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2011年6月

2011/06/26

普通の幸せ

 毎日、何となく忙しく時が過ぎていきます。元来がのんびりした性格なので毎日、やらなくてはならない仕事が溜まっていくのですがいっぺんに色んな事を片付けられないので結局、一つずつ、仕事を片付けていくしかない。それでも毎日、新しい仕事が増えていくのでちっとも仕事が減らなくて皆に迷惑をかけながらスマヌスマヌと思いながら毎日を過ごしています。

 今日も、仕事は休みの日なんだけど新しくする会社のパンフレットとHPに載せる自然風景の写真を撮りに近くの森へカメラを持って出掛けて行く事になりました。

 朝から天候が良くなくて「これじゃ欲しい写真は撮れないな・・・」と思い、仕方なく昼過ぎまで待つ事にして、お昼ご飯を家でとってから出掛けて行きました。

 車に一眼レフを積み込んで家より更に上の山の中に入り、あちこち気になるところで車を止めて森の中に入り写真撮影。でもやっと「ここいいじゃん」と思っても雲が掛かったり邪魔な木があって旨く取れなかったりして結局、一日走って満足出来る写真は中々撮れなませんでした。

 オマケにあちこちキョロキョロしながら走っていたら車の直前にイタチだの猫だのキジだのが飛び出して来て危ないのなんの・・・近くの登山道の入口まで車で入り展望台に立って写真撮っていたらパトカーが上がってきて「ナンだ?こんなところまで?」と思っていたらパトカーから降りてきた警官が登山計画書の入ったポストを開けて中の書類を確認していました。「ご苦労様です・・・」しかし、アチコチ車を道端に止めて写真を撮っているので「早くどっかいかないかな?」何て不謹慎な事考えてしまったりしていました。

 それでもめぼしい撮影ポイントを廻って大体、感じが掴めたので今度、天候が好転してから又、行って見ることにしました。

 夕方近くになって下の町中まで車を走らせ日常品の買い出しや古くなった靴を買い替えに店に入ったりして過ごしているうちに流石に夏至を過ぎて日が長くなったとはいえ辺りが暗くなってきたので女房と二人で晩御飯は近くのファミレスで済ますことにして店の前の駐車場に車を入れて簡単な食事を済ませました。

 店は比較的空いていて余り騒がしく無かったので助かりました。それでも隣の席には小さな子供を2人連れた家族4人が座っており子供がぐずって騒いで中々自分たちが食べる事が出来ずに困ってました。

 思わず女房が「一人預かりましょうか?なんてね・・・」とコッソリこっち向いて小さな声で話しかけてきて「やめとけよ・・・」と思わず真面目に答えてしまいました。

 自分たちの食事を終えて店を出て、遅くなったので高速に乗って家まで帰って来ました。家では帰りを待ちかねていた猫2匹がオヤツをねだって擦り寄ってくるので女房が猫缶を開けてやり、いつもそれが毎日の約束事になっています。

 こうして、普通になんて事もない一日が終わって行きます。でも、考えてみるとこういう何てこと無い一日を平凡に暮らす事が出来る事が一番幸せなんだと思います。

 震災で家にも帰れない避難民の方達が大勢、居られます。一日でも早く被災者の方達が平凡な普通の毎日がおくれる日が来ることを願っています。

2011/06/20

東京ビックサイト

 時々、東京のビックサイトで仕事に関係するイベントが開催され出展する事があります。先週も3日間に渡りイベントが開催され、行って来ました。

 イベントの規模にもよりますが大きなイベントの時には搬入も搬出も大変な目にあいます。今回のも出展を依頼されて余り多くの展示はしないつもりで「バスで行きますから、余り大きなものは持っていけませんからね」と周囲の関係者の方には話をしておいていたのですが「何とかホラ、丸太のテーブルとか用意できないかな?あれがあると雰囲気がよくなるんだよね・・・」「だってバスで行くから無理ですよ。カタログだって20部以内にして下さいよ。無理無理、絶対無理ですから」と逃げ回っていたのですが「車で行けばいいじゃない。車にしなよ。何で車にしないの?」と言われ「だって車は嫌いなんですよ。山で走り回るのは全然、気にならないのだけど都心は厭なんですよ。一方通行だとか右折禁止だとか、駐車厳禁だとか、ああいうの厭なんですよね」「何、言ってんの東京に住んでたんでしょ」「いやね、確かに働いていたけど移動は全部、電車だから・・・基本的に都心での運転はした事ないから・・・」と一方的に逃げ腰で押し通していたのですが、とうとう廻りから責められて仕方なく車に満載の荷物を積んで行く事になりました。

