2009/08/07

おくりびとの作法

 近所に住む友人が亡くなりお通夜とお葬式に参列してきた。つい最近まで元気にしていたのでちょっと辛い別れだった。そのお葬式の直会の席上での事「なんで山梨は、お通夜がすむと直ぐに火葬なんだろね?山梨だけなのかな?」「私は長野だけど長野でもそうですよ」「へえ~山梨だけじゃないんだ」地方や宗教によって葬儀の作法も色々変わるけど人の送り方もそれぞれですね。

 私も仕事の関係や知り合いの葬式で色々な形式を経験してきました。最近は無宗教で「友人葬」なんてのが増えてきましたね。これは本当に形式に拘らずに親しい友人に囲まれて私としては好ましいなと思っています。

 先ほどのお通夜での席でもちょうど年恰好の近い共通の友人が集まったので「あのさ、俺達の葬式ってどんなのにしたいってある?」「出来れば葬式なんてしたくないよな」「お前は会社の社長なんだからそうはいかないだろ」「でもさ、そんなのって厭じゃない?」「厭だって何だってやらない訳にはいかないだろ」「そうだよね」「しかしさ、くたばった方が厭っていったって本人死んでんだから分からないじゃない。だから本人が厭って言ったって仕方ないんだよ」「そりゃそうだ」「でも厭だな~」確かに辛い席であるほど葬式って厭ですよね。

 いつだかは○○学会の葬式に参加したのですが参列者全員が一心腐乱にお経を唱えてて、それも本当にお腹の底から絞り出すように男も女もそれこそ一生懸命お経を唱えててびっくりしました。他にも○○宗のお葬式では最初に「お経」を渡されて「これ、どうすんのかな?まあ、とりあえず貰っとけばいいか」と思っていたらいきなり「では、皆さんでいっしょにどうぞ」と言われて周りを見渡すと皆さん何も見ずにお経を唱えていらっしゃる・・・仕方なく私も口をモゴモゴと動かして唱えてるふりをしていました。

 田舎の高知では神道が多いので実家も神道の葬式が多いですね。自分が覚えてる一番はじめのお葬式は父方の祖父の葬式でした。子供心に初めて人の死というものに触れ、おじいちゃんが死んだという事実が中々理解出来ずに、ただただ棺に納められた祖父の死顔が怖かったのを覚えています。

 それと強力に記憶しているのが膝の痺れ・・とにかく痛かった!あの頃は兎に角、子供でも膝を崩すという事が許されなくて玉串を取りに行くのに立てなくて苦労したのを覚えています。

 最初に言いましたが高知というか一般的な神道のお葬式ではお通夜の翌日にお葬式が取り行われ参列者が見送る中、棺が霊柩車に乗せられて火葬場に向かって出発し一般の参列者はそこで故人と最後のお別れをする。

 というのに慣れているので山梨のお葬式に行くともう骨になって骨壷に入っているなんていうのがどうも拍子抜けして困るのです。何がって?そりゃ何となくやっぱりホラッ告別式の会場から霊柩車に乗って火葬場に行くのを見届けると「これが見納めだね」と自分でも気持の整理が出来るじゃないですか。それが、「もう骨になってます」と言われると何となく「あっ!もう骨になってるのね・・」となって覚悟してきたのに拍子抜けになっちゃうじゃないですか。そんな事ないですか?そうですか・・・

 元々、私の住む北杜市長坂町も土葬の習慣があるので地元の方は「親を焼くなんてとんでもない親不幸者だ」となってしまうらしくて北杜市に火葬場が出来たのもつい最近の事です。昔は火葬場がないので隣の市まで焼きに行っていました。

 私達が引っ越してきた時も「若い墓掘りが来てくれて助かった」と言われたものです。年寄りばかりだと墓穴を掘るのも大変ですからね。最近はそれでも大変なのでご先祖様には申し訳ありませんが機械の力を借りて掘っていたりします。時々、ご先祖様が出てきてちょっと寄って貰ったなんて話も聞きます。

 最近は納骨堂なんてのが増えてきて私も父の骨は納骨堂に入れて、永代供養料を納め、ちゃっかりお金で解決してしまっています。イカンイカンです。今年の夏はご先祖様のお墓の掃除をしに行こうっと・・・

2009/08/02

どっちが森の住人?

 朝、5時頃、森の中は夜明けで白々としてくる。私の寝ている寝室にはカーテンが掛かっていないので寝床から外の様子が丸見えである。それでもいつもならその時間はぐっすりまだ夢の中である。しかし、その日は様子が違った。

 白々としてきた森の中からひときわひきつったような声が森の静寂を切り裂いた。「ヒエ~ヒエ~ヒエ~・・・」「ウルサイッ!って、いや本当にウルサイッテ!」「お前誰だよ?」と叫びたくなるほどウルサイッ!どうやら森の中でひときわ高い唐松の木のてっぺんで叫んでいるらしい。布団をかぶろうが何しようが容赦なく叫び続ける声が耳に飛び込んでくる。「ヒエ~、ヒエ~、ヒエ~!」どうやらここ数日、森の中で煩く騒いでいる猛禽類の子供の声らしい。きっと朝早くから親鳥が餌を取りに行ってその帰りを待ってお腹が空いたのかしきりに鳴いている。

