2019/09/07

猫の気持ち

 最近、事務所の廻りで猫家族が増えてきてウロウロしています。元々、近隣猫達が集まって来て自由に暮らしているのですが時々、これらの猫を近所の方達と一緒に保護して避妊手術を行い又、自由に暮らして貰っています。

 そしてそれらの猫達を欲しがってくれる方達に里親として引き取って貰っています。今はそれらの猫達の家族が5,6匹ウロウロしています。

 それぞれ個性があるので訪れてくるお客様達に愛想よくなついて膝に乗る子もいますし全く近づいてこずに、ちゃっかりご飯と寝る場所を確保して自由に暮らしている奴もいます。

 時々、我が事務所にも勝手に入ってきて中をチェックしてたまたま私が中で仕事をしているのに出くわすと「何だ!いるのかよ!」といって出ていくやつも居ますし、「ニャオッ!」といって一応、挨拶してから出ていく奴もいます。

 事務所前には結構、交通量のある幹線道路があるのでいつも冷や冷やして見ているのですが彼らは巧みに車の間を縫って道の反対側まで遠征していきます。

 最近、テレビやネットで時々、見聞きする様になった地域猫というやつですね。都会では時々、ニュースで報道されるような虐待される事件も起こっていますが、ここではあまりそういう物騒なことは無く猫達も安心して暮らしている様です。

 本来、犬も猫も自由に昔は暮らしていて、そういう時代には犬たちが人を襲うような事もなく人間と共に暮らしていたようですが近年は、ペットして暮らすようになり人間との共同環境も変わってきたのかも知れません。

 事務所の玄関前で寝転んで「ちょっと~どいてくんないかな~」と言わないといけない程、馴染んでいる猫達をみているとちょっとホッとします。

 最近、色々と国の内外で険悪な雰囲気の話が増えていますが猫達は知ってか知らずか我が暮らしをいつも通りに過ごしています。「人間ってバカだよな~」って言ってるかも知れませんね。

2019/08/10

夏休み

 世の中は令和になって初めての夏休みを迎えています。先日、地元、北杜市白州町のお客様のところへ打ち合わせに向かって車を走らせていたら子供たちが国道沿いの河原で元気に川遊びをしているのを見かけて「あ~夏休みだな~」と嬉しくなりました。

 私も子供のころ、夏休みは良く田舎の親戚の家に遊びに行って近くの河原で朝から晩まで川に潜って遊び、しまいには唇を真っ青にして家に帰って良く怒られていました。

 最近は「危ないから川で遊んじゃダメ!」って言うのが当たり前の様になってしまいましたが昔はそんな事を言う人も居なくて子供たちは暑くなったら川に遊びに行くのが普通でした。

 自分も川で遊んでいて何度も危ない目に逢いましたがそうやって「ここは流れが急になっているから危ないとか、川の色が青黒くなっているところは急に深くなっていてそこには別の流れがあるから近づいちゃダメとか身をもって学んでいました。

 年上の子供達からも「あのカーブは流れが速いから小さい子はいっちゃダメだぞ!」とか教わりそういった自然の危険性を子供達自らが学んでいきました。

 白州町のその子供達が遊んでいた川も浅瀬が続く場所で安全性の高い場所に作られているので見ていても全然問題ないのが分かります。

 しかし、私が遊んでいた高知の仁淀川や四万十川は自然の深い川なので結構、危ない場所も確かにあり、それを覚えるのも自分を守る子供の知恵でもありました。

 子供達はこの短い夏休みで大人が考えられない程、色んな事を学んでいきます。私のところにも孫達が遊びにやってきます。とても元気で目が廻りそうになりますが彼らが何を見て何を感じて行ってくれるのか爺ちゃんは楽しみです。

2019/07/06

よろず相談話

 森の近くで工務店と設計事務所の仕事をしていると色々な相談事が寄せられます。建築は、よく言われる人々が暮らしていく中の三大要素「衣・食・住」の最後を飾る言葉ですが時代の変化によって「住」の世界も変わってきます。

