« 2011年3月 | メイン | 2011年5月 »

2011年4月

2011/04/30

人生山あり谷あり

 人生は山あり谷あり何て言いますが本当に色々あります。今回の東北大震災なんて被災された方も勿論ですが誰も予想しない事だったと思います。「想定外」という言葉が良く報道で出てきますが思いもしない事が起こるのが人生なのかも知れません。

 先日、ユーミンのコンサートが甲府で開催されましたが彼女がステージで述べたMCがとても印象的でした。曰く「今回の全国ツアーのコンセプトはシネマ、映画のシーンはNGを編集して造り直す事が出来ます。人生シネマの主人公は自分自身、NGの編集は出来ません。でも私はそんな人生が大好きです」彼女のファーストアルバム「飛行機雲」のツアーを見てから30数年の年月が過ぎて私としては2回目のユーミンのコンサートですが彼女も歳月を積み重ね荒井ユミから着実に成長して一流のアーチストとしての道を進んでいるように感じました。

 人は誰しも他人に言えない心に秘めた事や辛かった事を乗り越え、楽しかった事を記憶に残して人生を刻んでいくのだと思います。それは決して綺麗事ではない生身の人の記録を刻んで積み重ねていく正に自分を主人公とした人生のシネマを撮り続けているのかも知れません。

 私も未だに子供の頃に深く心に刻んで片時も心から離れない葛藤があります。他人にとってみればどうって事ない事かも知れませんが自分にとっては50数年経っても忘れられない自分だけの価値観に基づいた苦しみでもあります。

 それは自分の人生シネマでも忘れてはならない自分への戒めであり多分、死ぬまで背負っていく自分なりの価値観なのかも知れません。

 私なんか失敗だらけの人生なので人に自慢するもの何て何もないのですが、最近、少なくても人生シネマの折り返し点は過ぎたと思う歳になって「これは自分だけの人生で他の人の人生と比較するものじゃないんだ」と思うようになり(気付くのが、遅い!笑)残された時間を精一杯生きるしかないんだと思う様になりました。

 人生の中では幾つもの岐路があります。それを選ぶのは自分自身、それは決して他人が決めたものじゃない。だとしたら覚悟をもって最後までその道を信じて全うしなくてはならないのです。

 私も小学校中学・高校と高知で暮らし大学を東京で過ごしサラリーマン生活を同じく東京で過ごし、そして覚悟をもって仕事を変え、八ヶ岳に来て今に到っています。その都度、自分なりに大なり小なり岐路の決断を迫られ自分なりに右か左を選んで来たつもりです。

 最近、見たTVドラマ「仁」に良く出てくるセリフ「神様は乗り越えられない試練は与えない」それが本当かどうか私には分かりません。神がいるのかどうかも分かりません。でも今回の様な大震災に直面すると何かに祈りたくなります。「どうか全ての人がこの試練を乗り越えられますように・・・」

 人生、山あり谷あり。良い事ばかりじゃないし悪いことばかりでもない。きっといつかは乗り越えられる。そして又、困難があっても覚悟を持って向き合えば又、きっと乗り越えられる。

 NGがあっても消し去る事は出来ないけどやり直す事は出来る。だからそれを信じて頑張るしかない。他人を信じ、自分を信じ、他人に騙されても他人を騙してはいけない。人を非難するのではなく、人を信じて共に生きる。

 これって言うのは簡単だけどそう旨くいかないから難しいのですよね。だから人生って面白い!

2011/04/25

花粉症

 この時期はいつもひどい花粉症に悩まされます。八ヶ岳に移住してくるまでは全く花粉症には縁がなかったのに、こっちへ引っ越してきてから発症してしまいました。今では一年中、薬漬けの日々です。体に良くないと思いつつどうにもならなくて服用しています。

 今年は又、結構きました(笑)花粉症がひどくなると頭は割れそうに痛いし、鼻水はダラダラだし、クシャミは百連発だし、眼ヤニは出るしで、もう人間やめたくなります。

 真面目に女房に夜「悪いけど頭取り換えたいから取ってくれる?(笑)」と毎日言っています。朝は特にひどくて寝床から起き上がるというより体を引き剥がすといった方が近いような努力が必要な程です。

 お陰で一日中マスクを欠かせない日々なのですがさすがに人と話をするのにマスクを付けたままという訳にもいかないし、困ったものです。

 どうしてこんな花粉症なんて病気があるのか私には分かりませんが取り敢えず一年中、薬を飲み続けるのは副作用もあるだろうし出来ればやめたいのですが、やめれないのが実情です。

