2007/07/22

台風の思い出

 一週間、ブログをサボってたら夏休みになってしまってました。先週は7月としては最大だという台風に向かって無謀にも車を走らせる事になり家族と共に岡山で結婚式に出席しそのついでに高知に帰って来ました。

 岡山での結婚式の最中に台風はちょうど岡山を通過し、式の間ホテルの窓にはヒューヒューという台風独特の強風と大粒の雨が叩きつけらていました。翌日、仕事で神奈川に帰らなくてはならない娘は新幹線が止まってしまい名古屋で立ち往生、車で高知に向かった我々は何とか無事、瀬戸大橋を通過し高知に到着しました。

 高知はいわずと知れた台風銀座、高知は知らなくても「足摺岬」とか「室戸岬」なんて台風情報では何度も出て来る名前なので知っている人も多いと思います。高知県人としては台風と聞くと何故か心がむず痒くなります。子供の頃は台風が来ると聞くと学校に行かなくて済むかが最大の関心事で夜、台風が通過なんて事になると翌朝のラジオかテレビで学校が休校がどうか知らされるのでドキドキしながら聞いてました。そしてメデタク?休校となるともうワクワク・・・

 大抵、台風一過とはよく言ったもので翌日はくっきりとした青空が広がり、早速我々ガキ共は徒党を組んで台風の爪痕見物をしに外に繰り出していました。親からは危ないから絶対、川に近づいてはイカンと言われてましたが、そんな事聞くわけもなく自転車で先ずは近くの河原に行きゴーゴーと流れる川の流れを見物し、床上浸水なんかしたら知り合いの家か自分の家で畳を上げるのを手伝ったり、すっかり汚れた障子を外して張り替えるのを手伝ったり、兎に角やることは沢山ありました。

 特に実家はガソリンスタンドを経営していた時期があり、台風の後は兎に角パンク修理が多かった!大人は仕事で忙しいので私が朝から晩までひたすらパンク修理をしていました。当時は今と違ってタイヤの中にチューブが入っていましたので最初に工具を使ってタイヤをホイールから外してチューブをひっぱりだして水を張ったバケツの中にそのチューブを浸して空気が漏れている所を探しだし其処に接着剤を塗ってホットパッチという絆創膏みたいなものを貼り付けて火をつけると熱で溶けてその絆創膏がチューブの穴を塞いでくれるという仕組みになってました。その作業が朝から晩までひたすら続くなんて事もしょっちゅうでした。

 車が水に浸かってしまうとエンジンが掛からなくなってしまうのですが、色々手をつくしてやっとエンジンがかかると排気口から水が噴出したりして子供心に面白かったのを覚えています。

 高知がいくら台風銀座だといっても台風の目の中に入るのはめったにありません。それが丁度通過していくと本当に台風の最中にポッカリと穴があいて青空が広がります。そして暫くすると今度は吹き返しの猛嵐が始り再び台風になってしまうのです。

 台風が通過すると町は災害で大変でしたが一度、大変な被害を受けた事がありその後、河川の氾濫に備えて大型の排水ポンプ等が整備されてから高知もそれ程大きな被害を受ける事は少なくなりました。

 地球温暖化が進むにつれ台風は大型化する傾向があります。子供の頃は楽しみにしていた時期も有りましたが大人になった今は心配するばかりになりました。これからは出来れば日本を避けてくれる事を願うばかりです。

2007/07/09

目覚まし猫が・・・

 先々週のブログに登場した我が家の目覚ましお騒がせ猫が今朝、逝ってしまいました。昨晩、女房殿と一緒に布団で寝ていたのですが「何だか様子がおかしいよ」と女房が言い出したので1階に下ろして慌てて癲癇の発作止め薬を投与して様子をみていましたが変化なく「どこもおかしくないんじゃない?ただ眠かっただけじゃないの?」「そうかも知れないね」「とりあえあず様子みようか」と言う事になり、しばらく様子を見ていたら、やはり癲癇の発作を起こしてしまい全身が痙攣して硬直し始めました。