 最近、良く寄せられる相談はバブル期に頑張って働いてお金を一生懸命貯めて森の中に憩いの為の別荘を建てたのは良いけど自分達が段々、年齢を重ね通ってくるのも億劫になってきて、いっそ子供達に託そうかと思ったら「要らない」と言われてホトホト困った、どうしたら良いかな~という相談です。

 ここ数年、本当に増えてきました。それぞれ事情は違えども皆さん似たような話がほとんどです。今の若い方達は車も持たないし家も欲しくないらしい。勿論、皆さんではないですが・・・なのでこの問題の解決策も「これです!」というものはなく、それぞれの事情に寄り添って解決策を探るしかないのですが、特にログハウスという建物は大切に扱えばそれこそ100年以上持つ貴重な建物です。建築に携わった自分達からすると出来れば長く大切に残して頂ければと切に思ってしまう訳です。

 そうは言っても・・・という所にこの問題の解決策を探る手掛かりがあるように思います。特にこの相談は私達が建てた建物だけじゃなくて他の工務店が建てた建物のオーナーの方でも思いは一緒です。

この場合の解決策の例を挙げれば

①自分達の子供達に引き継げないのでやむおえず別の引き継いでくれる方を探し譲るケース

②いっその事、自分達の都会の住まいを引き払い森の中に生活拠点を移し永住してしまう

③自分達の子供達に出来るだけ負担を掛けずに引き継いで貰えるように自分達がまだ元気なうちに出来るだけリフォームをして引き継ぎ易くして後は子供達に委ねる。

なんてケースが具体的に解決方法として行われています。

 住宅はそこに住む人達の環境の変化に伴って変わっていかなくてはなりません。又、変われるようにしておく必要があります。

 又、近年の地球温暖化の影響もあり森の環境も大きく変わってきています。それに応じて仕様も変えなくてはなりせん。どれも人間達の暮らしぶりの変化がもたらしたものですが建物はそれを包み込まなくてはならないので結構大変なのです。

 ログハウス自体はその特徴から森に立っていた木を倒して自分達の家に作り替えるとてもシンプルな建物でその性質そのものが変わる事はありません。しかし、その大切な森の木、そのものが環境変化によって性質が変わってくる恐れはあるように思います。

 八ヶ岳周辺でもメガソーラーの台頭により森の木が大量に伐採され禿山になってきているところがあります。自然エネルギーそのものは私は賛成ですがその為に折角大気中のCo2を吸い込んで酸素を作り出してくれ更、にその体内にCo2を長く固定してくれる貴重な生命を奪ってしまっては元も子もありません。

 どんなに人間の事情が変わっても地球上の環境の変化を悪化させては結局、自分達の首を絞める事になりかねません。

 等という事を廻らない頭のなかでボーと考えながら生きていたらチコチャンに「ボ~として生きてんじゃないよ!」と叱られそうです(笑)

2019/06/08

面白い建物達

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Img_1341長野県茅野市に面白い建物達が集まったところがあります。設計したのは茅野市出身の世界的な建築家でもあり建築史家でもある藤森照信氏です。

 テレビでもよく紹介され、地元でも有名な方で氏の設計する建物はどこか茶目っ気たっぷりでユーモアがあり、まるでジブリの森に迷い込んだ様な感覚がします。

 写真左側は「空飛ぶ泥船」右側は「高過庵(たかすぎあん)」と名付けられた建物です。両建築物とも上って入るには梯子を掛けたりして登っていかなくてはならず高所恐怖症の私にはとても入れないトンデモナイ(失礼)建物です。

 特に右側の「高過庵」は雑誌Time誌上で「世界で最も危険な建物トップ10」にも入っているそうです(笑)。

 現代では建築基準法がどんどん厳しくなり色々な制約がかかり設計にかかわる者にはなかなか自由な発想で建物造りするのは難しくなっていますが、氏の造る建物をみると何だか心が癒されてホッとしてしまうのは私だけでしょうか?