 大体、名前は知らないけど猛禽類の奴等は意外と子供が大きくなるまで甘やかして餌を運んで食わせるらしい。子供だってとっくに巣立ちをしているのに一人前には程遠くいつまでも親に餌を取ってきて貰うらしい。

 「全く、どこの世界も親が甘やかすからこういう子が出来る!」と訳の分からない文句をいいながら隣に寝ている女房に「何とかしろよ!大人しく泣きやまないと焼き鳥にするぞ!って言ってこいよ」「馬鹿言ってんじゃないわよ。自分で言ってくればいいでしょ」と取り合って貰えない。

 お陰で目はバッチリ覚めてしまい。それから延々とその馬鹿息子だか娘だかしらないけど鳴き続け、お陰で小鳥達は餌にされちゃかなわんと恐れをなして森の中から逃げ出してしまい、そいつの独演会はず~と続いた。

 結局、寝不足の目をしたまま会社に行く羽目になり、昼間、何とか眠い目をこすりながら仕事を済ませた。

 そして夜になり仕事を終えた帰り道、車を運転していると目の前をフッと何かが横切った。何だ?何だ?と確認する間もなく視界からその物体は消えた。

 そしてフト運転席から右横の山側の土手をみると車と一緒に走っている黒と白の斑の物体が!何だこいつ?と目をこらすと何と若いタヌキ!タヌキが車と一緒に走っている!きっと山道のカーブで遊んでいたら私の車が通り掛かり、慌てて逃げ出したのは良かったのだけど何故か車と同じ方向に走り出してしまったのでしょう。

 相手も「どうしよう!どうしよう!何故、追いかけてくるの?」と思いながら走っているし、こっちも「なんで並んで同じ方向に走るんだ?」と思っているからずっと並んで走る羽目になったという訳。

  で結局、しばらく並行して走った挙句、私は車を止めて、奴も立ち止まってお互いに顔を見合わせてお互いに「何だよう・・」と言いつつ、奴は山の中に入って行きました。

 こっちはやっと安心して車をスタートさせてしばらく走っていてもうすぐ家につく細い道に曲がる直角のカーブを曲がろうとハンドルを切ったその時!今度はかなり離れた所から大きくカーブを切りながらこっちに向かってかなり早いスピードで走りこんでくる茶色の物体!慌てて急ブレーキをかけて車を止めた。

 今度はなんだよ?と思う間もなく目の前に飛び出してきたのはいつもの若い狐。全く、何でこっち向いて走ってくるんだよ。反対側に逃げるだろ?普通・・・何でこっちに向かってくるんだよ。と思いつつ、轢かなくてよかった~と胸を撫でおろしました。

 「やれやれ今日は何て日なんだ」と呆れつつあと数十メートルで家の駐車場という所で今度はいつも夜中に家に遊びに来る近所の茶色と白のブチ猫とすれ違い思わず目が合った。

 その目は「お帰り、遅かったね」と確かに言った。何てこった、確かに森の中に住んでるけどここは全く人間の住んでいるところに奴らが出てくるのではなく、奴らが住んでるところに私が通りかかると言った方が正しいのかも知れない。

2009/07/30

頑張れ日本の林業

 先日、木を扱う人達の集まりが有り私も参加して来ました。日本の各地から熱心な木に関わる人達が集まり12日で夜更けまで議論が続きました。林業家の方や工務店経営者、設計事務所、森林組合員、大学教授、メデア関係者等を含め様々な方面の方が活発な議論を交わし有意義な集まりとなりました。

 現在、日本の林業は非常に厳しい環境にさらされています。例えば山梨県では先日、新聞のコラムに投稿された記事によると県産材の県内普及率は僅か4%にしかすぎません。では、その他はどうなっているかというと日本全体では流通量の約8割を海外の木材が占め、国産材の流通は2割程度に留まっています。それに対し日本の貯木量は一年間に消費される木材を100%補えるだけの貯木量が育っています。なのに何故か国内には流通しないのです。

 例えばある県で伐採された木がどのように流通するかというと伐採した業者さんは全国の市場を調査して価格の高そうな市場にその木を移動します。そうするとその木はその市場産の木になってしまいます。つまり市場近くの木が名が通っていれば当然、その市場が活況となり高い値がつくというわけです。そして全国でいくつかこのような市場があり市場で売買された木が中国をはじめとした経済発展を遂げている国々に輸出されていきます。つまり日本国内で伐採、造材された木は地元で消費されるどころか国内でも流通せず海外に輸出されていき、その一方で海外から製品化された木材を輸入している世界でも有数の木材輸入国が日本なのです。

 こうした捩れた現状が今の日本の林業の姿なのです。だから皆、苦しんでいるのです。どうすれば海外産の木材に対抗することが出来るのか、どうしたら消費者に地元の木を買って貰えるのか、あちこちで色々な活動が試行錯誤されているのですが中々、画期的な打開策が見出せないでいます。

 私も各地でこの様な集まりに参加する機会がありこの経済危機の中で皆さん、悲鳴に近い叫びを上げています。しかし、この現状を招いた原因を探って誰が悪いこれが悪いと言ってみても画期的な打開策が見つかるわけではありません。なんでもそうですが一度失ってしまった信用を取り戻すのは大変な事なのです。

