2012/02/18

スピリチュアルライフの薦め

 世の中、経済発展が当たり前だと思っていた右肩上がりの日本経済がすっかり右肩下がりになってしまい暗い影が漂っています。でも、私はこれはこれで良かったと思います。

 経済発展に不可欠だと言われその電力需要を補うのに生みだされた原子力発電所が実は恐ろしい環境破壊を起こす事に人々はやっと気が付き経済発展だけが人間の幸せに繋がるものではないと思う様になりました。物質的な満足も必要かもしれませんが実は精神的な安定が今、一番必要だと私は思います。

 私が八ヶ岳の森の中に住むようになったのも実は東京という都会で暮らし、ある程度の経済的に安定した生活がステータスシンボルだとされていた暮らしにどっか心の中で違和感を感じていたのかも知れません。

 敢えて家族5人で不便な八ヶ岳の森の中に住み子供達は片道1時間半かけて学校に通い新聞も配達されない不便極まりない生活に飛び込んだ訳ですが、それでも決して不便で泣く事はありませんでした。むしろそれを楽しんだような気がします。「不便=自然が一杯」という方程式で私は不便さと引き換えに自然豊かな暮らしを手に入れ小さいながらも自分の土地とログハウスを手に入れてここで20年住んでいます。

 そしてこの地でとても楽しい人々との出会いがあり刺激溢れる生活を楽しんでいます。とくに最近はスピリチュアルな人との出会いや交流があり、そういう人達との会話はとても楽しく時間が経つのも忘れてしまう程です。

 先日も「○○山にはさ~ストーンサークルの跡があってさ、ちょっと霊気が乱れてたからこの前、直してきたよ」とか「うちのカミさんが飼ってる龍は○○っていう名前だけど龍はね、お願いしちゃ駄目らしいよ命令しないと言う事聞かないらしい」とか「この前あった人はどうやら祖先は○○星雲から来た○○人らしい」とか、ちょっと普通の人が聞けば「この人可笑しいんじゃない?」と思われそうですがこういう話だからこそ面白いしこれが不思議と都会でこの手の話を聞くと唯の「可笑しな人」になってしまうのですが自然一杯の環境の中で聞くとなんとなく「それ、分かる(笑)」となるから不思議なのです。

 こういう話が正しいとか間違っているとかいう話ではなく目に見えない世界の話だから面白いのです。現代の人々が経済的発展と引き換えに失ってしまった精神的な目に見えないものを心で感じる力、それがスピリチュアルな世界です。

 誰に強制されるでもなく自分自身で感じる力、それこそが人間にとって一番大事な能力かも知れません。目に見えないから感じるしか無くてしかも目に見えないから嘘だとは言い切れないのです。ようはその人が感じ取る事ができるかどうかなのです。

 私は人との会話もこの「感じる」と言う事がとても大事な役割を果たすと思います。話している相手のちょっとした表情の変化や態度や口調から耳に入ってくる情報とは別の情報を得る事が出来ます。「あっ、この人はあんな話をしているけど実はこんな事思っているんじゃないだろうか?」とか「この人は口には出さないけど実は心の中でこんな事思ってるんじゃないか」とか「あれっ?この人は前はこんな口調で話す人じゃなかったのに何でこんなになっちゃったんだろ?」とか色々な事を感じる事が出来ます。

 又、普段から「感じる」事を大事にしていると危険回避が上手に出来る様にもなります。「何となく厭だ・・・」と危険な状況を感じる事が出来るのです。それは食べ物だったり買い物だったり交通手段だったりと様々な場合に感じる事が出来ます。

 でも「感じる」為には普段から自分の感性や自然を大切にし今ある事に感謝して自ら進んで心が気持ち良い事を率先して取り入れていかないと「感じる」事は出来ません。

 目に見える物ではなく目に見えないモノ、それにだって貴重な価値があるのです。人が人として生きていく中で本当に必要なものとは何か考えた時、今までは経済発展に伴う豊かさや便利さでしたがこれからは自然に感謝しお互いに助け合い争いのない精神的に安定した世界こそが必要な時代だと思います。

