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2007年3月

2007/03/25

旅立ちの春

 八ヶ岳は今日、本格的な雨が降っています。朝、女房と「そろそろタイヤ履き代えようかね」と話をしました。例年なら春のこの時期に「里雪」と呼ばれる重い湿った雪が降る事があるのでいつも3月末まではスタットレスタイヤを履き代えないのですが異常な暖冬だった今年の冬、さすがにもう雪は降らないかも知れませんね。来週あたりタイヤ交換をしようかと思っています。

 昨日の地元の新聞に教職員の人事異動が発表になっていました。私の子供達は今年は関係無いのですが昔はお世話になった先生達が異動になったりして注意深く記事を読んでいました。私の卒業した高知の学校は中・高校一貫の私立中・高校だったので当時、教えて頂いた先生達がまだ現役で教鞭を振るっておられます。だからどうも不思議な感覚なのですが同級生で高知で暮らしている連中の子供たちが又、同じ先生に教わったり、同級生が同じ高校の先生になって同級生だった仲間の子供たちを教えているという不思議な学校なのです。

 当然、中・高一貫だったので中学の卒業という意識は無く高校の卒業式が唯一、卒業式といえば卒業式なのですが受験校だったので私も大学の受験で卒業式に出る事が出来ずに結局、私の記憶に高校の卒業式という思い出は有りません。

 しかし、無事、受験が終わりやっと我が世の春を迎えて高知に帰り仲間達と遊んだ記憶だけは今でもはっきり覚えています。田舎の事ですので高知の繁華街にはアーケードがありそこをブラブラ往復していると必ず仲間達とすれ違い「どっか行こうぜ」と言う事になり、その辺の店にたむろする事が日常でした。当時なんとなく淡い想いを寄せていた女の子達とも2人では恥ずかしいので大勢で集まって山や海に行って遊んでいました。当時、本当は歳が足りないのですが初めてタバコの味を覚え男共は皆、タバコを吸っていたような記憶があります。私も全ての大学入試が終わった後、受験の為に泊まっていた新宿の町を歩きながら格好つけて咥えタバコをふかして「これが青春だ!」何て自分では最高の気分を味わっていました。確か最初に吸ったタバコは「チェリー」だったな・・・

 大酒のみの故郷、高知の事ですから受験から帰った連中が担任の先生の家に集まり「大飲み会」を催す事になりました。今でも良く覚えていますが直径が60cmは有ろうかと思える大盃にビールやらウイスキーやら日本酒やら片っ端からぶち込んで大騒ぎで回し飲みして(今、こんな事すると大変な事になるのでしょうけどけどね・・)すっかり酔っ払って悪酔いして先生の家の洗面所を汚してしまったバツの悪い思いが30年以上経った今でも蘇ります。「先生、ご迷惑をお掛けしました」きっとあの後、先生の奥様は大変な思いをして片付けられた事だと思います。

 その後、楽しかった春休みも終えていよいよ、東京の大学に行く事になり最初の1年間は教育課程で千葉で過ごしたのですが学校の寮に高知から一緒に行った仲間と入り、同室で楽しくやっていたのですが困ったのは高知弁・・何せ二人ともベタベタの高知弁が日本標準語だと信じていたので何故、日本語?が通じないのか不思議でしょうがない。そのうちに生活に支障が生じ始めしばらく外出が嫌になったような覚えがあります。何せ高知の人間にとって標準語はいわゆる女言葉で決して土佐の男には許されない言葉だったのです(少なくとも私はそう思っていました)だから、夏休みに高知に帰郷してすっかり標準語で喋っている奴を許せない(笑)なんて本気で思っていました。

 まあ、しかし春はいろんな旅立ちの季節でありますね。すっかり情報が行き届いて昔のような地方色は余り出ないのかも知れませんが今年も東京で高知弁が少し聞ける季節かも知れません。

2007/03/19

新潟へ行って来ました。

Niigata2Niigata1   新潟県の知り合いから頼まれて新月伐採の立会いと記録を取りに行ってきました。中央高速道路から長野道、上越、北陸と車を走らせて、山梨から約320km4時間の運転で新潟に着きました。途中、日本海の手前の山中はチェーン規制がありまだ冬景色でしたがそれでも去年から比べると高速道路の両脇は土が見えてい随分雪は少ない印象でした。確か、昨年は3m近くあったと思ったのですが・・・

