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2009年1月

2009/01/31

旅への思い・・・

 ここのところ旅というものをしていない。移動はしている。仕事絡みや私用で田舎との往復も含めると結構、移動はしている。しかし、純粋に家族旅行みたいなものをもう暫らくした覚えがない。

 子供達が小さい時は夏休みを利用してキャンプをしたり旅館に泊まったりとあちこち旅行はした。しかし、子供達も大きくなって皆、そろってどっか旅行に行こうなんて事は少なくなってしまった。女房とあそこに行こうか?何て話はするものの実現したためしがない。

 大体、休みがお互いにずれているのですれ違いばかりで一緒に過す時間が長くない。海外旅行なんて新婚旅行に二人でサイパンとロタ島に行っただけでそれ以降はいつも仕事がらみの海外行で二人で行ったのは新婚旅行が最初で最後であった。

 そう、あの時はまだパスポートが数次旅券と一回限りのものと二通りあって女房があの時「どっち取れば良いの?」なんて言うから、格好つけて「結婚したら何回も二人で海外行くんだから、数次旅券にしとけ」なんて言ったのが運のつき、あれ依頼ず~~と「私は騙された」と言われ続けている。

 そんな事言われても「俺は一生懸命働いてるんだけどな・・・」と小さく聞こえないように反論するのが精一杯。エ~エ~確かに言いました!言いましたけど仕方ないじゃありませんか。行けなくなっちゃんだから・・

 今に見ていろ「世界一周旅行へ連れて行ってやる」なんて定年近くのサラリーマン達は夢見るようですがこれが以外と日本人には馴染めないみたいですよ。

 以前、知り合いの豪華客船のスタッフの方に聞いたのですが欧米の旅行に慣れた熟年夫婦の場合は結構、長い船旅でもダンスをしたり泳いだり映画を観たりと社交的に過せるそうですが日本人の高度成長期を頑張ったサラリーマンの方が定年を迎えた場合は仕事しかしてこなかったので長い船旅を夫婦二人で向かい合っていると息が詰まってしまい、かといってダンスや船長主催のデイナーパーテイーには馴染めないしで結構途中の寄港地で船を下りてご帰還なんて事も珍しくないみたいですよ。

 だから豪華客船ではそんな日本人の為にあの手この手で飽きさせないイベントを企画するのが大変みたいです。そりゃそうでしょうね。デイナーパーテイーなんて急に言われたって、こちとりゃ立ち食いそばで頑張って来たんだからそりゃ無理ってもんでしょう。急に紳士淑女にはなれないってもんです。

 それじゃ温泉旅館にでも行くかと思うけど、これがまた無類の早風呂でカラスの行水ときてる。だから仕事で旅館に泊まって同行の方達と一緒に風呂でもなんてなるとこれが辛いの何のって我慢して裸の付き合いしてるけど汗ダクダクでもう限界ギリギリの忍耐以外のなにものでもないときているからどうしようも無い。

 それじゃ泊まらなくてもよいからゆっくりフルコースのデイナーでもどうかと思いきや、これが子供の時からの無類の早食いときている。何せ普段でも現場周りが忙しけりゃ運転しながらサンドイッチとコーヒーで昼食なんてのも珍しくない。ゆっくり食べるなんて習慣は全くない。

 さすがに大人になってからお客様と一緒に食事とか接待宴会なんてものを経験するようになって廻りから散々注意されて、お客様より先に食べ終わるのはマズイと考え直し、ペースを調整するようになった。

 しかし、習慣というものは恐ろしいもので今までろくに噛みもせずに飲み込んでいたものをユックリ噛んでペースを調整すると全く食べた気がしない。いやはや、これじゃ確かに健康にも良くないし一緒に食事してくれる奇特な人なんていないですよね。

 しかし、旅行が嫌いな訳ではない、むしろ大好きである。今まで海外はアメリカ・カナダ・メキシコ・インドネシア・台湾・シンガポール・イタリア、日本は北から北海道、新潟、岩手、石川、宮城、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫、広島、奈良、徳島、香川、愛媛、高知、福岡、宮崎、鹿児島、沖縄には行った。

 オオッ!結構行ってるではないか・・・そうだ昔、世界一周はとても無理だけどいつか日本一周は行ってみたいなと思ったんだ。通り過ぎるのではなく一つの県にゆっくり滞在して日本再発見をしたいと思ったんだった。そうだ、そうしよう。