 これからはスピリチュアルライフを大切に楽しみませんか。

2012/02/11

「ツイテル!」の薦め

 最近、自分で「ツイテル」と思う事にしています。例えば病気になったとすると「これは大病になる前に気付いてこれ位ですんだのだからツイテル」と思います。仕事で問題が起こると「これは大きなミスになる前に気が付いてツイテル」と思う様にします。

 実は自分でこれを実践したのではなく前から女房にこれを実践してみたら、とその手の雑誌を渡されて、その時は「何言ってんだよ、調子悪いときにツイテルなんて言えるかよ・・・」と思い「ハイハイ・・」と適当に受け流しておいたのですがその後も女房と息子から「父さん読んだ?あれ実践していると必ず良い事あるよ」と言われ「それじゃ、読んでみるか」と渋々その雑誌を読みました。

 書いてある事はいちいち納得出来る事でしたが、これをいざ実践するとなると毎日直面する色々なシーンで応用しなくてはならないので「これは慣れるしかないな」と思いました。それでも忘れないようにして心の中で「ツイテル、俺はツイテル。だからこれはこういう風に理解すれば良いんだ」と心の切り替えをしていく事にしました。

 暫くして慣れて来ると段々、それが苦痛ではなくなってきます。次第に「ツイテない」と思う事が無くなっていきました。生きてると色んな事が日常起こります。それに対して「ツイテない」と思うか「ツイテル」と思うかでは全然、気持ちが変わってきます。

 起こっている問題に対してそれが回避出来る問題なら回避すれば良いし、回避出来ない問題ならそれを前向きに捉える事が心の中で出来れば解決策も見つかるかも知れません。

 その為には乱暴な言い方かもしれませんがその問題を自分にとって「ツイテル」事として腹を決める事が出来れば半分は解決したも同然です。言うのは簡単ですがこれを実践する仕方は人それぞれで決めれば良いと私は思います。

 一番、避けたいのはその問題を他人の所為にする事です。他人の所為にすると解決するのにとても時間がかかるし、もしかしたら解決できない場合も多く発生するかもしれません。だから、他人の所為にしない。いつもツイテルと思うのです。そして最後に必ず「アリガトウ」です。

 昨年の東日本大震災以降、様々なメデアを通じて色んな問題が提起され「○○が悪い、○○も悪い」と言われ、それを見る私自身も凄く厭な思いをしました。それは今でも続いています。まさに他人の所為です。

 少なくても「○○が悪い」と言ってる間は何も解決しないのではないかと私は思います。それよりも半歩でもよいから自分で出来る解決策を実践していく方が余程、解決に繋がるのではないかと思います。そいう意味では「原発反対の国民投票実施」等の活動は多くの人々の1票の積み重ねが大きな力を持つ行動で私は素晴らしいと思います。

 投票の結果がどうなるにしろ自分達の意思を示す事に繋がるのですから行政に携わる人達は是非、その意見を無視することなく重く受け止めて欲しいと思います。

 あなたも是非、騙された(笑)と思って実践してみて下さい「ツイテル!」私は今のところツイテマス(笑)

2012/02/09

にゃんだよ・・眠いんだよ

IMG_1737 我が家の猫息子、2年前に里親制度を利用して我が家に来たのですがこれが無類の甘えん坊と大の寒がりときた。

 私は子供の頃から猫は何匹も飼ってきたけどこの子程、人間大好きの甘えん坊は初めてです。大体、猫は犬と違って気位が高く、どちらかというと人間に「面倒を見させている」といった雰囲気が強くてお高くとまっているという感じなのですが、この子は今までの猫と違ってベタベタの甘えん坊です。

 先日も2泊の旅行に行くので同居猫と2匹でお留守番だったのですが私が帰って来たらもう大変「どこ行ってたんだよ!寒かったじゃないか」と言わんばかりに暴れる暴れる・・・猫は気に入らない事があると手当たり次第に引掻いたり家中を走り回ったりしますがもう本当に家の1階から2階から走り回って大騒ぎです。

 その後は女房と私にくっついて片時も離れようとしません。これが2,3日続きます。これが愛情表現だと思ったらトンデモナイ。ただの寒さ嫌いなだけで家が暖まるとヒョイッといなくなり、ちゃっかりストーブの前に座っています。

