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2008年3月

2008/03/31

舞鶴の松よサラバ

Akamatu 大きな切り株に人が座っていますが、これは地元に立っていた国の天然記念物の赤松を伐った切り株です。何で、天然記念物を?と思われかも知れませんがこの赤松は一昨年、松喰い虫の被害が発見され昨年には枯死宣言がだされていたのですが何せ、国の天然記念物なのでおいそれとは伐採する訳にもいかず様々な手続きを経て先日、伐採の式典が行われてようやく伐採という事になったのです。

 この赤松、萬休院という北杜市のあるお寺の境内に立っており推定樹齢400年以上といわれていました。私も切り株を見ましたがなるほど数えるのが困難なほど年輪が詰まっていました。長い年月を生きていた赤松ですが近年の気候変動には対応する事が出来なかったのでしょう。

 もともとこの辺りには松喰い虫は標高が高く、寒冷地の為、生息出来なかったはずでしたが近年は被害が広がっています。このままではどんどん被害が広がりかねないと危惧されています。

 長い年月を生きてくるのは大変ですがそれを破壊するのは残念な事に簡単です。いつか我々に跳ね返ってくる事です。地球温暖化対策は待ったなしです。

2008/03/23

旅たちの春、変化の季節

20080323_104018859 春ですね~里山の雪もすっかり溶けて景色はすっかり雪景色から変わってしまいました。我が家も一番下の息子がこの春から大学に行くのでもうすぐ寮に入ります。本人は少し不安もあるようですが今は1人暮らしに向けての資金稼ぎでバイトに明け暮れています。

 そういえば私は高校の卒業式には受験で参加出来なかったなあ~先日、息子の同級生が作成した卒業記念のDVD(最近の子供達はこういうのを簡単に造ってしまうから凄い!)を見ましたがまるでプロの様な出来でした。作成した息子の友人はそういう道に進むようです。

 今、振り返れば高校卒業して新しい生活に入る時がなんだか一番ドキドキワクワクしたような気がします。就職する奴もいたし国立の一流大学に行く奴もいたし残念ながら入試に失敗して予備校にいく奴もいたし人生の最初の岐路を迎えていたような気がします。ウン十年前、私も一緒の大学にいく同級生と二人で大学の寮に入寮し新しい生活を始めました。寮ではそいつと同室だったのですが何せ困ったのが土佐弁・・・かつて夏目雅子の映画のセリフで有名になった「おんしゃ、なめたらいかんぜよ」の世界なのでとにかく他人に通じない。これにはホトホト困りました。何せ本人は純正・世界共通語を喋っている積りですから何故、相手に通じないのか分らない・・・いやいや今では笑い話ですが本当に当事は困ってなんだか二人で一日中、寮の部屋に閉じこもっていたような記憶があります。

 大人になりなかなかこういうワクワクするような感覚になる時が少なくなりましたがいつまでも感動を忘れないようにしなくては老けてしまうので自分では気を付けているつもりです。

 そういえば最近、やたらと涙がでる様になり、歳取ったかなと思っていたら花粉症のせいでいつも目は赤く痒くて出来る事なら取り外して洗いたいような気がしているし、目の手術をした時に先生から涙が出やすくなりますよと言われていたのを思い出し、そうか歳のせいじゃ無かったんだと安心しました。

 先日、高知に帰ったときに電車の窓からはやくも桜が咲いている風景を見かけました。高知は早いですからね。八ヶ岳の桜はまだまだですが冬が寒くて雪が多ければ多いほど春が待ち遠しくなるものです。さあ、これから本当の2008年が始まるつもりで心をリフレッシュして頑張りましょう。さあ、今年は何を楽しみにやるかな~・・ウン、あんたは充分遊んでるってか・・

2008/03/15

なんで0円?