2009/01/25

おいしい水

 最近、女房に朝起きてくると一番に水を飲まされています。何だか体に良いそうでコップ一杯の水を寝起きに飲むというのは慣れないうちはちょっと辛かったけど最近はもう習慣になったのでそれほど辛くなく飲むことが出来るようになりました。

 

 我が家の水は共同井戸水で地下100mのところから汲み上げているそうで今まで枯れたことはありません。もう十数年前になりますがこの井戸を管理していた会社が倒産して別会社に管理が移された事がありました。その途端にすっかり味が変わってしまい、或る日、風呂に水を溜めて入ろうとしたら目がくらくらして刺激臭がしてとても入れない状態で翌日、管理会社に連絡したら「安心して下さい。前の会社がいい加減で消毒もしてなかったので今度は塩素の自動投入機を井戸のポンプに取り付けましたので安心して飲んで下さい」との返事「・・・う~ん、余計な事を」と思いましたがそれにしてもひどいので再度調べて貰ったらその共同井戸で供給される別荘地の一画で配管がパンクして水が出っぱなしになっていてその為に自動投入される塩素がどんどん供給されたのが原因と分かり、その件は一件落着となりました。

 しかし、人間の感覚というのは大したもので今まで無かったものが入ってくると直ぐに何だか分からないけど拒否反応をしめすものですね。

 元々ここ八ヶ岳の湧水は八ヶ岳に降った雨が100年程かかって出て来ると言われており日本百名水の一つにも数えられている地域なのです。八ヶ岳の地層にいくつかの粘土層が含まれておりここが不透水層となり八ヶ岳に降った雨がその不透水層に当たって表面に出てきていると何かの本に書いてあったのを読んだ覚えがあります。

 その不透水層がちょうど標高1000m付近にあるそうでその為に私が住んでいるここ八ヶ岳南麓の長坂町や大泉町、高根町付近の丁度標高1000m付近には豊富な湧水群が存在しているという訳です。

 しかし、いくら名水だからといってもさすがにそのまま飲み続けるのは少し抵抗があったので定期的に成分調査をしてもらったり必ず煮沸してから飲むようにしていたのですが、最近は煮沸した上に炭をいれて不純物を取り除いてから飲むようにしています。

 以前、加工場で丸太の皮むきをしている時に某TV局の取材を受け「この水を飲み比べて下さい」と言われ要は八ヶ岳の美味しい水と都会の水道水とどちらが美味しいかという企画だったのですが忙しかったので断ろうかと思ったら綺麗なオネエサンがインタビューアーと知りつい引き受けて、やらせでいかにも仕事中に突然インタビューを受けて肉体労働者の素朴な感想みたいなシチュエーションで答えた事がありました。

 当然、地元の水が美味しかったのですがその水が本当にどこの水だか分からないので真相のほどは私には分かりませんが、確かに我が家の井戸の水は都会の飲料水と比べると口当たりが柔らかいような気がします。

 しかし、最近は都会の水も殺菌方法等の技術的な進歩が進み美味しくなったそうですね。昔みたいに都会の水、即まずいという印象はないみたいです。

 我が家の井戸水もお陰様で今のところ蛇口をひねれば普通に出てくるし開拓当時のように川の水を引いてきたりする苦労をせずに都会と変わらない便利さを享受しています。

 でも、時々思うんです。都会の場合は断水したから近くの川の水を飲むという感覚ではないでしょうが私の住むここ八ヶ岳南麓ではとりあえず美味しい湧水群があり、保健所では飲料水としては不適と言われますが緊急時に暫らくその水を飲んだからといって健康被害が出るような事はないと勝手に自分で思っています。だって、その位綺麗で冷たくて澄んでいるのです。これはとても有り難く幸せな事だと私は思っています。

 それに近所には知り合いお百姓さんの畑も一杯あるし魚も豊富に泳いでいるしイザとなれば鹿やイノシシもいるし何とか連中を捕まえて・・・何とか生きていけそうな気がしませんか?こんな事を考えるのは私だけでしょうか?以前、開拓民の方の話を聞いたときに一番苦労したのは水だと言っておられたのを覚えています。この辺りは昔から水利権をめぐる争いが絶えなかった所らしくそれくらい水は生きていく上で大切なものだったと言うことでしょうね。

2009/01/18

冬の生活

20090118_100116000  20年前に八ヶ岳に暮らそうと土地を探して家族と週末毎にあちこちとウロウロしていました。そんな冬の或る日、白州、武川方面を探して廻った後、何でだか忘れたけど小淵沢の駅前に来ました。