 戦後の住宅難の時代に大変な活況を迎えた日本の林業はその活況に踊らされて外国に対して立ち遅れてしまったのです。林業の世界は直ぐには反応は出ません100200年先の投資をしていかないと変わらないのです。

 先ずは消費者の方に近くの山に立っている木に感心を持って貰い、海で泳ぐ魚がヒラキや刺身で泳いでいるわけではないのと同じように今、手元にある木製品はこれらの近くの木を伐採することにより製品化出来るという認識を持って貰わなくてはなりません。

 その為には林業家の方たちと共に山側から川下(消費者)までを結ぶネットワークを築き先ずは消費者に日本の木にもっと感心を持って貰うような活動が不可欠になっています。日本の林業を再興するには山側にお金が戻るようなシステムを築かないと山は荒廃する一方です。

 林業家が生活出来ない、山の木を切った後に植林するお金も残らないような林業ではこの先豊かな森林国であるはずの日本は荒廃してしまいます。山が荒廃すれば里山も荒廃し川は死に漁業にも影響を及ぼします。

 昨今のゲリラ豪雨でも各地で荒廃した山が崩れ被害をもたらしています。我々の未来を担う子供達に何とか豊かな森林を残せるようにするのが現代に生きる我々の使命だと思います。

 頑張れ日本の林業、私も応援します。

2009/07/19

日食と木陰

 もう20年以上前の事だけど昔住んでいた川崎でやはり日食があって、その時に木陰の木漏れ日が同じように欠けていくのを身を持って体験しました。それ以降、事ある毎ににこの事を話すんだけど誰も信じてくれなかった。

 そしたら最近はテレビ等のメデイアでこの事がごく当然のように報道されるようになって「あれっ?もう皆疑わなくなったんだ」と知って気が抜けてしまいました。昔は自分でもこの目で見た事なので何とか本当だと信じて欲しくて、色々言ったんだけど説明する方もそんなに理路整然と説明できないので「本当なんだってば!」と喧嘩ごしに言ってしまい。その内に段々、ばかばかしくなってしまい。「もういいや、別に信じて貰わなくても・・・」と思ってそのうち忘れてしまっていました。

 それが今度の日食ブームで色々なイベントが紹介されるにつれて木漏れ日のことも報じられるようになったみたいですね。それはそれでとても良いことだと思います。中々、子供も大人もこういう事でもないと木漏れ日なんて見ないと思うので少しでも自然現象に興味を持つことは良いことだと思います。

 そういえば日食は新月の時に起こるなんて事も頭の中で分かっているようで実は太陽と地球と月の関係が理解出来ていないと以外と知らないものです。してみると現代人というものは文明が発達しすぎて自然界の決まり事を忘れてしまっている事が多いですよね。確かに都会に住んでいると余り空を見上げる事もなくなるし東京の空に浮かぶ満月もそれなりに綺麗だけど何となく色が薄くて小さいのですよね。やはり八ケ岳の空にポッカリ浮かぶ満月の方が圧倒的に美しいと私は思います。

 最近、知り合いからこの付近でよくUFOを見掛けるという話を聞きます。「何?見た事ないの?俺なんかしょっちゅう見てるよ。八ケ岳方面からはよくUFO船団が飛び立つよ」何て話が普通に交わされています。余りこういう話をするとオカルトになるので余り言わない方が良いとは思いますが私自身はそのUFO船団は残念ながら今のところお目に掛かっていませんが冬の夜、よく乾燥して冷え込んだ快晴の夜中、満月の日なんかに八ケ岳を見渡せる高原に立つと満月に照らされた雪を被った八ケ岳が闇夜に白く浮かび上がりそれはそれは美しい姿を見せてくれます。

 その裏側からUFO船団が現れてもきっと不思議には思わないと思います。そのくらい不思議で美しい夜空なんです。そしてそういう満月の時、森の中には木陰が出来ます。昼間の太陽の強烈な光に照らされた木陰では無く月の明かりに照らされた優しい木陰が夜にも出来るのです。これは都会では絶対味わえない光景です。都会にはどこでも街路灯があって月の明かりしか無いなんて所は無いからです。

 私の住む森には街路灯も離れた処にしかなく夜は本当に真っ暗になります。だから満月の夜の森はとても明るいのです。それは闇夜の森を知っている人にしか分からない明るさです。満月の夜の木陰はとっても怪しい雰囲気を漂わせています。森の暗闇の奥から何かが出てきそうな恐ろしさも併せ持っています。しかし、一歩森から出るとその明るさには本当にホッとします。懐中電灯すら必要ないくらいです。

 昼間の木陰と夜の木陰どちらも陰と陽の裏表を表しています。それぞれに魅力がありどちらが良いとは言えませんがやはり昼間の木陰の方が安心しますね。

 そうか!日食の木陰で影が欠けるのだから月食でも同じ事だ!満月の皆既月食があれば夜の木陰でも同じ事が起きる筈!そうか、きっとそうだ。次の機会には是非試してみるとしよう!

2009/07/11

誰か住んでる?

