家の中に入って来て困るんですけどどうにかなりませんか?」という問い合わせが毎年多くなって来ています。蟻の生態も明らかに変わってきていますね。

 

 昔は外の土の中に巣を作っていましたが最近はどうやってか家の中に入り込み家の中で巣をつくり越冬する奴らが増えてきました。新聞に学者の方が家の中のアリに余り神経質にならないでと記事を書かれていましたが私もそう思います。

 

 害があるものは別ですがそうでない場合はどっかから浸入ルートがありますからそれを絶って家の中にアリの好みそうなものを出来るだけ露出して置かないようにすればいずれ居なくなります。元々、彼等の方が先にすんでいた先住民(蟻?)ですので嫌わずに速やかに出て行って貰いましょう。

 

 私が一番嫌いなのは家に住んでいるらしい蛇です。私はまだ見たことがないのですが昔、一度でっかい抜け殻を見つけ、その後、女房が家の周りの木の下で休んでいるのを見たそうです。女房はそいつに勝手に名前を付けて家の守り神と決めてしまっているので余計に腹が立つのです。

 

 どうもクネクネと動き回る奴に本能的に嫌悪感を持っていて、もしかして前世はカエルだったかも知れないと内心思っています。

 

 相変わらず夜、事務所からの森の中の帰り道では色んな奴が道の端から飛び出して来ますがその話はまた別の機会に・・・

2009/04/12

ペット雑感

 我が家で一緒に暮らしていた犬1匹と猫3匹が相次いで居なくなってもう数年経ちます。女房は「そろそろ猫飼おうかな」なんて時々呟くようになってきました。

 仕事の関係であちこちのお宅にお邪魔すると結構、犬が家の中にいる事があります。何故か、そんなお宅の犬達は私を歓迎してくれます。何故だか分からないけど飼い主のお客様より犬の方が大歓迎してくれる(笑)どうも人間様より犬の方に好かれているようでそれも困ったもんだけどこればかりは感性の問題だからしょうがない。

 先日、知り合いの家の前でそこの主人と立ち話をしていたら近くに住む共通の友人が飼っている大型犬を散歩させながら通りかかった。まだ若い犬で落ち着きがなくおどおどしていたが立ち話をしていたその家の主人が「お~来たか」と喜んで手を出したら犬が驚いて噛み付きそうになった。その家の主人は犬を飼ったことが無く、知り合いの犬に咬みつかれそうになってビックリしたようだった。

 大型犬といえども若い犬はまだ落ち着きが無く、人に慣れていないケースが多い。一度、匂いを覚えて慣れてくれば大丈夫だけどそうでない場合はうかつに手を出すと危ない。特に上から頭をなでようとするのはご法度だ。少しでも犬の事を知っている人なら気を付けるがそうでない場合は要注意ですね。犬の方がいきなり上から手を出されると驚いて咬もうとしてしまうんですね。

 私は初めての犬に出会った時は先ずしゃがんで目線を出来るだけ低くしてわざと目を合わさず知らん顔して向こうから寄ってきて私の匂いを嗅いで興味を示すまでじっと動かない事にしています。そのうち興味をしめした犬は甘えてくるしそうでない犬は離れていってしまいます。その知り合いに噛み付きそうになった犬にも初めて会ったのでしゃがんで知らん顔をしていると私の体の匂いを散々嗅いだ挙句、体を摺り寄せてきて背中をくっつけて私の横にお座りをして気が付いたら何も言っていないのにお手をして「触って」と言ってきました。そうなったらしめたものです。第一段階のお近付きは成功という訳です。

 しかし、どうも私は初めての人との出会いは苦手なのに犬なら大丈夫というのもなんだか困ったもんです。前回も犬の事を書きましたが飼っている犬をみると何だか飼い主のことも少し分かるような気がして最近は人間ウオッチングよりも飼い犬ウオッチングをしていた方が面白くなってきました。神経質に犬を叱っている人をみると犬も結構、神経質になってしまうようで落ち着きがなくなっています。人間を叱るのと同じように犬に話しかけてあれは駄目だこれは駄目だときつく叱っているのを見かけると「あいつきっと何でこんなに怒られているか分ってないだろな」と犬に同情してしまいます。

 ペット化してしまい犬と人間が親しくなるのはとても結構なことだけど犬はやはり犬で人間ではないのでもっと犬の気持ちになってやらないと迷惑だろうなと思うことが多々あります。犬に長々と説教しても絶対やつら分ってないですから(笑)しつける場合は手短に分りやすい方法でしてやらないと混乱するだけですね。

