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2011年5月

2011/05/30

台風と空の旅

 いつもの数カ月に一度の故郷、高知への里帰りに行って来ました。今回は季節外れの台風がオマケに着いてきそうでちょっと心配な出発になりました。

 羽田への連絡バスの乗り場まで自分の車を走らせ駐車場に車を置いてからバスに乗り込み後は睡眠不足を解消、というのがいつものパターンなのですが今回は甲府で乗り込んできたお客さんの声に眠りを妨げられました。

 最初はお年寄りが運転手さんとなにやら喋っているのかと思いきや、どうも外人の方の様でどうも言葉が通じない。運転手さんが「何処まで行くの?」と聞いているのだが「???」どうも韓国か台湾の方の様でさっぱり言葉が通じない。運転手さんはとうとう諦めて「3000円ね・・」と諦めて国際線までの料金を受け取り件の女性はバスの中へ・・・私の斜め前の席に座り早速、靴を脱いで裸足になってバスのシートにチョコンとお座りになりました。

 騒ぎが収まったのでもう一度眠りに戻り一路、羽田空港へ・・・今回は台風が来ている事もあるのか道路も空いていていつもより随分早く空港に着いてゆっくりできました。

 出発ロビー近くのコーヒーショップで時間調整・・昔、空港で働いていた頃の馴染みの名前のコーヒーショップでしたがあの頃はちょっと高級店の雰囲気で売り出していたのですが何となくファーストフード店の様な雰囲気になっていてちょっとガッカリでした。

 飛行機の出発時間が来て出発ロビーに移動、手荷物検査場でパソコンと携帯電話等の金属製品を皿に乗せて検査場を通過して出発ロビーへ・・・このところ何故か高知行きはバスでの搭乗が多くてこの日も雨が降っているにも関わらず残念ながらバスでの搭乗になりました。

 出発時間がきて機内に乗り込み機上の人に・・・最近は機内サービスも省エネモードなので機内での飲み物ははフリードリンクのお茶かジュースに決めている。それ以外はすべて有料ですからね。高知行きの飛行機はそれでも満席で「へ~昨年は大河ドラマの影響で高知人気が続いたけど今でも満席なんだ」と変なところに感心していざ高知へ・・・台風の影響で多少、飛行機は揺れたけど無事、高知に着陸。

 空港でいつものレンタカーを借りて市内へ・・・早速バアチャンの様子を見に行き今回の目的のひとつでもあるバアチャンのテレビを地デジに買い替えに電気屋さんに行った。

 実は前回、勿体ないのでチューナーを買って取り付けたのだがバアチャンは必ず電源コンセントもアンテナ線も抜いてしまうのでその度に設定をし直さなくてはならない事に気が付いてチューナーは断念。

 今回は出来るだけ同じ形で出来るだけ操作が単純なテレビを買って、しかもバアチャンはコントローラー何て使えないのでテレビ本体にマジックでスイッチの位置に赤印を付けて更に付箋を貼って「バアチャン、ここを押すだけでテレビつくからね」と何回も教えたけれど果たしてどうなることやら・・・やれやれ。

 取り替えたテレビはレンタカーに付いているナビで近くの宅配業者を捜して集配所にテレビを持ち込み何とか梱包を手伝って貰って山梨の自宅に送り返す段取りを済ませ、一件落着。

 折角、高知に帰ったので親戚廻りも何とか済まそうと思ったけど生憎のの台風の大雨でゆっくりする暇も無く駆け足で親戚廻りとお墓参りをすませて翌日再び羽田へ逆戻り。

 羽田で山梨への連絡バスまで時間があるので早めの昼食を済ませお茶を飲んでいると何やら隣の飲食店のレジで中年男女4,5人の団体が店の人と揉めている。どうやら会計の事らしい。

 仲間の一人のオジサンがカンカンに店の人に怒っていて店の人も大声で「すみませんでした!」と謝っていて、くだんのオジサンは仲間のオバサンさん達に「そんなに怒るもんじゃないよ」と諭されているが「悪いのはあっちだ!」怒り収まる様子がない。

 結局オジサンは仲間達に引っ張られて別の席に連れていかれそれでも怒り収まらず、結局、店の別の女性が再度、その席までとりなしに来てオバサマ達が間に入って一件落着となりました。

 何が原因か知らないけど最近怒っている人が多くてちょっと気が滅入りますね。今回も些細な旅のハプニングはあったけど無事帰って来ました。あっ!飛行機の席に読みかけの小説置いてきちゃった!

