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2009年6月

2009/06/29

日本林業再生の願い

 先日、加盟しているウッドマイルズ研究会の総会が東京であり参加してきました。この会の目的は地産地消の木材を利用する事により木材運搬に関わるCO2削減を図ろうとするもので、その為に一般消費者にも分かりやすくその指標を公開しようとする研究会です。午前中に総会があり午後からはフォーラムが開かれ講師による講演や参加者による意見交換等が行われ活発な意見が交わされました。

 しかし仕事柄、こういう会議や打ち合わせに参加する事が多いのですが今、日本の林業は本当に衰退してしまい、おまけに昨年来の経済危機が追い討ちをかけるように衰退に拍車をかけた格好で川上側となる山元の林業関係者は悲鳴を上げています。会議が行われる度に政治が悪い、工務店が悪い、林業家が悪いとお互いに中々どうしたら良いのかという議論に発展していかない位、疲弊した状況が続いています。

 今、日本には国内で建築される木造住宅の全てを国産材で供給出来るだけの生産量があるのですが実際にはその大半を輸入材が占めている状況です。何故、このような不可思議なことになってしまったのか?色々なところで色々な意見があって私にもこれが原因だなんて事は分からないのですが最近、ひとつ感じるのは「文化の違い」と言う事です。

 これだけ山林に囲まれた日本が森林文化に疎いなんて事は思いたくないのですが急速な経済発展やそれに伴う諸外国からの圧力が森林文化の発展を妨げてきたのではないかと思います。それは食料自給率の低下にも似た現象ではないかと思います。国内で充分な供給体制があるにも関わらずそれらの資源を生かせない仕組みや文化が築かれてしまったんではないでしょうか?

 今の子供達が「近くに立っている木を倒して家にする」なんていう感覚を感じる事が出来ているのでしょうか?私にはすごく疑問です。子供の頃に海や川に行って魚を釣って自分で焼いて食べるなんていう体験がそういう文化の継承には絶対に必要だと思うのです。同じように木を切ってそれで物を造るなんて体験が森林文化を築くのだと思うんですよね。いまだに、里山つくりなんてイベントをお手伝いしていても「木を切るなんてとんでもない。それなら私は帰ります」なんて怒って帰られる方もいます。何をかいわんやですがその程度しか理解がないというのが実情なんです。

 ではどうしたら良いか?それが分かればとっくに日本の林業は再生しているのですがその方法が分からないから苦しんでいるのです。私も仕事柄、木を扱うので山元の方の苦悩はいつも聞いています。その時に感じるのは「卵が先か鶏が先か」の疑問なんです。私は自分たちで使う良い木が欲しい、そういう木を伐り出して欲しい。山元の方はいつも大量に使ってくれるなら伐るけどそうでなければ伐るだけ赤字でやっていけない・・・いつもこの議論のどうどう巡りです。

 良い木がないから注文出来ない。注文がないから伐らない。ではどうすれば???川下側の消費者が変わらなくてはならないのか山元の林業関係者が変わらなくてはならないのか?私はどちらも変わらなくてはならないと思います。

 家の設計が出来た。「じゃ何時出来ます?3ヶ月位で出来ますか?」こういう会話がいつも出てきます。公共事業でもそうですがどうしても年度予算で物事が動いています。だから「伐採に適した時期(冬)に伐採し山で充分天然乾燥(葉枯らし)して出材して・・・」なんていってると時間ばかり掛かります。それを今の時代は許さない風潮があります。工業化が進み「家は買う物」という文化になってしまっています。何故か?自然を理解していないからです。山元の林業家の方も消費者の方も含めて今の時代は余りにも経済最優先主義がつっぱしり過ぎた為に地球上に住んでいる限り避けて通れない自然との共生が意識の遠くに追いやられてしまっています。

 時間がかかる天然乾燥に代わり強制乾燥機が国の100%補助で整備され林業機械も日本では世界有数のコストを掛けて投入されています。なのに国産材は流通しない。高価な林業機械も稼動しない。これでは何の為の補助制度なのか分からなくなってしまいます。文化の無いところに機械だけ投入しても効果は得られないのです。

 私は東京へ出る度に思います。今、私は森の中で木々に囲まれて暮らしています。そしてその暮らしは金銭的に豊かでなくても精神的にとても豊かに暮らす事が出来ています。勿論、人それぞれなので都会での暮らしが向いている人もいるでしょうが本来、人間は昔、自然と共に生きてきたはずです。そういうDNAが少なくても自分たちの体には残されているはずです。