 ゴトン、バタン、バリッ・・・このところ我が家では不思議な音がする。我が家はログハウスなので丸太が湿気を吸ったり吐いたりあるいは乾燥収縮する時に音がするのはいつもの事なので特に驚く事ではない。しかし、我が家も建築して20年そろそろそういう事も落ち着いてきて最近は余りそういう音が頻発する事はなくなっていた。それがどうも最近はやたら音がする。

 その音も単なる木の収縮による割れの音とはちょっと違うような気がする。何というか誰かがドアを閉めた時の音だとか床を踏んだときの音だとかそんな類の音なのである。女房もさすがに気にして「ねえ、ウチって誰か他の人住んでる?」と言い出した。「んな訳ないだろ」「じゃ、あの音は何?」「あれは、その~なんだ・・・座敷ワラシだろ」「ふ~ん、座敷童ね。なんで最近多いんだろね」「何かあるんじゃないの?分かんないけど・・・」我が家は昔、この座敷ワラシには世話になった事がある。

 冬の薪が足りなくて外に原木を放り出しといたらいつの間にか割って薪にしておいてくれた。いい奴である。しかし、奴は余り存在を誇示する奴ではない。静かにいつの間にか存在を知る事が多い。こんなに家の中でバタンバタン音を出すことはない。

 先日、お客様の自宅で話しをしていたら「最近、やたら家の中で音がして気味が悪いよ」と言われる。その家も築15年程経っているのでそんなに木が割れるとは思えない。しかし、その時は余り驚かすのも何かと思い「この梅雨の時期は湿気が多くて気温の変化が大きいので木が割れるんですよ」と言っておいた。確かに通常ならこの時期は木が湿気を含んで膨張したり急に晴れて気温が上がり急激に乾燥するので膨張と収縮を繰りし木が割れる事が多いのは事実である。

 しかし、どうも今年はそれだけとは思えない。何かが違う・・・・何が?と言われても困るけど何かが違う。どうもやはり誰かが住んでいるような気がする。

 そういえば先日夜、事務所から家に帰ってきて駐車場に車を入れようとしたらキツネの奴が道の真ん中に佇んでいて邪魔をする「どけよ、邪魔だろ」と言ったら「チッ!しょうがねえな」といってしぶしぶ隣の家の床下に入っていった。普段、余り見掛けない若い奴だったけどあいつだろうか?それとも我が家の床下に住み着いている女房が「チャーリー」なんて変な名前を付けたばっかりに我が家の守り神なんていい気になっているデッカイ蛇の青大将だろうか?

 そういえば以前、紹介した私の布団の中にこっそりと忍び込み夜中に私の足を思いっきり刺したスズメ蜂、あいつはどっから入ってきたのか未だに不明のママである。これらの事実を繋ぎ合わせてみると浮かび上がってくるのは・・・・分からない。やはり我々夫婦2人以外に誰か住んでるのかもしれない。

 ポルターガイスト?っていうの?ああいう類かも知れないし。そういう奴がいてもおかしくない環境なので信じたくもなってしまう。何せ森の中のログハウスなのでそういう奴が訪ねてきてもおかしくはないけど余り人に喋ると気味悪がって誰も訪ねてこなくなるので余りおおっぴらには言えないのですね。

 都会の真ん中でこんな事があればそれこそマスコミが押し寄せて怪奇現象の家なんて事になって大騒ぎになってしまいますからね。森の中に住んでいると「マア、そういう事もあるよね」と変に納得してしまうのでこの感覚といういのは本当に都会に住んでいる時の感覚とは全く違います。

 自然が起こす人間には理解できないような現象や神秘的な事にあまり拒否反応を示さなくなるのが不思議です。そうじゃないと森の奥深くなんて住めないって?そうかも知れませんね。

2009/07/06

映画「いのちの作法」が伝えること

  知り合いのペンションのオーナーがこの映画を東京で見て感動し、是非この映画を地元、北杜市で上映したいと思い、呼びかけに応じた10数人の実行委員が約半年に渡りこの活動にかかわり昨日、漸く無事、上映会が成功裏に終了しました。

 地元北杜市にある長坂コミュニテイーホールで開かれたこの映画会は当初、呼びかけ人のペンションオーナーが2回公演を希望していたのですが実行委員から「とても興行的に無理ではないか?いくらボランテア活動とはいえ赤字を出すわけにはいかない」との意見が大勢を占め取り敢えず無理ないところで1回公演でいくことが決定されたのですが応援してくれる団体から「是非、2回公演をやって下さい。赤字がでたら何とかするから」との励ましを得て、そこまで言ってくれるならやってみようじゃないかと思い切って2回公演に踏み切ったのです。

 その結果・・・何と昼夜共満席!お陰でスタッフは混雑回避に別の意味で嬉しいやら悲しいやら走り回る結果となりました。しかし、それだけに達成感のある活動となりました。しかし、大事なのは興行的に成功した事ではなくこの映画をこれだけ多くの方が興味を持って見に来てくれた事。実行委員の人の輪が昼夜満席、延べ800人以上の人に何らかの思いを伝える事が出来たと言うことです。知り合いの1人1人に実行委員の人たちが映画の事を説明しチケットを販売して歩いた結果がこの長坂コミュニテイホール始まって以来の昼夜満席という快挙を引き起こしたのです。