 そう、この写真も一人だけストーブを独占してストーブの暖気を体中に浴びながら椅子に座りウツラウツラしているところを写真に撮ったというわけです。ちなみに人間様もやはり寒いのでストーブの前に立つと「邪魔!」と言って写真の垂れた左手で後ろから引っ掛かれます。全くなにを考えているのやら・・・

2012/02/08

母さんいつまでも元気でね

 昨年末から忙しさにまぎれて高知の母の見舞いに行けてなかったので久しぶりに高知に帰って来ました。

 今回は電車での移動になったので小淵沢から塩尻経由で名古屋に出て岡山経由で高知に帰って来ました。途中、今年の大雪の影響で新幹線が大幅に遅れ予定していた電車に乗り遅れるハプニングがありましたが無事、往復して来ました。どうも冬の山梨からの往復はやはりリスクがあります。

 しかし今回、新幹線に乗ってみて又、つくづく思いました。これ以上早くする必要が本当にあるのか?勿論、リニアモーターカーの事ですがもう新幹線で十分早いし地震や大雪の被害に遭った時に本当にリニアって大丈夫なのかと真剣に心配になってしまいました。

 日本の新幹線はデザイン的にも凄く美しく近代的で正確で速くて私には電車の魅力としてはこれでもう十分だと思います。これ以上早い速度で窓からの景色をみてもツマラナイと思いますよ。

 マア、そんな事は置いといて久しぶりの高知は母と義父の様子を見に行くのがいつもの目的だったのですが義父のお世話になっている病院はインフルエンザの影響で面会禁止になってしまいやむなく今回はパスし、母の様子を見て必要な物を買い足す事にしました。

 いつもの様にお世話になっている施設のスタッフにお会いして母の普段の様子を聞くのですが今回はケアマネさんが休みだったのにわざわざ出できてくれて母の様子を説明してくれました。

 認知症が少しずつ進行していて次第に身の廻りの事が出来なくなっていますがそれ以外は健康で本当にスタッフの方には感謝してもしきれないぐらい感謝しています。

 スタッフの方との打ち合わせが終わり母がデイケアから帰ってくるのを部屋で待っていると元気そうな母が戻って来ました。母は今年83歳になるのですが母の心の中ではもう5年前からずっと83歳で(笑)やっと母が自分で思っている年に本当になりました。きっと来年からは自分が思っているより年寄り(笑)なるはずです。

 認知症が進みほとんど会話は短い周期で同じ話題の繰り返しになってしまうので話題が弾むと言う事はないのですがここ数年いつも「いつまでいられるの?」と聞く事が増えてきました。母の心の中がどういう風になっているのか私には分かりませんがやはり一人でいるのが心細いのだろうなと思います。しかし、それも直ぐに忘れてしまうんですけどね・・・

 今回はちょっと思い切って母の部屋の中のものを片付けました。それは冷蔵庫。施設に入居した当初はよく冷たい飲み物を欲しがったので小さな冷蔵庫を部屋の中に置いたのですが認知症の症状なのかひどく家電製品を怖がり電話もTVも冷蔵庫もすべて電源を切ってしまいます。

 電話やTVはそれでも良いのですが冷蔵庫は電源が抜けた唯の箱状態ならよいのですが知り合いがお見舞いで持ってきてくれたお土産なんかを入れられるとこちらが気が付かないうちに腐ってしまうので思い切って運び出してしまい変わりにカラーボックスを置いて外から何を置いても分かる様にして来ました。

 母がいつまで私の事を覚えていてくれるか分かりませんが「母さん」一日でも長く健康に幸せに過ごして下さいよ。

2012/02/02

自然の中の開発計画

 森の中は毎朝、氷点下9度近い厳しい寒さが続いています。朝、新聞を取りに森の外まで歩いて行くのにもしっかり防寒対策をとっても手足の先が痛くなります。

 森の中の道はすっかり凍りついて新雪が乗っていない部分は圧接された雪が固く凍結して滑りやすいのでなるべく道路の端の雪があるところを選んで歩いています。

 昨日は事務所前の道路は地吹雪が吹いて前が見えなくなるほどでした。しかし、これがちょっと標高の低い場所に降りると全然、雰囲気が変わって全く風がなかったりするので不思議ですね。

