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2008年12月

2008/12/28

今年一年、有り難うございました。

Yatu 今年も一年、森の囁きを読んで頂き有り難うございました。世界的な経済恐慌や大地震の発生等2008年は辛い出来事が印象深かった年でしたが来年はどんな出来事が待っているのでしょうか。出来れば明るい出来事の多い年にしたいものです。

 皆さんは今年どんな年でしたか?私は来年、八ヶ岳に来てから20年目を迎えます。東京でのサラリーマン生活に終止符を打ち一大決心(実はそれ程でもなかったのですが)して八ヶ岳に移住して来てあっという間の20年間でした。今思い返してみても人生で一番の変動があった期間かも知れません。

 この20年間で子供たち3人もそれぞれ成長し私の造ったログハウスから巣立って行き自分たちの人生を歩み始めています。私たち夫婦は又、子供達から手が離れ二人で新たな暮らしを始めています。

 来年は八ヶ岳移住20周年という節目の年になります。だからといって特別な計画があるわけでも何でもないのですが私は常に人は何でも良いから目標や夢がないとつまらないと思っています。だから、私もこれから年末・年始の休み中に来年の目標を決めようと思っています。

 普段、中々長い休みが取れず家族と一緒に1週間近く一緒に過す機会がないのでそれはそれで楽しみですが私自身もゆっくり過しながらぼんやりと来年の事を考えようと思います。

 いつも年末になると思い出すのですが今年も色々な人との出会いや別れがありました。

 いつも顔をあわせると笑顔で元気をくれる人、何だか悩みを抱えて辛そうに話を聞かせてくれた人、年齢的には私よりずっと先輩なのに元気一杯で人生を楽しんでおられる人、怒り一杯で周りの人に当り散らしていた人、いつもホンワリした雰囲気を漂わせて周りに暖かい雰囲気を与えてくれる人、残念ながら自分の人生を全うして旅立って行った人、様々な人達との触れ合いが今年も沢山ありました。

 そういう意味で今年も私にとってはとても有意義で楽しい一年でした。人と人が触れ合う事はとてもエキサイテイングな事です。私はいつも初めての人とお会いするときにドキドキします。この人はどんな人なんだろうとドキドキしながら接しています。心の中にどんな物語を持っている人なんだろうと想像しながらその人のちょっとした話し方や身振りから想像するのです。

 とても第一印象で分かるものではありませんが何度かお会いしているうちに何となくその人のイメージが出来上がっていきます。それが本当のその人の姿かどうかは分かりませんが私にとってのイメージが出来上がっていきます。私にとって色んな人とのそうした触れ合いが最大の財産です。

 私の子供の頃は本当に人と接するのが苦手な子供でした。それは今でも心の奥底では変わらないのですがそれが大人になるにしたがって逆に「この人はどんな人なんだろう」と自分なりに想像して自分なりのイメージを造っていく心の動きに変化していったのではないかと思います。

 来年は又、どんな人との出会いが待っているのでしょう。その人は今どこで何をしているのでしょう?人は自分の未来が見えないから楽しみですね。過去は変えられないけど未来は変える事が出来る。私はいつもそう思っています。

 人は過ちを犯すこともあります。それが自分で意図した事でなくても結果的に起こしてしまう事もあります。でもその失敗は未来で取り返す事が出来るかも知れない。私なんか過ちばっかりです。でもいつも周りの人に助けて貰っています。自分一人では何も出来ないけど周りに自分を分かってくれる人がいると私は生きていける。だから人との触れ合いは私にとって何より大事な財産です。

 このブログを見てくださる方にもとても感謝しています。書き始めた時はこんな下手な文章を読んでる人が本当にいるのかなと疑心暗鬼で書いていましたがある日、このブログのファンですと仰る方からコメントを頂き本当に驚きました。私の拙い文章を読んでくれている人がいる!それが勇気を与えてくれました。