 林業再生にはそういう文化の見直しが絶対的に必要です。農業にも共通し全ての産業にも共通する事だと私は思います。是非、自然との共生に重きを置いた文化の再生に官民一体となった取り組みをして欲しい欲しいと思います。そうすれば島国である自然豊かな日本独自の文化を生み出すことが出来、その時こそ世界に誇れる日本文化の再生が始まると思います。

2009/06/22

ゆっくり暮らそうよ

 最近、思うんです。世の中急ぎすぎてませんか?もう少し落ち着いてゆっくり暮らそうよと・・・私だけですかね?こんな事、思うのは。元来が生まれつきのノンビリ大好き人間で、旅行なんかで海辺に行ったら一日中、砂浜で本読んでいて大丈夫な人間です。

 まあ、それは置いておいても最近、やたらと世の中、慌し過ぎませんかね。経済再生、それは尤もだとは思いますがもともとバブルに浮かれてサブプライムローン何て良く分からない商品を生み出して結局、破綻するのが目に見えてたのに目先のお金に目がくらんでリスクをどこかに追いやったのでこうなってしまったんですよね。私には難しい事は分からないけど元々、無理があったという事ではないでしょうか?であればここで一旦、落ち着いて本当は何が大事か考え直しましょうよ。経済最優先から福祉・医療・自然最優先に変更出来ませんかね?

 今、北杜市で思いを同じくする人達が集まって「いのちの作法」という自主映画を上演しようとしています。ペンションのオーナー夫婦が東京で見たこの映画に感動しこれを是非、北杜市でも上演しようというのがこの活動の発端でした。賛同する人達が集まり現在、上演に向けてチケット販売をしていますが当初、無謀ではないかと言われた12回公演が今や、昼の第一部は既に満席となり夜の部も半数近くが売れています。それだけ感心が深いという事です。

 この映画は昭和30年頃に岩手県の山村、沢内村で行われた「生命行政」が現代にどのように受け継がれているかを描いたドキュメンタリーです。豪雪・貧困・多病多死の三重苦に喘いでいたこの村を深沢村長という一人の人間が「地方行政の最大・唯一の目的は住民の命を守る事だ」という使命に燃えて「生命行政」という医療を中心とした画期的な行政を行いました。戦後の混乱が未だ続く昭和30年代に日本で初めて老人医療費無料、乳幼児死亡率0を達成するという奇跡のような行政がこの小さな山村で行われました。

 何故、この「生命行政」が現代では出来ないのでしょう?こんなに戦後、飛躍的に経済復興が進み一躍、世界の大国になった日本で何故、貧困に喘ぐ山村で出来た「生命行政」が出来ないのでしょう?私は出来ないのではなく、しようとしてないのだと思います。一人一人がもういちど原点に戻って暮し方を考え直せば出来ない訳ないと思っています。私はこれ以上、立派な高速道路も要らないし○○公民館や○○活性化センターも要らない。人々が豊かに安心してゆっくり老いていく事が出来る暮らしが一番幸せだと思います。

 経済が落ち込んで暮らしが苦しくなったのは分かります。食費もなくて餓死していく人がこの日本にもいます。どうしたら救えるのでしょうか?経済対策で大型補正予算を国は政策として実行しましたが考えを全く切り替えて逆に医療費を国が補填する事で経済効果は得られないのでしょうか?前述の沢内村でも老人達はお金が無くて病院に掛かれない、若い人達に迷惑を掛けたくないと言って治療を拒んで亡くなっていきました。今の日本でも同じ事が起こりつつあります。住民の命を繋ぐ切り札となるべき病院が経営危機に陥って無くなったり、将来の日本を背負う新しい命を支える産婦人課病院が無くなっていく・・・これっておかしくないですかね。

 何かが間違っていると私は思います。北朝鮮問題でも何故か専守防衛では日本は守れないなんて軍備増強を叫ぶ政策が議論されています。私は「仮想敵国」という言葉が大嫌いです。それを言い出したら世界中が仮想敵国になってしまいます。何故、緊張状態を作り出さなくてはならないのでしょう。日本は敗戦から多くの事を学んだはずです。核兵器の装備なんて議論が国会で話されるのが信じられません。そんな金があったらクレッ(笑)病院を造るから・・・と言いたいですね。

 一体、過去の歴史から何を学んだのでしょう?彼らは原爆記念館に行った事があるのでしょうかね?どんな理由があっても核兵器は持ってはいけないと私は思います。世界中の国が核放棄をすれば持つ必要なんかないじゃないですかね。特定の国だけが持っても良いなんて理論がまかりとおるからおかしいのです。