 女房が慌てて座薬を入れて懸命に手当しましたが中々改善せずに「全員で起きててもしょうがないから交代しながら様子をみようよ」「俺が先に見るから」と長男が朝の3時頃まで付き添っていたのですが朝の3時頃「もうダメみたい」と我々のところに来たので一緒に様子を見に行った時にはもう虫の息でした。

 「頑張ったけどしょうがないね」「うん、良く頑張ったよ」と夫婦で何となく気持ちを整理して体を布で包んで清め、「夜が明けたら火葬場に連絡して火葬して貰おう」と一旦、寝室に引き上げて息子も我々夫婦も明日の仕事や用事があるので取り敢えず寝る事にしました。

 そして、今朝私が火葬場に連れて行き火葬して貰いお骨を貰ってきました。これで昨年末から同居していた犬1匹、猫3匹が相次いで逝ってしまい。何も皆、揃って逝かなくてもね・・・と愚痴を言っても仕方なく、我が家をウロウロする連中が皆、居なくなってしまいました。

 特に最後の猫は前出の写真のとおり体が一番大きくて、ひょうきんで、一番弱虫で一番笑わせてくれた奴だったのでちょっと尾を引くかも知れませんね。今頃、先に逝った親猫と兄弟猫達に会って又、騒いでいる事でしょう。

 仕方ない!私の枕元には骨壷が全部で4つ!何だか頭が重いのは気のせいでしょうか・・・

2007/06/30

夫婦ふたりのホタル見物

 前から女房に「ホタル見に行こうね」と言われていたけど中々忙しくて行く機会が無く自然と時間が経っていましたが先日ポッカリと夜、時間が出来て「今晩、行こうよ」という事になりました。本当はその時もちょっと疲れてて、見にいった方が気が紛れてかえって疲れが取れるのは分っていながら面倒くさくなって「エ~」なんてごまかしていたら暫くして玄関が閉まる音がしたと思ったら息子が「母さん1人で行っちゃったよ」と言うじゃないですか。慌てて懐中電灯を引っつかんで玄関を飛び出して「行くよ、行くってば!」と女房の運転する車の助手席に乗り込む事に相成りました。

 最初は長坂IC近くの「ホタル公園」と呼ばれている公園があり、そこに行ってみようと言う事になり道に迷いながら夜の公園の駐車場に着きました。どうやら先客が居るようで駐車場には既に一台の車が止まっており、その先の河原にカップルの姿がうっすらと佇んでいました。若いカップルなら邪魔しちゃ悪いかなと思って近づくと、どうやら年恰好は我々より少し若いくらいのカップルだったので、それじゃ気兼ねしなくてイイカと勝手に納得して早速、河原に近づくと居る居る!河原の上をまるでUFOのようにゆらゆらしながらゲンジボタルが淡い光を明滅させながら飛んでいます。

 近づく為に河原に降りていき浮遊しながら河原の上をフラフラと近づいてくるホタルを手のひらに受けるとホタルは慌てて方向転換して逃げて行きます。気が付くと何だか子供の頃に戻ったようにはしゃぎながら心が軽くなっていっくような不思議な感覚になっている自分にちょっと驚きました。

 そこの公園にはそこそこホタルは居たのですが自分の感覚では何となく物足りなくて「もう一軒行こう!」(飲み屋じゃないっていうの)という事になり。近くの「オオムラサキセンター」の水耕生物の観察路に行くことにしました。オオムラサキセンターの駐車場にも2,3台の車が止まっていて「我々だけじゃないんだね」と妙に感心しながら真っ暗な遊歩道を田圃に向かって下りていきます。さっきのホタル公園と違いここは真っ暗で懐中電灯を消すと歩けないのでさすがに女房も俺の服をつかみながらの散歩道です。

 居る!ここには群れをなしたゲンジボタルが結構飛んでいます。河原にかかった大きな木の梢の先端を目指して登っていくホタルもいて結構、昔の群れをなしたホタルの感覚に近いものを味わえました。途中、道に迷って田圃の中を右往左往するハプニングも有りましたが夫婦二人で夜の遊歩道をホタルを見ながら歩くという何だかちょっと気恥ずかしい気もしたけど楽しい時間を過ごしました。

 家に帰ってきて風呂に入って寝ようとした時、女房が一言「アリガトネ・・」どういたしまして又行こうね!

