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2011年7月

2011/07/27

集団検診

 毎年、町の集団健康診断を受けています。この年に一度の健康診断が嫌で嫌で仕方ないのですが年に一度なので仕方なく受けています。

 今年もその時期が来てしまい(笑)仕方なく受けることになりました。そこでひとつ、問題が・・・実は昨年の集団検診でも要精密検査に引っ掛かってしまい、今回の健康診断までにどこかの総合病院に行って精密検査を受けてその結果を報告しなくてはならなかったのです。

 それも嫌で一日延ばしにしていたらいつの間にか一年・・・「全く子供じゃないんだからちゃんとしろ」って言われても仕方ないのですが、兎に角、慌てて近くのクリニックに行って「先生、かくかくシカジカで何とかなりませんか?」「何ともなりません!」「そうですよね(笑)」「兎に角、薬だけは出しますから健康診断までの間、これを飲み続けてみて下さい」と薬を渡され内心「シメシメ、これで何とか今回の健康診断はなんとかなるかも」と淡い期待を抱いたのです。

 が・・・そんなに旨くいくわけがなく、腹部のエコー検査でひっかかりその検査技師曰く「ちょっと良いですか?」「はい?何か?」「いえちょっと見せても良いですか?」「え?あ~ハイいいですけど・・・何か」「いえ、ちょっと君、こっちに来て見てみなさい」と先生。

 隣で心電図をとっていた若い女の検査技師を呼び寄せ「ホラッここ見て、ちょっとこの方、見にくいんだけど、ホラッこうすれば見やすいだろ、ホラ分かる?ネッこうすれば良いからね。分かったね」「あの~何か写ってるんでしょうか?私の内臓?」「いえっ詳しい事は先生からお聞き下さい」ちょっと待ってくれよ~そりゃないでしょ。

 そんな気になる事、言われておまけにモルモットみたいにされて、そりゃないよね。

 で、後日、診断結果が来ました。案の定、要精密検査。あ~まただ。全くだから健康診断嫌いなんだよね。そりゃ病気にならないように予防検診は必要だと分かっちゃいるんですけど毎年、精密検査を受けろと言われると人間、段々嫌になってくるってもんですよ。

 エッ何?子供みたいな事言うな?エ~エ~どうせ子供みたいですよ。何せちっちゃい頃から病院嫌いでしたから。というか病院が好きな人なんていないでしょうよ。

 あ~あ~家に帰れば女房からも早く病院行って診てもらえと言われるし又、あと一年あるからそのうちに受けよっと。エッそれがイカン?え~え~分かっちゃいるんですよ私だって・・・

2011/07/18

日本女性は強かった

 社会の経済状況が好景気の時は男性優位の雰囲気が強いけれど一旦、経済状況が悪くなったり治安が悪くなったりすると俄然、女性が強くなりますね。

 スポーツ界でも近年、女性陣の活躍が際立っています。私にとって最初の日本女性の活躍の記憶は東京オリンピックにおける女子バレーボールの金メダル獲得でした。

 回転レシーブという画期的なレシーブ方法を編み出して見事、金メダルを獲得し、この時は「東洋の魔女」と呼ばれました。圧倒的な体格差をものともせず海外の選手の強烈なスパイクを拾いまくる日本女性の粘り強さはスポーツ界における日本女性の強さの秘訣を世界に見せつけました。その後も体操や柔道、レスリングの世界で日本女性は世界をリードしてきました。

 そして、今日、サッカー界でも又「なでしこジャパン」はワールドカップ世界一を達成しました。未だ男性陣も達成したこと無い快挙です。

 以前、TVの報道で女子サッカー界の現場を見ましたが日本では決して恵まれた環境では無く選手たちはアルバイトしながら練習に取り組んでいました。

 昼間はスーパーのレジを打ち、仕事が終わって夜、練習に明け暮れるという生活でした。それでも好きなサッカーに打ち込む姿に感動を覚えた事を覚えています。

 日本女性の粘り強さ、諦めないタフさ、それは本来、日本女性が持っていた奥ゆかしさの本質に潜む別の意味での強さなのかも知れません。

 今や女性スポーツは男性に負けない程、底辺が広がっています。元々、男性にしか許されていなかった様なスポーツにどんどん女性が進出しその中で日本女性の世界進出はめざましいものが有ります。

 中でもサッカーというスポーツはタフなスポーツでその中でも特にワールドカップは世界中の特に選ばれたチームにしか参加資格が無いまさにサッカーの頂点にある大会です。

 その大会で「なでしこジャパン」は世界の強豪に臆すること無く立ち向かい見事頂点に立ちました。

 特に決勝戦では未だ勝った事の無いアメリカを下しての勝利でした。しかし、私はいつも思います。こと、スポーツの世界において「絶対」という事はありえないのです。

 どんなに力の差があるチームの勝負でもスポーツの世界では絶対勝つとは限らない。正にやってみないと分らないのです。まして今大会でのなでしこジャパンは本当に強かった。

 FIFAランクでは日本は世界5位、アメリカは世界1位、力の差はそんなにあるわけでは無かったのだから今まで勝てなかったのにはきっと何か要因があったのだろうと思います。

 特にスポーツの世界ではそのスポーツが世界で普及すればするほど各国の力の差は無くなってきて勝負は拮抗してきます。選手達は世界中に活躍の場所を広げ、それが又、自国の選手層の底上げに繋がりその結果が力の拮抗を生むのです。

 なでしこジャパンの活躍は私の見る限り体格差を感じさせないスピードと走り負けない走力、パス廻しの正確さとスピードそしてシュートのアイデアと正確さが他のチームを圧倒していたように思います。つまりなるべくしてなった世界一のチームだと思います。

 とかく暗い話題の多い現在の日本の中でなでしこジャパンのワールドカップ世界一のニュースは本当に日本人に希望と勇気を与える快挙だと思います。

 オメデトウ!「なでしこジャパン」貴方達の決して諦めないスポーツマインドは素晴らしかったです。希望を有難う!

2011/07/09

昔の子供の夏の遊び方

 子供の頃、梅雨が明けて夏が来ると子供達は必ず近くの川に涼みがてら遊びに行っていました。

 僕達は竹の竿を持ってフナ釣りに出かけました。餌は近くの土を掘ってミミズを空き缶に入れて持って行くのですが、うっかり土を入れるのを忘れるとすっかりしなびてミミズのミイラが出来上がっていました。

 河原の土手に腰をおろしてキラキラ光る川面に目を細めながらいつまでも動かないウキを見つめていました。それでも時々、小さなフナが掛かるとバケツに川の水を汲んで中に入れ家まで持って帰りました。

 持って帰ったフナはどうしたのか?食べた覚えもないのできっと捨ててしまったんだろうと思います。そういえば何となく庭に穴を掘って埋めた様な気もします。

 何せフナを触ると手が魚臭くなって食事の時によく母親に怒られました。あの頃は川で遊んではいけない何て事をいう親もいなかったので自由に川に行けたし、例え川の事故があって人が死んでも、だから川に行くなと言われる事はありませんでした。それだけおおらかだったのかも知れません。

 釣りに飽きると近くの淀みに行って少し深くなった所を見つけて岩の上から飛び込んで遊んだりしました。

 当時は顔面と呼んでいた今でいう水中マスクを誰かが持ってきて、それを付けて水の中に入ると結構、深みまで見る事が出来て返って怖くなる事もありました。

 顔面を付ける順番が廻ってくるまでは手持ちぶたさなので河底の石の下に手を廻してそ~と触ると運が良ければ石の下に隠れていた魚を手づかみ出来る事もありました。

 悪ガキ仲間の中で魚を突く「チャン」という道具を持っている奴がいて、そのチャンを持っている奴は水中マスクで河の中を覗きこみ水中で止まっている魚を突いたりしていました。

 時々、子供達に交じって大人が投げ網を持ってくる事があり僕達はそんな大人を羨望の眼差しで見つめていました。旨く綺麗に投げ網が円形に広がると結構、網の中に光る小魚が入っている事があり子供達はいつも羨ましそうに取れた小魚を覗きこんでいました。

 今みたいに漁期なんて感覚は子供達には無かったし大人にも怒られた事がないのできっと漁期があったとしても子供達は免除だったのかも知れません。

 河原の石積みした隙間に良くウナギが忍び込んでいたので竹の先に丸い輪ッカを付けた道具を造って穴の中にそれを突っ込み、ウナギの体が旨くその輪ッカに入ったら素早くその輪ッカを引っ張って縮めてウナギを捕まえました。でも何だか自分で捕まえた記憶がないのできっと年長のものが捕まえるのを見ていたんでしょうね。

 昭和30年代、あの頃はいつも暑い外で遊びまわり勿論クーラーなんてものも無くそれでもスイカをバケツにいれて水道水で冷やして食べ決して豊かでは無かったけど今と比べて不幸では無かったと思います。

 あの頃の生活に戻る事が出来たら現在の電力使用量の半分で済むそうです。パソコンも無く、TVゲームも無く、携帯電話も無く、子供達は街頭テレビに群がり力道山の雄姿に拍手喝さいを送り、鉄人28号に目を輝かせ月光仮面の真似をしてマントをはおって走り廻り、家の電球は裸電球で用が足り、氷屋さんは手回しでカキ氷を造っていました。

 決して便利な世の中では無かったけど今より希望に溢れていたような気がします。過ぎ去った過去を振り返るのは余り好きじゃないけど大人になった我々は過去の経験を子供達に伝える義務があるように思います。不便な世の中も中々捨てたもんじゃなかったよ(笑)

2011/07/03

ハイブリッドカー

 最近、自分のクルマを大型の「SUV」と呼ばれる四輪駆動車から小型のハイブリッドカーに乗換えました。

 お陰で燃費は前の大型車の倍以上走るようになり、オマケに小回りは効くし室内は静かだし車の鍵を出さなくてもドアの開閉はできるしエンジンも鍵無しで掛かるし信号待ちでは自動的にエンジンが止まって燃料を使わずに済むし、まるでロボットに乗っているような感覚です。

 私の中で最初の車の記憶は親父が乗っていたダットサンでした。当時はエンジンをかけるのに車外に出てボンネットの前の穴にクランク状になった鉄の棒を突っ込んで廻してエンジンを掛けていました。

 自宅がガソリンスタンドを経営していた関係で小さい時から店に出て手伝いをしていたので中学生の時には車の運転が出来る様になっていました。

 勿論、無免許で運転していた訳ではなくスタンド内で車を移動する必要があったので運転出来る様になってしまったと言うことで公道を走った訳ではないので誤解のないように(笑)

 その頃はまだ車も漸く一般人が持てる様になってきた頃で先程のおやじの乗っていたダットサンやらミゼットという3輪車やらが街中を走り始めていました。

 タイヤもしょっちゅうパンクして当時は今みたいにチューブレスなんてタイヤは無かったのでパンク修理は大変でした。

 先ずタイヤを押してホイールから外してから中のチューブを引っ張り出して水に付けてパンクした箇所を探しだし、それから「ホットパッチ」という補修シートを穴が開いた箇所に押し付けて表面にマッチで火を付けるとそのシートが燃えて熱で穴の上に張り付いて修理完了というものでした。

 それが今では少しでも車重を軽くして燃費を上げる為に最近のクルマはスペアタイヤなるものが無くなってしまいました。じゃあ、パンクしたらどうするの?と思いますが最近のクルマはスペアタイヤの代わりに応急のパンク修理キットが積まれています。

 仕組はパンクしたタイヤの中に接着剤を流し込んで中から穴を塞いでしまえというものです。昔では考えつかない方法ですね。

 私の乗っているH社の小型ハイブリッドカーにはナビも搭載されていて、もう車内で地図を広げる必要もなく、もうどこへでも行けてしまいます。ライトも自動点灯で暗くなれば勝手に点くし昼間でもトンネルに入れば自動的にライトオンになるしエアコンは自動温度調節が出来るしもう一昔前から考えると隔世の感がします。

 小さい頃から車は身近な存在だったので大好きでしたが自分の車を持ったのは社会人になって先輩から譲って貰ったファミリアが最初のクルマでした。

 小さい頃から憧れていた車をやっと持てる様になった事に当時はワクワクしていました。新しい車に乗るときは今でもそのワクワク感は変わりませんが今の車は本当に便利になって何だか感覚は随分、昔と変わった様な気がします。

 確かに昔の車は今と比べて乗り心地も悪いしすぐ壊れたし大きくて重かったし直ぐエンスト起こすし修理は大変だし、そりゃ今の車の方がずっとカッコ良くて乗りやすいのは間違いないですね。

 でも・・・今の車はもう車では無い様な気がします。最初に言ったようにもうまるでロボットみたいです。でも何でか分らないのですが昔のベンチシートのコラムシフトの金属剥き出しのメーターが並んだあの運転席が何だか懐かしい様な気もして人間で全く不思議ですね。

 こんなに便利な車が開発されているのに昔の手間のかかるクルマが懐かしかったりして・・・これを無い物ねだりと言うのでしょうか(笑)

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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