2009/06/29

日本林業再生の願い

 先日、加盟しているウッドマイルズ研究会の総会が東京であり参加してきました。この会の目的は地産地消の木材を利用する事により木材運搬に関わるCO2削減を図ろうとするもので、その為に一般消費者にも分かりやすくその指標を公開しようとする研究会です。午前中に総会があり午後からはフォーラムが開かれ講師による講演や参加者による意見交換等が行われ活発な意見が交わされました。

 しかし仕事柄、こういう会議や打ち合わせに参加する事が多いのですが今、日本の林業は本当に衰退してしまい、おまけに昨年来の経済危機が追い討ちをかけるように衰退に拍車をかけた格好で川上側となる山元の林業関係者は悲鳴を上げています。会議が行われる度に政治が悪い、工務店が悪い、林業家が悪いとお互いに中々どうしたら良いのかという議論に発展していかない位、疲弊した状況が続いています。

 今、日本には国内で建築される木造住宅の全てを国産材で供給出来るだけの生産量があるのですが実際にはその大半を輸入材が占めている状況です。何故、このような不可思議なことになってしまったのか?色々なところで色々な意見があって私にもこれが原因だなんて事は分からないのですが最近、ひとつ感じるのは「文化の違い」と言う事です。

 これだけ山林に囲まれた日本が森林文化に疎いなんて事は思いたくないのですが急速な経済発展やそれに伴う諸外国からの圧力が森林文化の発展を妨げてきたのではないかと思います。それは食料自給率の低下にも似た現象ではないかと思います。国内で充分な供給体制があるにも関わらずそれらの資源を生かせない仕組みや文化が築かれてしまったんではないでしょうか?

 今の子供達が「近くに立っている木を倒して家にする」なんていう感覚を感じる事が出来ているのでしょうか?私にはすごく疑問です。子供の頃に海や川に行って魚を釣って自分で焼いて食べるなんていう体験がそういう文化の継承には絶対に必要だと思うのです。同じように木を切ってそれで物を造るなんて体験が森林文化を築くのだと思うんですよね。いまだに、里山つくりなんてイベントをお手伝いしていても「木を切るなんてとんでもない。それなら私は帰ります」なんて怒って帰られる方もいます。何をかいわんやですがその程度しか理解がないというのが実情なんです。

 ではどうしたら良いか?それが分かればとっくに日本の林業は再生しているのですがその方法が分からないから苦しんでいるのです。私も仕事柄、木を扱うので山元の方の苦悩はいつも聞いています。その時に感じるのは「卵が先か鶏が先か」の疑問なんです。私は自分たちで使う良い木が欲しい、そういう木を伐り出して欲しい。山元の方はいつも大量に使ってくれるなら伐るけどそうでなければ伐るだけ赤字でやっていけない・・・いつもこの議論のどうどう巡りです。

 良い木がないから注文出来ない。注文がないから伐らない。ではどうすれば???川下側の消費者が変わらなくてはならないのか山元の林業関係者が変わらなくてはならないのか?私はどちらも変わらなくてはならないと思います。

 家の設計が出来た。「じゃ何時出来ます?3ヶ月位で出来ますか?」こういう会話がいつも出てきます。公共事業でもそうですがどうしても年度予算で物事が動いています。だから「伐採に適した時期(冬)に伐採し山で充分天然乾燥(葉枯らし)して出材して・・・」なんていってると時間ばかり掛かります。それを今の時代は許さない風潮があります。工業化が進み「家は買う物」という文化になってしまっています。何故か?自然を理解していないからです。山元の林業家の方も消費者の方も含めて今の時代は余りにも経済最優先主義がつっぱしり過ぎた為に地球上に住んでいる限り避けて通れない自然との共生が意識の遠くに追いやられてしまっています。

 時間がかかる天然乾燥に代わり強制乾燥機が国の100%補助で整備され林業機械も日本では世界有数のコストを掛けて投入されています。なのに国産材は流通しない。高価な林業機械も稼動しない。これでは何の為の補助制度なのか分からなくなってしまいます。文化の無いところに機械だけ投入しても効果は得られないのです。

 私は東京へ出る度に思います。今、私は森の中で木々に囲まれて暮らしています。そしてその暮らしは金銭的に豊かでなくても精神的にとても豊かに暮らす事が出来ています。勿論、人それぞれなので都会での暮らしが向いている人もいるでしょうが本来、人間は昔、自然と共に生きてきたはずです。そういうDNAが少なくても自分たちの体には残されているはずです。

 林業再生にはそういう文化の見直しが絶対的に必要です。農業にも共通し全ての産業にも共通する事だと私は思います。是非、自然との共生に重きを置いた文化の再生に官民一体となった取り組みをして欲しい欲しいと思います。そうすれば島国である自然豊かな日本独自の文化を生み出すことが出来、その時こそ世界に誇れる日本文化の再生が始まると思います。

2009/06/22

ゆっくり暮らそうよ

 最近、思うんです。世の中急ぎすぎてませんか?もう少し落ち着いてゆっくり暮らそうよと・・・私だけですかね?こんな事、思うのは。元来が生まれつきのノンビリ大好き人間で、旅行なんかで海辺に行ったら一日中、砂浜で本読んでいて大丈夫な人間です。

 まあ、それは置いておいても最近、やたらと世の中、慌し過ぎませんかね。経済再生、それは尤もだとは思いますがもともとバブルに浮かれてサブプライムローン何て良く分からない商品を生み出して結局、破綻するのが目に見えてたのに目先のお金に目がくらんでリスクをどこかに追いやったのでこうなってしまったんですよね。私には難しい事は分からないけど元々、無理があったという事ではないでしょうか?であればここで一旦、落ち着いて本当は何が大事か考え直しましょうよ。経済最優先から福祉・医療・自然最優先に変更出来ませんかね?