 あれっ?話がアッチコッチに散らかってしまいましたが。とにかく余り物騒な事は言わずに一度、立ち止まって今、何が一番大切なのかを考えるチャンスだと私は思います。そうしないと我々は何を得て何を失ったのか見えてこないのではないでしょうかね。と、雨に閉ざされた森の中の小屋でふと考えてみたりしました。

2009/06/15

言葉にして伝えるということ

 最近、良く思うのですが自分が思っている事を正確に言葉で相手に伝えるという事は本当に難しいですね。昔、工事現場の監督修行をしていた時に現場の所長に言われたのですが、「内容はともかく兎に角、現場で喋るときは相手よりデッカイ声を出せ!声がでかくないと相手になめられるぞ」と教わりました。

 随分、乱暴な話ではありますが確かに常に動いている戦争のような現場では小さい声で喋っていると忙しい相手には聞いて貰えませんので大きい声で話すというのは現場では大事な事だと思います。しかし、余り他人に聞かれたくない事を二人で話すような時には静かに冷静に話す必要があるのでこういう時は小さな声で落ち着いてゆっくり話す必要があります。ケースバイケースで話し方も変える必要がありますね。

 会議なんかで議論を戦わす時に良く経験するのですが自分の意見と違う考えが主流になり中々自分の思い通りに議論が進まない事があります。私はこういう時は出来るだけ自分の意見と違う人達の話をじっくり聞くようにしています。何故、考えが違うのかどこが問題なのかを突き止める為です。元来、優柔不断な性格ですので、さっきまで拘っていた自論が相手の話を聞いているうちに「マア、それも一理あるな」なんてあっさり自論を引っ込める時もあるし、「これだけは絶対譲れない」なんて事もあります。

 中には何が一体問題なのかさっぱり分らないなんて会議もあります。こういっては失礼だけど国会や政治がらみの話を聞いていると物事の本質が何なのか一体なにが問題なのかさっぱり分らないなんて事があります。仲間内の会議でも司会進行がうまくいってないと一体何を議論しようとしているのかさっぱり分らないなんて事もあります。そういう会議に限ってだらだらと長く続くというケースが多いですね。

 又、反対に議論の問題点だけを取り上げてそれ以外の余計な話を一切受け付けない「とにかくイエスかノーか今ここですぐに決めろ」何て会議は味も素っ気もなくて段々、出席者が離れていってしまいますし議論の発展性もなくなってしまいます。

 心の中では違う事を思っているのに会議の雰囲気でどうしても言えずに「ここでは取り敢えずは大勢に従って黙っておくか」なんて弱気になる事もありますよね?そんな雰囲気の中で誰かが大勢の意見に反論を始めると途端に元気がでて「実は自分もそう思っていた」なんてチャッカリ元気になるなんてこともあります。それ程、自分の考えを言葉にして伝えると言う事は難しいですね。

 知り合いの化学者の方はゆっくり自分の意見を正確に伝えようとする余り、聞いているとじれったくなるような話方をするのですがじっくり聞いていると「アア、この人は自分の思いを化学者らしく正確に伝えたいので言葉を選んでいるのだな」と気付きます。そうなんですよね。人に自分の思いを伝えるには言葉の選び方や声の強弱、敬語の使い方、話の前後の繋がり、その場の雰囲気等、色んな要素によって左右されるので非常に難しい時がありますよね。

 私は仕事では出来るだけ先に結論を言って、その後でその結論にいたる経緯等を付け加えるようにしています。そうした方が聞いている人に「この人は何を言いたいのだろうか?」という疑問に対して先に結論を伝えられるので出来るだけそうした言い方を心がけています。

 又、議論が沸騰した時は目を瞑って両者の議論をじっくり聞いて何故、意見が違うのかどこが問題なのかその意見を聞き漏らさないようにしています。

 人間って面白くて口に出して言っている事と心で思っていることが違うなんて事がよくありますよね。特に日本人はそういうところがあるようで欧米人には理解出来ないなんて話をよく聞きます。でも、私は人間ウオッチングが好きなのでその人が話しているとそういう雰囲気何かが伝わってきてその人間にとても興味をもつ事があります。

 話しているうちにコロコロ意見が変わってきたり何が言いたいのか良くわからないなんて時は「ハハ~この人は自分の中でよく考えを纏めきれないまま喋り始めてしまったんだな」とか、良く他人に批判された時にいつも「違うんですよ」から話を始める人がいますがその内容に無理がったりすると「始めに謝ってから話を進めた方が分りやすいのにな」なんて感じます。どうしても他人から批判される事に拒否反応が先にたってしまう人にこのケースが多いですね。こういう人は普段から理路整然と話をするタイプの人に多くて取り敢えず反論をしてから自分の正当性を主張しようとする癖がついてるみたいです。意外と先に謝った方が話が早い事も多いのですけどね。

