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2011年9月

2011/09/27

ハイテクは人を幸せにしたか?

 先日、スマートフォンを初めて購入した。その翌日にauからアイフォンの発売が発表された。子供達からは「何でこんな時期に買うのさ?」と呆れられた。そんな事はちっとも知らなかったし知っていても多分、購入しただろうと思う。

 だって、キットauからアイフォンが発売されれば又、対抗して新しい機能を持った携帯が発売され、そして又、その上をいく機能を持った携帯が開発されていく・・・でキリがないと思うからです。で、女房からは「又、父さんのオモチャが増えたね」とため息をつかれた。で、自分でも何でアイフォンなのか良く分らないのだけど普段余り使わない家族用携帯電話なのでそれなら出張とかに出掛けた時に便利だからと思い多機能のアイフォンに代えたという訳の分らない理由なんですけどね。

 で、使ってみてどうかというと未だ、全然使いこなせていなくて便利になったのか不便になったのか全く分かりません。何だかWi-fi接続だのパケット通信だの訳の分からん(笑)機能が一杯ついててちっとも良さが解からないのです。

 何だか余り一杯通信機能を使うと多額の通信料がかかるらしく要注意なのであります。兎に角訳の分からんボタンを押してはナラヌという気配が漂っているのであります。元々、携帯は電話なのだから電話が掛けられればよいではないか・・・という考えだったので多機能が何故必要なのか分らないのであります。

 じゃあ、何でスマートフォン何か買ったんだよと言われると、何だか世の中ドンドン進んで行って置いていかれるのや嫌だなとちょっと思ってしまって(笑)それに何だか昔、鉄腕アトムを見て育った世代としては何だかあの頃は夢だった時計型の通信メカみたいで夢がありそうに思い、こりゃ何だか分らないけど時代の流れに兎に角、ついて行かなくては・・・と思った次第なのであります。

 しかし、今年は地上デジタルTV放送への全面移行を始め色々なハイテク機能への変換が行われていてメデイアも世の中ドンドン便利になると報道しているけど、私は逆にドンドン不便になっているようにも思えて仕方ないのです。

 例えばデジタル放送が始まるまでは我が家は関東地方で放送される全てのTVを見る事が出来たのにデジタル放送に切り替わった途端に民放2局しか映らなくなった。

 オマケに雨風がきつくなり木立が揺れると途端に画面が映らなくなり肝心の災害予想等の大切な情報が入らなくなるのです。

 それでも未だ民放の方は何とか映るのに視聴料を払っているNHKだけが何故か映らないという腹立たしい状況になるのです。これならデジタル放送になんかならない方がよっぽど良かったと心底思えてなりません。

 一体何の為にデジタル放送は始まったのでしょう?そもそも私が住んでいる森の中のような難視聴地域に対してはデジサポによるサポート体制が取られていて衛星放送からの受信が出来る事になっている。

 だけど中々このデジサポは難視聴地域であると認めたがらないみたいで我が家も「映るはずです」と言われ「じゃあ、悪天候の時に来て見て下さいよ」というのだが「中々そうは旨く行かなくて・・・」と相手にして貰えない。それなら何の為にサポートセンターがあるのかと言いたくなりますよね。

 それと不思議なのは衛星から電波が出てるのなら日本国中、同じ放送が見れるんじゃないの?と思うけど何故か山梨県は山梨県でしか見られない放送のみの妨害電波の解除になっているようで、全く不思議なのです。

 いっそのこと衛星放送にして全国で同じ番組が観れる様にすれば良いのにと思えて仕方有りません。

 スマートフォンも多機能になったのは良いけど何故かメールは今までのメールアドレスが使えずにPCと同じメール機能に限定されて不便で仕方ない。昨日、やっと新しい対応型のソフトをダウンロードして使えるようにした(したみたい?)けどこれも通信手段の変更によるものだろうけど私には良く分かりません。

 一体、ハイテクはローテクより人間を幸せにするのだろうか?ローテクは捨てずに取っておいた方が良いのではないのかな?正にローテクは死なず・・・結局は人間の感性が一番優れているのではないかな。余りハイテクに頼ると今に感性なくしちゃうかもね。

2011/09/17

自分って何者

 最近、色々な面白い人にあったり興味深い本と出合ったりして思う事があります。それは自分って何者?って事です。

 皆さん「自分って何者?」って聞かれてすぐ答えられますか?私はきっと答えに詰まってしまうと思います。僅か50数年(笑)しか生きていないので未だに自分が何者か分かりません。

 きっと死ぬまで分からないのだと思います。でも人生の多分、折り返し点を過ぎて何となく分かってきたのは「自分って自分にしか分からない唯一の存在なんだ」という事です。

 な~に言ってんのと自分でも思いますが、「具体的に言ってくれよ意味分かんないよ」と言われそうなので今のところ自分で分かっている事は「自分は自分、人と比較しても何の意味もない」という事です。

 自慢じゃないけど小さい頃からガキ大将で学校の先生からも呆れられ、小学生の頃は学校に行くというより学校の廊下で立たされに行くような毎日でしたし、一念発起して私立中学校・高校一貫校の進学校を受験して合格し「俺って意外と頭いいじゃん(笑)」と思ったのも、つかの間、中学校にいくと進学校だけに自分より格段に頭の良い生徒ばかりが集まっていて人生初の挫折感にさいなまれ、お決まりの落ちこぼれコースに突入し赤点補習の毎日・・・

 それでも何とか○○大学と名前の付く学校に滑り込み当時のバブル景気に助けられて大企業就職も果たし、これで人生何とか先が見えてきたかと思い、当時付き合っていた今の女房とも結婚し子供にも恵まれこれで俺も落ち着くか・・・と思いきや(笑)突然、アウトドアに目覚めてしまい更に大企業の安定感に自分の未来を託す気になれなくなり、おまけに体にも変調をきたして通勤電車にも乗れなくなりこれで自分の人生終わりかな・・・と思っているうちに東京大都会に暮らす事に疑問を感じ女房と子供3人つれて八ヶ岳に家族で移住を決心、親に「会社辞めたから」と打ち明けたとたんに口をきいてくれないほど落ち込まれ親不幸を詫びてるうちに親は認知症を患いどうやら親不孝は記憶の彼方に飛んでいき・・・現在に至っております。

 はあ~これだけ話すのにも結構時間がかかる訳です。何が言いたいかと言うとつまりこれが自分なんです。もっと他の人生を送れたかもしれないし、確かにいくつかの岐路の選択を余儀なくされた時にエイヤ!と右か左を決断してきてそれが良かったか悪かったか今でも分からないけどそれはきっと一生分からないと思う。

 又、それを考えてみても何も得るものは無いという事に今頃気が付いたという訳です。自分はハッキリ言って優柔不断だし、いい加減だし、頭悪いし、どうしようも無いけど先ず、その自分を認めてあげないと先に進めないのです。

 他人とは必ず何かが違う自分、きっと何か良いところがあるはず(笑)悪いところも一杯あるけどきっと他の人だって完璧なんて人はいないんだから似たようなところがあるはず、だから悪い所は悪いと認めて少しでも直していく努力をすれば良いんじゃないと自分に言い聞かせ何とか自分を奮い立たせておりますハイ(笑)

 一番いけないのは自分を否定する事、自分を認めてあげないと先に進めないじゃないですか。どんな人にもその人にしか分からない欠点や長所が必ずあります。自分の価値観だけで人を判断してはいけないですよね。これは自分にも言い聞かせています。人を批判ばかりする人に限って同じ事を自分もしてるんですよね。

 自分は自分、他の誰でも無い。どんな宗教を信じようがどんな地位にあろうが、どんなにお金持ちであろうと、どんなに貧乏であろうと自分は自分、かけがいの無い存在なのです。

 SMAPが中国大陸で大勢のファンに囲まれて「世界に一つだけの花」を熱唱しました。国の外交努力でさえ成し遂げられない日中友好をSMAPの歌が成し遂げました。SMAPに代わるSMAPは居ないようです。