2011/05/22

東京へ・・

 今週はなぜだか2回も東京で会議がありそれぞれいつものように高速バスで出掛けて行きました。丁度、中央高速道路が集中工事を今週やっており東京近くでは渋滞が続いて、いつもより30分以上時間が掛かりました。

 このところずっと八ヶ岳で過ごしていたので仕事で東京に行くのは久しぶりでしたが、そんな事情でどうも最初は馴染めなくて(笑)我ながらどっぷり山の中の生活に浸ってしまっており本当に都会がダメになってしまっていました。

 自分でも情けない位、都会が嫌になってしまっていてこりゃ本当に2度と都会には住めないな~と思い知らされました。どこがダメなのかと聞かれると困るのですがこれは私自身が気持ちいいか悪いかという感覚なので仕方がないのです。

 何せ私が今住んでいる森の中の我が家では昨日も朝、玄関の扉を開けた途端にガサガサと大型の動物が逃げていく気配がすると思ったら直ぐ目の前に鹿の群が10頭程立ち止まってこっちをジット見ているなんて所に住んでいるので、そりゃそんな人間がその日のうちに下北沢駅前で会議なんて言われても朝、目の前にいたのが10頭の鹿だったのが都会では何百人という知らない人ではそりゃ余りに環境が違いすぎますよね(笑)しかし、何十年も都会で住んでいたのに本当に苦手になってしまったものです。

 八ヶ岳に住んでいると大抵、目線はいつも真っ直ぐに前を見ているか空を見上げているかですが都会では何故か俯き加減になってしまいます。これは昔、都会に住んでいた時からの癖ですがどうも電車に乗っても街を歩いていてもまっすぐ前を見ていると知らない人と目線が合ってしまうのでついつい俯き加減になってしまうのです。

 それからついつい色んな人の様子を電車の中からやバスの中から観察するようになってしまいます。これも昔からの癖ですが都会には本当に多くの人が歩いているので中には変わった人もいて観察していると飽きませんね。

 新宿に着いて渋滞で遅くなってしまったので遅い昼食をとろうと新宿駅西口のビルの地下にあるレストランに行って昼食をとりました。そして、そこから又、地上に出て駅に向かおうとしていると目の前で60歳位のおばさんが自転車で走っていて歩道の縁石に前輪を乗り上げて派手に転倒してしまいました。

 結構ひどく転倒した為に眼鏡が吹っ飛んで暫く立てない様子でした。「きっと誰も助けないだろうな・・・」と思っていたら案の定、誰も近づきもしないので倒れた自転車を起こしてあげて近くの安全な場所に移動してスタンドを立てて自転車を置きそのおばさんに「大丈夫ですか?痛くないですか?」と聞きましたが倒れた時に顔面を打って痛くない訳がないのに「大丈夫です」と壊れた眼鏡を一生懸命治そうとしていました。

 「縁石に引っ掛かってしまいましたね」と言うと「そうなんです。ハンドル取られてしまって・・・」と笑顔を見せたので「本当に大丈夫ですか?」と聞いたら「本当に大丈夫です」と言われたのでそこでお別れしました。

 そしてフト前を見たら交番があって中にお巡りさんがチャンと居ました。「何だよ、見てたら助けてくれれば良いのにと思いましたが、きっとこんな些細な事で交番から出てくる事はないんだろうな・・・」とふと心の中に寂しさが湧き起こりましたがこれも都会なら日常茶飯事な事だと納得しました。

 昔、品川駅のプラットホームで体調を崩してベンチから立ち上がれなくなってその時「誰か助けて・・」と思いましたが当然、ベンチでうずくまっている私に気づく人はいなくて、仕方なく力を振り絞って這う様にしてタクシー乗り場に行ってそのまま近くに知り合いの病人に駆け込んでそのまま入院した事が有りました。

 その時、都会にはどんなに多くの人がいても自分は一人なんだと思い知らされました。そんな想いが都会での暮らしに嫌気をもたらしたのかも知れません。

 山の中で今度具合が悪くなったらきっと廻りに多くの鹿やキツネや猪やクマや猿がやって来て「こいつ食べれる?」って思うだろうな~それはそれで自然な事で仕方ないけどそれもちょっと辛いな(笑)

