本屋さんが消える?
最近、電子書籍というものがアメリカで流行し始めて先日、初めてそれをTVでみましたが何だか映画の中で見た世界が現実になっていくような気がします。
私は毎晩、寝る前に布団の中で本を読むのが習慣になっているし、出張で移動する際にどんな本を持っていくかなんてのが凄く楽しみな人間なので手持ちの本が少なくなってくると情緒不安定(笑)になってきます。しかし、この電子書籍があるとそんな心配はなくなりますね。
それにしても、最近は本が売れないらしくて近くの本屋さんがどんどん無くなっていって困っています。少し大きな本屋さんに行っても本を置いているスペースよりそれ以外のDVDやCDを扱っているスペースが段々、増えてきて本の置くスペースを侵害していっているような気がします。
これも世の中の動きだから仕方ないのかも知れませんが何となく本屋さんに入ったときの何とも言えない本の匂いとかが消えていくようで寂しいですね。
僕は学生時代は御茶ノ水で過したので古本屋めぐりとかで山の様に積み上げられた本の間を縫って目当ての本を探すのが楽しみでもあったのですが時代が変わったという事ですかね。
しかし、気になるのはこういう記録媒体の変化の早さです。印刷した本はそれこそ一生もので置いておけますが最近の記録媒体はこの電子書籍ではないですがコロコロ変わるしこの先、一体どうなるのだろうと思います。昔は印刷して残して置けたのに最近は皆、こういう最新のメモリー機器に記憶させるようになっていますがそれが昔はテープだったのにそれがCDになりステックになりSDカードになりと目まぐるしく変わっていきます。こんな事してると本当に残したい事が残せなくなっていくような気がします。
コンピューターの故障や電子機器のエラー、気象の変化による通信異常等により重要なデータが無くなってしまったり長く残す記録が段々消えていくようでいや~な感じです。実際、我々も仕事で使うパソコンのデータも必ずバックアップを取っていないとえらいコトになってしまいます。
それと電子書籍の報道をTVで見ていて感じたのはこの場合、「本の装丁だとか挿絵とかはどうなってしまうのだろう?」という変な事を感じてしまったのです。全くマニュアルの感覚で生きている我が身としては本を選ぶときに内容は勿論ですがカバーの装丁だとか光沢、厚み、匂い(笑)、帯のデザイン、タイトル、挿絵の雰囲気なんかも本を選ぶ要素として重要な判断材料になっているのですがそういうものが無くなってしまうのだろうな・・と思ってしまいました。
何だか、本にかぎったことではないのですがこういう電子機器の便利さと引き換えに人間が本来持っていた野生の感覚というのが失われていくような感じがしています。所謂、5感というのか人間が個体としてもつ感覚のみを判断材料として物事を判断すると言う事が出来なくなっているような気がします。便利さと自然や野生味というのは表裏一体で相反するものと言う事になるのでしょうかね。上手く、ほどほどに付き合っていくというのが良いように思います。
じゃあ、電子書籍はありか?なしか?と問われると実際に使ってみないと分かりません。でも想像するに便利ではあるけど「冷たい」感覚を味わうような気がするのです。過去に自分の記憶に残った書籍はやはり内容もさることながらその本の重さだとか装丁の手触りだとか挿絵の特徴で覚えているような気がします。
これは私だけの感覚かも知れませんが人間って意外とそんなものじゃないでしょうか?良く記憶術の中で体の一部に置き換えて覚えるとか時代を語呂合わせで覚えるとかこれって人間だけが持つ能力じゃないでしょうかね。私はそういう感覚や話が大好きなので文明の進歩に逆らってこういう感覚を大事にしていきたいと思っています。
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