 今、北杜市で思いを同じくする人達が集まって「いのちの作法」という自主映画を上演しようとしています。ペンションのオーナー夫婦が東京で見たこの映画に感動しこれを是非、北杜市でも上演しようというのがこの活動の発端でした。賛同する人達が集まり現在、上演に向けてチケット販売をしていますが当初、無謀ではないかと言われた12回公演が今や、昼の第一部は既に満席となり夜の部も半数近くが売れています。それだけ感心が深いという事です。

 この映画は昭和30年頃に岩手県の山村、沢内村で行われた「生命行政」が現代にどのように受け継がれているかを描いたドキュメンタリーです。豪雪・貧困・多病多死の三重苦に喘いでいたこの村を深沢村長という一人の人間が「地方行政の最大・唯一の目的は住民の命を守る事だ」という使命に燃えて「生命行政」という医療を中心とした画期的な行政を行いました。戦後の混乱が未だ続く昭和30年代に日本で初めて老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成するという奇跡のような行政がこの小さな山村で行われました。

 何故、この「生命行政」が現代では出来ないのでしょう?こんなに戦後、飛躍的に経済復興が進み一躍、世界の大国になった日本で何故、貧困に喘ぐ山村で出来た「生命行政」が出来ないのでしょう?私は出来ないのではなく、しようとしてないのだと思います。一人一人がもういちど原点に戻って暮し方を考え直せば出来ない訳ないと思っています。私はこれ以上、立派な高速道路も要らないし○○公民館や○○活性化センターも要らない。人々が豊かに安心してゆっくり老いていく事が出来る暮らしが一番幸せだと思います。

 経済が落ち込んで暮らしが苦しくなったのは分かります。食費もなくて餓死していく人がこの日本にもいます。どうしたら救えるのでしょうか?経済対策で大型補正予算を国は政策として実行しましたが考えを全く切り替えて逆に医療費を国が補填する事で経済効果は得られないのでしょうか?前述の沢内村でも老人達はお金が無くて病院に掛かれない、若い人達に迷惑を掛けたくないと言って治療を拒んで亡くなっていきました。今の日本でも同じ事が起こりつつあります。住民の命を繋ぐ切り札となるべき病院が経営危機に陥って無くなったり、将来の日本を背負う新しい命を支える産婦人課病院が無くなっていく・・・これっておかしくないですかね。

 何かが間違っていると私は思います。北朝鮮問題でも何故か専守防衛では日本は守れないなんて軍備増強を叫ぶ政策が議論されています。私は「仮想敵国」という言葉が大嫌いです。それを言い出したら世界中が仮想敵国になってしまいます。何故、緊張状態を作り出さなくてはならないのでしょう。日本は敗戦から多くの事を学んだはずです。核兵器の装備なんて議論が国会で話されるのが信じられません。そんな金があったらクレッ(笑)病院を造るから・・・と言いたいですね。

 一体、過去の歴史から何を学んだのでしょう?彼らは原爆記念館に行った事があるのでしょうかね?どんな理由があっても核兵器は持ってはいけないと私は思います。世界中の国が核放棄をすれば持つ必要なんかないじゃないですかね。特定の国だけが持っても良いなんて理論がまかりとおるからおかしいのです。

 あれっ?話がアッチコッチに散らかってしまいましたが。とにかく余り物騒な事は言わずに一度、立ち止まって今、何が一番大切なのかを考えるチャンスだと私は思います。そうしないと我々は何を得て何を失ったのか見えてこないのではないでしょうかね。と、雨に閉ざされた森の中の小屋でふと考えてみたりしました。

2009/06/15

言葉にして伝えるということ

 最近、良く思うのですが自分が思っている事を正確に言葉で相手に伝えるという事は本当に難しいですね。昔、工事現場の監督修行をしていた時に現場の所長に言われたのですが、「内容はともかく兎に角、現場で喋るときは相手よりデッカイ声を出せ!声がでかくないと相手になめられるぞ」と教わりました。

 随分、乱暴な話ではありますが確かに常に動いている戦争のような現場では小さい声で喋っていると忙しい相手には聞いて貰えませんので大きい声で話すというのは現場では大事な事だと思います。しかし、余り他人に聞かれたくない事を二人で話すような時には静かに冷静に話す必要があるのでこういう時は小さな声で落ち着いてゆっくり話す必要があります。ケースバイケースで話し方も変える必要がありますね。