2007/06/26

目覚まし猫

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我が家の愚猫である。そう、あの九死に一生を得た人工呼吸器まで付けたあの猫である。名を「ポポ」という。今では薬をかかせないもののすっかり元気になり気儘に暮らしている。

 最近こいつに毎朝悩まされいる。というのも毎朝、決まって5時に起しにくる。その起し方が気に入らない。人の顔を引っかくのである。何故か?毎朝、食っている鰹節をねだりに来るのである。起きないと鰹節が食えないので引っ掻くのである。

 どうも猫という動物は自分が決めた習慣をキチンとこなさないといけないと思っているようである。キチンキチンと毎日の日課をひたすらこなしていく。こいつも散々、人を起して騒いだ後は満足してご覧のような有様で朝寝に浸る。こっちは朝5時に起されるから眠くてたまらない。昼食後は意識が朦朧とする毎日である。だから、毎朝たらふく鰹節を食って満足し朝寝坊している幸せそうな顔をみるとムカムカしてくるのである。

 しかしマアこいつも一時は生死の境をさまよった猫であるので毎朝、起こしに来る位は大目に見なくてはならないだろうと思っていたら最近は顔を引っ掻くだけではなく人の布団にもぐりこんでくるようになった。さあ、こうなったら本当に眠れない。全く面倒な奴である。

 こいつの変な癖は他にもある。何故か風呂のお湯を飲むのである。普通、猫は猫舌というくらいだから熱いのは苦手だと思うのだがこいつだけは人が風呂にはいると風呂の扉を必死で引っ掻いて「開けてくれ~」と騒ぎ出す。仕方なく開けると浴槽に中に首を突っ込んでお湯を飲むのである。さすがに病気の後は浴槽に落ちて死なれては困るので洗面器に浴槽のお湯を汲んで飲ませている。なんだか食後のお茶みたいなものかも知れない。

 しかし、奴もこの先、一生薬を飲み続けなくてはならない身体だから好きな事して暮らせれば良いとは思っているのです。しかし、朝の5時はもう少し何とかならないかな~

2007/06/19

憧れの自給自足生活

Tanada

この写真はいつも東京への出張に利用している中央高速バスのバス停からとった写真です。棚田の後ろに見えている山は秩父山系の金峰山で時間はちょうど朝の10時頃だったと思います。小さくお百姓さんが水田の雑草取りをしている姿が写っているのが分るかな?

 私がこの世で一番偉いと密かに思っている人は限りなく自給自足に近い生活をしている人です。つまり例えばお百姓さんだとか猟師さんといった人ですね。こんなに文明が発達し社会の仕組みが複雑になってしまった現代で自給自足に限りなく近い生活を送るのはとても大変な事だと思います。山の中に住んでいれば車も必要だし電気だってなくては困るし第一水が無くては生きていけないし、その為にはそれらを動かしたり供給する人達のお世話にならなくては生きていけない訳だし・・・つまり全くの自給自足というのは現代では多分、不可能だと思いますね。

 しかしそんな中でも出来るだけ自分達で出来るものは自分達で供給出来ればそれはとても大事な事だと思います。どこかの首相が「美しい国」をスローガンにしているようですが「美しい国」とはどういう国だと思っているんでしょうね。私にとって美しい国とは自然が溢れ限りなく自給自足の生活を人々が送り必要な物を自分達で生産し人々が心身共に豊かに暮らせる国です。決して経済成長率が右肩上がりを続け国民総生産がいくらなんて事で決まるものとは思っていません。