新潟に着いて夜1泊した後、更に山の奥へ2時間程車で入っていくと写真のような景色になり、聞くと10日程前に久しぶりにまとまって雪が降ったとの事で山へ入る道の途中で車を諦めて徒歩で山中へ・・・「すみません、この辺りは熊は出ませんか?」「あ~出るよ、この前も見かけたな~」「ハハハ・・・」てな事でちょっと顔を引きつらせながら誰もいない山中をラッセルしながら歩く事20分ほどで伐採地に到着。途中、道をそれて藪の中に入っていき「この方が早いから」と言う事で倒した100年生の杉の大木の上を長靴で渡り、ちょっとヒヤヒヤでしたが何とか無事、到着。

後から遅れてくる地元報道関係のOBだという80歳近くの元気なお爺さんを待っていましたが、中々到着しないので「先に伐ってましょう」という事になり伐採を始めました。昔はこの道は上越に抜ける街道筋だったそうで同じ道を昔の人も通ったかという想いにふけっているうちに最初の1本が倒れ、樹齢を数えると94歳、立派な杉の木でした。その後、何本かの木を伐っているうちにかの御大が後ろからお尻を押され、荷物を全部、案内してきた若者に持ってもらい手を引かれて到着「フ~死ぬかと思った!特攻隊の時よりもキツイ!」と仰る。聞くと地元メデアの報道局長をされていた有名な御大との事、とても気持ちは元気なお爺ちゃんでした。どんなに疲れても手にしたビデオカメラだけは絶対離さなかったらしく荷物運びを手伝った若者達も「大したもんだ」と関心半分アキラメ半分・・・

 無事、伐採を終えて里山に降りて来た時は一同「ヤレヤレ」でした。山の中の気温は0度、湿度60%、誰も来ない森の中で伐採するチェーンソーの音と巨木がユックリ倒れる大音響がこだまし、感動的な一日でした。地元のキコリさんが「大体同じ時期に植えたから樹齢は同じだろ」と言われたのですが。どうも倒した木の中で何本かは威厳が違っていたので再度、確認のために数えてみると110歳を超えていました。

 貴重な森の恵みを頂いてこの後、倒した森の中で葉を付けたまま天然乾燥させて今年の夏、この木を山から出すのに立ち会うために又、出かけて行ってこの木に再会予定です。新潟にもすばらしい森の恵みが静かに雪の降り積もった山中で眠っていました。                                                

2007/03/11

人の気持ち

 今日は八ヶ岳に早春の里山、独特の重い雪が降っています。結局、今年の冬は異常気象の暖冬のまま春になってしまいそうです。全く異常な冬・・というか冬らしくない冬でした。

 さて、話は全然違いますが最近、私は人の気持ちとは複雑神秘で摩訶不思議な世界だなと感じることがあります。よく、日本人は心の中が読みづらい人種だと言われます。分りやすく言うと「思ってる事」と「言ってる事」が違うという事ですね。何故?違うか・・・そこには大人の付き合いだとか、立場上の問題だとか、世間体だとか色々な事情があるんだと思います。じゃ、それは間違った事を言ってるのかというとそうでも無い・・だから人の気持ちは複雑神秘・・・私はそういう事を考えるのが好きなので思うのですが、きっとどっちが正解という事は無いんだと思います。大抵の人は・・ですが。

 他にも例えばAという人がいるとします。Aは私にとってはとても良くしてくれる心優しい人だと感じています。しかしBさんに言わすとAさんはトンでもない人で付き合ってはいけないと私に忠告してくれます。結構、こういうシチュエーションって世の中ではありませんか?困りますよね、私にとってはAさんもBさんも大切な友人なんて事・・・つまりAさんとBさんでは価値観の違いとか出会いが悪かったとか誤解があったとか兎に角、感情面での違和感が出来てしまったという事ですね。私はこういう場合は自分を信じて自分の気持ちに素直になろうと思っています。つまり私にとってはAさんもBさんも気持ちの良い人だという事ですね。

 逆に私も普通の人なので時々は他人に悪感情をもたらしている事も有ると思います。キコリはとんでも無い奴だ・・なんてね。そんな時どうするか・・特にどうもしないと思います。私は私以上でもなく以下でもないので自分のありのままを評価して貰うしかないのです。見たとおりのどこにでも居るごく当たり前の人間ですので・・別に開き直るとかいうのではなく反省すべきは反省し、誤解があれば誤解はとき、しかしそれ以上はどうしようもないと言う事ですね。

 私は自分の価値を人の評価によって決めるのは不幸な事だと思います。自分を信じ最善を尽くしていれば何も迷う事はないと思います。人の評価は自分の価値とは別物だと思っています。批判を受ければ直すべき所を直し、賞賛を受ければ素直に有り難く思えば良いのだと思います。

 しかし、私はそれ以上に大事なのは人が言葉で喋らない気持ちの裏を理解する事だと思います。言葉というのは難しくて表現の仕方ひとつで自分の思いが違う意味に相手に伝わったり、優しく伝わったりします。又、その時の表情だとか身振り手振りだとかでも他人は色んな感情で同じ言葉を違った意味で理解するものです。だから、他人によってその人の評価が変わってしまうのでしょうね。

 最近は、何となく人の気持ちを理解するのに「善」か「悪」かどちらしか無いような気風が増えているように思います。特に思うのはマスメデアは事実を事実として淡々と伝えるべきだと思うのですがどうも視聴率を意識するのか脚色したような表現が使われて聞く方はどうしても一方的に理解してしまうので危険だなと思います。

 人間はその人にしか分らない複雑な感情を抱いて生きている動物だと思います。時に怒り、時に笑い、時に泣く、だから人間って面白いと思うのです。都会に住んでいると中々、こんな想いになる事は無かったのですが森に住んでいると時々、こんな事を思ってボヤ~とするのは私だけか・・・

2007/03/01

電脳生活の功罪

 昨今では家にパソコン2、3台なんてのは当たり前になってきているのでしょうか。確かに今やパソコン無しでは仕事にならない。ましてや扱えないとなると仕事にならないですよね。先日はそういうネットワークで知り合った仲間達のオフ会があったのですがネット上では知っているつもりだったのが実は初めてお会いしたなんて方も居て驚きでした。

 確かにパソコンは便利だけどその分、自分の脳細胞が働かなくなっているような気がしてしょうがない。まず漢字!これが全く思い出さなくなった。たまに手書きで手紙を書こうなんて思って便箋に向かおうものなら直ぐに筆が止まってしまう。漢字が出てこない。仕方なくパソコンの電源をいれてカタカナ入力して漢字に変換・・・何てやってたら何のために手書きしてるんだか意味がないような気がしてくるから不思議ですね。昔、子供の頃「漢字は何遍でも書いて手で覚えるもんだ」なんて先生に言われたけど本当だったんですね。手が書かなくなると忘れるんですね。

 私なんかパソコンの仕組み自体全く分ってない。だから普通に動いてくれてれば問題ないのですがトラブった時は全く手が出ない。詳しいスタッフを呼んで兎に角、元に戻して貰い「はい、これでいいですからね」となるまで待つしかない。いやはやである。だから余り好きになれないのですね。

 しかし好むと好まざるとに関わらず兎に角、電脳生活に突入してしまっているので何とか付いて行くしかないのである。最近の悩みはメール・・・これが又不思議・・・どうして何だか、やたら訳の分らないメールが届いたり、送ったつもりで相手に着いてなかったり摩訶不思議な世界である。

 ある日詳しい友人に聞いてみた、「この怪しいメールは誰が出してるの?」「あのね、それを出してるのは人間じゃないの、ロボットが自動的に送ってるから怒ってもしょうがないよ。何せ相手は機械だからね」ナルホドそれじゃ怒ってもしょうがないね。そこでNTTさんに来て貰って「何とかして」と頼んだらなにやら操作してくれて迷惑メールはかなり来なくなった。NTTさんに「全部、来ないように出来ないの?」と聞くと「そういうシステムを作っても更にそれを突破するシステムを作られてイタチゴッコなんですよ」との返事。ナルホド、敵もなかなかやるもんだ。

 しかし最近フト思う時がある。これって仮想世界だよね。世界中のシステムが正常に機能しているから出来てる事でそれが壊れたらどうなってしまうんだろ?昔、電話が開発された時に人々はどうして自分の声が伝わるのか不思議で相手に呪われるなんて事を思った人も居たそうだけど、その気持ち分るような気がするな。人の原点は日々、生きていく為に食糧を調達して健康に暮らすことですよね。それが何だかとても単純で自然な事だと思うけど実はそれが一番難しくなってるのかも知れませんね。

 あっそう言えばこの「森の囁き」もどうして皆さんが見れるのか不思議なんですが、そのお陰でこうやっていつもクダラナイ私の「囁き」を見てくださる人が居るわけですからホント電脳生活って便利ですよね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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