 会議なんかで議論を戦わす時に良く経験するのですが自分の意見と違う考えが主流になり中々自分の思い通りに議論が進まない事があります。私はこういう時は出来るだけ自分の意見と違う人達の話をじっくり聞くようにしています。何故、考えが違うのかどこが問題なのかを突き止める為です。元来、優柔不断な性格ですので、さっきまで拘っていた自論が相手の話を聞いているうちに「マア、それも一理あるな」なんてあっさり自論を引っ込める時もあるし、「これだけは絶対譲れない」なんて事もあります。

 中には何が一体問題なのかさっぱり分らないなんて会議もあります。こういっては失礼だけど国会や政治がらみの話を聞いていると物事の本質が何なのか一体なにが問題なのかさっぱり分らないなんて事があります。仲間内の会議でも司会進行がうまくいってないと一体何を議論しようとしているのかさっぱり分らないなんて事もあります。そういう会議に限ってだらだらと長く続くというケースが多いですね。

 又、反対に議論の問題点だけを取り上げてそれ以外の余計な話を一切受け付けない「とにかくイエスかノーか今ここですぐに決めろ」何て会議は味も素っ気もなくて段々、出席者が離れていってしまいますし議論の発展性もなくなってしまいます。

 心の中では違う事を思っているのに会議の雰囲気でどうしても言えずに「ここでは取り敢えずは大勢に従って黙っておくか」なんて弱気になる事もありますよね?そんな雰囲気の中で誰かが大勢の意見に反論を始めると途端に元気がでて「実は自分もそう思っていた」なんてチャッカリ元気になるなんてこともあります。それ程、自分の考えを言葉にして伝えると言う事は難しいですね。

 知り合いの化学者の方はゆっくり自分の意見を正確に伝えようとする余り、聞いているとじれったくなるような話方をするのですがじっくり聞いていると「アア、この人は自分の思いを化学者らしく正確に伝えたいので言葉を選んでいるのだな」と気付きます。そうなんですよね。人に自分の思いを伝えるには言葉の選び方や声の強弱、敬語の使い方、話の前後の繋がり、その場の雰囲気等、色んな要素によって左右されるので非常に難しい時がありますよね。

 私は仕事では出来るだけ先に結論を言って、その後でその結論にいたる経緯等を付け加えるようにしています。そうした方が聞いている人に「この人は何を言いたいのだろうか?」という疑問に対して先に結論を伝えられるので出来るだけそうした言い方を心がけています。

 又、議論が沸騰した時は目を瞑って両者の議論をじっくり聞いて何故、意見が違うのかどこが問題なのかその意見を聞き漏らさないようにしています。

 人間って面白くて口に出して言っている事と心で思っていることが違うなんて事がよくありますよね。特に日本人はそういうところがあるようで欧米人には理解出来ないなんて話をよく聞きます。でも、私は人間ウオッチングが好きなのでその人が話しているとそういう雰囲気何かが伝わってきてその人間にとても興味をもつ事があります。

 話しているうちにコロコロ意見が変わってきたり何が言いたいのか良くわからないなんて時は「ハハ~この人は自分の中でよく考えを纏めきれないまま喋り始めてしまったんだな」とか、良く他人に批判された時にいつも「違うんですよ」から話を始める人がいますがその内容に無理がったりすると「始めに謝ってから話を進めた方が分りやすいのにな」なんて感じます。どうしても他人から批判される事に拒否反応が先にたってしまう人にこのケースが多いですね。こういう人は普段から理路整然と話をするタイプの人に多くて取り敢えず反論をしてから自分の正当性を主張しようとする癖がついてるみたいです。意外と先に謝った方が話が早い事も多いのですけどね。

 それからお互い全く誤解したまま話しがこんがらがっていく事もたまにありますよね。こういう時も自分の思いを伝える事がいかに難しいか思い知らされます。私は話のコツは相手が何を言いたいのか聞き出す会話術だと思います。この話は又の機会に・・・

2009/06/08

自然の営み、人間の営み

 仕事柄、木を扱う人達と会う機会が多くて色んな人達と話をします。木を扱う人達は熱心な人が多く、いつも熱く議論を交わすなんて事もあって時々熱くなりすぎて激論を戦わすなんて事になることもしょっちゅうです。でも、それだけ真剣だということです。

 何故、真剣か?皆さん、国産材の流通に頭を悩ましているのです。私も含めてですが何とか外国からの輸入材に頼らず国内の木を流通させたくてどうしたら良いか激論を交わしていると言う訳です。しかし、一度、消費者からそっぽを向かれたものを取り戻すのは大変な事です。それは木の世界に限らず消費者から一度、信用を失うとそれを取り戻すのは時間がかかります。それはその時代の人間の営みが変化していると言う事もありますがそれも時代の流れなんでしょうね。

 しかし、森の木達にそんな事は関係ありません。彼らは淡々と時を刻むのみです。長い年月、人間の営みを見続けています。私が取り組んでいる月齢による伐採方法、これはオーストリアのエルヴィン・トーマ氏が提唱した伐採方法で冬の月が欠けていく時に伐採し山で葉枯らしをした木は良い木になるというものです。