 今、この国は必死で働いて一生懸命税金を納めてもその見返りとして受けられたはずの年金でさえ無駄な国営レジャー施設に湯水のように使われてしまい破綻し、今となってはいくら納めたかさえ分らないという全く信じられないような政府が率いる国なんですがこれで果たして美しい国に本当になるのでしょうかね。

 国会を見ていて情けなく思うのは与野党共に国会審議での野次の応酬、そして強行採決における暴力行為・・・見ていて恥ずかしくなりますね。小学生のクラス会の方がよっぽど民主的に運営されていると思いませんか?皆さん・・・

 昨晩のTVニュースで強行採決に反対する野党の議員が議決をとろうとする議長を羽交い絞めにした行為を民主主義を守る為とコメントしていましたがエッ!と私は思いましたね。そんな事をして何になるんでしょうか?それで議決が覆されると思っているのでしょうか?その行為そのものが民主主義を否定する行為だと私は思います。自分達の主張が通らないからといって議長を羽交い絞めにすれば国民が拍手すると思っているのですかね?今後、国会で不規則発言をした議員は即、退場とすべきですね。全く腹が立つったらないですね。

 与野党の議員共にもっと国民がなにを望んでいるのか知るべきですね。大体、今の議員さん達は恵まれすぎですね。あれだけ特別待遇されれば一般庶民の価値観とかけ離れてしまうのは当たり前ですね。

 いかん、いかん、最近腹にすえかねる事が多いのでつい話が脱線してしまいましたがそんな事を言いたいのじゃなかったのです。そう、お百姓さんは偉い!という事を言いたかったのです。頭にくる事があっても美しい棚田をみていると心が和んできます。やっぱり美しい国は国民が安心して食糧を自給自足出来る実り豊かな国じゃないですかね・・・違います?

2007/06/10

貴方はだ~れ?

今日も無事、仕事を終えて夜、いつもの森の中の道を車でゆっくり帰っていた。最近は燃費とエコロジー運転の為にアクセルを出来るだけゆっくり踏むようにしている為に必然的に車はゆっくりと進むのです。

 マア、そんな事はどうでも良いのですが、いつものカーブが連続する道からそろそろ森が切れるあたり、変なものが道路を横切っていく・・・「ウンッ?何だあれは・・・」最初はタヌキかと思った。でもタヌキよりは明らかにスマートである。そしてゆっくりとそいつは道路右の森の中から(つまり山側ですね)左側(谷側)の森の中に消えて行こうとしていました。その時私の目にはハッキリとそいつの特徴的な尻尾が目に入ったのです。

 そいつの尻尾には鮮やかな黒の筋が幾重にも重なっていました。違う!絶対タヌキではないと確信しました。一瞬の出来事なので残念ながら写真は撮れなかったのですが目にはその黒の縞模様が入ったお尻尾がハッキリと焼きつきました。

 家に帰ってからパソコンを開き早速そいつの正体を調べる事にしました。先ずは一般的なタヌキの写真を確認。違う!ぜえったいタヌキでは無い。次に疑ったのがアナグマ、以前知り合い自然観察員から「この辺りには居るんだよ」という話を聞いていたので検索してみた。正確にはニホンアナグマというらしいが違う!尻尾の形とあの特徴的な縞模様がない!では何?

 ハッと思いついて次に調べたのがアライグマ!まさかと思ったけどズバリ!こいつでした。元々日本には居なかった動物らしいけど移入してきて広がったらしい。確か以前、居るとは聞いていたけど見るのは初めて!しかしあいつ何でヨタヨタと俺の車の前を横切っていったんだろ?

 以前にも書きましたが何故か夜の森の中の道を帰っていると私の車の前を色んなものが横切っていきます。最近とても困るのが「カエル」これが雨が降ったりすると森の中の溜池からワンサカと道に出てきて座っている。これを轢かずに運転するのはとても大変なのです。後ろに車でもいたら事故を起しかねないほど蛇行運転せざる得ないのです。さすがに潰すと気味悪いからね。

 話がそれたけどかのアライグマ君(嬢?)悠然と森の中に消えて行ったけど何処に暮らしてんだろね。又、いつか会えるかな?今度は是非、写真を撮るのでちょっとだけ待ってくれるかな。ほんの少ししか君に会えなかったけどしっかりと美しいお尻尾は拝ませて貰ったよ。又、会おうな!