 昔、子供のころガキ大将だった私は手下共(笑)を従えて、よく山の中に隠れ基地を作って遊んでいました。ある日、その中で遊んでいた別の友達が花火を発射してしまい山火事になって物凄く怒られました。何だかそんな記憶が蘇ってきそうな建物です。

 特に氏の建築物に掛ける思いの一端が感じられるのが市民達も一緒になってこの建物造りに関わっている事です。皆で釘を打ったり木を切ったりして共に作っているのです。だからこそこんな面白い建物が多くの市民に受け入れられているのかも知れません。

 建物周囲にも何も標識がなく山のお墓の傍にひっそりと聳え立っているのが又、楽しい所です。皆さんも機会があれば是非、立ち寄ってみて下さい。

2019/05/02

映画の話

 近所の歩いてける距離に映画館があるので夫婦で良く映画を見に行きます。年齢を重ねたお陰で(笑)夫婦二人で「シルバー割引」というのが利用出来て大変ありがたく通わせて貰っています。

 先週は本年度のアカデミー賞3部門を獲得した「グリーンブック」を観てきました。「グリーンブック」というのは黒人が利用可能な施設を紹介するガイドブックの事ですがその邦題の通り天才黒人ピアニストが人種差別を受けながらもツアーを続けるという内容の中々感慨深いストーリーの映画でした。

 又、映画館で映画をみる楽しみの一つが近日公開予定の映画の予告版を見ることですが近頃、気になるのが日本が世界に誇る怪獣「ゴジラ」が地球上に現れた、かつてゴジラが戦ってきた数々のモンスターと再戦するストーリーの「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が間もなく公開されるのですが、どうもこれがチョット気になる。

 幼い頃から心ときめかして見てきた「ゴジラシリーズ」のハリウッド版なのですが、どうもイマイチぴんと来ない。画像もCGが発達してとてもリアルで音響も素晴らしくて映画そのものの出来は昔と比較出来ないほど素晴らしいと思うのですが、しかし!何となく違う・・・ゴジラそのものの姿形も進化して何となくマッチョになってしまって(笑)どことなく哀愁の漂う昔のゴジラのイメージとはかけ離れてしまったのですよ。

 どうも最近、ハリウッド映画は数々の「ヒーローを皆、一斉に登場させて戦わせてしまえ!」的な作品が多くてどうも「それはないでしょ」と思ってしまうのです。これはどの映画についても言える事なので仕方ないといえば仕方ないのですがどうしてもシリーズ物やリメーク物にはついてまわる宿命ですね。007シリーズや最近リメークされた「メリーポピンズ」はまだ観てないのですが、やはり初めて観た時の感動からすると観る方も歳を重ねてきているし仕方ないことですよね。

 私の通う映画館は小さいながらもミニシアター的に幾つかの大小のスクリーンを持っていて地元からもとても愛されているようでいつも老若男女で賑わっています。先述の「グリーンブック」も車椅子の方が専用スペースで楽しまれていましたし、赤ちゃん連れの方の為に「ママシアター」なんてのもあって通常より室内を明るくして音響も小さめで席で授乳もOKベビーカーも持ち込めるようになっています。

 最近は「ボヘミアンラプソデー」の特別上映なんていうのもあってどこの映画館でも画面と一緒に歌って踊って手拍子バンバンOKなんていう上映回もあり随分、映画館も変わってきました。

 一時期、映画はビデオで自宅で見る風潮が増えて映画館の動員数が随分減って心配していましたが、こと近所のこの映画館を見ている限りなかなか頑張っているじゃないかと嬉しく思っています。