 もともと戦前の日本でも行われていた伐採方法なのですが戦後、強制乾燥炉の普及により一年中、伐採した木が流通するようになり口伝がすたれ忘れられていました。これなんかも自然の営みには関係なく人間の営みの都合で勝手に人間が変えてしまった事なんですが別にこれで木が変わった訳ではないんですね。木は変わらないけど人間が勝手に木の性質を変えたと思い込んでいると言ったほうが良いかも知れません。

 最近、経済の破綻によりよりエコにシンプルに生きようというする人達が増えてきました。IT産業に携わっていた人達が農業を始めたり、誰に聞いたのか忘れましたが歴代の宇宙飛行士達が地球に戻ってくると皆、農業を始めるそうです。宇宙から見た地球は初めてそれを宇宙飛行士達が見た時から20数年、明らかに緑が少なくなってきているそうです。だから、宇宙飛行士達は地球に帰ると危機感を感じて農業を始めるという事のようです。

 それくらい自然の営みが変化しているというこどですね。それが人間の営みによってもたらされたものなのか、自然界のただの変化なのかそれは分かりません。しかし、私たちが地球上に暮す以上自然の営みに逆らって生きるのはどう見ても得策ではないように思います。

 文明の発達と自然の営みとが旨く調和されるのが理想ですがどうも相反するような気がするのは私だけでしょうか。科学の発達により、より自然豊かな暮らしが営めるようになるとそれはとても科学の発達に感謝するのですがどうも科学の発達は戦争や争いの種を作っているようでどうもしっくりいきません。

 自然の森に立つ木の命を自然の営みに逆らわずに頂いて物造りをする。それはとても豊かな暮らしを送れる事になると思うのです。農業も全く同じですね。手間をかけて作物を栽培し自然から栄養を頂き、それを自分たちが生きる栄養として頂く。

 それはとても自然な事です。自然の営みに逆らわず旬な時期に旬なものを食べる。それが自然の営みに逆らわずに暮すという事です。

 森の木も同じ、母樹から落ちた種が土にもぐり芽を出す。母樹は何れ年老いて倒れその若芽の栄養の元になる。我々、木に関わる人間はその木の命を少し分けて頂いて自分達が暮す家や家具の材料に使わせて貰う。

 しかし、その木の命を頂くにも作法があります。作物と同じように自然の営みにしたがって木が「伐ってもよいよ」と言ってくれたときに伐らせて貰う。そして生まれた森の中で養生期間を置いて充分その命を枯らしてから使わせて貰う。それが長い期間生きてきた木への礼儀です。自然の営みに逆らってはいけません。これからはそう心掛けて暮らそうと思います。

2009/06/02

森の生活者

 僕は森の中に住んでいるので毎日、人間以外のいろんな生き物達に出会う。最近特に出会うのは夜道で出会うアライグマ、先日は夜道を車に乗って帰っていたら道路の真ん中で2匹のアライグマが遊んでいて慌ててハンドルを左に切って避けようとしたらアライグマも左に逃げようとしてお互い「オットット」という具合でぶつかりそうになり今度は右側に避けて2匹のアライグマはヨタヨタと森の中に消えて行きました。

 今日も同じ付近でこんどはタヌキに遭遇、ムクムクに太ったタヌキで尻尾もフサフサで何だかメタボタヌキのようでとても愛らしい奴だったけどムクムクの尻尾をフリフリ、同じく森の中に消えて行きました。

 動物に出会うのは大体、夜が多いのですが先日、用事があって朝早く会社に向かっていたら切り開かれた崖の中腹に鹿の群れが立ち止まってこっちを見ていました。何だか彫刻のように固まってこっちをみているので可笑しくなり、その時は驚かさないようにそっとスピードダウンしてゆっくりその群れから遠ざかりました。

 この時期、一番困るのはひっきりなしに道を横切るでっかい毛虫達、ちょうど車の進行方向とスピードとのタイミングでこのまま直進すると確実に踏み殺しそうになると可哀想で出来るだけ避けるようにしているんだけど何せ連中は所構わず道を横断するので危ないったらありゃしない。

 この前の休みの日、地下室に仕事の材料をとりに裏庭に出て地下室の扉方向に行こうとしたら目の前にニュルニュル蠢く奴が・・・あいつだ!我が家に住み着いているデッカイヘビ!女房が「チャーリー」なんて妙な名前を付けたもんでまるで我が家の守り神みたいに偉そうにしている全長1.5m程の奴だ。

