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2010年1月

2010/01/30

本屋さんが消える?

最近、電子書籍というものがアメリカで流行し始めて先日、初めてそれをTVでみましたが何だか映画の中で見た世界が現実になっていくような気がします。
私は毎晩、寝る前に布団の中で本を読むのが習慣になっているし、出張で移動する際にどんな本を持っていくかなんてのが凄く楽しみな人間なので手持ちの本が少なくなってくると情緒不安定(笑)になってきます。しかし、この電子書籍があるとそんな心配はなくなりますね。
 それにしても、最近は本が売れないらしくて近くの本屋さんがどんどん無くなっていって困っています。少し大きな本屋さんに行っても本を置いているスペースよりそれ以外のDVDやCDを扱っているスペースが段々、増えてきて本の置くスペースを侵害していっているような気がします。
 これも世の中の動きだから仕方ないのかも知れませんが何となく本屋さんに入ったときの何とも言えない本の匂いとかが消えていくようで寂しいですね。
 僕は学生時代は御茶ノ水で過したので古本屋めぐりとかで山の様に積み上げられた本の間を縫って目当ての本を探すのが楽しみでもあったのですが時代が変わったという事ですかね。
 しかし、気になるのはこういう記録媒体の変化の早さです。印刷した本はそれこそ一生もので置いておけますが最近の記録媒体はこの電子書籍ではないですがコロコロ変わるしこの先、一体どうなるのだろうと思います。昔は印刷して残して置けたのに最近は皆、こういう最新のメモリー機器に記憶させるようになっていますがそれが昔はテープだったのにそれがCDになりステックになりSDカードになりと目まぐるしく変わっていきます。こんな事してると本当に残したい事が残せなくなっていくような気がします。
 コンピューターの故障や電子機器のエラー、気象の変化による通信異常等により重要なデータが無くなってしまったり長く残す記録が段々消えていくようでいや~な感じです。実際、我々も仕事で使うパソコンのデータも必ずバックアップを取っていないとえらいコトになってしまいます。
 それと電子書籍の報道をTVで見ていて感じたのはこの場合、「本の装丁だとか挿絵とかはどうなってしまうのだろう?」という変な事を感じてしまったのです。全くマニュアルの感覚で生きている我が身としては本を選ぶときに内容は勿論ですがカバーの装丁だとか光沢、厚み、匂い(笑)、帯のデザイン、タイトル、挿絵の雰囲気なんかも本を選ぶ要素として重要な判断材料になっているのですがそういうものが無くなってしまうのだろうな・・と思ってしまいました。
 何だか、本にかぎったことではないのですがこういう電子機器の便利さと引き換えに人間が本来持っていた野生の感覚というのが失われていくような感じがしています。所謂、5感というのか人間が個体としてもつ感覚のみを判断材料として物事を判断すると言う事が出来なくなっているような気がします。便利さと自然や野生味というのは表裏一体で相反するものと言う事になるのでしょうかね。上手く、ほどほどに付き合っていくというのが良いように思います。
 じゃあ、電子書籍はありか?なしか?と問われると実際に使ってみないと分かりません。でも想像するに便利ではあるけど「冷たい」感覚を味わうような気がするのです。過去に自分の記憶に残った書籍はやはり内容もさることながらその本の重さだとか装丁の手触りだとか挿絵の特徴で覚えているような気がします。
 これは私だけの感覚かも知れませんが人間って意外とそんなものじゃないでしょうか?良く記憶術の中で体の一部に置き換えて覚えるとか時代を語呂合わせで覚えるとかこれって人間だけが持つ能力じゃないでしょうかね。私はそういう感覚や話が大好きなので文明の進歩に逆らってこういう感覚を大事にしていきたいと思っています。

2010/01/24

「八ヶ岳エコソムリエ講座」に参加してきました

 八ヶ岳の知り合いが企画した「八ヶ岳エコソムリエ講座」の第一回入門講座を受講してきました。

 エコソムリエというのはこの企画に合わせて考えられた造語で今日、この講座を受講して自分なりに理解したところによると、その地域の文化や自然、歴史等に精通しその地域を訪れた人々にその知識を体験に基づき正しく、楽しく伝える事が出来るガイドということだそうです。