 最近よく耳にする「0円」もしくは「○○料サービス」というキャッチフレーズにどうも抵抗を感じるのです。例えば一時期、流行した「携帯電話0円」の謳い文句、何のことはない私も会社の携帯をそのサービスを利用して買ったのですが実はその時にちょっとしたショックを受けたのです。同じ系列のある店では確かに0円なのに別の店に行くと同じ電話がウン万円するのです。もう頭の中は???です。

 まあ、しかし落ち着いて考えてみればどんなにキャッチフレーズで「0円」と言ってみたってこんなに高性能な携帯電話が0円で出来るわけがなくそれには当然、販売店のカラクリがある訳で、そんな事はよく考えれば当たり前なのですがそれが当たり前に思わなくなるのが現代の魔法というか価値観を狂わせる危険性を孕んでいるように思うのです。

 もし私がこの高機能な携帯電話の生産や開発に関わっている人間ならそれを「0円」で売ると言われたら多分「冗談じゃない!」と絶対思いますね。苦労して開発して生産したものが何故0円なんだと言いたいですね。そりゃメーカーと販売店との契約できっとその辺は旨く話が出来てるんだとは思いますがそれでも納得いかないのが人間というもんです。私は嫌ですね。

 建築でも相談料無料とか坪単価○○円とか色々な誘い文句でお客を掴もうとしていますが、人に錯覚を与えて契約を結ぶやり方は物造りをする人間には許されない方法だと思います。我々造り手側も色々と工夫して出来るだけ安く良い材料を工夫して使ってコストを抑えようと、それは当たり前の事としてやっています。だけど費用が掛かるものをいかにも掛かっていないように錯覚を与えて売るのは良いことではないですよね。

 お金がかかるものは「掛かる」として理解した上で話し合いをしないと何が本当なのか分らなくなると思うんです。そうしないと結局一番、負担を強いられるのは現場で働いている実際にお客様に関わる仕事をする人達になるのは分りきっている事です。

 他にも「配送料無料」とか「格安航空券」とかすごく得したような気になりますが良く考えてみたら配送料無料なんてありえない訳ですよね。誰かが動いて配達してくれている訳ですから費用は絶対掛かっている訳で誰かがそれを負担している訳です。格安航空券だってジェット機が飛んでいる以上タダみたいな運賃なんて有り得ない訳でどこかで誰かが負担している訳です。

 それが廻りまわって結局自分に降りかかってくるように絶対なっているのです。それが中々一般の人達には見えてこないのです。

 私は物の価値観を正しく判断して安くする工夫はもっと別の次元で考えないと大きな過ちを犯す事になるような気がします。効率よく生産してコストダウンを計る工夫こそ大事ですが苦労して作った物の価値を否定されるような世の中は決して正しい世の中ではないと思うな。ウン。

2008/03/09

春めいてきました。

 このところ暖かい日が続くようになり森の中の雪も徐々に融けてきました。この時期は森の変化も日々大きくなるので楽しみです。雪が積もって全く見えなかった地面が徐々に穴が開いたように所々見え始めたかと思うとその穴がみるみる広がっていきます。

 森の中の道も除雪車が雪掻きをしてくれる一車線分しか空いていなかった道幅が雪が融けてくると「あれっ」こんなに広かったんだと驚かされたり結構、曲がりくねっているもので除雪車が除雪してくれた道のルートが実は道の曲り方と違っていたりして不思議な感覚を味わいます。もっともいつも通っている道がどんなに曲っていたかも覚えていない方が可笑しいのかも知れませんが・・・

 朝、ダイニングから見る日の出の位置が段々、北側に移っていくのも面白いですね。隣の家の北側の屋根には、まだ20cm程の雪が乗っていますが先日半分程が雪崩を起こして落ちました。残りもそろそろ落ちる頃でしょう。

 夜、仕事を終えて帰ってくる途中の自宅傍の森の中の道では鹿の群れにいつも会います。10頭程の親子の群れで出来るだけ驚かさないようにそっと脇をすり抜けるのですがすり抜けながら森の中を覗くと他にも何頭かの姿が森の中に佇んでいます。

 もう一つ気を使うのが近所のネコの家族です。最近、さかりがついてよく夜の道の真ん中で大騒ぎをしており危なくて仕方ありません。側溝に飛び込んだり道に飛び出して来たりして動きが予想出来ないのでソロソロと通り過ぎないと危ない危ない。