2011/05/15

歳はとっても・・・

 いつも思うのですが自分は歳はとっても「年寄り」にはなりたくないと思っています。何を言ってるんだろ?と思われるかも知れませんが、わかり易く言うといつもいくつになっても何事にも興味を持っていたいと思っています。

 いつも新しい事に夢を持ち続けたいということです。人間、歳を重ねるに連れて色々な経験を積み、それなりに知識を持ち自分が経験しないことでも想像がついたりすることが可能になったりします。それはそれで素晴らしい事だと思いますが残念ながらそれは想像でしか有りません。決して自分で経験して得たものでは有りません。

 仕事柄、私は建築現場に行く事が多いのですが、スタッフがいるので現場の事は任せればよいのかとは思いますがそれでも私は自分の信念として現場は生き物、何が起こるか分からない。だから現場に行って現場の臭いや色や雰囲気を自分で確かめたいのです。

 長い事やっているのである程度、今、現場がどうなっているか事務所にいても想像は出来ます。しかし、それは想像でしか有りません。実際に何が起こっているかは現場でしか分からないのです。

 自分で設計した家が実際に様々な職人さん達の手で形になっていく、それを実際に現場で体感していく。それは自分で設計した人間にしか分らない喜びでもあります。だから、私は現場に行かない設計者の気持ちが分かりません。自分が手がけた家が形になっていくのを見たくない設計者はいないと思うからです。

 同じ様に仕事で無くても色んな事に興味を持つという事を幾つになっても忘れないでいたいと思います。

 それからもう一つ歳を重ねて思う様になったのは自分が常に正しいと思わない事です。(遅い!笑)自分が信念を持つと言う事と自分が正しいという事とは全然違うということです。

 自分で信念をもつというのは自分の価値観に基づいて自分が判断することなのでそれは歳を重ねて経験したことに基づいて自分が決めれば良いことです。

 それに対して自分が正しいかどうかは自分が決める事ではなく周りが決める事なのです。だから、迷った時には色々な人に相談して色なん意見を聞いて最終的に自分で決めれば良いことでそのためには色んな事に興味を持ってアンテナを張っていないといけません。

 特に企業のトップの人や総理大臣、大統領なんて方はどうしても最終的に自分自身で判断するしかない事が多いので苦しむ事も多いのです。

 それは、自分で判断した事が本当に正しかったのかどうかは後から結果が出るからです。そのトップの人の背負っている影響力が大きければ大きいほど悩み苦しむはずです。

 最近で言えば東北大震災における菅総理の発言、未曾有の大災害に直面した時の一国の指導者として総理は「これが自分の天命だと思う」と発言されていました。こんな時に限って色んな人が批判を浴びせます。しかし、私は思います。批判は簡単です。「それよりあなたが今、もし総理の立場にいたならどうしますか?それでも自信を持って今の批判を繰り返す事ができますか?」

 静岡の浜岡原発の停止要請も色んな立場の人が賛否両論を行っています。しかし一国の総理として菅総理が現時点の日本の置かれている大災害の現状を考えて決断した事に私はエールを送りたいと思います。

 アメリカ大統領がニューヨークの大規模テロの首謀者と思しき人間の殺害を含めた作戦にGOを掛けるかどうかを迫られたとき大統領は「明朝まで時間が欲しい」と発言したそうです。それだけ世界をリードする大国の大統領が判断に苦しんだと言うことです。その判断が正しかったかどうかは今後明らかになっていくと思います。

 それでも人が大切な判断をせまられる時、人はそれまでの自分の経験と知識を総動員して今、自分で考えうる最も自分が正しいと思う判断をするしかないのです。それが正しかったかどうかはその場合、問題では有りません。問題は最善をつくしたかどうかなのです。

 全然話は変わりますが今日、県内に出来た新しい映画館に初めて行って来ました。新しいチケット購入システムが導入されていてドキドキしながら見てきました。映画は漫画が原作の「岳」、北アルプスが舞台の映画ですが自分が普段見ている山が背景だけにとても感動しました。出演者の中に昔、「蝉しぐれ」の撮影で清里合宿のお手伝いをさせて貰った石田君が出ていてエンドロールの主演の次に名前が流れてそれが嬉しかったり・・・俺ってホントに単純ですね。