「いのちの作法」は岩手県の沢内村というところで昭和30年当初から行われた「生命行政」が現代にどう伝えられているかを描いたドキュメンタリー映画です。日本で初めて老人医療費の無料化を実施し乳幼児死亡率0を達成した山間の寒村である沢内村、何故この小さな村で世界的に注目される住民の命を守る「生命行政」を行うことが出来たのか?その事を広く呼びかけて問題提起していくことこそがこの「いのちの作法」の上映に関わった実行委員の役目ではないかと思います。

 福祉の問題は予算や法的整備や病院設備といった事も確かに大切だとは思いますがこの映画はそれだけではなく行政と住民が一体となった取り組みがいかに大切かと言うことを感じさせられる映画です。私はこの映画の原作となった「村長ありき」や「沢内村奮戦記」も読ませて貰いました。映画では表現しきれていない当時の住民や村役場の担当者の生の声をその本では知ることが出来、読めば読むほど考えさせられました。

 経済が苦しいから高齢者にも相分の負担をというのが現代の国の方針です。病院も各地で経済破綻して閉鎖され、医療過誤のリスクが高いといって産婦人課が全国的に消えていく・・・この状況が住民を幸せにするのでしょうか?経済状態が悪いからといって諦めなくてはならないのでしょうか?沢内村の人達も当初は貧困、多病、多雪に苦しみ多くの事を諦め乳幼児や老人達は病院に掛かることなく苦しんでいました。

 しかし、今では沢内村は予防医学といった意識が浸透し健康課が全住民の健康状態を把握し健康診断に代わり12日の人間ドックを無料で実施するといった活気的な活動が続けられ住民は笑顔が絶えず老人や子供、障害者と健常者がお互いに触れ合い地域一体となった福祉への取り組みが行われています。

 きっと実際にはここに至るには多くの課題を抱えながら一つ一つ乗り越えてきたんだろうと言う事が容易に想像されます。しかし、そこには「行政・住民一体、住民と徹底した対話」といったキーワードが必ず出てきます。行政と住民が対立するのではなく徹底的に話し合い。住民が何をして欲しいのかを聞き出す努力の積み重ねの歴史だったと聞いています。今の地方行政に最も求められるのはこの事だと思います。

 沢内村の住民も当初は全く口を開かぬ意見を言わない住民達でした。しかし、住民の家を一軒、一軒、廻り丹念に意見を聞いていった実績が今の奇跡の「生命行政」の源になっています。沢内村でも一度、老人医療費無料の弊害が出て「どうせタダだから」といった意識が芽生え一時期、有料化された時期がありました。その時、物言わぬ住民はどうしたか?老人達が自主的に署名運動を展開し医療費無料継続を嘆願したのです。その結果、再び国の方針に反して医療費無料化が実現しました。

 住民の意識が変わったのです。是非、この「生命行政」が全国に広がるように人々の輪が広がる事を願います。

2009/06/29

日本林業再生の願い

 先日、加盟しているウッドマイルズ研究会の総会が東京であり参加してきました。この会の目的は地産地消の木材を利用する事により木材運搬に関わるCO2削減を図ろうとするもので、その為に一般消費者にも分かりやすくその指標を公開しようとする研究会です。午前中に総会があり午後からはフォーラムが開かれ講師による講演や参加者による意見交換等が行われ活発な意見が交わされました。

 しかし仕事柄、こういう会議や打ち合わせに参加する事が多いのですが今、日本の林業は本当に衰退してしまい、おまけに昨年来の経済危機が追い討ちをかけるように衰退に拍車をかけた格好で川上側となる山元の林業関係者は悲鳴を上げています。会議が行われる度に政治が悪い、工務店が悪い、林業家が悪いとお互いに中々どうしたら良いのかという議論に発展していかない位、疲弊した状況が続いています。

 今、日本には国内で建築される木造住宅の全てを国産材で供給出来るだけの生産量があるのですが実際にはその大半を輸入材が占めている状況です。何故、このような不可思議なことになってしまったのか?色々なところで色々な意見があって私にもこれが原因だなんて事は分からないのですが最近、ひとつ感じるのは「文化の違い」と言う事です。

 これだけ山林に囲まれた日本が森林文化に疎いなんて事は思いたくないのですが急速な経済発展やそれに伴う諸外国からの圧力が森林文化の発展を妨げてきたのではないかと思います。それは食料自給率の低下にも似た現象ではないかと思います。国内で充分な供給体制があるにも関わらずそれらの資源を生かせない仕組みや文化が築かれてしまったんではないでしょうか?