 それと色々な服を着せて着飾っている犬もよく見かけるけど特に長毛種の犬なんかだと、その服着せられている犬の目を見てると「暑くてたまんねんよ(笑)脱がしてくれ~」て訴えてくるようで本当に笑ってしまいます。そういう犬のお腹撫でてやるとホカホカしています。

 猫も何故か家や事務所に遊びにくる飼い猫がいます。一年中うちに遊びにくる子はどこの猫だか知らないけど一度、うちでお泊りしていった事もありますが雪がシンシンと降っている冬でも朝、気が付くとその子が遊びに来た足跡がくっきり庭についていたりします。何でこんな雪が降る夜に遊びにくるのかと思うけどキットその子の日課になっているんでしょうね。だから、うちには今のところペットはいないんですけど近所の犬や猫が沢山いるのでそれなりに面白いですよ。

2009/04/05

3本足の障害犬

 その犬は私の廻りに2匹いる。1匹は近くのガソリンスタンドに住んでいる。今から6,7年程前、誤って配達中のガスボンベがその犬の前足の上に落ち大怪我を負ってしまい直ぐに動物病院に連れて行って手術をしたのですがその後、経過が思わしくなく結局片方の前足を切断する事になった。

 

 名前を「シンノスケ」という。シンノスケはその後も毎日、ガソリンスタンドに出て暫くは近所の人が毎朝、散歩に連れて行っていた。シンノスケは片方の前足がないのでピョンピョン撥ねながら散歩する。だから少し歩いては休憩し又、暫く頑張っては休憩しながらそれでも結構長い距離を頑張って散歩していた。

 

 見ていてもピョンピョン撥ねながら歩くので大変そうで本人?も嫌なのではないかと思って見ていたけどそれでも近所の人が毎朝、迎えにいくと嬉しそうに散歩に行っていた。

 

 いつしかその近所の人も見かけなくなり最近は店の店員さんが散歩に連れて行っている。いつも店にガソリンを入れにいくと事務所前に特にリードで繋がれるでもなくベターと横たわって大人しく店番をしている。

 

 最近、シンノスケに新しい若い仲間が出来て2匹で店番をするようになり心なしかシンノスケは元気がないように見える。若い仲間はまだ子供の犬で元気一杯なので事務所の中に閉じ込められている。そんな元気な犬と比較してしまうからかもしれないが何と無く元気がなさそうに見えてしまうのです。シンノスケいつまでも元気で頑張れよ。

 

 もう1匹は自宅の近所でいつも飼主のご夫婦と一緒に散歩している犬で毎朝会う。もう5年程になると思う。この犬は名前も知らないが初めて会った時はすでに前足が片方なくてビッコをひいていた。

 

 シンノスケと同じように頑張って毎朝散歩していたがやはり体力的に辛いのだろうと思うが時々うずくまって動かなくなる。そんな時、飼主のご夫婦は決して立たせようとはしない。じっと本人が納得して立ち上がるのを待っている。

 

 そんなある日、いつものようにその犬にばったり道で会ったら前足に手作りの台車が添えられていた。きっと飼主のご夫婦がその犬の為に造ってあげたんだと思う。嬉しそうにその台車に前足をのせて器用に歩いていた。それでも長くは無理のようで休み休みなのだがしっかり自分の力で歩いていた。

 

 暫くはそんな日々が続いたが気が付くと暫く見なくなってしまった。もしかして、やはりダメだったのかな~と時々思い出しながら車でいつもの道を通勤していたらある日、突然見慣れたご夫婦が現れた。しかも手作りの木製の乳母車を押している。まるでテレビの子連れ狼に出て来るような手作り乳母車である。しかも、良く見ると乳母車には歩けなくなった例の犬が乗っているではないですか!いやはや、もうまるでその光景には執念のようなものさえ感じました。

 

 ここまでしてこの犬の為に散歩を続けているかと思うとこのご夫婦のこの障害犬にたいする愛情は尋常なものではないと思い知らされました。しかもその障害犬は全く歩けないのではなく時々、立ち止まってはその乳母車から下りてピョコピョコ歩き、又疲れたらその乳母車に載せられていつもの散歩コースを進んでいるのである。

 

 いやはや、振り返ると自分がもしこういう風になったら自分の家族はここまでやってくれるだろうか?なんだかこの犬が本当に羨ましくなってしまった(笑)体に障害があってもその分、懸命にそのハンデを支えてくれる家族や友人がいてくれるという事はこんなに素晴らしい事なんですね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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