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2011年8月

2011/08/27

震災からまもなく6カ月・・・

 東日本大震災からまもなく6カ月になろうとしています。、復興にはまだまだ気の遠くなるような手間と時間がかかる様に思われます。

 そんな中、政府は早くも次の総理大臣の椅子をめぐって政権闘争の様相を呈しています。果たして民衆の思いと彼ら政治家の価値観とはお互いに理解出来る時が来るのかと疑いを持ってしまいます。

 未曽有の災害に見舞われ、この国の未来がどうなるのだろうかと誰しも心配している時にまだ、経済成長だの災害復興だの挙党一致だのと耳触りのよい言葉だけを発する政治家に一体、何を期待しろというのでしょうか。

 被災地では未だに避難所で暮らさなければならない数万人の人々がいます。我々が望むのは何よりもそういう被害に合われた方達が一日でも早く元の普通の生活に戻れるようになって欲しいという事ではないでしょうか?

 大地震とそれに伴う巨大津波という自然災害だけでも未曽有の災害なのに今回はそれに加えて原子力発電所の事故という日本が初めて経験する人災までもが被災地を苦しめています。

 これらの災害が回復する為には長い歳月がかかるのではと思いますが、誰しもそう思いながら口に出して言うのが憚られる状況だと思います。

 被災地の事を思い、我々がなけなしの思いで寄付したお金はどこに行ったのでしょう?どうして一番困っている被災地の方達に真っ先に行きわたらないのでしょう?我々の思いはどうなってしまうのでしょうか。

 私は思います。今の世の中は複雑になりすぎています。何かが起こるたびに詳細で複雑な専門用語に埋め尽くされた法律が新たに制定され、その法律に縛られてしか行政は機能せず、上部機関からの命令を待つ事しか出来ない状況になっているのではないでしょうか?

 目の前に困っている人がいる。しかも今は未曽有の災害に見舞われた緊急的な状況で明日にでも命に関わる事もあるかも知れない。だけど、法律や条例にしばられて最前線の人達は動けない。

 放射線による基準値が示されないから除染に動こうにも動けない。片や行政トップの機構である国会も衆参で与野党が逆転して迅速な判断が出来ずにっちもさっちもいかない状況です。

 じゃあ、どうすんだよ?という話ですが、こんな時こそ災害の最前線にいる人達が動きやすい環境を整えバックアップしてあげるのが今の政治に出来ることではないでしょうか?放射線についても安全と思われる基準値が示せないのであれば被災地に限定して人々が安心出来る方法を各自が特例で判断出来る様にしてあげて必要な資金と資材を提供する事が必要ではないでしょうか?

 安全なところに身を置き空虚な政治論争に時間を費やしている場合ではないのではないでしょうか?与党でもなく野党でもなく今の政治家は日本という国を救う為に何が出来るかを考えるべきです。個人的には党の代表選挙なんかやってる場合じゃないと私は思います。

 法律は守らなくてはなりません、条例も守らなくてはなりません。でも私がいつも思うのは大事なのはその法律や条例の趣旨が何なのかという事です。

 どうもいつも法律や条例はその言葉の解釈だけが独り歩きしてしまい、こまかな解釈や法律をさらに具体的にする為の条項や細則が造られ、いつのまにかその法律が目指す本質が忘れ去られて運用方法だけが独り歩きしてしまう様に思います。

 本来、日本国民は最低限必要な文化的な暮らしを保証されているはずです。それが日本国憲法の大前提だったはずです。

 今、被災地の方達は最低限必要な文化的な暮らしを保証されていいるでしょうか?避難所で段ボールで囲まれた床の上に寝て、それが世界的な経済大国になった日本の国民に保証された最低限の文化的生活でしょうか。

 仮設住宅に入っても仕事もなくし収入もなくした人にどうやって暮らせというのでしょう。「自活生活の準備をして貰う」と行政の方達はいうけどどうやって自活しろというのでしょう。仮設住宅の暮らしに絶望し食事が最低限、保証される避難所の生活に戻ろうとすると今度は行政側の手続きの壁がそれを阻み、一旦、避難所を出ると戻れないという話しを聞きました。

 もし、そういう法律が本当にあるというのならその法律は何の為に作られたのしょう?法律は弱者を守る為にあるのだと私は思っていましたが違うのでしょうか?