 そういえば先日、家に見知らぬネコが訪ねてきて息子が家に入れてやったもんだからすっかり調子にのって半日、ストーブの傍でヌクヌクとして餌と水をたっぷり腹にしまい込んで暫らく息子と一緒にコタツの傍で寝て元気になったと思ったら夜、さっさと暗闇の森の中に消えて行きました。明日になったら近所の家にネコが家出していないか聞きに行こうと話していたのですがどうやら余計なお世話だったようでその後も時々家の周りに顔を出しています。どうも奴はまんまと散歩途中で餌と水をくれる便利な中継基地を見つけたといったところのようです。

 3月に入りようやく春の兆しが見え始めそろそろ私も今年の作業を始めなくてはなりません。そうです一昨年からいじり始めた家の改造がまだまだ残っているのです。というか完成しないのでは?と少し不安を感じています。何がなんでも今年中には目途を立てないと本当に完成しないかも知れないので頑張らなくては・

2008/03/02

「偽」に近づくな

「偽」最近、何かと話題の言葉ですが今年も流行るのでしょうかね。この言葉が流行るのも困ったもんですが昨今なにかと取り挙げられることが多い言葉です。これもメデイアが発達して情報がお茶の間に溢れる様になった事も一因となっているのでしょう。

 一人の人間を取り上げた時にこの人の本心を知ると言う事はとても難しい事ですよね。以前、どこかの会社が謝罪会見している時に頭を下げながらうっかり呟いた言葉が高性能マイクに拾われてしまいこの人が頭を下げながら実は何を考えていたかが分かってしまいましたがある意味これはこれで怖い事ですね。

 私は人間誰しも人に知られたく無い事や言えない事の一つや二つはあると思います。これは「偽」とは又別の次元の事ですけどね。私なんか自分でもどうしようもない俗人ですのでそれこそ「これだけは・・・」なんて事が一杯あります。でもある意味、だから人間って面白いと思うのですよね。普段、苦虫をつぶしたような強面をしている人が家ではどうしようもない子煩悩だったり逆に、人前ではものすごく良い人なのに裏に廻るととんでもない悪人だったりとホント人間って分からないですよね。   だからその人の本心を知りたくなって色々と探るわけですが本当の事は本人にしか分からないですし逆に本人だけは自分の気持ちを「偽装」しているかどうか分かっているのですよね。

 でも自分の気持ちを偽装しながら生きていくという事は何だかとても辛そうですね。出来れば正直に生きた方が楽そうです。今、世の中に求められているのは色んな事情があっても「偽」はやめて正直にやりましょうよということですね。私もこれから(別にいままでも正直に生きてきたつもりですけど・・・)「偽」を取り繕わなくてもよいようにしなくてはと思っています。

 今ふと思い付いたけど恋愛なんかもじつに「偽」が似合いそうなジャンルですね。この人は本当に私の事をどう思っているんだろ?好きなのか嫌いなのかあるいは何とも思っていないのか?この駆け引きは正に「偽装」かどうか見破る技の応酬のようなものですね。二股や不倫なんてのは偽装そのものだったりする訳ですね。

 政治家なんてジャンルも「偽」が似合いそうなジャンルですね。記者会見や国会答弁を聞いていると本当は違うんじゃないの?何て思う事が多々ありますよねこれって偽装発言ってことでしょうか?

 字は似てても「擬似体験」の「擬」や「仮想」の「仮」なんてのは曖昧な雰囲気がして棘がないですね。

 例えば私の大好きな映画なんかは正に擬似体験そのものですね。時空を越えていったり宇宙に飛び出したり大悪党になったり大統領になったりと自由に疑似体験をさせて貰えます。だからきっとやめられないのでしょうね。 

 しかしこと商売に関して「偽」というのは儲かるようで中国の偽装ブランド品とか映画でも盗撮による偽装DVDとかが出回っています。これは困りますよね。折角積み上げてきた実績とか研究や努力を何の苦労もせずに盗むわけですからこれはいけません。消費期限とか原産地表示偽装とかとは又違った意味で許されるものではない行為です。

 まあ、いずれにしても「偽」には近づかない事ですね。「偽」を見破る技術もこれからは必要かも知れません。そうする事によって「偽」に近づかずに済むかも知れません。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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