 こんな自然溢れる地域にも大規模な開発計画があります。ひとつは「中部横断道計画」もうひとつはリニアモーターカー計画です。とくに中部横断道計画は八ヶ岳南麓が計画地域に含まれており環境への影響が大きい開発計画です。

 リニアモーターカーも山麓に長大なトンネルを築いて甲府付近を通過する計画が進んでいます。私は思います。昨年の東日本大震災から我々は何を学んだのでしょう。自然と共生していくという事がどれだけ大変であるかを多くの人が学んだはずです。

 福島の原子力発電所の事故は元の環境に戻るまでこれから莫大な費用と長い年月が必要です。にも拘わらず今だにこういう大型開発計画が何事も無かったように進んでいきます。

 リニアモーターカーは電磁石の力を利用して推進力を得ています。東京~大阪間を1時間で結ぶそうです。今より1時間近く早くなりますが私は逆に今でも2時間で行けるのを本当に僅か1時間短縮する為に何兆円という大金をかけてしかも自然に影響を与える交通手段が必要なのかと思います。

 建設ルートは近い将来、再び大震災が起こるであろうと予想されている地域です。そこを電気を使って高速で移動する交通手段が本当に安全で便利だと言いきれるのでしょうか?我々は「便利さ」という悪魔の様な囁きと引き換えに大切なものを無くしていないでしょうか?

 中部横断道も現在の双葉ジャンクションから長野側の八千穂までのルートが計画されていて現在、住民アンケートが実施されています。山梨県、北杜市の地元行政機関は推進を表明しています。地元にとってメリットが多大であると言っています。これはリニアの場合も同じ構図です。

 でも本当でしょうか?以前、清里高原大橋が建設された時もこれで地元には多くの人が訪れて建設費は数年で元がとれるという話でした。しかし、いざ開通してみるとこの清里高原大橋が出来た為にもとの国道141号線沿線にあったお土産屋さんや飲食店はすっかり寂れてしまい今では廃屋になったりシャッター通りになったりした店がたくさんあります。

 おまけに交通量は建設推進の時に説明された交通予測よりはるかに少なく山梨県最大の赤字路線になってしまい開業して数年で料金所の維持すら出来なくなり結局、無料化されました。残ったのは美しい谷間を渡る巨大な橋の姿だけです。

 そしてまた、今度は中部横断道です。又、同じ話が性懲りもなく繰り返し囁かれていいます。一体あの失敗から何を学んだのでしょう。私は思います。観光産業を真剣に考えるならこの八ヶ岳の雄大な自然を出来るだけそっとしてこの自然に癒されたいと思う人達を気持ちよく迎えられる環境整備をすべきです。それこそが本当の地元の活性化につながると信じています。

 自然溢れる山間を高速道路や有料道路が走る姿はとても美しいとは思えません。そして道路を造れば人が訪れると思うのは大きな間違いです。大切なのは人が訪れたいと思う「環境」を造る事です。

 あえて不便でも安全な暮らしがおくれて大切な自然が残るのであればその道を選択するのがこれからの時代では最も必要な事ではないでしょうか?また、それこそが東日本大震災という大きな犠牲を払った我々が学ばなければならない事だったのではないでしょうか?

 どうぞ、皆さんこの大型開発計画に自分の意思を表明して下さい。賛成でも反対でも自分の意見に責任を持ってもう一度あの大災害から学んだ事を胸に手を当てて考え直して表明して下さい。日本の将来を左右する大切な分岐点に来ている様な気がします。中部横断道に関する情報はこちらを参考にして下さい。→http://cyubu-odando.nanroku.net/

2012/01/24

「ALWAYS三丁目の夕日’64」

 先日、女房と二人で映画「ALWAYS三丁目の夕日‘64」を見て来ました。1964年、東京オリンピックが開催された年が映画の舞台ですが私は小学校3年生でした。

 当時、住んでいた高知にもオリンピックの聖火が渡ってきて私も何故か聖火ランナーと一緒に走った記憶があります。世の中は高度経済成長期を迎え今よりはまだまだ不便だったけど家にはテレビも洗濯機も冷蔵庫も当たり前の様に普及し始めていました。