 世界にひとりだけしかいない自分をあまり邪険にしないで付き合っていこうと思うこの頃です。

2011/09/11

記憶力

 自慢じゃないですが小さい時から記憶力は抜群に悪かった(笑)子供の頃はだから勉強も苦手で特に歴史の問題とか花の名前とかちっとも覚えられなかった。

 覚えられないから尚、勉強しないの悪循環でした。流石に小学校高学年になりこれでは幾ら何でもまずかろうと言うことで兎に角、頭に詰め込んで覚えることにして何とか受験という関門は乗り切ったもののそれで本来の脳の働きが変わる訳でもないのでその後の努力のなさも加速して物覚えはいたって悪いほうです。

 あの頃は兎に角、物覚えが悪いのでとにかく繰り返し手で書いて覚えろと教わり漢字や歴史もすべて手で覚える事に集中していました。

 しかし、今、一番困っているのは漢字が出て来ないと言うことです。それはワープロから始まってパソコンで文字を書く事が圧倒的に増えて漢字そのものを書かなくなったからではないかと思っています。

 文字を表現するのにキーボードでローマ字変換で打っているので漢字そのものを描かなくなったからです。手で覚えるというのは科学的には効果があるのかどうか分かりませんが例えばピアノを弾くのに確かに一度覚えた曲は暫く弾かなくてもひきはじめると手が覚えている何て事は確かにありました(勿論、昔のことですが)

 そういえば歴史を覚える訓練で歴史の年表を体や指の先の部位に置き換えて覚える何て事を書いてある本も確かあったように思います。

 他にも自分が本当に覚えるのが苦手だと確信したのは学生時代にゴルフ場のレストランでバイトをしていた時に、お客さんのオーダーが覚えられないのです。

 今ではハンデイコンピューターとかでオーダーを打ち込めば良いので多少、物覚えが悪くても大丈夫でしょうが当時はそんなもの無かったので注文された事を伝票に書いて厨房に入れなくてはならないのですが時々、注文の料理をテーブルに運んでいる最中に「ちょっと~ビール追加ね~」何て通りがかりに声を掛けられる事が多くて、そうなるともうパニックです(笑)さあ、兎に角「は~い」何て返事をしたものの、料理を注文されたテーブルに運んで厨房にもどるとサア大変!どこのテーブルの客だったか混乱し、あの頃はバブルの最盛期でゴルフ場のレストランはいつも忙しくて厨房も殺気だっていて訳がわからず泣きたくなりそうでした。

 社会に出て段々年齢を重ねて益々記憶力が怪しくなりましたが以前、東京でサラリーマンをしている頃に当時お世話になったとても怖かった直属の上司がいたのですが、朝、出社して何気なくその上司の机の上をみると小さなメモが置いてあり手書きでそに日のやるべき仕事内容が箇条書でメモしてありました。

 その上司はさる大手のゼネコンから出向で来ておられるとても優秀な技術者でいつも論理的に仕事をされる方で私もとても尊敬していました。

 その上司が小さなメモ用紙にそんな事を書き留めているのがとても印象に残っていて私は今でもその真似をして自分の机の上に小さなメモを置いてやるべきことを書き留めています。

 別に、パソコンに入力しておいてもよいのですが何だか手書きでメモしておく方が自分には馴染み易いのです。そうして終わったら線で消していくのです。忙しい時はその項目が中々減らなくて嫌な感じですけどね。

 今、母が認知症になり中々会話が続かず、いつも同じ話題の繰り返しになってしまいます。

 認知症と診断された当初は自分自身も戸惑い「しっかりしてよ、さっきもその話したよ」何て言っていましたが徐々に病状が進行していくに従いこれは病気なんだと改めて考えさせられて今では同じ話題を繰り返す母に「そう、大丈夫だよ」と延々と同じ答えを返すようになりました。

 親子だから何れ自分もそうなるのかも知れません。しかし、人間の脳というのは本当に神秘的な力を持っているものだと思います。

 今、とても心の平衡を保つのが難しい世の中だと思います。物忘れがひどくてもそこは心を広~くもって「さっきも言いましたよね」何て言わずに、いいじゃないですか何度も同じ事言ったって・・・。私はわざと同じ事を確認の為にいう事があります。イイじゃないですか同じ事何度も言ったって。えっ?これで2回目?いいじゃないですか(笑)