 毎日「もうダメ、今日はもうダメだ~」と思いながら頑張っていると、ある時ふっと症状が軽くなったり、逆に我慢していると本当に立ち上がれなくなる位ひどくなったりするし、この病気は本当に困ったものです。

 知りあいから乳成分とかコーヒーとかの刺激物は出来るだけ避けた方が良いとアドバイスを受けたので実行しているのですが、と言うよりこれが良いよという話がある度に色々と試してはみるのですが「これが利く!」と言う特効薬がまだ見つからず、今度はちゃんと病院に行って何に反応しているのか調べて貰おうかと思っています。というか「早く調べろよ」という話なのですが中々近くの病院でどこに相談すれば良いのか分からず、根っからの優柔不断な性格が災いして今迄ずるずると過ごしてきたのがイケナイのですが・・・

 私は大体、春先の杉・桧の花粉飛翔時と秋の稲刈り時のブタクサが飛ぶ時が一番ひどいのですが、本人がそう思っているだけで実は全く違うものに反応しているのかも知れません。

 しかし、こんなに自然一杯の美しい環境の中で暮らしているのに何でこんな花粉症なんて病気に罹ってしまうんでしょうかね?

 以前、この病気の事を調べた時に「花粉だけでは発症せずに窒素酸化物と反応してなる」何て話を確かどこかで読んだ気がして、だから花粉症は都会の方が多いと思っていたのですが、少なくても私が住む八ヶ岳南麓には車なんて少ないし多いのは花粉だけなんだけどな?と不思議に思っています。

 それとも実は花粉とは全く関係なかったりして何て事もちょっと思っているのですが・・何れにしても根本的な解決策が見つからないので毎年、この時期はじっとグジョグジョになりながら耐えるしかない日々を過ごしております。

 早く、マスクを付けずに屋外で活動出来る様になりたい!余り、マスクをしていると知りあいから「やっぱりあれですか?放射能が心配で?」何て言われかねないし、それに息苦しいしメガネかけれないし・・・

 最近のマスクはメガネかけても曇らないように出来てます。なんて書いてあるけど色々なメーカーのもの試したけどあれ、絶対曇らないなんて事はないですね。私なんか鼻息荒いし(笑)すぐに曇ってしまいます。だから目が外部に出ているので余計、影響を受けるのです。

 でもまさかこれに防塵メガネなんて掛けて外、歩いていたらまさに「防護服ですか?」って言われそうですよね。いやはや、早くこの時期が過ぎてくれる事を願っています。

2011/04/16

不思議な言葉「ホ・オポノポノ」

 「ホ・オポノポノ」このなんとも言えない優しい言葉の響きを知ってますか?「ホ・オポノポノ」とはハワイ語で「祈り、議論、告白、後悔、互いの補償と許し」を表す言葉で、古代からハワイで伝えられるもので元は「大家族が壊れた家族関係を正しいものにするために集まること」だそうです(Wikipedia引用)

 これだけでは中々難しくて理解しにくいのですが近年この言葉のもつ意味をわかり易く実践する方法として自らに向けて「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返す事が「ホ・オポノポノ」になると言われています。

 この言葉の持つ本当の意味は多分、余りに奥が深くて私にはまだ良く分かっていないのですが現時点で私が理解している範囲では世の中に起こる全ての現実世界の問題は全て自分自身の中に存在し、それらについて全て自分自身が全責任を負わなくてはならないと言う事らしいです。

 それを理解した上で自分自身の記憶に対して「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と繰り返すのです。何だか???でしょ。

 私にもまだ良く分かってないのです。しかし、どうにもこの不思議な言葉の響きが気になって仕方ないのです。常夏のハワイ、自然溢れる美しい南国の夢の島、ハワイに伝わる言い伝えだからこそ何か奥深い言葉の響きを感じるのです。

 自然を愛し、自然と共に生きてきたであろう島の人々の暮らしを支える言葉であったろうと想像しています。複雑で利害関係が幾重にも絡みあった現代ですが本来は人と人が、「自然に祈りを捧げ、互いに問題点を議論し、過ちを告白し、それらを後悔し、お互いに補償し許し合う」その姿こそがハワイの島で暮らす人々の基本的な生活の基盤だったのでしょうか?そしてそれはすべて他人の問題ではなく自分自身の問題として捉えられたのだと思います。

 だから、自分自身に向かって「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と唱えたのではないでしょうか?