 今の子供達が「近くに立っている木を倒して家にする」なんていう感覚を感じる事が出来ているのでしょうか?私にはすごく疑問です。子供の頃に海や川に行って魚を釣って自分で焼いて食べるなんていう体験がそういう文化の継承には絶対に必要だと思うのです。同じように木を切ってそれで物を造るなんて体験が森林文化を築くのだと思うんですよね。いまだに、里山つくりなんてイベントをお手伝いしていても「木を切るなんてとんでもない。それなら私は帰ります」なんて怒って帰られる方もいます。何をかいわんやですがその程度しか理解がないというのが実情なんです。

 ではどうしたら良いか?それが分かればとっくに日本の林業は再生しているのですがその方法が分からないから苦しんでいるのです。私も仕事柄、木を扱うので山元の方の苦悩はいつも聞いています。その時に感じるのは「卵が先か鶏が先か」の疑問なんです。私は自分たちで使う良い木が欲しい、そういう木を伐り出して欲しい。山元の方はいつも大量に使ってくれるなら伐るけどそうでなければ伐るだけ赤字でやっていけない・・・いつもこの議論のどうどう巡りです。

 良い木がないから注文出来ない。注文がないから伐らない。ではどうすれば???川下側の消費者が変わらなくてはならないのか山元の林業関係者が変わらなくてはならないのか?私はどちらも変わらなくてはならないと思います。

 家の設計が出来た。「じゃ何時出来ます?3ヶ月位で出来ますか?」こういう会話がいつも出てきます。公共事業でもそうですがどうしても年度予算で物事が動いています。だから「伐採に適した時期(冬)に伐採し山で充分天然乾燥(葉枯らし)して出材して・・・」なんていってると時間ばかり掛かります。それを今の時代は許さない風潮があります。工業化が進み「家は買う物」という文化になってしまっています。何故か?自然を理解していないからです。山元の林業家の方も消費者の方も含めて今の時代は余りにも経済最優先主義がつっぱしり過ぎた為に地球上に住んでいる限り避けて通れない自然との共生が意識の遠くに追いやられてしまっています。

 時間がかかる天然乾燥に代わり強制乾燥機が国の100%補助で整備され林業機械も日本では世界有数のコストを掛けて投入されています。なのに国産材は流通しない。高価な林業機械も稼動しない。これでは何の為の補助制度なのか分からなくなってしまいます。文化の無いところに機械だけ投入しても効果は得られないのです。

 私は東京へ出る度に思います。今、私は森の中で木々に囲まれて暮らしています。そしてその暮らしは金銭的に豊かでなくても精神的にとても豊かに暮らす事が出来ています。勿論、人それぞれなので都会での暮らしが向いている人もいるでしょうが本来、人間は昔、自然と共に生きてきたはずです。そういうDNAが少なくても自分たちの体には残されているはずです。

 林業再生にはそういう文化の見直しが絶対的に必要です。農業にも共通し全ての産業にも共通する事だと私は思います。是非、自然との共生に重きを置いた文化の再生に官民一体となった取り組みをして欲しい欲しいと思います。そうすれば島国である自然豊かな日本独自の文化を生み出すことが出来、その時こそ世界に誇れる日本文化の再生が始まると思います。

2009/06/22

ゆっくり暮らそうよ

 最近、思うんです。世の中急ぎすぎてませんか?もう少し落ち着いてゆっくり暮らそうよと・・・私だけですかね?こんな事、思うのは。元来が生まれつきのノンビリ大好き人間で、旅行なんかで海辺に行ったら一日中、砂浜で本読んでいて大丈夫な人間です。

 まあ、それは置いておいても最近、やたらと世の中、慌し過ぎませんかね。経済再生、それは尤もだとは思いますがもともとバブルに浮かれてサブプライムローン何て良く分からない商品を生み出して結局、破綻するのが目に見えてたのに目先のお金に目がくらんでリスクをどこかに追いやったのでこうなってしまったんですよね。私には難しい事は分からないけど元々、無理があったという事ではないでしょうか?であればここで一旦、落ち着いて本当は何が大事か考え直しましょうよ。経済最優先から福祉・医療・自然最優先に変更出来ませんかね?

 今、北杜市で思いを同じくする人達が集まって「いのちの作法」という自主映画を上演しようとしています。ペンションのオーナー夫婦が東京で見たこの映画に感動しこれを是非、北杜市でも上演しようというのがこの活動の発端でした。賛同する人達が集まり現在、上演に向けてチケット販売をしていますが当初、無謀ではないかと言われた12回公演が今や、昼の第一部は既に満席となり夜の部も半数近くが売れています。それだけ感心が深いという事です。

 この映画は昭和30年頃に岩手県の山村、沢内村で行われた「生命行政」が現代にどのように受け継がれているかを描いたドキュメンタリーです。豪雪・貧困・多病多死の三重苦に喘いでいたこの村を深沢村長という一人の人間が「地方行政の最大・唯一の目的は住民の命を守る事だ」という使命に燃えて「生命行政」という医療を中心とした画期的な行政を行いました。戦後の混乱が未だ続く昭和30年代に日本で初めて老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成するという奇跡のような行政がこの小さな山村で行われました。

 何故、この「生命行政」が現代では出来ないのでしょう?こんなに戦後、飛躍的に経済復興が進み一躍、世界の大国になった日本で何故、貧困に喘ぐ山村で出来た「生命行政」が出来ないのでしょう?私は出来ないのではなく、しようとしてないのだと思います。一人一人がもういちど原点に戻って暮し方を考え直せば出来ない訳ないと思っています。私はこれ以上、立派な高速道路も要らないし○○公民館や○○活性化センターも要らない。人々が豊かに安心してゆっくり老いていく事が出来る暮らしが一番幸せだと思います。