 僕はこの世の中で何が一番嫌いかってこのヘビが一番嫌いなのだ。だから奴をみると心臓が止まりそうになるほど嫌いなのだ。もしかして前世はカエルだったのかも知れない。

 最近一番被害を受けたのがスズメバチ、夜、寝ようと思って掛け布団をめくって足を突っ込んだとたんに鋭い痛みが左足に走った。何事か訳が分からず布団から飛び出しパジャマのズボンをめくってみても何ともない。思わずかぶっていた布団をめくってみたら大きなスズメバチが張り付いていた。ヤラレタ!兎に角、布団に張り付いていたにっくき敵を網ですくって潰し(そう、我が家にはハチ退治用に必ず子供が使う虫取り網をいつも部屋に置いてあるのだ)すぐさま治療体制に突入、すぐに毒を絞り出して、家に置いてあるスズメバチを焼酎に付けたエキスを患部に塗り、とりあえずショックを起こさないか様子を見て、何せ夜中の1時頃だったのでもし万一の場合は救急車を呼ぼうと思っていたのですが兎に角5分たってショック症状が出なければ大丈夫と自分で判断した。

 幸いにもショック症状は出なかったもののそれから23日は痛みが引かず、その後は今度は治りかけの独特の痒みに襲われて眠れない日々が続いた。幸い、スズメバチ騒動はその後治まったけど2度目が一番危ないので今年はハチに刺されないように注意しなければならなくなりました。

 しかし、そうは言っても我が家は何故かあちこちからハチが入ってくる。特に「ジバチ」と呼ばれるハチは体が白黒の斑模様のハチで地元では「ヘボ」とも呼ばれ地元の人達はこの幼虫を楽しんで捕獲して食用にして食べている。このジバチ、れっきとしたスズメバチの一種なのだから侮れない。

 過去に一度、同じように枕の裏側にへばりついていて頭をかまれ大変な思いをしたことがある。

 夜中、一年中我が家に何故か遊びに来ている白茶の猫がいる。冬の雪が降った翌朝、その猫の足跡は我が家の軒下にいつも付いている。寒いのに何故遊びに来るのか知らないがいつもその子の足跡が付いている。

 一度、我が家の中でお泊りしていった事もある。自宅はどこだか知らないけど結構遠くから来ているような気がする。

 朝、出勤するのに車のエンジンをかけて家の前の舗装道路に出ようとしたら目の前を2匹のリスが歩いていた。地面を歩いており僕の車に気がついて慌てて2匹で近くの木にへばりついて登っていった。きっと夫婦のリスだろうと思うけど見るからに仲のよさそうな夫婦リスでした。

 夜中、家の周りで「ギャーギャー」と都会ならスワッ!人殺し!と間違えられそうな声で騒ぐ奴がいる。多分、狐だろうと言う事になっているが見た訳ではないので分からない。それにしても凄く騒がしい奴である。

 しかし、連中はTVを見るわけでも新聞を読むわけでもなく何となく「最近は気候も変だし、何だか人間達もイライラしているしおかしな世の中になったな」と仲間同士話しているかも知れない。

2009/05/24

サラバ、サザンオールスターズ

 先日、久しぶりに何も用事の無い休みの時間がポッカリ空いたので前から見ようと思っていたWOWWOWで録画したサザンオールスターズの30周年となるファイナルコンサートを見ました。

 彼らがデビューした頃の印象は面白い個性を持ったバンドだなという感じでした。今でも覚えているのは確か青山辺りのビルの屋上での演奏をTV中継したものでしたが桑田がお尻を出してしまってヒンシュクをかい、当時、結構騒がれた様に記憶しています。当時の事をリーダーである桑田も兎に角目立とうと思って必死だったと言っていました。しかし、このバンドが30年という長い間、多くの人の支持を得たというのはやはり一つの時代を代表するバンドとして常にファンに向けてその時代が求める音を提供してきてそれが共感を得たという事だと思います。

 私は音楽には年齢も性別もジャンルも無いと思っています。クラシックしか聞かない人、ジャズしか聞かない人、人はそれぞれですが私は垣根を作らず自分の感性を信じて気持ちの良い音を聞こうと思っています。

 サザンオールスターズはそういう意味では結構、色んなチャレンジをしたバンドだと思っています。最近の音楽作りではヒットしない曲は作れないのか知れませんが何だか似たような曲やカバー曲がやたら多いような気がします。サザンの曲は一時、桑田が言っていたように「詩」に余り重きを置かずどちらかというと「曲」に重点を置いた楽曲が多いのですが、かと思うと当時の時代批判を込めた「詩」をふんだんに込めてみたり、バラードやサンバといったジャンルの音を散りばめてみたりと色々なチャレンジを惜しまずやってきたから多くの人に支持されたのだと思います。サザンは売れるだけなら多分、バラードだけを定期的に出していけば充分、やっていけたバンドだと思います。実際にバラードだけのCDもちゃんと定期的に出していますけどね(笑)

 しかし、30年という長い期間、トップセールスを続ける事が出来るというのは大変な事でそれなりにプレッシャーも大きかったでしょうね。私の青春時代もまさにサザンと同時期だったので色々なシーンが彼等の楽曲とダブって記憶されています。余り他人に言えないような辛い思い出や反対に嬉しくて楽しくてたまらなかった時、彼等の曲が近くにありました。何かの折にそんな思い出の曲が聞こえてくると忽ちそれらの記憶がよみがえり当時の匂いがよみがえったりします。確か頼まれて結婚式で「いとしのエリー」をギター担いで歌って大恥かいた事もあったな~。3時間半というとてつもなく長いコンサートを見ているとそれらの思い出が頭によぎってきて思わず目頭が熱くなってきたりして、これも音楽のなせる業ですね。