 私は来年も新たな人との触れ合いを楽しみにしながら自分で何が出来るかを模索していきます。今年一年、本当に有り難うございました。良かったら来年又、遊びに来てください。お待ちしています

2008/12/24

今年最後の新月伐採

20081224_102357187  大阪の知り合いの会社が今年最後の新月伐採をやるので現認(第3者として伐採に立ち会って伐採木の履歴を記録する行為)を依頼され行って来ました。

 山梨から特急と新幹線を乗り継いで新大阪駅まで行きそこから地下鉄で待ち合わせ場所の事務所に着いたのは夕方の5時を廻ったあたりでした。

 新幹線はよく利用するので別に問題無いのですが地下鉄となると東京と大阪では色々と細かな操作が違っていて画面に表示される操作を良く見ないと間違えそうでした。

 そこの会社は無公害キッチンを造っている会社で新月の木に興味を持って頂いて数年前から熱心に活動されています。今回、初めて私は河内長野の山に入りその会社で利用する樹齢120年生の杉、桧の新月伐採に立ち会う事になっているのです。

 到着した晩は色々と新月伐採の事や仕事の事等についてそこの社長さんと話し合い翌朝、朝7時に集合して山に行くことに・・・翌朝、約束の時間に待ち合わせ場所に行くと一緒に行く関係者の方は来られているのに社長さんはまだ来られていなくて連絡を取って自宅まで迎えにいくと朝4時まで仕事をして皆のお弁当も作っていたとの事、そうです。くだんの社長さんは女性なのです。しかし、熱心な社長さんで頭の下がる思いです。

 ようやく全員揃って目的の山に向かって出発し車で約1時間、河内長野の山が見えて来ました。山のふもとの森林組合の製材所でお手伝いをしてくれる伐採関係者とボランテアの青年二人も合流しいよいよ山の中へ・・・どこでも見慣れた山の風景ですが山仕事用の林道は決して快適なものではなく乗用車が1台漸く通れるくらいの巾しかどこもありません。

 いつもそういう山道を通っていて「ここで落ちたらお陀仏だよな・・・」と毎回心の中で呟いています。しかし、車はそんな谷下に落ちることもなく無事、伐採現場に到着。今回、伐採に協力して頂いた山主さんや林業をされているその息子さん、そして実際に伐採をして頂く職人の方達5,6人が山で待っていてくれて挨拶もそこそこに今日の段取りを打ち合わせして早速、伐採が始まりました。

 山の斜面は30度~40度ある北斜面、上り下りだけでも結構大変、しかも今回、伐採する杉・桧の林は樹齢120年生の木ばかり。私も初めて見ましたが管理された植林ですが間伐が遅れていて木の直径はさほど大きくないのですが樹高が高い!何と40m近い大木もあり平均でも30メートル後半の高さがあります。

 これほどの樹高がそろった山は初めて見ました。これだけ樹高が高いと伐採するのも結構、神経を使います。しかも間伐がそれほど進んでいないので樹間が余り開いていおらず掛かり木になる可能性が高くキコリさんの腕前が要求される森です。今回は一日で20本程、伐採する予定でしたが樹高が高く結構な数量の木が取れそうなので本数を減らして17本切る事になりました。

 1本伐られる度にボランテアで来てくれた青年二人が倒れた木の長さや直径、樹齢、倒れた方向、角度等を手際よく測定し、それを私がIDカードと呼ばれる記録用紙に記入していきます。それは山の中では結構、骨の折れる仕事なのですが参加者全員今回の新月伐採の意味をよく理解して頂いているようで非常に協力的で気持ち良く測定する事が出来ました。色んな所で伐採に立ち会っていると中には「何でこんな面倒くさい事しなきゃならないんだ・・・」と言わんばかりの人もいるのですがここ河内の方達はすごく気持ちよく伐採して頂きました。きっと良い木が取れる事と思います。

 今年の新月伐採の現認はこれで終わりです。又、来年、新たな出会いがあるかも知れません。今回の河内長野での伐採に立ち会って改めて多くの人達が日本の山を何とか良くしなくては思っておられてこういう人達がいる限り私はこの活動を地道に続けていかなくてはならないと強く思いました。

 今年も世界を震撼させる経済恐慌の予兆が見られ人々を不安に陥れていますが山の木々達はそれを見て何を感じているのでしょう。未来の子供たちにこの日本の山の自然を受け継ぐのは我々、現代に生きる者の使命だと私は思います。来年も微力ながらそんな活動が出来ればと願いながら八ヶ岳に帰って来ました。

2008/12/16

貧乏万歳!