震災から間もなく6ヶ月、グタグタとこんな事を考え続けています。

2011/08/21

肥った

 10代の頃の体重と比較して今は20kg程体重が増えてしまった。ついこの間、ネットで久し振りに中学校時代の仲間とやりとりする機会があり「お前誰?(笑)」何て話をお互いにしました。

 そりゃあの頃は今と違い一日5食、しかもお茶碗はドンブリだった。それでも食べても食べてもお腹が空いて絶対肥れなかった。

 それが今は見る影も無い(笑)だから、昔の同級生なんかに会うとお互いに「お前誰?」となるのも間違いないのである。

 それでも同級生の中でも昔とちっとも変わらない奴もいて羨ましいなと思うときもあります。まあ、それでもここ八ヶ岳に来てからは毎日ネクタイ締めて満員電車に揺られて通勤なんて自分にとって地獄のような環境からお蔭様で落ちこぼれて(笑)ジーパンにTシャツで楽しくやらさせて頂いてるので比較的、年齢の割には老けずに生きられてるかなとは思っています。

 しかし、年齢とともに筋肉の衰えは否めず体重も中々思うように下がってくれない。

 以前、TVの健康番組でその仕組みを解説しているのをみたけど年齢の衰えと共に脳が実際はお腹が満腹状態なのにまだ物足りないという誤った指令を送る為に食べ過ぎに繋がるという話を聞き、「ふ~んそうなんだ」と変に感心してしまいました。

 自分ではこれは禁煙よりも難しいかなと実は思っています。それというのも単に食事の工夫だけではなく私の場合は圧倒的に運動不足が原因を作っているからです。

 八ヶ岳に来てからどこに行くにも移動手段はクルマしか無いのでどうしても走ったり長い距離を歩いたりという機会が少ないからなんです。

 こんな環境の良い所に住んでいながら運動不足なんて全くナンセンスな話ですがよっぽど東京に居る方が駅までの結構な距離を歩くし駅の階段を上り下りするしでこちらに住むよりはよっぽど歩いていました。

 これは意外な盲点だったなと今では思っています。いまだに現役なので中々こちらで運動する時間をとるのが難しいのですがいい加減、何とかしないと後々の健康が心配なので仕事の量を減らしてでも運動の時間をとらなきゃまずいかなと思っています。

 えっ?もっと必死で働けば痩せる?う~ん、そりゃそうかも知れないけど根っからののんびり屋で基本的に「遊ぶために働く」をもっとうとしておりますので(笑)なかなかね、だから痩せないのか・・・

2011/08/14

不思議な体験「クラニオ・セイクラルワーク」

 このところ高知の義父と実母が相次いで体調を崩し、隔週で高知に帰らねばならず電車での長時間の往復が重なり体調が絶不調でした。

 元々、年に数回はパッタリと倒れてしまうというか、横になってれば勝手に治ってくれるので大した事はないのですが、東京に住んでる時に今で言う「パニック症候群」というような症状になってしまった事があり、電車に乗っているときに呼吸が出来なくなったり吐き気に襲われたりして、辛かったのです。

 八ヶ岳に来てからは症状も緩和されていたのですが、それでも疲れがたまってくると年に何回かはパタっと倒れていました。

 今回も入院した母の様子を見に高知の病院に行っている間に気分が悪くなり女房から「一緒に入院させて貰う?」何て言われ、「バカ言うな!」とやっとの思いで冷たい水を買ってきて貰って何とか高知から山梨に帰ってきたような状態でした。

 そんな状態がここ数ヶ月続いていて、たまらず知り合いの指圧師に治療を受けたりしていたのですがどうにも改善せず、「マア、しょうがないか。こんな状況じゃ良くなるわけないか・・・」と思っていたのです。

 しかし、余りにも体調が改善しないので思い切って以前、仕事の関係で知り合った方が私にとってとても興味深い治療をされているのを知り、いつかは治療を受けてみたいと思っていたので思い切ってお願いする事にしました。

 その治療方法は「クラニオ・セイクラルワーク」と言うとても言いにくい(笑)名前の治療方法なのです。「クラニオ」は頭蓋骨、「セイクラル」は仙骨のことだそうです。つまり頭から背骨、仙骨にかけての人間にとってとても重要な部分を担っているところなのです。

 そこに流れる骨髄液の流れを人間本来の治癒力を回復させることにより健康な状態に戻し体のバランスを回復させる治療方法だと私は勝手に理解しています。

 元々、私の病気もストレス等により首の後の部分が萎縮して緊張しそれが神経等を圧迫することにより体の平衡感覚を阻害したりして立っていられなくなるようなのです。ただ問題はどうしてそうなるかが分らない事なんです。

 もう20年来抱えてきた病気だし、大人しく横になってれば治るので余り気にはしてなかったのですが、このクラニオ・セイクラルワークの話を聞いたときに何となくこの理論は私が抱えている問題の解決に繋がるように気がして何時かチャンスがあったら治療を受けようかなと思っていたのです。

 電話で予約して自宅に伺い、先に仕事の話をすませてから治療を受ける事になりました。治療といってもこのクラニオ・セイクラルワークは別に病院の様に注射をしたり、指圧の様にどこかの筋肉を押したりするような事は有りません。