 それからお互い全く誤解したまま話しがこんがらがっていく事もたまにありますよね。こういう時も自分の思いを伝える事がいかに難しいか思い知らされます。私は話のコツは相手が何を言いたいのか聞き出す会話術だと思います。この話は又の機会に・・・

2009/06/08

自然の営み、人間の営み

 仕事柄、木を扱う人達と会う機会が多くて色んな人達と話をします。木を扱う人達は熱心な人が多く、いつも熱く議論を交わすなんて事もあって時々熱くなりすぎて激論を戦わすなんて事になることもしょっちゅうです。でも、それだけ真剣だということです。

 何故、真剣か?皆さん、国産材の流通に頭を悩ましているのです。私も含めてですが何とか外国からの輸入材に頼らず国内の木を流通させたくてどうしたら良いか激論を交わしていると言う訳です。しかし、一度、消費者からそっぽを向かれたものを取り戻すのは大変な事です。それは木の世界に限らず消費者から一度、信用を失うとそれを取り戻すのは時間がかかります。それはその時代の人間の営みが変化していると言う事もありますがそれも時代の流れなんでしょうね。

 しかし、森の木達にそんな事は関係ありません。彼らは淡々と時を刻むのみです。長い年月、人間の営みを見続けています。私が取り組んでいる月齢による伐採方法、これはオーストリアのエルヴィン・トーマ氏が提唱した伐採方法で冬の月が欠けていく時に伐採し山で葉枯らしをした木は良い木になるというものです。

 もともと戦前の日本でも行われていた伐採方法なのですが戦後、強制乾燥炉の普及により一年中、伐採した木が流通するようになり口伝がすたれ忘れられていました。これなんかも自然の営みには関係なく人間の営みの都合で勝手に人間が変えてしまった事なんですが別にこれで木が変わった訳ではないんですね。木は変わらないけど人間が勝手に木の性質を変えたと思い込んでいると言ったほうが良いかも知れません。

 最近、経済の破綻によりよりエコにシンプルに生きようというする人達が増えてきました。IT産業に携わっていた人達が農業を始めたり、誰に聞いたのか忘れましたが歴代の宇宙飛行士達が地球に戻ってくると皆、農業を始めるそうです。宇宙から見た地球は初めてそれを宇宙飛行士達が見た時から20数年、明らかに緑が少なくなってきているそうです。だから、宇宙飛行士達は地球に帰ると危機感を感じて農業を始めるという事のようです。

 それくらい自然の営みが変化しているというこどですね。それが人間の営みによってもたらされたものなのか、自然界のただの変化なのかそれは分かりません。しかし、私たちが地球上に暮す以上自然の営みに逆らって生きるのはどう見ても得策ではないように思います。

 文明の発達と自然の営みとが旨く調和されるのが理想ですがどうも相反するような気がするのは私だけでしょうか。科学の発達により、より自然豊かな暮らしが営めるようになるとそれはとても科学の発達に感謝するのですがどうも科学の発達は戦争や争いの種を作っているようでどうもしっくりいきません。

 自然の森に立つ木の命を自然の営みに逆らわずに頂いて物造りをする。それはとても豊かな暮らしを送れる事になると思うのです。農業も全く同じですね。手間をかけて作物を栽培し自然から栄養を頂き、それを自分たちが生きる栄養として頂く。

 それはとても自然な事です。自然の営みに逆らわず旬な時期に旬なものを食べる。それが自然の営みに逆らわずに暮すという事です。

 森の木も同じ、母樹から落ちた種が土にもぐり芽を出す。母樹は何れ年老いて倒れその若芽の栄養の元になる。我々、木に関わる人間はその木の命を少し分けて頂いて自分達が暮す家や家具の材料に使わせて貰う。

 しかし、その木の命を頂くにも作法があります。作物と同じように自然の営みにしたがって木が「伐ってもよいよ」と言ってくれたときに伐らせて貰う。そして生まれた森の中で養生期間を置いて充分その命を枯らしてから使わせて貰う。それが長い期間生きてきた木への礼儀です。自然の営みに逆らってはいけません。これからはそう心掛けて暮らそうと思います。

2009/06/02

森の生活者

 僕は森の中に住んでいるので毎日、人間以外のいろんな生き物達に出会う。最近特に出会うのは夜道で出会うアライグマ、先日は夜道を車に乗って帰っていたら道路の真ん中で2匹のアライグマが遊んでいて慌ててハンドルを左に切って避けようとしたらアライグマも左に逃げようとしてお互い「オットット」という具合でぶつかりそうになり今度は右側に避けて2匹のアライグマはヨタヨタと森の中に消えて行きました。