 その日は確か少し曇っていて冷たい北風が駅前を吹き荒れていました。その時、八ヶ岳には住みたいけど果たしてこの冬の寒さに耐えられるだろうかと内心ちらっと不安が心の隅を横切ったのを覚えています。家族に「八ヶ岳に移住する!」と宣言して土地探しを始めた手前、とても「寒いから止めようかな?」何て言えるわけもなく、初志貫徹で移住してしまいました。

 元々南国高知で暮らしていたので寒さには弱かったのです。しかし、人間というものは慣れるものですね。今ではどちらかというと夏の暑さに弱くなってしまい、とても夏の高知で暮らしていく自信がありません。一度、母の看病で高知に夏、帰った事があるのですが母がクーラーが嫌いなものでマンションの母の部屋にはクーラーが付いてなくて一晩中、汗ダラダラで眠れない夜を過した覚えがあります。

 一番下の息子も小さい頃、夏休みに高知に一人で遊びに行ったのですが帰ってきたら全身、あせもだらけで「もう夏休みには帰らない」と言っていました。人間って環境に慣れるものですね。

 さて、そんな八ヶ岳の冬の暮らしですが寒さは昨今の地球温暖化の影響か、さほど昔程、冷え込む日は少なくなりました。それでも当然、氷点下ですが・・・そんな我が家の冬の一日、まず暖房ですがこれはウッドストーブが欠かせません。とにかくウッドストーブが一番の重要アイテムですね。これが無いと死んでしまいます。だから一冬分の薪が充分、備えてあると心も豊かになります。

 それからスタットレスタイヤ、当然車は4輪駆動車しか買いません。その車にスタットレスタイヤを雪が降る前に装着してしまいます。前は自分で取り替えていたのですが一度、冬の雪が降った時に慌てて装着したら暫らくして走行中にタイヤが外れてしまい、それから怖くなってそれからはガソリンスタンドに持っていって代えています。その時についでにオイル交換もしてしまいます。冬にタイヤ交換する場合はタイヤのナット等に氷が付着して締め付けが甘くなることが有りますのでご注意下さい。

 それから、冬の運転ですがこれはとにかくスピードを出さない事につきます。先日、女房が後ろから車に煽られて横に寄せて追い越させたらその車がその直ぐ先でスピンしながら滑っていったそうです。兎に角、凍結した道路でブレーキを踏んだらもうアウトです。その時はとにかく慌てずに一度アクセルを踏んで姿勢を戻してからゆっくり制動をかけるしか手がありません。ご注意、ご注意・・・。

 私が気を付けているのは雪が降り始めたら出来るだけ車で出掛けない事です。当たり前の事だけど特に雪の降り始めや冬の初めは地元の人でもタイヤの準備が出来ていなかったり都会から遊びに来た人やトラックの人達も冬対策が出来ていない事が多くてスリップ事故に巻き添えになる可能性があります。

 一度、事務所の前で大型バスがはるか坂の上からスリップして制御不能のまま横向けになって100m近く滑り落ちてくるのをなすすべも無く横で見ていた事がありました。

 雪が降った時は、雪が降った当日よりも翌日の朝が一番危険です。降った雪が一度溶けてそれが夜の間に凍結してしまうのです。そうなるといくらスタットッレスタイヤを履いていても止まりません。

 車といえばその他にも冬は駐車した時にサイドブレーキを引かない方が良いです。凍結して解除出来なくなる事があります。それからもう余りないとは思いますがデ―ゼル車は必ず冬用の軽油を入れておかないと凍結して動けなくなりますので気をつけて下さい。以前は結構、このトラブルがありました。

 冬の楽しみは何と言ってもこの辺りには2000m級の山が多数あるのでその冬景色はもう何物にも代えられない美しさを見せてくれます。

 冬の高気圧に覆われた晴天の日には朝から夕方まで太陽の位置が動くのに合わせてその美しさが変化し特に朝夕の赤く染まった八ヶ岳や南アルプスの荘厳な姿は涙が出そうになるくらいです。冬の一日、ウッドストーブの前でゆっくりお茶をしながらこの景色を眺める時は至福の時です。だから、やめられないのですね・・・

2009/01/11

恐怖の煙突掃除

 先日、寒波に襲われた夜、仕事を終えて家に帰ろうと自宅に電話したら女房が「ストーブの煙が逆流して家の中が真っ白なんだけど・・・」と不機嫌そうな声。その瞬間、嫌な予感が体中を駆け巡り「分かったよ帰ったら調べてみるから」と不吉な予感を押し殺して帰宅。

