おくりびとの作法
近所に住む友人が亡くなりお通夜とお葬式に参列してきた。つい最近まで元気にしていたのでちょっと辛い別れだった。そのお葬式の直会の席上での事「なんで山梨は、お通夜がすむと直ぐに火葬なんだろね?山梨だけなのかな?」「私は長野だけど長野でもそうですよ」「へえ~山梨だけじゃないんだ」地方や宗教によって葬儀の作法も色々変わるけど人の送り方もそれぞれですね。
私も仕事の関係や知り合いの葬式で色々な形式を経験してきました。最近は無宗教で「友人葬」なんてのが増えてきましたね。これは本当に形式に拘らずに親しい友人に囲まれて私としては好ましいなと思っています。
先ほどのお通夜での席でもちょうど年恰好の近い共通の友人が集まったので「あのさ、俺達の葬式ってどんなのにしたいってある?」「出来れば葬式なんてしたくないよな」「お前は会社の社長なんだからそうはいかないだろ」「でもさ、そんなのって厭じゃない?」「厭だって何だってやらない訳にはいかないだろ」「そうだよね」「しかしさ、くたばった方が厭っていったって本人死んでんだから分からないじゃない。だから本人が厭って言ったって仕方ないんだよ」「そりゃそうだ」「でも厭だな~」確かに辛い席であるほど葬式って厭ですよね。
いつだかは○○学会の葬式に参加したのですが参列者全員が一心腐乱にお経を唱えてて、それも本当にお腹の底から絞り出すように男も女もそれこそ一生懸命お経を唱えててびっくりしました。他にも○○宗のお葬式では最初に「お経」を渡されて「これ、どうすんのかな?まあ、とりあえず貰っとけばいいか」と思っていたらいきなり「では、皆さんでいっしょにどうぞ」と言われて周りを見渡すと皆さん何も見ずにお経を唱えていらっしゃる・・・仕方なく私も口をモゴモゴと動かして唱えてるふりをしていました。
田舎の高知では神道が多いので実家も神道の葬式が多いですね。自分が覚えてる一番はじめのお葬式は父方の祖父の葬式でした。子供心に初めて人の死というものに触れ、おじいちゃんが死んだという事実が中々理解出来ずに、ただただ棺に納められた祖父の死顔が怖かったのを覚えています。
それと強力に記憶しているのが膝の痺れ・・とにかく痛かった!あの頃は兎に角、子供でも膝を崩すという事が許されなくて玉串を取りに行くのに立てなくて苦労したのを覚えています。
最初に言いましたが高知というか一般的な神道のお葬式ではお通夜の翌日にお葬式が取り行われ参列者が見送る中、棺が霊柩車に乗せられて火葬場に向かって出発し一般の参列者はそこで故人と最後のお別れをする。
というのに慣れているので山梨のお葬式に行くともう骨になって骨壷に入っているなんていうのがどうも拍子抜けして困るのです。何がって?そりゃ何となくやっぱりホラッ告別式の会場から霊柩車に乗って火葬場に行くのを見届けると「これが見納めだね」と自分でも気持の整理が出来るじゃないですか。それが、「もう骨になってます」と言われると何となく「あっ!もう骨になってるのね・・」となって覚悟してきたのに拍子抜けになっちゃうじゃないですか。そんな事ないですか?そうですか・・・
元々、私の住む北杜市長坂町も土葬の習慣があるので地元の方は「親を焼くなんてとんでもない親不幸者だ」となってしまうらしくて北杜市に火葬場が出来たのもつい最近の事です。昔は火葬場がないので隣の市まで焼きに行っていました。
私達が引っ越してきた時も「若い墓掘りが来てくれて助かった」と言われたものです。年寄りばかりだと墓穴を掘るのも大変ですからね。最近はそれでも大変なのでご先祖様には申し訳ありませんが機械の力を借りて掘っていたりします。時々、ご先祖様が出てきてちょっと寄って貰ったなんて話も聞きます。
最近は納骨堂なんてのが増えてきて私も父の骨は納骨堂に入れて、永代供養料を納め、ちゃっかりお金で解決してしまっています。イカンイカンです。今年の夏はご先祖様のお墓の掃除をしに行こうっと・・・
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