 静かな部屋の中でリラックスした状態で頭から腰、足にかけて軽く触れる事で骨髄液の流れや骨の状態を先生が把握してどこが滞っていてその骨髄液がどこにいこうとしているのか、骨がどっちに曲がろうとしているのかを感じて、その人の体が欲するように手助けをしてあげるだけという治療方法なのです。

 実際に私も治療を受けてみて1時間程の時間なのですが深いリラックス状態になり治療が終わってもベッドから起き上がれなくなり仕方なく先生にお願いして10分程、そのまま横になっていました。

 今まで感じた事の無いような深い安心感なのです。それまであった頭から首、背中にかけての違和感は不思議な事に全く無くなり「あれっ?」てな感じなのです。

 何となく予想はしていたものの、この気持ち良さは何なのでしょう?まだ、初めての治療をうけたばかりなので良く分らないのですがこれは私の様な問題を抱えている人にはとても良いかも知れません。

 う~ん、世の中にはまだまだ分らない不思議な事が一杯あって八ヶ岳にはなんでこんなに不思議で魅力的な人間が集まってくるのだろうと深く感じた一日でありました。

2011/08/01

用事の無い休みの一日

 自宅玄関4

 久しぶりに何の用事もないゆっくり出来る休みの一日。まず、朝は9時頃までゆっくりしようとしたらいつもの通り、猫が朝の6時前から「起きて、起きて」と騒ぎだし寝室のドアをガリガリと引っ掻き始めます。

 そしていつも通りこれを「煩いな~」と無視しているとそのうちに猫達は「チェッ」と言う感じで諦めてドアの前でうずくまりドアが開くのをひたすら待つ事になります。いつもならこのガリガリ攻撃の直ぐ後に目覚まし時計が鳴りだすので猫達にとっては「何で起きないんだよ!」という感じだと思うのですが、今朝はゆっくりすると決めたので起きないのです。

 それでもさすがに9時頃になるともう寝てられないので起きて、いつもの様に女房と二人で朝食の支度をします。我が家は二人とも朝はトーストとコーヒーという食事なので私がトーストを焼いている間に女房はコーヒーを入れそして何より朝一番の我が家の「掟」は水をコップ一杯先ず飲む事です。その後、野菜ジュースとコーヒーを飲むのです。その方が健康に良いと言われ、ずっと続いている我が家の掟です。

 そして、その後、私は例によって森の出口の共同新聞受けに我が家の分の新聞を取りに行きます。

 その後、朝の涼しいうちにと外の作業をする事にしました。先ずはずっと休みに用事が続いて出来なかった穴掘りをする事にしました。何の穴かというと猫達の下の始末の為です。庭に深い穴を掘って埋めるのです。うっかり掘る所を間違えると以前掘った跡がまだ土に戻らずに出てくるので要注意なのです。

 それから、やはりず~と出来る時に少しずつこなしている薪割りをする事にしました。薪小屋の脇に積んである一定の長さに玉切りしておいた薪の原木を地元で「ヨキ」と呼んでる斧で順番に割っていきます。

 先ず、薪割り台を用意してその上で安定して薪割り出来る様に設置場所を決めます。そうしたら後は兎に角割っていくだけです。この薪割りは自分でも好きでやる作業のひとつでこの科学全盛の文明社会で自分の力で冬の暖房の為に木を伐って薪を造るというのはある意味とても贅沢な作業だと自分では思っているのです。

 それでも、疲れるのは勿論疲れるのでそれなりにシンドイのですが気持ちの上ではひたすら割るだけでよいので健康と精神の安定にはとても良い作業なのです。

 そうこうしている内に女房が家の中の用事をすませて庭に出てきました。ここ数年で我が家の庭は見違える様に綺麗になりました。森の中の突き当たりに住んでいるので我が家は日当たりが悪く、花好きの女房にはず~と文句を言われているのですがこればっかりは私ではどうにもならないので仕方ないのですが、何とかかんとかして女房が綺麗な小さな庭を造ってくれました。これはとても感謝しています。

 何せ花の名前ひとつも知らない私ですので庭に関しては一方的に女房が解説するのをフンフンと聞き流すといういつものやりとりで私は全く庭に関しては無能なのです。

 そうこうしている内に昼時となり、昼からは甲府に新しく出来た映画館に見たい映画があったので二人で行って来ました。何が嬉しいって最近の映画館は色々と割引制度があり我々は夫婦二人で100歳以上割引きという何だか嬉しいような複雑なような(笑)それでも安くなる分には全く問題ないのでいつもこの割引制度を生かして楽しんでいます。

 何の用事も無い休みの一日はこうして終わってしまいます。平凡な一日ですがとても幸せな一日でした。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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