2007/06/01

見える?

Tobodati

昨日うちのサンルームの裏に森の中からお客様が訪ねて来た。写真の中央、よ~く見てください。かわいい白いお尻が二つ見えますか?どうやら兄弟で遊びにきたようです。もっと近くまで来ていたのだけど部屋の中から写真撮影しているのに気が付いたようで少し離れてからじっとこっちを振り返っています。

今年はあまり近くには姿を見せなかったのだけど漸く近づいて来てくれました。サンルームの工事が長引いていたのでちょっと警戒していたのかな?これからはこの窓から色んなお客様が姿を見せるかも知れません。出来るだけ皆さんに紹介していこうと思います。楽しみにしていて下さい。

6月に入り日の出の位置はますます北に偏り森の中の緑は日を追うごとに濃くなっていきます。もう直ぐ梅雨になり森はますます鬱蒼としてきます。

2007/05/27

憲法ミュージカル「キジムナー」

 「キジムナー」とはガジュマルに住む木の精霊、市民100人が造る憲法ミュージカルのタイトルです。三多摩地区を舞台に開催された今年の憲法ミュージカルの最終公演を観て来ました。町田、小平、立川と公演を続けてきたミュージカルの最終公演は八王子市民会館で行われました。昨年、山梨県立県民文化ホールの大ホールを超満員にした市民ミュージカルは今年、三多摩地区に舞台を移し新たな物語で行われました。今年も追加公演を含み大変な盛況で入りきれない人も出たようです。

 最終回の八王子市民会館も混雑が予想されるとの事だったので開場より1時間も早く会場に着いたのですが既に入場待ちの人の列が出来ていました。何故これだけの人が集まるのだろうと考えてみましたが、要はこれは市民参加のミュージカルなのだな~と言う事です。つまりここに集まっている人達は何らかの形でこのミュージカルに関わっている人達が多いという事です。スタッフやキャストの友人、家族、知り合いの知り合い等々・・・だから一種独特の舞台と観客席との一体感があるという事ですね。

 さて、今年のタイトルは「キジムナー」ガジュマルに棲む木の精霊、そう沖縄が舞台です。この憲法ミュージカルは舞台を通して憲法9条を考えようというものです。今年は沖縄戦の悲劇をキジムナーの目をとおして見つめ直しています。沖縄戦の悲劇は2度と繰り返してはいけまんせん。最近、高校の教科書からこの沖縄戦での集団自決の事実が消されてしまいました。軍の主導で行われた集団自決の事実、しかし教科書で昨年までこの事実の記載があったのに今年は消えています。

 都合の悪い事は無かった事にしてしまうこの国のやり方、いつも歴史は繰り返されます。何故、事実を事実として伝える事が出来ないのかと思います。最近の憲法改正の動き、仮想敵国からの脅威をことさらに強調し軍備強化を目指すやり方は全く過去の歴史の過ちと同じ事を繰り返す事に何故気がつかないのでしょう。米国によるイラク爆撃も結局はそんな脅威は無かったのに・・・今は出口が見えない泥沼の戦いになっています。過去のベトナム戦争と同じ繰り返しです。

 戦争からはけっして平和は生み出されない。そんな人間の愚かさをガジュマルに棲む精霊、「キジムナー」は見続けて来ました。キジムナーは語ります。そろそろ止めないか・・人間達よ。

2007/05/20

ツリークライミング

Kinobori1 Kinobori2 Kinobori3

昨日、私が担当している「八ヶ岳森つくりの達人」講座でツリークライミング体験を実施しました。この講座は昨年から2年掛けて様々な観点から「森つくり」を考えようという講座でNPO「八ヶ岳南麓景観を考える会」が主催し、私が担当している講座です。