 今日も同じ付近でこんどはタヌキに遭遇、ムクムクに太ったタヌキで尻尾もフサフサで何だかメタボタヌキのようでとても愛らしい奴だったけどムクムクの尻尾をフリフリ、同じく森の中に消えて行きました。

 動物に出会うのは大体、夜が多いのですが先日、用事があって朝早く会社に向かっていたら切り開かれた崖の中腹に鹿の群れが立ち止まってこっちを見ていました。何だか彫刻のように固まってこっちをみているので可笑しくなり、その時は驚かさないようにそっとスピードダウンしてゆっくりその群れから遠ざかりました。

 この時期、一番困るのはひっきりなしに道を横切るでっかい毛虫達、ちょうど車の進行方向とスピードとのタイミングでこのまま直進すると確実に踏み殺しそうになると可哀想で出来るだけ避けるようにしているんだけど何せ連中は所構わず道を横断するので危ないったらありゃしない。

 この前の休みの日、地下室に仕事の材料をとりに裏庭に出て地下室の扉方向に行こうとしたら目の前にニュルニュル蠢く奴が・・・あいつだ!我が家に住み着いているデッカイヘビ!女房が「チャーリー」なんて妙な名前を付けたもんでまるで我が家の守り神みたいに偉そうにしている全長1.5m程の奴だ。

 僕はこの世の中で何が一番嫌いかってこのヘビが一番嫌いなのだ。だから奴をみると心臓が止まりそうになるほど嫌いなのだ。もしかして前世はカエルだったのかも知れない。

 最近一番被害を受けたのがスズメバチ、夜、寝ようと思って掛け布団をめくって足を突っ込んだとたんに鋭い痛みが左足に走った。何事か訳が分からず布団から飛び出しパジャマのズボンをめくってみても何ともない。思わずかぶっていた布団をめくってみたら大きなスズメバチが張り付いていた。ヤラレタ!兎に角、布団に張り付いていたにっくき敵を網ですくって潰し(そう、我が家にはハチ退治用に必ず子供が使う虫取り網をいつも部屋に置いてあるのだ)すぐさま治療体制に突入、すぐに毒を絞り出して、家に置いてあるスズメバチを焼酎に付けたエキスを患部に塗り、とりあえずショックを起こさないか様子を見て、何せ夜中の1時頃だったのでもし万一の場合は救急車を呼ぼうと思っていたのですが兎に角5分たってショック症状が出なければ大丈夫と自分で判断した。

 幸いにもショック症状は出なかったもののそれから23日は痛みが引かず、その後は今度は治りかけの独特の痒みに襲われて眠れない日々が続いた。幸い、スズメバチ騒動はその後治まったけど2度目が一番危ないので今年はハチに刺されないように注意しなければならなくなりました。

 しかし、そうは言っても我が家は何故かあちこちからハチが入ってくる。特に「ジバチ」と呼ばれるハチは体が白黒の斑模様のハチで地元では「ヘボ」とも呼ばれ地元の人達はこの幼虫を楽しんで捕獲して食用にして食べている。このジバチ、れっきとしたスズメバチの一種なのだから侮れない。

 過去に一度、同じように枕の裏側にへばりついていて頭をかまれ大変な思いをしたことがある。

 夜中、一年中我が家に何故か遊びに来ている白茶の猫がいる。冬の雪が降った翌朝、その猫の足跡は我が家の軒下にいつも付いている。寒いのに何故遊びに来るのか知らないがいつもその子の足跡が付いている。

 一度、我が家の中でお泊りしていった事もある。自宅はどこだか知らないけど結構遠くから来ているような気がする。

 朝、出勤するのに車のエンジンをかけて家の前の舗装道路に出ようとしたら目の前を2匹のリスが歩いていた。地面を歩いており僕の車に気がついて慌てて2匹で近くの木にへばりついて登っていった。きっと夫婦のリスだろうと思うけど見るからに仲のよさそうな夫婦リスでした。

 夜中、家の周りで「ギャーギャー」と都会ならスワッ!人殺し!と間違えられそうな声で騒ぐ奴がいる。多分、狐だろうと言う事になっているが見た訳ではないので分からない。それにしても凄く騒がしい奴である。

 しかし、連中はTVを見るわけでも新聞を読むわけでもなく何となく「最近は気候も変だし、何だか人間達もイライラしているしおかしな世の中になったな」と仲間同士話しているかも知れない。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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