 今日がその第一回講座で4つの座学が開催されました。最初が「八ヶ岳を知る」というタイトルで元高校の地学の教師をされていた亀村平男氏が講師をされました。今日の講座の中でも楽しみにしていた講座の一つでしたので大変、楽しく話を聞かせて頂きました。

 亀村氏は八ヶ岳歩こう会のメンバーでもあり長年教師をされていただけに大変、聞く者を惹きつける話術で本来なら10時間はかかる内容の講義を僅か1時間にまとめて分かり易く説明してくれました。

 亀村氏の話によると八ヶ岳周辺は約50万年前に伊豆半島が日本列島に衝突して以来、北側に押され続けているそうな・・又、八ヶ岳周辺には古い(あくまで地質学上の古いですが)山はなく権現岳で約15万年前、編笠山で約3万年前に現在の形になったそうです。

 南八ヶ岳で最大の火山活動は今から約25~30万年前の古阿弥陀岳火山の活動でこの時に発生した岩屑流が現在の富士見町から韮崎にかけての釜無川沿いに七里岩とよぶ崖を築いたとのことです。

 又、この火山活動による大崩落の前の八ヶ岳の標高は推定約3400m程あったそうです。よく民話で語り伝えられる八ヶ岳に嫉妬した富士山が八ヶ岳を蹴飛ばして山が崩れて富士山より高かった山頂が崩れて富士山の方が高くなったという話は、地質学的にはこの八ヶ岳の火山活動の最盛期が約25~30万年前であったのに対し富士山は約10万年前に活動を開始し当時の標高は1000m程だったそうです。つまり民話のとおり八ヶ岳の方が圧倒的に高く古い先輩の山だったという事ですね。富士山が現在のような形になったのは僅か1000年前のことだそうです。いやはや地球の歴史というのは奥が深いですね。

   八ヶ岳は日本のへそと呼ばれるように地質学的にも主要なプレートが集まっている地域で元は海底深く沈んでいた地層が隆起してできた新しい地域だそうです。

 続いて2時間目はご存知我らが「八ヶ岳歩こう会事務局長」多賀さんの講義でタイトルは「八ヶ岳の歩き方~棒道編~」で多賀さんによるウオーキングの楽しみ方の講義を受けました。

 楽しみ方の秘訣は唯黙って歩くのではなく一緒に歩く人達と「楽しみ」「しゃべり」「笑い」「食べ」「癒し」「出会い」「感動」する事が大切であるとの話を聞き長年、ウオーキングで多くの方を日々案内されてきた人らしいウンチクのある楽しい内容の講義でした。

 昼食をはさみ午後の講義はやはりいつも一緒に活動している八ヶ岳の自転車野郎「なかアウトドアーズ」の中川さんの「八ヶ岳の遊び方」から始まりました。

 中川さんは当社のお客様でもあるのですが6年前に静岡から八ヶ岳に移り住んで来た方で2年前から独立して「なかアウトドアーズ」を設立し自転車やスノーシュー、カヤック等のアウトドアの遊びをとおして八ヶ岳の魅力を案内しています。

 そして最後の講義は八ヶ岳自然ガイド協会代表の斉藤一紀氏による「八ヶ岳の自然~野鳥編・初級~」の講義でした。

 斉藤氏は野鳥観察に造詣の深い方で八ヶ岳周辺に住む鳥達の事を詳しく説明してくれました。講義にあたり最初に渡された資料の1ページ目が野鳥認知度・簡易テストとかかれたテスト形式になっており自分が八ヶ岳で見た鳥の名前を10種類書き、さらにその中でよく知っている鳥の絵を描きその鳥の生態を文章で説明せよとの設問でした。

 いや~これがなかなか難しくて知っているようで全く知らないという事に改めて気付かされました。八ヶ岳周辺には約170種類の鳥が観察されておりこれは日本でも有数の地域であり中でも北杜市の鳥として指定されているフクロウについては日本一と言えるほどの個体が生息しているそうです。