 一昨日の天気予報では当日は明け方まで雷雨、明け方以降は急激に天候が回復するという予報で、実施するか中止するか大いに悩む天気予報でしたが「エエイ!ママヨ!」の気合で実施することに勝手に決定し、当日の朝、目が覚めたらベッドの頭のある天窓には大粒の雨が降っているじゃアリマセンカ!オマケに雷は天空に響き渡り、そういえば講師をお願いしたインストラクターの先生からはくれぐれも「雷がなったらとにかく中止ですからね。いいですね。」と念を押されていたのを思い出し「夢だ、夢だ、これはきっと悪夢だ」と言い聞かせもう一度布団をかぶって寝たフリをする事に・・・・

 しばらく寝たフリをしてからもう一度布団をはぐって天窓を見上げたら当たり前のように大粒の雨・・・アアどないしょ・・・てな事、考えても仕方なく、兎に角実施と決めてしまったのでもう後に引くわけには行かず集合場所へ・・・三々五々集まってくる参加者は手に手に傘を持って「ホントにやるんですか?」「ヤリマス!」「ホントニ?」「ホント!」「雨降ってますよ」「もう直ぐ晴れます!」「もう直ぐ?」「もう直ぐ!」てな事を言いながら何とか時間を稼ぎつつ先生に電話「そちらの準備状況はどうですか?」「準備たって雨で出来ませんよ」「こちらは晴れてますよ」「こっちは雨です」「何とかなりませんか?」「何ともなりません」「そっちに行ってもいいですか?」「来ても車の中で待ってもらう事になりますよ」「・・・・・」

 ダメカナ、と思ったとき何と雨が小降りになり何やら薄日が差してくるではアリマセンカ!胸を撫で下ろしながら「ホラッ晴れたでしょ」何て当然といった顔でノタマワッテ一路現地に向かいました。車で10分位行った森の中が今回のツリークライミングの体験場所「先生、何とかヨタヨタとやってきました後は宜しく」てな訳で何とか先生にバトンタッチ。

 「ツリークライミングとは何ぞや」とか「初心者の心構え」といった一通りのレクチャーを受けた後いよいよロープを使って木の上の空中散歩へと皆、旅立ちました。それが上の写真。いい大人12名と子供2名がワーワーキャーキャー言いながらエッチラオッチラ、ロープと格闘しながら徐々に空中に登って行きます。こうなるともう歳は関係無いですね。ひとすら上を目指すのみ。面白いのなんの!子供の方が慎重で大人達はもう競争のようにひたすら登って行きます。地上約10mほどの樹の上に到着すると一時の至福の時間が訪れ、しばらくボーとした後、「オーイ、降ろしてくださ~い」と下で見守っている先生にお願いする。そう、初心者の悲しさで登る事は登るのですが下りる技術は無いのでひたすら先生にお願いして下ろしていただくしかないのである。

 もともとカナダの林業従事者達が森林保護の為に編み出したロープテクニックから今はレジャーにまでなったツリークライミング、楽しい!とにかく楽しい!樹上の旅をとおして森の現状を見詰めて欲しいという究極の目的をもって樹に感謝しながら登らせて頂く・・・あなたも如何ですか。詳しくはTCJ(ツリークライミングジャパン)までお問合せ下さい。先生、今回は天気に泣かされましたね・・・ヤレヤレ

2007/05/12

サラバ新丸ビル

 先日、新丸ビルが新しくなって竣工しました。私はまだ行ってないのですが素晴らしい近代的なビルになったようです。

 もう、20年以上前迄、私はこの新丸ビルの3階に事務所のある会社に勤めていました。東京駅の目の前、当時としては伝統あるビルでした。世界最大の不動産会社、三菱地所が建設したビルで建設した当初は厳格な施工管理で徹底した精度が求められたと聞いていました。確かに、細部まで行き届いた建物でちょっと事務所の改装をしようと思っても中々許可がおりずに例えば通りに面したところにはエアコンの室外器を出してはいけないの床に傷をつけてはいけないのと難しい事が色々ありました。

