« 2009年4月 | メイン | 2009年6月 »

2009年5月

2009/05/24

サラバ、サザンオールスターズ

 先日、久しぶりに何も用事の無い休みの時間がポッカリ空いたので前から見ようと思っていたWOWWOWで録画したサザンオールスターズの30周年となるファイナルコンサートを見ました。

 彼らがデビューした頃の印象は面白い個性を持ったバンドだなという感じでした。今でも覚えているのは確か青山辺りのビルの屋上での演奏をTV中継したものでしたが桑田がお尻を出してしまってヒンシュクをかい、当時、結構騒がれた様に記憶しています。当時の事をリーダーである桑田も兎に角目立とうと思って必死だったと言っていました。しかし、このバンドが30年という長い間、多くの人の支持を得たというのはやはり一つの時代を代表するバンドとして常にファンに向けてその時代が求める音を提供してきてそれが共感を得たという事だと思います。

 私は音楽には年齢も性別もジャンルも無いと思っています。クラシックしか聞かない人、ジャズしか聞かない人、人はそれぞれですが私は垣根を作らず自分の感性を信じて気持ちの良い音を聞こうと思っています。

 サザンオールスターズはそういう意味では結構、色んなチャレンジをしたバンドだと思っています。最近の音楽作りではヒットしない曲は作れないのか知れませんが何だか似たような曲やカバー曲がやたら多いような気がします。サザンの曲は一時、桑田が言っていたように「詩」に余り重きを置かずどちらかというと「曲」に重点を置いた楽曲が多いのですが、かと思うと当時の時代批判を込めた「詩」をふんだんに込めてみたり、バラードやサンバといったジャンルの音を散りばめてみたりと色々なチャレンジを惜しまずやってきたから多くの人に支持されたのだと思います。サザンは売れるだけなら多分、バラードだけを定期的に出していけば充分、やっていけたバンドだと思います。実際にバラードだけのCDもちゃんと定期的に出していますけどね(笑)

 しかし、30年という長い期間、トップセールスを続ける事が出来るというのは大変な事でそれなりにプレッシャーも大きかったでしょうね。私の青春時代もまさにサザンと同時期だったので色々なシーンが彼等の楽曲とダブって記憶されています。余り他人に言えないような辛い思い出や反対に嬉しくて楽しくてたまらなかった時、彼等の曲が近くにありました。何かの折にそんな思い出の曲が聞こえてくると忽ちそれらの記憶がよみがえり当時の匂いがよみがえったりします。確か頼まれて結婚式で「いとしのエリー」をギター担いで歌って大恥かいた事もあったな~。3時間半というとてつもなく長いコンサートを見ているとそれらの思い出が頭によぎってきて思わず目頭が熱くなってきたりして、これも音楽のなせる業ですね。

 最近はたまたま仕事でピアニストのお客様の自宅を建てさせて頂いたのを縁にクラシックコンサートのスタッフをお手伝いしたりしてクラシックコンサートに出掛ける機会が増えてきました。正直いってクラシックなんて柄ではないのですが最初に言ったように元来、余り物事に拘らない優柔不断な性格なものでどんな音楽でも自分が聞いていて気持ちよければどんなジャンルの音楽でもホイホイ聴きに行きます。それが自分の感性を磨くコツだと思っていますから。

 クラシックは何を間違ったか親が私の小さい時にピアノの個人教師何かをつけたもので子供の頃はピアノが弾けたのですが、そこはそれ何せガキ大将だったのでピアノより外で暴れる方が大事で早々に先生に強制退去願ってそれ以来ピアノは全く駄目になってしまいました。その後、ご他聞にもれず学生時代はギターに凝ってフォークギターをかき鳴らし、やれコード進行がどうのと遊んだクチです。当時、渋谷のヤハマ楽器がメッカでよく覗きに行きました。そう言えば当時、かなり怪しい奴が下宿に出入りしていて何故、そんな奴と知り合ったのか良く覚えていないのですが初めてエレキギター(当時はそう言っていたのですよ・・笑)を下宿に持ち込み昼日中から部屋に篭って音あわせなんかして演奏していました。あれは何だったのでしょうね?今でもよく分りません。

 私の事務所ではBGMにいつもFN放送が流れています。東京でサラリーマンをしていた時は考えられませんでしたが今はBGMが流れていないと落ち着きません。そういえば現場でも、うちの職人さん達は比較的若い人達が多いのでポップな曲が流れている事が多く、昔の現場みたいに昼休みに演歌がガンガン掛かっているなんて事は無くなりましたね。私は音楽が溢れる空間というのは優しい平和な時を刻むと思っています。いつも心に音楽を・・・