 世の中、世界的な経済不況で米国自動車産業の3大企業が破綻の危機に陥ったり日本でも派遣社員の大量解雇や賃金カット等、不況の嵐が吹き抜けています。

 ニュースで株式市場のボードを見つめる人々の姿がよく取り上げられますが、私のような元々何も持たない(笑)人間にとっては別に資産が減るわけでもなく、というか元々資産と呼べるものが無いので、これは幸せな事か不幸な事か自分でも良く分からないのですが自分の今までの人生を振り返ってみると、幼少?の頃の実家はそれでも比較的裕福で商店街の一角を貸家として持っておりそれなりに不自由なく暮らしていたように記憶しています。

 子供の頃なので余り良く覚えていませんが当時、祖母からは父は「あまり商才がないから事業に手を出してはいけない」と言われていたのを記憶しており確かに時を経るにつれ段々、実家はお金に困る様になり、それにつれて引越しを繰り返すようになりました。

 父はガソリンスタンドを経営しており、子供の頃から毎朝、店を開けるのが私の仕事でした。中学生の頃、父に「明日、税務署が来るから大事なものは隠しておけ」と言われ訳が分からないまま自分なりに大事なものを隠したのですが翌朝、税務署の人と思しき数人の人が店に訪れ何やらドヤドヤと事務所の電話やら机やらに札を貼り始めました。

 今、考えればいわゆる差し押さえというやつだったのでしょうね。当時、母は「恥ずかしい、恥ずかしい」と言ってましたが私は訳が分からず何やらワクワクしながら見ていたような気がします。父は「貼るなら見えない所へ貼れ!」って怒鳴っていました。元々、父は根っからのイゴッソウ(高知弁で頑固者のことです)なので父の名誉の為に言うならお金がなくて差し押さえられたのではなく払いたくない税金だったのだと思います。その後も裁判までして抵抗していましたので・・・そういう人でした。

 しかし、それはそれとして確実にその後も段々、経済的に苦しくなっていき、その中でも母が苦労して兄と私の二人を大学まで行かしてくれました。私は同じ高知出身で同じ大学に行った友人と二人で同じ部屋の学生寮に入りましたがあの頃が今までの人生で一番貧乏でした。

 そんな事情だったので母に余り無理も言えず兎に角、始終お腹をすかしていました。特に月末は二人とも金がなくて同じ寮の友人に田舎から食料が送られてくると皆で部屋に押しかけて食べさせて貰っていました。1週間くらい米とソーセージ1本もしくは米とマヨネーズなんて食事を続けていた事もありました。

 今でもあの頃は本当にお腹が空いていたのを覚えています。ある日、友人から電話がかかり「駅前のカップラーメンの自動販売機を蹴っ飛ばしたら中からカップラーメンが出てきて止まらなくなったから皆来い」なんて言われて皆で取りに行ったりしました。もう時効だと思いますがレッキとした犯罪ですよね。ゴメンナサイ・・・

 そんな学生時代を送っていたので私は学生という立場が嫌で嫌でたまりませんでした。元々、子供の頃から店を開けてお客様の車にガソリンを入れたりパンク修理をして小遣いを貰っていたので早く大人になってお金を稼ぎたいと願い、学生を早く終わらせて社会人になって自分で稼いで暮らしたかったのです。だから中途半端な学生時代が一番貧乏でした。