 イベントの前々日の夜に展示にもっていくログのテーブルやチェーンソーアートのフクロウや展示物で結局、満載の荷物を車に積み込んでイベント前日の朝、八ヶ岳を出発。お昼すぎにようやくお台場のビックサイトに到着し何とか搬入場所近くに車を置く事に成功し搬入。

 しかし、関係者がまだ集まらず展示物の配置が決まらなくて結局、関係者が集まって展示の方法が基本的に決まったのが午後の3時頃。それから展示ブースに建てる板倉造りの小屋の製作に入り終わったのが夜の7時でした。

 その間、お隣の有名な○○工務店のブースでは延々とコンパニオンさんのセリフチェックや映像の調整をしておられ、その脇で我々が木槌を持って「カ~ン、コ~ン。おい、こっちを持ってくれ!ここの板入いらんじゃないか!あっ!間違ったこっちを先にいれなきゃ!」何て大騒ぎをしておりさぞかしヒンシュクをかった事かと思いますが、汗だくになって何とか無事、設営を終えて八ヶ岳に帰って来ました。

 翌日はこちらで用事があったので1日は人に任せて残りの2日間だけ展示場に行く事にしました。翌日は確かに人は多かったのですが手伝ってくれる人も結構いたのでそれ程感じなかったのですが最終日は何故か誰も手伝いにこなくてもう一人の方と2人でブースを維持する羽目になり、又そういう時に限ってやたら来訪者が多くて朝から時間一杯まで途切れる事無くもう自分で何を喋っているのか分からなくなりそうな有様でした。

 それにしても廻りは最先端の技術を展示しているブースの中で我々はお茶屋さんのノボリ旗を立ててお茶を振る舞い、杉板の小屋を建て丸太の椅子とテーブルを置いて、来訪された多くの方に「ここは何だか峠の茶屋みたいなところだね。一体なんの展示?(笑)」と聞かれました。

 「ここは最先端のハイテク技術じゃなくて戦前の口伝に基くローテク技術を駆使して出来るだけエネルギーを使わない昔の生活に戻ろう。という活動をしているブースなんですよ」というと何だか怪訝そうな顔をされながら「でも、それが一番エコロジーなのかも知れないよね。

 何だか廻りは英語やカタカナばかりのブースで話を聞いてても頭が痛くなりそうだけど、ここは木の香りとお茶が飲めて何だかホッとするね(笑)」と言って頂きました。

 一応、私も勉強の為に廻りのブースを覗いてきましたがこのイベントのテーマが「低酸素社会と経済成長を両立させる」という相反するようなテーマなので各ブースとも最先端の省エネ技術を展示して一生懸命をれをアピールしていました。

 でも、はっきり言って良く分かりませんでした・・・だって余りにも英単語が飛びかい知らない言葉が多すぎて何で日本語で言えないのかなあ?(笑)と本当に思うのですよ。○○ソリューションがどうのこうの・・・○○イノベーションがどうしたこうした・・・分かりません(笑)八ヶ岳の山の中に住んでるんだからそりゃ無理というものです。

 きっと素晴らしい技術なのだと思いますがいくら格好よくても理解出来なきゃ意味ないですよ。えっ?理解出来ないのはお前だけ?恐れ入りました・・・

2011/06/11

真夜中の訪問者

 夜中の3時頃(多分・・)2階の寝室で寝ていると何やら外でけたたましい音がする。何だか木を叩くような激しい音。室内で寝ていたはずの猫達もパニックになって1階で走り廻っている様子。私は布団の中から出ていく事が出来ずに「何だよ~煩いな・・・何か外に居る?眠いし、どうせ狐かなんかだろう・・ほっとこ・・」その内にやはり何だか獣の鳴き声のような声がする。しかし、いつもの雰囲気とは違う。