 あの頃の自宅のテレビがカラーテレビだったかどうか忘れたけど多分、白黒テレビでオリンピックを見たような気がします。

 そういえば今年は4年に一度のオリンピックイヤーですね。ロンドンオリンピックはもうデジタル放送の時代になってしまいました。東京オリンピックの時代に誰がこの状況を予想できたのでしょうか。今から僅か50年程前の話です。

 この50年の間に何が変わって何が変わらずに残ったのでしょう。日本人の生活は格段に便利になったと思います。私が真っ先に思うのは通信手段の進歩です。50年前の日本ではまだ呼び出し電話が当たり前のようにあり、隣の家の電話を借りたり大家さんの電話を借りて電話をしている様な状態でした。当然、電話もダイヤル式の黒電話でした。

 だけど通信手段で当時と現代でも全く変わらないものも有ります。それは「電報」。システムとしては当時も今も全く変わりません。何故、電報という非常通信手段が50年もの間、変わらずに存在したのか不思議ですが、私が思うに緊急時の最終手段としてこれに変わりえるものが無かったからじゃないかと思います。つまり、最終的に人の手から人の手に伝えるという確実な通信手段に変わりえるものを50年掛かっても開発出来なかったという事だと思います。

 携帯電話やインターネットが発達し人と人の通信環境は大きく変化し人の距離感は随分短く感じられる様になりました。いつでもどこでも誰とでも通信する事が可能になりました。

 しかし逆にそのシステムを使えない人にとっては通信手段を奪う事になってしまいました。私の母は認知症で施設に入っているために通信手段がありません。以前、携帯電話を持たしたのですが結局、最初の1回だけ受信して会話ができたのですがその後は無理でした。

 どのボタンを押せば良いのか分らないのです。何回練習してもダメでした。そういえば母は入院するまで自宅でダイヤル式の電話を最後まで使っていました。他の電話が使えなかったのでしょうね。

 それともう一つ私が当時と今で一番違うと感じるのは空き地が無くなった事です。当時はまだあちこちに空き地がありそこは子供達の格好の遊び場でした。しかし、今はどこにも空き地がありません。有ったとしても立入禁止の柵が立てられて使えない所が殆どです。子供達は自宅でゲームで遊ぶしか無い様な状況です。

 空き地には何故か土管が置いてあったりして当時の悪戯っ子には遊びの創造意欲を掻き立てる大切な道具でした。

 あれから50年たち世の中は豊かになり我々は求めればあらゆる情報を手に入れる事も出来る様になりました。しかし、その反面我々は自分の感性、自分で考える力を失っているような気がします。情報が溢れていて一体どの情報が正しいのか判断が難しい世の中になりました。そんな時に最後に信じられるのは自分の感性です。

 50年前、まだまだ不便だった時代に経験した自分たちの感性を今こそ子供達に伝える必要があると私は思います。「ALWAYS三丁目の夕日’64」お薦めの映画ですよ。

2012/01/14

4歳の君へ

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4歳の君へ、君がクサビを打ち込んで倒そうとしている木はね、多分、君のお爺さんより長い年月を生きてきたんだよ。その木が君のお家を造る大事な役割を果たしてくれる。今は分らないと思うけどいつの日か今日の日を思い出して、そして自分がクサビを打ち込んだ木を撫でてあげてね。

2012/01/08

ハンター注意報

 今年も正月を森の中で過ごした子供達が都会に戻って行き、我が家はいつもの静かな生活が戻って来ました。

 それでも昨年末、私が留守をしていて女房が家で用事をしていたら家の直ぐ横で猟銃をぶっぱなされて流石に頭にきた女房が「危ないじゃないですか!こんな所で銃なんか撃たないで下さい!」と叫ぶと相手は「大丈夫、大丈夫」と言い残して森の奥へ逃げようとしたそうです。

 何が大丈夫なのか意味が分かりませんがそれを見て女房は直ぐに警察に通報したのですがこういう場合の警察の対応は大体決まっていて、今回も言われたのは「近くに車とか止まってますか?止まってたらナンバーを控えて下さい。何かあったら直ぐに通報してください」と言われたようです。その他にも「巡回を重点的に行います」とか、「ゼッケンとか許可ナンバーとかを付けてると思うのでそれを教えて下さい」とかが定番です。