 それでも色んなアルバイトをしたので、それはそれで楽しかったですけどね。あれからウン十年、あれほど憧れていた東京の一流企業でのサラリーマン生活を自分で放り出して八ヶ岳での暮らしを始めてしまい、あのまま我慢してサラリーマンを続けていたらそれなりにある程度の暮らしは維持出来たと思いますが、どうしても我慢出来ずに飛び出してしまい、やっぱり自分の人生はお金持ちには縁のないものになりました。

 来年も経済不況はきっと続くでしょう。私の乏しい知識ではとてもそれに打ち勝つ戦略など思いつく訳もなく今までと同じように地道にやっていくしか無いので後は優秀なスタッフに智恵を出して貰い自分は中央高速道路のサービスエリアで年末宝くじを買って「当たりますように」と願いを込めるのでありました。

2008/12/06

超・私的今年の重大ニュース

 今年もあと残すところ一ヶ月足らずとなり一年を振り返ってみて今年はどんな年だったろうと思い返してみました。

・北京オリンピック:今年一番のスポーツイベントは何と言っても北京オリンピックでしょう。今回は中国・北京での開催ということで環境や食の問題が懸念されましたが無事、開催され様々なドラマが繰り広げられました。

 実力をいかんなく発揮し活躍した人、残念ながら期待された成績を残せなかった人、様々な人間模様が繰り広げられましたが私はオリンピックは世界で唯一つの人類の平和の祭典だと思っています。

 そういう意味で中国で開催されたオリンピックは意義のある大会だったと思います。今後、大会を終えた中国の動向に注目していきたいですね。

・経済恐慌:アメリカのサブプライムローンの破綻が引き金となった世界同時経済恐慌は今年始まったというより今年、表面化したと言った方がよいのかも知れません。誰が悪いというのではなく経済発展こそが人類の平和に繋がると信じてきた時代が終わり、これからは人にとって真の幸せとは何かということを一度立ち止まって考え直す時が来たということです。

 かけがえのない地球環境に配慮し安全な食物をお腹一杯食べられるということがどれ程幸せかということを皆で考えなければなりません。不要な道路や公共事業に無駄な税金を使うことを止め福祉環境を向上させ食料自給率を上げ未来の子供達が安心して暮らせるようにせねばなりません。

・今年の映画:今年は余り映画を沢山みる事が出来ませんでした。その中では邦画の「おくりびと」が特に印象に残る映画でした。モックンが持ち込んだ企画を映画化したものですが知り合いのプロデユ―サーが手掛けたと言うこともあるかも知れませんが私にとっては今年一番の映画でした。

 それと今年、TVを入れ替えて音響システムを良くしたのでDVDで私の一番好きな映画「サウンドオブミュージック」を観たのですがこれが又イイッ!何回みても泣けて泣けて・・・やはり名作は素晴らしい!

・プロスポーツ:プロ野球では我が巨人軍がリーグ優勝を果たしましたが後一歩というところで日本シリーズを落とし、来年以降に課題を残す結果となりました。しかし、若手の台頭もあって課題の克服は充分可能なので原監督、来年も頼みまっせ(どこの人?)

 ゴルフでは彗星のように現れた石川遼選手が活躍し話題の多い年になりました。サッカーでは地元バンフォーレ甲府が頑張りましたがイマイチ結果を残せませんでした。来年以降の奮起が必要です。

 それと来年は初めてプロ野球の世界に女性選手が加入する事になり一代センセーションを巻き起こしそうです。彼女がアンダースローから投げるナックルボールが巻き起こすドラマが楽しみです。

・緒形拳逝く:名優、緒形拳が今年逝ってしまいました。現在、放送中の「風のガーデン」での彼の役と心情を思うと最後の気力をふりしぼり自分の命をかけて本当に最後まで役者魂を貫いた名優だったのだなと改めて感動させられます。合掌。

・自分:今年、生まれて初めて骨折というものを体験した。指の先っちょで大した事、無かったんだけどこのまま一生、骨折というものを経験しないでいくのかな?と、ちょっと思っていたのであっさり先生に「折れてますね」と言われたのがショックでした。以上、今年の超・私的重大ニュースでした。