 森の中に建っている我が家は夜中になると色々な動物の鳴き声が聞こえる事がある。狐の鳴き声は「ギャーギャー」と人間が悲鳴を上げているような厭な声でなくので煩くて仕方ない。

 鹿の鳴き声は「ケーン、ケーン」と警戒を呼び掛けるかん高い声で森の中に鋭く突きぬける。しかし、それも大抵は家から少し離れた森の中から聞こえる。

 今日の鳴き声はそれとは様子が違う。明らかに家の周りに居る。それも直ぐ近くというよりまるで家の中にいるような音がする。「やばいな~こりゃちょっと尋常じゃないな・・・見に行かなきゃならんかな~眠いしな~熊だったら洒落にならないしな~やだな~」と頭の中では夢ごこちの中で半分現実、半分夢の中の出来事のように感じながら、それでも起きる事が出来ない。

 その内に地下室の扉を叩くような音がする。「おいおい、まさかこんな夜中に泥棒じゃないよな・・・冗談じゃないぜ。我が家には金目のものなんてなんもないよ。むしろ何か置いていって欲しいくらいなんだから(笑)」しかし、外では何だかドア付近でガタガタ音がしている。しかもどうやらその音は家の廻りを廻っている様な気配がある。

 「こりゃやばいかも・・・さて、いざとなったらどっから逃げ出すか。万一、熊が家の中に入って来たらあそのこ扉を開けて屋根に飛び出して外に逃げるしかないか・・・」何て事を何故か布団から一歩も出ることなく寝たまま頭の中で考えていた。

 その後も、しばらくそのガタガタという怪しい物音は続き、私は布団から出ようかどうしようかグズグズしているうちにどうやら眠気が勝ってしまい、又、寝てしまったようで、気が付けば朝だった。

 いつもの朝の様に隣で寝ている女房の目覚まし時計が起きる時間を告げ、布団の上に二人で起きて座り込みしばらくボケ~としていたら女房が「何だか夕べ、明け方だったと思うけど、外で音がして目が覚めて眠れなくなって朝まで起きてた様な気がする」と仰る。

 「やっぱり!夢じゃなかったんだ。俺も目が覚めて凄い音がしてたから何かと思ったよ」と二人で話してから1階に下りて行き、外の様子が気になりながらもいつもの様にカーテンを開けて朝食の支度をしていたら女房が「見て!洗面所の窓から良く見えるけど、家の廻りに凄い足跡が付いてるよ!」と叫んでいる。

 私はサンルームの窓から外の様子を窺うと何と家の廻りに小枝が散乱し家の廻りに積んであった薪が崩れ大変な事になっている。

 女房が「ちょっと外見てきてよ」「やだよ!お前見てこいよ(笑)」「何、言ってんの。早く見てきて」「分かったよ~でも食事済んでからね・・・」と何とか心の準備をする時間的余裕をとり、外の様子が気になりながら朝食を終え、いよいよ外へ新聞を取りにいくついでに家の廻りを見る事にした。

 新聞は森の出口まで行かなくてはならないからそのついでである。玄関を開けて外に出るとそこには・・・・夥しい大型動物と思われる足跡が散乱している。女房が大切にしていた植物の鉢が割られてあちこち散乱し、折角植えた花も抜かれて哀れな姿に・・・地下室の入り口に廻るとそこにも大量の足跡があり端材を積んであった山が崩されてあちこちに木片が散乱してまるで瓦礫の山。

 「あ~あ~、やられたな・・・」その大量の足跡は森の奥から我が家を襲い、そこから森の出口まで延々と続いており新聞を取りに行く道沿いにず~と足跡が続いている。

 森の中には獣道があり、いつも動物達はその道を通って行くのですが、昨晩の群れはどうやらよそ者のようで新しい獣道が造られていた。しかもかなりの大群。体重があるのか足跡も深くて大きい。足跡の特徴を見る限り成獣の鹿を中心としたかなりの群れのようである。

 この時期、30頭余りの群れとなった鹿の集団を良く見かけるがこんなに家の近くに大群で押し寄せてくるのは珍しい。この辺を縄張りとしている鹿なら必ず同じ道を通るはずなので、きっと分かれた別の鹿の群れじゃないかと思われます。