 経済が落ち込んで暮らしが苦しくなったのは分かります。食費もなくて餓死していく人がこの日本にもいます。どうしたら救えるのでしょうか?経済対策で大型補正予算を国は政策として実行しましたが考えを全く切り替えて逆に医療費を国が補填する事で経済効果は得られないのでしょうか?前述の沢内村でも老人達はお金が無くて病院に掛かれない、若い人達に迷惑を掛けたくないと言って治療を拒んで亡くなっていきました。今の日本でも同じ事が起こりつつあります。住民の命を繋ぐ切り札となるべき病院が経営危機に陥って無くなったり、将来の日本を背負う新しい命を支える産婦人課病院が無くなっていく・・・これっておかしくないですかね。

 何かが間違っていると私は思います。北朝鮮問題でも何故か専守防衛では日本は守れないなんて軍備増強を叫ぶ政策が議論されています。私は「仮想敵国」という言葉が大嫌いです。それを言い出したら世界中が仮想敵国になってしまいます。何故、緊張状態を作り出さなくてはならないのでしょう。日本は敗戦から多くの事を学んだはずです。核兵器の装備なんて議論が国会で話されるのが信じられません。そんな金があったらクレッ(笑)病院を造るから・・・と言いたいですね。

 一体、過去の歴史から何を学んだのでしょう?彼らは原爆記念館に行った事があるのでしょうかね?どんな理由があっても核兵器は持ってはいけないと私は思います。世界中の国が核放棄をすれば持つ必要なんかないじゃないですかね。特定の国だけが持っても良いなんて理論がまかりとおるからおかしいのです。

 あれっ?話がアッチコッチに散らかってしまいましたが。とにかく余り物騒な事は言わずに一度、立ち止まって今、何が一番大切なのかを考えるチャンスだと私は思います。そうしないと我々は何を得て何を失ったのか見えてこないのではないでしょうかね。と、雨に閉ざされた森の中の小屋でふと考えてみたりしました。

2009/06/15

言葉にして伝えるということ

 最近、良く思うのですが自分が思っている事を正確に言葉で相手に伝えるという事は本当に難しいですね。昔、工事現場の監督修行をしていた時に現場の所長に言われたのですが、「内容はともかく兎に角、現場で喋るときは相手よりデッカイ声を出せ!声がでかくないと相手になめられるぞ」と教わりました。

 随分、乱暴な話ではありますが確かに常に動いている戦争のような現場では小さい声で喋っていると忙しい相手には聞いて貰えませんので大きい声で話すというのは現場では大事な事だと思います。しかし、余り他人に聞かれたくない事を二人で話すような時には静かに冷静に話す必要があるのでこういう時は小さな声で落ち着いてゆっくり話す必要があります。ケースバイケースで話し方も変える必要がありますね。

 会議なんかで議論を戦わす時に良く経験するのですが自分の意見と違う考えが主流になり中々自分の思い通りに議論が進まない事があります。私はこういう時は出来るだけ自分の意見と違う人達の話をじっくり聞くようにしています。何故、考えが違うのかどこが問題なのかを突き止める為です。元来、優柔不断な性格ですので、さっきまで拘っていた自論が相手の話を聞いているうちに「マア、それも一理あるな」なんてあっさり自論を引っ込める時もあるし、「これだけは絶対譲れない」なんて事もあります。

 中には何が一体問題なのかさっぱり分らないなんて会議もあります。こういっては失礼だけど国会や政治がらみの話を聞いていると物事の本質が何なのか一体なにが問題なのかさっぱり分らないなんて事があります。仲間内の会議でも司会進行がうまくいってないと一体何を議論しようとしているのかさっぱり分らないなんて事もあります。そういう会議に限ってだらだらと長く続くというケースが多いですね。

 又、反対に議論の問題点だけを取り上げてそれ以外の余計な話を一切受け付けない「とにかくイエスかノーか今ここですぐに決めろ」何て会議は味も素っ気もなくて段々、出席者が離れていってしまいますし議論の発展性もなくなってしまいます。

 心の中では違う事を思っているのに会議の雰囲気でどうしても言えずに「ここでは取り敢えずは大勢に従って黙っておくか」なんて弱気になる事もありますよね?そんな雰囲気の中で誰かが大勢の意見に反論を始めると途端に元気がでて「実は自分もそう思っていた」なんてチャッカリ元気になるなんてこともあります。それ程、自分の考えを言葉にして伝えると言う事は難しいですね。

 知り合いの化学者の方はゆっくり自分の意見を正確に伝えようとする余り、聞いているとじれったくなるような話方をするのですがじっくり聞いていると「アア、この人は自分の思いを化学者らしく正確に伝えたいので言葉を選んでいるのだな」と気付きます。そうなんですよね。人に自分の思いを伝えるには言葉の選び方や声の強弱、敬語の使い方、話の前後の繋がり、その場の雰囲気等、色んな要素によって左右されるので非常に難しい時がありますよね。

 私は仕事では出来るだけ先に結論を言って、その後でその結論にいたる経緯等を付け加えるようにしています。そうした方が聞いている人に「この人は何を言いたいのだろうか?」という疑問に対して先に結論を伝えられるので出来るだけそうした言い方を心がけています。