 特に邦画が動員数を増やしていてビックリです。最近のでは「カメラを止めるな!」とか「翔んで埼玉」とかユニークな挑戦的な作品も人気を得ています。映画大好き人間としては多くの人にTVではなく是非、映画館の大スクリーンで映画鑑賞を楽しんで欲しいと思います。

2019/04/02

元号の変遷

 昨日、新しい元号が「令和」と発表されました。思えば私が八ヶ岳に移住を決意したのが平成元年でしたから、あれから29年の月日が流れた事になります。

 今回、又新たな元号を迎え自分も新たな気持ちで次の時代を迎えようと思います。私自身は昭和生まれで私の亡くなった父は大正生まれ、祖父は明治の人でした。そして私の次男は平成生まれです。

 私が生まれてからの家族関係でも「明治」「大正」「昭和」「平成」と4つの元号に渡り、今回「令和」となれば5つの元号に跨った家族関係を経験する事になります。

 世界の中でこのような元号で年を表現をする国が他にどのくらいあるのか私には分かりませんがある意味、日本人の原点とも言える年月の考え方であり文化なのかも知れません。

 「昭和」という時代は私にとって子供時代から学生時代を過ごし社会人になり家庭を持つまでの変化に満ちた時代でした。

 そして八ヶ岳に移住を決めた「平成」という時代は自分にとって一番望ましい生き方を求めた満ち足りた時代だった様に思います。

 そして新たに来月から始まる「令和」という時代は私の人生においての集大成となる時間を刻む事になると思います。

 しかし良く考えてみれば元号が変わったからと言って何か劇的に変化が起こる訳ではありません。時は淡々と過ぎていくだけです。何か変わるかと言えば、天皇が変わる事は勿論ですが人々の心の中に元号が変わる事によって何か目に見えない気持ちの変化が起きるのかも知れません。それは年末を迎え新しい年が始まる期待と気持ちの変化に似たものとも言えます。

 新たな元号「令和」は音の響き「レイワ」がとても耳に新しく新時代にふさわしい響きだと思いました。新しい「令和」が平和で人々が穏やかに過ごす事が出来る時代になる事を願っています。

2019/03/02

本の世界

先日、いつものBook Offへ行って夫婦で何時間も居座り、本好きの妻もすっかりご満悦で二人で合わせて15冊近く買い込んでレジに持っていったら店員さんが何やら目を見開いてビックリしていました。

 どうも手元に本の在庫が少なくなってくると活字中毒の身としては段々、ソワソワしてきていけないのです。併せて今回は知人から面白い新刊本の話を聞いていたので「モシヤ?」と思い店内を探しましたが流石にそれは無くて、仕方なく近くの書店に行ったのですがそこでも無く、内容がちょっとノンフィクション物で特殊なので諦めてそれはネットで購入する事にしました。

 昔から読書記録を付けているのですがPC内に保管していたのが一回、データが飛んでしまい分からなくなってそれから又、新たに付け始めた本のデータがもうすぐ900冊になろうとしています。

 中には記録しようとすると過去に同じ本を読んでいたりして「ありゃ!」なんて事もあり自分の頭の読書記録もいい加減なものだと呆れます。一度読んだ事がある本なら途中で気が付きそうなものですが全然ですもんね。イヤハヤです。

 それでも本に夢中になっていると読んでいる期間中はその物語の中に入り込んでしまいますので、深刻な内容のノンフィクション物ならちょっとその期間は心が辛くなりますし、痛快!勧善懲悪ものなら心が軽くなりますし、長編サスペンス物ならドキドキして成り行きを早く知りたくなってきます。

 私は映画も好きなので最近は本の原作を映画化したものが上映される機会が多くなってきましたが、自分が原作を読んだ時に頭の中で想像した世界に近い場合もあるしそうでない場合もあります。

 それは演出だったり俳優さんから受けるイメージだったりするので良く言う原作を先に読むか後で読むかによっても違ってくるかも知れませんね。私はどちらかというと先に読む派です。