 最近はたまたま仕事でピアニストのお客様の自宅を建てさせて頂いたのを縁にクラシックコンサートのスタッフをお手伝いしたりしてクラシックコンサートに出掛ける機会が増えてきました。正直いってクラシックなんて柄ではないのですが最初に言ったように元来、余り物事に拘らない優柔不断な性格なものでどんな音楽でも自分が聞いていて気持ちよければどんなジャンルの音楽でもホイホイ聴きに行きます。それが自分の感性を磨くコツだと思っていますから。

 クラシックは何を間違ったか親が私の小さい時にピアノの個人教師何かをつけたもので子供の頃はピアノが弾けたのですが、そこはそれ何せガキ大将だったのでピアノより外で暴れる方が大事で早々に先生に強制退去願ってそれ以来ピアノは全く駄目になってしまいました。その後、ご他聞にもれず学生時代はギターに凝ってフォークギターをかき鳴らし、やれコード進行がどうのと遊んだクチです。当時、渋谷のヤハマ楽器がメッカでよく覗きに行きました。そう言えば当時、かなり怪しい奴が下宿に出入りしていて何故、そんな奴と知り合ったのか良く覚えていないのですが初めてエレキギター(当時はそう言っていたのですよ・・笑)を下宿に持ち込み昼日中から部屋に篭って音あわせなんかして演奏していました。あれは何だったのでしょうね?今でもよく分りません。

 私の事務所ではBGMにいつもFN放送が流れています。東京でサラリーマンをしていた時は考えられませんでしたが今はBGMが流れていないと落ち着きません。そういえば現場でも、うちの職人さん達は比較的若い人達が多いのでポップな曲が流れている事が多く、昔の現場みたいに昼休みに演歌がガンガン掛かっているなんて事は無くなりましたね。私は音楽が溢れる空間というのは優しい平和な時を刻むと思っています。いつも心に音楽を・・・

2009/05/17

森のコンビニ事情

 私が八ケ岳に引っ越して来た20年前には近くにコンビニと称するような店は1軒も有りませんでした。あるのは所謂、田舎の民家が建っている中に良くある何でも売っているお店。棚に置かれている品物は一体何時から置かれているんだろう(笑)と思われるような埃を被った商品が大半でした。それでもパンも売っていて、今では考えられませんが、日切れしたパンをダンボール箱に入れて安売りしていて私もよくそれを買いました。別にお腹を壊すこともなかったしね・・・

 

 その他に町の中心部に唯一あったスーパーのお店が「移動スーパー」と称するトラックを改造して中に棚をつくった移動店舗を造り、この改造車が山間部の民家を回り、町まで出て来られないお年寄りの家庭には便利な買い物のお手伝いになっていました。この移動スーパーは大体、止まる場所と時間が決まっていて畑仕事が終わって家に戻ってきたお百姓さん達が利用出来るようになっていたようです。

 

 そんな買い物事情が当たり前のようになっていた森の生活にも或る日、近くにコンビニが出店されるという話が伝わって来ました。「へえ~いよいよここにもコンビニが出来るのか」と驚いたのを覚えています。それから結構、短期間にあちこちにコンビニが建てられるようになりローソンやセブン・イレブン何ていういわゆるメジャーなコンビニも続々増えていきました。それでも当時は夜、人が出歩くなんて事は考えられなかったので夕方には閉まる店がほとんどで、「全然セブン・イレブンじゃ無いね」なんて笑っていましたが今では24時間営業なんてのが普通になってきてしまい、すっかり買い物事情は変わってしまいました。

 

 比較的早い時期に中央高速道路小淵沢ICの前に出来たローソンは当時の売り上げ高(何の売上高かは忘れましたが・・)日本一なんて話も聞くようになり驚いたものです。

 

 この話の最初に出てきた何でも売っていた「何でも屋さん」も大手チェーン店のコンビニに改装され2代目さんが中心になって経営されるお店になりました。それでも当時の店番をしていたオバチャンもまだ現役で頑張っているので時々、私が顔をだすと「ありゃ!久しぶり。今日はさぶいね~」何て昔のままの元気な姿でカウンターに立っています。

 

 その内に中央高速道路長坂ICの前にも大型ショッピングセンターが建設され、今では買い物にはほとんで不便を感じなくなりました。しかし、その事は同時に地元商店街の営業にも大きな影を落とすことになりました。

 

 山間部に暮すお年寄りの買い物を支えていた移動スーパーは経費削減で無くなりお年寄りには返って不便になってしまいました。地元商店街では大型SCに対抗出来ずに店を閉めるところも増えてシャッターが閉まったままのお店が段々増えてきているような気がします。

 

