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2012/02/27

「いのち」の歌

 この話を書くべきか実は大いに迷ったのですが、昨年の東日本大震災以来、「いのち」について色々考えさせられました。東日本大震災では多くの方の尊い「いのち」が犠牲になり又、私の廻りでも震災以外で昨年から今年にかけて「いのち」をなくされた方がいます。

 それは前の会社の同僚だったり地元で一緒に市民活動をしていた知人だったり、掛かりつけのお医者さんだったり、当社の大切なお客様だったりした方です。

 段々、年齢を重ねるにつれてどうしても考える機会が増え、そして避けて通れない道がこの「いのち」の終わり方です。日本では自宅で最期を迎えられる幸な方はほんの一握りにしか過ぎません。多くの場合は東日本大震災のように突然襲われる災害や事故、あるいは病気によって「いのち」の最後を病院か屋外で迎えるケースがほとんどです。近年、漸く終末医療についての議論が活発になり自宅で最期の時を迎えると言う事について理解が進んできましたが、それでもまだまだこれからだと思います。

 「生きる」と言う事はすなわちいつかは「死ぬ」と言う事と同じ意味があると私は思っています。私は今年57歳になります。知人からは「まだまだこれからだよ」と言われるケースがほとんどですがそれでも同級生や同僚の死を知らされる度に少なくても心の底に何らかの「覚悟」みたいなものはどうしても感じざる得なくなってきます。

 しかし、逆に「今日も生きているのだからそれだけでも幸せなんだ」とも思えます。「いのち」が消える時、それは肉体の終わりかもしれませんが決してその人の存在が無くなる訳ではありません。

 生きている間に共に時間を共有した家族や友人の心の中には何時までもその人の存在は残ります。そして徐々に時間が経つにつれてその記憶も薄れていくのですが、私はきっと「いのち」が終わった時に新しい「いのち」の記憶がどこかに新たに伝えられるのだろうと思っています。しかし、残念ながら昔の記憶は新しい「いのち」の中では封印されどっか奥深い所にしまわれそれが時々「デジャブ」のように顔を出すのだと理解しています。

 ひとつの「いのち」が失われる時、同じ時間を共有した廻りの人達には深い悲しみが訪れます。私も涙もろいので「泣くまい」と思っていてもつい涙が頬を伝わってしまう事があって困ってしまいます。先日もやはり葬儀に出席させて頂いて泣くまいと思ったのですが駄目でした。

 しかし、時間が経てばきっと家族の人や友人の方もきっと立ち直ってくれると思います。だってその人の「いのち」は又きっと新しい「いのち」となってどこかで生まれていると思うからです。

 自分にもいつかその時が訪れると思います。それが何時かは分かりませんがそれまでは神様が残してくれた「いのち」の時間を○○ばあちゃんの言葉ではありませんが「いのちがあるだけで丸儲!」と思って過ごして行きたいと思います。

コメント

核家族化していくに連れ「死ぬ」という言葉がタブーになって、私はおかしい世の中だなと思っていました。
中学から大学まで、仏教系の学校に居た私ですが、まさにおっしゃる事と繋がっています。
若い頃にはうっとおしいとも思える授業でしたが、年を取るにつれ、ああこういう事なのかと。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんの言葉を聞いて育つ事が少なくなった世の中では、「自由」が「勝手」に変化した世の中では、「自由」の持つ責任の重さも、命を繫ぐ事の意味も気付かないのかも知れませんね。
なんて、唐突なコメントすみません。

アロハママさん、いつも有り難うございます。
そうだったんですね。アロハママさんは宗教について学んだ方なんですね。偉そうな事言ってお恥ずかしい限りです。私も始めて「死」というものに直面したのは祖父が亡くなった時でした。
私も全く同感です。自由とは本当はそれに自分が全責任を負うということだと思います。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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