 先日、文庫本を電車の中で読むのに都合の良いブックカバーが欲しくて近所の本屋にいって気に入った織物風のブックカバーを買ってきて今はそれを文庫本につけて読んでいますが又、それも雰囲気が変わって良いものです。

 最近は電車の中で本を読む人も少なくなって殆どの人はスマホの画面を見つめていますね。時代の変化を感じます。

2019/01/27

同じ地球に棲む仲間達

私達はログハウス建築という森の樹々の恵みを頂いてそれを家に造り替える仕事をさせて貰っています。もう30年近くこの仕事をさせて頂いて今、改めてそのモノつくりの仕事について感謝するようになっています。

 もう昔ほど多くのログハウスを建築する事はなくなりましたが未だに依頼が尽きる事は無く、その魅力を感じて下さる人から貴重な依頼を受けてログハウスに限らず木の建築に携わらせて頂いています。

 今更ながら人々は木に魅力を感じ、その恩恵を受けて暮らしていく事を望んでいる方が多い様に感じています。それはITが発達し情報が溢れる社会になった今でも続いています。いや、むしろそういう生活環境だからこそ昔ながらの無垢の木に囲まれた生活を望む人が増えている様な気がします。

 最近、久し振りに東京の大きな本屋さんで面白い森に関わる本を見つけて読んでいます。その本を読んでいると今更ながら自然の森に立つ樹々の驚くべきその能力と不思議な力に驚かされます。

 一つのエピソードを紹介すると皆さん、森の中に入った時に木の切り株を見る事があると思いますが時々、伐採された木の切り株が腐りもせずに生きている姿を見た事がありませんか?切り倒された木は勿論、葉もないわけですから光合成を行う事も出来ないので当然腐っていくものと思われますが何故か生きている切株が存在します。

 何故、腐らないのか?死なないのか?それは地中に伸びた根が近くの仲間の樹々の根と繋がって栄養分を分けて貰っているからなんです。そう!森の樹々はそれぞれ1本ずつ勝手に生きている訳ではなく連携して助け合って生きているのです。時にはコミュニケーションをとる事も出来るのです!

 私達が使わせて貰っているログハウスの原木となる杉の木は冬の月が欠けていく時に伐採し山で葉が枯れるまで乾燥させた「葉枯らし乾燥」という戦前から用いられていた伐採方法を用いた貴重な原木です。

 それはどんなに科学が発達し情報を大量に得られる事が出来る様になったとしても変わる事のない自然の営みを利用させて貰って得る事が出来る貴重なモノ造りの智恵です。

 その貴重な智恵はまだ人間が自然と平等に対話する事が出来て様々な事を自然から教えて貰う事が出来た頃から延々と語り継がれてきた貴重な智恵です。

 森の樹々のライフサイクルは人間のライフサイクルよりはるかに長く100年、200年という時間は木々にとってはあっという間の出来事です。稀に1000年の樹齢と測定された木が樹高10mにも満たないなんて事も知られています。

 現代の山の木は殆どが植林された人工林でそのライフサイクルは樹木を資源として利用するために70~80年で更新されていってしまいますが自然の森の木はそれよりもはるかに長いライフサイクルを過ごしています。

 つまり人間が本来の木の環境を変えてしまっている事になります。そして新たに植林され密植されてさらに間伐を繰り返していく人間の管理する森林は本来、先述の森のコミュニテイとなる助け合いや対話という能力を持っていないそうです。

 私はそれを否定するつもりはありませんが同じ地球に棲む生き物として彼等との正しい関係を保つという意味でももっと自然の営みに耳を傾ける必要があると思います。

2019/01/05

2019年明けましておめでとうございます。

 2019年が明けました!