2011/09/03

人のもつ不思議な能力

 私の住んでいる山の中はいつも大体静かで何も人工的な物音もしないし東側の窓からは一切人工的なものは見えません。

 だからでは無いけど時々不思議な出来事が起こります。ある晩、家のすぐ傍で鹿がやたら泣き喚く。普段ならはぐれた小鹿を呼んだり危険な状況を知らせる為に短く「キュン!」と鳴いて終わるのですがその晩はやたら長く鳴き続ける。何かに足でも挟まれて身動き出来なくなったかと思って懐中電灯を持って外に出てみるけど姿が見えない。だけど暫く鳴き続け、30分程して漸く鳴き声は森の奥深くに消えて行った。あれは何だったんだろう?

 そうかと思えばやはりある晩ロックしてあるはずの玄関が開けられバタンと締まる音がした。女房と顔を見合わせ「あれっ?何だ連絡もせずに帰ってきたのか」とちょうどお盆の頃だったのでてっきり東京に行っている子供が連絡もせずに帰ってきたものと思い玄関に見にいったら何事もなくドアは閉まっており鍵もちゃんと掛かってる。「あれっ?閉まってんじゃん」「じゃ、あの音は何?」何て事が実はこのところ頻繁に起こっている。

 我が家ではそれでも余りそれを気にしないのがおかしいといえば可笑しい。いつも「お父さん、又変なの連れてきたでしょう(笑)」で済んでしまう。神に誓って私は新興宗教の信者でもないし霊感が強い方でもないのでそんな事に関わることは決してないのです。それでも我が家の中や外では何だか理解出来ない不思議な事が時々起るのです。

 これが都会のマンションとかに住んでるとその物音の原因を突き止めないと何だか落ちつくなるような気がしますが深い森の中にすんでると「又か・・・」で済んでしまうので恐ろしいことです。

 我が家の土地を買って漸く家を建てたばかりの時にも近所の方に挨拶に行ったら「あそこは色々出るからね。見た?」と言われ「えっ?何か出るんですか?」と聞くと「あの小川に沿ってね・・・」と恐ろしい話を聞き「また~やめて下さいよ~」と文句を言うと「知らないの?あそこは昔の合戦の舞台になったところでね・・・」と歴史の話をされて「へ~私には何も見えないですけどね~」「そりゃ、見えない人には見えないさ」と簡単にあしらわれました。

 あんまり言うとオカルトチックになるのでもうやめますがしかし、そういう目に見えないものや感じられない事や科学的でない事は「だから嘘だ」という事にはならないと思います。

 こんな事もありました。ある日、友人が近くに土地を買ってやはり私の知人がそういう事を透視出来るのでその知人のところに相談に行きました。

 「○○さん、近くに土地を買って家を建てようと思うんだけどその土地が良いかどうか見て貰えないかな~」「うん、そんなに悪くないけど東南の角にある大きな石がちょっと良くないね~」「えっ!何で知ってんの?」勿論、その○○さんはその土地を一度も見た事はありません。

 別の知人は真面目に八ヶ岳におけるUFO襲来について毎年会合を開いておりこれが大変な人気になっています。見える人には見えるのですね。

 今回の東日本大震災では離島の鳥が一斉に当日の朝、飛んでいなくなったという話が伝わっています。動物のように普段から自然の中で暮らしているものは自然現象の変化を敏感に感じ取ると言われています。

 私は人間にも、もともと同じような能力が備わっていたと思います。しかし、人間が文明を進化させ森を出て都会に住むようになり次第にこのような能力を失っていったのではないでしょうか。人間がこの能力を無くしていく事はダーウインの言う進化論に繋がるのかも知れませんが、それが人間を幸せにするのなら良いのですが不幸にするのならこんな悲しい事はありません。

 皆さん、六感を大事にしてもっと自然の声に耳を澄ましましょうね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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