 又、議論が沸騰した時は目を瞑って両者の議論をじっくり聞いて何故、意見が違うのかどこが問題なのかその意見を聞き漏らさないようにしています。

 人間って面白くて口に出して言っている事と心で思っていることが違うなんて事がよくありますよね。特に日本人はそういうところがあるようで欧米人には理解出来ないなんて話をよく聞きます。でも、私は人間ウオッチングが好きなのでその人が話しているとそういう雰囲気何かが伝わってきてその人間にとても興味をもつ事があります。

 話しているうちにコロコロ意見が変わってきたり何が言いたいのか良くわからないなんて時は「ハハ~この人は自分の中でよく考えを纏めきれないまま喋り始めてしまったんだな」とか、良く他人に批判された時にいつも「違うんですよ」から話を始める人がいますがその内容に無理がったりすると「始めに謝ってから話を進めた方が分りやすいのにな」なんて感じます。どうしても他人から批判される事に拒否反応が先にたってしまう人にこのケースが多いですね。こういう人は普段から理路整然と話をするタイプの人に多くて取り敢えず反論をしてから自分の正当性を主張しようとする癖がついてるみたいです。意外と先に謝った方が話が早い事も多いのですけどね。

 それからお互い全く誤解したまま話しがこんがらがっていく事もたまにありますよね。こういう時も自分の思いを伝える事がいかに難しいか思い知らされます。私は話のコツは相手が何を言いたいのか聞き出す会話術だと思います。この話は又の機会に・・・

2009/06/08

自然の営み、人間の営み

 仕事柄、木を扱う人達と会う機会が多くて色んな人達と話をします。木を扱う人達は熱心な人が多く、いつも熱く議論を交わすなんて事もあって時々熱くなりすぎて激論を戦わすなんて事になることもしょっちゅうです。でも、それだけ真剣だということです。

 何故、真剣か?皆さん、国産材の流通に頭を悩ましているのです。私も含めてですが何とか外国からの輸入材に頼らず国内の木を流通させたくてどうしたら良いか激論を交わしていると言う訳です。しかし、一度、消費者からそっぽを向かれたものを取り戻すのは大変な事です。それは木の世界に限らず消費者から一度、信用を失うとそれを取り戻すのは時間がかかります。それはその時代の人間の営みが変化していると言う事もありますがそれも時代の流れなんでしょうね。

 しかし、森の木達にそんな事は関係ありません。彼らは淡々と時を刻むのみです。長い年月、人間の営みを見続けています。私が取り組んでいる月齢による伐採方法、これはオーストリアのエルヴィン・トーマ氏が提唱した伐採方法で冬の月が欠けていく時に伐採し山で葉枯らしをした木は良い木になるというものです。

 もともと戦前の日本でも行われていた伐採方法なのですが戦後、強制乾燥炉の普及により一年中、伐採した木が流通するようになり口伝がすたれ忘れられていました。これなんかも自然の営みには関係なく人間の営みの都合で勝手に人間が変えてしまった事なんですが別にこれで木が変わった訳ではないんですね。木は変わらないけど人間が勝手に木の性質を変えたと思い込んでいると言ったほうが良いかも知れません。

 最近、経済の破綻によりよりエコにシンプルに生きようというする人達が増えてきました。IT産業に携わっていた人達が農業を始めたり、誰に聞いたのか忘れましたが歴代の宇宙飛行士達が地球に戻ってくると皆、農業を始めるそうです。宇宙から見た地球は初めてそれを宇宙飛行士達が見た時から20数年、明らかに緑が少なくなってきているそうです。だから、宇宙飛行士達は地球に帰ると危機感を感じて農業を始めるという事のようです。

 それくらい自然の営みが変化しているというこどですね。それが人間の営みによってもたらされたものなのか、自然界のただの変化なのかそれは分かりません。しかし、私たちが地球上に暮す以上自然の営みに逆らって生きるのはどう見ても得策ではないように思います。

 文明の発達と自然の営みとが旨く調和されるのが理想ですがどうも相反するような気がするのは私だけでしょうか。科学の発達により、より自然豊かな暮らしが営めるようになるとそれはとても科学の発達に感謝するのですがどうも科学の発達は戦争や争いの種を作っているようでどうもしっくりいきません。

 自然の森に立つ木の命を自然の営みに逆らわずに頂いて物造りをする。それはとても豊かな暮らしを送れる事になると思うのです。農業も全く同じですね。手間をかけて作物を栽培し自然から栄養を頂き、それを自分たちが生きる栄養として頂く。

 それはとても自然な事です。自然の営みに逆らわず旬な時期に旬なものを食べる。それが自然の営みに逆らわずに暮すという事です。

 森の木も同じ、母樹から落ちた種が土にもぐり芽を出す。母樹は何れ年老いて倒れその若芽の栄養の元になる。我々、木に関わる人間はその木の命を少し分けて頂いて自分達が暮す家や家具の材料に使わせて貰う。

 しかし、その木の命を頂くにも作法があります。作物と同じように自然の営みにしたがって木が「伐ってもよいよ」と言ってくれたときに伐らせて貰う。そして生まれた森の中で養生期間を置いて充分その命を枯らしてから使わせて貰う。それが長い期間生きてきた木への礼儀です。自然の営みに逆らってはいけません。これからはそう心掛けて暮らそうと思います。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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