 世の中の移り変わりで仕方無いことかもしれませんが少し寂しい気もします。それでも元気に頑張っているお店もあり、そういうお店に行くと品揃えなんかは確かにコンビニやSCには敵わないかもしれないけど、そういう大手の店にはない細かなサービスや人情何かがあってそれはそれで嬉しいものです。レジのところに火鉢やお漬物何かが置いてあり「お茶飲んで漬物食べてきな」なんて声掛けられ、まるで昭和の初期にタイムスリップしたような気分になりそれが何だかホノボノ嬉しかったりするのは何故なんでしょうね。

 

 今ではここ北杜市内でも10店舗以上のコンビニがひしめきあっていてちょっと車で走っていると必ず見かけるようになりました。しかし、それが災いしてか大型SCがオープンして直ぐにSCの敷地内に置いてあったATMが建設用重機で壊されて中の現金支払機が持ち去られたりして物騒な犯罪も起こるようになってしまいました。昔では考えられない事です。

 

 便利になって買い物には困ることは無くなったのですがそれと引き換えに無くしたものもあるような気がします。

2009/05/10

自主上映会「いのちの作法」開催のお知らせ

Omote Ura

北杜市の知り合いのペンションの風路さんがある日、東京で見たこの映画に感動しこの映画を是非、北杜市で開催したい!との思いで仲間の輪が広がり、とうとう7月5日(日)に北杜市長坂コミュニテイーステーション・ホールで昼・夜の2回上映が決定しました。

この映画は戦後の混乱期に岩手県の寒村だった旧沢内村が豪雪・貧困・多病多死の困難を当時の深沢村長を中心とした生命行政(住民の生命を守る事こそが地方行政の使命)により日本初の老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成した物語を描いた及川和男著 「村長ありき」を原作としその後の沢内村を描いた作品です。

私はこの映画を見て、この作品に描かれている現代の沢内村(岩手県西和賀町)は当時の深沢村長の遺志を引き継いだ後継者達が未だにこの問題と取り組んでおり、これこそが今、日本の行政に必要とされている事だと思い知らされました。

私は自分達が住む山梨県北杜市も是非このような年寄りと若者が一緒に暮らせる市になって欲しいと思い1人でも多くの人にこの映画を見て欲しいとの願いから実行委員としてお手伝いする事になりました。ご覧になりたい方は当社までご一報下さい。チケットをお届けします。

メモ雑感

 最近、何でもメモするようにしています。それは歳取って忘れっぽくなった事(笑)が原因なんですが取り敢えずメモしておけば大丈夫かなと・・・

 昔、サラリーマンをしている時に尊敬していた上司がいつも机の上に小さなメモを置いていました。とても理論的な思考をする方で私みたいに思いつきで動く典型的B型行動人間とは全く違っていつも静かに時に激しく議論をする人でした。

 ゼネコンから出向してきている方で私が就職した会社内でも立場的に難しい立場にいる人でしたが私はその人に社会人としての基礎となる色んな事を教えて貰いました。今の私があるのもその人のお陰とも言えます。

 当時、ある空港のターミナルビルの仕事をしていましたがそのビルは老朽化が進んで良く雨漏りをしていました。或る日やはり屋上から雨漏りをして、下のテナントのお店に雨水が天井から垂れてきて騒ぎになり、すぐその上司が所属しているゼネコンの会社に依頼して対応して貰ったのですが当時、新入社員だった私は立場上その工事を依頼する側の会社の人間だったので、そのゼネコンの作業員の人達が一生懸命雨漏りした水を排水したりテナントさんの商品が濡れないようにビニールを掛けたりする作業を腕を組んで見ているだけでした。

 その途端、その上司から雷のような怒鳴り声を掛けられ「バカヤロー!さっさとバケツと雑巾を持ってきて手伝え!」と怒鳴られました。本来なら出向先の社員を怒鳴りつけるというのは立場上、憚られることだと思いますが逆にその先輩は私が入社した会社の人間が私のような新入社員が黙って腕組んで作業を見ているのを咎めない事に苛立ったのかなと思いますがその目の前で私を怒鳴りつけたのです。

 考えてみれば私が就職した会社はその建物を管理する側の会社でしたのでそのテナントさんの店に雨漏りしているのですからいくら業者が作業しているからと言って管理会社の社員がそれを腕を組んで見ているだけというのは常識的にマズイ光景でそれを教えたくてその上司は怒鳴りつけたんだと思います。それが最初にその上司に叱られた記憶でした。

 話が逸れてしまいましたがその上司は朝、机に着くといつも小さなメモに何か書き付けていました。何てことは無いコピー紙の切れっぱしに書き付けていましたが私はいつもそれが気になって何を書いているんだろうと思っていましたがとうとう私が退社するまでそのメモを覗く事はありませんでした。

 しかし、自分が最近、物忘れをカバーする為にメモをとるようになってフト気が付いたのです。あれはもしかしたら自分のするべき仕事をメモしていたんではないかなと・・・そんな気がしたのです。当時の上司は今の私より少し齢は上でしたがきっと理論家の方だったので自分の頭の整理をする意味でメモをとっていたんではないかと気付いたのです。