 しかし一方で昔、八ヶ岳の山頂付近で観測されたライチョウについては現在は全く見つけられないとの事で確実にその生態は変化しているようです。近年はバードウオッチングが流行し野鳥への関心も高まっているが例えば巣箱を作る活動そのものは評価するがかけっぱなしではダメで必ず年に1回は外して中の巣材を取り出し掛け直してやる等のフォローが必要との話に思わず納得してしまいました。

 「鳥は見ようとしないと見えない」という言葉と「鳥の未来は人間の未来を象徴している」という話が印象的でした。

 「エコソムリエ」は今後も講義を続け単位数を重ねる事によって多くの「八ヶ岳エコソムリエ」を育てる活動を続けるそうです。私も微力ながら応援していきたいと思っています。

2010/01/16

冬の里山の一日

 今年も厳冬シーズンまっさかりとなりました。高知育ちの私としてはこの寒さがひたすら我慢となるのですが(それじゃこんな寒いところに来るなよ・・と言われればそのとおりなんですが(笑))今年は気温の割りに体感温度が寒くて何だかやたら寒い気がします。

 そんな寒い平凡な私の日々の暮らしは先ず、朝大体645分頃起きて窓のカーテンを開けます。そうするとこの時期はまだ朝日が上がってきてなくて東の空が明るくなってきたといった感じです。もちろん太陽は東の森の中から上がってくるので森の外よりは少し遅くなります。

 それからボイラーのスイッチを入れてお湯で顔を洗います。この時期はボイラーのコントローラーのスイッチを切っても元電源が入っている限り我が家のボイラーは凍結防止の為に自動的に時々スイッチが入って水温が下がらないように働いています。

 それから灯油のファンヒーターのスイッチをいれて部屋を温めます。基本的に我が家の暖房はウッドストーブなのですが昼間は出掛ける事が多いので消してしまいます。そして夕方帰ってくると先に女房がウッドストーブの火を起こして待っているか私が起こすかどちらかで暖をとっています。我が家はログハウスなので基本的に一度暖まると冷めにくいのでその点ではとても助かっています。

 会社への通勤はこの時期はスタットレスタイヤに履き替えた4輪駆動車で往復する事になるのですがいつもとルートを変えています。いつも通る森の中の道は陽が当たるカーブと日陰のカーブでは全く様子が変わり、かなり慣れたものでも結構、危険なので通らないようにしています。陽が当たる側は結構、融けていて、こりゃ大丈夫と思ってスピードを上げると直ぐに逆カーブではアイスバーンになっていて路面はツルツルで慌ててブレーキを踏んだらスーと滑って側溝へ・・・なんて車をしょっちゅう見かけます。だからこの時期は森の中の道は出来るだけ避けて通るようにしています。その為にちょっと遠回りになりますが一旦、標高の低い道まで下がって幹線の道を上がるようにしています。

 それから車に関しては色々工夫があって駐車する時は出来るだけ南向きに駐車します。これは吹雪いた時に出来るだけフロントガラスに雪が積もるのを避ける為です。この辺りは八ヶ岳おろしという冷たい北西の風が吹き降ろしますから。勿論、雪が降りそうな時はワイパーは上げておかなくてはなりませんけどね。それとサイドブレーキは引きません。凍結して解除出来なくなる可能性がありますからね。

 仕事場の室温は大体10度位、寒いので室内でもジャンパーを着て(笑)ウオームビズしています。冬の夜、雪が降ると次の日の朝は自宅でも会社でも雪掻きが朝一番の仕事です。余りに積雪が多いと雪掻きだけで一日分の体力のかなりを使ってしまい、もうヘロヘロ何て事もあります。

 それと困るのは室温が低いので事務仕事をしようと思っても手が震えて少しストーブで手を温めないと字が書けない時もあります。

 こんな事を書くと冬の季節は辛いことばかりのように思われるかも知れませんが楽しい事もあるんです。例えば晴れ上がって放射冷却が厳しい朝、冬山となる廻りの2000m級の山々は本当にこれぞ自然がくれた壮大なプレゼントの様に美しい姿を見せてくれるし、寒い冬の夜、ウッドストーブの前で薪がはぜる音を聞きながらウッドストーブの扉のガラス窓から見える炎を見ているのはお金に代えられない満ち足りた時間を与えてくれます。

 それに、この寒い冬があるから豊かな自然が育まれ新しい生命が生まれる春の季節の有難さが実感として感じる事が出来ると思うとこの寒さも我慢出来ない程、寒いとは思いません。そりゃ、人間なので寒いことは寒いのですがその後に楽しみがあるので我慢なのです。その点が都会に住んで居た時よりも季節を肌で感じるという実感が大きく違うところだと思います。

 唯一、私が苦手なのが足元が滑ると言う事。どうも南国育ちなのでウインタースポーツが苦手で今まで散々スキーやスケートにチャレンジしてきたのですがどうもこの足元が危ない、滑るというのが慣れなくてダメなんですよ。今年も現場でスッテンコロリンとして「痛くないです・・・」と見栄をはりながら痛さを我慢していました(笑)

2010/01/10

今年はどんな生き物達に出会うでしょう

 今年は年明け早々からダッシュのように仕事が始まり、すっかり年末年始のお正月気分も抜けてしまい、いきなり全開モードでいつもの慌しい日常がスタートしました。

 今年はどんな年になるのでしょうね。今日、自宅で昼ごはんを食べながら何気なく外を見ていたら目の前の森の中にバンビちゃんを連れた親子連れの鹿の群れが走ってきました。雌鹿が3頭の小鹿をつれて群れから少し離れてしまったようで森の中で佇んでいました。

 ちょうど我が家の100m程下に鹿が通る獣道がありいつも連中はそこを往復していますが途中、車が通る舗装された道路を横断する為にそこを通る時は連中も慎重なのですが、たまに車が通り掛ったりすると群れが分断されてパニックになるのです。

 慣れた人ならじっと連中の通り過ぎるのを待つか様子をみながらゆっくり通り過ぎてくれるのですが慣れない人が通り掛ると慌ててブレーキを踏んだりもう来ないと思って走り出すと目の前に鹿が飛び出してきたりと鹿の群れにとっては危険な状態になります。

 特にこの時期は猟期なので週末の休みの日は近くから発砲音がしょっちゅう聞こえてきます。都会の方には信じられない事でしょうが私の住む森の周辺は発砲注意地区といって猟が許されている地域なのです。だからこの猟期には始終近くでパンッパンッという猟銃の発砲音がします。

 地元の猟友会の人達が害獣駆除として入っていたりレジャーハンターが入っていたりします。長年、発砲音を聞いているとその人が上手いか下手かも分ってしまいます。パンパンとやたら射ちまくる猟師達は当たらないからやたら撃つ訳で、猟になれた方なら大抵、発砲音は1発か2発で終わりです。その後は静かなものです。だから仕留めたなと分ります。

 鹿達もよくしたもので猟師達が入っているときはどこかに逃げるようで時々里に逃げ込んできたり山奥深く隠れるようですね。しかし、ここ数日は里山にも雪が降ったのできっと山の上の方では餌が取れなくて下に下りてきたのだろうと思いますね。

 それにしても増えすぎて害獣に指定されて今年もかなりの数の駆除が認められているようですが何となく忍びないですね。せめて奪った命への弔いは忘れないようにしたいですね。

 山梨県でも近年はジビエ料理として鹿肉料理のレシピを考案して観光にも役立てようとしている様です。しかし、我が家の家の前を通り掛る小鹿達の可愛いお尻の白い模様をみていると「早く逃げな」と思わず心の中で思ってしまいます。

 そういえば雪が降った朝やシンシンと雪が降っている夜、森の中を通りかかると動物の足跡がそこら中についている事があって思わず笑ってしまう事があります。夜中に結構大量の雪が降った朝、家の前に出てみると明らかに猫の足跡があったりして、この寒い雪がふる夜中にこいつ何の為に遊びにきたんだろ?とか、思いがけず小さな足跡が一直線に付いていて誰だこいつは?とか結構、想像力を掻き立てられます。

 そういえば先日、我が家に遊びに来たテン君はその後、干し柿のひもを引っ張ったまま裏の古くなった木端の山の中に入って行ったらしく紐だけが外に出ていました。どうやらその中に彼(彼女?)の秘密の隠れ家があるようです。しかし、確かその中には家に住み着いていたヤマカガシ君が先にいた筈なんですが・・・食べちゃったかな?それならそれで蛇嫌いの私にとっては好都合なんですけどね。

