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2010/05/01

自主上映映画「葦牙(あしかび)」

 今年も自主上映映画のお手伝いをする事になりました。映画のタイトルは「葦牙(あしかび)」と言います。葦牙とは葦の若芽をさす言葉だそうです。

 この映画は岩手県盛岡市にある児童養護施設、「みちのくみどり学園」の活動を描いたドキュメンタリー映画です。例によってスクリーンでの上映のみで公開される映画で日本各地で自主上映されています。昨年も上映のお手伝いをさせて頂いた「いのちの作法」の監督、小池征人さんの作品です。

 この映画のテーマとなっているのは児童虐待です。テーマとしては凄く重いと思われがちですが、作品内ではこのテーマを淡々と追い続けており、私が凄いと思ったのは映画に出てくる子供達も実名で顔を隠す事無く登場し、虐待をした側のお母さんも普通に顔を出して映画に登場して淡々とカメラの前でその心情を語るというこの映画の方針とそれに賛同して撮影に全面的に協力した「みちのくみどり学園」のスタッフの方達の姿勢です。

 そして何より感動させられたのは親から虐待を受けて保護された子供達が複雑な心の葛藤を抱えながら懸命に自分という個の存在を何とか見つけようとする姿とそれを何とかサポートしようとする学園のスタッフの方々の並々ならぬ真摯な姿です。

 「みちのくみどり学園」は児童虐待を受けた子供達だけを保護している施設ではなく、もともと虚弱児施設として創立され、今でもその3割は病気療養やその他の理由で入所している子供達の養護施設です。それがまさにこの「みちのくみどり学園」の特徴的な姿になっています。

 映画の中にも出てきますが複雑な家庭環境に晒され親から虐待を受けた子供達をどうしたら自立させる事が出来るかという難しい仕事に取り組まなければならないスタッフの葛藤を園長さんが語っています。それは決して一括りで語れるものではありませんが昔、学園で無念にも病気で亡くなっていく虚弱児達を見つめてきた園長さんにとって子供たちの命があるということだけでも有難い事だという、その取り組み方の姿勢がこの学園を支えているポリシーだと私は思いました。

 私自身も3人の子供の父親であり昔、自分の父親とは余り仲良く暮らしたという経験がなく父親から暴力も何度も受けました。父は酒を飲むと性格が変わるところがあり、よく酒を飲んで暴れていました。

 しかし、昔はそんな事は余り珍しい事とは捉えていなくてどこの家庭でも大なり小なりこんなものなのかな?と自分でも思っており、父が酒を飲んで暴れて帰ってくると眠った振りしてやり過ごしたり母に暴力を振るう事があれば飛び出していって父の足にしがみ付いたりした事もありました。

 この事が現代でいうと正に児童虐待だったのかも知れません。よく児童虐待を起こした親が「躾のつもりだった」と言いますが本人達の意識はまさにそうだったのかも知れません。そして、その事こそがこの児童虐待の持つ問題なのかもと思います。

 私の父は暴れましたが私が止めに入ったらそれを振りほどく事はありませんでした。きっとフト我に返り自分のしている事に気付く瞬間があったのだと思います。

 児童虐待はそれを受けた子供達にとって暴力という負の連鎖を生む心の傷を与えます。私自身も子供のいる親ですが決して褒められるような父親ではありませんでしたし子供に手を上げた事も何度もあります。しかし、父親から受けた暴力が心の反面教師になっている事は間違いありません。酔って子供達に手を上げるのだけは絶対止めようと自分が子供の頃に強く心に誓ったからです。

 同じようなシーンがこの映画でも出てきます。虐待を受けた子供達が親に対する「恐れ」を払拭出来ずに苦しみながらも自分達だけはその暴力の負の連鎖を止めなくてはいけないと語るシーンがあり、そのシーンには思わず忘れかけていた昔の記憶が蘇ってきて自分と同じ事をこの子供達も考えているんだと知り驚きました。

 いつの時代も被害を受けるのは子供達や立場の弱い人達です。この映画を観る事によって未来を担う子供達の葛藤を一人でも多くの人に知って貰いどうしたら良いのか一緒に考えるきっかけになればと思います。

 「葦芽(あしかび)」は523日(日)北杜市長坂町のJR長坂駅前にある長坂コミュニテイホールで午後2時と午後5時半の2回公演で上映されます。チケットの必要な方は私の方でも取り扱っておりますのでこのブログにコメント頂ければお取り出来ます。

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