2009/05/17

森のコンビニ事情

 私が八ケ岳に引っ越して来た20年前には近くにコンビニと称するような店は1軒も有りませんでした。あるのは所謂、田舎の民家が建っている中に良くある何でも売っているお店。棚に置かれている品物は一体何時から置かれているんだろう(笑)と思われるような埃を被った商品が大半でした。それでもパンも売っていて、今では考えられませんが、日切れしたパンをダンボール箱に入れて安売りしていて私もよくそれを買いました。別にお腹を壊すこともなかったしね・・・

 

 その他に町の中心部に唯一あったスーパーのお店が「移動スーパー」と称するトラックを改造して中に棚をつくった移動店舗を造り、この改造車が山間部の民家を回り、町まで出て来られないお年寄りの家庭には便利な買い物のお手伝いになっていました。この移動スーパーは大体、止まる場所と時間が決まっていて畑仕事が終わって家に戻ってきたお百姓さん達が利用出来るようになっていたようです。

 

 そんな買い物事情が当たり前のようになっていた森の生活にも或る日、近くにコンビニが出店されるという話が伝わって来ました。「へえ~いよいよここにもコンビニが出来るのか」と驚いたのを覚えています。それから結構、短期間にあちこちにコンビニが建てられるようになりローソンやセブン・イレブン何ていういわゆるメジャーなコンビニも続々増えていきました。それでも当時は夜、人が出歩くなんて事は考えられなかったので夕方には閉まる店がほとんどで、「全然セブン・イレブンじゃ無いね」なんて笑っていましたが今では24時間営業なんてのが普通になってきてしまい、すっかり買い物事情は変わってしまいました。

 

 比較的早い時期に中央高速道路小淵沢ICの前に出来たローソンは当時の売り上げ高(何の売上高かは忘れましたが・・)日本一なんて話も聞くようになり驚いたものです。

 

 この話の最初に出てきた何でも売っていた「何でも屋さん」も大手チェーン店のコンビニに改装され2代目さんが中心になって経営されるお店になりました。それでも当時の店番をしていたオバチャンもまだ現役で頑張っているので時々、私が顔をだすと「ありゃ!久しぶり。今日はさぶいね~」何て昔のままの元気な姿でカウンターに立っています。

 

 その内に中央高速道路長坂ICの前にも大型ショッピングセンターが建設され、今では買い物にはほとんで不便を感じなくなりました。しかし、その事は同時に地元商店街の営業にも大きな影を落とすことになりました。

 

 山間部に暮すお年寄りの買い物を支えていた移動スーパーは経費削減で無くなりお年寄りには返って不便になってしまいました。地元商店街では大型SCに対抗出来ずに店を閉めるところも増えてシャッターが閉まったままのお店が段々増えてきているような気がします。

 

 世の中の移り変わりで仕方無いことかもしれませんが少し寂しい気もします。それでも元気に頑張っているお店もあり、そういうお店に行くと品揃えなんかは確かにコンビニやSCには敵わないかもしれないけど、そういう大手の店にはない細かなサービスや人情何かがあってそれはそれで嬉しいものです。レジのところに火鉢やお漬物何かが置いてあり「お茶飲んで漬物食べてきな」なんて声掛けられ、まるで昭和の初期にタイムスリップしたような気分になりそれが何だかホノボノ嬉しかったりするのは何故なんでしょうね。

 

 今ではここ北杜市内でも10店舗以上のコンビニがひしめきあっていてちょっと車で走っていると必ず見かけるようになりました。しかし、それが災いしてか大型SCがオープンして直ぐにSCの敷地内に置いてあったATMが建設用重機で壊されて中の現金支払機が持ち去られたりして物騒な犯罪も起こるようになってしまいました。昔では考えられない事です。

 

 便利になって買い物には困ることは無くなったのですがそれと引き換えに無くしたものもあるような気がします。

2009/05/10

自主上映会「いのちの作法」開催のお知らせ

Omote Ura

北杜市の知り合いのペンションの風路さんがある日、東京で見たこの映画に感動しこの映画を是非、北杜市で開催したい!との思いで仲間の輪が広がり、とうとう7月5日(日)に北杜市長坂コミュニテイーステーション・ホールで昼・夜の2回上映が決定しました。