 今日は車を運転して信号で止まると何やら白い小鳥がツガイで大騒ぎしながら道路脇に下りてきて車に轢かれそうになりながら、それでも飛び立たなくて、何だか求愛行動かな?と思ってみているとどうやら嘴に加えたものを奪い合っているみたいでいつまでもくっついて大騒ぎしていました。

 今年もきっと色々な人間以外の生き物達と出会う事があるます。彼らがどんなユーモラスが行動を見せてくれるのか楽しみです。

2010/01/05

2010年、今年もよろしくお願い致します。

 新年あけましておめでとうございます。2010年、切りのいい新しい年が始まりました。

 今年の年末年始はどこにも行かず子供達が森の中に戻って来たのでごくごく当たり前の穏やかな家族水入らずの時間を過ごしました。久しぶりに家族全員が揃ったので一緒にゲームをしたりカラオケを楽しんだりと平凡ながら充実した年末年始でした。皆さんはどんなお正月を迎えられたでしょうか?

 時間の経過としては只々、時が進み新しい年を迎えたに過ぎないのですが私は気持の切り替えとしてお正月というのは大切な一年の行事の一つだと思います。勿論、お正月は仕事で忙しい方もいらっしゃる訳でそれはそれで又、どこかで気持の切り替えが必要になると思いますが私は無事にお正月を迎えられる幸せを本当に嬉しく思っています。

 お正月の我が家の楽しみの一つはTVで箱根駅伝を見る事です。例年は高知からの帰省中、車の中で見る事が多いのですが今年はどこにも行かなかったのので家でじっくり楽しむ事が出来ました。

 私も高校生の頃、陸上部に在籍していたので走る楽しみや苦しみは少し知っています。陸上競技は本来は個人競技と思われていますがリレーや駅伝だけは団体競技ですね。個人の力量の積み重ねが団体競技となるのですが、そこに襷を繋ぐという要素が混じってくると単に個人のラップ記録の積み重ね以外の要素が出てくるので競技としての面白さはグッと増してきます。

 私も学生時代4×100Mリレーにも出ていたのでその楽しさや苦しみは実感として分かっているつもりです。必死で練習を積み重ねて出場した四国大会で私と次のランナーとの間でバトンが渡らず帰ってきてから「何の為に行ったんだ!」と周りから叱られたり、第2走者として走って県記録を破れずに同タイムに終わった時、中継をしていたラジオの解説者から「第2走者がもう少し早ければ記録を破れた」と言われ、凄く落ち込んだ事もありました。

 ましてやTV中継され全国のファンが見つめる中での箱根駅伝ならそのプレッシャーたるや想像を超えるものがあると思います。「襷が繋がらなかったら・・・」と思うとその選手の気持は痛い程感じます。今回も最終10区で繰り上げスタートとなり1チームの襷が途絶えてしまいました。

 それまで1区から9区まで繋いでいきたタイムの結果なので決して9区の選手の責任ではないのですがやはりそこは人間、走っている選手は何とか襷を繋ごうという思いで走っているので繋がらなかった時は「申し訳ない」という気持になてしまいます。

 まして自分が走っている最中に故障して襷が途絶えた時は尚更、自分を責める事になるのです。今年も選手の一人が昨年、自分が故障して襷が途絶えた区間を再度走り見事に襷を繋ぎ1年間苦しんできた心の葛藤から解放されました。

 又、箱根の山登りでは昨年に続き今年も区間新を更新して見事トップに躍り出た選手がいました。平坦なところではそれほど大きな差は出なくても山登りとなると話は変わります。箱根駅伝のコースを考えた人はそこまで考えてコースを決めたのでしょうかね?

 選手の中には山登りが得意な人、下りが得意な人、それぞれ個性があります。だからそこには個人記録の足し算にはならない要素が加わりそれが箱根駅伝の魅力になっているのだと思います。

 私も又、新しい年の始まりに当たり人の心の複雑さや神秘に改めて接する事が出来ました。今年も多くの人と接する事になると思います。どんな出会いやドラマが待ち受けているのか楽しみですが、私と色々なかたちで繋がる事になる皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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