 家に帰って女房に「大変な事になっているよ。見ても怒っちゃだめだよ」というと「何だって~!許さん!」そうですよね・・・「鹿さん女の恨みは怖いよ・・・」

2011/06/07

誕生日

 実は先日、人生五十数回目の誕生日を迎えてしまいました。本人さえ慌ただしさに本当に忘れていたのですが女房から「娘からメール来た?」と言われ「えっ?何かあったの?」と聞くと「父さんの誕生日だからメールするように言っといたから」と言われ始めて気が付く位の意識しかありませんでした。

 その後、知人からも色々とメールを頂きお気遣い申し訳ありません(笑)状態でした。もっとも本人からしてみると忘れるくらいですから余り記念日という意識はないのですが人から「オメデトウ」と言われるのは悪い気はしないというか嬉しいものなのでそれはそれで決して嬉しくない訳ではないのです。

 誕生日というのは時間の区切りの一つであると理解しているのでそういう意味では又、ひと区切りをクリアしましたねという記念日なのだと思います。

 父は74歳で亡くなりましたので親の歳に追い付くにはまだ20年足らずありますので、まだまだ頑張って時間を重ねなくてはならない歳です。しかし、考えてみれば幾つから余り誕生日が待ち遠しくなくなったんだろうと思います。

 子供の頃は誕生日になると友達を呼んでプレゼントを貰ったりケーキを作って貰ったりしてとても楽しみにしていました。

 それが段々年齢を重ねるにつれ喜んでくれる人達が段々減って来て(笑)ある日気が付くと「あっ!今日俺の誕生日だ」と一人で気が付くようになり、終いにはこっちから「○日は俺の誕生日だからね」と家族や知人に言わないと気が付いてくれなくなり、そのうちに「あ~ちょうどその日は都合が悪くて」なんてお祝をやんわりと拒否されたりするようになり(笑)そんなこんなしているうちに、ある程度の年齢を過ぎると「長生きしてね・・・」モードに入って来て何だか又、誕生日をお祝いしてくれる人が増えてきたりして誕生日というものはその人の年齢とともに意味合いが変わってくるものなんですね。

 私の場合はまだ現役で働いているもんだからその丁度、中間辺りかな。最近はネットでご丁寧に誕生日を知人に知らせてくれるサービスがあるもんで、それを見た方からもお祝いを言って貰ったりしてそれはそれで本当に申し訳ないような恥ずかしいようなで便利な世の中になったものです。ネットで繋がるというやつですね。

 前はメールにお誕生日用の葉書をデザインして送るソフトがあってそれでいつも送って下さる方が居て最初はとても驚きました。そういや最近、手紙でお祝いを頂くという事が余りなくなりましたね。ペーパレス社会になったので仕方ないのですがたまに手書きの達筆な葉書なんか貰うと「この人なかなか出来るな」と唸ってしまいますね。あっ!脱線してしまいました。誕生日の話でしたね。

 そう、だからもう誕生日のケーキは無くなったけど女房と二人で買い物に行って誕生日プレゼントに夏用の帽子を買って貰いました。その内に自分で自分に誕生日プレゼントを買う様になるかも知れません。というか誕生日自体を忘れてしまうのだからプレゼントも無いか(笑)それも寂しい話ですね。

 今まで一番楽しかった誕生日は幾つの時ですか?と聞かれたらあなたはどう答えますか?私は考えてみても余り覚えていません。やはり子供の時の誕生日が楽しかったような覚えはあるのですが具体的に幾つの時の誕生日かと聞かれれば全く覚えていないものですね。

 何か甘いケーキを食べた記憶や実は余り嬉しくないプレゼントを貰った(勉強道具や学習ノートの類ですね)覚えが微かにあります。

 クリスマスやお正月のように万人共通の祝日を祝うというのは何となくドキドキして意外と記憶があるのですが自分一人の為の祝日というのは私にとって余り記憶が深く残らないみたいです。

 これから先、この時間の区切りを何回刻んでいけるのかは分かりませんが、健康に刻んでいけるものなら続けていきたいですね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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