 家について着替えてから2階に上がってストーブの煙突が屋根を貫通する部分を手で叩いてみたら「ガラガラガラ・・」と嫌な音が・・・あ~あ、やっぱり詰まってる。実はサンルームの増築が忙しくてここ2年程、煙突掃除をサボってました。もうそろそろヤバイかな~と実は思っていたのですが屋根に上るのがいやでサボっていたのです。

 あ~あ、自業自得とはこの事、まさかこの寒空にウッドストーブ無しで我慢出来る訳なく、その晩は何とか騙しながらストーブを焚いて翌日、夜が明けてから屋根を見上げると予想どおり屋根には夜露がびっしり凍りついていてとても上れない。しかも我が家の屋根の勾配は45度、幸い玄関を増築して屋根を緩勾配で継ぎ足したのでその上には何とかサンルームの屋根伝いに上れる。

 「こりゃ、昼過ぎて太陽が西に傾かなきゃ無理だわ」と一人納得して昼まで待って作業開始。毎度の事ながら45度勾配の屋根に突き出た煙突にたどり着くには反対側の天窓からロープを投げて片方の端を家の中の柱に括りつけ煙突側の屋根に投げたロープの端を体に結びつけて安全確保をしなくてはとても作業なんか出来ないのです。

 重い足取りを引きずりながら地下室に置いてある煙突掃除用のブラシとロープを取り出し、こびり付いたタールを取り除くための道具を腰袋に詰めて2階へ、ロープの端を近くの柱に括りつけ天窓を開けてそこから一旦、身を乗り出して反対側の屋根にロープを投げ、更にサンルームの屋根に出てから反対側の煙突のある屋根に乗り移りロープの端を捕まえて自分の体に括りつけ、「さあやるかっ!」と自分に気合を入れ、袋に入れた掃除用ブラシを取り出そうとしたら、何と手が滑ってブラシが屋根を転がって下の駐車場に転落。

 「ウッソ~・・・」しばらく呆然と下に落ちたブラシを眺めていても誰もそれを取ってくれる訳もなく、体に括りつけたロープをほどいて腰袋を外してついでに一旦いれた気合もとりあえず保留して、とぼとぼとさっき屋根に出た扉から中に入り1階に下りて玄関から駐車場に出てブラシを拾って再び煙突を見上げて溜め息一つ・・・

 「ふ~」再び、同じ手順を繰り返し、今度はブラシを落とさないように体に括りつけたロープの途中に括りつけてイザ再出陣!ロープを引っ張って煙突の上にたどり着き、作業が出来るように煙突に足場を確保してから煙突のトップを外し中を見たらイヤ~付いてる付いてる。どうしても煙突のトップは煙の温度が下がるのでタールが付きやすいのですがベッタリこびり付いてました。

 持ってきたドライバーでそのタールをこそぎ落とし、次に煙突の中にブラシを突っ込んで上から何度も上下させて煙突内のタールを下に落とします。その後で家の中に戻りウッドストーブの扉を開けて中にたまったカスを取り除きやっと掃除完了!

 これで今晩から安心してストーブが使えます。そしてその晩、買い物で遅くなった女房に代わり私が火を付ける事になり意気揚々と点火!・・した途端に家の中に煙が噴出した!ウソッ?何で?慌てふためいても後の祭り一旦付いた火を消すのは今度は大変。

 全ての空気取り入れ口を塞いで燻るストーブをなだめすかして鎮火するのをひたすら待ってから中の火種を取り出してやっと煙は落ち着き、訳が分からず呆然とストーブを眺めていたがフト思いたってストーブから出ている煙突の一番下を叩いてみたらギッシリと燃えカスが詰まっているではアリマセンか!