2008/12/02

宇宙の真理

 先日、新月の木の集まりがあって東京に行って来ました。年に一度の研究発表会で特別講演として「高エネルギー加速器研究機構」教授の山本 明先生の「素粒子物理学」の話を聞きました。

 話の内容は難しすぎて私のようなアナログ人間の頭ではとても理解出来るものではありませんが、どうもそれなりにこの頭で理解するところによると宇宙の起源となるビッグバンから収束となるブラックホールに到るまでの事を解明するには人間のまだ知らないミクロの世界の素粒子を研究していかねばならないらしい。

 人間の存在や地球の成り立ちとは全てその素粒子のなせる過程にしか過ぎない。つまり我々が見ている世界というのはほんの宇宙の本当にミクロな世界でしかないと言うことである。マア、そりゃそうだろうなというのは何となくこの頭でも分かる。つまり我々が認知できる可視光線の波長でしか我々は感じる事が出来ないわけですからね。

 しかし、ここで私が思ったのはその難しい理論の内容ではなく今年、ノーベル賞を受賞された小林先生、益川先生始め、こういう常人にはとうてい思いも付かないような事に疑問を持ち辛抱強く研究を重ねていく人達がいるからこそ人間の知識は深まってきたのだなという事なのです。

 普通の人ならなにも疑問に思わないような事に疑問をもち、そこから人間の進歩は始まるのですね。「目に見えないものがもしかしたら世の中にはあるのじゃないか?そうでなくては理屈が合わないではないか」何て事をず~と考え、自分の疑問に答えを出す為に研究を重ね続ける研究者がいるから新たな発見が生まれるのですね。

 その昔、プレートテクトニクスなる理論が叫ばれた時に時代は天動説一色で統一され地動説は異端とされた訳ですが今では皆、当たり前の事として理解しています。誰かがその当たり前とされている事に疑問を感じ、自分のその疑問を解き明かす為に真実を探し求めたのですね。

 現代はあまりにも情報が氾濫しすぎてどれが真実だか分かり難くなっています。だからこそ情報を整理しその裏に隠された真理を追い求める必要があるのですね。日本の教育は折角ゆとり教育を目指していたのに学力が低下したからといって又、詰め込み教育に戻りそうですが本当はテストによって学力を決めるのではなく子供達が自ら疑問に思ったり感じたりした事を伸ばしてやる事が大事なのかもしれませんね。

 数学も答えが正しいかではなくどうしてそういう答えになるのかという過程を説明してやるほうが授業としては楽しいかも知れません。私も昔から歴史の授業が苦手でどうしても年代の記憶が出来なかったのですが今頃になってその時代の人間模様なんかの背景を書物で知るようになってから興味が湧いてきました。

 「1たす1は何故2になるのか?」なんて説明しろと言われたらほとんどの人は説明出来ないんじゃないかな?疑問に思わないものね。でもそこに疑問を持つ人がいるから科学は面白くなるのでしょうね。

 山本先生の講義を聞いた後、新宿から高速バスにのって山梨に帰ってくる途中に車中で読んだ本の中で円周率は3.1より大きい事を証明しろという問題をどうやって解くかを解説してありました。それを読んでいて世の中にはつくづく頭のよい人がいるんだな~と感心してしまいました。

 そういえば私は子供の頃、中学受験をしたのですが小学6年生の時は自分は天才だと思っていました。受験に必要な問題は特に苦労も無く解けていたし、それなりに自分でも勉強し努力もしていました。そして某進学校に入学した途端、世の中には自分の知らないとてつもなく頭のよい人が沢山いるんだと口をポッカリ開けて思い知らされる事になり、奈落の底に突き落とされた気分でした。

 しかし、その時、自分は大したこと無いんだと思いしらされた事が後の人生に大きな影響を与える事になりました。今ではすっかり開き直って生きてます(笑)

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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