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2012/01/24

「ALWAYS三丁目の夕日’64」

 先日、女房と二人で映画「ALWAYS三丁目の夕日‘64」を見て来ました。1964年、東京オリンピックが開催された年が映画の舞台ですが私は小学校3年生でした。

 当時、住んでいた高知にもオリンピックの聖火が渡ってきて私も何故か聖火ランナーと一緒に走った記憶があります。世の中は高度経済成長期を迎え今よりはまだまだ不便だったけど家にはテレビも洗濯機も冷蔵庫も当たり前の様に普及し始めていました。

 あの頃の自宅のテレビがカラーテレビだったかどうか忘れたけど多分、白黒テレビでオリンピックを見たような気がします。

 そういえば今年は4年に一度のオリンピックイヤーですね。ロンドンオリンピックはもうデジタル放送の時代になってしまいました。東京オリンピックの時代に誰がこの状況を予想できたのでしょうか。今から僅か50年程前の話です。

 この50年の間に何が変わって何が変わらずに残ったのでしょう。日本人の生活は格段に便利になったと思います。私が真っ先に思うのは通信手段の進歩です。50年前の日本ではまだ呼び出し電話が当たり前のようにあり、隣の家の電話を借りたり大家さんの電話を借りて電話をしている様な状態でした。当然、電話もダイヤル式の黒電話でした。

 だけど通信手段で当時と現代でも全く変わらないものも有ります。それは「電報」。システムとしては当時も今も全く変わりません。何故、電報という非常通信手段が50年もの間、変わらずに存在したのか不思議ですが、私が思うに緊急時の最終手段としてこれに変わりえるものが無かったからじゃないかと思います。つまり、最終的に人の手から人の手に伝えるという確実な通信手段に変わりえるものを50年掛かっても開発出来なかったという事だと思います。

 携帯電話やインターネットが発達し人と人の通信環境は大きく変化し人の距離感は随分短く感じられる様になりました。いつでもどこでも誰とでも通信する事が可能になりました。

 しかし逆にそのシステムを使えない人にとっては通信手段を奪う事になってしまいました。私の母は認知症で施設に入っているために通信手段がありません。以前、携帯電話を持たしたのですが結局、最初の1回だけ受信して会話ができたのですがその後は無理でした。

 どのボタンを押せば良いのか分らないのです。何回練習してもダメでした。そういえば母は入院するまで自宅でダイヤル式の電話を最後まで使っていました。他の電話が使えなかったのでしょうね。

 それともう一つ私が当時と今で一番違うと感じるのは空き地が無くなった事です。当時はまだあちこちに空き地がありそこは子供達の格好の遊び場でした。しかし、今はどこにも空き地がありません。有ったとしても立入禁止の柵が立てられて使えない所が殆どです。子供達は自宅でゲームで遊ぶしか無い様な状況です。

 空き地には何故か土管が置いてあったりして当時の悪戯っ子には遊びの創造意欲を掻き立てる大切な道具でした。

 あれから50年たち世の中は豊かになり我々は求めればあらゆる情報を手に入れる事も出来る様になりました。しかし、その反面我々は自分の感性、自分で考える力を失っているような気がします。情報が溢れていて一体どの情報が正しいのか判断が難しい世の中になりました。そんな時に最後に信じられるのは自分の感性です。

 50年前、まだまだ不便だった時代に経験した自分たちの感性を今こそ子供達に伝える必要があると私は思います。「ALWAYS三丁目の夕日’64」お薦めの映画ですよ。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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