この映画は戦後の混乱期に岩手県の寒村だった旧沢内村が豪雪・貧困・多病多死の困難を当時の深沢村長を中心とした生命行政(住民の生命を守る事こそが地方行政の使命)により日本初の老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成した物語を描いた及川和男著 「村長ありき」を原作としその後の沢内村を描いた作品です。

私はこの映画を見て、この作品に描かれている現代の沢内村(岩手県西和賀町)は当時の深沢村長の遺志を引き継いだ後継者達が未だにこの問題と取り組んでおり、これこそが今、日本の行政に必要とされている事だと思い知らされました。

私は自分達が住む山梨県北杜市も是非このような年寄りと若者が一緒に暮らせる市になって欲しいと思い1人でも多くの人にこの映画を見て欲しいとの願いから実行委員としてお手伝いする事になりました。ご覧になりたい方は当社までご一報下さい。チケットをお届けします。

メモ雑感

 最近、何でもメモするようにしています。それは歳取って忘れっぽくなった事(笑)が原因なんですが取り敢えずメモしておけば大丈夫かなと・・・

 昔、サラリーマンをしている時に尊敬していた上司がいつも机の上に小さなメモを置いていました。とても理論的な思考をする方で私みたいに思いつきで動く典型的B型行動人間とは全く違っていつも静かに時に激しく議論をする人でした。

 ゼネコンから出向してきている方で私が就職した会社内でも立場的に難しい立場にいる人でしたが私はその人に社会人としての基礎となる色んな事を教えて貰いました。今の私があるのもその人のお陰とも言えます。

 当時、ある空港のターミナルビルの仕事をしていましたがそのビルは老朽化が進んで良く雨漏りをしていました。或る日やはり屋上から雨漏りをして、下のテナントのお店に雨水が天井から垂れてきて騒ぎになり、すぐその上司が所属しているゼネコンの会社に依頼して対応して貰ったのですが当時、新入社員だった私は立場上その工事を依頼する側の会社の人間だったので、そのゼネコンの作業員の人達が一生懸命雨漏りした水を排水したりテナントさんの商品が濡れないようにビニールを掛けたりする作業を腕を組んで見ているだけでした。

 その途端、その上司から雷のような怒鳴り声を掛けられ「バカヤロー!さっさとバケツと雑巾を持ってきて手伝え!」と怒鳴られました。本来なら出向先の社員を怒鳴りつけるというのは立場上、憚られることだと思いますが逆にその先輩は私が入社した会社の人間が私のような新入社員が黙って腕組んで作業を見ているのを咎めない事に苛立ったのかなと思いますがその目の前で私を怒鳴りつけたのです。

 考えてみれば私が就職した会社はその建物を管理する側の会社でしたのでそのテナントさんの店に雨漏りしているのですからいくら業者が作業しているからと言って管理会社の社員がそれを腕を組んで見ているだけというのは常識的にマズイ光景でそれを教えたくてその上司は怒鳴りつけたんだと思います。それが最初にその上司に叱られた記憶でした。

 話が逸れてしまいましたがその上司は朝、机に着くといつも小さなメモに何か書き付けていました。何てことは無いコピー紙の切れっぱしに書き付けていましたが私はいつもそれが気になって何を書いているんだろうと思っていましたがとうとう私が退社するまでそのメモを覗く事はありませんでした。

 しかし、自分が最近、物忘れをカバーする為にメモをとるようになってフト気が付いたのです。あれはもしかしたら自分のするべき仕事をメモしていたんではないかなと・・・そんな気がしたのです。当時の上司は今の私より少し齢は上でしたがきっと理論家の方だったので自分の頭の整理をする意味でメモをとっていたんではないかと気付いたのです。

 そういえばあるプロジェクトチームを立ち上げた時にその上司は「デカイ紙を持って来い」と我々に言いつけました。言われたとおりに真っ白なデカイ紙をつくりテーブルをくっつけてその上にそのデカイ紙を置き、どうするのかと思いきや「このプロジェクトを遂行するのに必要だと思いつくことを何でも良いから書け」と言われ、我々新入社員は兎に角、何か書かないと又、怒鳴られるので何でも頭に浮かぶことをマジックで書き込みました。