 私なんか毎日、どうやって楽に暮らそうか、どうやってサボってやろうか何て事ばかり考えているし(笑)元々がのんびり屋なので一つの事をボ~と考えている事が多いし、決断が遅いし、優柔不断だし、それでいて一応、経営者なので毎日の仕事は否応なしにのしかかって来るしで矛盾だらけの日々をダラダラ過ごしているので、この「ホ・オポノポノ」の教えとは程遠い暮らしなのです。

 でもだからこそこの言葉に魅かれるのです。他人を批判する事は簡単だけど批判する事で現実は変わらない。現実を変えるには先ず自分自身を変えなくてはならない。「ホ・オポノポノ」はそう教えています。

 自分自身に「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と騙されたと思って言ってみて下さい。何となく心が軽くなりませんか?ならない?そのへんは個人の感性の問題なので何とも言えないけど私は何となく気持ちが軽くなるのですよね~。

2011/04/11

我が家の癒し猫

PA0_0001 IMG_0569 IMG_0583

 我が家に2匹の猫が来てからちょうど1年経ちました。昨年、里親制度を利用して我が家にやってきたオス猫のバロンとお姉さん猫のジル、1年たってすっかり大きくなり我が家を走り回っています。

 我が家に来たばかりの頃は全く性格の違う2匹の猫が果たして旨くやっていけるか心配したこともあったけど今では毎日喧嘩しながらも仲良くなって2匹で毎日暮らしています。

 我が家に来た頃はまだ掌に乗りそうな位可憐だったオスのバロン体は今では3倍ほどにデカクなり、当初の可憐さはとっくにどっかにいってしまいました。(笑)マア、去勢してオカマ猫ちゃんになってしまったので太るのは仕方ないのですが近頃は飼い主に体型が似てきたと言われ若干複雑な思いもありますが・・・メスのジルの方は来た当初は決して心を許す事のない臆病で神経質な猫で台所の後ろに隠れて数週間は姿を現さなくてどうなるかと気を揉んだ事もありました。

 1年経って漸く最近は朝食の時に必ず私の膝に乗って甘えてきます。それでも1年経ってやっと触れる様になったのです。ジルにとっては大変な進歩です。しかし、何故か甘えてくるのはこの朝食の時だけでその他の時間帯には決して寄ってきません。本当に不思議な猫です。ある意味、野生に近い感覚を持った猫です。

 その点、バロンは人間を恐れるという感覚は全く無く誰がきても平気でとてもフレンドリーです。ただ問題はもの凄い甘えん坊になってしまったので欲求不満がたまると時と場所を選ばずに手当たり次第、私か女房の体に登ってきます。

 猫の感覚がどうなっているのか良く分らないのですが一日のライフサイクルが決まっていて毎日キッチリそのサイクルを刻まないと気が済まないようです。

 例えば夜、寝る時は寝室のドアを締めて猫には退室願うのですが朝、目覚ましの音がなると寝室のドアをガリガリと引っ掻き「早く起きろ」と騒ぎ出して扉を開けた瞬間に寝室に飛び込んできて私のお腹に乗ってきます。

 よしよしとお腹を撫でてやると納得して一緒に1階に降りて来ます。カーテンを開けてやると窓の外にぶら下げた鳥の餌台に寄ってくるシジュウカラを部屋内から見張らなくてはなりません(笑)鳥の方も、襲われる事はないと分かっているようですがそれでも猫の姿が見えると飛んでいってしまいます。

 暫くこの餌台の鳥の見張りが続くと漸く朝食の支度が出来て我々がテーブルにつくと今度はジルが待っていて朝食が始まると必ず私の膝に乗ってきます。

 昼間は、2匹で大人しく留守番しているのですが女房が帰ってくるとおやつの時間になっているのでもう大騒ぎです。そして私が仕事から帰って来て夕食が済むまでは2匹で大人しく遊んでいるのですが女房が2階で洗濯物を干し始めると一目散に飛んでいって抱きつきます。お陰で女房は片手で猫を抱いて片手で洗濯物を干さなくてはならない毎日です。一時期、女房は真剣に猫を背中に背負える袋を欲しがっていました。

 バロンの方は本当に人懐っこくてそれが裏目に出て自分の思い通りにならないとつい爪が出てしまい一時期は女房も私も体に引掻き傷だらけになった事もありました。

 ある日、私はもろに顔の正面を引っ掛かれて鼻の頭に見事な傷が出来て表を歩くのに恥ずかしかった事もありました。女房と二人で「これはイカン、何とか躾をチャンとしなくては」と言うことになり、爪を出して引掻くと大げさに「イタイッ!」と叫んで目を睨みつける様にしました。

 当初はそれで返って興奮して余計引っ掻かれる何て事もありましたが徐々に「どうもこれは爪を出すとマズイようだ」と気が付いたようで今では本当にタマに爪を出しますがほとんどは爪を引っ込めてじゃれる様になりました。その為に私の体によじ登ろうとするときでも爪を出さないので滑って登れないなんて時もあります。

 森の中で暮らす様になって5匹の猫と出会い一緒に暮らしましたが5匹とも個性が違っていて猫は本当に興味深い生き物です。

 

2011/04/04

本当の豊かさを求めて

 先日、20年来のお客様が亡くなくなりました。私と1歳違いのまだ早い最期でした。ほんの数週間前に会って話しをしたばかりでスタッフから「〇〇さんが亡くなりました」というメールを携帯電話に受け取った時にその文面の意味が一瞬、分かりませんでした。

 数年前に息子さんを亡くした時にも葬儀に出席させて頂きその直ぐ後に偶然、病院で奥様にお会いしたときには既に奥様が病を患っておられて息子さんの後を追う様に亡くなり、そして今回はそのご主人が亡くなってしまいました。

 又、東日本大震災では現時点で1万人を越える方の死亡が確認され、更に1万人以上の行方不明者が未だ見つかっていません。辛い事ですがこれは現実の事であり受け入れなければならない事実です。

 30歳代までは自分の死という事に想いを寄せる事はありませんでしたが次第に歳を重ね50歳を過ぎたあたりからどうしても身近な死というものを覚悟しなければならくなって来ました。

 それは自分の親だったり友人だったりお客様だったりしたのですが何れ自身の事についても考えておかねばならないと思うようになりました。しかし、それは人も生き物である以上、仕方ない事で誰しもいずれは訪れるものです。

 そして自分なりに得た結論は「考えても仕方ない」でした。今回の東日本大震災の様に思いもしない大災害に突然襲われて無念にも最期を迎えなければならない事もあるし、病を患って医者から余命を宣告されて最期の命の時間を自身が知ることもあります。それは、誰にも知るよしのない事だと思います。

 だから身近な死について思い悩むよりは今、現在、命を与えられている者は精一杯生きていくしか仕方無いのだと思うし、そうするのが生き残った者の勤めだと思います。

 昨日、婚活イベントを行いました。こんな時期に婚活イベントを開催してよいものかとも思いましたが、もしかしたらこのイベントで人生の伴侶を得る事が出来るかも知れない若者がいて、そしてそういうチャンスのある人が折角、参加したいと言ってくれているのにそのチャンスを奪ってはいけないと思いました。

 新しい家族が生まれるかも知れない出会いのチャンスを自粛という名のもとに奪ってもよいものか?無念にも震災で命を亡くされた方々もそれは望む事ではないと思うし残された遺族の方達もきっと許してくれると自分に言い聞かせました。

 日本は今、とてつもなく大きな苦難に曝されています。しかし、起こってしまった歴史は変える事が出来ません。起きてしまった事を批判するのは簡単ですが大事なのは批判ではなく事実を事実として受け止めてその教えから何を学び将来二度とこのような悲惨な歴史を繰り返さないようにする事ではないでしょうか?

 例えば、この国に本当に原子力発電所が今後も必要なのでしょうか?もし、必要無いとするのなら現在の不足する電力供給を残された我々はどの様に受け止めてどのように対処していけば良いのでしょうか?課題は正に山積です。

 世界の経済先進国として発展してきた日本にこの様な自然災害が起こるとは誰しも思っていなかった・・というより起こる可能性を知りながらもきっと文明の発達がそれを防ぐ事が出来る。だからきっと大丈夫と思おうとしていたと思います。

 しかし、起こってしまいました。私は起こるなら東海沖地震、もしくは東南海地震が起こるだろうと思っていました。いや、この先これらの地震が起こる可能性も否定は出来ないだろうと思います。

 日本は周りを海に囲まれた美しい国です。それだけに近海で大地震がおきれば津波は避けられません。地震という自然災害は人間にはどうしようもない事です。しかし、地震や津波を防ぐ事は出来なくてもその後の人災を防ぐ事は可能です。

 地震に襲われても壊れない家を造る事。災害に強い都市計画を造る事。災害に強いライフラインを造っておくこと。非常時の水や食料品の確保、食料品の国内備蓄や自給率のアップ等、この災害を教訓に経済一辺倒だった我々の豊かさの基準を改め、今こそ本当の人間の豊かさとは何かを考える時にきていると私は思います。

 日本は自然豊かな美しい国であり万一の自然災害時にも防災先進国としてその手本となり経済成長と自然との調和を保つ国としてこの災害をくぐりぬけていかねばなりません。

 我々一人ひとりがその覚悟を持ってこれから先、この国をどう変えていくべきなのか考えねばなりません。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム