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2011年3月

2011/03/26

頑張れ日本!

 このところの大震災の報道や近くに避難して来た人々を見るにつけどうも涙腺が緩くなって困っています。もともと子供の頃から泣いたり笑ったりと、どちらかというと感情が顔に出るタイプなのでどうもこういうのに弱い。しかも、最近、加齢によるせいもあるのかも知れないけど余計、涙もろくなってしまい、どうも熱血ジャイアンツファンの徳光さん状態が続いています。

 ジャイアンツと言えば今回、プロ野球のセ・リーグは本当に情けない醜態を晒す事になって生れついてのジャイアンツファンとしては本当に悔しい思いをしてきました。こういう未曽有の災害にあった時はどうしても混乱は避けられないとは思いますが肝心の現場で実際にプレーをしなければならない選手にとって心の思いを押し殺して仕事をしなければならないというのは本当に辛いことだと思うし、結果的にそういう選手が嫌がる事を押しつけたフロント、球団幹部の責任は大きいと思います。

 新聞報道で見たコメントにも気になる事がありました。それは「選手が最後まで試合数をこなしてくれると言ったから・・云々」のコメントがセ・リーグの各球団の開幕延期を決めた理由のコメントに共通していました。

 敢えて言わして貰うとそれは違うと思います。選手達は震災の被害の事を思えばとてもいまはプレー出来ないしするべきではないと思い、それを球団側に進言しその代償として過密なスケジュールは敢えて受け入れると言っているのであって、こういう時に何故それでは試合数を減らして実施しようという案が球団側から出てこないのか残念でした。

 選手達がノルマをこなしてくれると言っているからまあここは譲ってやるかではなくプロ野球の社会的使命を本当に考えるのなら選手達の思いを先取りして最初から12球団で話し合って震災復興に向けた本当のプロ野球興業の姿勢として今年の開幕は遅らせてナイターは中止し年間試合数を減らし、選手達の負担も減らしそして震災で被害に合った人達に向けて何が出来るかをもっと真剣に考えて欲しかった。

 プロ野球の1ファンとして今回のセ・リーグ球団側の姿勢とファン、選手達の考えとの間に大きな隔たりがあるのを感じてしまい、とても残念でした。これを良い機会として本当のプロ野球興業とは何かをもっと選手・球団が一丸となって考えて欲しいと思います。セ・パ両リーグ、選手会がもっと一体化してくれないとファンは離れていってしまいますよ。

 先日、地元の若い人達が新しいネットワークを作るのでオブザーバーとして話を聞いてくれと言われ行って来ました。とにかく「若い人達のネットワークなので余計な事は言うな聞くだけにしてくれ(笑)」という事で黙って話を聞いていましたが、やはり今回の震災に関しての討議が続き、その中の一人が「現地に行って支援したいのに中々行く事が出来ない。何も出来ない自分に葛藤して悩んでばかりいる」と話していました。

 こういうネットワークに興味を持って集まってくる若者達ばかりなので当然、皆熱心で本当に熱い議論だったと歓心しました。これから色々な事にぶつかるだろうと思いますが彼らの様な熱心な若者がいれば地元は大丈夫という気がしてきました。勿論、我々中年組も負けていられませんが(笑)。

 もうすぐ4月がくるというのに昨晩から又、雪が降り中々春めいた季節が来てくれません。今年は故郷高知城の桜も日本一早く咲く桜として有名だったのですがどこかに負けてしまった様です。それでも春は来ると信じて毎日を元気に過ごして行かねばなりません。被災された方に頑張ってとはとても言えません。頑張らなくても良いから「私達にも何か出来る事があったら言って」と言いたいです。

 私は、自分では本当に些細な支援しか出来ませんが少しでもお役に立てる事をしていこうと思っています。頑張れ日本!!

2011/03/20

自然は無限の優しさと無限の狂気を併せ持っている

 昔、一人で山によく登りにい行った。何故、一人で行きたいのか自分でも良く分からなかった。単に人と群れることが苦手だったのかも知れないが、ある日、同じ様に山に一人で登っているときにフト思った。今はこの山の自然の中に頼れるのは自分一人だけ、この文明の恩恵に溢れる現代社会の中で唯一、その文明の利便さと縁を切り自分が自然の中の生物の一つだと実感出来るのが唯一、単独登山だと。

 大して高い山に登った訳では無いのだけどそれでも一瞬、確かに一人きりで自然の中に居る事が実感出来た。そんな想いを心の中にしまいながら、いつしか家族を連れて八ヶ岳の山の中に丸太小屋を建てて住み始める事になった。

 山道の行き止まりに建つ我が家は当初、街灯も勿論無く、都会の安全な暮らしに慣れた自分には自然との共生に憧れていながら夜、漆黒の闇に沈む我が家への道を歩く時の恐怖、家族も冬の寒さや学校までの延々続く遠い道のりに幾度か挫けそうになったと後で知らされた。

 しかし、そんな環境に住んでいるからこそ自然は本当に美しい姿も見せてくれた。漆黒の闇に音も無く飛ぶふくろうの美しさ、冬の満月の夜、美しく夜空に輝く雪の八ヶ岳、夜空に流れる美しい天の川、それは住んでいる者にしか見せてくれない自然からのご褒美だった。

 山に住み始めて数年経った冬のある日、八ヶ岳南麓に観測史上初の大雪が降った積雪は約1m、丁度出張で留守をしていた私は家に帰れなくなり出張先の駅の近くの知り合いの家に一晩泊めてもらい翌日、家に帰った。

 いや、帰ろうとしたら道が途中で無くなっていた。除雪車が森の入口まで除雪してくれていたのだがそこには1m以上の除雪された雪の壁が出来ていてその向こうには道と言うものが無くなっていた。

 家までまだ300m程ある。仕方なく家に電話して家から子供達と女房にラッセルして貰い、自分もこちら側からラッセルして途中で会おうという作戦にした。子供達はソリを引っ張って一生懸命ラッセルして来てくれた。森の中で出会えて家族は本当に嬉しそうだった。

 そんな自然の中で暮らしているとフト思うことがある。それは自分も自然の中の一部にしか過ぎないんだと・・・当たり前の事だけど本当は意外と実感するのが難しい。

 特に都会の便利な文明の中に生きているとそれは殆ど不可能に近い。例えば、朝、我が家には新聞が届かない。新聞屋さんが森の中まで来てくれないので森の外まで取りに行かなくてはならない。

 そんな時、最近ふと思った。クマに襲われないだろうかと・・・朝早くは誰もいない。森の中も静かだ。今まではせいぜい鹿の群が森の中からジットこっちを見ているとかキツネが横切るとか少なくても自分に危害を与える動物に出会う可能性は全く自分の頭の中に無かった。

 しかし、最近、頻繁に熊が出るようになりそれは気付きたくなかった事だけど気付いてしまった。そうなった時、自分はその自然の相手と一人で向い合わなくてはならない。本当の自然に近ければ近いほどその自然は美しくそして残酷である。

 1週間前、未曾有の巨大地震とそれに伴う津波が日本を襲った。その光景をカメラが捉え我々は安全な所にいるにも関わらずまるでその場に居るかのように繰り返し報道番組を通して見る事になった。

 想像を絶する津波の巨大な自然エネルギーの前で我々の文明はいかに無力であるか思い知らされた。経済の繁栄を支えてきた原子力エネルギー、それは人間の味方だと誰しも信じていた。

 いや、一部の人達はその危険性をいつも不安に思いながらもその恩恵を受けざる得ない現実を過ごして来たと言った方が良いかも知れない。しかし、やはりそれは決して自然エネルギーでは有り得なかった。

 一度、暴走し始めた文明の象徴は人間の想いとは別に荒れ狂い、まるでそれは自然が時折見せる狂気のような凶暴性の象徴のように人間に挑んでいる。

 今となっては何とか凶暴性を納め元のように静寂を取り戻して欲しいと願うばかりである。

 多くの被災者が苦しんでいる中、私も日常の仕事をこなしながら何とか自分で出来る支援をしようと思う。

 建築界も多大の被害を受けた、それは建物の被害は言うに及ばず建築資材を生産していた東北地方の拠点を失い多くの建築資材が手に入らなくなっている。復興にはまだ時間がかかるものと思われる。

 しかし、本当の復興はまだまだこれからである。時間と共に記憶が薄れていくのではなく我々は冷静にこの甚大な自然災害のもたらした警鐘を謙虚に受け止め次の世代に受け継ぎ、必ず日本の復興を信じ力を合わせて立ち向かわなくてはなりません。

 決して多額の義援金や救援物資で無くても良いのです。自分が出来るほんの少しの助け合いの気持ちが日本の復興に繋がると信じています。皆で力を合わせて復興に向けて手を繋ぎましょう。

2011/03/12

地震発生その後

昨日の地震発生時、丁度事務所で仕事中に揺れが襲いました。

 最初はちょっと揺れた程度で「ウン?何か揺れてる?」といった感じでした。その後、大きく横揺れが来てその後、かなり長い間、大きな横揺れが続きました。スタッフは慌てて外に飛び出し、私は少し様子をみて揺れが弱まるのを待って外に出ました。

 大きな揺れの直後、「バンッ」という音と共に停電しその後、全く情報が入らなくなりました。事務所の外に出てからも揺れが続き、これは大変な地震被害がでると直感しました。

 スタッフと連絡をとろうとしてメールをしましたが全く繋がらず、何とか情報を得ようと気が付いたのが携帯電話の機能として付いていたワンセグテレビでした。

 試してみると何とか写りました。その画像を見て愕然としました。まるで映画を見ているような大惨事の画像が映し出されとても現実の日本で起こっていることとは信じられない光景でした。

 その後、となりの事務所の社長さんが発電機を出してきて「これでTVを見よう」と言ってくれたので何とか発電機を回してTVを付けると先ほど携帯電話のワンセグTVで見た小さな画像が大きく画面に映し出されていました。

 事務所の暖房はすべて電源が切れて使えないのでその事務所の発電機で暖房を付けて貰い隣の事務所でじっと情報を得ながら何とかスタッフと連絡をとり直ぐに帰って来るように連絡しました。

 しかし、携帯は相変わらず繋がりにくくスタッフが自分の子供が学校から緊急集団下校してくるのを迎えに行って事務所に集合したのはそれから2時間後位経っていました。

 市内が全域停電しているので暗くならないうちに家に帰るようにして帰宅しました。自宅に帰って来てからも暗くならないうちにウッドストーブの薪を家の中に出来るだけ運び込み、使える懐中電灯をかき集めローソクも直ぐに使えるように机の上に並べて5時頃から、まだお腹が減っていませんでしたが暗くならないうちに兎に角、何かお腹に入れようと言うことになり電気が使えないのでガス台で肉と野菜を炒めて冷たくなった炊飯器に残っていたご飯をお茶碗に入れて急いで夕食を済ませました。

 それからウッドストーブに火をれて暖房を確保してローソクに火を灯しました。その後、ふと気が付いて昔、友人から貰って使うチャンスもなくインテリアになっていたホヤ付きのランタンが有ったのを思い出し、早速灯油を入れてこれも火をともしました。

 それから忘れていけないのはラジオ、これは以前からいざと言う時の為に手巻きのラジオとライトが一緒になった優れものを用意してあったのでそれからは、ず~とラジオを女房と2人で聞いていました。

 しかし、そのうちに、もうすることもないので「これはもう寝るしか無いね」と言うことになり風呂にも入れないので寝る事にしました。

 しかし、そこでフト気が付きました。「待てよ、このまま停電が続くと今晩の外気温は氷点下6度は間違いないところ・・外の配管に巻いてある凍結防止帯のヒーターは切れてるからボイラーか配管がこのままではパンクする可能性があるな」と・・・仕方ないので一度脱いだ防寒着を再び着込んで懐中電灯を持って外にでて配管の水抜きをしました。

 やれやれこれで一安心と思い、寒さに震えながら布団に包まって寝ようとしたら今度は携帯から緊急地震情報がけたたましく鳴り響き、結局この携帯電話の緊急地震情報がその後も何回も続き、結局朝まで一睡も出来ず仕舞いでした。

 次の朝、夜明け近くに試しに枕元のデスクスタンドのスイッチに触れるとパッと電気がつくじゃないですか!こんなに電気が有り難いと思ったのは久しぶりでした。

 その後、事務所に出社すると電話は通じず、パソコンはネット接続が繋がらず何やらテンヤワンヤしているうちにあっちこっちから「ボイラーがパンクしたので何とかして欲しい」との連絡がたてつづきに入り、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと一日ウロウロと走り回って一日が過ぎてしまいました。

 その間、横目で見ていたTVからは信じられない光景が次から次へと放送されとても現実とは思えませんでした。

 災害に遭われた多くの皆さん、心よりお見舞申し上げます。何とか力を合わせて頑張りましょう!

2011/03/05

そっとしといてくんない?

 ここ数日、地元で中部横断道の建設アンケート調査が始まり我々、地元に住んでいる人達の間で騒動が起こっている。

 そりゃそうだ、私には何でこんな美しい自然があふれる場所に無粋な高速道路を今、造らなくてはならないのか理解出来ない。誤解しないで欲しいので私は何でも反対というのでは無いのです。自分達もこの美しい自然に魅せられて移り住むに当たっては少なからず自然に影響を与えているのだから自分達だけが住んでて後は兎に角、何もしてはダメと言っている訳ではありません。

 今、日本が抱えている経済の停滞や少子高齢化に伴う福祉対策の財源確保が懸念されている状況で、それでもこの中部横断道の建設が優先されるべき事案なのかなという事です。

 アンケート調査は産業活性化や緊急車両の搬送時間短縮等、いかにもといった建設ありきと思われる質問設定になっていましたが、そんな事は言われなくても分かるのですよ。それでも今、地元が抱えている過疎化や高齢化に対する解決策にこの中部横断道が寄与する事があるのだろうかと疑問に思ってしまいます。高速道路が出来る事によるメリットや経済効果等をチラつかせて建設推進を計ろうという古いやり方はもう止めませんか?

 せっかく日本が長期に渡る単独与党政権が崩壊して変わろうとしている時、いや、国民が変革を選択したというのに、この国は又、元のような利権にまみれた道路行政に戻ってしまうのでしょうか?私自身は今の地元道路の現状にこれ以上の便利さは必要ないのではないかと思っています。

 そりゃ、砂利道でデコボコだらけの道もあるし不便なところは確かにあります。私が住んでいる森の中も引っ越してきた当初は砂利道でした。

 それが森の奥に別荘地が開発され開発に伴う条件として道路整備が義務付けられ舗装道路になり随分便利になりました。でも、そんなある日、森に土砂降りの雨が降った後、道路は川のようになってしまいました。今までは砂利道で降った雨が自然に浸透していたものが舗装されておまけに別荘地に多くに家が建ったために雨水が浸透出来ずに一気に道路を川に変えて落ちてきたのです。便利さの影には必ず失うものがあるのです。

 私も家を建てるのに木を伐りました。だから偉そうな事は言えませんが大規模な開発は急激な自然の変化を及ぼし、それを元に戻すには又、長い年月がかかります。場合によっては2度と元には戻らない事だってあります。

 私が引っ越してきた当初、私の家の奥には大規模リゾート開発の予定があってホテルだとかゴルフ場や牧場までが備わったそれこそ一大リゾート計画でした。

 開発には隣地住民の同意書が必要ということらしく地元の知りあいの方がその施工会社に勤めておられてある日、同意書に判をついて欲しいと来られました。

 知りあいという事もあり私も言いにくかったのですが「この同意書に私が印鑑を付かなければこの計画は出来なくなるのですか?」と聞いたら「いえ、そういう事はありません」と言われたので「それじゃ、申し訳ないけど私はこの同意書にハンコは付けないです」とお断りしました。

 だって、印鑑を押そうが押さなかろうが計画が実施されて単に、開発業者の開発推進に協力する為に名前が使われるのは納得出来なかったからです。幸い、その計画はバブルがはじけて中止になりました。

 今回の中部横断道も国の国家プロジェクトとしてどうしても早期に建設実施が必要でその為に協力しろと言うのならまだ分かります。でも、とてもそうとは思えないのです。既に計画がスタートしていて今更やめれないから兎に角、進めるしかないんだという今迄の日本の古い体質がまだ抜けてないんだとしか私には思えません。

 私は以前、勤めていた会社の仕事で成田空港の開港を控えて空港に勤める予定のその会社の社員寮を成田に建てるべく建設現場で働いていました。

 でも、その時思ったのです。「どうしてこんな所に国際空港を造らなくてはならないのだろう?世界で最も不便な国際空港と言われ、地元の方がこれほど厭がっているのに何故、国は多大な費用を掛けてこんな不便な所に空港を造らねばならないのか?何故、羽田じゃだめなんだろ?」その時の詳しい国の事情は私なんかには分かりません。

 今、羽田空港の国際化が進み徐々に成田から羽田に国際線が移りつつあります。国は自分達が間違っても決して間違えましたとは言わないところです。

 いつまでこんな事が続くんだろうと今回の中部横断道についても思いました。一旦、造ってしまうと成田空港も今更、羽田が国際化されたら困るという事に絶対なります。伊丹空港の時もそうでした。あれ程騒音被害に苦しんでいたのに沖合に関西空港移転案が出ると途端に移転反対と言いだす人も出ました。そりゃ当然だし、そういう意味では沖縄も同じような問題を抱えていると思います。それ程、地元の人の心には大きな影響を与えてしまうのです。

 せっかく穏やかに静かに暮らしているんです、そっとしといてくれませんかね。これ以上、不要な道路を造るのはやめようじゃありませんか。今、道路よりも大事なものがありませんか?

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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