2011/05/07

音楽は人を救えるか

 わが社の事務所にはいつもBGMが流れています。大抵はFM放送ですが、休み時間を除いていつも何かしらのBGMが流れています。工場なんかでも流れているところが多いですよね。

 何故、音楽を流すのでしょう?効率が上がるから?落ち着くから?間が持てるから?色々な理由があると思います。

 東京でサラリーマンをしてる頃はBGMはありませんでした。だからかどうか分かりませんがいつも気詰まりでした。だから、よく考えが纏らずに煮詰まった時は事務所を出て廊下で気を紛らしたりトイレに行ったりしていました。

 私が生涯一番だと思っている映画は「サウンドオブミュージック」美しいアルプスを背景に母親の居ない家族を一人の家政婦が音楽で繋ぎとめやがて家政婦は母親となり本当の家族になりクライマックスは音楽が戦争の被害者となりそうな家族の国外逃亡を助ける・・・そんな中年以降の方のほとんどの方は観た事があるストーリーの映画です。何回見ても飽きない美しい映画です。

 先日の東北大震災の折にも多くのミュージシャンが東北を励ます活動を行っています。正直、自分もしばらくは精神的に音楽を楽しむというような状態ではありませんでした。しかしそんな状態の時に優しいメロデイーを奏でる曲を車の中で聞いた時、ふと救われたような気がしました。

 別に応援ソングでなくても良いのです。ジャンルもクラシックでもジャズでもポップスでも何でもよいのです。そばに音楽が流れているだけで気持ちが落ち着きます。苦しい時、悲しい時、楽しい時、それぞれのシーンで音楽が気持ちをフォローしてくれると嬉しいですね。

 逆に全く音楽の無い世界は何かとげとげしく殺伐としていて何か集中して物事に打ち込むには良いのかも知れませんが私は苦手です。

 自分で何か楽器が演奏できれば良いのですが子供の頃にピアノを少し弾いたり、学生の頃にお決まりのギターを弾いて格好つけた位で今は全く駄目です。

 自然の中に出ても様々な音楽が鳴っています。森の中を歩いていると木々が風に揺らぐ音、小鳥が鳴く声、キツネが夜鳴く声、どれも自然が奏でる音楽です。子供の頃、育った高知では海辺に繰り返し寄せてくる波の音に不思議と飽きもせず耳を傾けていました。

 宗教上の理由で楽器の使用が許されない教会の中で聞いたコーラス隊の歌声は何とも言えない圧倒的な美しさで心を揺さぶられました。

 私は血液型がB型で典型的な感性だけで生きている人間なので理論は苦手なのですが何が人にとって気持ち良いかをいつも考えています。人にとって気持ち良い大きさ、色、形、臭い、音楽、話題、世の中そんな綺麗事じゃすまない事が一杯あるけれどそれでもやはり気持ち良い方がいいに決まっている。

 天災は忘れた頃にやってくる。辛い事が沢山あるけれど音楽はいつもそばでそんな辛い思いを癒してくれる。

 若い頃は恋愛に音楽はつきもの、音楽を聴くとその頃の思い出が蘇ってきます。私にとっては「木綿のハンカチーフ」がその頃の思い出ソングでした。女房とは今でいう遠距離恋愛で年に何回かしか会えなかったのでこの曲はそんな思いをそのまま表していました。今では・・・言うのやめとこう(笑)

 近年観た映画で音楽的に印象が深かったのは「戦場のピアニスト」正に戦争中のピアニストの物語ですが物語のなかで流れる主人公が奏でるピアノは美しくて悲しくて、心を打たれました。同じく、「海の上のピアニスト」もとても心に残る作品でした。船の中で生まれ船の中で育ち、そして船と運命を共にしたピアニストの物語は忘れられません。

 人が絶望の淵にある時、もしかしたら音楽がその人を救う事が出来るかもしれません。私はそう信じたいと思います。

 今日は夫婦でお客様と一緒にオカリナのファミリーコンサートに行ってきます。知り合いのペンションで開かれる50人程しか入らない小さなホールでのコンサートですが、だからこそ大きなホールで開かれるコンサートより身近で演奏家の息遣いまで聞こえそうな臨場感あふれるコンサートになると期待しています。

 音楽は人を救えるか?答えはYESです。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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