 それはさておき何よりも今、思い出しても確かに当時としても古いビルではありましたが私には浪漫溢れるビルでした。廊下はやたら広くて大理石貼り、事務所の入り口の扉はとにかく大きい、しかも全て古ぼけた同じデザインで統一されていて確か室名札も決まりがあったように記憶しています。ビルの真ん中に吹き抜けがあり廊下を挟んで通りに面した方が事務所で吹き抜けに面した方が給湯室や階段、機械室等に当てられていました。

 事務所が3階だったのでエレベーターを使わずに階段を駆け上がる時もありましたが、この階段も大理石で出来ておりやたら広かったように記憶しています。何せどこもかしこも石貼りで出来ているのでやたら反響音がすごくてカンカンと歩く音が響いていました。

 地下にもテンナトさんや事務所が入っておりよく地下の薄暗い印刷屋さんに図面を焼きに行ったりしていました。当時は図面は「青焼き」といって青いバックに白の線で図面が描かれていました。務めていた事務所にも印刷機はあったのですが大きな版は焼けなくてこの地下のやたら薬くさい印刷屋に持って行って焼いて貰っていたのです。

 私は建築担当だったのでよく事務所の改装に立ち会ったのですが昼間の工事は当然、許可にならないので夜間、皆が帰った後から作業に入り翌朝までに改装を終わらせなくてはならずに大変でした。確か夜間12時頃まではビルの裏口の扉が開いていたのですが12時をこえるともうビルから出ることは出来ませんでした。設備としてはかなり老朽化していた為によく停電したり電話配線が複雑で分らなくて電話が復旧せずに大慌てなんて事もよくありました。誰もいなくなったビルの中で朝までのつかの間の時間、事務所のソファーの上で仮眠を取るのですが中々寝付けなくてこっそり真夜中のビルの中を探検したりしました。時々、ガードマンが点検に廻ってくるので注意しないと「誰だ!」なんて事になるし第一、夜間工事の届けを出しているので現場に居ないと翌朝、お叱りを受けるなんて事になるのでビクビクでした。

 夜間、残業をしたり夜間工事の時はいつも地下の蕎麦屋に晩飯を食いに行きました。お気に入りのメニューは「力うどん」なんだかいつも食べていたような気がするな~。地下の出口の前にすぐ地下鉄丸の内線の改札口があり朝晩の出・退勤時には大変な混雑をしていました。

 そういえば退社時間になると何故か事務所裏の階段付近に事務所の女の子達が着替えてお化粧して佇んでいたのですが皆、帰りにデートの約束をして待ち合わせをしてたっけな。

 その会社を辞めて八ヶ岳に移住しようと決心したある日、いよいよ上司にその話をしようと退社時に新丸ビルの地下の出入り口付近でその上司の出て来るのを待ち伏せしていました。暫くしてその上司がエレベーターから多くの人達と一緒に出て来ました。駆け寄った私は「済みません、折り入ってお話があるのですが・・・」「分ってるよ。大事な話なんだろ、明日にしよう。明日の朝、話し合おう」と上司は言ってその日はそのまま私は肩透かしをくって上司は帰って行きました。私が後戻り出来ない人生の岐路を迎えた瞬間でした。上司は普段の私の様子でうすうす察していたようでした。

 それから数十年たったある日、何気なく眺めていた週刊誌にその上司の事が載っていました。社内の派閥争いで反社長派として名前が載っていました。普段から反骨精神のある私が尊敬する上司でした。

 大学を卒業してから若いサラリーマンとしての時代をすごした新丸ビル・・・壊されて無くなっちゃったけど私の記憶にはその浪漫あふれる姿は焼きついています。古かったけど美しい確かに、日本の歴史を代表する記憶に残るビルでした。サラバ、新丸ビル、俺は忘れないよ・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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