 確かにストーブの中に手を突っ込んで煙突の中まで掃除して手が届く範囲の燃えカスを摂ったつもりがその煙突の上で既に燃えカスが詰まって溜まっていたのですね。最初に煙突のテッペンからブラシを突っ込んで下に着いた感触を確認したのですがそれはこの詰まった燃えカスのテッペンだったのですね・・・しかしまあ、よくぞここまで詰まったもんだ。

 そういえばここ最近、ストーブの火のつきがメチャクチャ悪かったもんな。この所為だったのね。スマンスマンとストーブに謝りながら再着火。今度はスムーズに点火。そりゃ~もう快調に燃え上がり、「そうだよな、これが普通だよな」と改めてウッドストーブの素晴らしさを思い出して暫らくストーブの火に見入り、女房と二人で「やっぱりストーブの火っていいよね~」と満足したのでありました。しかし、ウッドストーブの掃除、皆さん抜かりはないですか?ってこんな真冬に煙突掃除するのは俺だけか・・・

2009/01/05

今年もどうぞ宜しくお願いします。

 年末に子供達のうちの男連中2人が帰って来ましたが娘は仕事で残念ながら戻って来られなかったので都合4人で田舎の高知に帰ってお正月を迎えました。幸い天気も良くて高速道路の運転も長男と二人で交代しながらだったので比較的楽に小淵沢ICから高知の南国IC迄の約720Km10時間程で何とかクリアして無事到着。

 田舎のバアチャンの見舞を済まして紅白歌合戦をのんびり女房の実家で見てから子供達も連れて近くの神社に初詣に出かけました。小さな神社ですが女房の実家の氏神様なのでいつもお世話になっている神社でここ数年、いつも紅白歌合戦後の初詣に出かけているのです。

 長い階段を登りきった所でまだ年が明けていなかったので10数人の人たちが待っていました。手を洗って清めてから待つ事数分、やっと年が明けた所で知り合いの神官さんがおもむろに太鼓を叩き始めやっと2009年の年明けを迎えました。賽銭箱にお賽銭を入れて鐘を鳴らして今年一年の願い事をお願いして田舎の正しいお正月を無事迎える事が出来ました。

 翌朝はゆっくり朝寝坊をして毎年、年明けの一番の楽しみである箱根駅伝をテレビで見ながら朝食を摂りその後、市内の初売りの店に行って買い物をした後、親戚の家に泊まりに行きました。毎年、女房の妹の一家と正月を過ごすのが日課になっており義理の妹の子供達4人とうちの子供達3人、合わせて7人で一緒にガヤガヤと賑やかに毎年過ごしていたのです。

 子供達が段々、大人になり今回もうちの娘が勤務で帰れなかったので一人欠けてしまいましたがこんな時にしか中々会えないいとこ同士なので都合がつく限りこの時間を大切にしたいと思っています。

 その後、今度は女房の方のジイチャンをお見舞いに行ってから再び高知市内の実家に戻り最後の夜をゆっくり家族水いらずで過ごし翌朝には高知を後にして又、八ヶ岳に戻って来ました。

 毎年繰り返してきた何の変哲もない我が家のお正月風景ですがこの「何の変哲もないお正月」が私にとって何よりも幸せな時間なのです。出来るならこの先も、この毎年変わりのない平和なお正月が無事迎えられる事を心より願っています。

 さて、新しい年の始まりにあたり今年はどんな暮らしをしようかと考えました。新しい年といっても時間が特に新しくなる訳ではなく単にいつもと同じ明日を迎えるだけの事なのですが一年という時間の区切りを心の中でつけるというのはメリハリがついて私は嫌いではありません。むしろ大事にしたいと思っています。

 そうした時に私はいつも自分の心に問いかけます。今、何を感じているか?これから何をしなくちゃならないと思うか?それは昨年、一年かけて何となく心の中に積もってきた自分の感情の積み重ねの中から自分でも気が付かない心の整理をつける意味で大切にしている決め事なのです。

 今年、私は自分の感性をもっと大切にしようと思います。年を重ね、自分でも知らずと習慣になっている暮らしのリズムを唯繰り返すのではなくもっと自分の感性のまま暮してみようと思います。

 眠いと思った時に寝て、仕事したいと思った時に仕事して、時間だからといって食事をするのではなくお腹がすいたらご飯を食べ、楽しい時には思いっきり楽しみ、悲しい時には泣き、美しいものを見た時に美しいと感動し素晴らしい音楽を聴いた時にはジャンルに縛られずに楽しむ。

 そんな人間としての感性を習慣に縛られずに素直に楽しみたいと思います。そして今年一年、健康で元気に目一杯仕事を楽しみたいと思います。経済は世界的な不況でお先真っ暗な状態ですがそういう時だからこそ自分の感性を信じ今、出来る事を精一杯努力するしかないのではないかと思います。

 こういう時だからこそ経済発展に依存するのではなく節制に努め自然との共生を見直して感性豊かに暮らせる暮らしを実現させてみたいと思います。今年一年、どうぞ宜しくお願い致します。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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