 そういえばあるプロジェクトチームを立ち上げた時にその上司は「デカイ紙を持って来い」と我々に言いつけました。言われたとおりに真っ白なデカイ紙をつくりテーブルをくっつけてその上にそのデカイ紙を置き、どうするのかと思いきや「このプロジェクトを遂行するのに必要だと思いつくことを何でも良いから書け」と言われ、我々新入社員は兎に角、何か書かないと又、怒鳴られるので何でも頭に浮かぶことをマジックで書き込みました。

 当時は「これって新入社員研修でやったブレーンストーミングだよな?」何て生意気な事を心では思いながらもそんな分ったような事を口に出来る立場では無かったので黙って言われたとおりに思いつくままに嫌々(笑)項目をデッカイ紙に書き込みました。その先輩はその項目をジャンル毎に円で囲み関連性を纏めて今後検討すべき項目を見事に文字で表現して我々が何をすれば良いのかを分りやすく説明してくれました。本来なら多分、自分で作成した例のメモに全て書いてあってそれを我々に命令すれば済む事だと思いますが敢えて我々、新入社員に自分達でそれを発案させるように仕向けたのだと思います。

 現代はメールや私が書いているブログのように文章で表現する機会が増えてきました。それは頭の中を整理するという意味ではとても良い事だと思います。勿論、口に出して伝えると言うことはもっと大切な事だと思いますが自分の考えや言いたい事を文章化するという事は大切な事ですね。私の机の前には使用済みのコピー用紙を小さく切ったメモ用紙がいつも積まれています。これが今の私の仕事上、大切なツールになっています。

2009/05/03

桜草とGW

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 我が家のコブシの木の下に桜草が咲きました。女房が最近、庭造りに凝っていて一生懸命コツコツと小さな庭造りに励んでいます。

 私はいたってこの花の名前が苦手で全然、分りません。しかも仕事の関係で決まった休みがないし特に世間の人が休みの時は仕事という事が多いのでちっとも女房と休みが合いません。だから、最近は時間があると女房は私を外に連れ出しては花の名前をマシンガンのように私に告げるのですがこれがマア見事に右の耳から左の見に抜けていくのはどうしてでしょうかね?とっておきの美人が耳元で囁くように教えてくれると覚えるのかも知れないのですが(笑)アッ、でもかえって何言ってるか上の空か・・・

 マア、兎に角遅ればせながら今年も森の中に新緑の季節がやって来ました。しかし、ちょっと気になることもあります。最近、家の周りの森の木々達が次々と倒れていきます。ついこの間も夜中に何だか家のそばでバキッという凄い音がして次の朝、家の裏を覗いてみると大きな枝が折れて我が家の屋根を僅かのところでかわして地面に倒れていました。直撃したら危ないところでした。

 それ以外でも森の中でやたら今年は倒れる木が目立っています。根がすっかり起きてしまってゆっくり傾くように倒れていく木もあります。唐松林はこうやって徐々に広葉樹の森に変わっていくのが自然なのでこれも自然の摂理といえば摂理なのですが、どうも最近、倒れていく木が多くなったような気がします。

 そういえば最近、母なる太陽も黒点活動が弱まりここ数百年なかった程、全く黒点が見られずニキビ面が消えた真っ赤な太陽になっているそうです。太陽の黒点の減少が具体的に地球にどのような影響を及ぼすか、まだ分らない事の方が多いようですが太陽風の減少により地球に降り注ぐ地球外からの様々の宇宙線が増えるそうです。だからどうなんだと言われると困るのですが今まで地球に届かなかった異物が届くようになるのでキット何かが変わるということですね。

 しかし、日本ではそんな事とは全く関係なくGWが始まりどこもかしこも観光客だらけです。ここ八ケ岳も例年のように多くの車と人で溢れかえっています。

 ちょっと近くのお客様と打ち合わせに行こうと思っても道の真ん中でデッカイ車が止まっているし、曲るのか止まるのか、はてまた進むのか全く分かずとにかくどうしたいのかちょっと意思表示して貰えると助かるんですけど・・・

 かと思いきや、交差点で右折のウインカーだして一時停止している車があるのでその左に並んで左折しようと思ったら、いきなりその車が気が変わって左も見ずにいきなり左折してきてぶつかりそうになったり、いつも行く近くのコンビニへ買い物に行ったら明らかに田舎には不似合いなハイヒール履いたオネエチャンが香水の匂いプンプンさせながら男とイチャツイテいたり、兎に角私が最も苦手とする都会の喧騒と人のイライラ光線がそこかしこに溢れていて「コリャイカン、大人しく事務所に引っ込んでコンリンザイ外に出るものか」と硬く心に誓うのでした。

 こういうのを「閉じこもり」というのでしょうか?それなら凄くそういう人の気持ち分るな~。私なんか昼間、家の外に出て森の中で小鳥の声しか聞こえなくて時々風が吹いて木々が揺れるだけなんて状態は至福の時だもんな~。そういう意味では根っからのサボリ大好き人間です。ボ~と日がな一日していていつの間にか日が暮れるなんて事はしょっちゅうです。これはイケナイ事なのかな?マア、森の中に住んでいる人間の特権と思い大目に見て下さい。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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