 しかし、こういう場合にいつも思うのですが他人の家のすぐ横で散弾銃を撃つような奴に「あなたの事を警察に通報するので車のナンバーを教えろ。とか許可番号を見せろ」とか言えると警察は本当に思っているのでしょうかね。

 私も何回か頭に来て注意した事はありますが流石に相手は散弾銃を手に持っていてこっちは素手ですよ。ちょっと間違って相手がきれたりしたら洒落になりませんからね。

 ここ数年はハンターのこういう騒動も収まっていたのですが久しぶりにこういう事があったのでお知らせです。近くにはウオーキングを楽しむ人達がよく利用する「信玄の棒道」が通っていて本当に危険です。

 余り知られてないかも知れませんが私の住んでいるあたりは発砲注意地区に指定されていても猟銃禁止地区ではありません。だからエリアとしては発砲そのものは違法ではないのですが家屋の近くだとか公道の近くで猟銃をケースから出して持ち歩いたり勿論発砲する事は違法です。

 しかも困るのはそういう常識が通用しない奴に限って腕が悪くてやたら撃ちまくるので始末に悪いのです。

 しかし、何も悪いことをしていない市民が巻き添えでケガをするのはたまったものではありません(怪我ですめばまだよいのですが)。自分で自分を守るしかないのでハンターが狩りをする夜明け近くの時間帯だとかはこの時期は余り森を歩き回らない方が良いかもしれません。

 私もここに20年住んでいて猟銃による害獣駆除の歴史等についても少しは知っているつもりです。だから、何が何でも猟銃禁止と言うのではありませんがいかなる理由が有ってもこの平和な日本で散弾銃を持っている人間が自宅のすぐ横に立っていて発砲されてそれでも「大丈夫だから」と言える正当性はどこにも無いと思います。全くここは戦場じゃないんだから・・・

2012/01/04

2012年明けましておめでとうございます。

今年も又、新しい年が始まりました。毎年、思うことですが今年はどんな人との出会いや新しい出来事が待っているのでしょう?出来れば今年は自然の猛威に晒されること無く平和に一年が過ごせることを祈りたい気分です。

 2012年、皆さんの年明けはいかがだったでしょう。家族と過ごされたでしょうか?それとも仕事で年末年始を過ごしこれからお正月を迎える方もおられると思います。

 多分、今年は色々な面で変革を求められる年になると私は思っています。政治も経済も含めて私達は新しい暮らし方を始めなければならない時期に来ていると思います。

 美しい星、地球と我々の住む日本を守るために出来る事を始めましょう。どうぞ、今年も「森の囁き」宜しくお願い致します。

2011/12/29

仕事納め

 今年も今日(12/29)で仕事納めとなりました。ことしも一年間、「森の囁き」をご覧頂き有難うございました。

 今年は東日本大震災という未曽有の災害に襲われ戦争を知らない私の様な者にとって見た事のない多くの人々の死の恐怖を目の当たりにした光景が繰り広げられ心を揺さぶられる年でした。

 私も自分が生きている間にこんな光景に遭遇するとは思いもしませんでした。しかし、これは紛れもない事実であり自然からの警告でもあると私は思いました。どんなに文明が発達してもこのような自然の脅威を防ぐ事は出来ないし、いつどこで起こるかも分かりません。人間はその事に対して謙虚でなくてはいけないと言う事を思い知らされました。

 自然災害そのものを防ぐ事は出来ませんがその後の人災は人間の問題です。そういう意味でブータンの国王が来日され述べられた言葉には感銘を受けました。

 日本もこれからは物質的な満足で得られる幸せには限りがある事を知らねばなりません。本当の幸せは家族が一緒に健康で暮らせるという何でもない普通の生活にこそあるのだと今回の震災は教えてくれました。

 日本は虚構の発展に惑わされる事無く未来の子供達に「当たり前の家族の幸せが本当は最も大切な事」と自信を持って伝えられる様にしなくてはなりませんね。

 どうか、来年はそんな第一歩となる新しい日本の門出となれる年にしたいと思います。来年が皆さんにとって幸せな一年となりますようお祈り致しております。どうぞ良いお年をお迎え下さい。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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