 当時は「これって新入社員研修でやったブレーンストーミングだよな?」何て生意気な事を心では思いながらもそんな分ったような事を口に出来る立場では無かったので黙って言われたとおりに思いつくままに嫌々(笑)項目をデッカイ紙に書き込みました。その先輩はその項目をジャンル毎に円で囲み関連性を纏めて今後検討すべき項目を見事に文字で表現して我々が何をすれば良いのかを分りやすく説明してくれました。本来なら多分、自分で作成した例のメモに全て書いてあってそれを我々に命令すれば済む事だと思いますが敢えて我々、新入社員に自分達でそれを発案させるように仕向けたのだと思います。

 現代はメールや私が書いているブログのように文章で表現する機会が増えてきました。それは頭の中を整理するという意味ではとても良い事だと思います。勿論、口に出して伝えると言うことはもっと大切な事だと思いますが自分の考えや言いたい事を文章化するという事は大切な事ですね。私の机の前には使用済みのコピー用紙を小さく切ったメモ用紙がいつも積まれています。これが今の私の仕事上、大切なツールになっています。

2009/05/03

桜草とGW

20090503_084143812

 我が家のコブシの木の下に桜草が咲きました。女房が最近、庭造りに凝っていて一生懸命コツコツと小さな庭造りに励んでいます。

 私はいたってこの花の名前が苦手で全然、分りません。しかも仕事の関係で決まった休みがないし特に世間の人が休みの時は仕事という事が多いのでちっとも女房と休みが合いません。だから、最近は時間があると女房は私を外に連れ出しては花の名前をマシンガンのように私に告げるのですがこれがマア見事に右の耳から左の見に抜けていくのはどうしてでしょうかね?とっておきの美人が耳元で囁くように教えてくれると覚えるのかも知れないのですが(笑)アッ、でもかえって何言ってるか上の空か・・・

 マア、兎に角遅ればせながら今年も森の中に新緑の季節がやって来ました。しかし、ちょっと気になることもあります。最近、家の周りの森の木々達が次々と倒れていきます。ついこの間も夜中に何だか家のそばでバキッという凄い音がして次の朝、家の裏を覗いてみると大きな枝が折れて我が家の屋根を僅かのところでかわして地面に倒れていました。直撃したら危ないところでした。

 それ以外でも森の中でやたら今年は倒れる木が目立っています。根がすっかり起きてしまってゆっくり傾くように倒れていく木もあります。唐松林はこうやって徐々に広葉樹の森に変わっていくのが自然なのでこれも自然の摂理といえば摂理なのですが、どうも最近、倒れていく木が多くなったような気がします。

 そういえば最近、母なる太陽も黒点活動が弱まりここ数百年なかった程、全く黒点が見られずニキビ面が消えた真っ赤な太陽になっているそうです。太陽の黒点の減少が具体的に地球にどのような影響を及ぼすか、まだ分らない事の方が多いようですが太陽風の減少により地球に降り注ぐ地球外からの様々の宇宙線が増えるそうです。だからどうなんだと言われると困るのですが今まで地球に届かなかった異物が届くようになるのでキット何かが変わるということですね。

 しかし、日本ではそんな事とは全く関係なくGWが始まりどこもかしこも観光客だらけです。ここ八ケ岳も例年のように多くの車と人で溢れかえっています。

 ちょっと近くのお客様と打ち合わせに行こうと思っても道の真ん中でデッカイ車が止まっているし、曲るのか止まるのか、はてまた進むのか全く分かずとにかくどうしたいのかちょっと意思表示して貰えると助かるんですけど・・・

 かと思いきや、交差点で右折のウインカーだして一時停止している車があるのでその左に並んで左折しようと思ったら、いきなりその車が気が変わって左も見ずにいきなり左折してきてぶつかりそうになったり、いつも行く近くのコンビニへ買い物に行ったら明らかに田舎には不似合いなハイヒール履いたオネエチャンが香水の匂いプンプンさせながら男とイチャツイテいたり、兎に角私が最も苦手とする都会の喧騒と人のイライラ光線がそこかしこに溢れていて「コリャイカン、大人しく事務所に引っ込んでコンリンザイ外に出るものか」と硬く心に誓うのでした。

 こういうのを「閉じこもり」というのでしょうか?それなら凄くそういう人の気持ち分るな~。私なんか昼間、家の外に出て森の中で小鳥の声しか聞こえなくて時々風が吹いて木々が揺れるだけなんて状態は至福の時だもんな~。そういう意味では根っからのサボリ大好き人間です。ボ~と日がな一日していていつの間にか日が暮れるなんて事はしょっちゅうです。これはイケナイ事なのかな?マア、森の中に住んでいる人間の特権と思い大目に見て下さい。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム