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2009/02/15

いのちの食べ方

 先日、知り合いから召集が掛かり地元の若者達が「いのちの食べ方」という自主映画を上映するからこういう頑張っている若者達を我々おじさん達が応援せずにどうする!ということで「オオッそういう事ならイカネバナラヌ」と観てきました。

 

 行ってみると地元の公民館のような所が会場で座敷に映写装置を置いてスクリーンは壁に白い布を掛けただけという正に手作りの自主映画会でありました。入場料はカンパという事でここがオジサン達の出番でもある訳ですが、内容は1時間半という上映時間で音楽なしコメントなしテロップなし、淡々と映像のみ流すドキュメント作品で想像していたとおり我々が普段、何気なく口にしている加工食品がどのような工程で製造されているかその原点に迫るものでかなり衝撃的なシーンも出てきてちょっと目を逸らしたくなるような所もありました。

 

 例えば加工牛肉、当然元は生きている牛な訳でその過程で必ずその命を頂いているのだが我々がその現場を見ることは普段、中々ありません。しかし、誰かがその役割を必ず果たさなければならず、その行為を惨いといえる人は牛肉を食べない人という事になるのでしょうかね。

 

 以前、同じような試みを川崎に住んでいる時に自分でもした事があります。近所の子供達を近くの公園で自主保育という形式で面倒を見ていた時期があり、その中で何とか子供たちに自分達が生きていく為に他の生き物の命を頂いているんだという事を理解させようとしました。

 

 それは子供達だけでなく当然、親達にも言えることだったのですけどね。それでどうしたかと言うと生きた鶏を貰ってきてその鶏を処分して皆で食べようじゃないかと言う事で、誰が処分する?となり、成り行き上私が処分する事になりました。

 

 昔、私が子供の頃はまだ近くの商店街に肉屋さんがあり、そこの親父が毎朝、なぜか店先に椅子をだして鶏の首を包丁で切っていたのを見ていました。しかし、自分で処分したことなんか当然無くて「俺がやるよ」と言ったものの内心「どうしよう・・・」と思っていました。

 

 しかし、時間は容赦なく過ぎてとうとうその時が来てしまい、くだんの肉屋さんの様に手際良く出来る自信は全くなく、その手の本を片っ端から読んで見よう見まねでやる事にしました。

 

 当日、近くの公園の木立の中にダンボール箱に入った鶏を持って行って子供たちは恐る恐る遠巻きに見ています。段ボール箱から先ず羽根をつかんで鶏を取り出し出来るだけ早く苦しまないように首の骨を折り(これが物凄くキツカッタ・・)暴れないように大人しくなるまで抑えておいてすっかり体温が下がり冷たくなってから枝に鶏を吊るして首を切り血を抜きました。

 

 その頃には廻りの子供達や大人達の私を見る目はまるで犯罪者・・・実際、後で随分批判もされましたけどね。それでも子供達は好奇心の方が勝り時間が経つに従って段々、遠巻きに観ていた輪が短まり最後はぶら下がって首のない鶏に触ってみる子供達も出るようになりました。

 

 そして血抜きが終わった鶏を家に持ってかえって鍋に入れて毛をむしり取り解体して手羽焼きにしたり煮たりして食べることになりました。その時になってみると以外と子供達は平気で食べるんですよね。食べられないのは自分、どうしても手に鶏の温かみと首の骨を折った時の感触が残っていて最初の一口がなかなか食べられない。

 

 こんなものなんですね。偉そうな事言ってもやってみると中々出来ないものなんです。現代に住む我々は食生活に関しては加工食品に依存している部分が多くて昔、子供達は魚が切り身で泳いでると思っている。なんて笑い話の様な話がありましたが魚にしても動物の肉にしても野菜や果物にしても必ず命を頂いてエネルギーに変えているワケでその原点を「惨いから見せない」という事でなく知らせる事も大切な情操教育になると思います。

 

 現代はそういう原点を感じる機会が少ないのでゲーム感覚で大切な命を簡単に奪ったり奪った命をリセット出来ると錯覚してしまうのだと思います。

 

 さて、話は元に戻って「いのちの食べ方」はそういう意味で加工食品が現在、どのように生産されどのような過程を経て我々の口に入っているか事実をコメントを加える事無く淡々と描写した優れたドキュメント作品です。

コメント

日本の食事のあいさつには、2つの素晴らしい言葉がありますね!  
  1つは「いただきます」  
「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味  
偉大な自然への感謝の気持ちを表 したものだと思います  
   
  もう1つは「ごちそうさま」  
  「ご馳走様」は「馳走になりました」のことで、「馳」、「走」ともに「はしる」の意味で、 昔は客人を迎えるのに走り回って獲物をとってきてもてなしましたが、そんな命がけの働きに客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したものだそうです。

「頂きます」、「ご馳走さま」はその意味もかみ締めて毎食感謝すべきですね 
 

泉原原人さん、こんにちは。
そうですね、毎日の食事時に「頂きます」「ご馳走様」は欠かせない感謝の言葉です。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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