 今年は平成最後の年となり5月から新しい元号が始まる事になっています。

 思えば私が八ヶ岳に移住を決意し、新しい移住の地を見せに初めて家族を連れて中央道を長坂ICに向けて走っている途中でラジオから「只今から昭和天皇逝去に伴い全ての通常放送を中止し哀悼番組に切り替えます」とのアナウンサーの声が流れて来た事を昨日の事の様に覚えています。

 私の八ヶ岳での生活は正に「平成」という時代と共に始まり「平成」という時代と共に過ごして来ました。「平成」という時代の終わりと共に私も暮らしの拠点を八ヶ岳から少し離れた地に移し、そこから八ヶ岳に通う暮らしを始めました。今年は新しい元号の始まりと共に私も新しい暮らし方を楽しもうと思っています。

 しかしログハウスの世界は元号が変わってもその原点が変わる事は無く、いつまでもその「住まい」としての原点を追い求めていこうと思います。

 IT技術が進歩し時空の距離が縮まり仮想世界と現実世界の境が曖昧になってきている現代だからこそ変わる事のない自然の営みを大切にし、その価値観を世に問い続けていかなければと思います。

 環境の変化や技術の進歩に伴い変わるべきものは積極的に取り入れ、伝統的な技術等、変えてはいけないものは頑固に守りとおしていきたいと思います。どうぞ今年も宜しくお願い致します。

2018/12/29

2018年の終わりに

 もう少しで2018年も終わろうとしています。今年は私にとっても大きな変化の年となりました。

 長い間、患っていた両足の静脈瘤が悪化したので思い切って手術する事に決めて、自分で病院を探し良い先生にも恵まれて無事に手術を終えました。

 又、長年住み慣れた八ヶ岳の森の中の生活に一区切りをつけて森を出て少し離れたところから大好きな八ヶ岳を見る生活を始めました。それはこれからの自分の新しい暮らし方の選択でもありました。

 そして私がこれまで暮らしていた八ヶ岳の森は今年、大型台風24号の被害を受けて私が暮らしていた家の前の道は大雨による土砂でアスファルトが流されて今でも復旧される事なく不通になったままです。それまで30年間暮らしていた間にそんな被害にあった事は無く本当にその被害の大きさに驚きました。一刻も早い復旧を祈っています。

 そしてもう一つ今年、森の中の我が家のログハウスはある映画の舞台ともなりました。2019年公開予定のこの映画についてはまだ詳細が発表されていないので詳しい事は又、はっきりしてからご報告しますが、いま話題の若い俳優さんやスタッフが取り組んだこの映画のワンシーンに我が家が選ばれた事にも驚きと感慨深い思いがしました。

 今年を振り返って思うことは余り身近な細かい事に捕われることなく、落ち着いて大きな大切なものを見失わない様にするのがどんなに大切かという事です。

 現代は情報やモノが溢れ、ともすれば大切なものを見失いがちです。一方的な情報におどらされず自分なりの感性や価値感を大切にしないと自分を見失ってしまいます。

 特にモノづくりの場においては簡単で楽な道はなく、繰り返し地道で大切な同じ事を同じ手順で確実に進める事がどんなに大変で大切かという事を改めて感じました。

 どこかの国の元首が地球温暖化は嘘だと言いましたが私は確実に進んでいると思います。大切なのをそれが嘘か本当かという事ではなく確実に毎年大きくなってきている自然災害に対して自分たちで出来る備えをしなくてはならないという事だと思います。又、これ以上、自然災害の被害が大きくならない様に自分たちで出来る事を今、始めるという事だと思います。

 私はこれからの人生を出来るだけシンプルに暮らして行こうと思っています。そしてどんな小さな夢でも良いので常に何か楽しい夢や希望を持ってそれをひとつづつ実現して楽しんで行きたいと思います。

 もうすぐ新しい年、2019年が始まります。2019年が皆様にとって希望に満ちた楽しい年になりますよう心よりお祈りしています。どうぞ、良いお年をお迎えください。今年も一年、「森の囁き」を読んで下さってありがとうございました!

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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